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「ラストサムライ」

見終わっての感想はまず、私は基本的に、人が人を殺したりするような場面がたくさん出てくる映画は好きになれない、ということだ。何のために戦わなければならなかったのか。天皇のため?自らの誇りのため?それらが「戦う」こと、すなわち、人を虫けらのように殺すことを美化する理由にはならないだろう。

「武士道」というのはあったのだろう。武士には武士の哲学や美学があっただろう。ハリウッドがそれを理解しようとし、ほとんど賛美する形で映画を作った、というのはおもしろい。ただ、あまりにも美化されすぎている感じがする。武士の存在が他の階級の人たちを苦しめてきたことも事実だし、武士は滅びなければならないものだったのだ。それなのに、何故、今、サムライなのか。サムライ、武士道精神への憧れのようなものをこめて映画が作られていることにちょっと不安を覚える。

確かに映画らしい映画で、映画館で見られたことはよかったと思う。日本の風景が美しい。戦いの場面も迫力がある。トム・クルーズの殺陣もよくやっているなぁ、と思ったし、随所にあるユーモラスな場面(これ以後ネタバレあり.....タカが、トムのことを臭いと言いながらにっこり微笑む場面とか、子どものおかしな顔とか、トムが着物を初めて着た場面とか)は楽しい。官軍と勝元軍が戦う場面で、官軍が勝元軍に大砲を打ち続けていたが、指揮官が上官に背いて「打ち方やめ」と命ずる。勝元に武士らしい最後をとげさせてやりたかったのだ。そんな場面がハリウッド製作の映画に出てくることは驚きだ。武士道についてよく調べているなぁと思う。

ただ、私は武士道を賛美する気にはなれないし、だから、手放しでこの映画をほめたたえる気にはなれない。

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「やばい」?言葉(英語)

土曜日の「人を誉める言葉」で、nutty とか rambunctious が果たして誉め言葉なのだろうか、という疑問を書いた。それについて職場の同僚に聞いてみたところ、nutty は確かに crazy の意味だが、親しみをこめて言う場合は誉め言葉になりうる、ということ。kooky も同様に crazy の意味だが、「そんな言葉聞いたことないわ」という人もいた。

説明してくれた人によると、あれらの言葉はもしかすると本人が自分の紹介として書いたのではないか、ということだった。
sassy は「生意気な」というような意味だが、説明してくれた彼女は、"I'm a sassy girl." だと言っていて、それは悪い意味というわけじゃない、とのこと。彼女は自分の意見をはっきり言うタイプだし、それを誇りに思っているところがあるのだろう。ただ、一般的に sassy が誉め言葉、ということにはならないようだ。

同様に、rambunctious は、energetic というような意味だが、普通に誉めるのなら、rambunctious ではなく、energetic というだろう。rambunctious を辞書でひくと、
humor (of a person or behaviour) noisy, uncontrollable and full of life
となっていて、冗談めかしていう時に使われるのかな、という印象だ。

実際に、ああいう形容詞で紹介されていた人に会ってみたい気がする。

普通に使うと悪い意味の言葉が、ちがった状況のもとでは別の意味になる、というのはそれほどめずらしいことではないのかもしれない。

I want it so bad. (私はそれがとてもほしい)というような言い方を初めて聞いた時は驚いた。 bad は「悪い」という意味だと思っていたので、「すごく、とても」というような意味で使われる、というのは意外な感じだった。でも、日本語でも「彼はそれをひどくほしがっている」という言い方をする。「ひどい」で程度がはなはだしいことを示すわけで、悪いことに使われる場合が多い(「ひどく落ち込んでいる」とか、「ひどい怪我」とか)とは思うが、「ひどくほしがっている」の場合は、「ひどく」に悪い意味はなく、程度の大きさを示しているだけだ。

nutty や rambunctious は、使い方や相手との関係によっては、「やばい」ことになると思われる。ところで、「やばい」というのが現代では「かわいい」「おいしい」などの肯定的な意味で使われることがある、というのを聞いた時は驚いた。その例がたとえばこれ。【やばい】かなりツボ【犬猫】
(実は、こちらのサイトには、ハーボットを貼り付ける時にもハーボットオーナー養成講座にお世話になりました。この場でお礼申し上げますm(^^)m。)

ヤフーで「やばい」を検索すると、本来の意味と現代風の意味とどちらにも使われているのがわかる。私は「この料理、やばい」とは言えないなぁ...言ったとしたら、文字通りの意味になりそうだ(^^;)。

