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「トゥーウィークスノーティス」

ヒューグラントとサンドラブロックが結構好きなのでそれなりに楽しめたけれど、ストーリーはありがちな感じの話。正義感あふれる弁護士ルーシー(サンドラブロック)は町の公民館とりこわし計画を阻止するため、金持ちの実業家ジョージ(ヒューグラント)のもとで働くことを決めたのだが、公私混同してルーシーに頼りきりになるジョージについにがまんできなくなり、トゥーウィークスノーティス(辞意)を表明...でも、この後の展開は予想がついた。

ヒューグラントは最近なんだかダメ男という感じの役柄が多くて残念。

ところで、うちの職場ではこの Two weeks notice はしょっちゅう聞く言葉だ(^^;)。
2週間前に辞意を表明すればいいほうで、何かで頭にきてその場でやめてしまう、という人もいる。ランチに行ったまま帰ってこない、という感じだ。次の就職先のことを考えるなら、Two weeks notice を出したほうがよく、突然やめる、なんていうことをした場合にはなかなか次の就職がスムーズにいかないことはあるらしい。

そんなわけでいつも人手不足という感じのうちの職場で、「5年目です」と言うといつも驚かれる。日本では保母さんが5年目といっても、ようやく中堅かな、という感じだと思うのだが。もともと基地の軍人さんは2、3年で違う基地に移ることが多いので、たいていの人は5年も同じところにいないせいもあるが、仕事に対する忠誠心みたいなものは日本人と違うかなぁ、とは思う。もっとも、「アメリカのどこの職場でもこんな感じっていうわけじゃないのよ。」と言った人もいたから、うちは特別やめる人が多いのかもしれない。

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本「インド人大東京をゆく!」 by 黒田信一

めちゃくちゃおもしろかった。電車の中で読んでいて何度も吹き出してしまった。

インドのカルカッタにある安宿の息子アヌラーグ君(24歳の経営学専攻の大学院生。日本人がよく来る宿の息子なので、旅行者から日本語を覚え、かなり話すことができる。)が約10日間東京を旅した記録。新宿、谷中、上野、渋谷、山谷、銀座、築地、巣鴨...と短期間にいろいろなところをまわるのだが、ヒンズー教徒の彼には東京はこんなふうに映るのか...ととてもおもしろい。

私は東京郊外に越してきてもう10年以上になるが、都心に出かけることはあまりないので、今でも東京のことをあまり知らない。これを読んで、谷中や南千住、巣鴨などに行ってみたくなった。

アヌラーグ君が英語で書いたものを黒田信一という人が翻訳したのだというが、翻訳もとてもテンポよく読みやすいので感心していたら、「おわりに」を読むと、どうもこれは彼の創作らしい、ということがわかる。そうだとははっきり書いていないが。 創作だとなると、ちょっと騙されたような気がして残念な気はするが、読んでいる時はてっきりインド人の書いたものだと信じ込んでいた。創作だとしても、著者はヒンズー教の知識などもかなりあるようで、もし日本語を話せるインド人が東京に来たなら、実際こんな感想を持つかもしれないなぁ、と思わせられる。

とにかくこの人の文はおもしろかったので、また何か別のものを読んでみたい。

インド人、大東京をゆく!
黒田信一著

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小学校卒業式

下の娘の小学校卒業式だった。しばらく前に職場で「3月25日は娘の卒業式だから、一日休みをとりたいの」と同室の保母さんに話すと、「なんで今ごろ卒業式なの?」....ああそうか、と、「日本では学校は4月に始まり3月に終わる」ことを話すと、「それって変な感じ」と言われてしまった。まあ確かに私も、「アメリカでは9月に学校が始まる」と初めて聞いた時には変な感じがしたから、おあいこかな。

娘の通う小学校では、音楽の専科の先生がとてもしっかりした人で、音楽のレベルが高い。子ども達の歌声はとてもきれいだし、器楽演奏も素晴らしい。その先生がピアノで懐かしい曲(学芸会で歌った曲、コンサートでやった曲、その他、この子達は6年間様々な曲を歌ったり演奏したりしてきたから思い出の曲も多い)を次々としっとりとした調子で弾く中、卒業証書の授与が行われていく。

担任が子どもの名前を呼ぶと、別の先生が、その子が書いた将来の夢を読み上げる。2年前の上の娘の卒業式では、女の子のなりたい職業のトップは、なんと保母あるいは幼稚園の先生だった。そのことを職場で話したら、みんなからは「信じられない」という反応が返ってきた(^^;)。アメリカでは、保母はお手軽な仕事で、憧れの職業などではない。

