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ビデオ「ニューオーリンズ・トライアル」Runaway Jury

おもしろかった。もともと法廷ものが好きなのだけど、ジョン・グリシャム原作ということで、やはりストーリーがおもしろい。予想のつかない展開で、主人公のニック(ジョン・キューザック)がいったい何者なのか土壇場までわからないのだ。

銃乱射事件で夫を殺された遺族が2年後銃器メーカーを訴える。銃器メーカー側は、やり手の陪審コンサルタント(ジーン・ハックマン)を雇い、陪審員の評決を操作しようとする。ところが、陪審員が選定されると、原告側の弁護士(ダスティン・ホフマン)と被告側の陪審コンサルタントのところに「陪審の票、売ります」という手紙が届く...

日本でも裁判員制度が導入されようとしているが、こういう映画を見ると、裁判員になるのも大変そうだなぁ、と思ってしまう。陪審コンサルタントなどが活躍するのは訴訟の国アメリカならではのことで、日本でここまでのことは起きないにしても、もし、この制度が定着してきたら、裁判に勝つためにはこれに近いようなことが起きないとも限らないなぁ、と思う。正義や善悪の判断について、職業裁判官にまかせず、一般の人が加わることは基本的にいいことだと思うけれど、簡単なことではなさそうだ。

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現代の民族紛争

放送大学の通信指導課題を提出し終わった。「心理臨床の世界」と「文化人類学」のふたつだけなので、そんなに大変ではない。木曜日が感謝祭でお休み、今年はその次の金曜も保育園がお休みとなって、4連休だった。この間にスペイン語ももっときちんとやるつもりだったが、結局できずじまい(^^;)。

「文化人類学」の最後の問題が「現代の民族紛争について述べた次の1~4の記述のうち、正しいものを一つ選びなさい」というもので、選択肢のひとつが「ある武力紛争は、紛争の過程で結果的に「民族紛争」の様相を呈することが多い。」となっていて、最初これを読んだ時、「??過程で結果って何?」と思ってしまった。でも、放送授業を聞いて、ああそういうことなのか、とわかった。

現在、世界のあちこちで武力紛争が行なわれている。それらは「民族紛争」と言われていることも多いが、はたして彼らが争っているのは「民族が違う」ということが根本原因なのか、ということなのだ。

この夏、「人種と民族」という面接授業を受けてから、「民族」という言葉に少し敏感になった。本多(スチュアート・ヘンリ)先生の書かれた「民族幻想論」という本を読み、民族というのは古来から連綿と続いてきているもののように思いがちだが、実は、歴史上、同じ「民族」が宗教の違いで分裂したり、植民地を統治する宗主国の都合でいくつかの「民族」が同じもの、として扱われることになったり、と、決して不変のものではない、ということを学んだ。

ただ、それはわかったものの、じゃあ、どうして各地で「民族紛争」が起きているのか、どうすれば人々は争わずにすむのか、ということはわからなかった。

人々が争っているのは、本当に民族が違うからなのか。政治、軍事組織のリーダーたちが、「民族」や「宗教」に基づいて人々を動員することで、結果的に「民族紛争」のように見えているだけで、本当の原因は別のところにあるのではないか。「ノーマンズ・ランド」という映画を見た時、戦争状態にあるボスニア軍とセルビア軍の兵士が同じ言語で会話をしているのを見て「え?」と思った。何のために争っているのか、当の兵士達にもわかっていないのではないのか...

民族固有の文化は尊重されるべきで、ある民族が別の民族を支配すべきではない。でも、「民族」というのが「絶対」のものではないのだから、「共存」は不可能ではない気がする...

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映画「Mr.インクレディブル」The Incredibles

公開されてまだ間もない(多分、1ヶ月くらい)のに、今日現在、インターネットムービーデータベースの投票で8.4 という評価(投票総数8,598 だからそれなりの数)を得ていてすごい人気。基地でも既に何度か上映されているにもかかわらず、先日はチケット売り切れで見られなかったほどで、これはきっとおもしろいに違いない、と思っていたのだけど。

かつてのスーパーヒーロー Mr.インクレディブルは、その驚異的な力がものを破壊したり、など、かえって街の迷惑になる、ということで訴えられ、力を使うことを禁じられてしまい、現在は普通のサラリーマンとしての人生を送っている。かつてはスーパーヒロインだったその妻、そしてやはり超人的能力を持つ子ども達も、その力を使わずに普通の生活を送るように(無理やり)努めている。Mr.インクレディブルは自分の力を持て余し、口に出さないながらも悶々とした日々を送っているが、ある日、「あなたの力が必要」と言われて、嬉々として新しい仕事にのりだす...

