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ビデオ「ハーモニーベイの夜明け」 Instinct

アフリカのジャングルで2年間ゴリラとともに暮らした人類学者イーサン・パウエル(アンソニー・ホプキンス)は、殺人の罪で現地の刑務所に収監されていたが、アメリカに送還されることになった。イーサンは何も語ろうとせず、まるで獣のように振舞っていたが、若く有能な精神科医テオ・コールダー(キューバ・グッディング・ジュニア)が彼に興味を持ち、彼の精神鑑定を志願する。テオははたしてイーサンの心を開かせることができるのか?....という話。

精神異常者を収容する刑務所、カウンセリングで患者と対話する精神科医、そういう状況設定は私好み(^^;)で、アンソニー・ホプキンスもやっぱりはまり役だし(私は「羊たちの沈黙」は好きじゃなかったし、「ハンニバル」は見てもいないが)、なかなかおもしろかった。

アンソニー・ホプキンスがゴリラと過ごす場面が出てくるが、あのゴリラは本物なんだろうか?本物だとしたら、あんなふうに接することができるなんてすごいし、本物でないとしても本物に見えてしまうので、やっぱりすごい。

ただ、この映画のメッセージが(以下ネタバレ)

人間の技をことごとく否定し、自然に返ろう、というものであるなら、100%賛成はできない。人間が思いあがっている面は確かにあると思うけれど、ゴリラと暮らす生活が最上のものだとは私には思えない。私だったらあの生活に安らぎを感じることはないだろう...

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幼稚園同窓会

娘の卒園した幼稚園の同窓会があり、中学一年生になった子ども達とその親、当時の先生などが集まった。

娘が幼稚園年長の時に我が家は引越しをし、同じ市内だけれど、自転車で15分ほどのところに移った。そのため、卒園後、うちの近くの小学校に行ったのはその幼稚園からはうちの娘一人で、他の子達と会う機会はほとんどなかった。親の顔には見覚えがあるものの、大きくなった子ども達は一目見てもすぐにはわからなかったりするが、よく見ると幼い頃の面影がある。

ホールを見て、「えーっ、こんな狭いところで、私たち全員でお泊り会したんだね。」椅子を見て「ちっちゃーい。」とはしゃぐ子ども達。6年の歳月が流れて、親の身長を追い越してしまった子どももいる。

かつての教室に入り、幼稚園の頃の思い出、今熱中していること、将来の夢などについての話をする中、担任だった先生が、「覚えてる?君達が幼稚園の頃は、女の子は大きくなったらお姫様になりたい、とか、男の子はウルトラマンになりたい、とか言ってたんだよ。」...そうだ、あの頃は、ポケットモンスターが大はやりで、男の子は「ポケモンマスターになりたい」って言う子が多かったんだっけ...

bread.JPGそうこうしているうち、園からパンとお茶が出された。この幼稚園は、他の幼稚園が週何日かは給食、あるいは基本的に給食、という流れになってきている時に、頑固にお弁当主義をとっていたが、娘が年長になった年に、園内にパン工房を作り、週一日だけは焼きたてのパンを提供する、というふうになった。そして今日出されたパンのひとつは、なつかしい「ピカチュウ」の形(^^)。

鳥インフルエンザの影響などで、動物を飼うことについてためらいを感じ始める園もある中、この幼稚園では、今も鶏やヤギなどの動物が健在だ。ヤギはだいぶん年をとったようだったけど。「鶏の産んだ卵を順番にもらって帰って来たわねぇ」と、あるおかあさん。

かつての先生達はみんな結婚し、子ども連れで来ていたりしたが、その2歳の子どもと砂場で遊ぶ中学生を見ながら、「子どもはどろんこの中で遊ばせなければ」と言っていた主任の先生を思い出した。ここの園では「清潔上の問題云々」で砂場を閉鎖することはなさそうだ。「砂場で遊んだ後の手洗いはきっちりするようにさせています。」ってあの頃も言っていたっけ。

2時間はあっというまに過ぎ、中学生達はメアドを交換している。携帯を持っている子も結構多い。なんというか、そういう時代なのかな...次回の同窓会は20歳になった時だそうだ。7、8年後のこの子達を見るのは楽しみだけど、自分がどんなふうになっているのかは...ちょっと想像できないなぁ(^^;)...