男の子がなりたい職業のトップは、野球、サッカーなどのスポーツ選手で、これは今年も多かった。で、今年、女の子は、保育士になりたい、という子ももちろん何人かはいたけれど、「獣医」というのが何人かいたのが目新しかった。あるいは盲導犬の訓練士とか、ペットショップで働きたいとか。男の子にも女の子にも結構多かったのが、料理人、菓子職人、パン屋などの調理の仕事で、うちの娘もそのひとりだ。弁護士、刑事になりたい、という女の子も何人かいて頼もしい。具体的な職業をあげず、「世界中を旅したい」とか「困った人を助けてあげられる人になりたい」とかいうものもあった。2年前の卒業式では、「素敵な恋をして結婚。そして優しいママになりたい」という子がひとりだけいて(生徒会の役員などをしている明るく元気な女の子だ)印象的だったが、今年はお嫁さん志望というのは聞かなかった。作家、漫画家、薬剤師、医者、政治家...など、子ども達の夢を聞くのは楽しい。

先生達が子ども達に歌ったのは岡村孝子の「夢をあきらめないで」だった。

10年後、20年後...この子達はどんな大人になっているのかなぁ...

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「幸せになるためのイタリア語講座」

タイトルに惹かれ、去年のイタリア語教室の仲間達と見に出かけたのだけれど、私にはつまらなかった。デンマーク語がわからないせいもあるかもしれないが。

デンマークの町で、イタリア語教室に集う男女がそれぞれに抱えている問題や悩み。それらが並列的に示されて、とりたてて大きな山場があるわけでもなく、なんとなくおたがいが恋におちることで悩みを克服していく?...もうちょっとガマンしてればおもしろくなるかなぁ...と思っているうちに終わってしまった。

英語のタイトルは、"Italian for Beginners"。これを「幸せになるためのイタリア語講座」と訳した人はうまいと思う。「初級イタリア語教室」だったら、お客さんは半分くらいだったかも?

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万年橋工事中

Mannenbashi.jpgみぞれが降る中、奥多摩へ出かけた。行く途中で、いつも「万年橋工事中」という看板を見かける。初めて気づいたのは1年か2年前だろうか。「これって"万年、橋工事中"みたいだね」と言ったものだが、実際、いつも工事をやっているような気がする。「いつか写真を撮って"JAF MATE" の"ユニーク標識・看板展覧会"に投稿したい」と思っていたのだが、今日、ようやく写真を撮るのに成功した。(撮影者は中2の娘。)今日は看板が新しくなっていて、「万年橋」が赤字になっていたので、「万年、橋工事中」と読むにはちょっと無理があるけれど。前は確か同じ色だったように思う。

奥多摩へ行く道では、沿道の梅がみごとだったけれど、奥多摩には降ったばかりの雪が積もっていた。昨日あたりから東京でも桜が咲き始めたという。今年は暖かい冬だったのに、春分の日に雪になるとは。

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架空請求メール

話には聞いていたが、ついに私のところにも架空請求メールが来た。
差出人と宛先が同じで、私の名前やメールアドレスはメールのどこにも見当たらない。架空請求であることはわかるものの、気分は良くない。

ネットで検索すると、「債権回収詐欺(架空請求)にご注意!!」というサイトでよく似たメールが文例として載っていた。

こういうサイトで、「ああ、よくある手口なのね」と確認できると、ちょっとは安心できる。私もこのサイトの情報提供フォームを使って自分のところにきたメールを転送しておいた。オレオレ詐欺もウィルスメールも架空請求も、たくさんの人が情報提供して、「こんな手口がありますよ。気をつけてね。」と呼びかけるくらいしか、今のところ、防ぐ手立てはないかなぁ。

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「二十日鼠と人間」

結末は好きになれないけれど、映画はおもしろかった。

1930年代のアメリカ。ジョージ(ゲイリー・シニーズ)とちえおくれのレニー(ジョン・マルコビッチ)はふたりで農場を渡り歩く生活をしていた。レニーは鼠の毛のようにやわらかいものを触るのが大好きで、しかし力が強いために加減がわからず、しょっちゅう鼠を死なせてしまったりしていた。あるいは、女性の着ているやわらかそうなドレスに触りたくてたまらなくなり、問題を起こしてしまうこともある。その度に農場を移らなければならず、ジョージはレニーを負担に感じてもいるが、彼がいいヤツであることはわかっている。対等の友人関係ではないが、確かにジョージはレニーが好きだった。ふたりには、いつか自分達の牧場を持とう、という夢があった。

