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ビデオ「デブラ・ウィンガーを探して」

女優ロザンナ・アークウェッテが、「女が家庭と仕事(自分を表現すること)を両立させることは可能なのか」という問題意識を持って、ハリウッド女優にインタビューを試みたもので、女優35人による本音トークというのが売り。「映画」と思って見るとちょっと裏切られた感じになる。ロザンナは「ドキュメンタリー」と言っていたけど、彼女がこの「映画」を撮ることで、問題に答えを見つけたとも思えないし、単なるインタビューのつなぎ合わせをそう呼べるものだろうか。もちろん、「答えはない」という答えもあるのだろうけど。たまたまこの間から読んでいた本と共通するテーマなので、少し感想を書いてみる。

女優35人といっても、私の知らない人のほうが多かった。まず、この映画の製作者ロザンナ・アークウェッテを知らない(^^;)し、デブラ・ウィンガーも知らない...と思ったが、デブラ・ウィンガーの出ている映画一覧を見てみると、見たことのある作品もあった。「彼と彼女の第二章」でビリークリスタルの相手役だったのか...デブラ・ウィンガーはある時すっと引退してしまったらしいが、ロザンナが彼女の名前をタイトルにつけたのは、彼女に「どうしてそんなことができたのか」というのを一番訊いてみたかったのだろう、多分。

ロザンナの問題意識はすべての女性に共通するものだし、女優もまた私たちと同じような悩みを抱えて生きてきたのだなぁ、と思わされる。その一方、彼女達の悩みはやはり映画界という特殊な世界のもの、という感じもある。女性に対しては若さ、美貌が期待され、年をとるに従って仕事がまわってこない...っていうのは、別に映画界だけでもないか。映画界なら、むしろ、年相応の役、というのがいつもありうるような気もする。ただ、彼女達が40歳である自分に耐えられない、という感じを受けた(全員ではないが)。40歳の女はこんなもの、という設定に耐えられないのだ。確かに彼女達はきれいだし、40歳の女に対する固定的なイメージのほうが問題なのかもしれないけど、きれいでない40歳の女もいて、でもそういう役はやりたくないわけだ...やりたくない仕事も「仕事」だからやるかどうか。それもまた彼女達の悩みのひとつだ。

インタビューを聞いていて、ゾクゾクしたのは、ジェーンフォンダが、映画という仕事に就いていることの魅力を語るところ。彼女は引退したことを後悔していないけど、たまにあの瞬間が懐かしくなる...と話す。彼女の気持ちはわかる気がした。

ロザンナはどうやってこの35人を選び出したのだろうか。何人かには、確かにインタビューをしに行っているのだが、場当たり的にインタビューしてしまった感じの人もいて、作品としては雑なつくりだ、という印象がある。誰かが、「男は年をとっても性格俳優として生き残っていけるけれど、女はどう?...メリルストリープとかスーザンサランドンは成功しているかもしれないけど」と言っていたが、私もぜひそのふたりの話は聞きたかった。

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本「母親が仕事をもつとき」からー保育園にできること

この本を読んでよかったのは、子育て時期の必死の生活を思い出したことだ。今、私が勤めている保育園のおかあさんやおとうさん達は明るい人が多く、彼らの生活の大変さをあまり実感していなかったと思う。

この著者は、子どもを保育園に預けるなかで、保育園のおかあさん達と親しくなっていっている。そして保育行政や保育園のやり方に疑問を感じた時にその疑問をそれぞれの場所にぶつけたりしている。私の場合、本格的に仕事が始まってからは、保育園へは本当に子どもを預けて、迎えに行って、だけで、短時間しかいることがなかったので、他のおかあさん達と親しくなったりすることはなかった。何か疑問があってもそのために運動するほどのエネルギーもなかった。そのあたりは、著者がフリーライターという職業であったからこそできたことだろう。

保育園への要望として、延長保育時間をもっと、というようなことはよく言われるのだと思う。実際、公立の保育園の開園時間と閉園時間では、自分の通勤を考えた時に不可能、ということはあるようだから、できるだけの対応はしたいところだが、たとえば通勤に片道1時間、フルタイムの仕事は休憩時間をいれて9時間、とすると、子どもは1日24時間のうち11時間を保育園で過ごすことになるわけだ。

うちの保育園には10時間ルールというのがある。子どもは原則として10時間以上保育園にいてはいけない。うちの保育園の開園時間は朝6時半から夕方5時半までの11時間だが、6時半に登園した子どもは4時半までにお迎えにきてもらうのが原則で、遅れた場合は5分毎にオーバータイム料金となる。基地内の保育園という特殊な状況で、親の勤務先はみんなほとんど基地内なので、通勤時間を30分と見込んであるわけだろう。10時間ルールがある理由は、子どもを集団の中にあまりに長時間おいておくのはよくない、という考えからだ。これはだいたい守られていて、親がなんらかの事情で自分が迎えに来られない時は、誰かにお迎えを頼んでいる。

保育園のような集団保育の場に子どもをずっとおいておくのが子どもにとってよくないことかどうか、私にはわからない。施設のようなところで育ったとしても、愛情をこめて育てられれば子どもはきちんと育つだろう、とは思う。ただ、親であることを放棄したくないなら、一日の半分くらいの時間は子どもと過ごすようにすべきなのではないか、とは思う。

結局、保育園に子どもを預けてフルタイムで仕事をすることは、やはり簡単ではない。
保育園としては、子どもが園にいる間、できるだけ楽しい経験ができるように、親が安心して子どもを預けていられるように、と努力することはできるけれど、子どもを引き取った後の親に時間をプレゼントできるわけではない。...なんだかとりとめのない文になってしまったけど、子育て中の親を支えるには、たぶん保育園だけでは十分じゃないのだろう。職場で育児時間を取得できるようにしたり、母親どおしで助け合ったり(基地の親たちは結構これをやっていると思う)、地域の支えも必要なのだと思う。仕事も子育てもどちらもパーフェクトにすることは、たぶんすごくむずかしいことで、どこかで折り合いをつけるしかないのだと思う...

