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残念

香田さんが亡くなられた。家族の方は悲しみでものが考えられない状況だろうと思いますが、世間を気遣ったコメントを出されているのが痛々しいです。

最初、香田さんに批判的な記事を書いてしまったので、私も後味が悪い。こんな状況でなかったなら、ただ好奇心の強い(私もそうだ)冒険好きの若者が、いろんな世界を見ようとした、というだけの話だったのだ。まわりの人がとめるのもきかず、危険地域に出かけたことを私は批判したのだけど。ちょっとした武勇談を語りたいがために無茶をする旅行者。まわりの人の善意ばかりをあてにして、礼儀を忘れた旅行者。ほんの数日の旅行でその国のことがわかったような気になってしまっている旅行者。そういう話に、確かにそれはひどい話だなぁ、と思い、私自身を含めて旅行者として気をつけるべきことがある、と思った。

今となっては、香田さんがどんな思いでイラクに行かれたのか訊くこともできない。
本当に残念です。

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本当に非難されるべきなのは

出かけて帰りの電車の中で、「香田さん惨殺」という新聞の文字。それが一面で、裏面に「処刑」というような文字が見え、えぇっとつらい気持ちになった。
家に帰ってネットで見てみると、「イラク中部バラドで米軍が発見、香田証生さんと身体的特徴が一致しているとされた遺体について、別人」だという見解が示されていて、なんとかまだ生きておられる可能性が高いと思われてちょっとほっとした。安心はできないけど、香田さんを拘束した人たちがもし彼を殺したとしたら、きっとそれを宣伝すると思うから。

旅人の自己責任」の記事を書いた後、また、サラさんのブログを見ていたら、「いちばん非難されるべきなのはテロリストですからね。彼には彼なりの理由があったんでしょうし、到底理解できない様なことだったとしても。」というコメントがあり、それはそうだなぁ、と思った。サラさんもそれに同意され、「なんだか彼の両親のところへ嫌がらせのメールや電話が殺到しているそうですが、それは全く的はずれですよね。」と書いておられる。これにも同感。

彼の行動が軽率であったとしても、だからといって、殺していいことにはならない。自分と違った価値観を持った人が、自分の価値観と異なる行動をとったから、あるいは、自分の文化を否定、冒涜するような行動をとったからといって、その人を殺していいことにはならない、と私は思う。文化人類学の講義で、「あらゆる社会に共通する単一の価値尺度(普遍的基準)というものは存在しない」とする、ボアズという人の文化相対主義の考え方が紹介されていたけれど、「自分とは違った価値観を持った者は殺してもいい」というような考え方をする文化があるとしたら、つらいなぁ、と思ってしまう。私は、その文化固有の考え方を尊重したいと思うけど、人間としてゆずれない最低限の普遍的価値というのはあるのではないかと思っている。ただ、直感的なものなので、どうしてそれが普遍的価値なのか、というのが理論的に説明できないのが歯がゆい。

非難されるべきはテロリスト。でも、そんなテロリストが存在するのもしかたない、と思わせるような行動をとっている国があることも事実。本当に非難されるべきなのは...?

(追記)この記事を書いてから、「自堕落な日記」の「遺体がそこにあるという事実」を読みました。「私たちが受け止めなければいけないのは香田さんの遺体では無い事で安堵するよりも、身元不明の遺体がそこに存在するという事実ではなかろうか?」という記事にはっとしました。まったくそのとおりです...

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旅人の自己責任

「イランという国で」の”「自己責任」って何だろう” で、現在イランで生活されているサラさんが、今回のイラク人質事件に関連して、自分の行動に責任を持たず、「なんとかなる」と考えて行動しているような旅行者が結構いる、という話を書いておられる。この記事のトラックバック先、「中東に降る雪@らくだの夢」の「なんちゃってジャーナリスト、サイクリングへゆく。」 では、この旅行者がバイトをしていたというイスラエルに住んでおられるらくださんが、現地の人が決して行かないような危険地域に「どうしても真実を見たい」と言って「気軽に」でかけていくバックパッカーに対し、「一週間やそこらの旅行でいったい真実がわかるのか」と書いておられる。イスラム圏やユダヤ教の国で暮らしておられる人たちの意見には、本当にそうだなぁと思わせられる。

一昨日だったか、「通販生活」が届いて、同誌前号の「イラク人質事件の自己責任論、是か非か。」という特集での読者の投票で、「自己責任を問われるべき」が53%、「自己責任を問われるのは間違い」が36%、「どちらともいえない」が11%、という結果を見て、「政府の責任より行動した個人の責任を問う人が多いのか」と思っていたところだった。人質となった高遠さん、郡山さん、今井さんの3人については、イラクに行く明確な目的があったと思われ、日本政府の「自衛隊派遣」という行動がはたして本当にイラクの人たちのためになっているのか、という状況の中で、彼らの自己責任云々という論調には、私は疑問を感じていたからだ。

しかし、今回人質になった香田さんについては、報道されていることからは、イラクに行く明確な目的があったとは思えない。事情をよく知っている人が止めるのもきかず、何故、今、イラクに行かなければいけなかったのか。無責任な行動、と非難されてもしかたない、と思える。

私も旅が好きだ。先日見た映画「モーターサイクルダイアリーズ」は、ろくにお金ももたず、南米をバイクで旅するふたりの若者が主人公で、ワクワクする話だった。彼らは旅の中で、いろいろな人に出会い、変わっていく。旅にはそんな力があり、人を信じ、自分の力を信じて「なんとかなる」という態度で旅をする冒険旅行、というのは魅力的だ。

でも、「今、イラクに旅行」はないだろう。自分の命は自分のもので好きにしていい、というものじゃないと思う。危険をおかしてまで行く意味があるのか。自分の行動が招くかもしれない結果について十分考えたのか。若さゆえの無鉄砲さ、というのは魅力的にうつることがあるけれど、まわりの人、事情をよく知る人の意見を聞く耳をもたないのでは旅をする資格はないのではないか。

