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ビデオ「すべては愛のために」Beyond borders

私達はここ日本で、一応、平和に、食べるものに困ることもなく暮らしているけれど、世界にはそうでないところがある、ということに改めて気づかされる映画だった。とても悲しい映画だけれど...

エチオピア、カンボジア、チェチェン...戦争、貧困、病気の蔓延...それらに苦しむ人たちを少しでも助けようとする人たち。それは生易しいことではなく、わが身が危険にさらされることだって覚悟しなければならない。

イギリスで、慈善事業関係のパーティが行われていた時、ひとりの男が乱入。彼はエチオピアの難民キャンプで活動している医師ニック(クライブ。オーウェン)で、パーティの偽善性を指摘し、本当に必要なところに援助を、と訴えかける。サラ(アンジェリーナ・ジョリー)は、彼の訴えに心を動かされ、莫大な私費を投じて、エチオピアに出かけていくが、難民がおかれている現状は予想をはるかに上回る悲惨なものだった...

(以下ネタバレ)

エチオピアやカンボジアの状況の描写は、ある程度、現実に基づいたものなのだろう。それについては、映像の力を感じるし、自分の身を賭して危険なところで活動している人の姿には心をうたれる。

ただ、サラが危険な地域にでかけていき、様々な救済活動を行った一番の動機が、ニックへの愛だった、というようなストーリーは、あまり好きではない。どんな危険なところへでもでかけていけるほど誰かを愛することができる、というのは素敵だとは思うけれど...。「すべては愛のために」という邦題は原題とはかなり印象が違うけれど、映画の中心的なテーマは確かにそっちかな、とも思う。個人的には、恋愛を多少からませるにしても、中心は、世界の惨状とそこで献身的に働く人たちの姿を描く、というものにしてほしかった。

最後、サラが雪の中で地雷を踏んでしまう場面は、カンボジアの青年とのやりとりを思い出させて、とてもドラマチックな作りだ...現実の世界ではハッピーエンド?になるように、何かできることはしたいと思う...

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映画「ボーン・スプレマシー」

「ボーン・アイデンティティ」がわりと好きだったので、続編を見に行ったのだけど、この映画は字幕なしでは私にはきつかった(^^;)。

一作目に比べてカーチェイスはさらに派手。
一作目はビデオで見て、結構どきどきしたのだけど、映画館で見た今回は、「映画のためにこんなことをしていいのだろうか」なんて思ってしまった(^^;)。

舞台が、インド、ドイツ、ロシア、イタリアなど転々とし、そういう風景は楽しめる。マットディモンは、どこにいても浮くことなく、溶け込んでしまう人だなぁ、と思った。

私は「ボーン・アイデンティティ」のほうが好きだった。アクション映画はそんなに見ないほうだけど、謎解きの楽しさのようなものがあった。今回も、ボーンは何故自分がねらわれるのかという「謎」を解こうとしていくわけで、展開が完璧には理解できなかった私に公平な評価は無理なんだけど(^^;)。

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障子のはりかえ

うちの娘達は、週末、自分の部屋の掃除プラス雑草ぬきとか階段掃除とか、何かポイント掃除をやることになっていて(私がズボラなので(^^;))、今週は、障子のはりかえをしてくれることになっていた。

中3の娘は、今日、ある高校の文化祭を友達と見に行くつもりで、朝、電話で待ち合わせ時間などを決めていたのだが、「私、午前中に障子のはりかえしないといけないから、終わったらメールするね」とか言っていて、受験生の娘にそんなことをさせていいのだろうか、とふと思ったけど、まあいいか、と結論。

ふたりで楽しく障子を破り始めたのだけど、しばらくすると、中1の娘が、「おかあさん、もう飽きた」と言い出した。障子を破るのは楽しいけど、その後、障子紙をきれいに剥がすのは大変で、苦戦していたようだ。やっぱり子どもだけでは無理だったか(^^;)。娘達はそれぞれ障子戸を1枚ずつやっていたので、私はとりあえず、友達と早くでかけたいであろう中3の娘のほうを手伝い始めた。

中1「ずるーい」
母 「中1のも後で手伝ってあげるから。
   中3は友達と約束あるから早くしあげなきゃいけないでしょ。」
中1「私だって小麦粉さんと約束が...」

これは、掃除がすべて終わったら、お菓子を作っていいよ、ということになっているためである(^^;)。

さらにしばらくして、

中1「私、西友、行きたい」
母 「行けばいいじゃん」
中1「じゃあ、行ってくる」
母 「ちょっと、障子のはりかえが終わってからだよ。
   だいたい、西友に何しに行きたいわけ?」
中1「現実逃避」

中1の娘は将来パティシエになってお店を持つのが夢だと言っているが、「おかしやさん」になるというより、「おかしいやさん」になるのでは?と思ってしまう(^^;)。

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きたない?話

毎日新聞日曜版の「みんな集合」は、ずーっと前から、私の日曜日のお楽しみ。
今日、笑ってしまったのは、56歳の方からの投稿で、

もうすぐ2歳になる孫が何でも語尾に「チィ」と付けるようになりました。パパ、ママのことは「パパッチィ」「ママッチィ」と呼びます。ここまではかわいくてよかったのですが、私(バァバァ)にまでつけてくれるのです。あまり大きな声で呼ばないで。