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本「母親が仕事をもつとき」からー私が仕事をやめたとき

保育園に子どもを預けて仕事をする親が一番困るのは、なんといっても子どもが病気をした時だろう。

育児休暇中、娘はほとんど病気らしい病気をしなかったが、保育園に行くとどうしても病気をもらいやすくなる。まずは中耳炎だった。このために耳鼻科に行ったのだが、毎日、すごく込んでいる。たまたま同僚の先生の子どもさんも同じ耳鼻科を受診しているということで、そのおばあちゃんが娘のぶんも番号をとっておいてくださったのだが、それでも、30分、1時間と待たなければならない。もう症状は出ていないのに、と思っても、治ったと言ってもらえなくて、通いつづけたが、夕方の貴重な時間を待合室で過ごすのはきつかった。

なんとか2学期をやりすごして、3学期の始業式。久々に登園したところ、「○○ちゃんは、水疱瘡かからなかったんですね。みんなかかってるのに。」と言われ、その翌日。クラスの席替えをしよう、としていたところ、保育園から電話。「身体に赤いブツブツができているようです...」どうして冬休み中に発症してくれなかったのよ、と言ったところでどうしようもない。子ども達には自習課題を告げて急いで保育園へ。

病院で水疱瘡と診断され、カサブタになるまでは登園できない、と言われて、重い気持ちで帰宅。早く帰った私に、たまたま近所の方がどうしたのか、と訊いてくれ、「娘が水疱瘡になって...」と話すと、なんと「預かってあげましょうか」というありがたい申し出。彼女には小さい子どもがふたりいたので、「でも伝染性の病気だから移ると悪いわ」と言うと、「小さいうちにかかってくれたほうがいいから」ー!彼女は「エホバの証人」の信者だったが、本当に私には地獄に神様だった。

そうはいっても、彼女も布教活動などもあるため、登園できない長い間、毎日お願いする、というわけにはいかない。私の母は仕事を持っていたが、無理を言って来てもらったり、夫と私でなんとか仕事の都合をつけたりで、この期間をのりきったものの、今後こういうことが起きたらどうしたらいいんだろう、という思いは残った。

職場と家と保育園は近いし、夫は協力的だし、近所の人もいい人だし、という恵まれた条件で、それでも仕事を続けられなかったのは、やはり私の力不足だろう。子どもがいない時と同じようには仕事に時間をさくことができなくて、クラスで何か問題が起きても、家庭訪問などでとことん解決に力を尽くす、ということができなくなってしまった。そして、昨日書いたような、ゆとりのない生活は、自分の望んでいるものではない、という気持ちが次第に大きくなっていった。せっかく子どもを授かったのに子どもとの時間を十分に楽しめない。そして仕事は中途半端。

夫に「仕事やめようかな」と話すと、彼は反対しなかった。
ずっと後になって彼は私に言っている。あの時、私が辞める、と言うのを聞いてほっとした、と。彼は「女は家庭」というような考え方を嫌っていたが、あの生活は疲れた、と。

私は仕事を辞めたことを後悔していない。でも、簡単には仕事をやめられない事情の人もいるだろう。私の場合、育児休暇中の無給期間で、私の給料がなくても、なんとか生活できるんだ、ということはわかっていた。でも、この本の著者が紹介しているように、シングルマザーなど、働かざるをえない人もいる。あるいは、どうしても好きな仕事で、簡単に失うことには耐えられない、という場合もあるだろう。

そんな時、保育園は何をしてあげられるのだろうか。このあたりのこともまた考えてみたいと思う。

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本「母親が仕事をもつとき」 by 久田恵

フリーライターとしての仕事が軌道にのりはじめた頃、妊娠に気づいた著者が、自分自身の、仕事と子育てへの向き合い方、まわりの人々の向き合い方を見つめて書いた本。

現在、私は保育士として子どもを預かる立場にあるが、読みながら、自分自身が子どもを保育園に預けていた頃のことを思い出した。

私の場合は小学校の教師だったので、著者とはちがって、子どもを保育園に入れるのにそれほど苦労はしなかった。フリーの仕事だと、保育園に入れるのも大変なのだ。そして、著者が言うように、実際大変な生活をしていて働かざるをえないような人たちが保育園に入りにくい状況にあったりするのも事実なのだろう。

私の娘は8月末に生まれる予定だった。教師なので保育園に措置される優先順位は高いとはいうものの、当時私たちが住んでいた京都市では、1年間の育児休暇を取った場合、年度の途中で0歳児のクラスに入るのはむずかしいだろう、と言われた。私の勤務先は、京都市ではなく、京都府下の市の学校だったので、夫と私は相談の末、私の職場の近くに引っ越すことにした。その市なら、年度途中の入園も可能だろう、という情報を得ていた。

娘は実際には9月に生まれたが、私は8月に職場復帰することとし、8月に子どもを保育園に預けた。8月は学校は夏休みなので、毎日学校に行く必要はない。娘と一緒に保育園に登園し、しばらく一緒に過ごしたり、ほんの少し学校に行って迎えに来る、などして娘を少しずつ保育園に慣らしていった。

が、2学期になって、普通の学校生活が始まると、仕事と子育ての両立はやはり簡単ではなかった。保育園は私の勤めている小学校の隣にあり、門から門まで走って1分(実際よく走っていた)という恵まれた環境にあったが、毎日のように何かの会議があって、その後、雑事をかたづけていると、あっとういうまにお迎え時間の6時(長時間保育を申請していた)になる。5分前に職員室を飛び出してお迎えに行き、そのまま娘を職員室に連れて行って相手をしながら、残りの仕事をかたづける。でも、結局いくつかの仕事は持ち帰りにして、7時には帰宅、それから夕飯の支度、かたづけ、洗濯...娘を寝かしつける時にはくたくたで、一緒に寝てしまうことも多かった。そんな時は朝の4時に起きて、教材の準備をしたりしていたが、せっかく持ち帰ったクラスの子ども達のノートを何も見られずに、翌日また学校へ持っていったり...ということもしばしばだった。

この本の中では、妻が働くことを快く思わない夫達の話が出てくるが、私の場合、夫はできる限りの協力はしてくれた。それでも結局私は仕事を続けられなくなってしまったのだが、そのあたりのことはまた書いてみようと思う。

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ビデオ「ノーマンズ・ランド」

すごい映画だった。
舞台はボスニア・ヘルツェゴビナ。ボスニア軍とセルビア軍が戦っている中間地帯ノーマンズランドで、顔をあわせることになってしまったボスニア軍兵士とセルビア軍兵士の話。

私には、戦争の映画は、誰が誰なのか、何が起こっているのかわかりにくくて、最初ちょっと入っていきにくいけど、しばらくすると話にひきこまれていった。

シャンプー型の地雷。それを踏んでも何も起こらないが、もし、踏んだ足を離すと爆発する。中間地帯の塹壕を偵察にでかけたセルビア側の兵士ふたりのうちひとりが、そこで見つけた敵の遺体の下にその地雷をセットする。敵が遺体を動かした途端に爆発する、という仕掛けだ。

ところがそこに残っていたボスニア軍の兵士チキが、成り行きでそのセルビア軍の兵士に発砲。地雷をセットした兵士は死亡、もうひとりの兵士ニノは、銃を持っているチキの言うことに従うしかない。

そんななか、遺体だと思っていた兵士が生きていたことがわかり、ふたりはあわてて、彼が動いてはいけないことを告げる。どうしようもない状況の中で、なんとか打開策を探ろうとするのだが...