私があまり好きになれないのは、やはり「戦い」の話があまり好きじゃないからだろう。Mr.インクレディブルが戦う相手は、彼がそのような「悪役」となる理由があったわけだけど、そのことにはあまりふれられず、インクレディブル一家の超人的パワーの素晴らしさが強調され、悪者から逃れ悪者をやっつける、それを楽しむようなストーリーなのだ。自分の持っていない力への憧れ、というのはあるし、そういうのを映画で楽しむ気持ちはわからなくもないけど、たとえば、「ドラえもん」に出てくるのび太君は生まれながらの「ヒーロー」ではない。「Mr.インクレディブル」を見てると、強い者、特別な能力を持つ者への肯定を感じ、弱者への視点があまり感じられない。

もちろん、思わず笑ってしまうような楽しい場面もあるし、個人的には Mr.インクレディブルの上司とかスーツデザイナーがなんとなくイッセー尾形に似ていて可笑しかったり、「結局優しい心を持っている者が勝つのだ」みたいなことをにおわせる場面や家族愛を見せる場面もあるのだけど...

ネットでの評価はおおむね好評で、ブログなどの感想を見ていても「誰にでもおすすめできる作品」みたに書いてあったりする。やはり「優しくて力持ち」なキャラクターが悪をやっつけていく、というのは気持ちいいことなんだろうな。

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映画「ポーラー・エクスプレス」

クリスマスイブの夜、突然、庭に蒸気機関車が止まり、「さあ、乗りなさい。」と言われる。行先は北極。突拍子もない話に、乗るのを躊躇していた少年は、動き出した汽車を見て思わずそれに飛び乗った...というわけで、次々と信じられないような出来事が起こっていく。

原作の絵本を映画化したものだということで、とにかく映像が美しい。現実でないことはもちろんわかっているのだけど、どんどんお伽話の世界にひきこまれていく。映画ってこういう楽しみがあったんだなぁ、と思う。「ハリーポッター」や「ロードオブザリング」を私が楽しめなかったのは、ビデオで見たせいかもしれないなぁ、と思ったりする。

ストーリーの根底にあるのがクリスマススピリットで、私はどうもクリスマスが好きらしい(^^;)。ただ、サンタクロースって、厳格なクリスチャンにとっては歓迎されないものらしい、ということを最近知った。うちの保育園で、「もしクラスの家庭全部がクリスマスを祝うとしても、サンタクロースを教室の装飾などに使ってはいけない」と言われ、どうしてなんだろう、と思っていたのだが、この間行なった「祝日調査」で、「クリスマスが商業主義的に祝われるのは好きではない。クリスマスにはイエス様のことを思うべきであって、サンタクロースを含めるべきではない。」と書いている保護者がいた。

私を含めた多くの大人がサンタの話を好きなのは、夢のある話だからだろう。クリスマスに子どもの夢がかなう、というのは素敵な話だ。偽善は好きじゃない、という人がいるのもわかるけれど、クリスマスには、多くの人が優しい気持ちになっている気がする。

ネットでいくつかレビューを見てみると、わりとネガティブなものが多い。たとえばこれ。ここでは「Mr.インクレディブル」のほうが高く評価されているが、映像もストーリーも、私は「ポーラー・エクスプレス」のほうが好きだった。子ども達が主人公で、私が子どもを好きだからかもしれない。ただ、音楽はちょっともったいぶった感じのものが多用されている気がするけど。ジブリ作品や「バックトゥーザヒューチャー」が好きな人には楽しめる作品だと思う。

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掲示板

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誤配

今日は生協の配達日。仕事から帰ると、長女がちょうど図書館に出かけるところだったが、彼女に手伝ってもらって生協の荷物をかたづけた。生協の荷物は保冷箱などに入っているのだが、そこから袋に入っている荷物を出して私が玄関まで運び、長女が冷蔵庫に入れる。ところが、彼女が「冷凍室がいっぱいになってしまって入らない」と言う。生協のものは、肉でも魚でも冷凍のものが多いので、たまに冷凍室がぎゅうぎゅうになるのだけど、まあ、なんとか無理やり押し込める。

で、夕食を作る段になって冷凍室を開けてみると、どうも注文した覚えのないものが入っている。あれ、なんか間違えて注文しちゃったっけ、と思って納品書を見てみるが、そんなものは記入されていない。よく見てみると他にもいくつか私が注文したことのないものがあり、誤配だな、と気づいた。