子どもって何故かきたない話が大好き。
母親が日本人、父親がアメリカ人のMは、ふだん英語で話すが、この間日本語で「じじばば」のことを話していた時に、突然、「ばばっちぃ」と言ってゲラゲラ笑い出した。きっとおばあちゃんの家かどこかで、何かの拍子でそういう言葉が出て、意味を知ったのだろう。

英語でも yucky とか dirty という言葉は子どもが比較的早く覚える言葉だ。
dirty ...はそれほど多くないかな。ある女の子が1歳半くらいの頃に使い出して、「わぁ、この子、もうこんな言葉知ってるんだ」と思った。おかあさんがかなりきれい好き、という感じだ。

きれい好きの家庭とそうでない家庭では、子どもの覚え始める言葉が違いそうだな...

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本「さよなら、おっぱい」 by 高田昌彦、中村孝

今日は、図書館でリクエストしていた「さよなら、おっぱい」という本が入った、という連絡があったので、借りてきた。絵本のような感じで字も大きく、すぐに読んでしまった。小さい子どもと関わっている人なら、それほど目新しい話があるわけではないのだけど、「そうそう」とうなずいてしまう、というような本だ。ひとつおもしろかったのは、

泣き声で赤ちゃんの訴えていることが、どのくらいわかるか。 おなかがすいた。オムツがぬれている。だいてほしい。痛い。眠い。 この五つの典型的な泣き声を、お医者さんグループ、お母さんグループ、看護師さんグループ、保育士さんグループに聴かせた。

で、この泣き声はどれか、という質問で、正解率がもっともよかったのは、というと...

看護師さんだそうだけど、五問とも正解したのは全体の2パーセントだというから、よかったといってもそれほどの違いがあるわけではないのだろう。

同じ、オムツがぬれたでも、大げさに泣く子もいるし、あまり泣かない子もいるし、特別に研究した人以外は、当たらなくてあたり前なのだ。

そうだろうなぁ。自分の子どもとか自分が普段関わっている子ならかなりわかるかもしれないけど、不特定多数の子どもの泣き声を聞かされただけではわからないだろうと思う。

ところで、図書館で本をリクエストして、その本が図書館にない場合、たいていは近所の図書館から借りてくれるのだけど、この本は新しく購入してくれていた。

「反社会学講座」も新しく購入してくれていて、今日、図書館で返却する時、「娘が読みたがっているので、予約がかかっていなければ、もう一度借りたいのですが」と言ったところ、既に3人の予約が入っていた。今回、購入してくれたのは、何人かのリクエストがあったからかな。途中まで読んでいた娘(中3なのに受験勉強は?とちょっと言いたくなる状態(--;))には気の毒だけど、しばらく待ってもらわなければならない... ということは、「さよなら、おっぱい」もリクエストしてる人がいるかもしれないから、早めに返したほうがよさそうだな。

ついでに、パソコンの画面をのぞくと、私がリクエスト中の「ダ・ヴィンチ・コード」は21人待ちだった。読めるまでにはまだまだかかりそう...(´.`)=з

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本「反社会学講座」by パオロ・マッツァリーノ

「反社会学講座」という書名から、何か過激でむずかしそうな感じがするかもしれないが、実は、思わずクスリとしてしまうような本。エラソーに社会学を語る人たちのことをボロクソに言っているので、過激なところはあるかな。でも、著者のスタンスは、「適当でいいかげん」(いいかげんとはよい加減)なので、「自分だけが正しい」と思っている、まわりの見えない活動家の主張とは違って、読んでいて苦しくならない(...って、こんな書き方をしている私はずいぶんエラソーだ(^^;)).。ともかく、ひねくれもの(^^;)の私にはとても楽しく読めた(^^)。

いいかげんっぽく見えて、言っていることはなかなか的を射ている。著者の論理の展開の仕方に、え、それはないでしょ、というところももちろんあるが(それを狙っているところもあるのだろう)、へぇそうなの、とか、なるほどねぇ、とか思わされることが多い。

著者はイタリア生まれだが、父親が日本人だそうで、日本語は完璧以上。
どんな感じの内容なのか知りたい方は、こちらへ。

私が一番共感したのは、最後のまとめ「渡る世間は自立の鬼ばかり」のところかな。

「自立している」人など、どこにもいやしません。世界中の誰もが誰かに依存して成り立っているのが現代社会です。....(中略)...それじゃあ、なにもしなくてもいいのか、とはなりません。依存と努力の両立こそが大切ですが、やっかいなことに、日本人は努力も幻想にしてしまっているのです。「やればできる」と励ます人がその元凶です。やってもできない人のほうが圧倒的に多いというのに、あまりにも無責任なことをいいます。...(中略)...「やればできる」は努力を勧めているようで、じつは暗に結果を求めています。教育者たるもの、そんなウソを教えてはいけません。「できなくてもいいから、やってみろ。それでダメなら生活保護があるさ」と教えるのが、本物の教育者です。  努力するのは宝くじを買うのと同じです。買わなきゃ永久に当たらないし、買っても当たる確証はありません。もしかしたら...と買い続けることが楽しいのです。人生も、そんなもんですよ。...(p.304-305)
4480423567反社会学講座 (ちくま文庫 ま 33-1)
パオロ・マッツァリーノ
筑摩書房 2007-07