(以下ネタバレ)

ボスニア軍とセルビア軍の兵士達がおたがいを憎みあいながら、でも閉塞された状況での連帯感もうまれて、普通の会話をするようになる。(話されていたのは何語なのだろう?)実際に戦争をしているのはこうした普通の人たちなのだ、と思う。

紛争には不干渉が原則の国連軍。でも、この状態で不干渉でいることは結局加害者であることと同じなのではないのか、という国連軍兵士の思い。

戦争の悲惨さを、これでもか、という凄惨な映像を見せるのではなくて、こんな状況下で敵方の兵士に対して自己紹介をはじめたり、トイレに行きたくなったり、という普通の人間の営みを見せることで、そのちぐはぐさを感じさせられて可笑しい...そして何のためにこんなバカバカしいことをしているんだろうか、という思いがわきあがってくる。ラストもなんともやりきれない映像だけど...すごい映画だと思う。

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ビデオ「海辺の家」 Life as A House

ある日、ジョージ(ケビン・クライン)は、長年勤めてきた会社を突然首になり、しかも自分の余命が短いことを知る。16歳になる彼の息子サムは、離婚した妻の家族とともに暮らしていたが、ドラッグに溺れ、親とは口も聞こうとしない。ジョージはそんな息子をひと夏あずかる、と申し出て、一緒に家を建てようとする。今まで住んでいた家を壊して、自分らしい家を建てようというのだ。

反抗的な息子が、いやだ、と言いつつもジョージの家に行くことになるあたりは、ちょっと都合よくいきすぎている感はあるけれど、家を壊したり、家を造ったり、というのは、確かにワクワクする作業だから、次第に息子やまわりの人たちがそれにひきこまれていくのもわかる。しかも、海辺の本当に景色のいいところだから...

(以下ネタバレ)

印象に残ったのは、やはり、サムがジョージの病室を訪れたところ。クリスマス用の電飾は派手に飾り付けるんだ、と言っていたジョージのために、ほぼ完成した家のまわりに電飾をセットして点灯し、ジョージがベッドから見えるようにしてやった。

それと最後、ひとりで彼の最期を看取った元妻が、家を建てている息子のところへやってきて、彼を抱きしめる場面。

ジョージは亡くなったけれど、誰もが彼の死を悲しみ、息子はまともになり、その母親の再婚相手も仕事一筋の人間から脱皮しようとし...という悲しみの中にも希望のみえる終わり方で、なんとなくあたたかな気持ちになれる映画でした。

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子どもの記憶力

保育園のうちのクラスのK(15ヶ月)の母親は、6週間の出張から今日戻ってきた。2時半頃お迎えにみえたので、遊んでいたKに「K、ほら、誰が来たと思う?」と声をかけたら、Kはふりかえったものの、誰だかわからないようすだ。ママは腕をひろげて「K!大きくなって...」と声をかけ、ハグを待っているのに、Kはどうしていいかわからない。そのうち、Kは陰にいた父親に気づいて、父親のほうへ歩いていき、父の足にしがみついて母親を見つめた。

「髪を切りました?」と母親に訊いたら、「そうなのよ。向こうは暑くてね。」「だからわからないのかもね。それに制服じゃないから。」Kをお迎えに来る時はたいていは制服姿だし、髪型のせいもあって確かにいつもとちょっと感じが違っている。母親は「そうね...」と言いつつも、ショックを隠せない。それまでは、お迎えに来たら、Kは喜んでかけよってきていたのだから。「Kは私に怒っているのよ...」こんな小さな子どもをおいて長期出張に行かなければならないのはつらかっただろう。

1歳児の記憶、というのはどのくらい持続するものなのだろうか。個人差はもちろん大きいと思うけれど。例えば、私が3週間休暇をとってクラスにもどってくると、たいていの子は私を覚えている。私を見るなり、笑顔になってハグをしにきてくれる場合は一番わかりやすい(というか嬉しい(*^^*))けど、はっきりと思い出すのには少し時間のかかる子もいる。Kの場合も、父親、兄、母親と数十分も過ごせば、だんだんはっきりと母親のことを思い出すだろう。6週間というのが長かったかなぁ。2歳なら6週間でも覚えていたのではないか、という気がするけど、気だけだから、根拠は示せない。6週間でも、もし、毎日、母親と電話で話していたり家族がいつも母親のことを話題にしていたら違ったと思う。1週間だったら、多分、すぐ母親がわかったかな。もし、電話などで記憶が更新されることがない場合、母親というとても身近な人についての記憶が、すぐに見ただけではわからないくらいに薄れてしまうのは、どのくらいの期間なのだろうか。

多分、こういう記憶についての研究もたくさんなされているのだろう、とネットでちょっと調べてみたら、次のページがわりとわかりやすく書かれていた。その中でおもしろいと思ったのが、

また人間の記憶には3歳ころにひとつの境界線があることが知られています。大人は概してこれ以前のことを思い出せません。...(中略)...つまり赤ん坊の時の記憶を人は実は覚えているのだけど、3歳くらいを境界にそれ以前の記憶は通常封印されてしまいます。2~3歳の子供が、自分が子宮から飛び出してくる時のことを覚えていて、話してくれる場合がある、というのは子育てをする女性の間ではよく知られていることです。

というところ。私は直接に子どもからそんな話を聞いたことはないけれど、聞いてみたいなぁ。子育て経験者の方や保育士の方で、子どもからそんな話を聞いたことのある方はおられますか?