ということは、これが届いてなくて困っているところがあるはず、と生協に電話を入れたが、まだそういう苦情は来ていないようす。でも、30分ほどして生協の人が来て、誤配されたものを引きあげていき、うちの冷凍室もすっきりした。

「そのままもらっとけばよかったのに」という次女に対し、「じゃまじゃん。電気代だってかかるし」という長女。私は、「しらす干し」だけは惜しかったなぁ、なんて思ったのだった(^^;)。(ちょうどきらしてしまった。)

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本「心理療法個人授業」by 河合隼雄 & 南伸坊

一日が26時間あったら…。:河合先生の魅力で紹介されていた本で、"イラストライター"の南伸坊さんが生徒、河合隼雄さんが先生。南さんがいろいろな心理療法についての疑問を河合先生にぶつけ、先生がそれに答えていく、という形で、大変読みやすくおもしろい本だった。南さんの描かれているイラストも、河合先生やご自身の似顔絵がとても似ていたり、と楽しいものだ。

心理療法個人授業
河合隼雄著・南伸坊著

とりわけ興味深かったのが、南さんの質問「ウツになったりハイになったり、というような症状も、脳内の化学物質の過不足やら働きが阻害されているのが原因で、それを補う薬もある、と聞いている。ところが、精神病で通院している知人の話を聞いていると、どうもハカバカしくない。薬物投与によって治す、ということと、カウンセリングで治すというのは、どういう関係になるんでしょうか」に対しての河合先生の答え。「薬物の場合は治すのではない。緩和するのだ。」ということ。

たとえば、腸チフスの人のチフス菌を殺す、これは一番はっきりした治療ですね。癌になった人の癌を切除する、これもはっきりした治療です。 ところが、妄想や不安、これは抑えているだけです。簡単に言うと、ちょっとやわらげる。イライラする脳の働きを、ぼやっとさせればイライラしない。それは緩和している。 イライラを治したわけじゃない。そこをみんな間違うわけです。根本的には治してない。それがわからない。 ただ、妄想の人にその薬をのましたら、妄想がなくなっていくことがわかっています。そのかわり、ひょっとしたら、その人は妄想がないために、すごく苦しんでいるかもわからない。 苦しみというのは、表現できるヤツは一番簡単でしょう。ぼくは苦しいとか、死ぬとか。表現できない苦しみというのがある。何も言わなければ、苦しいかどうかもわかりません。 妄想、ない。暴れない。じっとしておられる。よかったねと言うけれども、本人は実はものすごい苦しいのではないかとぼくは思っています。 ものすごく簡単に言ったら、暴れると言ったらものすごく重い石を持たしたらいい。その人は動かなくなります。薬というのは、これと似たようなもので、根本的解決になっていない。(p.157-158)

どうも、心理療法とかカウンセリングとか、あまり「科学的」なイメージがないのだけれど、でも、何か心の問題を抱えた人が問題を解決するのに役にたっている部分はあるようだ。

学者は「どうしてそういう症状がおこってくるのか」ということを研究する。身体器官には何も問題がないのに、目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったりする。フランスのシャルコーという人は催眠をかけるのがうまくて、なんでもない人にこうしたヒステリー症状を起こして見せ、心の問題からこういう身体機能の障害が起こるんだ、ということを示した。だが、彼はそれを治療する気はなかった。フロイトは医者だったので、治したい、と思った。当時の医者が、「ヒステリーは医学の病気ではない」と相手にしなかったところを、なんとかしようとした、そこがすごい。

というわけで、フロイトのこともちょっと知りたいな、と思う。

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遅刻!

今週の私の出勤時刻は6時半だというのに、昨日、目が覚めたのがなんと6時20分。いつもなら、もう保育園に着いているくらいの時刻だ。あわてて職場に電話を入れ、子ども達を起こして、あれとこれをして、と頼み、なんとか7時前には到着。ふだん、時間はきちんと守るほうなので、「え?じゃりんこが遅刻?」と驚かれるくらいで、とりたてておとがめもなく、1時間のランチタイムを30分にすることで有休も使わずにすんだ。このあたり、結構融通がきくのがありがたい。有休を使うどころか、都合で午後半休をとった同僚にかわって1時間残業のおまけつき。

目覚ましをセットしたはずなのだけど、止めた記憶が定かでない(^^;)。それで昨夜は子どもにスヌーズ機能つきの目覚ましを借りて、ふたつの目覚ましをセット。スヌーズ機能なんて必要かなぁ、と思っていたけど、役にたつこともありそうだ。