原作はスタインベック。おもしろかったのはきっと原作がしっかりしているせいかな。でも、本を読んでおもしろかったから、と映画を見るとがっかりすることがある。私は原作を読んでいないので楽しめたのかもしれない。役者は、ジョージ、レニー、年寄りのキャンディ、リーダー格のスリム、牧場主の息子の妻、など、みんなよかったと思う。

(以下ネタバレ)

ただ、結末はやっぱり好きになれない。

キャンディが飼っていた老犬を、「もう年寄りで生きているのがつらそうだから、殺してやるほうが犬のためだ」とまわりの者が言い、キャンディも最終的には同意して、仲間に犬を殺させる場面がある。映画では、犬がそんなにつらそうな様子には見えなかったし、キャンディにとって大事な友人でもあり、殺すなんていう考えは彼にはなかった。躊躇しながらも、仲間が犬を安楽死?させるのに同意したキャンディに「何故?」と思ってしまった。

その後、キャンディは、「自分で始末するべきだった。」とジョージに話す。この部分が最後の場面の伏線になっている。

で、最後の場面、ついに人間を殺してしまったレニーをジョージは「自分で始末」する。

レニーは、自分が悪いことをしたことはわかっていた。すごく悪いことである、ということもわかっていた。でも、反省することはできない。罪の重さを実感することができない。レニーには生きている価値がないだろうか? 犬と同様に、愛する者の手で始末しなければならない存在なのだろうか? 違う。

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聖パトリックの日

うちの保育園のお昼の給食メニューは、たいていの場合、たんぱく質、炭水化物、野菜、果物がそれぞれ一品、という感じだ。たんぱく質はチキンかビーフが多く、たまにターキーが出る。豚肉が出ることはほとんどなく、時々サンドイッチにハムが使われる程度だ。魚もごくたまにフライが出る程度。炭水化物はパン、パスタ、ご飯などで、ポテトがある時はそれ以外の炭水化物がないこともある。野菜はにんじんだけ、とか、インゲン豆だけ、ほうれんそうだけ、などいたってシンプル。野菜は冷凍のものが多いし、かんづめをあけただけ、ということもある。果物もたいてい一種類で、かんづめが使われることが多い。

ところが今日のお昼はちょっと豪華だった。
ポテトのチーズ焼きにパン。インゲン豆。魚のフライ。果物は煮たりんごとかんづめのみかん。日本の保育園の給食と比べると豪華とはいえないかもしれないが、うちの場合だと、ふだんより品数が多いので、どうしてだろう、と思い、カレンダーを見ると、3月17日は "St.Patrick's Day" と書いてある。同室の保母さんに「それって何?」と聞いてみた。

で、彼女も、聖パトリックが誰であるか、など、よくは知らないのだが、とにかく、アイルランドの祝日であること。そしてこの日は緑の服を着ることになっているらしい。そうするとつねられない。つまり、緑の服を着ていない人はつねられる可能性がある、ということになる。

私はこのところずっと遅番だったのだが、今日は、早番の人の都合で交代した。で、登園してきたひとりの子どもの親が、「今日はベティ(仮名)は緑の服を着てるのよ。つねられないようにね。」などと言う。私は聖パトリックの日のことをまったく知らなかったので、親がどうしてそんなことを言うのかわからず、「そういえば、彼女は2日前、ちょっと友達に指を噛まれちゃったからなぁ...それを気にしてるのかしら...」などと思いながら、曖昧に受け流した。で、給食後に保母さんと話していて、親の言っていたことがようやくわかったわけである。他の親は緑の服を着せている人はいなかったし、この保育園に勤めて5年目になるけれど、今までにこんな話を聞いたことはなかったから、それほどアメリカでは全国民的な行事ではないのだろう。でも、もうひとりのフィリピン人の保母さんも知っていたから、みんな知識としては知っているようだ。「アメリカでは多くのアメリカ人が盛大なパレードをする」と書いてあるサイトもある。どうして緑の服を着るのか、などについては、ここ。 

来年の3月17日に覚えていたら、同僚をつねってみようかな!?