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蚊取り線香

塩野さんの記事 蚊に「噛まれる」?ホッチキスの「弾」? にあった「蚊取り線香」に反応してトラックバック。

katori.jpg昨年の夏行ったイタリアで、最初に泊まったのは、ローマ郊外の小さな家だった。そこの居間で蚊取り線香を見つけた時は笑った。ごく普通の蚊取り線香なのだけど、「イタリア」に抱いていたイメージとはなんとなく違ったので。その家は古い建物でエアコンはなく、夜は窓を少し開けて寝たが、網戸がないので、蚊取り線香は本当に役にたった(^^)。

イタリアの人たちは、夜、外で涼みながらおしゃべりするのが好きなようで、そんな時、彼らの足元にあったのも蚊取り線香。この写真の vulcano という商品名は「火山」という意味だが、彼らの足元で赤い炎を出して燃えている蚊取り線香を見て、その名前にも納得がいった。部屋でつけてみても、ふつうに煙がでるだけで、あんなふうに赤々と燃えることはなかったけど...

ちなみに、英語では、蜂(bee) は「刺す」(sting) ですが、蚊(mosquito) は 「噛む」(bite) です。なんでだろ?
また、ホッチキスの針のことを英語で何というのかわからず、職場で事務の人に針をもらいに行って、「ホッチキスの中に入れるものが要るんだけど...なんていうの? needles?」と尋ねたことがあります。staple というんだ、と教えてもらいました。

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米軍家族の感覚

昨日はうちのクラスの中番の保母さんが体調が悪くてお休み、今日は遅番の保母さんが熱を出して早退。というわけで、早番の私は、昨日、今日と残業続きだ。自分が健康で働けることはとてもありがたいことだけど、放送大学の通信課題提出などにもそろそろまじめに取り組まなくてはいけないので(「スペイン語」が最大の問題(^^;))、このまま残業が続くと...ブログはちょっとパスかなぁ(書き始めるとつい長くなる(^^;))..でも、今日は書いておこう。

うちの1歳児クラスでは子どもと保母の割合が5対1で、これはお昼寝の時間でも守られなければならないので、保母が交代で1時間休憩をとる時に、お休みの保母さんに代わって今日は別のクラスの保母さんが入ってくれた。ところが彼女も体調が悪かったらしく、ひとりの子を寝かしつけた後、そのまま立ち上がれないほどの状態になってしまい、なんと救急車で運ばれることになってしまった。

というわけで、また別の保母さんがうちのクラスに入ってくれた。私は部屋をかたづけたり、子ども達のノートを書いたり、といろいろやることがあるけれど、お昼寝時間に別の部屋に入った彼女は所在ない様子で、「イラクでアメリカ人が殺される映像を見た?あの、首をぐっとかききられるやつ...」と私に話し掛けてきた。

私はその映像を見ていなかったので、「ううん...日本では、アメリカ軍の兵士達によるイラク人への虐待のほうが話題になってるよ」と答えた。すると、彼女は首を横にふりながら、"I don't know...誰も人を殺したいと思って軍に入るわけじゃないわ。いい生活をしたい、と思って軍に入るのよ。今、17、18歳の何もわかってない子が軍に入ってるわ...」

彼女にはこの6月に高校を卒業する娘さんがいる。その娘さんも軍に入ることを考えていたらしく、彼女は反対したという。「前だったら、いいわ、って言ったかもしれない。でも、今は娘には軍に入ってほしくない。以前だったら、軍といっても、それぞれの場所で与えられた仕事をすればいいだけだったけど、今は本当に戦争に参加することになるんだもの...」娘さんは彼女の説得を受け入れて、軍に入るのをやめ、大学に行くことにしたそうだ。

基地ではケーブルテレビでアメリカのチャンネルをいくつか見ることができる。アメリカ人兵士によるイラク人虐待問題はもちろん放送されているのだろうけれど、それよりもアメリカ人が殺された事件のほうが印象に残るような扱いになっているのだろうか。彼女のコメントからは、イラク人への虐待問題についての深い憂慮というようなものは感じられなかった。もっとも、それほどつっこんで話したわけではないけれど...

今朝10時の1時間休憩の時、休憩室のテレビでは、イラクでサリンを含む砲弾が発見されたことについてライブで放映されていた。サリンの毒性とか治療法などについて、興奮した調子で。

私たちはメディアを通じて情報を得るわけで、もし、メディアの操作があれば、たとえばアメリカ軍に対して違った印象を持つかもしれない。私たちは、あるいは、彼女達は、「本当のこと」を知らされているのだろうか...

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「パンダっておめでたくない動物なんだね、きっと」

これは、6歳の子どもの言葉。今日の放送大学「乳幼児心理学」で紹介されていた。この子がお葬式に行って、黒と白の幕を見て、母親にそっと言ったのだという。

「ゆうあけこあけのかたまりだ」-これは、夕焼けを見た後、家に帰ってお風呂に入り、その後、真っ赤な月を見つけた3歳の男の子の言葉。講師の先生は、「私たちは、子どもは詩人だ、と感じることがありますが、それは子どもの認識の仕方が私たちとちがうから」みたいなことを言っておられた。

今日の話は、子どもの認知機能の発達について。来週が言語機能の発達について、で、このあたりは私にとってとても興味のあるところ。私が1歳児クラスを好きなのは、ひとつには、子どもが言葉を話し始める時期だからだ。

ものには名前がある。ママやダディはひとりずつしかいないので、わかりやすいが、たとえば、犬には大きなものも小さなものも白いものも黒いものもいるが、たぶん「ワンワンと吠える四本足の動物」というような共通点を見つけて、それらはみんな「犬」とよばれる、ということを理解していくわけだ。

1歳児では、果物をなんでも(というのは言い過ぎだけど)"apple" と言ってしまう子がいたりする。みかんもいちごもバナナも apple で、でも、犬を apple と呼ぶことはない。そのうちバナナやいちごをそれぞれの名前で呼ぶことができるようになる。(もともとそんなに混同していなくて、バナナとりんごを別々の名前で呼ぶ子もいる。)ただ、これらをまとめて「果物」というカテゴリーでくくることができる、と理解するのは、もうちょっと大きくなってからかなぁ。2歳児にはわかるかな? りんごはりんごともいうけど、果物ということもできる。つまり、ひとつのものをふたつの名前で呼ぶことができる...って考えてみると、結構ややこしい話だ。バイリンガルの子どもになると、りんごは「りんご」だったり"apple"だったりするわけで、彼らの頭の中でどんなふうに処理されているのか興味深い。

「ボール」というのは、子どもが比較的早く覚える言葉だが、球形のものはすべてボールだと思っているわけでもない。グリンピースを食べない子どもに、「ほら、美味しいよ」って食べてみせた時、スプーンでグリンピースをすくって、「ボール、ボール」と言って笑う子がいた。粘土でボールを作って「ボール」と言って遊ぶのはよくやることだが、彼(19ヶ月)が、グリンピースを「ボール」と言って笑ったのは、「これはボールじゃないけど、ボールみたいだ」っていうことがわかっていたんだろうな、多分。