今回のことで、一所懸命イラクの人たちを支援しようとしている高遠さんのような人たちが、また活動しにくくなるとしたらとても残念だ。通販生活の読者の意見にも「高遠さんがイラクへ行ったから救われた命、行かなくては救われなかった命が現に存在するのです。そのことの重みは彼女が人質になろうと軽くなるものでは決してない」というのがあり、そのとおりだなぁと思う。

通販生活の読者の投票結果について、今井さんと高遠さんは、「実際には家族は会見の冒頭で謝罪していたのだが、それがテレビではほとんど報道されなかった」ということを話しておられる。報道から知ることができることは限られている。自衛隊撤退を要求する家族の映像ばかりを流した報道が、自己責任論を形作ってきたところがある。だから、今回の事件に関しても、本当のところはまだわからない。ただ、今回、報道されていることが事実だとするなら、安易な気持ちで危険地域に旅行するのはやめてほしい、と思う。香田さんが無事に帰ってこられることはもちろん願っているけれど。

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ビデオ「ファーゴ」

ロンドンに住むメールフレンドと、しばらく前に、「最近どんな映画を見たか」という話をしていて、「”レディ・キラーズ”がおもしろかったわ。コーエン兄弟の作品の中では3番目に好きな作品ね。コーエン兄弟の作品って見たことある?」と訊くので、「以前、”ファーゴ”を見た時に、なんだかよくわからなかったから、その後、彼らの作品って見てないわ。”未来は今”はおもしろかったけど。」と返事すると、「あなたが”ファーゴ”を好きじゃないなんて、驚いたわ。私はコーエン兄弟の作品はみんな好きだけど、ファーゴはその中でもおもしろいと思うわ。彼らの作品の中で好きじゃないのは、”ディボース・ショウ”だけね。あれは、私にはすごくハリウッド的な感じがしたから。」と言う。

「おもしろい」という評判を聞いてビデオで「ファーゴ」を見たのはもうずいぶん前だ。なんだか話がよくつかめなくて、どうしてみんながそんなにおもしろいと言うのかピンとこなかった。でも、彼女がそんなふうに言うので、コーエン兄弟の作品を見てみよう、と思って、「オー、ブラザー!」を見てみたら、これが結構おもしろかった。ジョージ・クルーニーがあんな役のできる人だとは思わなかった。それで、「ファーゴ」をもう一度見てみよう、という気になったのだ。

で、見てみたら、確かになかなかおもしろい作品だった。金に困った中年男が偽装誘拐を企てるのだが、ひとつ歯車が狂いはじめると、どんどんおかしなことになっていって...という話で、おかしいような悲しいような話なのだ。主人公は、誘拐なんて悪いことを企てるものの、大悪人というのではなく、ただお金が必要なだけだったのだ。次々に殺人が起こることになるなどというのは、彼の意図したことではなかった...そういう小心者をウィリアム・H・メイシーが実にうまく演じていて、短絡的ですぐにカッとなる誘拐の実行犯スティーブ・ブシェミも見事に役にはまっていた。犯人を追う刑事フランシス・マクドーマンドも、バリバリの腕利き刑事、という感じじゃなく、のほほんとした雰囲気があってよかったし、本当によくできた作品だ。数年前に見た時、おもしろくない、と思ったのは何故だろう、と自分で思ってしまう(^^;)。多分、最初、いいかげんに見ていて、偽装誘拐ということがのみこめなかったか、殺人があまりに簡単に起こるのが私の好みじゃなかったのか...

「レディキラーズ」は予告編を見て、あんまり見る気がしないけど、「ディボース・ショウ」はちょっと見てみたい。一度、つまらないと思ったものも、見直してみると案外おもしろいことがあるものだ、ということがわかった(^^)。

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絵本 "Daddy's Lullaby" by Tony Bradman & Jason Cockcroft

教材室で本をさがしていて見つけたもの。

パパが夜遅く家に帰ってくる。迎えたのは飼い猫。みんなもう寝ている時間だ...と思ったら、赤ちゃんは目をさましていて、ごきげんもよくないようだ。パパは赤ちゃんをだっこして、家の中をまわる。おにいちゃんの部屋ではおにいちゃんが寝ているし、別の部屋ではママが寝ている。それでもまだ眠れない赤ちゃんのためにパパは子守唄を歌ってあげて...

とにかく絵がリアルで素敵。そして、パパの、愛情にあふれた赤ちゃんへの話しかけに、心がほんわかとした感じになる。

amazon.com の本紹介で本の中を見ると、6ヶ月から2歳向け、と書いてあるのだけど、確かに、うちのクラスの一歳児たちにも楽しめそうだ。もっとも、赤ちゃんやまだ小さなおにいちゃんがそれぞれひとりで別の部屋で寝ていたり、っていうのは、日本ではあんまりないことだから、日本の子ども達に読んだらどんな反応をするのか、ちょっと想像がつかないけど。

この保育園で働き始めた頃、アメリカにはいい絵本がないなぁ、と思ったものだけど、そんなことはない。読んだ後、あったかな気持ちになれるような絵本が結構ある。

Daddy's Lullaby (Bloomsbury Paperbacks)Daddy's Lullaby (Bloomsbury Paperbacks)
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映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」

若き日のチェ・ゲバラが友人とふたりでバイクで南米を旅した時の物語。それだけでワクワクするが、監督が「セントラル・ステーション」のウォルター・サレスということで期待していた。そして...想像以上だった(^^)。

ブエノスアイレスの自宅を、オンボロのバイクにたくさんの荷物を積んで出発していくエルネスト(ゲバラ)とアルベルト。笑いを誘う場面、バイクの転倒にヒヤッとさせられる場面、南米の雄大な風景、人々との出会い。旅の中で、ゲバラは様々なことを感じ、変わっていく。彼のまっすぐさ、純粋さが心にせまってくる。

私は1時40分からの回を見るつもりだったが、恵比寿ガーデンシネマのホームページによるとすごく混んでいるようだったので何時に行けばいいかを問い合わせると、その回なら2時間前なら大丈夫だろう、とのこと。2時間前に行って受け付け番号が138番。席は232席なので、2時間前なら余裕だけど、お昼を食べて12時50分にもどった時には売り切れていて、1時20分には4時台の回も売り切れていた。というわけで、恵比寿で見るつもりの人は、当分は早めに行ってチケットを買ったほうがよさそうです。それだけの思いをしても見るだけの価値は十分あります。