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「マイビッグファットウエディング」

さえないギリシャ系の女性トゥーラが恋をして、次第にきれいになっていき、「結婚相手はギリシャ系の男でなければいけない」とする家族と対立しながらも、おたがいを思いやる中で、自分の思いを貫いていく、という物語。彼女の恋があまりにもうまくいきすぎる感じはあるけれど、アメリカ社会における異文化の話、というようなのは好きなので、結構楽しめた。

ギリシャ人が本当にこの映画の中で描かれているような人たちなのかどうか私は知らない。
ギリシャ人はギリシャ人と結婚しなければならない。家にはいつも親戚があふれていておたがいの生活に干渉する...裏を返せば面倒見がいい、ということでもある。ギリシャ人であることに誇りを持っている。例えばトゥーラの父はいつも言っている。「すべての単語はギリシャ語がもとになっている」と。

「インターネットムービーデータベース」の掲示板を見ると「ギリシャ人には笑えない話だ。自分達はあんなふうに前近代的じゃない。」という書き込みがあったりしたが、一方で「私もギリシャ人だけど、うちの家族はまったくあんな感じだったわ」という書き込みもあった。

これは、ヒロイントゥーラ役のニア・ヴァルダロスが自身の経験に基づいて書いた脚本だというから、ある程度本当の話なのだろう。多少誇張されているところはあるのかもしれないが。外国映画に出てくる日本人が、金持ちで勤勉で融通がきかなくて...というようなステレオタイプで描かれがちなのと同じように。

ギリシャ人はギリシャ人と結婚しなければならないなんてナンセンス。そう思いつつも、父の思いを無下に切り捨てることもできないトゥーラ。しばらく前に見た「ベッカムに恋して」では、イギリス社会におけるインド人家族のことが扱われていたけど、「女の子が足を見せてサッカーするなんてとんでもない」という家族の言に背きつつも、インド人社会のルールを最大限尊重しようとするヒロインの姿があった。部族の伝統に反発しながら、やはりそれを守っていこうとする態度がふたつの映画に共通している。そして、私も基本的にそういう姿勢に賛成だ。女性だからあれをしてはいけない、こうしなければいけない、と規制ばかりだと、そんな伝統は守るに値しない、と思うけれど、アメリカやイギリスに住んでいるからといって、すべてその社会のルールで生きなければいけない、というものではないだろう。アメリカが、自国内で、基本的にその民族の独自の文化を守ることを認めているのなら、やはり度量の大きな国なのかもしれない。

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チエちゃん

中2の娘を買収(?)し、「じゃりんこのコーヒータイム」にふさわしいカットを描いてもらった。(報酬は有料のメアド。)
とってもいい出来で気に入っている。
これをプロフィール画像に登録し(私はもちろん小学5年生ではなく、チエちゃんとは全然似ていないが)、トップページに表示させた。
今後は大好きなチエちゃんが私のページで見られるということで単純に嬉しい(^^)。

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放送大学

先ほど、放送大学の合格通知が届いた。合格通知といっても、試験があるわけではなく、基本的に高卒の資格があれば入学することができるのだが、はっきりと結果が来るまではちょっと不安な気持ちもあったのでとても嬉しい。

もともと、日経トレンディの「得する裏ワザランキング」という特集で、「放送大学の全科履修生になれば、au の学割が使える」というのを読んだのがきっかけだった。また、放送大学の学生証があれば国際学生証を作ることができ、海外では美術館などの割引が受けられたり、無料になるところもある。4年で卒業する必要はないので、最長10年、学生の特権を使うことができるわけだ。日本の映画館などで使うことができるかどうかについては書いていなかったのでわからないが、JRの長距離切符も割引になるという。それっておいしい話じゃん、と思って資料を取り寄せてみたところ、おもしろそうな科目もたくさんあり、入学することにした。

4月からの前期で受講するつもりなのが、「乳幼児心理学」「アメリカの歴史」「スペイン語」の3つだ。6年生の娘は、「放送大学」と聞いて、私が放送関係の勉強をすると思ったらしく、「なんでまた?」と怪訝そうにする。放送の勉強ではなく、通信教育だ、と言うと納得していたが、受講する科目を聞いて「なんで乳幼児心理学とかアメリカの歴史なの?スペイン語はわかるけど。」とわけのわからないことを言う(^^;)。中2の娘が、「おかあさんは保育士なんだから乳幼児心理学とか勉強するのは普通でしょ。スペイン語のほうがわからないよ。」と言うと、6年生の娘は「えー、だって、スペイン語はたくさんの国で話されてるし...」 要するに、彼女にとって勉強する価値があるかどうか、ということなのかな。