by G-Tools

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ビデオ「マーサの幸せレシピ」Bella Martha

私がこの映画を好きなのは登場人物がみんな魅力的だからかな。それと料理が美味しそうだから(^^)。

マーサはドイツのフランス料理店のシェフ。腕には自信を持っていて、文句を言う客には啖呵を切るようなタイプ。ある日、姉が交通事故にあい、その8歳の娘リナをひきとることになった。イタリアにいる父親が彼女を引き取りに来るまで、という約束で。独身のマーサに子育ての経験はなく、母を失って不安定な状態のリナをどう扱っていいかわからない。よいベビーシッターにも恵まれず、マーサは仕方なく、リナを職場であるレストランに毎夜連れて行く。職場では、マーサが姉の死で休んでいる間に、新しいイタリア人の副シェフ、マリオが雇われており、マーサはおもしろくない。しかし、父親がイタリア人であるリナはマリオに興味を持ち始めた...

(以下ネタバレ)

なんといっても魅力的なキャラクターは、イタリア人シェフのマリオ(セルジオ・カステリット)だ。人生を楽しみ、でも、自分なりの哲学は持っている。素敵すぎて、現実にはいそうな気がしないけど。

マーサも自分の哲学を持っていた。料理はどうあるべきか、とか、暮らし方とか。それが、リナの登場で乱され、さらにマリオによって乱される。子どものいる生活にとまどいながら、次第にその生活が大切なものになっていく、というのはわかる。

料理を見ていて、「ドイツ料理ってこんなに美味しそうなんだっけ?」と思ったら、フランス料理店だったのか、と後で知った。マリオの作るイタリア料理も美味しそう。そして、料理の味って、同じものでも、食べる時の状況で変わるのだ。どこで食べるか、誰と食べるか、自分の心身の状態...マーサもリナもこれからはますます美味しく食べられることが増えていくのだろう(^^)。

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pigeon と peace の無関係

保育園の部屋の飾り付けをそろそろ秋のものに、ということで、この間から、お昼寝の時間に同じ部屋の同僚がいろいろ作っている。私は、部屋に一冊、折り紙の本を置いているのだけど、Cがその本を見て、「トンボを作りたいから作り方を教えてくれ」と言ってきた。 トンボの作り方は途中までツルと同じで、最後、ハネの部分を切って丸い形に整えたりするあたりが違う程度だ。

作りながら、「ツルはよく作るんだけど、トンボはあんまり作らないなぁ」と言うと、「どうしてツルはよく作るの?何か意味があるの?」と訊くので、「ツルはおめでたい時によく使われる。結婚式とか。千羽鶴を折って何かに祈ったりすることもある」と話した。更に、「他にそんなふうに意味のある動物とかってないの?」と訊くので、カラスはあんまりイメージがよくない、とか、コイノボリの話なんかをして、「そういえば、ハトは平和の象徴だ、って言うわ」と言った。

Cは、"pigeon?" と訊き返し、いかにも意外そう。そういえば、「ハトは平和の象徴と言われているけど、実は攻撃的な性格だ」というような話を聞いたことがあるけど。
「じゃあ、"dove" はどうなの?」と言う。私は dove という言葉を知らなかったので、いつも持ち歩いている電子辞書で調べると、これもハトらしい。Cに訊くと、dove は白くて小さめで、平和の象徴とされているけど、pigeon は、灰色できたならしい、というイメージがあるようだ。

というわけで今日はひとつ言葉を覚えた(^^)。家に帰って調べてみると、"ハト派"も"The Doves" というような言い方をするそうだ。

...それにしても、今日の天気はめちゃくちゃだった。
保護者会に出席するため、時間休をとって2時半に職場を出たところ、ちょうど雨が降り出し、瞬く間に豪雨となった。車のフロントガラスにあたる雨もすごくて、前が見づらいほど。でもって、雷はとどろき、稲妻は光り、途中からはなんとヒョウが降ってきた(@_@)。誰かが天気をもてあそんでいるのでは...なんて思ってしまうのは、この間ビデオで見た「ブルースオールマイティ」のせいかな。なかなかおもしろかった(^^)。

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「のだめ」の千秋様が指揮者だったら!

我が家の娘はふたりとも音楽部に所属していて、中1の娘は合唱部、中3の娘はオーケストラ。昨日は音楽部定期演奏会で聴きに行ってきたのだけど...