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ビデオ「奇跡の歌」 Looking for an echo

久々に気持ちのよい作品だった。ストーリーはわかりにくいところもあるのだけど、気持ちよかったのは音楽。まず最初の場面で、高音のきれいな声が響き、ああいいなぁ、と思っているうちに、しっとりとした歌が始まる。

ヴィニー(アーマンド・アサンテ)はかつて人気グループのリードボーカルだったが、現在は引退してバーテンダーをしている。まわりの人間は彼にもう一度歌ってほしいと願っているが、彼は頑として歌おうとはしない。父と同じくミュージシャンをめざす次男、難病で入院中の娘、その娘の担当看護婦でヴィニーと恋に落ちるジョアン(ダイアン・ヴェノーラ)、そしてかつての仲間達...それらの人たちとの関わりの中でヴィニーは...という話。

とにかく、突然始まるドゥーワップソングがとても気持ちいい。そういうのが随所に出てきて、人間の声っていいなぁ、と思う。

もうひとつ、いいなぁ、と思ったのは、(以下ネタバレ)

50歳になって恋をするヴィニーとか、初デートに出かける時のジョアンの美しさとか、そういうのがとても自然な姿と感じられることだ。ジョアンは映画の中の人だけど、サバサバした性格が素敵だなぁと思う。ヴィニーが結婚を申し込む場面とかはジョアンが可愛くて、見ていてこっちまでなんだか嬉しくなってしまった。

ストーリーはいまいちすっきりしないけど、音楽の楽しさとハッピーエンドの心地よさが残る。サントラのCDを買おうかな。

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日米の育児観

放送大学で現在受講している科目の中で、「乳幼児心理学」が私にとってやはり一番とっつきやすい。
今日のテーマは「発達初期の気質と行動」で、赤ん坊には生まれつきの気質の違いがある、という話だった。少しの物音で目をさますような神経質な赤ちゃんもいれば、どんなに大きな音がしてもぐっすり眠っている赤ちゃんもいる。さらに親の性格や健康状態も様々で、子どもの気質と親の関わり方からどんな性格が作られていくのか、という話なのだが、学者による子どもの気質の分類などは、なんかいいかげんだなぁ、とツッコミをいれたくなったりした。

今日のテキストの最後に「気質と文化」という項目がある。コーディールという人が1969年に日本人及びアメリカ人の母子それぞれ30組(子どもの月齢3~4ヶ月)を対象に母子のコミュニケーションを観察した。その結果、アメリカの母親は子どもと身体的な距離をおくが、そのかわり子どもの姿勢をよく変えてやり、また、常に子どもに対して話しかけていた。一方、日本の母親は子どもと身体的に接触していることが多かったが、子供への言葉かけはアメリカの母親に比べて少なかった。これはアメリカの母親が、子どもがより声を出し活発に活動することを期待して働きかけるのに対し、日本の母親は子どもが静かで穏やかな状態となることを期待して働きかけをしているのではないかと推察された。30年経った現在、日米の母親の養育態度の差は縮まったものの、やはり差は見られる、と書かれているのだが、私の印象では日米の母親で特にそういう差があるとは思えない。それは多分、日本でも、静かでおとなしい子どもよりも活発な子どものほうが望ましいとされるようになってきたからかもしれない。

ただ、確かに、アメリカでは、小さい時から、子どもを「自立した」人間に育てようとする傾向はあると思う。日本では小さい赤ん坊は母親と同じ部屋で寝るのが普通だと思うが、アメリカでは別室で寝かせることも珍しくない。自分でできることはできるだけ自分でー哺乳瓶なども自分で持てるようになったなら、子どもが「自分でできる」ということに誇りを持たせていくように...と保育園での研修で学んだ。そういう点で、確かに、アメリカの母親のほうが赤ん坊と距離をおいた接し方をしている、というのはあたっているかな。

残念ながら、今日の放送では、この「気質と文化」についての言及がなかったが、日米の育児観の違いとかそれによる子どもの性格の違いについては、今後、自分でも意図して見ていきたいなぁ、と思う。