昨年、イタリアに行く前にイタリア語を少し勉強したのだが、これがとても楽しかった。先生が若いイタリア人女性で、彼女がとてもよい先生だったのと、同じクラスになったメンバーがみんなユニークな人たちだったからだ。今年は海外に行く予定はないが、スペイン語圏には行ってみたい国がいろいろあるので、できる時にちょっと勉強しておきたい、という気持ちがある。スペイン語はイタリア語と似ているところがあるので、イタリア語を忘れないうちにスペイン語をやってみたい、というのもある。ただ、語学はやっぱり通信教育ではなく、仲間がいたほうが楽しいだろうな、とは思う。まあ、職場にはスペイン語が母国語、という人もいるので、その人たちにいろいろ聞いたりしながらやっていければいいな、と思う。

ロンドンに住むペンフレンド(今はメールフレンドだが)に、「通信教育を始めるつもりだ」と話すと、「私はそういうの、できそうにないわ」と言う。彼女は主婦をしながら大学に通っている。「私は大学に行って、課題を出されたり期限を設定してもらわないと、とてもやれないと思う。怠け者だから、追い立ててくれる人が必要だわ。」
同じ保育園で働いているもうひとりの日本人の人も「以前大学の通信教育をやったことがあるが、自分には向かなかった。スクーリングは楽しかったけど」と言っていた。

はたして、私はどうだろう?
ともかく、今はとてもワクワクしている(^^)。

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「セプテンバー11」

2001年9月11日の世界貿易センター崩壊事件をモチーフに、世界の11人の監督がそれぞれ11分9秒の映画を作った。それを一本にまとめたオムニバス映画。監督が、アメリカ、イギリス、フランス、日本、イラン、エジプト、ブルキナファソ、メキシコ、ボスニア、イスラエル、インド...と本当に世界各国からで、日本の作品を除いて、実際の9月11日にからめた日を描いており、世界にはいろいろな文化があること、また、そんなにいろいろな国があるのに、一様に、この事件は大きな衝撃を与えたのだなぁ、と感じさせられる。

(以下ネタバレ)

私が一番好きだったのは、インドの監督の作品だ。ニューヨークに住むパキスタン出身のイスラム教徒の家族。彼らの息子がテロ事件の犯人のひとりなのではないか、と疑われ、近所の人たちの家族への視線も冷たいものに変わり始める。母は息子が生きていることをアッラーに祈りつづけ、やがて、事件の跡地から息子の死体が発見されて、彼は人々を助けるためにそこへかけつけたのだ、ということがわかり、疑いは晴れる。

同じ事件も、違う立場の人たちからは、違って見える。9月11日のテロ事件が起きて、ムスリムの人たちは、あるいは中東の出身者は、ただそれだけの理由で、冷たい視線を向けられたりしたのだろう。本当のことが何かわからないままに。怒りの矛先を向けることのできる具体的な何かが必要だった。

同じ事件を違う視点から、というのは、どの作品にも共通していることだが、「アメリカだけが被害者なのか」「アメリカは何をしてきたのか」ということに気づかされるのが、
イギリス、エジプトの作品だ。

イギリスの監督ケン・ローチの作品では、チリからの亡命者が9.11事件の被害者へ手紙を書く、という形で、アメリカのしてきたことが語られる。1973年の9月11日、チリではアメリカに後押しされた軍部がクーデターを起こし、民主的な政権が崩壊させられた。私はこのことは全然知らなかった。

エジプトの作品では、レバノンでの自爆テロで死亡したアメリカ軍兵士とある映画監督との対話の中で、アメリカによって死亡した人の数について、ベトナムで、広島長崎で、パレスチナ、アフリカで...と具体的な数字をあげ、あるいは無数、という言葉で語られる。「罪もない人をまきこむテロというのはまちがっている」というアメリカ軍兵士の言葉に対し、「アメリカもイスラエルも民主国家で、政府は民主的に選ばれた。それを選んだ国民にも責任はある。」と、テロを起こす側の論理も示される。