(以下ネタバレ)

圧巻はやはり、ゲバラが川を泳いで向こう岸のハンセン病患者の人たちのところへ行く場面だ。そんなことをして何になる...というような行動なのだけど、治療する側とされる側を厳然と隔てている川を渡らずにはいられなかった。

映画のパンフに監督のインタビューがあり、それによると、この映画は時系列に沿って撮影されたそうだ。そして、脚本どおり、というわけでなく、自分達が旅する中で感じたことを映画に取り入れていった。そして、撮影の旅が終わった時点で、自分たち自身も変わったと言う。

旅に出て、誰もがこんなふうに変わるわけではないだろう。ゲバラという人が鋭い感受性を持っていて、現実をしっかり見つめることのできる人だったし、自分に正直に生きようとする人だったから、旅がこんなにも彼を変えたのだろう。でも、大学を出て、就職をして、と、一直線の人生を歩むのではなく、こんなふうに旅に出ることができれば、何か得る機会はあるのかもしれない。人生のまわり道もいいものだ。

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一歳児のつっこみ

もうすぐ2歳になる男の子Rは湿疹がひどく、保育園でも、毎日2回、ケア用のクリームをつけることになっている。お昼寝の後、私は、クリームをつけながら、Rと話をしていた。もうひとりの保母さんは、お昼寝で乱れた女の子Aの髪をきちんと直してあげていたので、
"Look. A is pretty. Everybody is pretty here."
(ほら、Aはきれいになったね。ここにいる子(人)はみんなきれいだね。)
と言うと、Rが、
"How about you?" (そういう自分はどうなの?)
と返してきた!

あまりに鋭い一歳児のつっこみに、私とその保母さんは大笑いしたのでした。

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ハロウィーンは悪魔の祭り?

「米軍基地の保育園に勤めている」というと、「ハロウィーンとかクリスマスとかをお祝いするんでしょう」と言われることがあるが、実はそんなことはない。いろいろな考えの人がいるので、とりわけ宗教的な行事については慎重だ。一切禁止という時もあったが、上層部が変わって、今では、クラスの親すべての了解をとったうえでなら行なってもいいことになっている。

jack-o.JPGというわけで、写真にあるような「ジャックオーランタン」の飾りを作るにあたっては、一応クラス全員の保護者に了解をとった。その後、保育園のほうから、行事調査のアンケートが出された。設問は、1)家庭でどんな行事を祝いますか。2)どんなふうに祝いますか。3)自分の家庭で祝わない行事を保育園で行なうことについてどう思いますか。というものだ。

その回答を見て驚いたのは、3)に「ハロウィーン以外のものならオーケー」と書いていた親がいたことで、「あれ? 確か了解をとったはずだったよなぁ」と思って、今日、「私、ジャックオーランタンを作ってもかまわないかどうか訊きませんでしたっけ?」と尋ねた。彼女は、それを作るのは別にかまわないんだけど、ハロウィーンは祝いたくないのだと言う。彼女はうちの保育園の保母さんで、普通の保護者よりは突っ込んだ話もしやすいので、「どうして?」と訊いてみると、「私達はクリスチャンだから」と言う。「ハロウィーンはキリスト教の行事なのかと思っていたわ」と言うと、「クリスチャンは本当はハロウィーンを祝うべきじゃないわ。あれは悪魔の祝いだから。」彼女の家庭では、収穫の祝いはするし、教会で行事があれば行く。そこで子ども達にキャンディが配られるならそれはいいけど、家庭をまわってお菓子をもらう「トリックオアトリート」はしない、と言っていた。

うちの子ども達が小さい頃、私は子連れで基地に英語を習いに行っていた。私の最初の先生は敬虔なカトリック教徒だったけど、ハロウィーンに招待してくれた。うちの子ども達もちょっとした仮装をして、彼女の子ども達と一緒に家庭をまわって歩き、各家庭のハロウィーンの飾り付けを楽しみながら、キャンディをいっぱいもらったものだ。

ネットで調べてみると、「万聖節の前夜祭。古代ケルトが起源で、秋の収穫を祝い悪霊を追い出す祭り」なんて書いてあったりするから、もともとは悪霊を追い払う祭りで、悪魔の祭りではないのだろうけど、今ではそんな感じになっているところもあるのかな。確かに、今までも保護者と話していて、「ハロウィーンではどんな格好をするの?」などと訊くと、「うちではハロウィーンはやらないのよ」という人も結構いた。

個人的には、仮装をして、夜、出かけて、お菓子をもらえる、なんて子どもにとっては素敵な行事だと思うけど(^^)。まあ、今は、アメリカでは、毒物混入とかハロウィーンの夜の銃による事件など、安全面の心配がとりざたされているし、こういう行事を楽しむには、なんといっても地域社会が落ち着いていてつながりがあることが必要なんだろうと思う。どんな宗教も寛容に受け入れてきた日本で育った私としては、宗教的な意味をあまり考えず、地域でこんな行事が楽しめたらいいのにな、と思ったりする。

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ビデオ「ラブ・アクチュアリー」

ヒューグラントが出ているラブコメ、ということくらいしか知らなかったのだけど、好きな作品だった(^^)。クリスマスの時期にでもまた見てみたいなぁ、と思う。

舞台はイギリス(が中心)。様々な職業、立場にある19人の恋愛模様を描いている。ひとつひとつの話は現実にはありえないかな、というようなことだったりするけど、クリスマスのおとぎ話というのもいいものだ。

(以下ネタバレ)

私が一番好きだったのは、フランスの田舎で執筆をしている作家がお手伝いの女性と恋におちる話。彼女はフランス語も英語も話せず、言葉ではろくにコミュニケーションがとれないのに、おたがいに惹かれる。夏が終わり、作家はイギリスにもどるが、彼女のことが忘れられず、彼女の話すポルトガル語の勉強を始める。クリスマスの日、フランスに飛び、彼女にポルトガル語で結婚の申し込みをした時、彼女は英語で答える(^^)...