今日の講義で疑問に思ったのは、「4歳頃から子どもは人間についての”理論”をもちはじめ、他人の願望や欲求がわかるようになる」というところだ。この”理論”というのを私がよく理解していないせいかもしれないが、子どもが他人の願望や気持ちがわかるようになるのは、もっと早い段階だ。泣いている子や怒っている子の気持ちを1歳児は感じることができるし、泣いている子がいたら、トントンと背中を優しくたたいてあげたり、というようなこともできる。

「おかあさん、どこかな」というのはうちのクラスの1歳児たちが大好きな紙芝居だ。子どもが自分の作った積み木の塔を母親に見せようと思って家の中で母親を探しまわるのだが、見つからず、泣き出してしまう。1歳児達はこの話を実によく聞いている。紙芝居の中の子どもが「ママ、ママ」とさがしまわり、不安になり、泣き出してしまい、そして最後には母親を見つけて嬉しくなる、という気持ちを共感することができる。確かにそれを言葉でうまく説明できるほど言葉の能力は発達していないけど、人間の心についての理論を持ち始めるのが4歳頃、というのは私には腑に落ちない説だなぁ。

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ビデオ「アバウト・シュミット」

おもしろかった。
ウォーレン・シュミット(ジャック・ニコルソン)は会社を定年退職し、第二の人生へとふみだすが、長年連れ添った妻には不満だらけ、結婚をひかえている一人娘の相手は気に入らない、会社へ立ち寄ってみても、自分がもう必要とされていないことを思い知らされるだけ。なすすべもなく、テレビを見ていて、なんとなく、アフリカの子どもを経済的に支援するプログラムへの参加を思いたつ。そしてある子のフォスターピアレントとなり、その子に小切手を送る際に、「手紙を添えてあげてください」とあったので、書いているうちに自分の思いをぶちまけるような内容になっていく。

仕事をなくし、妻をなくし、子どもは離れていき、という喪失感が重なる中、自分の存在価値を確かめようとする姿が痛々しい。そんな状態になった時、私もやはり同じようにあがくだろうか...とふと思ってしまう。

(以下ネタバレ)

印象に残った場面。

オートキャンプ場で知り合った男から、彼のキャンピングカーに招かれ、奥さんの食事をご馳走になっている時、男がビールを買出しに出て、奥さんとふたりきりになる。奥さんはカウンセリングを仕事としていて、ウォーレンの心のうちを言い当てる(ちょっと不自然な設定かな、とは思うけど)。この時とったウォーレンの行動にはびっくり...

もうひとつ。さすがキャシー・ベイツと思ったのは、彼女の家のホットバスでの場面。これはウォーレンならずとも、とまどってしまいますよねぇ...笑いました。

娘の結婚式でのスピーチでは、いつ、ウォーレンがホンネをもらすだろうか、とドキドキしたし、最後、アフリカの子どもの孤児院での保護者からの手紙に涙するウォーレンには、そうだよなぁ、人間って誰かに必要とされていることが自分のささえになるんだよなぁ、と思い、最後まで楽しめた作品でした。

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イラク駐留米軍兵士の生活

今朝、登園してきた子どものTシャツが、いつも彼女が着ているのとは違った雰囲気のもので、「かっこいいね」と言ったら、Tシャツを指差して、「ダディ」と言う。「ダディが送ってくれたの?」と訊くと、母親がそうだ、と答える。彼女の父親はイラクに赴任中だ。

Tshirt.jpgTシャツには大きな鷲が描かれ、"OPERATION IRAQI FREEDOM" と書かれている。イラク解放事業...現地に行っているアメリカ兵は、イラクの自由のために働いているのだと思っている...というか、思おうとしているのかもしれない。子どもサイズのこのTシャツはどんな意図で作られたのだろうか。

同室の保母さんのご主人もイラクに赴任中だ。彼女に「イラクの米軍基地にも、Tシャツが売っているような店があるのか」と訊くと、規模はとても小さいけれど、一応、日用品の買える店があるらしい。彼女のご主人は、テントで寝泊りし、仕事をしている簡易オフィスでは数日前にエアコンが壊れ、猛暑の中、一日中、軍服を着て過ごさなければならない。しかも、下には防弾チョッキをつけて。それでも、今は基本的に基地から出ない仕事で、メールや電話で連絡をとることができるし、今、彼のいる所では危険なことは起きていないようだから少しは安心だ、と言っていた。クウェートからイラクの基地に移動する時など、しばらく連絡のとれない時期などもあり、その時はとても心配していた。テレビをつけるとしょっちゅう恐ろしいニュースが流れているので、こわくてテレビが見られない、と話していたこともある。彼女自身、4人の子どもを抱えての一人親状態で、かなりのストレスを感じている。

家族もおそらく本人も、イラク行きを歓迎していなくて、「じゃあ、イラクに行きたくないから軍をやめます、とかってできないの?」と尋ねたことがある。どういう仕組みなのかよくはわからなかったが、とにかくそれはできないらしい。そんなことをすると、一生まともな仕事にはつけないらしい。まあ、軍を維持する側から考えれば、そういう仕組みを作っておくのは当然ではあるだろう。

ono さんの、イラク駐留米軍によるイラク人虐待事件には考えさせられた。

一般ピーポーが権力を持つこと以上に、一般ピーポーが組織に所属しているその事で、既に倫理観・道徳観が吹っ飛ぶことがあるわけですよねぇ。

家庭ではよき父、夫であった人が、どうして残虐な行為を行うことができるのか。組織に属していれば、上司の命令には従わなければならず、その組織を簡単にぬけることもできない。

「イラクの自由」のために働いている米軍兵士や自衛隊の人たちは、個人的には「いい人」がほとんどなのかもしれない(軍に入ると、住居が無料で提供されたり、大学で学ぶことができたり、様々な資格が得られる、という特典があるという理由で入隊する人たちも結構いる、と聞いている)が、その人たちが組織の一員として働くことで出てくる結果が必ずしもイラクの人たち、あるいは世界にとってプラスとはいえないものである時...

アメリカ軍では死亡の原因として自殺がかなり高い率を占めている、というのもわかるような気がする。

つきつめて考えれば、私も米軍の活動をサポートしている一員であり、でも、今の仕事を失うことは考えられない...