どうして、「やばい」がそんな意味に使われるようになってきたのかについては、
かっこいいことは「やばい」などを読むと、なるほどねぇ、という感じだった。

とにかく、言葉は移り変わるものだし、使われる状況によって同じ言葉がまったく別の意味になるから、むずかしくもあり、おもしろくもある。

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「めぐりあう時間たち」

気の滅入る映画だった。メリル・ストリープは好きだし、女性3人の話ってなんだかおもしろそう、と思って、公開された当時、見に行きたいと思っていたのだが、行かなくてよかったかな。結局、すべての人が理解しあうなんてことはできないのだ、って思ってしまう。すべての人どころか...愛し合っている者の間ですらも。

(以下ネタバレ)

ヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)が、夫に「あなたに私の苦しみはわからない」というようなことを言う場面。そうなのかもしれない。でも、夫が彼女を愛していることは彼女にはわかっているのに。

優しい夫と、可愛い子どもに恵まれながら、彼らを捨てて家出したローラ(ジュリアン・ムーア)。彼女も私には理解できない人だ。夫も子どもも彼女を必要としていることは彼女にはわかっているのに。「後悔していると言えたらいいんだけど」だって?カナダの図書館で職を得て、彼女は幸せだったのだろうか?少なくともあの家庭にとどまるより幸せだった、と彼女は言うのだろう。夫と結婚し、子どもを産んだのは、彼女自身の選択だったはずだ。その結果を引き受けるべきだと思う。家を去る、という決断がどれほどまわりの人間を苦しめることになるのか、それがわかっていて、それでも、そうするだけの価値があったというのだろうか。

エイズの友人(元恋人)のリチャードを10年間世話しつづけているクラリッサ(メリル・ストリープ)。彼が文学賞を受賞することになって、それを祝うパーティのため、彼を迎えに来た彼女の前で、「愛してる」と言いながら、投身自殺したリチャード。どうして?...確かに苦しかったのだろうけど...

自分のことがわかってもらえない、と思う人と、わかってあげられない人。人間がそのふたつのタイプに分けられるとするのなら、私は後者だ...わかってあげたいけれど、でも「あなたにはわからない」と言われたら、それ以上何ができるだろうか...

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人を誉める言葉(英語)

軍事演習に参加しなければならない親のため、今週は土日も保育園がオープン。うちの米軍基地には保育園がふたつある。今日は全部の子どもが来るわけではないので、私の勤めている保育園ではなく、もうひとつの保育園だけがオープンし、必要な親はそちらを利用することになった。保育者もどちらか一日は出勤するように、ということで、今日は私は朝の5時半から仕事。でも、違う保育園の部屋を見るのはおもしろい。活動や室内装飾のヒントが得られたり、おもしろそうなおもちゃがあったり。

でも今日は保育のことではなく、英語についての話題。
休憩時間に休憩室に入ると、スタッフの紹介が壁に貼ってあった。
"This is The Reality of Who We Are" と題して、ひとりひとりを紹介している。

Ambitious Amazing Angela (名前は仮名です。以下同じ。)
Angelic Adorable Amy
Alacrity Agnes
Brilliant Bethany
Committed Cute Christy
Devoted Debbie
Diligent D**** (名前を考えるのがめんどうなので以下省略(^^;))
Dynamic D****
Intuitive I****
Kind Kooky K****
Luscious L*****
Magical M******
Nifty Neat N****
Nutty N****
Nice N****
Proud P****
Rambunctious R****
Ray of Sunshine R****
Strong Sensible S****
Selfless Smart S****
Sassy S****
Trusting T******
Terrific T******

...という具合。

ただ、一部、え?これって誉め言葉になるの?と思うものもある。
nutty というのは「ナッティプロフェッサー」という映画もあったように、
crazy というような意味だと思っていたのだけど。
kooky, rambunctious, sassy なども??なので、また来週にでも誰かに
訊いてみようと思う。

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続・男性保育者

男性保育者ならではの視点について、というリクエストをいただいたので、ちょっと書いてみようと思う。

で、まず思うことは、男性保育者といってもひとくくりにはできないなぁ、ということだ。女性保育者にもいろいろあるように、男性保育者も様々だ。正直言って、男性はやっぱり子どもに対する見方が違うなぁ、と思ったことはあまりない...というか思いつかない。