印象に残ったのは、夫がこっそり買った高価なプレゼントが自分のためのものでなかった、と知った時の妻の驚きと悲しみと...でも、これもそんなドロドロした話にならず、彼女の率直な対応の仕方は私は好きだった。

秘書に恋してしまったイギリス首相は、彼女を別のポジションに移動させるが、クリスマスに彼女からのカードが届いて、いてもたってもいられず、彼女の家を訪ねて歩く。

親友の彼女に恋してしまった男は、クリスマス・キャロルを歌いに来た人のふりをして、彼女に気持ちをうちあける。(ロンドンに住むメールフレンドに聞いてみたところ、キャロルシンガーなんてない、と言っていたけど。)

うまくいく恋ばかりではない。入社以来ずっと想いを寄せてきた男性が実は自分のことを好きだったのだと知り、いよいよベッドインとなった時、病気の弟からの電話を無下にすることができず、弟のもとへかけつけた女性...

たくさんのエピソードがつめこまれて、ごちゃごちゃしそうなんだけど、意外にすっきりと話がおちてくる。いろんな人がいろんな恋をしている、こんな恋があるといいな、というような「きれいごと」の話なので、そういうのが嫌いな人はいるかもしれないけど、私には、見た後、なんとなくさわやかな気分になれる話だった。

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映画「シャーク・テイル」

予告編を見た時に、見てみたいなぁ、と思った。海の中の世界を描いたアニメーションなのだけど、主役の魚オスカーがその声優であるウィル・スミスにそっくりなのだ。声優は他にもロバート・デニーロ、ジャック・ブラック、レニー・ゼルウィガー、アンジェリーナ・ジョリー...と豪華。そしてそれぞれが演じる魚達の顔がやはりそれぞれに似ていて楽しい。

ドリームワークスの画面が出て、それにつながるように話が始まり、なかなか素敵な始まり方だった。「ファインディング・ニモ」をDVDで見た時、映画館で見たらもっと楽しめたかもしれないな、と思ったのは、グレートバリアリーフの映像がとてもきれいだったから。この作品はそれとはまた違って、もっと擬人化されている。魚達の住むところが人間の住むような場所だったり、そこから見える景色もビルの立ち並ぶ美しい夜景だったり。でも、もちろん、水の中にいることを楽しめるような感じの場面もあるし、映像はきれいで気持ちいい。

ストーリーは、うだつのあがらないサラリーマン(?)だったオスカーが、ふとしたことから「サメ殺しのオスカー」として人気者になり、きれいな家に住み、美しい女性からも慕われるようになっていくのだが...というもの。子どもだまし的なところとか、なんというか教訓めいた感じのところもあるのだけど、作品を見ながら、いっぱい笑って、ドキドキして、90分楽しめた。もし続編が出るなら見たいと思う。

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視力回復に効果あり?

上の娘が、学校の視力検査で、「眼科を受診してください」というようなお知らせをもらってきたのは、彼女がまだ小学校低学年の頃だったと思う。仮性近視ということだったが、驚いて眼科を受診し、言われるままに目薬をまじめに使った。なるべく遠くを見るのがいい、ということで、ベランダから遠くを見るようにしたり、などもしたけれど、視力の改善は見られず、医療費もばかにならなかった。そのうち、「眼鏡を作ったら」とすすめられたが、彼女は日常生活に不便はなさそうだったし、眼鏡をかけるとかえって度がすすむ、などと聞いたこともあって眼鏡を作る気にはなれなかった。目薬はお金がかかるばかりで役にたっているとは思えなかったので、そのうちお医者さんに通うのはやめてしまい、視力回復のための本を読んでみたり、視力回復マシーンというようなものを購入した(まだ家にあります。エコーアイトレマシン 。購入希望の方はご連絡ください(^^;))が、単調な訓練というのはおもしろくないもので、子どもが続けるのはむずかしい(大人でもそうだと思うけど)。

「ブルーベリーが目にいい」ということを聞いて、生協で売っていたサプリメントを購入したのは2、3年前のことだろうか。しかし、三角形の錠剤を複数個のまなくてはならず、とてものみにくかった。で、たまたま、新聞広告かなにかで見たのが「ブルーベリーアイ」だった。とりあえず1袋購入してみると、これはのみやすかったので、ものは試しで続けてみようと思った。その当時には、下の娘もすでに「眼科受診のおすすめ」をもらってきていて、パソコンなどで目が疲れることのある私も一緒に3人でのみはじめた。

きいているのかいないのか、という感じだったけど、なんと、次の学校の視力検査でふたりともAをもらってきてびっくり。他には特に目にいいことをしていなかったので、これはブルーベリーアイのおかげかな、と思い、のみ続けて現在にいたっている。まあ、私や下の娘はいいかげんな性格(^^;)なので、きちんとのみ続けていなかったりするし、まじめにのんでいる上の娘も、最近さらにパソコンの使用時間などが増えたりで、Aを維持しているわけではないが、のまないよりはいいのかな、と思っている。私も目が疲れたりすると、あ、そういえば、最近のんでないや...とのみ始めたり、という具合だ。

私達に効果があったからといって、誰にでも効果のあるものではないとは思うけれど、友人と話していて、視力のことや「目が疲れる」という話がでた時には「試してみたら?」とすすめている。このたび、私がいつも注文している「ブルーベリーアイファミリータイプ」が楽天ショップでも買えるようになったのをきっかけに、アフィリエイトに挑戦してみることにした(^^)。サイトの左側一番下、「おきにいりショップ」のところにリンクをはったので、興味のある方はのぞいてみてください。

追記:エコーアイトレマシンは買ってくださる方がありましたので、現在はもう手元にありません。その方には成果がでているといいのですが(^^)。 2005.3.27

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子にかすがい?