でも明日は目覚ましをセットしないですむ土曜日(^^)。

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国語、英語は不要科目か

まるで日記のように:「大学入試と国語と英語」で、「ぼくは、国語同様、英語(授業科目としての)も嫌いだが、それも同じく、「英語の教科書に載っている文章がクソつまらない」ということにつきる。」と書かれていたのを読んで、中3の娘が同じことを言っていたのを思い出した。

受験生だというのに、勉強よりも、本を読むか、絵を描くか、寝ているか、という状態の娘は、前期、英語の成績を落としてしまい、見かねた私が英語の勉強を見ることにした。文法と長文読解の薄い問題集を買ってきて、毎日、少しずつやろうとしたのだけど、とにかくやる気がない。「なんでやらないの?」と訊くと、「だって、読んでもおもしろくないんだもの」と言う。

彼女は本を読むのは好きで、学校の定期テストの前だというのに、図書館で本を借りてきて読んだりしている。そんな彼女にとって、英語長文の問題集に出てくるような話はどうでもいいことばかりで、読む気が起きない、というのもわからなくはない。中学生レベルの英語で、読んでおもしろい長文問題集を作る、というのは簡単ではないかもしれないけど、不可能ではないと思うので、どこかの出版社でやってくれないかなぁ、と思う。

私は、というと、小さい頃から、他の国への興味があり、だから英語を学びたい、と思っていた。そんな意欲満々の私も、もし、中学生の時、塾に行っていなければ、英語が嫌いになっていたかもしれない。中学の英語の先生は、教科書の丸暗記をすすめるばかりで、「それじゃあ、私の言いたいことが言えないじゃん」と思っていた。塾の先生は、文法をおさえた解説をきちんとしてくれたので、いちいち納得できて、私は好きだった。

高校では別の塾に行った。山口書店の薄い「英語長文読解」とかいう問題集を使っていたのだけど、これが、哲学書の一節をぬきだしたり、という感じのもので、なかなかおもしろかった。塾の生徒は10人で、文法だけじゃなく、書かれた内容について、先生と生徒でいろいろ話し合ったり、というのもおもしろかった。

「まるで日記のように」ののりよしさんは、「国語とか英語の授業で中途半端な(官僚が書くようなわけのわからない)文章を読んだり書いたりしているのだったら、他の科目と合体させて『国語』や『英語』という名前の科目をなくしてしまえばいいじゃん」と言われるのだけど、私はそこまでは思えない。

今の職場には、フィリピン人とかヒスパニックの人とか、母語が英語以外、という人が結構いるが、その人たちが「大学に行って英語を勉強したい」と言っているのを何度か聞いた。確かに、ふだん話しているぶんにはとりたてて問題がないのに、書くと文法がめちゃくちゃ、という人がいる。今後ステップアップしていくことをめざすなら、公の場で話したり、公の文書を書いたりするのに、きちんとした英語を身につけたい、というわけだろう。文法もそうだけど、理路整然とした文を書いたりすることはトレーニングできる、と思うし、それはやはり、国語や英語の授業でやることになるだろう。確かに、現行の教育内容や教育方法、大学の入試問題などについては検討を加えるべきところがあるのだろうとは思うけれど。

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本「不倫と南米」by 吉本ばなな

風邪で外出する気がしなかったお休みの日、スペイン語や南米関係のホームページを探していて、そこで紹介されていた本などをいくつかリストアップし、「図書館に行く」という娘に「この中から何か借りてきて」と頼んだところ、借りてきてくれたのがこれ。1回に10冊借りられるうち、今回、9冊は保育園用に紙芝居やら絵本を借りているので、1冊しか借りられなかったのだ。

アルゼンチンを舞台に、7人の日本人女性が一人称で語る短編を集めたもの。吉本ばななさんは自分でアルゼンチンに旅行し、そこで見た光景を旅行記にするかわりに小説にしてしまった、という感じだ。読んでいて、ああ、私にはこういう文は書けないなぁ、この人はやっぱり文学者なんだなぁ、と思う。

はじめて見たブエノスアイレスは、ヨーロッパの街並みに確かに似てはいた。しかし、そこに息づく濃厚な南米のムードは至るところから漂い出て、すべてを覆いつくしていた。壁の落書き、広告の激しい色彩、ごみの舞う舗道、見たこともない街路樹は激しく枝を伸ばし紫や赤の花をつけ、子供たちはどんな狭いところでも空間さえあればめったやたらにサッカーをしていた。空の青も、強烈だった。押さえても押さえてもにじみ出る南米の大地の力が街を行く人々の顔に刻み込まれていた。(p.11)