今、2歳児クラスにいるふたりの男性保育者は、ふたりとも「子どもが好きだし、この仕事が楽しい」と言っていて、子どもに対する接し方を見ていてもそれがわかる。
しばらく前に、うちのクラスの子が2歳になって、2歳児クラスに移った。「○○、どう?」と様子を聞くと、「よくやってるよ。△△が小さなおかあさんみたいで、○○の面倒を見たりしてる。鼻が出てたらティッシュで拭いてあげたりとか。○○も△△のあとをついてまわって、見てると可愛いんだ...」...この話をしてくれたのは19歳の男の子。アメリカでは保育士資格というのは必要ないので、高校を出たばかりで保育園で働いている人もいたりする。彼は、もう少ししたら、アメリカにもどって大学に入るらしい。高校を卒業したら即大学、ではなく、大学に入るためのお金を貯めてから大学に行く、あるいは子育てが一段落したから大学に行く、など、日本より進路に柔軟性があるなぁ、という印象はある。

話がそれてしまった。
さっきの男の子の話を聞いても、とりたてて男性だからどうこう、という感じはしない。男性保育者ならではの視点、というのは思いつかないけど(もし、何か思うことがあったらまた書きます)、子供からの視点では、きっと男性と女性は違うんじゃないかな、と思う。園庭で男性保育者と追いかけっこをしている2歳児は、男性がいなかった時と比べると一段と生き生きしている感じがする。女性に追いかけられるのももちろん楽しんでいるが、男性に低い声で追いかけられるとやっぱり迫力があるのだろう。

世の中には男と女がいるのだから、保育園にも男と女がいるのが自然かな、という気はする。

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男性保育者

うちの保育園は、キッチンで働く人や事務の人、パートの人などもみんな入れるとだいたい30人くらいの職員がいる。現在、そのうち、なんと男性保育者が6人いる。私はここで働き始めて5年目になるが、こんなにたくさんの男性が働いていたことはこれまでにはなかった。たいてい1~2名の男性はいるが、ひとりもいないこともあった。また、保育者ではなく、キッチンで働くコックさんやヘルプの人が男性、ということもあった。

男性保育者はたいていの場合、3歳児以上のクラスに入る。うちの園では3歳児から5歳児までの混合クラスが2クラスと、5歳児の幼稚園クラスが1クラスで、だいたい1クラスに3名の保育者が所属している。というわけで、全員が3歳児以上のクラス、というわけにもいかず(やはり女性保育者も必要だ)、2名は2歳児のクラスに所属している。男性保育者がいると、元気な2歳児はダイナミックに遊んでもらえたりして楽しんでいるようだ。私は1歳児クラス担当だが、隣の園庭で2歳児たちの笑い声を聞くと、男性がいるのはいいなぁ、と思う。

ただ、やはり、2歳児以下のクラスになると、オムツがえなどがちょっと問題になる。2歳児クラスの男性保育者が、「○○、トイレに行く時間だよ」などと声をかけている姿は微笑ましいが、オムツがえとなると、とりわけ、女の子の保護者などは抵抗があるかもしれない。そのことで苦情が出ている、という話を聞いたことはないが、保育者が男女ともにいる場合はどうしてもおむつがえを女性がやることが多くなるようだ。

保護者の方々に質問。自分の子どもが男性保育者にオムツを換えてもらったり、トイレの失敗の世話をしてもらうのには抵抗がありますか?

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「ファインディング・ニモ」

職場の休憩室に「ファインディング・ニモ」の DVD が置いてあったので、「これ、誰の?」と訊いて貸してもらった。英語の字幕をオンにしていたけれど、それでもすべてがわかるわけじゃない。ただ、さすがに子供向けなので、ストーリーはわかりやすく、多少わからない単語があっても、話の大筋を追っていくのには困らない。(でも、5歳児は私より完璧に理解してるんだろうなぁ。)

Clown fish (そもそもそんなものも聞いたことがない...でも、日本語なら、知らない名前の魚がでてきても気にしないだろうに、英語だと「なんだろう」と思ってしまう...とりあえず、きれいな熱帯魚)の夫婦が、たくさんの卵を前に、親になる日を楽しみにしている。ところが、卵は大きな魚に襲われてしまい、父魚のマーリンとたったひとつの卵だけが生き残った。マーリンはその卵をニモと名づけて大切に育て、やがてニモは成長し、学校へ行く年齢となった。しかし、マーリンはニモのことが心配で、彼の行動をあれこれ規制しようとする。ニモはそれに反発し、大海原に出て行ったところ、ダイパーにさらわれてしまう。マーリンはニモを探す旅にでかける...