我が家には「□いアタマを○くする」の日めくりカレンダーがある。
今日の問題は、空欄に適切な言葉を入れてことわざを完成させよ、というものだった。
問題のひとつが、"(   )にかすがい。"
これを見た中1の娘が、「子にかすがい?」と言う。
「子はかすがい」という言い方を聞いたことがあるからなのだろうけど、「子にかすがい」は危ない(^^;)。

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たかが雨、されど雨

Cos さんのサイトの今日の記事は「雨、雨、雨」。今年の10月はとても雨が多い、という話だ。

「多くの学校で、このあたりに運動会や体育祭を予定していたと思われるけれど、みんなどうなったかなぁ」と書いておられたが、うちの娘達の中学校の運動会も次の日曜に予定されている。クラス対抗の競技があるので、各クラスで朝練が毎日予定されているのに、雨なので中止、中止。雨が降ってないから、と行ってみても、グランド状態が悪くて練習できない、とか、練習があるのかないのかわからないから、と来ない人も多くて練習にならないとか。

今週、全体の予行練習が予定されていたのに、雨で中止、中止で、昨日、ふたりが「明日は予行できるかなぁ」と話していた。全生徒によるマスゲームがあるのだけど、一度も運動場で全校でやったことがなかったそうだ。今日、小雨の降る寒いなか、ようやく全校練習ができたそうだけど、一年の妹が「中心で三年の女子がやってること、しょぼくない?」とか言っていて、三年の姉は「そうそう、しょぼいしょぼい」などと答えていて、いったい本番はどんなものになるのやら。

三年はクラス全員で大ムカデを作ってムカデ競走をするらしいけど、本当は100メートル競走なのに、体育館では全員でムカデを作ると、せいぜい10メートルしか走れず、練習にならないらしい。ほとんどのものはぶっつけ本番!?

私にとっても、特に先週の雨はきつかった。先週は、新しい子どがひとりクラスに入ってきたのだけど、新しい子、というのは普通はやはり泣くものなのだ。でもって、その前の金曜日にクラスのふたりの保母さんがやめたため、私以外は新しい保母さん。一歳児は人見知りをする子も多く、子ども達は新しい雰囲気になんとなく落ち着かず、新しい子が泣き止まないと泣き声が伝染し...そんな時でも、外に出れば気分が変わることがあるのだけど、月曜は無情の雨。そして火曜も雨。水曜、木曜と外に出られてほっとしたものの、金曜がまた雨で、「ウソでしょー」と言いたくなってしまった。

雨が降らないのも困るけど、勝手な保母の言い分としては、雨続きなのはつらい。
明日は晴れるそうなので、思いっきり外で遊びたいなぁ(^^)。

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放送大学「心理臨床の世界」

もうずいぶん前だけど、たまたま sweet_smell さんの「河合先生の魅力」という記事を読んで、放送大学の「心理臨床の世界」という授業を取ってみようと思った。第一回目の講義を聞き終わって、なるほど、確かにおもしろい人だなぁ、と思う(^^)。sweet_smell さんも書いておられるが、放送大学の授業は、講義メモを見ながら緊張した面持ちでする先生も多いなか、メモなどをほとんど見ることもなく、滔滔と話される。話したいことがいっぱいあるんだなぁ、という感じだ。京都出身の私には先生の京都弁も耳に心地よい。

第一回目は「心理臨床の本質」ということで、要するに、臨床心理学は物理学などとは違って、こういう条件ならばこうなる、という絶対的な答えが出せない、ということ。生きている人間の悩みや苦しみに立ち会う、という実際的な課題から起こってきた学問なので、他の学問と違って、客観性よりも、それに関わる心理臨床家とクライエントとの人間関係が大きな意味をもつ。その関係如何で、結果が変わってくるものなのだ。というわけで、心理臨床家をめざすのであれば、自分がどういう人間なのか、とか、自分の価値観とかをしっかり見つめなければいけない...

確かに、話をしたくなる相手とそうでない相手がいるだろうな。相手に話をしてもらうような人間になるためには訓練が必要そうだ...というわけで、私には無理だなぁ(^^;)。身近な人ならともかく、広くいろんな人の悩みに関わるほどの度量はもてそうにない。でも、河合先生の言っておられることは、なるほどそうだよなぁ、とうなずけることが多く、テキストをパラパラと見ると、他の人の講義内容も結構おもしろそうな授業ではあるので期待しよう(^^)。

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放送大学「文化人類学」

放送大学後期の授業が10月から始まった。
後期に登録しているのは、放送授業が「文化人類学」と「心理臨床の世界」。あと、面接授業で「社会調査実習」を登録している。放送授業はふたつとも水曜日の午前中にあるので、同じビデオに録画することになる。放送授業のビデオより、ついつい映画のビデオを見てしまう私は、昨日ようやく「文化人類学」の1回分の放送およびテキストを読み終えた。

まず、文化人類学とはどういう学問か、なんのためにこういう学問をするのか、というような問題のたて方がされるわけだけど、結局「おもしろいから」なんだろうなぁ。学問は社会の役にたたないといけないように思われているところがあって、みんないろんな理由をつけるけど、ほとんどの学問はきっとおもしろいから探求されてきたのだろう。自分の属している社会と違う文化を知るのはおもしろい。

以下、私のための覚書。

他文化への興味が高まったのは、コロンブスによるアメリカ大陸の「発見」、マゼランによる世界就航など、ヨーロッパの人たちが世界へ航海を始めた時期に遡る。異文化との出会いが、ヨーロッパ人の「人間とは何か」という問いへの関心をかきたてた。しかし、ヨーロッパ人は自分達を「人間」の基準とし、自分達こそが最も優れた文明を持つものだと考えた。そして、文化人類学は、そうしたヨーロッパ中心主義的文化観、文明観を批判し、自己相対化をうながす「批判知」の学問として発展をとげてきた。

19世紀に学問として認められるようになったが、当時は、人類の文化は、蒙昧から野蛮へ、そして文明へ、と進化していく、というような単系文化進化説が主流だった。これらの学者達は、自分で現地に赴くことなく、探検家などから得た資料を整理するだけだったが、やがて、「あらゆる社会に共通する単一の価値尺度というのは存在しない」と主張する文化相対主義の立場から研究を行う人たちが登場してくる。その人たちはフィールドワークを重視し、とりわけ、西洋文明との接触によって消滅の危機にさらされている先住民の文化を記録することを重要だと考えた。しかし、彼らは、そういう文化を支える生活基盤の保障を支援するよりも、いずれ消滅する文化だからそれらを記録しようと考えていた、という点で後に批判されるようになる。