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3週間の休暇

3週間の休暇から戻った同僚に、「休暇はどうだった?」と尋ねると、「短かったわ」の一言。彼女はどこかへ旅行に出かけた、というようなことはなく(韓国に行こうとしたら、息子さんのパスポートがきれていることがわかってだめだったらしい)、基本的に家でのんびりしていただけのようだが、案外あっというまに過ぎてしまうものかもしれない。

以前は5週間くらいの休暇をとる人もいたのだが、上層部の意向により、うちの職場では原則として最長で3週間の休暇、ということになった。私の場合、3週間経つと、結構、保育園の子ども達に会いたくなったりもするが、確かに休暇中にやろうと思っていたことが全部はできないことも多い。欲をいえばきりがなく、3週間というのは、気持ちをリフレッシュし、職場にもどるのにそれほどギャップを感じることのない、ちょうどいい長さかもしれないと思う。

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ぐうたらママの日

ブログを始めてから3ヶ月が経ち、今日、初めてトラックバックなるものを受けた。何かなー(^^)と見に行くと、「男性保育者が作るblogサイト!」という紹介(^^;)。多分、「続・男性保育者」という記事の中で、「男性保育者ならではの視点について、というリクエストをいただいたので、ちょっと書いてみようと思う。」という書き出しをしたのが誤解を招いたのかな。まあ、初めて私のサイトを訪れてくれた人が、記事を読んで私を男だと思ったのなら、それはそれで結構楽しい気がする(^^)。パソコン通信を始めた頃、私は本名を使っていたが、ハンドルを使っていた人の中に男か女かわからない人がいたりして、それっておもしろいなぁ、と思っていた。

さて、今日は母の日だったので、下の娘が夕食を作ってくれた。メインは「ニョッキのスモークサーモンソース」。 昨年行ったイタリアで、初めてニョッキというものを食べ、やわらかくもちもちした食感が気に入った。店によってはたいして美味しくないところもあったけれど、美味しいものへの研究熱心な下の娘が帰国後レシピを探し出して、かぼちゃのニョッキなどを何度か作ってくれていた。「母の日に何を作ってほしい?」と訊くのでニョッキをリクエストした次第。今日のも美味しかったです(^^)。

でもって上の娘が食事の後片付けをしてくれ、私はゆったりと母(ぐうたらママ)であることの幸せをかみしめておりました(^^)。

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本「アメリカが嫌いですか」 by 阿川尚之

父親の影響で、幼い時から日本にいながらにしてアメリカの空気に接する機会の多かった著者が、アメリカに留学してどんな青春時代を過ごしたかを書いた前半部分と、彼がアメリカでロイヤー(法律家)として暮らすようになってからのことを書いた後半部分とから成る。

英語がまだあまり話せない中学時代に入院した病院で同室となって親しくなったアメリカ人の話、留学したものの、英語力がネイティブとは違うので苦労しながら、アメリカ人とつきあっていく話などは、今の私の状況と重なるところもあって、大変おもしろく一気に読んだ。

後半部分になると、文がいくぶん散漫な感じになったが(前半がとてもおもしろかったのでそう感じるのかもしれない)、ところどころ私には大変興味深い部分があった。

注意すべきは、アドヴァーサリーシステム(アメリカにおける紛争解決の型。裁判がその典型。)を通じて真実を発見する過程において、ロイヤー自身は真実が何かについて判断する立場にないことである。真実はこうだと異なった主張をするのがロイヤー、真実はこれだと決めるのは陪審員であり、(中略)...前者はプロだが後者は素人だ。日本人は人を死刑に処するかどうかを素人の判断に任せていいものかと思うが、アドヴァーサリーシステムでは逆にそんな大事なことをプロだけに判断させてはならないと考える。(中略)...これほどロイヤーが多くプロフェッショナルがもてはやされるアメリカで、プロに対する根本的な不信があることは、覚えておいてよい。 (文庫版 p.165)

アメリカの法システムについてはもっと知りたいと思う。

1991年の湾岸戦争。「アメリカが開戦を決意した日」という章も、それまでにどんな議論が交わされたのか、というのを知るうえで興味深かった。
また、その開戦が間近い頃、ある牧師のもとへ、戦地周辺に赴任している兵士から届いた、という手紙も興味深いものだった。

もし私のために祈ってくださるなら、二十人の海兵隊員を率いて戦うという重責を私が果たせるよう、お祈りください。いざとなったら正義のために人を殺すおそろしさに耐えられるよう、祈ってください。私が一人一人の若者を家族の下へ無事送り返せるように、祈ってください。...(p.289)

ただ、この手紙を書いた人が、もう少し想像力をたくましくすれば、敵の兵士にも家族があり、それぞれの人生がある、ということを考えられたはずだと思うけれど。まあ、だからこそ「人を殺すおそろしさ」と書いているのかもしれないけれど...

湾岸戦争は、悪者フセインからイラクの民衆や隣国の人々を守る戦いだとアメリカの人々は信じていた。兵士達の士気も高かった。しかし、ベトナム戦争の時は、兵士達は、自分が何のために戦っているのかわからなくなっていた。そして、今はどうだろうか...?

ユダヤ人の考え方を紹介しているのもおもしろかった。

著者は、この本のタイトルの問いに対して、明確な答えを書いている。
私は著者のように、はっきりとイエスノーで答えることはできない。大国主義というか、傲慢さを感じる部分は確かにあるし、でも、合理的な考え方や個人・自由を尊重する考え方がすごく好きでもある。個人的に知っている人々もいろんな人がいるので一概に好きとか嫌いとかは言えない。ただ、日本政府のやり方が好きではなくても、私は「日本が嫌いではない」から、この本の問いに答えるとすれば「アメリカが嫌いではない」とは言えそうだ...


