ボリビアで入院

 今回のボリビア行きの目的はウユニ塩湖を訪れること。南米は遠く、10日間という旅程ではそれが精いっぱいで、他の土地の観光は考えていませんでした。ところが、事情により、予定より早くウユニに着き、2泊3日のツアー参加のつもりが1泊2日ですっかり満足してしまい、早めにラパスに戻ってこられたので、少しラパスを観光する余裕ができました。
 ペルーに行った時と同じく、私は今回も高山病の症状が出て、軽い頭痛、吐き気があり、食欲のない状態が続いていました。一緒に行った友人は高山病予防のためにのんでいたダイアモックスという薬が効いたのかずっと元気でした。そんな私も、ボリビア到着後5日目にしてようやく元気になり(これもペルーの時と一緒。私の場合、高地順応に5日くらいかかるようです)、ラパスに戻った翌日はお土産物屋さんをうろうろしたり、博物館に行ったり。ランチは、地元の人の行きそうなお店で、安くて豪華なランチセットに舌鼓。私は食欲はもどったものの、さすがにボリュームの多い食事は食べきれなくて、友人に食べてもらったりしました。夜はペーニャを聞かせる店に行って、ボリビアの音楽とダンスを。この時、友人がどうも食欲がないようで、少し歩き疲れたのかな、と思っていました。
 翌朝、友人が「どうも朝食を食べる気がしない」というので、風邪でもひいたのかな、と、思い、今日は友人にはゆっくり休んでもらって私一人でラパスの観光をするつもりでした。念のため熱をはかってみると38.8度。これは尋常ならぬ熱だな、と思い、ホテルのフロントに相談すると、すぐかかりつけの医者をよんでくれました。
 お医者さんが来てくれたのは結局1時間ほどしてからでしたが、その間にも熱があがり、39.3度。さらに下痢がはじまりました。医師は診察して話を聞いた後、「もし薬をのんでも、下痢があるのでみんな出てしまう。下痢を止めると、今度は吐くことになる。なので、原因が何か検査して、病院で治療したほうがいい」と言い、病院へ向かいました。  到着したのは24時間対応のきれいな病院で、すぐに7階の個室に通されました。そこで入院用のガウンに着替え、便を採取して検査。名前、パスポート番号、保険会社、など、入院に必要な事務的手続きをして(クレジットカード付帯の保険で、保険会社の名前はすぐにはわかりませんでしたが、かまわないと言われました。これがアメリカならどうだったろう、と考えてしまいました)、点滴開始。下痢があるため、脱水症状を防ぐ必要があったのと、薬も点滴から時間を見て入れていました。
 医師は旅行者への対応を専門にしている人らしく、診察の間にも他から電話が入ったり、とても忙しそうで、私達だけにかまっているわけにはいかないようでした。しかし、そこの病院の医師や看護婦さんに指示をし、私には自分の連絡先の電話番号やメールアドレスを教えてくれ、何か質問などあったらすぐに連絡するように、と言ってくれました。英語での説明もわかりやすく、親しみやすい人柄で、この先生に対応してもらったことは本当にラッキーだったと思います。
 再び医師がやってきたのはもう夕方で、友人の熱は少しさがっていたものの、下痢は続いていました。医師は最初サルモネラ菌の感染を疑っていたようですが、結果は陰性で、ランブル鞭毛虫(Giardia lamblia)という菌にだけ陽性反応が出ていました。とにかく、旅行者にはよくある症状だそうで、1週間に2,3人は同じような症状の人を見ているとのことです。心配ない、と言っていましたが、問題は、私達は翌朝7時の飛行機で帰国することになっていて、それが可能かどうか、ということでした。
 朝7時の飛行機、ということは5時には空港に着いていなくてはいけない。しかし、今の状態では長時間のフライトに耐えられそうにありません。中南米からの入国者には厳しいと言われているアメリカ入国も心配で、帰国を一日延ばすのはやむなし、と判断しました。
 私達が泊っていたホテルと病院とは結構距離がありましたが、とりあえず、私がホテルに戻って荷物をまとめ、病院に戻ってくることにしました。ところが、夕方の交通渋滞がものすごく、とりわけメルカドネグロという市場に入ってからはなかなかすすまず、タクシーの運転手さんもイライラ状態。そもそも病院からでさえ、タクシーをひろうのがそんなに簡単ではありませんでした。さらに、荷物をまとめて病院に向かおうとしたものの、私達の泊っていたサガルナガ通りというところにあるホテルからはタクシーを全然ひろうことができず、もう夜の8時をまわっていたのに夕飯もまだ、これから航空券の手配もしなくてはならない、という状態だったため、病院に戻るのはあきらめて、その夜は私はホテルに泊ることにしました。
 幸い、ホテルではワイファイが使えたので、スカイプを使って航空会社に電話して事情を説明。明日の便をキャンセルしてその翌日の便に変更してもらったらいくらかかるかを尋ねたところ、最初の格安チケットよりも高額になって愕然。そこで、もともとチケットの手配をしてもらった旅行会社に電話して、ラパスから日本まで格安のチケットが手配できないか尋ねたけれど、日本からの便しか扱えないとのことで無理。私の力ではそれ以上の手配は難しいと思ったので、高額でもそれしか方法がない、とあきらめて、チケットの手配をしてもらいました。
 翌朝、友人もだいぶ回復したことだろう、と、午後にはホテルに戻ってくるつもりで、着替えや充電器などだけ持って病院へ。夜は30分毎にトイレに行かなければならないような状態だったようで、このままでは飛行機に乗れるかどうかが危ぶまれました。しかし、これ以上、チケットの変更はできないし(経済的に)、おたがいに仕事もある。なんとしても明日には帰国の途につかなければ、と、とりあえず下痢を止めるために、持っていた正露丸をのんだところ、下痢は止まってきたのですが、今度はまた熱があがってきた。やっぱり無理に下痢を止めるだけではだめなようです。
 お昼頃、診察にみえた先生にこれまでの経過を説明。そして、すでに翌日の飛行機の手配をしたので、それをさらに変更するのはむずかしいことを伝えました。先生としては、現在、まだ38度以上あって下痢もおさまっていない患者に対し、退院していいよ、とは言えない。ただし、私達の事情もわかるので、どうしても、ということなら、自己責任で退院するのはやむをえないし、航空機内でのむための薬も用意する。が、とにかく、夜の7時まで治療を続けて様子を見よう、とのこと。朝5時に空港に行かなければならないなら、朝4時半に病院から空港に向かうことも可能だから、とにかく病院にいたほうがいい、という話でした。
 それで、とりあえず私がまたホテルにもどって荷物をまとめ、その日は私も病院に泊ることにしました。ホテルに戻って、変更した航空機のEチケットをホテル前のネットカフェで印刷し、ホテルを引き払って病院へ。友人の様子はだいぶよくなっていて、熱をはかってみると、36.5度。下痢もおさまってきて、よく寝られるようになっていました。
 7時半ごろ診察にみえた先生は経過を聞いて、それなら明日の便で帰国しても大丈夫そうだ、ということで、みんなで喜び合いました。夜10時半頃、先生は診断書などの書類を整えて持ってこられ、飛行機の中でのむ薬について、細かく指示をしてくれました。その後、しばらくしてやってこられた事務の方に、病院の支払いもすませ、明日の朝、すぐに出られるように準備して眠りにつきました。
 友人のほうは最後の薬が夜中の3時。その点滴が終わるのに20分ほどかかるとのことで、3時半に点滴をはずしてもらい、準備をしていたら4時にはタクシーが病院の玄関に来ているとの連絡があったので急いで降りて行き、空港には余裕をもって到着することができたし、飛行機の中でもこれといった問題もなく過ごすことができました。