その後も文化人類学は、研究の視点や対象を拡大していくが、構造人類学、象徴人類学、解釈人類学などについてはここでは省略。構造主義の人類学者として高名なレヴィ=ストロースは、ブラジルで先住民社会の研究をし、大きな業績を残したが、彼は、現前に展開している資源開発による環境破壊の中で生存の危機にさらされている南米の先住民問題そのものにはほとんど関心をしめさなかった。これに対し、先住民を単に研究の対象とするのではなく、彼らが維持したいと望んでいる文化を保護するために文化人類学は何をすべきかを考え、支援を続けている人類学者もいる。

この講座の主任講師である江渕一公先生は、文化人類学が、単に文明批評をする「批判知」に終わるのではなく、他文化の人々が遭遇している様々な困難な問題の解決にとって意味のある「実践知」を探求することが大切だ、と言われる。学問は人間の知的好奇心から出発するもので、社会の役にたつとかたたないとかは二の次だとは思うけれど、「研究」というより、他の文化を「理解」しようという立場にたてば、当然、その社会に住む人たちの役にたちたい、と思うようになるものだろう。私も「研究」というより、とにかく、他の文化を、まず知りたい、と思う。

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ゴールド免許への道は遠い

免許の更新に行ってきた。

通知が来た時、区分が一般となっていたけど、次回の免許の有効期間が5年となっていたので、今度はゴールド免許がもらえるのかな、と勝手に思い込んでいた(なんでも自分に都合よく考えるヤツ(^^;))。

でも、ゴールド免許をもらうには、5年と40日違反行為がない、ということでなければならないらしい。私は5年前の誕生日の5日後にシートベルト着用義務違反をしたため、ゴールド免許がもらえないのだ。2年前の法改正で、一般運転者の免許証の有効期間が5年になったそうで(知らなかった(^^;))、免許の更新に行く回数が減ったのはいいけど、今後5年間ゴールド免許がもらえない、というのも悲しい。有効期間が3年だったら、違反がなければ3年後にはゴールド免許がもらえたのに...。

ネットで調べてみると、同じようなことを感じる人はいるようで、自動二輪などの別の免許をとれば、ゴールド免許が取れるらしいけど、別に乗る予定もないのにそのためだけに取るっていうのもなぁ。でも、ほぼ10年近く無違反状態を続けないとゴールド免許がもらえないっていうのは、なんか不条理な気がする。ほぼ5年でもらえる人もいるわけだから。まあ、違反をした者が悪い、と言われればそれまでなんだけど(--;)...

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反抗期って必要?

金曜日のラジオで、最近の中学生に「反抗期」が見られなくなっている、という話題がとりあげられていた。

調査は今年二月、関東の中学一-三年生千三百五十五人を対象に行われた。家庭で過ごす時間について半数を超える中学生が「のびのびできる」「安心できる」「楽しい」と回答。「退屈」「イライラする」「孤独」など否定的な回答はどれも半数以下だった。  親との会話は「父親とよく話す」が26・7%、「母親とよく話す」が54・9%。「親は自分を理解している」と答えたのは70・6%で、「親とうまくいっている」は父親とが77・7%、母親とは87・4%を占めた。「今と同じ家庭に生まれ変わりたい」(46・6%)が「生まれ変わりたくない」(21%)を大きく上回り、親を肯定的にとらえ、円満な家庭に満足している姿が浮かぶ。

一見いいことのように思えるのだが、

調査をまとめた深谷昌志・東京成徳大学子ども学部教授は「一見、好ましい結果に見えるが、子供が親に依存し続けて精神的な自立が遅れている。社会全体でみると心配な結果だ」と指摘している。

んだそうだ。

自分の中学時代を考えてみると、親に対する反発はいつも感じていた。中学生になる前から感じていたし、そして、今もゼロではない。さすがに今は、中学生の頃のように正面きって反抗したりすることはないけれど、親と考えが相容れない部分がなくなったわけではない。親と仲のよい友達を見るのは羨ましかった。

だから、自分の子どもとはよい関係を築きたい、と思ってきたし、まあそれなりにいい関係かな、と思っている。でも、反抗期って必要なものなんだろうか。

ネットで調べてみると、ある中学校のサイト内に「相談室便り」というページがあって、ちょっと考えさせられた。親の言うことをよく聞く素直な子は、その子なりの価値観を獲得していない場合が考えられるという。子どもの反抗がないのは、親の子育てが正しかったからではなく、次のようなことが当てはまらないか見直してみたほうがいいそうだ。

① 親が強すぎる権力を見せつけていた。 ② 親が子どもの反抗を許さないほどの恐怖(暴力も含めて)を与えていた。 ③ 親が子どもの反抗が起きないよう、最初から手回し良く振る舞っていた。 ④ 親が子供の要求に媚びて、大人としての立場を放棄したり、友だちのような関係になっていた。 ⑤ 親が理知的に振る舞い、理論的に反抗できないよう理論武装していた。
うーん...うちの場合は、1があてはまるかも。私は暴君だし(^^;)...

子ども達は全然口答えをしないわけじゃないけど、中学時代の私と母のような関係ではない。私が自分の価値観を子どもに押し付けている部分はあると思うけれど、何が正しいとか正しくないとか、基本的な価値観は子どもと共有したい。基本的ではない部分、たとえば服装の好みとか、そんなことはどうでもよくて、「なんでそんな暗い色ばっかり着たがるのよ」とか思うことはあっても、まあ人の好みは尊重しよう、と思うから、そのことについて私の好みを押し付けようとは思わない。これって親が子どもの要求に媚びて、ものわかりのよい親を演じている?...そんなことないよなぁ。

反抗期が大切だ、と言われても、なかなかそんな状態を作り出したくはないものだから、結局どうしたらいいかわからない(^^;)。

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トラックバック!?

Ynot のグリーティングカードを愛用している中1の娘のお気に入りに、Ynot のアーティストひららさんのサイト「ひららこーぼー」がある。その中にあるブログ「オキラクウサギ」の10月9日の日記「トラックバック」のアニメが可愛いです(^^)。 絵の描ける人って羨ましい!