ちょうどこの間、私がいつも更新を楽しみにしているサイト「すのまんま」で「のだめカンタービレ」というコミックがちょろっと紹介されていて、おもしろそうなのでとりあえず1~4巻だけ買ってみて、一昨日読んだところだった。オーケストラの指揮者を目指す天才肌の大学生千秋真一と、素質はあるのにちゃらんぽらんな性格のピアノ専攻生野田恵が主人公で、話はおもしろおかしくすすんでいくのだけど、音楽をやっている人の気持ちが結構わかる漫画だ。

千秋がダメオーケストラを指揮する場面がある。クラリネットとかビオラとか、それぞれのパートの悪いところを指摘していくのだけど、演奏者にもプライドがあって、指揮者の指示に素直に従う気になれず、演奏はさらにひどいものに。そこへ一流の指揮者が登場して、演奏者の気持ちを汲み取りながら指示をしていくと、演奏がよいものとなっていく。

私は指揮法を勉強したことがないけど、音楽部の指導とかむずかしいだろうな、と思う。娘が幼稚園の頃、「お母さん達でクリスマス会の出し物をしてください」なんて言われた時に、合唱をやったことがあるけど、どうやったらお母さん達が声を出してくれるのか正直わからなかった。中学校の合唱部ならそれなりに歌の好きな子が集まっているのだろうから、もうちょっとなんとかなりそうな気もするのだけど...(^^;)

オーケストラとなると指導はさらにむずかしいだろう。音楽の先生でもすべての楽器をこなせるわけじゃないだろうし...週に一度、土曜日に弦楽器の指導に来てくれる先生がいるとはいえ、日常の練習を中学生が中心となってこなしていくのはむずかしい。

合奏を楽しめるようになるには、ある程度の技術力がやはり不可欠だ。娘達の小学校の高学年の音楽担当の先生は大変厳しい人で、4年生で初めてその先生に習った子どもや親とは一悶着あることも多かった。でも、実際に力がついてくると、合奏するのが楽しくなり、子ども達は進んで早朝や休み時間の練習に精を出すようになる。6年生の金管演奏会などは、「うーんすごい!」と思わせられるような演奏を聞くことができた。

音楽部の顧問の先生は、夏休みもほとんど休みなく、毎日指導に来て下さっていたのだし、そのご苦労には感謝するけれど、「のだめカンタービレ」を読んだせいもあって、指導する人がすれば、この子達ももっと楽しめるだろうになぁ、と思ってしまった。

とはいえ、うちの娘達はなかなかよくやっていたので(親バカ(^^))、「今日はいつもとはちょっと違う料理に挑戦するか」なんて、帰りにスーパーで買い物をし、お金を払おうとしたところ、財布にお札が一枚も入ってない(*_*)!!....結局家までお金を取りに帰って払い、その時点で新しい料理に挑戦する気力は失せてしまって、いつもより手抜きになってしまったのでした...(^^;)

ちなみに、「のだめカンタービレ」の5~10巻は昨日、注文し、今日仕事から帰ったら既に届いていて、学校休みの娘達に先に読まれていた。なんかちょっとクヤシイ(^^;)...

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写真集「地球はこどものあそび場だ...。」by 中西あゆみ(写真)

タイトルに惹かれて手にとってみたら、30カ国の子ども達が遊んだり仕事をしたりしている様子を写した写真集。ヨーロッパ、アフリカ、アジア、北米、中南米...子どもの笑顔を見ると幸せな気分になる(^^)。

ピラミッドを背景に凧揚げをするエジプトの子ども。たくさんの子ども達が笑顔で遊んでいるのがセネガル、コートジボワール、ジャマイカ、クウェートなど。ゴミ山の横で、裸足で、楽しそうに飛び跳ねているカンボジアの子ども。保育園や幼稚園などでのひとコマはチェコやカンボジア、ベトナム、中国などから。お手伝いに精をだすケニア、パキスタンの子ども...

庭の大きなトランポリンで遊ぶイギリスの子ども。こんな大きなトランポリンが庭にあるなんて素敵だけど、やっぱりたくさんで群れて遊んでいる子ども達のほうが楽しそうに見える。もちろん、イギリスの子ども達も群れて遊ぶのだろうけど。

一人っ子政策をとっている中国へ行った時、北京などでは子どもを見かけることが少なかった。でも、私も行くまで知らなかったのだけど、一人っ子政策は漢民族だけに適用されるので、その他の民族には適用されないのだ。西のほう、シンチャンウイグル自治区などに行くと、見かける子どもの数が増え、子ども達が元気で人懐っこい。民族の性格の違いのせい?もあるのかもしれないけど、きれいな服を着せてもらっている漢民族の子どもがひとりでいるのと、裸足で粗末な服装でみんなで走り回っているウイグル族の子ども達を見て、子どもはたくさんでいるほうが楽しそうだなぁ、と感じた。

この写真集にはそんな元気な子ども達の笑顔がいっぱいで、見ていると自分も元気になれる気がする。だから私は、保育士という自分の仕事が好きなんだよなぁ、と改めて思う。

地球はこどものあそび場だ…。
中西あゆみ写真

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映画「パパラッチ」

「パパラッチ」というタイトルの映画はこれまでにも何度か撮られているようだけど、これは2004年アメリカの作品で、日本の劇場ではまだ未公開、というか、公開されるかどうかも知らない。私の英語力では理解できない部分があるのは仕方ないとして(^^;)、それにしても、え?と言いたくなるようなところのある作品だった。

新人アクションスターのボー(コール・ハウザー)は、新作映画の発表会で多くのカメラフラッシュを浴び、スターになった実感を楽しんでいたが、私生活を無遠慮に撮影するパパラッチに怒りを感じるようになる。パパラッチの側も、ボーに敵意を燃やし、ある日、彼の車を追走するうち、彼に交通事故を起こさせてしまい、同乗していたボーの息子は意識不明の重体となる。その後も執拗にボーを追い続けるパパラッチ達にボーはついに切れてしまう...