 外国で、とりわけ「先進国」ではない国で病気になったら、それだけで不安です。でも、ボリビアには設備の整った立派な病院がありました。医師もすごくしっかりしていて頼れる感じがしました。看護婦さん達も手厚い看護をしてくれた(私のスペイン語がお粗末なので、コミュニケーションをとるのはちょっと大変でしたが)し、病院の受付もとても感じのよい方でした。
 個室は窓が大きくてラパスの街並みを見ることができ、きれいな絵が飾られていて、気分が滅入るのを防いでくれました。患者の世話をする人が寝泊まりすることができるようにソファベッドがあり、トイレとシャワーもついていました。2月のボリビアは夏なので、泊ったホテルのどこにも暖房はありませんでしたが、病院には暖房があって快適でした。一応、安いながらも熱いシャワーのでるホテルには泊っていたのですが、シャワーの湯量が十分ではなく、温度も安定しないため、部屋に戻ると寒い感じだったりしたのですが、病院のシャワーは湯量がたっぷりで気持ちよかったです。ソファベッドはさすがに寝心地がいいとはいえませんでしたが…
 私達のいた階は入院患者用の部屋が数室あり、真ん中がナースステーションで、待合室も兼ねている感じでした。テレビがついていたり、明るい感じの音楽が流れていたりしました。1階の受付近くには薬局のほか、小さなお店があり、可愛い小物が売っていたりして、全体的にあまり病院臭のしない病院でした。、