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ビデオ「ザ・エージェント」 Jerry Maguire

スポーツエージェントのジェリー(トム・クルーズ)が、金儲け主義の会社の方針に疑問を抱き、理想的なエージェントとなろうとして奮闘する話。ストーリーは都合よく行き過ぎる感じはあるけれど、子役の Jonathan Lipnicki がめちゃくちゃ可愛い。ドロシー(レニー・ゼルウィガー)がジェリーを飛行機の中で見かけ、息子のレイに「ファーストクラスの人たちは違うのね」と語りかける場面で、レイはドロシーに微笑みを返すのだけど、その笑顔があんまり可愛くて、ファーストクラスも目じゃないね、と言いたくなるくらい。

ジェリーのただひとりのクライエントとなるフットボール選手ロッドを演じるキューバ・グッディング・ジュニアもよかった。「ハーモニーベイの夜明け」の心理学者役や「ザ・ダイバー」での優秀な軍人役より、この人にはこういう役が似合っている感じがする。明るく、家族を愛し、ストレートに感情を表現し、おおげさなパフォーマンスをし...。

控えめだけど自分に正直であろうとするシングルマザー役のレニー・ゼルウィガーもよかったし、ロッドの奥さん役の人のキャラクターも素敵で、脚本はあらいけれど役者の魅力が光る作品だと思う。

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ダーティライス

昨日、主任の保母さんから、「これ、今日、保護者に渡してね」と渡された紙を見ると、「5月×日、保育園のスタッフに感謝するランチを催すので、保護者のみなさん、ご協力ください。当日、食事を作ったりテーブルセッティングをするのを手伝うか、何か一品持ってくるか、できることを別紙に、名前、メールアドレスとともに記入してください。」というようなものだった。

日本だったら、保育園には保護者会があり、保護者会がそういうことを企画するかもしれないが(あんまりそんな企画を聞いたことはないけど)、うちの保育園にはとりたてて保護者会などはない。というわけで、多分、こんな企画をしたのは、保育園などのサービス部門をとりしきっている部署だと思うけれど、「私たちのためにランチを作ってください」なんていうお願いの手紙を、保母から保護者に渡すっていうのも、なんとなく変な感じだ。

私は早番で、保護者が迎えに来る前に帰宅してしまったので、実際には別の保母さんが保護者に手紙を渡してくれた。で、今朝、出勤すると、既にふたりの人の名前が別紙に記入されていて、そのうちのひとりが「私は一品持ってきます」というところに、その料理の名前として「ダーティライス DIRTY RICE 」と書いていた。ダーティライス?汚いごはんって何???

同室のアメリカ人の保母さんに訊くと、茶色っぽいご飯料理だと言う。家に帰ってからネットで検索をかけたらたくさんヒットした(たとえばここ)から、日本でもわりと有名なようだ。私が知らなかっただけ? それにしても、食べ物に「汚い」という形容詞をつけたネーミングをする感覚はちょっと理解できない(^^;)。でも、食べるのは楽しみだな(^^)。

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かなしいとき、うれしいとき

かなしいときー。
せっかく作ったお弁当を持ってくるのを忘れたのに気づいた時!

うちの職場はアメリカカレンダーなので、ゴールデンウィークは関係なく、今日もいつもどおり6時に家を出た。以前、早番だった頃は、5時台に朝ご飯を食べていたが、そうすると、10時にとることになっている1時間休憩の時には既におなかがすいて、つい何か食べてしまい、でもって、保育室にもどって11時半には子どもと一緒の給食も食べるので、どうしても過食気味になってしまう。その証拠に、遅番に代わってから、体重が4キロ減った。遅番だと、11時半に子どもと給食を食べた後で1時間休憩をとるので、その時に何か食べようという気にはならないからだ。

で、今度また早番になるにあたって、5時台にご飯を食べることをやめ、8時半の15分休憩の時に、家から持ってきたお弁当を食べることにした。そうすれば、10時の休憩時にはまだおなかが空いていないので、コーヒーだけですむ。お弁当といっても、ほとんど前日の夕食の残りとおにぎりくらいのものだが、一応ちゃんとお弁当箱につめて袋に入れて用意しておいたのに忘れてしまう...ということが時々ある。

まあ、子ども達が代わりに食べてくれるので、ムダになってしまうことはないとはいえ、通勤途中の車の中でそのことに気づいた時は悲しい。

うれしいときー。
アメリカに帰った子どもの親から、久々に子どもの写真とともにメールが届いた時!

Mは、金髪で色白の、目がくりくりした男の子だった。通常は、2歳になると隣のクラスに移るのだが、彼の場合は、2歳になって数週間でアメリカに帰ることがわかっていたので、親の希望で2歳になってからもうちのクラスに残っていた。そんな彼ももうすぐ3歳になるという。おかあさんは、日本を去る時、おなかが大きかったのだが、アメリカに戻ってから男の子が生まれ、Mはおにいちゃんになった。しばらく前、赤ちゃんの写真とMの写真を別々に送ってもらっていたが、今日は、Mと7ヶ月になった弟が一緒に写っている写真で、ああ、やっぱり兄弟だなぁ、と思わせられる雰囲気がある。

おもしろかったのは、おかあさんが兄弟の性格について書いていたことだ。彼女によれば、Mは父親に似て落ち着いているが、弟は彼女に似て気分屋だという。彼女とそのご主人は、Mは手のかかる子だと思っていたけど、今となっては、彼はなんてやりやすい子どもだったんだろう、と思う、と書いている。でも、弟がこれからどんなふうに大きくなっていくのか楽しみだ、とも書いている。彼女は自分が気分屋だと書いているけれど、私はもちろん彼女の温かい人柄を知っているし、メールからもふたりの息子への愛情がいっぱい感じられる。

Mは日本を離れた頃、少しずつ文単位で話すようになっていたけど、今はもっといっぱい話すんだろうな。M以上に手のかかる、という弟君にも会ってみたい。いつまで彼女が私にメールをくれるかわからないけれど、大きくなった子どもを見るのは本当に嬉しいものだ。

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ビデオ「アタックナンバーハーフ」

個人旅行が好きな人たちの集まるメーリングリストで、この映画がおもしろい、という話を聞いて借りてきた。タイで、ゲイの人たちのバレーボールチームが活躍したという実話に基づいて作られた映画。私はタイに行ったことがなく、タイの映画を見るのも初めてだったが、楽しい映画だった。

ゲイの人、ということで、仕草とか、やっぱり私には可笑しいんだけど、それをバカにするような態度で作られているわけじゃないから気持ちいい。ゲイの人たちも、自分がゲイであることを楽しんでいる感じで、全体のトーンが明るい。ゲイであるがゆえの悩みが語られる部分や、結構まじめに伝えたいメッセージが感じられる作品でありながら、シリアスシリアスに作らずに、笑いが基調になっているのもいいな。

でも、現在上映中の「アタックナンバーハーフ2」を見に行こう、というほどの気にはならないけど。またビデオが出たら見ようと思う。

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戦禍の中の子ども達が夢見るものは

毎日新聞日曜版に、落合恵子さんが「絵本屋の日曜日」というコラムを連載している。今日の記事に、こんな一節があった。

以前、一冊の写真集を訳したことがある。レバノン出身で現在はアメリカに暮らす女性フォトジャーナリストが、自らの故国をはじめ、戦禍の中の子どもたちをインタビューしたドキュメンタリーだった。 「大人になったら何になりたい?」彼女の問いに、戦禍の中にいる、ひとりの少年は答えた。 「大人になったら、子どもになりたい。だってぼくには子ども時代がなかったもの」