大雑把に感想を言うなら、まあまあかな、というところ。私は「モンスターズインク」や「トイストーリー」のほうが好きだ。無難にまとまっているけれど、(以下ちょっとネタバレ)

鯨に飲み込まれてしまう、というようなのも新鮮味のない展開だし、とりたてておもしろいところがない。
ただ、映像はとてもきれいだ。グレートバリアリーフが舞台なので、それはとても気持ちいいし、映画館で日本語字幕つきで見たなら、もう少し楽しめたかもしれない、とは思う。

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ハーボットデビュー

あるサイトでハーボットを見て以来、おもしろいな、と思い、機会があれば自分でも使ってみようかな、と考えていた。ニフティに「ココログでハーボットは使えるか」と問い合わせたら、数日して、マイリストのメモを活用することで使える、という返事が返ってきた。そこでハーボットのサービスを申し込み、もらったタグを貼り付けたが、http://jarinko.tea-nifty.com/blog/ のように「/」で終わっているサイトでは使えない、と言う。「index.html」の ような形で終わっているサイトでないとつけられないのだそうだ。
それで、ココログルで、「ハーボット」と検索してみると、ココログにハーボットをつけているページがたくさん見つかった。その人達がどうやってハーボットをつけたのかを読んで、四苦八苦の末、なんとかハーボットを設置することができた(^^)v。

ところで私のハーボットは「マンチキン」という。「マンチキン」という言葉は、「フルハウス」というテレビ番組でジェシーというニ枚目男性がミシェルという可愛い女の子を呼ぶ時に使っていたのを聞いたのが最初だった。もともと「オズの魔法使い」に出てくる小人達のことだそうだが、アメリカの親は自分の子どもを呼ぶ時に親しみをこめて「マンチキン」と言ったりすることがある。でも、今、調べてみたら、マンチキンというのはロールプレイングゲームか何かで有名らしい。私はそちらのほうは全然知らなかった(^^;)。ともかくうちのマンチキンをよろしく(^^)。

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本「ディリー、砂漠に帰る」by ワリス・ディリー

「砂漠の女、ディリー」の続編。「砂漠の女、ディリー」が出たのが1999年で、ワリスはこの時、仕事も順調、恋人もできて赤ん坊も生まれることになり、幸せだった。「ディリー、砂漠に帰る」が出版されたのはそれから4年後。ワリスは恋人とうまくいかなくなり、ニューヨークでの生活に疲れ始めていた。そして母に会いたいという気持ちが募り、内戦の続くソマリアへ、危険だからやめておけ、というまわりの反対を押し切って一時帰国することにする。

「砂漠の女」を読んですぐこの本を読んだので話の重なる部分も結構あった。だから一作目に比べるとインパクトが少ないが、現代のソマリアの様子を知る機会なんてなかなかないので、そういう点ではおもしろかった。一言でいえば、「今でもそういう国があるんだ」という感じだ。

電気もない、ガスもない、時計もない生活。多くの人々は裸足で歩き、衛生的とはとてもいえない生活環境。でも、だから人々が不幸かというと...

「ニューヨークには食べ物も、そのほかのものも、なんでもある。人々はものをもちすぎて、自分がなにをもっているのかもわからない。わたしの両親は、自分のもっているものは完全に把握している。ソマリアでは、ぎりぎりの食べ物さえ、ないことがある。それでも人々は元気で明るい。通りに出れば、みんな笑顔で話している。西洋の人たちは、いつもなにか足りなくて、その足りないなにかを探しているように見える。.....」(p.186)

ワリスが恋人とうまくいかなくなったのは子どもが生まれてからだった。ソマリア流の子育てをしようとするワリスと、現代アメリカで育った彼やその母親との意見があわなかったのだ。ワリスはいろいろな点で妥協しようとしたが、たとえば紙おむつのようなムダは彼女にはがまんできなかったし、彼がピザを注文しては大量に残して捨ててしまうようなところもいやだった。

ワリスはソマリアの生活方法がよくてニューヨークの方法が間違っている、と言っているわけではない。とりわけ、氏族の対立のため続いている内戦は悲しいことだし、女が男と対等に扱われないことにも疑問を感じている。カートという一種の麻薬作用を持つ草を噛み、ろくに仕事をしない男達に対しても憤りを感じている。ただ、西洋の価値観がいつも正しいというわけではないし、それが人に幸せをもたらすわけでもない。

今日はFGMの学習会に参加し、ソマリア出身の女性の話を聞いてきた。「ソマリアで育ちながら、FGMは廃絶しなければならない、とどうして思うようになったのか」という参加者からの問いに、彼女は、自分は内戦が始まってから外国に逃れ、国際的な機関で仕事をするようになって、自分の国を外から見る機会に恵まれた。そういうことが彼女の考えを変えるきっかけになったという。そして、今、ここでFGMの廃絶を訴えているけれど、ソマリア人を前にして同じように訴えることができるかというと、わからない、と言う。