 食あたりの原因ははっきりはしませんが、やはり、安い食堂で食べた肉なのかなぁと思っています。高地に慣れるのに時間がかかるように、現地の食事に慣れるのにも少し時間がかかるものなのかもしれません。航空機の変更に要した費用は結局、友人の保険で支払われることになりそうで、ほっとしています。熱と下痢とで友人は大変だったと思いますが、おかげでいろいろな人の親切にふれることができたのは、貴重な体験でした。
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(写真は病院の窓から見えた風景。夕暮れ時です。)

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マイベスト映画2011

今年もインターネット映画大賞(外国映画部門)に投票します。

[作品賞投票ルール(抄)]
・選出作品は5本以上10本まで
 ・持ち点合計は30点
 ・1作品に投票できる最大は10点まで

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『 外国映画用投票フォーマット 』

【作品賞】(5本以上10本まで)
  「ソウル・キッチン」 6点
  「ミラル」 5点
  「未来を生きる君たちへ」 5点
  「ペーパーバード 幸せは翼にのって」 5点
  「ライフ」 3点
  「バーレスク」 3点
  「トゥルー・グリット」 2点
  「再会の食卓」 1点
 
【コメント】
2011年に劇場公開された外国映画で、映画館またはDVDで見たものは65本。
「ライフ」は別として、脚本の面白かったものをあげました。
「ライフ」は普通には見られない世界を、カメラを通して見せてもらった感じで楽しめた。
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【監督賞】              作品名
   [ファティ・アキン ] (「ソウル・キッチン 」)
【コメント】
2011年見た映画で、一番楽しかったのはこれかな、と思うので。
【主演男優賞】
   [ジャク・ブラック ] (「ガリバー旅行記」)
【コメント】
この映画はジャックブラックの独壇場。
【主演女優賞】
   [カトリーヌ・ドヌーヴ] (「しあわせの雨傘 」)
【コメント】
「お飾り」だった女性がたくましく成長していく姿が小気味よかった。
【助演男優賞】
   [シュー・ツァイゲン] (「再会の食卓」)
【コメント】
妻の前夫があらわれて、妻に去られてしまう、という役。
最初、その夫をもてなしていたが、妻がその夫についていくこととなり、繰り言が増える。
そういう役をなんとも魅力的にこなしていた人。
「ザ・ファイター」のクリスチャン・ベールもよかった。
【助演女優賞】
   [エイミー・アダムス] (「ザ・ファイター」)
【コメント】
きりっとした感じが素敵。
「ハーモニー 心をつなぐ歌」のナ・ムニもよかった。
【ニューフェイスブレイク賞】
   [ヘイリー・スタインフェルド] (「トゥルー・グリット」)
【コメント】
ジェフ・ブリッジズ、マット・デイモンを相手に堂々とわたりあった彼女。大物になるかな^^。
【音楽賞】
  「ソウル・キッチン」
【コメント】
正直言うと、もうどんな曲が使われていたとか覚えてないwんだけど、音楽が気持ちよかったことは覚えているので。
【ブーイングムービー賞】
  「サルトルとボーヴォワール」
【コメント】
サルトルの哲学には惹かれるものがあるのだけど、映画ではすごく俗っぽく描かれていてがっかりしてしまった。
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【勝手に未公開映画賞】
   [トゥルース 闇の告発]
【コメント】
日本では劇場公開されていない(DVDでは見られる)そうだけど、こういう事実があるのなら、多くの人に知ってほしいと思う。
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 この内容(以下の投票を含む)をWEBに転載することに同意する。
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"lady"は失礼な呼びかけ!?(英語)

「メタルヘッド」(Hesher)という映画で。上級生ダスティンに殴られている小学生の男の子TJを助けるために、スーパーのレジ係をしているニコル(ナタリー・ポートマン)が、その上級生に襲いかかる場面がある。襲われたダスティンが発した一言。

What the f*ck are you doing, lady?
(何やってんだよ、レディ!)