最初のほうのクレジットで「メル・ギブソン」の名前(プロデューサー)が出てきて、へぇ、そうなんだ、と思っていたら、作品の中にちょこっと登場したりしていた。インターネットムービーデータベースの記事を読んでいると、メル・ギブソンがパパラッチ達への怒りを表す手段として製作したのかな、という感じだ。

確かに、パパラッチのやり方は許せない。どんな有名人だってプライベートの部分はあるし、この映画でパパラッチ達がやっていたことは(アメリカの法制度はよく知らないけど)違法だと思う。でも、法に訴えて争って改善される、というようなものではないらしい。この間、ケーブルテレビでヒュー・グラントのインタビュー番組を見たのだけど、「パパラッチにはうんざりする。始めのうちはそれを訴えたりしていたけど、どうしようもないことがわかった」というようなことを言っていた。有名スターはみんなパパラッチには悩まされているに違いない。というわけでこういう映画を作りたくなるんだろうなぁ。

(以下ネタバレ)

それでも、だからって、スターがなんでもやっていいことにはならないだろう。
ボーが、自分を追跡してきたバイクのパパラッチを死なせてしまったのは偶然だとしても、その後は意図的に殺人を犯している。彼をサポートする探偵(デニス・ファリーナ)は、ボーが殺人に関わっているのではないか、という疑いを持ちつつも、彼に問いただすことはしない。パパラッチの中心人物が最後に逮捕され、ボーの息子は意識不明から回復し(私がいくらハッピーエンドが好きでも、なんだかなぁ、と思ってしまった)、そしてボーの罪は問われることなく、物語は終わってしまう。

いくらパパラッチに怒りを感じている有名人でも、この映画を見てすっきりした気分にはなれないんじゃないだろうか。それとも、あんなやつらは死んで当然、と思うだろうか。他人に私生活を覗かれるのはものすごくいやなことだろう、というのは想像できるから、実際経験した人でないと、パパラッチへの怒りの激しさはわからないものなのかもしれない。逮捕されたパパラッチがカメラフラッシュにさらされる場面だけは、小気味よい感じがした。

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スペイン語練習中

しばらく前、職場の休憩室でスペイン語で電話をしていた同僚Dに、「スペイン語を勉強中だ」と話したら「なんでまた?」と訊かれたので、「スペイン語圏に行ってみたいから。ペルーとか。」と答えると、「私、ペルーの出身よ。」ということで、その後、休憩室などで会うと、時々スペイン語の相手をしてくれる(^^)。

うちのクラスには、スペイン語が母語だという親が少なくとも3人いる。そういう親は子どもに、家では(時には保育園でも)スペイン語でも話しかけたりしているので、子どももある程度理解している。その子達にスペイン語で話しかけると、「あれ、なんでそんな言葉で話すの?」という感じで、照れたように笑ったりするのが可愛い。

母親が日本人、父親がアメリカ人のMは、入園してきた当初は日本語のほうがよくわかったのだけど、2歳近くになった今は、英語で2語文、3語文、あるいはそれ以上の文を話す。おかあさんは今までどおり、なるべく彼女に日本語で話しかけているのだけど、3歳の兄がやはり保育園で急速に英語を身につけていき、Mも保育園では英語だし、兄妹の会話は英語になるのだそうだ。Mは日本語はかなりわかるようだけれど、話すことはほとんどない。それでも、私が時々日本語を話すことで、「母親と同じ言葉を話す人」という認識はあるらしく、親近感を持ってくれていると思う。

父母のどちらか、あるいは両方の母語が英語以外である場合、たいていの親は子どもにバイリンガルになってほしいと願うようだ。アメリカにいると英語は自然に身につけていくが、そうでないほうの言葉を理解しないと、祖父母とのコミュニケーションがとれなくて大変らしい。そういえば、Mは、grandma という言葉を知っているが、「じじばば」という言い方をすることがある。

母親の母語がスペイン語の場合、スペイン語のほうにかなり親しみがある、ということがあるかもしれない。18ヶ月になるAは、英語をよく理解し、とても頭のいい子だけれど、言葉として英語を話すのは、まだダダ、ママくらいだ。ところが、彼女の Thank you という言葉を聞いたことがないのに、私が別の子に 「グラシアス」(ありがとう)と言っているのを聞いていたAが「グラシアス」と復唱した。その他にも、あ、この子、スペイン語わかってるんだな、と感じることがあった。

というわけで、私は、スペイン語をちょっと理解している子ども達を相手にスペイン語練習(^^)。同僚のDに、「手を洗おうね」とか「こっちへおいで」とかは何て言うの?と訊いて教えてもらい、使ってみる。NHKのスペイン語会話のテキストはよくできていると思うけれど、言葉ってやはり使ってみないと身につきにくいものだ。子ども相手の練習は大人相手に比べると恥ずかしくないのでありがたい(^^)。

ただ、基本的に二人称がすべて You である英語と違い、スペイン語では、相手が親しい場合とそうでない場合とで話し方が変わってくる。子どもに対しては、親しい相手に対する話し方になるので、そちらで少し慣れてきたら、親とも少しずつ話せるようになりたいけれど...どうなるかな。