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本「アジア大バカ珍道中」 by 黒田信一

「インド人大東京をゆく」がとてもおもしろかったので、同じ著者の本を読んでみた。
アジアを個人旅行すれば、人に話したくなるような出来事には出会うものだろう。
「インド人大東京をゆく」ほどには楽しめなかった。読んだのがこちらが先だったら、この著者の他の本を読もうとは思わなかっただろうな。気楽に読める本で、アジアに行きたい気持ちにはなる。

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本「清潔はビョーキだ」 by 藤田紘一郎

1960年代半ばから日本人に多発してきた花粉症やアトピー性皮膚炎、気管支喘息などのアレルギー疾患。あるいは、1996年に起こった病原性大腸菌O157による食中毒事件。MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)などの抗菌薬が効かない耐性菌による院内感染。衛生状態のよい先進国でこうした問題が起こるのはどうしてなのか。抗菌グッズがあふれ、必要以上に抗生物質が使われ、徹底した清潔志向、無菌化をめざす風潮に問題があるのでは、と著者は言う。

無菌状態で育てられた人間は、菌に対する免疫をもたず、昔なら人間とうまく共存していた大腸菌や黄色ブドウ球菌などの菌によってすら発病してしまうのだ。1996年のO157事件で、たくさんの児童が同じ給食を食べているが、実際に感染した子どものうち、30%は無症状、60%が下痢のみの症状、10%で合併症が起き、重い症状を示した子どもは超清潔志向に育てられた子どもであったという。

ややこしい話をわりとわかりやすく書いてあり、主張にもうなずかせられることが多かった。

保育園では「清潔」ということにとても気をつかう。うちの保育園でも、子どもが口に入れたおもちゃは石鹸で洗い、ブリーチ消毒。砂場も、犬や猫のフンの心配があって閉鎖されてしまった。乳児の部屋では特に神経質で、部屋の中では靴を履いているアメリカ人も、数年前から乳児の部屋だけは保育者はスリッパを履くようになった。そしてもちろん、手洗い、手洗い、手洗い...。おむつを替えたらその子の手も洗う。子どもの鼻水を拭いたら保母は手を洗わなければいけない、とされている。

私は保育関係のメーリングリストに参加しているが、先日、そこで、衛生上の理由などで母親の保育園での授乳を拒否しているところがあるらしい、という話を聞いた。「衛生面の問題とはどういうことなのか」と訊くと、乳児の保育にたずさわっている園では職員は月1~2回の検便を提出しなければいけないそうで、結局、そういう検査を受けていないような人にはあまり部屋に長居してもらいたくない、ということのようだ。

保育園はたくさんの子どもが一緒に生活する場なので、清潔面に気をつけなければならないのはもちろんだが、うちの園にしても他の園にしても、いきすぎているところがある気がする。でも、私も含めて、「清潔を気にしすぎるのはよくないんじゃないの」とはなかなか言い出せないのだ...

4022613211清潔はビョーキだ (朝日文庫)
藤田 紘一郎
朝日新聞社 2001-01

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ハワイの香り

先週1週間、休暇をとってハワイに行っていた同僚が戻ってきた。「どうだった?」と訊くと、「よかったよー。毎朝、起きると、花の香りがするの。」

ハワイが大好き、という人は結構多い。それでも今まで私自身はあまり行きたいと思ったことはないが、彼女のその言葉を聞いて、それはいいかなぁ、とちょっと思った。彼女は、オアフ島でも、ワイキキなどの人の多いところではなく、とても静かなところに滞在していたらしい。一番美味しかったものの話が「寿司」だったのには笑ったけれど、たくさんの人を惹きつけるだけの何かはやっぱりあるようだ。

おみやげにはコーヒーを買ってきてくれた彼女に感謝(^^)。

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本「医者のホンネ」 by 柴田二郎

現代、健康について言われていることを、ほとんどことごとく否定するような内容で、医者批判、現代医療批判、という感じの本。この人の言っていることがどのくらい正しいことなのか私には判断できない(一部そうだろうなぁ、と納得するところはあるが)が、とにかくあまりにすべてにおいてネガティブな口調の物言いで、自分だけが正しいことをわかっている、という感じの態度なのにうんざりしてしまい、途中からは斜め読みになった。