この"lady"の部分の字幕が「オバサン」となっていて、へぇ、そうなんだ?と思った。

その後、TJと車に乗り込んだニコルがTJに訊く。

I can't believe he called me lady. Do I look like a lady to you?
(さっきの子、私のことをレディって呼ぶなんて信じられないわ。私がレディに見える?)

TJの答え:I don't know, I guess?
(わかんないよ…そうなんじゃない?)

ニコル: Thanks. I mean do I look old?
(どうも。年とって見える?っていう意味で訊いたんだけどね。)

で、職場の40代の女性(白人)Lに"lady"っていう呼びかけは年とった感じがするの?と聞いてみた。
彼女によれば、普通、lady なんて呼びかけはしない。もし、"Excuse me, lady"なんて声をかけられたら、「何この人、失礼(rude)ね」と感じるそうだ。
じゃあ、なんと呼びかければいいのか、と訊いたら、"mom" が普通。でも、若い人に"mom"と呼びかけたら、なんとなく年寄りのように響くから嫌がる人もいるだろう。じゃあなんて言うの、とさらに訊いたら「わからない」とw。何も言わない"Excuse me"だけでいいんじゃない、という答え。

lady というと淑女っていうイメージがあるから、lady という呼びかけが失礼な感じがする、というのは意外だった。

じゃりんこ:でも、時々、親が子どもを引き取った後で、私達に”Bye, ladies"とか声をかけることあるじゃない。
L:複数形ならいいのよ。それは失礼じゃないわ。guys とか ladies とかね。

50代の黒人女性(イギリス人)と20代の白人女性にも訊いてみたけど、同じような答えだった。

dictionary.com で調べてみると、4番目に
(Used in direct address: often offensive in the singular): Ladies and gentlemen, welcome. Lady, out of my way, please.
という定義(説明)があった。

となると、あの場面で lady をオバサンと訳しているのは極めて適切な感じなんだな。

考えてみれば、日本語だって、女性に対する呼びかけはむずかしい。若い人には「お嬢さん」でいいだろうけど、中年以上の女性に対して「おばさん」は論外(小さい子がそう呼ぶなら可)、「奥さん」「奥様」が嫌な人もいるだろう。私も日本語ではなんて呼びかけるのかと訊かれたら、「すみません」だけでいいんじゃない?って答えることになりそうだw。

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スリッパラック

先週、久々に押入れの掃除をしたら、いただいたまま使っていなかったスリッパを発見。
Dsc00764_3しまいこんだままでいると使わないんだよなぁ、とスリッパラックを作ってみた。
といっても、廊下の押入れのドアの裏に、ゴムを画鋲でとめただけだけど(^0^)。

雑誌ESSEの2007年4月号に載っていたアイデア。
収納特集があり、職場で読んでいたら、同僚が「何読んでるの?」と言うので、「家の中を片付けるアイデアをいろいろ見てるのよ。たとえば靴とか」と答えてから、「あ、そうか、靴ってどうやってしまってるの?」と訊いてみた。彼女の場合はウォークインクローゼットの床に靴を置いているそうで、靴箱というのは特にないらしい。shoes closet で検索するといろいろあるから、靴箱がある家ももちろんあるんだろうけど、日本のように玄関に靴箱という家はあんまりないんだろうな。

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アテネの町歩き

アテネの町歩きの写真を次のサイトにアップしたので興味のある方はどうぞご覧になってください。

遺跡や博物館などの観光地の写真はなく、買物が中心です。

ソクラテスの「無知の知」という言葉が好きな私は、古代アゴラを歩きながら、「昔、ここをソクラテスが歩いてたのかなぁ」なんて想像するのも楽しかったですが、普通に町を歩くほうがおもしろかったというのが本当です。

今回の旅では日本人に会うことが少なかったのですが、8月14日に考古学博物館やアクロポリス博物館に行ったときには結構日本人を見かけました。サントリーニでも何人か日本人らしい人を見かけました(イアに夕日を見にいったとき、結婚式を終えた人がでてきて、たぶんそのカップルは日本人だったのではないかと思います)。でも、ギリシャはそんなに日本人にとってポピュラーな町でもないのかなぁ。ギリシャにとっても日本はあまり身近な国ではないのでは、という印象をもちました。でも、アテネの日本料理レストランは流行っているようでしたが^^。