胸につきささる一言だ。

うちの保育園には親が戦地に行っている子供ももちろんいる。それはもちろん、彼らの生活に影響を及ぼしている。子ども自身、不安定になることもあるし、残ったもう一方の親が精神的にまいってきて、それが子どもに影響を与えることもある。でも、彼らに「子ども時代がない」ということはない。私たち保育士は豊かな遊びプログラムを提供しているし、おもちゃも食料もいっぱいある。

でも、自分の生まれた国が戦場だったら?...遊びどころではないだろう...子どもはたくましいし、どんな環境でも遊びを見出したりするものだとは思うけれど、親や兄弟を奪われ、自分の身は自分で守るしかないような状況だったとしたら。

以前、うちの保育園のキッチンで、レバノン出身の男性が働いていたことがある。彼が小さい時から内戦が続いていて、その状態から逃れるために、スウェーデンへ渡り、やがてアメリカへ渡って、アメリカ軍人であるイラン人の奥さんと結婚した。内戦の原因は、彼の説明によれば、イスラエルが、レバノンのキリスト教徒とイスラム教徒(数は半々くらいらしい)を戦うようにしむけたのだ、という。

アメリカは彼のような移民を受け入れているから、度量の広い国といえるかもしれないが、たくさんの人が自分の生まれた国に安心して住めない状況を生みだしている原因になっていることもあるのだ...そのことを自覚しているアメリカ人はどのくらいいるのだろうか...そして、私は職場ではなかなかそんなふうに話をきりだすことはできないでいる...


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cocohore! に惚れ惚れ(^^)

Cos さんのサイトにcocohore! というのがあるのは気づいていたのだけれど、今日、それが、記事一覧を表示させられるものであることに気がついた(今頃!(^^;))。

私はカテゴリ別の記事タイトル一覧が表示できればいいなぁ、と思っていて、ココログプラスとプロが出た時に、そういう機能がついたかな、と見てみたのだけど、カテゴリ別の記事数を入れることはできても、記事タイトル一覧の表示というのは簡単にはできそうじゃなかった。

誰かのサイトを訪れても、映画とか保育とか、自分の興味のあるカテゴリの記事一覧を見てみたいなぁ、と思うことがある。この人はどんな映画を見てるのかな、とか。で、自分の見た映画があればその感想を読んでみたいと思う。ココログの場合、カテゴリ別に記事は整理されるけれど、ずらずらっと全文が出てくるので、読みたい記事を見つけるのが大変。

で、cocohore! こそ、まさに私の欲しかったものです。サイトの右側、カテゴリ、バックナンバーの下、ツールというところに表示させました。(目につきやすいよう、マンチキン、掲示板の下に移動しました...8月18日追記)
カテゴリ別に記事のタイトルが表示されるし、カテゴリ一覧を表示させることもできるし、もう言うことなし!(^^)です。
未定。の笹錦さん、ありがとうございます。ココログにはいろんな便利ツールを開発している方々がおられますが、本当に頭がさがります。

でも、少しわからないことがあるので、わかる方があれば教えていただけると嬉しいです。
例えば、私の「書籍」カテゴリを表示させると、

≫ 本「清潔はビョーキだ」 by 藤田紘一郎 2004/04/16/00:15:37 (+)
≫ 本「医者のホンネ」 by 柴田二郎 2004/04/11/23:21:26 (+)
≫ 本「インド人大東京をゆく!」 by 黒田信一 0000/00/00/00:00:00 (+)

という感じで出てくるのですが、上のふたつは投稿日時が出てくるのに、最後のひとつは0000/00/00/00:00:00 となっているのはどうしてでしょう?こういうのが私のにはとても多いんです。Cos さんのサイトをはじめ、cocohore! を設置しているいくつかのサイトを見てみましたが、こういうのは見かけませんでした。

で、このタイトルをクリックすると、右側にちゃんと投稿日は表示されるのですが、記事は non title と表示されてしまう。で、左側で日時とタイトルが表示されているものでも、右側では non title となってしまうものがあります。

たいしたことではないのですが、できるものならば直したいので、わかる方があればよろしくお願いいたします。

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PACE(パーチェ)

昨日の夕刊を今朝になって見た。最近、仕事が早番になり、3時半に勤務が終わるので、どこにも寄らずに4時過ぎに家に帰り着いたりすると、夕刊がまだポストに入っていなくて、結局、翌朝に朝刊と一緒に出したりすることになる。

で、目に飛び込んできたのが大きな虹色の旗の写真(追記:リンク切れになっています)。 ローマの人たちが、人質解放を求めて行なったデモについての記事だった。人々が手にしているのがPACE(パーチェ:平和)の旗。このニュースは既にラジオで聞いていたけれど、この旗の写真を見て、ああ、そうだったんだ、と思った。

昨年の夏、イタリア旅行に行った時、この旗が家々の窓にはためいているのをあちこちで見た。いったい何だろう、イタリアにそういう政党だか運動団体か何かがあるんだっけ、なんて思っていたが、旅行も終わりに近づいた頃、ローマに向かう電車の中で乗り合わせた人からこの旗の意味を教えてもらった。

それはイラク戦争に反対するメッセージ。イタリア政府はアメリカを支持することになったけど、イタリアの人々はそうじゃない。それを示すためにあの旗を掲げている。戦争終結宣言が出された今も、戦争は本当には終わっていない。だから、まだあの旗を掲げているのだ...

帰国後、PACEについてのホームページを見て、「すべてのバルコニーから平和を呼びかけよう」という運動だということを知った。

戦争反対の気持ちは多くの人が持っていても、その気持ちを具体的な行動で示すことは意外にできにくかったりする。レインボーカラーのきれいな旗を窓の下に掲げるというのは素敵な方法だな、と思った。色褪せたものも多かったが、洗濯物がひるがえるイタリアの町に、PACEの旗も溶け込んでいた。

朝日新聞のホームページの記事を読むと、政府批判のシュプレヒコールなどはなかったという。シュプレヒコールが悪い、と言うつもりは毛頭ないが、ただ人質の解放を求め、平和を訴える、こういう方法もあるのだなぁ、と感じる。

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