ただ、ひとつだけ、笑ってしまったところを書いておこうと思う。

大学の基礎医学の教授をしている人の隣家のご主人が、ある日曜の夕方から胸が苦しいと言い出した。しばらくすると楽になってきたので翌日医者にいけばいいかと思ったものの、奥さんはまた夜中に発作がでたらと思うと不安なので隣家のよしみで隣の大学教授に診てもらえないかとお願いした。教授は気楽にひきうけてくれて15分ほど問診、打診、聴診をやったあとじっと考えているようで黙り込んでいる。奥さんが恐る恐る「どんな具合でしょうか」と聞いたところ、返ってきた返事は「やっぱりこれはお医者さんにお診せになった方がよいでしょう」...(p.87)

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友達

私は保育園で1歳児クラスを担当している。今日は、先週の木曜に体調をくずして帰宅した子ども(A)が1週間ぶりに登園してきた。朝、Aの姿を見たとたん、別の子(B)が、Aを指してAの名前を呼んだ。今までBがAの名前を呼ぶのを聞いたことがない。「そう、Aだよね。BはAに会えて嬉しいね」と言うと、また、A!A!と繰り返した。
続いて登園してきたCも、Aを見てはっと息をのみ、Aを指差して私の顔を見る。「そう、Aが帰ってきたんだよ(^^)。」

きわめつけはD。今日、Dは12時頃、みんなが昼食を終えてお昼寝態勢に入っている時に登園してきたため、来てすぐにお昼寝、ということになった。昼寝からめざめてしばらくして、Aが寝ているのを見つけ、「A!」と言って嬉しそうな叫び声をあげ、Aに襲いかかった(^^;)。

Aはふだん、友達を押したり、友達のおもちゃを取ったり、ということをする子なので、Dもしょっちゅう「Aがやった」と保育者に訴えにきたりする。でも本当はとても仲のいい友達なのだ。

お休みの子や、2歳になって隣の部屋へ移った子、アメリカへ帰ってしまった子などのことを時々話題にして、「Eはどこ?」と子ども達に尋ねたりする。両手をひろげて「さあ?」という素振りをする子、ちょっと考えて「バイバイ」と言う子、2歳近くになると、「Eは疲れてるんだよ」とか「Eは病気なんだよ」と言う子もいる。Aが休んでいる間も、時々Aのことを話題にして、Aは病気なんだよ、だから今日は来ていないんだよ、と子ども達に話していた。

今日の子ども達の反応を見ていて、この子たちはこんなに小さいけど、友達なんだなぁ、と改めて思った。Aがしばらく来ていないこともわかっていたし、Aが久しぶりに来たことを喜んでいる。「3歳までは家庭で」という意見もあるが、保育園で友達のいるこの子達はそれなりにラッキーなのかもしれない。

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兄弟の性格

新学期は学校に提出する書類をいっぱい書かなければいけない。4月から娘達はそれぞれ中学の3年生と1年生となり、生徒指導カードというのを記入していて、長所、短所を書くところがあった。

書いてみるとふたりの性格がまったく対照的なのがおもしろい。

姉:長所:整理整頓がうまい。
     思慮深い。気が長い。
  短所:優柔不断なところがある。
妹:長所:チャレンジ精神が旺盛。
     負けず嫌い。
  短所:整理整頓が苦手。
     ややせっかち。

同じように育ててきたのに...とは言えないなぁ。
姉が生まれた時は、一年間の育児休暇をとることはできたけれど、その後復職した。
育児休暇中は子どもべったりの生活だったけれど、やはり初めての子どもなので、不安もあったし、やや神経質になった部分もあると思う。
妹が生まれた時には仕事をやめていて、ふたりめということで、姉の時よりは余裕をもって子どもに接することができた。姉も妹をかまってくれるので、日中子どもとふたりきり、という状況とは違っていた。

生まれつきの性格の違い、というのも確かにあると思う。

とはいえ、同じ親から生まれて、同じ家庭で育って、それでもこんなに性格に差がでてくるっていうのはなんだか不思議。まあ、言葉で書くほどにふたりの違いが顕著なわけではなく、ふたりともどちらかといえば穏やかな性格だとは思うし、好きなものが共通しているところも多いけれど。