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勤勉の国民性

ベトナム在住おとめさんのブログ「さいごん暮らし」で、「欠勤の理由」という記事があり、ベトナム人が休む理由が、日本ではちょっと考えられない、という例があげられていた。

「今、▲▲▲(どこかとても遠い所)にいて帰れない。」 (遠い所に遊びに行っても、働く気があるならその時間までに普通は帰ってくるんじゃないの?) 「従姉妹が盲腸で手術するから休む。」 (いまどき盲腸くらいで、それも姉妹ではなく従姉妹が手術するくらいで、それも他の家族で付き添える人がいるのに、なんで休むんだろう?)
うちの職場でも、突然の病欠 (call in sick) が多く、「本当に病気なの?」と思ってしまうこともある。案の定、「○○は病気なんかじゃないわよ。私、どこそこで見たわ。元気だったわよ。」なんていう話を聞いたり、夜は大学に行っている人が「明日、レポート提出なのよ。まだ全然なの」と前日のランチタイムにぶあつい本と格闘していて次の日に休むと、「ああ、レポート作ってるのね」と思ったりする。もちろん、本当に病気だったり、子どもが病気、という場合もあるのだけど、「本当?」と思ってしまう人というのは、それがしょっちゅうだからだ。金曜になると具合が悪くなる人とか。そして、そういう人の場合、次に出勤してきた時に、「迷惑かけてごめんなさい」というようなコメントが聞かれることもまずない。

休むだけでなく、やめるのも簡単だ。アメリカでは、保育園で働くのに特別な資格は必要なく、うちの場合なら、高卒で英語ができればよい。そういうお手軽な仕事なので、何か気に入らないことがあるとさっさとやめてしまう。ひとつのクラスには基本的に3人の保育士がいるわけだが、先週、うちのクラスの保母さんがふたりそろってやめてしまったけど(そのうちひとりがやめた事情はどうしようもないものだったのだけど)、日本ではこんなことはまず考えられないだろう。

もちろん、アメリカ人にも仕事熱心な人がいるし、日本人でもやる気のない人はいる。それでも、こういう実態を見ていると、アメリカの雇用システムに問題はないのかなぁ、と思ったりする。「反社会学講座」 によると、

アメリカ労働統計局のデータによれば、アメリカ人は32歳までに平均8回転職します。2000年の統計では、現職の就業期間が1年以内である人の比率は(全年齢で)26.8%。同時期の日本の労働力調査では、過去1年以内に転職した人の割合は約5%。日本人に比べればアメリカ人はしょっちゅう転職していることがわかります。能力のある者はもっと条件の良い会社にどんどん移るし、能力のない者はじゃんじゃんクビにされるので、こういう結果になるのです。

 日本では同じ会社にずっといる人はベテランと呼ばれて信頼されます。しかしアメリカでは、長くひとつの職場に居続けるのは、可もなく不可もなくという人材ばかりですので、アメリカ企業との取引の際は注意してください。むこうの担当者をベテランだと思って安心してまかせていると、だいたい見事にポカをやらかしてくれます。かといって切れ者にまかせていると、「給料のいい会社に転職することにしたから、バーイ」とやりかけの仕事をほったらかして突然辞めてしまいます。海外との折衝に必要なのは、英語力より忍耐力と諦念です。

などと書かれている。ある仕事が気に入ってそこで長年がんばっていても、「あの人は他に能力がないからずっとそこにいるんだ」という評価だとすれば、一箇所にとどまっていよう、という気にならないのかもしれない。まあ、私の場合、今の仕事が気に入っているので、評価がどうだとしても、この仕事を続けたいと思っているけれど。

日本では転職の回数が多いとマイナス評価になる。しかし、昨日も書いたように、フリーター的な生き方がある程度認められてもいいと思う。とはいえ、「ベテラン」が評価されることもやはり必要だろうな、と思う。

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フリーターって

以前にも少しここで書いたことがあるけれど、David Bull さんというカナダ人の木版画家がいる。彼がお客さんに送っている季刊のニュースレターに「ハリファックスから羽村へ」というコーナーがあって、イギリスのハリファックスで生まれた彼が、どういういきさつでカナダへ渡り、日本に来ることになったのか、という彼の半生を綴ったものだ。彼は日本に来てもう18年になり、木版画家として楽しく仕事をしている。しかしこの仕事にたどりつくまでには、紆余曲折があって、ストリートミュージシャンをしたり、音楽店で働いたり、と、全然関係ない仕事をしていた時代が長かった。今回のニュースレターで、10年間続いたこのコーナーが完結したのだけど、その最後のコメントが興味深い。
 

ついに「ハリファックスから羽村へ」は完結しました。このシリーズを始めるにあたって申し上げたように、ほとんどの欧米の読者の方々はこんなふうに思われるでしょう。「だからどうしたっていうんだ?この男は、こっちをかじりあっちをかじり、ようやく何かにたどりついたっていうわけだ。そんなのみんなやってることじゃないか!」 でも、多くの日本の読者が育ってきた社会はそうではありません。私がやってきたようなやり方で「自分探し」のためにあれこれやってみる、という自由が若い人に十分与えられている、とはいえない社会だったのです。今、日本では、少しずつ、そんな自由がきくようになってきています。そして多くの人が、「今日の若者は方向性を失っている」と心配しています。
 みなさんはもうおわかりでしょうが、私は彼らのことをそれほど心配する必要はないと思っています。確かに、今、日本の社会システムがずいぶん大きく変わりつつあります。そして私は「すべてうまくいくよ」などと言うつもりはありません。しかし、だいたいにおいて、私はこのところの社会の変化はいいことだと思っています。かつては厳格な年功序列方式のため、かなり若い時期に自分の進路を決めなければならず、途中でそれを変えることもできませんでしたが、現代では、人生の違った場面で、進路を変更し、自分にあうものを探すことがもう少し柔軟にできるようになってきています。
 もし私がそんな柔軟な選択をすることができなかったなら、今頃どうしていたでしょうか...想像がつきません。このシリーズの中で見てきたように、私にはやってみたいと思ってみたものをなんでもやってみる自由が必要でした。「学歴」とか「資格」にこだわらずに私の技術と能力を額面どおりに受け入れてくれるような社会が必要でした。なかでも一番必要だったのは、失敗しても非難されたり咎められたりしなくてすむ、という自由でした。