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ビデオ「アバウト・ア・ボーイ」

「ブリジットジョーンズの日記」の男性版、とかいうキャッチコピーに、ずっと見る気がしなかったのだけど(あの作品では、ヒュー・グラントがとてもイヤなヤツの役で悲しかったので)、見てみたら結構好きな作品だった(^^)。

ウィル(ヒュー・グラント)は、定職なく、親の遺産で優雅に暮らしている38歳の独身。自分の生活が気に入っていて、他人と必要以上の関わりを持とうとはしない。ナンパ目的でシングルピアレントの会合に出る、なんていう不謹慎なヤツ。狙いを定めたシングルママとのデートの日、彼女の友人の男の子マーカスがついてきた。そして、そのつもりはなかったのに、彼と関わることになっていく...

(以下ネタバレ)

私は一人暮らしをしたことがないけれど、それに慣れてしまったら、多分、それなりに快適なものなんだろうと思う。そんな生活に突如入り込んできた少年マーカスはウィルにとって迷惑でしかなかったが、だんだんそういう関係に「人生の意味」を感じ始める、という展開が私の好きなところかな。他人との真剣なつきあいはエネルギーがいるし、自分の生活は乱されるし、でも、人生を豊かにしてくれるのは、そういう人との関わりなのだ...

「それはないでしょう」と思ったのは、マーカスのママが自殺をはかるところ。どういう事情があったかは知らないけれど、シングルママが自殺をはかるのは稀なんじゃないかと思う。(そんなことないのかな。統計的にはどうなんだろう。)彼女はマーカスのことを理解していたとはいえないけれど、親子関係はよかったんだし、普通の親なら子どものことを考えて踏みとどまるだろうと思うんだけれど... マーカスにしてみれば、たったひとりの親に捨てられたわけで、心の傷は相当なものになるはず。この映画では、彼は母親思いのしっかりした少年として描かれているけれど、このあたりの設定は現実感には乏しい。

ヒュー・グラントも年をとったなぁ、と思ったけど、年相応の役で、またこれからが楽しみ(^^)。

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スタバにお願い

私にとってコーヒーはゆったりとくつろぐ時のものであることが多い。
職場の休憩時間。食後の一杯。
外に出かけた時は、待ち合わせ時間のすきまなどにコーヒーショップを利用することもある。そんな時に悲しいのは、コーヒーが紙コップに入って出てくることだ。

放送大学の自動販売機のコーヒーが紙コップなのはいい。新幹線の中で提供されるコーヒーが紙コップなのも理解できる。でも、コーヒーショップに入ってちょっと本でも読んでいよう、という時には、できれば、温かいカップに入ったコーヒーを飲みたい。紙コップというのは、いかにもファーストフード的でゆったりした気分になれないし、唇に触れる紙の感触も好きじゃない。(あのプラスチックのフタのすきまから飲む、というスタイルも好きになれない。)

そんなことを感じていたところ、「スターバックスさん、おいしいコーヒーを使い捨て容器に入れないで!」  というキャンペーンがあったことを知った。キャンペーンが始まったのは7月で、すでにスターバックスからの回答も出ている

こちらは主に環境面からの訴えで、私が「紙コップがいやだ」と感じる最大の理由ではないけれど、確かに環境面から考えてもコーヒーショップの中で飲むコーヒーはリユースカップのほうがいい。

「店舗ではお客様からマグカップをお望みの場合は可能な限り容器をマグカップにて対応させていただいております」ということなので、今度スタバに行ったら、「マグカップに入れてください」って頼んでみようと思う。
おいしいコーヒーは気持ちよく飲みたい(^^)。

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ビデオ 「パパとマチルダ」 A Simple Twist of Fate

邦題からファミリー向けのほのぼのコメディというものを期待したのだけど、結構ドロドロした話だった。

マイケル(スティーブ・マーティン)は、妻の出産を心待ちにしていたが、直前に自分の子どもではないことが判明。離婚の後、世捨て人のような生活を送っていたが、ある日、自宅の前で行き倒れていた女性の子どもを養女として育てることにし、その子のおかげで彼の生活も明るいものとなっていく。その娘マチルダが聡明で美しい少女に成長した頃、なんと彼女の実の父親が現れて...

子どもの成長を描くあたりは、見ていて楽しいのだけど、そこにいくまでの話のトーンは暗く、(勝手に)期待していたようなものではないので、見るのをやめようかと思ってしまったほど。実の父親の主張も不愉快で、現代にはありえない話だよなぁ(これは1994年の作品)と思ったけど、職場のアメリカ人の同僚に話を聞いてみると、ありえないことでもないらしい。

(以下ネタバレ)

子どもの親権を争う、というのはよくあるテーマだが、長年、その子を可愛がって育ててきた養父がいるのを知りながら、金に物を言わせて親権を主張する、というのは信じられない。で、子どもの方が養父との生活を望んでいるにもかかわらず、実父のほうが裕福で子どもに十分な教育を保証してやれそうだから、と、そちらに親権を認めるーそんなことってあり?と職場の同僚に聞いてみたら、「よくある話よ」と言う。やっぱり血のつながりって大きな要素だし、と。