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ギリシャの電車

8月7日から20日までギリシャ旅行に行ってきた。アテネーサントリーニ島ーパロス島ーミコノス島ーアテネーメテオラーピリオン半島(マクリニッツァ村)ーアテネという日程。印象に残ったのは、メテオラの切り立った岩の上に立つ修道院、おとぎの国のようなミコノスの風景など。国内移動に使ったのはフェリー、電車、バス。そしてやっぱり楽しかったなぁと思うのは、電車での移動だ。

ヴォロスという町からアテネにもどるには、直通電車はなく、ラリッサで乗り換えなくてはならなかった。ラリッサまでは普通電車。ラリッサからアテネまでは座席指定のあるインターシティ(急行)だ。

予定時刻の20分遅れでヴォロスに到着した電車に乗り込む。結構混んでいるものの、まだ空席もあったが、次の駅で、私達の向かい側の席(対面4人掛けシート)におじいさんが乗ってこられた。

おじいさんはアジア人二人連れを見て「キナ?キナ?」と。何を言われているのかわからなかったけど、iPhoneアプリにギリシャ語ー英語辞書を入れていたので、聞いた通りの発音を入力すると、「中国」という意味だとわかった。「そうじゃない、日本だ」と答えると、おじいさんはさらに「どこへ行くのか」「どこへ行ったのか」など尋ねてこられた。iPadに入れているギリシャ語の指さし会話帳やら辞書を駆使しながら答えていると、隣の人が英語で助け舟をだしてくれた。おじいさんは通訳ができたことでますますパワーアップ、毛沢東の話を始めたり(^^;)。「私は中国人じゃないからよくわからない」と言っても、どうも中国がお好きらしく、話題は中国のことばかり。隣の人にそう言うと、その人も「まったくそうだね」と笑っていた。

あるいはメトロの中で。友人がまわりの乗客から注意された。最初、ギリシャ語で何を言っているのかわからなかったが、前に座っていた英語を話す男性が「財布をポケットに入れていたら危ない」と言っているのだ、と教えてくれた。「ここ10年ほどで移民が増えて、スリなどの犯罪が増えた」とのこと。「それまではヨーロッパの中でも犯罪のない平和な国だったのに」と。さらに「どこへ行くのか」などと尋ねられたので、考えている予定を話し、ヴォロスに行くつもりだと言うと、「あの近くの村がいいところなんだよ」と話してくれた。

フェリー乗り場のあるピレウスから郊外電車でアテネの中心部へ向かった時のこと。「地球の歩き方」によれば、電車は「ラリッサ」という駅に着くと思っていたら(実際その通りなのだけど)、車内の路線図には「ラリッサ」という駅がなく、間違った電車に乗ってしまったのか、とあせった。乗客のひとりに「ラリッサには行かないのか」と尋ねると、ギリシャ中部にあるラリッサという町のことだと勘違いされ、「それはこの電車じゃない」と言われたり。でも、他の乗客が私達の話を聞いていて、「ラリッサではなく、"アテネ"で降りればいい」と教えてくれた。

旅に出て私が好きなのは、地元の人と話すこと。そのために、ちょっとでもその国の言葉を覚えていこうとすることが多いけど、現実にはなかなかむずかしくて、英語になることが多い。今までで一番地元の人と話したのはトルコだ。特にバスの移動での際に話しかけられることが多かった。で、ギリシャでも、電車に乗ったおかげでちょっと話す機会があったかなぁ、と思う。フェリーは観光客が多くて地元の人と話す機会というのにはならなかったし、長距離バスや、電車でもインターシティとかはあまり誰かと話すことにならないのだけど、地元の人のふだんの足になっているような乗り物は楽しい^^。

下記のサイトにいくつか電車の写真をアップしたので、興味のある方はどうぞご覧になってください^^。

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映画「ミラル」

パレスチナ関係の映画となると、どういう立場、視点で作られたのか、というのが気になってしまうけど、この作品は、まず映画としておもしろい。
ヒンドゥ、ナディア、ファティマ、ミラルという4人の女性の生き様を語る中で、彼女たちの生きた場所、時代が描かれる。