こういうのを読むと、行ってみたいなぁ、と思う。その空気を感じてみたい。
本の中にところどころアルゼンチンの写真がはさまれている。
街角の人々、日本とは違う墓地の風景、遺跡、滝....
空気が変わると自分も変わるのだろうか。結局は変わらないのだろうか。

今は小説をほとんど読まない私だけど、昔は好きだったなぁ、と思い出した。
「不倫」という言葉がタイトルに入っているが、どろどろした話はなくて、さらっと読める。
2週間の旅行でこんな小説を書いてしまう、というのはすごいなぁ、と思う。

4344404173不倫と南米―世界の旅〈3〉 (幻冬舎文庫)
吉本 ばなな
幻冬舎 2003-08

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代替医療の可能性

なんだかギョウギョウしいタイトルがついているけど、しばらく前の放送大学「文化人類学」の講義「病の人類学」で、「代替医療」という言葉が出てきて、よく知らなかった私はネットで調べてみた。で、代替医療とは、「現代西洋医学領域において、科学的未検証および臨床未応用の医学・医療体系の総称」ということで、具体的には、中国医学(中薬療法、鍼灸、指圧、気功)、インド医学、免疫療法(リンパ球療法など)、薬効食品・健康食品(抗酸化食品群、免疫賦活食品、各種予防・補助食品など)、ハーブ療法、アロマセラピー、ビタミン療法、食事療法、精神・心理療法、温泉療法、酸素療法、等々が含まれるんだそうだ。くわしくはこちら

放送大学のテキストでは、「健康」についての考え方の歴史的変遷について述べられていて、私達の望みや欲望の増大に伴って、病とされる状態が拡大する傾向が見られる、ということが書かれている。「科学的」医療の発達にともない、19世紀アメリカで、医師たちがカルテに記す言葉が、natural から normal に変容していったそうだ。

医者達は患者の顔色と自分の容態に関する患者自身の語りより、体温や脈拍など数値に注目するようになった傾向が見られた。つまり、「健康」であるということが、各人がその人固有の「自然な natural 」状態として把握されるのではなく、大多数の平均値から算出された「規範 norm 」に合致しているということにすぎなくなったわけである。

赤ちゃんが母乳を飲んだ後、いったいどのくらい飲んだのかを知るため、飲む前と飲んだ後、赤ちゃんの体重を量る。そして、赤ちゃんが機嫌よく元気であるにも関わらず、「この子、少ししか飲んでないわ。普通はこの月齢なら○○ccくらい飲むものなのよ。私の母乳の出が悪いのかしら」と心配し、ミルクを足す...実際には小食の赤ちゃんとか、1回には少しずつしか飲めない赤ちゃんがいるのだけど、標準と違う、ということで心配してしまう。

科学的であるということは、いつどこで誰に適用してもそれが真実である、ということで、西洋医学はひとつの基準を誰にでも適用しようとする傾向があるように思われる。ところが、生身の人間にはそれが通用しない場合があるのだ。民族、地域、その他様々な条件により、「健康」であることの基準も違ってくる場合もある。

The Depressionist's Blog : 私と漢方(0)序:私と漢方のかかわり によると、「西洋医学がお手上げもしくは見放した「過労による慢性疲労」に対し、漢方はいくつも解を持っていた」そうだ。主治医の先生は、The Depressionist さんの様子を見て、処方する薬を変えられるそうで、当然という気もするが、病院では、診察もなく「いつもの薬」をもらう、ということだってある。漢方では、「病気を見て」というよりも、「人を見て」治療する、ということだろうか。

放送大学の講義では、タイの民俗治療やマッサージなどが紹介され、人々がそれを頼りにしていることが話されていた。非科学的に見えるものが、実際には効くことだってあるし、非科学的なものが科学的に説明されていくこともある。火傷についての民間治療のように、かえって有害、といわれるものもあるし、西洋医学が人々の病を治すのに大きな役割をはたしてきたことは事実だけど、現代の西洋医学ではカバーしきれないことはまだまだ多く、代替医療に期待できることもありそうだ。

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スペイン語で自己紹介

福音館書店「こどものとも」の9月号が「わたしはせいか・ガブリエラ」(Me llamo Seika Gabriela) というもので、ボリビア人の父と日本人の母との間に生まれた5歳になる女の子せいかちゃんが、ボリビアと日本のことを対比しながら、日本語とスペイン語で語っている本。コミック「のだめカンタービレ」で、のだめがフランス語の勉強をフランス語に吹きかえられている日本のアニメでする、という場面がでてくるが、アニメ、コミック、絵本などは外国語の勉強をするのに結構助けになる。スペイン語の易しい絵本をさがしてみるのもいいかもしれない。

で、スペイン語の練習のために、私もちょっとスペイン語で自己紹介を。

Me llamo Jarinko.
Estoy estudiando español.
Estoy travajando en una guaradería infantil de una base aerea americano en Japón. Soy una profesora de guardería. Me gusta éste trabajo. Porque me gusta los niños y puedo saber otras culturas.