ワリスも、FGMの話を何も知らない人にするのはそれほど大変ではないけれど、ソマリアでこの話をするむずかしさについて書いていた。でもそれこそが彼女のしなければならないことである、とも。がんばって!と思う。

4794212607ディリー、砂漠に帰る
武者 圭子
草思社 2003-11-26

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本「砂漠の女ディリー」byワリス・ディリー

とてもおもしろかった。
ソマリアで遊牧民の子どもとして育ったワリス・ディリーがニューヨークでスーパーモデルとして活躍するようになるまでの半生記。
砂漠での暮らしについて彼女は淡々と語っているけれど、これがすごい。

「万が一、夕食になにも食べるものがなくても、わたしたちは騒ぎ立てたりはしなかった。だれも泣いたり、文句を言ったりはしない。もちろん小さなこどもは泣くかもしれない。けれど少し大きくなれば、それが砂漠の掟だということを知り、なにも言わずに横になって寝る。食べ物がなくても落ち込んだり、大騒ぎしたりはしない。明日になれば、道は開けるだろう。インシャッラー、神のご加護があれば、きっと食べ物は見つかるだろう。それがわたしたちの哲学だった。わたしたちの暮らしは自然に頼っていて、自然を動かしているのはわたしたちではなく、神だったから。」(p.28)

このような子供時代をすごした人が私とは違った感じ方をするのは当然だろうな、と思える。

彼女は13歳の時、らくだ5頭とひきかえに老人と結婚させられることになり、それがいやで家族のもとを逃げ出した。紆余曲折を経てロンドンで暮らすこととなり、大きなカルチャーショックを受けながら、やがて自分の生きる道を見出していく。いろいろなことにとまどいながら、きっと神への信仰が支えになっているところがあるのだろう(彼女はそれほど敬虔なイスラム教徒という感じではないけれど)、自分は自分らしく生きていけばいいんだ、と未来を信じられる強さがあるのが気持ちいい。

中でFGMについての経験が語られる。とてもショッキングな内容だけれど、こうして実際に切除を受けた人の話を聞くと、やっぱり部外者と言われようと声をあげなければ、と思う。「FGMはその部族の伝統的な慣習なのだから、他の文化に口出しすべきではない」とか、「何事も西洋の価値観を押し付けるのはよくない」と言う人もいるが、FGM は女性に苦痛を与えるのが確実で、部外者が何か言わないことには内部から声をあげるのは大変だし、きっとこれからもこのために苦しむ女性達を作りつづけるのだろうから。そしてワリスも、女性達が苦しむことになるこんな慣習をなくすために、大変な思いをして自分の体験を語っているのだから。

4794209207砂漠の女ディリー
Waris Dirie 武者 圭子
草思社 1999-10

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本「ニッポン貧困最前線」 by 久田恵

副題は「ケースワーカーと呼ばれる人々」で、福祉事務所で働く人々の日常がつづられている。
まず、生活保護を担当するケースワーカー達が、受給者を侮蔑するような川柳を作っていた、ということが問題となった話が紹介される。

「訪問日 ケース(受給者)元気で留守がいい」
「金がない それがどうした ここくんな」

など、ひどい内容で、福祉事務所ではこんな人たちが生活保護受給者に対応しているのか、と唖然とさせられる。
当然、福祉事務所はマスコミその他からの激しい批判にさらされる。
あるいは「福祉事務所の担当者が死ねと言ったから死にます」という遺書を残して亡くなった老女。
あるいは「暴力団が生活保護を不正受給している、福祉事務所は何をやっているんだ」という批判。

新聞やテレビでそんなニュースを聞けば、たいていの人はまったくだ、と思い、福祉事務所の職員を非難するだろう。しかし、著者は、福祉事務所の職員達の仕事を見るなかで、そんな川柳のひとつも詠みたくなるような現状、マスコミでセンセーショナルに報道される事件の裏にある真実を説き明かしていく。

アル中で入退院を繰り返す人がなんとか仕事に就いて自立してくれるように、と必死で手助けするワーカー。
生活保護を受けようとする人たちには多くの場合、人に知られたくないような事情があり、仕事上、その事情を聞かなければならない。そして自分も同じように悩み苦しむワーカー。
そして制度の悪用をする人の存在...

外から批判することはたやすい。
以前、学校で働いていた時、学校批判の記事などを見るたびに思っていた。
多くの教師は必死で子どもと向き合っている。その実態を知りもしないで、と。

ケースワーカーの人たちの大変な日常がよくわかる本でした。

4167529033ニッポン貧困最前線―ケースワーカーと呼ばれる人々 (文春文庫)
久田 恵
文藝春秋 1999-03

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