1947年、国連でパレスチナ分割案が決議され、ユダヤ国家の建設が認められる。パレスチナの地に住んでいたユダヤ人でない人達はユダヤ人によって追い出されるようになり、虐殺も起こった。その結果、孤児となった子ども達のためにエルサレムで施設を作ったのがヒンドゥ。
義父から性的虐待を受け、そのために家出したが、アルコール中毒状態となり、ユダヤ人への「暴行」を働いたとして投獄されたナディア。
ナディアが刑務所で出会ったファティマは元看護士だったが、テロ組織で活動したとして無期懲役を言い渡されていた。
刑期を終えたナディアはファティマの兄のジャマールと結婚し、ミラルが生まれる。
幼くして母を亡くしたミラルはやがてヒンドゥの運営する「子どもの家」で過ごすこととなった。。。

ヒンドゥは、子ども達にパレスチナ人としての誇りを持って生きてほしい、と願っていたが、そのための最良の方法は教育であると信じ、暴力的な手段を用いることには反対だった。しかし、成長したミラルは、パレスチナ人の惨状を目にして、何も行動しなくていいのか、という疑問を持つようになる。

ミラルが現実を見て感じたり考えたり、家族や友人や恋人やそのほかの人達とどんなふうな関係を築き、どんな生き方を選んでいくのか、というのが物語の主題であり、政治的なメッセージ性はほとんど感じられない。4人の女性の物語はうまくつながって、見ていて話にひきこまれていく。

監督が「潜水服は蝶の夢を見る」のジュリアン・シュナーベルだと知って納得。監督がユダヤ系の人であるというのも後で知った。しかし、ミラルの原作を読んで語らずにいられなくなったのだという。ユダヤ系の人だからといって、ユダヤ寄りの視点で語っているということはないけれど、やはりヒンドゥのような考え方に近いのかな、とは思う。

パンフレットに岡真理さんが書かれていたのが「エルサレムは、イスラーム、キリスト教、ユダヤ教という3つの信仰の聖地として、信仰を異にする者たちが隣人として友人として歴史的に共生してきた街だ」ということ。それを象徴しているのが映画の最初のクリスマスの場面であり、そのような街に、ひとつの信仰に基づく排他的な国家が建設されることがパレスチナ問題の根源なのだ、と。

いくつか私にはよくわからなかった点(ヒンドゥはパレスチナ人だけど資産家でそれは守られたのか、とか、ジャマールの仕事とか。ジャマールはイスラム教の導師らしいけど、ヒンドゥもジャマールもイスラエルに敵対しない人達だったから迫害を受けなかったのだろうか?)はあるけれど、ミラルが成長していく姿には共感を覚える人が多いのではないかと思う。

私が好きだったエピソードは(以下ややネタバレ)

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2歳児とクッキング:アイスクリーム(^^)

アイスクリーム作りは保育園で一度やってみたいと思い、アイスクリームメーカーなども買ったものの、結局一度も実行できずにいた。で、先日、ジップロックバッグを使ってアイスクリームを作るやり方が保育のヒント集の本にあったのでやってみることにした。

今日は涼しくて、アイスクリーム作りに最高の日、というわけではなかったけど、アイスクリームはいつだって美味しいものだから気にしない(^^)。

材料(1人分);牛乳 100cc
        砂糖 大さじ1
        バニラエッセンス 小さじ1/4
用意するもの:ジップロックバッグ(大1、小1)
       粉ミルクの缶1
       氷たくさん(製氷皿1個分)
       岩塩大さじ3(たぶん、ふつうの塩でもいいのかな?)

これらを人数分用意。赤ちゃんの粉ミルクの缶は本にはなかったので必須ではないけれど、使うとやりやすかったので。

手順
1;小さなジップロックバッグの中に牛乳、砂糖、バニラエッセンスを入れる
2;大きなジップロックバッグの中に氷、岩塩を入れる
3:しっかり閉めた小さなジップロックバッグを大きなジップロックバッグに入れてひたすら振る!!

でも、ジップロックバッグを振り続ける(10分くらい(^^;))のは、いくら「アイスクリームができる」と聞かされていても、2歳の子どもにはなかなか根気が続かない(^^;)。そこで、このジップロックバッグをミルクの缶に入れるとかなり振りやすいし、氷の音も楽しめておすすめ^^。

投げ出してしまった子ども達をしり目に、私ががんばって振り続けたところ(この時、ミルクの缶に入れると振りやすいことを発見。途中から子どももひとりもどってミルクの缶に入れてやりだした(^^))、ちゃーんと固まってアイスクリームができた(^^)v。