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キス

保育園のうちのクラスには3人の保母がいる。基本的にその3人で早番、中番、遅番を担当し、保育時間(朝6時半から夕方5時半まで)をカバーする。私はだいたい遅番なのだが、今週は基地の学校が春休みで、早番の彼女の子ども達が家にいるため、「学校もないのに休み中の子ども達をそんなに早く起こしたくないわ」という彼女の希望で、今週は私が早番だ。

6時半に部屋を開けると、すぐにひとりの子どもが登園してきた。いつも機嫌よく登園してくる子なのに、今日は珍しく母親のそばを離れたがらない。昨日から母親が長時間勤務のシフトになって、昨日のお迎えはベビーシッターさんだった。今日もベビーシッターさん用のお迎えセット(おむつ、着替え、DVDなど)を持っての登園だったので、それがいやだったのかもしれない。でも、母親にバイバイした後はいつものように私と機嫌よく遊び始めた。

他の子はまだ誰も来ていないので、膝にのせて「ひこうき」とか、じゃれあうようにして遊んでいたら、彼女が私にすりよってきたので、ハグをして "I love you." と言った。すると彼女が唇をつきだして、私の口にキスしようとする。私はついちょっと顔をそむけてしまい、彼女のほっぺにチュッとするふりをした。

彼女達にとって、ハグをして "I love you." と言われたら、唇にキスをするのは条件反射のようなものなのかもしれない。親子の間でそうやってキスをしている姿はよく目にする。私は、子どもをハグするのは大好きだけど、唇へのキスはできない。

この話を同室のタイ人の保母さんにして、唇にキスすることに抵抗がないかどうかを聞いてみたのだが、彼女は、唇にキスするよ、と言う。だって子どもが好きだから、と。もうひとりの同室のアメリカ人の保母さんには聞くまでもない。

親によっては、他人が自分の子どもにキスしたりすることを嫌う人もいるので、最初の研修の時に、「あなたは日本人だからまず心配ないと思うけど、子どもにやたらとキスをしたりしないように」という注意を受けた。

子どもにしてみれば、"I love you." と言いながらキスしてくれない私は、変な感じがするだろうなぁ、とちょっと申し訳ない気持ちはするけれど、この文化的差異はやっぱり乗り越えられない。

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育児放棄された子どもの発達について

放送大学「乳幼児心理学」の第一回目の講義があった。朝からいそいそとビデオの予約をしたのに、手違いがあって録画に失敗。どっちにしても、学生証を作りに一度は学習センターに行かなければ、と思っていたから、午後から出かけた。

視聴覚室でビデオを貸してもらって見る。
第一回目の講義は「人間発達の可塑性」。その中で、育児放棄の状態におかれていた子どもの事例がとりあげられた。小屋に閉じ込められてほとんど世話されない状態だった姉Fと弟Gが救出されたのがそれぞれ6歳と5歳の時。その時は言葉は話せず、歩くこともできず、身体発育も1歳半くらいの状態だったという。施設に収容され、治療プロジェクトが開始された。

身体面はふたりとも環境の改善により著しい発達を示す。言語面、社会的な発達に関しては姉Fのほうが弟Gよりも常に順調だった。Fは担当の保育者にすぐになついたが、Gはなつかなかった。そこで、大人との愛着の度合いを見るために、ストレンジ場面手続き(Strange situation procedure) という手法が用いられた。

子どもと保育者を一定時間一緒に遊ばせる。しばらくすると保育者が立ち上がり、ドアを閉めて出て行ってしまう。そこへ見知らぬ人がやってくる...という設定。
保育者と機嫌よく遊んでいたFは、保育者が突然立ち去ってしまったので後追いし、なんとかドアを開けようとする。見ていて可哀想になってしまった。あの保育者の人はきっとこんな実験はやりたくなかったのではないかなぁと思う。治療プロジェクトを組んでいた大学の先生達にとっては、この子達は興味深い研究の対象だろう。でも、保育者と子どもは懸命に信頼関係を築いてきたのだ。この短時間の実験で信頼関係がくずれてしまうことはないだろうけど、こういう実験には抵抗を感じる。私は学者にはなれないかな。

