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ボランティアって

娘達の通う中学では「夏休みふれあい巡回」というのがある。夏休みの夜、保護者が地区をまわって、夜遊びをしている子がいたら「早く家に帰りなさい」と促す、というものだ。今日はその当番で、夜8時から他のお母さん達と一緒に地区をまわってきた。担当地区にはゲームセンターがあり、高校生らしい男の子のグループが遊んでいたが、「高校生だよね」とお母さん達と言い合って、結局声をかけずに出てきてしまった(^^;)。「中学生?」と声をかけたとしても、「高校生だ」と答えられたらそれ以上は何もできないわけで、知っている子が子どもだけで遊んでいるのでもない限り、遊んでいる子に「帰りなさい」と促すのはむずかしい。

その当番を割り当てたりするのは、地区委員会の仕事。地区委員というのは保護者の誰かがやらなくちゃならないのだけど、毎年のことながら、おかあさん(おとうさん)たちのなり手はいない。結局くじ引きで決まったりする。私は小学校の地区委員長を引き受けたことがあるけれど、お祭りや球技大会などは土日にあり、仕事を持っている人でもできる、とはいうものの、休日がしょっちゅうそのためにつぶれてしまうのと、その前の打ち合わせの集まり、町内会その他との電話連絡、など、かなり忙しくて正直大変だった。

母親達の間で恐れられているのは「幼稚園の役員」だ。幼稚園によって違うとは思うけれど、娘達の通っていた幼稚園では、役員になると、毎日のように幼稚園に「出勤」状態という感じだった。ある人の話では、子どもをバスに乗せたら、朝食のかたづけもできぬまま、自分もお弁当を持って「出勤」、子どもの帰る時刻に合わせて帰宅。もちろん、役員をやって楽しいこともあるのだけど、ちょっとねぇ、とその人はこぼしていた。

その幼稚園から、中1の娘に、今日、「幼稚園運動会ボランティアのお誘い」というのが届いた。中1になってから「幼稚園同窓会」があったのだが、その時「運動会のボランティアに興味があるか」というアンケートに「ある」と答えていたらしい。彼女は「いろんなことをやってみたい」というタイプで、今も「図書館ボランティア」というのをやっている。そうやって自分から楽しんでやるボランティアというのは、おたがいにとっていいことだと思う。

地区の子ども達の野球チームやキックボールチームのコーチを引き受けてくれる人たち。毎週日曜の朝6時から練習で、小学校の地区委員のお母さん達は交替で(ブツブツ言いながら)その練習につきあったけど、役員というわけでもなく、無報酬で、毎週来てくださる人には頭のさがる思いだった。

養護学校に勤めていた頃、夏休みに何日か「サマースクール」というのを開いたけど、そういう時に、ボランティアに来てくれる人たちもいた。私にとっては「仕事」の一環だったけど、この人たちは無報酬で来てくれてるんだなぁ、と思ったものだ。

自主的にボランティアに参加する場合、それはやっぱり楽しいからやる、ということなのだと思う。でも、なり手がいない幼稚園の役員やPTAの本部役員などは、ボランティアに期待するのは無理があるのじゃないだろうか。自分からやってこそ、のボランティアなのに。幼稚園やPTA の役員などは、一定の報酬が支払われるような方式にしたっていいのじゃないかと思う。「ぜひやりたい」という人がいなくて、どうしても必要なポジションであるのなら。「どうしても必要かどうか」はかなり微妙なものだと思うけど。

うちの保育園では「保護者会」というのはない。保護者が保育園に注文をつける会、というのは年に何回か催されたりはしているけど、保護者会がなくて困る、ということは別にない。幼稚園に入る前のプリスクールに子どもを入れている場合、親は週何時間かのボランティアをすることが義務付けられていて、おもちゃのかたづけをしたり、シーツを家に持って帰って洗ったり、遠足につきあったり、などということをやっていたりする。それは全員一定の時間することになっているので、不公平感はない。小学校などでは、お手伝いをしたい親は自主的に学校に手伝いに行ったりすることはあるようだ。

「憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向な日々」で「専業主婦ボランティアの害」 という記事があったが、これにもちょっと考えさせられた。ボランティアって「誰かのため」とか言うよりも、自分が楽しいからやる、それが本来の姿なんだろうな、と思う。

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コメント

「ボランティア」って、私にはムズ痒さのある言葉でした。
「自己満足の偽善だ」とか「自立や有償労働者の賃上げを妨げる害」みたいな気持ちのよくない言われ方に、自意識過剰になってたのかもしれません。
でも今は、じゃりんこさんの言うように「自分が楽しいからやる」というスタンスを基本に、時には使命感みたいなもので突き動かされることだっていいと思ってます。もう「動いた人勝ち」です。
(いえ、勝たなくていいんですけどね^^はは)
でもホント、何につけ「気持ちよく動ける人勝ち」だと思う今日この頃。
(いやホント勝ち負けじゃないんですけどね^^:)
広い視野でいろんな側面を自覚しつつ、「自分にできることはないかな?」って思ったら、それをごちゃごちゃ考えずに行動できる人は、やっぱりすごいです。
7.13水害の後、ボラに行って思ったことです。猛暑の中、へとへとな労働の後の人々のさわやかさに思いました。
どんなにボランティアが来てくれたって、最後の生活の建て直しは当事者がするしかないってことは、誰もが承知のこと。だからせめて、他人の自分たちでもできることを、できる範囲でするってことが、大切なんだな・・・と。
ちょっと論点が違うくなっちゃったけど、ボランティアについて最近思ったこと、デシタ*^^*

投稿: ソラ | 2004.09.08 17:02

ソラさん、どうも(^^)。
ソラさんの書かれたことを読みながら、うんうんほんと、そのとおり、って思いました。

>時には使命感みたいなもので突き動かされることだっていいと思ってます

そうですね。
社会のために何かをしたい、とか、誰かの役にたちたい、っていう心理はありますよね。そして、もし、自分に何かができるなら、嬉しい。

イラクで人質になった人たちが自己責任バッシングを受けましたが、「何かをしたい」と思って行動に移した、という点ではやっぱりエライ人たちだったと思います。
「何かをしたい」と思うことと行動に移せることとの間にはやっぱり簡単には越えられない一線があると思うんです。

新潟はこの夏大変だったんですよね。
私は何もできませんでしたが、ソラさんはしっかり行動に移されたのですね(^^)。
イラクに行くっていうほどすごいことじゃなくても、自分でできることを何かやっていきたいですね。

投稿: じゃりんこ | 2004.09.08 20:27

じゃりんこさん、ありがとうございます。

>「何かをしたい」と思うことと行動に移せることとの間にはやっぱり簡単には越えられない一線があると思うんです。
・・・私はずーっと、越えられなかったです。

「自分のこともできないヤツが、人のことなんて・・・」という父の考えに縛られてたみたいですが、
さすがにこの歳まである意味不完全人間だと、ひょっとして私は死ぬまで何もできない?と思ったり^^:
それはちょっとイタダケナイ。

今回は、堤防の反対側が切れていればまさに実家が濁流にのまれていた、という他人事ではない状況だったので、
こんな私でもできることが何か1つでもないかな?!と思って行きました。
大した事は何もしてないんです。でも、確実にひとつの「手」となれたと感じたよ。
不謹慎な言い方かもしれないけど・・・うれしかったです・・・。

投稿: ソラ | 2004.09.10 17:22

ソラさん、

手ごたえのあることができてよかったですね(^^)。
ボランティアって、そうやって、自分が楽しいとか嬉しいとか感じられるから
できることなんだと思います。

>「自分のこともできないヤツが、人のことなんて・・・」

関西弁で「ええかっこしい」という言葉がありますが、そんなふうに言われる
ことがイヤで、ボランティアをためらってしまう、っていう人もいるでしょう
ね。

誰かのため、というよりも、自分が楽しいからやってるんだっていうことなら、
「ええかっこしい」と言われても、「だって、やってみると、楽しいよ」と
言えるかもしれませんね(^^)。

投稿: じゃりんこ | 2004.09.10 21:55

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