Tengo dos hijas. Ellas están en la escuela secundaria.
Una tiene 15 años y la otra tiene 12 años. Ellas son mi tesoros.

これだけ書くのに1時間近くかかり(^^;)、スペイン語が母国語の職場の同僚にチェックしてもらったところ、少し直された。スペイン語には英語のbe動詞にあたる言葉がふたつあるのだけど、その違いがいまひとつよくわかっていない。

内容はたいしたことを書いていませんが、興味のある方はこちらで翻訳を。

スペイン語から直接日本語に訳すことはできませんが、スペイン語から英語に訳して、それをさらに日本語に訳すことは可能です。英語に訳した時点で少し変になっていますが、それを日本語に訳すと更に変になる(^^;)。でも、だいたいの意味はわかります。

この翻訳サイトは友人に教えてもらったのだけど、ホームページまるごと英語とか日本語にしてくれるのでちょっと便利。韓国語のわけのわからないページも英語になるとちょっとわかる。まあ、さすがに完璧な訳は無理で、特に、英語を日本語に訳すと、かなり変になったりして、可笑しい(^^)。

スペイン語には ñ などの特殊文字があるので、私のパソコンで出力できるようにしようとしたのだけど、うまくいかない。ウェブ上では読めるので、ウェブ上でコピペをしているが、これが面倒(--;)。今度、もうひとつのパソコンで試してみるつもりだけど、うまくいくといいな...

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せっかくの平日のお休みなので、いろいろやろうと思っていたことがあるのだけど、咳がぬけきらないので一日おとなしく家にいた。咳止めの薬はよく効くが、対症療法でしかない。のまないとやはり咳がでるので、昨日の仕事中は薬をのんだが、夜はのまないようにしたら、今朝も咳き込んでしまった。結局、午前中に近所のお医者さんへ。ほんとうは風邪ごときで医者へ行ったり、薬をのんだりしないほうがいいんだろうなぁ。職場で同室のKは看護婦の資格を持っていて、「咳がひどくて薬をのんだ」という私の話を聞いて、「私だったら薬はのまないわ。水をたくさん飲むといいのよ。」と言っていた。でも、水だけで咳がおさまるとは思えないし...

ちいさい・おおきい・よわい・つよい」という雑誌がある。小児科医の毛利子来さんと山田真さんが編集代表で、子ども達が小さい頃、このおふたりの本にはずいぶんお世話になった。その頃から時々この雑誌を読んでいたが、数年前からこの雑誌のニューズレターを購読している。先日届いた号では、「医薬品添加物特集」が組まれていた。薬に添加されている保存料、甘味料、着色料などには催奇形性のあるものや、アレルギー反応を起こすものがあるそうだ。喘息発作を起こしている子どもに点滴をしたらよけいに症状が悪くなったので、原因を探したら添加されていた保存料の安息香酸塩が発作を激しくしていた、などの例があるらしい。添加物にそんなに神経質になりたくはないが、単に他の薬とまちがいにくいように色をつける、などの理由で本来は必要のないものを添加して、それがかえって悪影響を与えるものなら、添加するのはやめてほしいなぁ。

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咳止め

先週火曜から軍事演習のため、保育園の開園時間が朝5時半から夕方6時半まで、とふだん(朝6時半から夕方5時半)より長くなった。早番の私の出勤時刻は5時半だが、同室の保母さんの都合で遅番と交替したりしたので、先週の出勤時刻は、月曜から順に、6時半、9時半、5時半、9時半、5時半、と毎日変わり、そのせいか、さすがにちょっと体調をくずしたようで、土曜日は頭が重かった。でも、日曜朝には頭はすっきりしていたので、私もなかなかやるじゃん、と思っていたのだけど、咳だけはぬけなくて、だんだんひどくなってきた。