FとGで救出後の発達の状態に差があったのはどうしてか、という点についていろいろ考察され、ひとつには、Gが生まれた時、家庭は経済的に最悪の状態にあり、GはF以上に母親からかまわれなかった、ということがあげられる。だから、乳幼児期のまわりの大人と子どもの関係が大切なんだ、と言われ、しかし、青年期になっても発達する可能性はあり、「初期の母子関係のみが人間を発達させる決定因ではなく、後からでもやり直しがきくという希望を私たちに抱かせてくれる」と結論されるのがなんとなく中途半端な感じがするが、まあ確かにそのとおりなのかもしれない。

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しろつめくさ

「しろつめくさ」というのは、江戸時代、オランダ人が日本にものを送る時に、つめものとして使ったことに由来するそうだ。「あかつめくさ」もある。私は知らなかったので、へぇーと思ってしまった。

この話を聞いたのは、土曜日曜の夕方5時台、6時台のNHKラジオ第一で放送されている地球ラジオ。 車で出かけていると帰る途中だったり、家にいる時は夕食を作っている時間帯だったりして、結構よく聞いている。わざわざ聞くことはあまりないけど、世界のいろんなお国事情が聞けて楽しい。

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桜吹雪

Sakura.jpg

昨日の午後はいいお天気だったので、私たち保育園の1歳児クラスは大きなバギーでお散歩に出かけた。基地の中には桜並木がいくつかあって、満開の時は本当にきれいだ。昨日はもう、少し散り始めていて、桜吹雪の下を散歩した。桜吹雪なんてもちろん生まれて初めての子供たちは大喜び。"Flower,flower" と言いながら手を差し伸べる。

上の娘が3歳の時、公園で舞い落ちる銀杏の葉っぱの下で、「黄色いはっぱが雨だねぇ」と嬉しそうに戯れている姿を見て、「子どもって詩人だなぁ」と思った。1歳児はさすがに詩人というわけにはいかないけど、彼らにとって、世界は新しいもの、未知のもので溢れていて、ひとつひとつものの名前を覚えていく。鳥、花、飛行機、蟻...そんなものを見つけては保育者に教え、名前を確認する。そして2歳近くになると、"What's this?"
"What's this?" が始まる。

「これが何なのか知りたい」「あれがしたい」「それがほしい」と自分の欲求を誰かに伝えることは、人間にとってとても大事なことだ。小さな赤ん坊は、おなかが空いたとか何か気持ち悪い、などの不快感を、泣くことで伝える。もともと欲求を伝えようとして泣いたのではないが、泣くと誰かが来てくれて自分の不快感を解消してくれることを学び、誰かに自分の欲求を伝える方法を身につけていく。

音楽をかけてほしい、ダンスがしたい。でもそう言葉で伝えることことのできない1歳児は、保育者をCDプレイヤーのところまでひっぱっていって、CDプレイヤーを指差す。
他の子と追いかけっこをしている保育者を見て、自分もしたいなぁ、と思う子は、保育者の顔をいたずらっぽい表情でじぃっと見つめる。保育者がその子の名前を呼んで追いかけ始めると、嬉しそうに逃げ出す。
言葉が少しずつ話せるようになると、"Book" とか "Water" とか、欲求をストレートに伝えることができるようになる。
ただ、すべてのものを知っているわけじゃないし、自分の欲求をどう伝えていいのかわからないこともしばしばあって、うまく伝えられないと癇癪を起こしたりする。保育者の側も子どもの言いたいことをなんとか汲み取ろうとするのだけど、どうしてもわからないこともある。ただ、おたがいに、伝えようとする努力とわかろうとする努力がコミュニケーションの質を高めていく。

一日のうちかなり長い時間を英語で過ごしている私は、思いを十分に伝えられなくて歯がゆい思いをしたり、ちょっとした言葉の使い方の間違いで誤解を招いてしまったりすることもある。この、なんとか人に自分の思いを伝えようとする1歳児達をお手本に、自分のコミュニケーション能力を高めていきたいものだと思う。

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