アメリカの法律制度をよく知らないけど、もし、判事が決定をくだしたら、それには従わないといけないらしい。現実には、「とりあえず3ヶ月、実父のもとで暮らして様子を見る」というようなことが行われたりするらしいから、子どもが養父と暮らすことを強く望んでいる場合は、結局はそれがかなうことになるのかな、とも思うけれど。

この映画で好きだったのは、マイケルがマチルダのために、熱気球を買ってきて、自分が飛ぶのを見せたり、彼女と一緒に飛ぶところ。いなくなったマチルダをさがしに熱気球を使うっていうのもすごかったな。(現実だったら笑い事ではすまないと思うけど(^^;)。)

あと、マチルダが泣く演技のためにメンソレを使うところ(^^)、とか、かな。

結局、悲劇的な結末にはならずにすむのだけど、判決(?)がどんでん返しになった理由というのもあまり気持ちのいいものじゃないし、親権をめぐるこんな争いがあちこちで起こっているとするなら、アメリカって悲しい国だな、と思う。

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働くママ vs 専業主婦

うちの保育園の休憩室ではいつもテレビがついていて、私の休憩時間が始まる10時にはよく「ドクター・フィル」というショーがやっている。なんらかの問題を抱えた家族が出演して、心理学者のフィル先生がいろいろコメントして、というような番組で、私はいつもはあまり見ないのだけど、先週の金曜日は、「保育園」とか「子どもの発達」なんていう単語が聞こえてきて、「何々?」と見入ってしまった。

テーマは「母親は外で働くべきか家にいるべきか」というもので、それぞれの立場を代表するふたりが前でドクター・フィルとともに討論し、聴衆もふたつのグループに分かれて意見を述べる、というスタイル。そもそも、働くママと専業主婦を対立させるような設定がいやだなぁ、と思ったけど、保育園で働く私としては興味のある内容なので番組を見ていた。

働くママの代表は小学校の先生をしている女性ソニヤで、ドクター・フィルは彼女に、「学校の先生をしていて、専業主婦の子どもとワーキングママの子どもとで、違いを感じることがありますか?」と尋ねた。彼女は答える。「違いはそこじゃありません。親に気をかけてもらっている子供か、そうでない子供か、ということです。」私もそう思う。母親が仕事を持っていても、子どもが親の愛情を十分に感じている場合もあるし、母親と四六時中一緒にいても、親にうとまれている、と感じている場合もありそうだ。

専業主婦を代表する女性リアは、「母親は家庭にいて子どもの世話をするべき」という考えの持ち主で、「汚らしい保育園に8時間も10時間も子どもを預けているワーキングママは恥を知るべき」なんていう意見には、「保育園って汚くないわよ」と思わず言いたくなる。今時の保育園は超清潔(異常なほど)だったりするのだ。どこでもそうだというわけではないかもしれないけど。

彼女とドクター・フィルが話しているのを聞いたソニヤは、「つまり、こういうことですか。女性の仕事は家庭で子どもの世話をすることだけで、外に出て社会に貢献することではないと?」それに対しリアは、「子どもの世話をするのは、社会に貢献することじゃなっていうの?」と反論。確かにそうだ。外に出てお金を稼ぐような仕事をすることだけが社会への貢献というわけじゃない。

その後、聴衆の意見を聞いたりした後で、ドクター・フィルがまとめる。
「結局、どちらの側も、同じことを願っているわけだ。子ども達が健康で幸せであるように、と。外で働くかどうかが問題なんじゃない。子ども達が、家庭で「自分は特別な存在なんだ」と感じられるようにしてあげること。母親がどんな選択をしたとしても、子ども達の気持ちを大切にして、彼らを邪魔者扱いすることがないようにしよう。」
...と、両者の主張を際立たせるような番組進行の後、結論はいたって中立的というか、まあ、双方納得いくような形に。これがディベートっていうものかな。

番組の内容をもう少し詳しく知りたい方はこちらへ。

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ビデオ「穴」 Holes

もうかなり前のことだが、娘の部屋に「穴」という本があり、図書館から何度も借りてきているようなので、「おもしろいの?」と聞くと、「うん」と言う。ビデオ屋さんでこの作品を見つけた時、同じ作品だという確証はなかったけれど、ビデオの解説を読んで、おもしろいかも、と思って借りてきた。で、結果、なかなか楽しい作品だった(^^)。そして、原作はやはり、娘の読んでいた本「穴」(ルイス・サッカー著) だった。原作がしっかりしているとやっぱり映画もおもしろい。

中学生(?)のスタンリー・イエルナッツ(Stanley Yelnats...左から読んでも右から読んでも同じ名前(^^))は先祖のおかしたミスのため、子孫代々の呪いをかけられている、と祖父から聞かされていて、自分には確かに不運なことが多い、と感じていた。盗みの疑いをかけられた彼は、無実であることを強く主張することもなく、矯正キャンプ行きとなる。そこは砂漠のど真ん中で、人格矯正のためだとして、炎天下で毎日大きな穴を掘ることが日課とされていた...