できあがったアイスクリームをみんなで試食。ひとりぶんを子ども4人と私で分けたので一口ずつしか食べられなかったけど、ほんとに甘くておいしいアイスクリームだった。子ども達はスプーンをしっかりなめて「もっと」と言っていたので、「だったらがんばって振ってね」とやりたかったけど、もう昼食前だったので中断。子ども達のやりかけのものはフリーザーへ。凍ったものを明日食べる予定。

次回は最初から子ども達に缶を使わせてあげるつもり。ジップロックを使う利点は、中身がすぐに確認できること。子ども達も、しっかり振ればアイスができることがわかったので、たぶん今日よりは頑張れるんじゃないかな。ジュースでシャーベットというのもおもしろそうだから、夏の間にまたやってみたい。

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本「アメリカ人の心がわかる言葉」

しばらく前、たまたま知ったガンジーの言葉 がいいなぁ、と思い、名言というのも読んでみるとなかなかおもしろいのでは、と思った。で、これもたまたま、図書館でこの本を見つけて借りてきた。

左ページに英語、右ページにはその訳。
印象に残った言葉をいくつか書き記しておきたい。

Age is a question of mind over matter.
If you don't mind, it doesn't matter.
(Satche
l Paige)

年齢というのは実態よりも気の持ち方の問題。
うん、そうかも。英語の表現がうまいなぁ。

After all, tomorrow is another day.
(Margaret M
itchell)

「風とともに去りぬ」のなかのセリフだそう。「また明日という日があるわ」というのはこんなふうに言うんだな。

Everybody wants to go to heaven, but nobody wants to die.
(Jo
e Louis)

確かに。

If we had no winter, the spring would not be so pleasant; if we did not sometimes taste of adversity, prosperity would not be so welcome.
(Anne Bra
dstreet)

逆境にあってもそんなふうに考えられれば助けになるかも。

Politics is not a bad profession. If you succeed, there are many rewards, if you disgrace yourself, you can always write a book.
(Ronald Reagan)

レーガンってユーモアのセンスのある人だったんだ^^。

The religion that is afraid of science dishonors God and commits suicide.
(Ralph Waldo
Emerson)

確かに、神様のしたことが完璧であるなら、科学と矛盾なんてしないはず…?

Doubt isn't the opposite of faith;
it is an element of faith.
(Paul Tillich)

そうだよな、疑いを検証しないなら盲信になってしまう。

We become not a melting pot but a beautiful mosaic.
Different people, different beliefs, different yearnings, different hopes, different dreams.
(Jimmy Carter)

これがこの本の最後に紹介されていた言葉。カーター元大統領ってこんなこと言ってたんだ。いいなぁ。

アマゾンでももう中古でしか買えないけれど、手軽に読めて、ちょっとした英語の勉強にもなる。自分の心に響く言葉が見つかれば儲けもの^^。

アメリカ人の心がわかる言葉―著名人から落書きまで
ジェームス・M. バーダマン
4806109800

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映画「再会の食卓」 Apart Together

1949年に中華人民共和国が成立。蒋介石率いる国民党は台湾へと退却。そんな事情で生き別れになってしまった夫婦。妻ユィアーは別の人と結婚して、上海で暮らし、孫もいる。夫も台湾で結婚していたが、三年前にその妻が亡くなった。そして、40数年経って、台湾にいた国民党の生き残り達が本土に戻ることが許され、上海にいるユィアーの元へ別れた夫が帰ってきた。ユィアーとその家族は礼を尽くして彼を迎えいれる。しばらく滞在したら台湾に戻るのかと思えば、なんと彼はユィアーに一緒に台湾に行って余生を彼とともに過ごしてくれないかと頼むのだ…

こんな自分勝手な話はない。猛反対する子ども。しかし、ユィアーの現在の夫は、彼女の決断に任せようとする。。。

この現在の夫が、とても優しくて、愛すべきキャラクター^^。彼だけでなく、登場人物それぞれのキャラクターがよく描き分けられていて、おもしろい。ユィアー、昔の夫、ユィアー達の子ども(長男、長女、次女)、孫のナナ。。。

リニアモーターカーが走り、ビルが立ち並ぶ近代的な街上海。しかし、路地裏に入れば、路上にテーブルを出してみんなで食卓を囲む姿が見られる。食事の用意は男性も結構参加するんだよな、とか、市場の様子、結婚の仕方とか、中国の生活が垣間見られるのも楽しい。

ユィアーがどんな決断をするのかも興味深く、最後までおもしろく見ることができた。

(以下完全ネタバレなので、これから見るつもりの人は読まないほうがいいと思います)

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