イラン、ブルキナファソの作品は子ども達が主人公となっていて、私は好きだった。

イランのアフガン難民キャンプ。教師が一所懸命子ども達を学校に連れてこようとし、ニューヨークの事件の悲惨さを伝えようとする。決してゆとりある生活をしているとは思えない子ども達の、教師の話を聞く瞳、率直な物言いが好きだ。ある種悲惨と思えるような状況下で、子ども達はどうしてあんなに明るいのだろう。「これは映画なの?」と思うくらい、子ども達の自然な表情が印象的だった。

ブルキナファソ、アフリカの一国。それ以上のことを何も知らないが、こんな映画が撮られるんだ、ということが驚きだった。子ども達がオサマ・ビンラディンが自分達の村にいるのを見つけ(?)、捕まえて賞金を獲得しようとする。賞金が手に入れば、病気の母親の薬が買える。エイズで苦しむ人を救うことができる。大人には言えない。大人はお金をろくなことに使わないからだ...奮闘する子ども達の様子がいとおしい。どんな社会でも、子どもは希望のとりでとなるかもしれない。

多分私が歴史を知らないせいでよくわからないもの(ボスニア・ヘルツェゴビナ)もあったが、ひとつひとつなかなかおもしろいものだった。

日本の作品は、映画としては悪くないと思うが(私にはあまりピンとくるものがないけど)、11作品のうちこれだけが9・11をからめていないのでちょっと残念な気はする。明らかな反戦メッセージはあるけれど、個人的には、こういう作品であるのなら、現代の日本を描いてほしかった。

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「13歳のハローワーク」 by 村上龍 を読んで

中学生、高校生あたりを対象にした職業紹介の本というのはこれまでにもあったと思うが、この本がこんなにも受けたのは、著名な作家が書いたものだということと、「13歳のハローワーク」というネーミングのうまさによるものだろう。また、かなり専門的というかあまり一般的でない仕事まで紹介されているので、職業の数が多い。自衛隊や傭兵、あるいはアメリカ軍兵士として働くことまで紹介されているのは今までの職業紹介の本にはなかったかもしれない(今までの本をみんな知っているわけではないが)。職業紹介の仕方も、完全に中立的な立場で書いているわけではなく、ある程度著者の思いが入っているし、ところどころにはさまれるエッセイも著者の個人的な思いを綴ったものなので、普通の職業紹介の本に比べると読み物として楽しめる。

「わたしは、この世の中には2種類の人間・大人しかいないと思います。..(中略)
...2種類の人間・大人とは、自分の好きな仕事、自分に向いている仕事で生活の糧を得ている人と、そうではない人のことです。」(p.6)

もしそうだとすると、幸せなことに、私は自分の好きな仕事をしている大人だと思う。だから、今、私には「ハローワーク」は必要ないのだが、それでも他の仕事に興味はある。13歳なら、可能性にあふれているのだから、こういう本を手にとってみるのもいいと思う。

私の場合、子どもの頃、13歳の頃に、保育士になりたい、と思ったわけではない。小学校教師になりたいと思い、紆余曲折はあったものの、実際にそうなった。教師の仕事も好きだったけれど、今のこの保育の仕事は、もっと私に向いていると思う。確かに、子どもの頃から、私が保育の仕事を好きになる可能性はあった。9歳の頃、弟が生まれ、彼がどんなふうに大きくなっていくのか、どんなふうに言葉を話し始めたりするのか、知りたいと思った。彼が言葉を話し始めて、おもしろいと思ったことをノートに書き留めたりもしていた。

教師をやめたのは、自分の子どもが生まれて、母親業と教師の仕事を両立できなくなったからだ。母親という仕事はおもしろかった。自分が母親という仕事をそんなに好きになるというのは結構意外だった。やりたいことはいろいろあったし、子どもという存在は自分の時間を奪うものになるだろう、と漠然と思っていた。でも、子どもが生まれてみると、その成長を見るのはおもしろかった。子どもにとって、私はなくてはならない存在で、それまで、自分が誰かからそんなにも必要とされる、ということはなかったから、おかげで自分を肯定的にとらえることができるようになった。

ここまで書いてきて気がついたのだが、著者は「専業主婦(あるいは主夫)」というのを選択肢に入れていない。NPOという選択肢については書かれているのだが、「仕事とは基本的にお金を生むものである」と考えているようだ。
「子どもはいつか大人になり、仕事をしなければいけないのです。仕事は、わたしたちに、生活のためのお金と、生きる上で必要な充実感を与えてくれます。」(p.6)
「趣味と仕事の大きな違いは、それで報酬を得るかどうかだ。」(p.409)