デービッドさんが木版画家としてやってみよう、と決意したのは、(確か)30代になってからのことだ。もともと美術を専攻していたわけでもなく木版画家として成功する、という保証もなかったけれど、やってみたいことをやらずにはおれなかった。

ここ日本では、高校や大学を卒業すると、何か就職しなければならない、という気持ちにとらわれている人が多いだろう。でも、そんなに若くして、自分の本当に好きなことに出会える人は少ないのではないだろうか。自分が何をしたいのかすらわからない、ということだってありえないことではないけれど、特に男性の場合、いったん就職した会社に定年まで勤める、というケースが多かったのだろう。

ところが、このところ、フリーターとかニートと呼ばれる人たちが増えている、と言われている。本当に自分の積極的な意志で、フリーターとかニートであることを選択した人がどれくらいいるのかはわからないし、そういう生き方が承認されてきている、とはいえない状況だとは思うけれど、デービッドさんの言うとおり、そんなに悪いことじゃないかもしれないなぁ、と思う。

アメリカ人を見ていると、高校を卒業して、すぐに大学に行く、という人ばかりではなく、しばらく仕事をする、という人が結構いる。うちの保育園にも高校を卒業したばかりの男女が働きにきていたりする。そういう人たちの中には、夜、大学の授業をとっている人もいるし、ある程度お金がたまったら大学に行くんだ、と言っている人もいる。大学も4年で卒業する必要はない。そういう生き方は悪くないなぁ、と思う。もし、若い人たちがいろんな仕事を経験するチャンスに恵まれていれば、そうするなかで自分の好きなことに出会う可能性がありそうな気がする。高校を卒業したら大学、とか、正社員として就職、というのじゃなく、フリーター的な生き方を選ぶ人が増えてきたら、企業も若い人材を正社員よりは安い賃金でお試し的に使ってみることができるわけで、若い人にとっても企業にとってもいいことのような気がする...

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びっくり仰天

先週、友人の書いたニュースレター(英語)を読んでいて、おもしろいな、と思ったのが、"I was floored." という表現。知っている人ももちろんおられるでしょうが、「驚いた」という意味です。

floor を辞書でひくと、〈相手を〉床[地面]に打ち倒す、《驚き・ショックで》 卒倒させる, 仰天させる. という意味がある。
Google で、define:floor とひいてみると(グーグルの検索窓に define:単語 で、簡単な辞書として使える、ということを知った時は嬉しかった(^^))、床という意味のほかに、

surprise greatly; knock someone's socks off; "I was floored when I heard that I was promoted"

とあり、ものすごくびっくりさせる、という意味があることがわかる。

日本語でも、驚いた、びっくりした、のほかに、たとえば、仰天した、という言い方がある。仰天、というのは、驚いて天を仰ぐことだというが、驚いた時って天を仰ぐかなぁ。やっぱり(床に)うちのめされて天を仰ぐっていうことなのかしら。だとすると(ここが確かじゃないけど(^^;))、英語も日本語も同じような言い回しがあるわけだな。

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そんな日もある

今週はあわただしい週だった。

たいていの日本の保育園では、4月に入園すると、途中でお誕生日がきてもクラスが替わることはない、と思うのだが、うちの保育園では、基本的に誕生日がくると次のクラスに移ることになる。今週、来週、とふたりの子どもが2歳の誕生日を迎え、2歳児クラスへと移る。で、次のクラスに移るにあたって、この1年間の子どもの成長について保護者面談をもつ、というのが恒例になっていて、今週は面談が2件。それにともない、新しく別の子どもが入ってくるので、こちらの保護者へのオリエンテーションも2件。今週はそれだけでなく、なんと、うちのクラスのふたりの保母さんがやめてしまった(x_x)。

Gは、先週、突如、ご主人の転勤が決まって、今週の木曜日、やむなくアメリカへと出発していった。Cはもともと仕事を休みがちだったが、月曜の朝、「気分が悪い」と帰ってしまった後、金曜にようやく出勤してきたと思ったら、個人的な事情でやめるという。次の月曜には海外に発つそうだ。Gがやめることは先週わかったので、新たにJがうちのクラスに入ることになったが、Cについては昨日わかったばかりで、園長先生も対応に苦慮しておられた。

職場でそんなびっくりのあった昨日は、私たち家族にとって大切な人の誕生日で、仕事が終わった後、今はいないその人のお墓参りにでかけた。お墓はうちから車で1時間ほどのところにあり、今までそんな夕方にでかけたことはなかったが、昨日ならちょうどお誕生日に行けるし、早番で仕事は3時半に終わるから、それほど遅くならないうちに行けるだろう、と思っていた。ところが行ってみると、門が閉まっている。お墓は山の上にあり、管理事務所が山の中腹にあるが、今まで門の存在すら気づかず、まして5時に閉門だとは知らなかった。私の背の高さほどある門を乗り越えていけなくはなかったけれど、そこからめざすお墓のあるところまで徒歩だとちょっと距離があり、これから暗くなるなか墓地を歩く、というのもためらわれて、昨日はあきらめて帰ることにした。

帰る途中、下の娘が、先日折込広告の入っていたコミック喫茶に行きたい、と言うので寄ってみたが、「1万冊のコミック」って全然たいしたことないんだなぁ、と実感。私にはとくに読みたい本もなく(のだめの最新の話は読めたけど、10巻の終わりからそこまでの話はわからないし...(--;))、注文したカレーにはなんと輪ゴムが入ってるし(@_@)。

まあ、そんな日もある。

お墓へは今日もう一度出かけた。晴天の山の上は気持ちがいい。考えてみれば、昨日、もし、5時前にお墓に着いて、お参りをすませて車でもどってきた時に門が閉まっていたら悲劇だっただろう(^^;)。なら、昨日も最悪の日というわけじゃないな(^^)。お彼岸がすんだばかりで、お花の供えられているお墓も多く、いつも以上に花の香りが漂っていた。

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