登場人物がみんなクセのあるキャラクターで、唐突にまったく違う話が始まったり、ストーリーも「ありえない」と言いたくなるような現実味のないものだったりするのだけど、それらが段々みごとにつながっていく。なるほど、そうだったのか、という感じ。主人公の男の子スタンリー(シア・ラブーフ)とゼロ(クレオ・トーマス)が友情を育んでいく様子もさわやかだし、砂漠の風景も、アメリカという国の広大さを感じさせる。

やっぱりハッピーエンドはいいな(^^)。

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映画「アマンドラ!希望の歌」

ある雑誌の映画評を読んで見に行きたいと思ったのだが、この間の「ぴあ」の記事の中に「おすすめのドキュメンタリー」のひとつとして紹介されていて、見に行くことにした。

南アフリカのアパルトヘイト政策への反対運動で歌われてきた歌に焦点をあてた映画で、「歌」の持つ力を感じさせられる。人間の声ってすごい。歌手ののびやかな声も、多くの人たちの力強い合唱も。私はこういう音楽が好きなので、聞いていて本当に気持ちがよかった。ドキュメンタリーは、ストーリー映画のような楽しみ方はできないので、こういう音楽が好きでない人にはあまり楽しめないと思うけど。

歌が闘いの思想を伝える手段となり、武器にもなった。
武器、と聞くと意外な感じがするかもしれないが、「トイトイ」という歌と踊りのパフォーマンスを大勢の人がやっている映像を見ると、それも納得できる。白人を怒らせるためには歌うこと...そういうやり方もあった。

リー・ハーシュ監督は、インタビュー で、「映画製作において、一番印象的だった出来事は?」という問いに、「大きな集会で3万人くらいの人が合唱している中へ入っていって、彼らの歌声に包まれた時」と答えているが、それは本当にゾクゾクしそうだ。また、「一番大変だったこと」は、「資金集め」で、投資を申し出る人が現れても、政治的なメッセージを薄めてくれ、とか、ミュージシャンを指定してきたり、ということがあって、そういうのは断ったそうだ。クリーンなお金を集めるのは大変だったらしい。

サントラがあるかな、と思ったが、映画館では売り切れていて、今朝、アマゾンで購入。「アマンドラ!」は「(人民に)力を!」という意味だそうで、「アマンドラ」というタイトルのCDは他にもあったけど、サントラは「在庫3点」となっていたのでぎりぎりセーフ(^^)。まあ、もし、好評だったら、また入荷されるだろうけれど。

いくつかの曲はこちらで試聴できるので、興味のある方はどうぞ。
でも、私の一番聞いてみたい曲はこの中にはないので、CDが届くのが楽しみ(^^)。


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「お返し」という慣習

うちの保育園のお掃除に来てくださっている日本人の方が何人かおられるのだが、そのうちのひとりの方(Yさん)の身内に不幸があったということで、私たちはいくばくかのお金を集めてお渡しした。ちょうど私が休暇に入る前日のことだったのだけど、先日、Yさんから、みなさんに、とひとりひとりにお返しをいただいた。

で、Yさんから、「Bさんには、みんなと一緒ではなく、特別にいただいたので特別にお返しをしたい」という相談を受けた。「アメリカにはお返しという習慣はないようだから、何もしなくてもいいと思いますよ。みんなと同じものでいいのではないですか。」と言ったのだけど、それではYさんの気持ちがおさまらないようで、「何を贈っていいかわからないので、カタログから選んでもらうような形にしたい」と言われ、私が仲立ちをすることになった。

Bさんに事情を話したのだが、案の定、「そんなことしなくていいのに」という反応。怒っているわけではないが、せっかく好意で贈ったものなのに、そんな形で返されることは嬉しくないようだ。「日本人の場合、感謝の意をそういうふうに表すものなので、わかってあげてください。気持ちよく受け取ってもらった方が、Yさんも嬉しいのだから。」と説明して受け取ってもらったけど、どちらにも少し気まずさが残ってしまった。

誰かが亡くなったら、お金を集めてお花を贈ったり、結婚する人や赤ちゃんが生まれる人にプレゼントを贈ったり、というのは、アメリカでもよくあることだけど、それに対していちいちお返しをする、ということはない。ひとりひとりにサンキューカードを渡す人は多いけれど。

以前、うちの保育園で働いていた人で、週末には日本人の子どもに英語を教える仕事をしていた人がいる。彼女は時々、生徒とその親を自宅に招いたりしていたのだけど、「私は日本人が好きだけど、家に来る度にプレゼントを持ってくる、というのはやめてほしいわ。初めての時に何か持ってくる、っていうのはまあいいとして、何度も来ているのにその度に何か持ってくるの。そんなことしないで、って言っているのに。」と、心底いやそうだった。

贈り物に関しては、それぞれの文化で違った慣習がありそうだ。相手の意向を尊重して、といっても、日本人の場合、「そんな、お返しなんていいですよ。」と言ったとしても、何もなければ「無礼なやつ」と思う人もいそうだから、むずかしい。雑誌だか新聞だかで、「嫁に”何もいらない”、と言ったらほんとに何も贈ってこなかった」なんて不満を言っているお姑さんの声を読んだことがある。アメリカ人はその点、たいていの場合、言葉を額面どおりに受け取っていいと思うので、日本人よりつきあいが楽かもしれない。

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