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本「ディリー、砂漠に帰る」by ワリス・ディリー

「砂漠の女、ディリー」の続編。「砂漠の女、ディリー」が出たのが1999年で、ワリスはこの時、仕事も順調、恋人もできて赤ん坊も生まれることになり、幸せだった。「ディリー、砂漠に帰る」が出版されたのはそれから4年後。ワリスは恋人とうまくいかなくなり、ニューヨークでの生活に疲れ始めていた。そして母に会いたいという気持ちが募り、内戦の続くソマリアへ、危険だからやめておけ、というまわりの反対を押し切って一時帰国することにする。

「砂漠の女」を読んですぐこの本を読んだので話の重なる部分も結構あった。だから一作目に比べるとインパクトが少ないが、現代のソマリアの様子を知る機会なんてなかなかないので、そういう点ではおもしろかった。一言でいえば、「今でもそういう国があるんだ」という感じだ。

電気もない、ガスもない、時計もない生活。多くの人々は裸足で歩き、衛生的とはとてもいえない生活環境。でも、だから人々が不幸かというと...

「ニューヨークには食べ物も、そのほかのものも、なんでもある。人々はものをもちすぎて、自分がなにをもっているのかもわからない。わたしの両親は、自分のもっているものは完全に把握している。ソマリアでは、ぎりぎりの食べ物さえ、ないことがある。それでも人々は元気で明るい。通りに出れば、みんな笑顔で話している。西洋の人たちは、いつもなにか足りなくて、その足りないなにかを探しているように見える。.....」(p.186)

ワリスが恋人とうまくいかなくなったのは子どもが生まれてからだった。ソマリア流の子育てをしようとするワリスと、現代アメリカで育った彼やその母親との意見があわなかったのだ。ワリスはいろいろな点で妥協しようとしたが、たとえば紙おむつのようなムダは彼女にはがまんできなかったし、彼がピザを注文しては大量に残して捨ててしまうようなところもいやだった。

ワリスはソマリアの生活方法がよくてニューヨークの方法が間違っている、と言っているわけではない。とりわけ、氏族の対立のため続いている内戦は悲しいことだし、女が男と対等に扱われないことにも疑問を感じている。カートという一種の麻薬作用を持つ草を噛み、ろくに仕事をしない男達に対しても憤りを感じている。ただ、西洋の価値観がいつも正しいというわけではないし、それが人に幸せをもたらすわけでもない。

今日はFGMの学習会に参加し、ソマリア出身の女性の話を聞いてきた。「ソマリアで育ちながら、FGMは廃絶しなければならない、とどうして思うようになったのか」という参加者からの問いに、彼女は、自分は内戦が始まってから外国に逃れ、国際的な機関で仕事をするようになって、自分の国を外から見る機会に恵まれた。そういうことが彼女の考えを変えるきっかけになったという。そして、今、ここでFGMの廃絶を訴えているけれど、ソマリア人を前にして同じように訴えることができるかというと、わからない、と言う。

ワリスも、FGMの話を何も知らない人にするのはそれほど大変ではないけれど、ソマリアでこの話をするむずかしさについて書いていた。でもそれこそが彼女のしなければならないことである、とも。がんばって!と思う。

4794212607ディリー、砂漠に帰る
武者 圭子
草思社 2003-11-26

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