「必ずしも正社員になる必要はない」とか、「アルバイトであろうと、パートであろうと、働き方(雇われ方)が問題なのではない、どんな仕事をしたいのか、ということが重要なのだ」というような意味のことが述べられているのに、専業主婦、という選択肢については何も語られていない(本を隅から隅まで読んだわけではないので、もし、どこかで語られているのなら教えて下さい)のはどうしてだろう。現実にはそういう選択をする人だって少なくはないし、無視できないと思うのだが。

私自身は、専業主婦というのを最終的に選択することはなかった。子どもを育てるのはおもしろかったけれど、他の国の文化とか、そういうものにも興味があった。だから、教師の仕事をやめてから英語の勉強を始めた。今の仕事は、他の国の文化を見ながら、子どもの成長を見ることもできる、という、私にとっては理想的な仕事だ。

家族のために、何が何でも仕事をしなければならない、という状況だと、理想の仕事にめぐりあうのはむずかしいのかもしれない。私の場合、教師の仕事をやめても夫の給料で生活することはできたから、専業主婦という充電期間を経て今の仕事に就くことができた。しばらく前に奥薗壽子さんの「3時間睡眠で何でもできる」という本を読んだのだが、彼女が料理研究家になるまでの過程が綴られていて、おもしろかった。13歳の時に希望していた職業が理想の職業、生涯の職業、となる例はは珍しいことなのかもしれない。人生のいつの時期でも、何か好きなことにめぐりあえれば、好きなことにのめりこめる環境にあれば、ラッキーということになるだろう、と思う。

434400429913歳のハローワーク
村上 龍
幻冬舎 2003-12-02

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「サトラレ」

サトラレ」は自分の心の中で思ったことがまわりの人に聞こえてしまう、という人。友人が「サトラレ」のテレビドラマがおもしろい、と話していたことがあり、先日ビデオを見つけたので借りてきた。映画はテレビドラマと少し違うようだが、下敷きにしている原作は同じだ。

サトラレの心の中の声はまわりの人に聞こえてしまうのだが、本人はそのことを知らない。サトラレはみんな知能が高く、国家的財産になるので、国家が保護している。サトラレが自分がサトラレであることに気づいてしまうと、恥ずかしさのあまり自殺する可能性もあるので、本人には絶対気づかれないようにしなければならないのだ。

実際にはありえない話だけど(と思っていたら、そうでもないようで、ちょっとびっくり)、それにしてもすごい設定だなぁ、確かに自分がそうだったら耐えられないなぁ、まわりにそういう人がいたとしても大変かなぁ、なんて考えてしまった。

そもそもの設定に無理があるし(サトラレみたいな人がいるとしても、保護委員会はさすがにないだろうから)、もったいぶった展開の仕方が鼻につくところはあるけれど、最後の場面(以下ネタバレあり......)で、鈴木京香が主人公のサトラレに祖母の本当の病気を知らせ、彼に執刀させるろころなどは、よかったなぁ、と思った。そのおかげで祖母が助かってチャンチャンっていうわけでもなく、祖母や主人公の優しい気持ちは、胸にせまるものがありました。

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岩原スキー場

岩原スキー場に行ったのは今回が初めて。私のように「初心者に毛の生えた」程度のレベルの者にはとても楽しめるスキー場だった。広くてコブのない緩斜面は滑っていて気持ちいい。とりわけ第3ペアリフトのところのウエストサイドコースというのが私のお気に入りだった。ゴンドラで頂上まで登って迂回コースを利用しながら長い距離を滑り降りてくることもできる。迂回コースはちょっと狭くて混みがちなのが難だけど、それ以外のところは土日でもそれほど混まない。

今年の冬は暖かく、土曜(2月28日)は暑いくらいだった。おかげで、ナイターも寒さを感じないで楽しめたのだが、日曜は少し雨が降り始めてしまった。スキー場の雨は悲しい。今日くらいの寒さなら雪になっただろうに、ちょっと残念。

スキー場に行く途中、立ち寄った谷川岳サービスエリアは、湧き水が飲める、ということで有名なようだが(私は今回初めて知った)、もうひとつ、JHトンネル館とかいうのがあって、アンケートに答えると無料でプリクラを撮ることができる。フレームも、関越トンネルや谷川岳の立坑など6種類から選べる。非常電話の体験利用や、トンネル火災の対処法など、ドライブの息抜きにはいいかな、という感じの施設だった。

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