今日の日中もかなりゴホンゴホンとやっていて、これで子どもの世話をするのも顰蹙ものかな、という感じだったのだけど、夜になって一段とひどくなってきたので、さっき咳止めを買ってきた。ふだんあまり薬をのまないせいか、抜群のききめで、薬をのんでからコンコンというかわいらしい咳が数回出ただけだ。薬ってすごいものなんだなぁ。薬を買いに行く前に蜂蜜レモンを試したけど、こちらは咳には効き目がなかった。軍事演習は今日で終わり。あさってはアメリカの祝日でお休みだから、明日一日なんとかのりきりたい。

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放送大学面接授業「社会調査実習」

講師は浅川達人先生。社会調査実習といっても、たった2日間の授業で、実際に調査をしたりするわけじゃないんだろう、と思っていたのだが、ごく簡単なものではあるが、実際に調査を行い、それをどういうふうに分析するのか、というところまでこなすものだった。授業計画が綿密にたてられていて、しかも学生の反応をよく見て、学生が疲れてきているようだと思ったら、作業を入れる、休憩を入れるなどしてくださったので、私も昨日は風邪気味で頭がやや重かったのだが、だれることなく授業についていくことができた。

調査といっても、インタビューを必要とするようなものは、入門者が簡単にできるものではないので除外。私達が行なったのは非参与観察法といわれるもので、グループごとにテーマ、観察対象を決めて調査を行なう。調査を行なうにあたっては仮説をたて、約束事を決める。たとえば、私達のグループは、「コンビニでお弁当を買うのは男性のほうが女性より多いのではないか」と考え、コンビニでお弁当を買った人とそれ以外のものを買った人の人数を男女それぞれ調査することにした。その際、お弁当とはどういうものを含めるのか、たとえばサンドイッチやおにぎりはお弁当とするのか、などについてある程度細かい約束事を決め、私達グループ5人がそれぞれ自宅近くのコンビニで6時、7時台の10~15分調査を行なった。もちろん、これで結果を得るための十分な観察ができるわけではないが、調査の練習ができればいいわけだ。

で、私の場合、男性ではお弁当を買った人が4人、買わなかった人が9人、女性は買った人が1人、買わなかった人が3人で、男性のほうがやや買う人の割合が多い、という結果だったのだが、今朝、学習センターで他の人の結果を聞いてみると、誰もお弁当は買わなかった、というところもあったりして、5人の結果をあわせると男性ではお弁当を買ったのが45人、買わなかったのが30人、女性では買った人が29人、買わなかった人が16人、ということになり、お弁当を買った人の割合は男性では60%、女性では64%と、女性のほうがやや多い、という結果となった。私達の仮説は支持されず、どうしてそういう結果になったのか、ということを5人で考えて発表する。この一連の活動を通じて、仮説の書き方、方法論の検討、結果をまとめる、考察を行なう、などの調査の仕方をひととおり学ぶ。

調査できる時間が土曜夕方から日曜朝までに限られていていろいろ制約も多いなか、各グループ、なかなかユニークな調査を行なっていた。携帯電話を優先席でも使用しているのは男女どちらが多いか、とか、銀座と北千住ではデート中のカップルの女性がスカートをはいている率はどちらが高いか、など。調査結果にあまり意味はないが、学生が興味をもって取り組めるテーマを選ぶことができる。グループによっては、結果の分析の時、自分の意見がとおらないと帰ってしまった人がいる、というところもあったようで、グループ活動というのもなかなか簡単ではないものだ。

統計的調査のほかに、事例研究の例として、自分が75歳になったと仮定し、10代、20代、30代....60代以降、のどの年代が一番幸福であったか、ということを考えて、それぞれの年代を選んだ人とグループになり、幸福感を形成していた要因は何か、というのをまとめる、ということもやった。この方法の有用性はともかく、私はこういう設問はおもしろい、と思った。受講者は推定20代から60代くらいまでと幅広いが、0歳代を選んだ人はなく、10代が2人、20代が10人、30代が6人、40代が5人、50代が0人、60代以降が2人。(私が結果を書き写した時には挙手していなかった人もいたようで、その人たちは後でだいたい20代あたりを選んだようだ。)私が選んだ30代にはまだ30代に達していない人や、50代か60代かな、という方もおられて、それぞれの思いを聞くのはおもしろかった。とりあえず今日は30代を選んだものの、実際に75歳になって自分の人生を振り返った時に、もっと後の年代がよかった、と思えるような人生になっていたらいいな、と欲張りの私は思っている(^^)。

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男らしさ、女らしさ

放送大学面接授業「社会調査実習」。授業の感想はまた明日以降書こうと思うが、今日、調査のデータ収集のとっかかりとしてやってみたことで感じることがあったので、とりあえずそのことについて。

新聞の折り込み広告から男性あるいは女性の絵(写真)を切り取り、それらを大きな紙に、左側がより男性らしいもの、右へ行くに従って女性らしいもの、というふうに並べていく。それを4、5人のグループでやるのだ。ロングヘアでコート姿の女性、着物を着たおばあちゃん、エアロビクスをしているショートカットの女性、割烹着姿の女性...また背広姿の男性、板前さん(男性)、引越し作業着の男性、タンバリンを叩く男子高校生(?)、たぶん男の赤ちゃん...などなど。そのうちのどれがより女らしく、どれがより男らしいということになるのか。グループで話し合いながら並べていく。

私自身は、男らしいとか女らしいとかいうことを多分あまり意識したことはなく、うちの娘達にも「女の子らしくしなさい」なんて言ったことはない。たとえば、「男は仕事、女は家庭」というようなイメージは好きではないし、「男は強い者、女は弱い者」というふうに考えたくないと思っている。ただ、この作業をする時に、他の人と一緒にやった、ということもあるが、私自身、かなり伝統的なジェンダーイメージを持っているのだ、と思った。たとえばウェーブのかかったロングヘアの女性がやさしく微笑んでいる写真のほうが、ショートヘアで理知的な顔立ちの女性より女性らしいと感じる。でもたとえば、割烹着姿の「おふくろさん」という感じの女性と、素晴らしいプロポーションで美しいモデルのような女性と、どちらがより女性的か、と言われると私には決めるのはむずかしい。私達のグループは女ばかり5人だったが、その中でも、何をもって一番女性的とするか、という感じ方は同じではなかった。

他のグループはすべて男女混合グループで、それらの発表を聞いていておもしろかったのは、男性と女性で、女性らしさ、男性らしさに対する感じ方が違う、ということだ。たとえば、あるグループでは、男性陣は、水着姿で肌の見える状態の女性をより女性らしい、とし、一方、男性については、筋肉隆々の男性より、背広姿の男性をより男性らしい、と位置づけたがった、という。女性陣はその逆で、男性については筋肉など肉体的な特徴をより男性的と感じ、女性については、着衣の女性のほうに女性らしさを感じた、という。

これらについては、そもそも、個人の感じ方がまちまちなので、グループでなんとか順位を決めて並べることに意味がない、という考え方もあると思う。ただ、私自身はこの作業をすることで、自分自身の感じ方に気づいておもしろかったのだ。

子ども達に「女らしく」と求めたことはないし、伝統的な男女の役割を固定化することには気をつけなければいけないと思うけれど、男と女は同じではない。自分が女であってよかった、と思ったのは学生時代。もし男に生まれていたら、家事や雑事を女性におしつけて自分は楽をしようとする男性になっていただろう、と思ったから。そして、子どもを産み、母乳で育てることができて、これはとても楽しかった。私はオシャレなほうじゃないけど、それでも、いろんな服を着るのは楽しい。もっともこの点に関しては、今は、女性のほうが服装を選ぶ際にバリエーションが豊かだけれど、男性ももっと豊かになってもいいのかもしれないけど。

私はジェンダーフリーの考え方に基本的に賛成だと思うけど、多くの人が異性に惹かれることも事実だ。異性のどんな部分に男らしさ、女らしさを感じて惹かれるのかは人それぞれだとは思うけれど、神様が男と女を創ったのは(創ったのが神様じゃないとしても)、何か意味があったのだろう。

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女子中学生の悩みおきらく解決法

「うーん、コーヒーにするか、紅茶にするか...」中1の次女が、食後に何を飲むか悩んでいた。「じゃあ、あみだくじ、作ってあげようか?」と中3の長女。「うん、作って、作って。」

というわけで、作られたあみだくじがこちら
選択肢は、コーヒー、紅茶、抹茶、玄米茶、はずれの五つ。
しかし、それを決めるためだけにこんな凝ったあみだを作るかなぁ...と思ったけど、可愛いのでアップしてみました。おひまな方はごらんください。
不用紙の裏に描かれているので、裏(というか表)が写って見にくいですが、画像をクリックすると拡大して見られるので、何が描かれているかわかります。さささっとこんなものを作ってしまうのは一種の才能だと思うなぁ(親ばか(^^;))。

結局、次女は紅茶を飲むことになりました。

それにしても、次女、あみだなんかで何を飲むのか決めていいのか。
そして、長女、あなたは受験生ですよ。こんなことばかりしていていいのか。
そして母である私はこんなものをアップしていていいのだろうか(^^;)...

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子どもをほめる言葉(英語)

うちの保育園には、保育者の研修や教育を担当するトレーナーがいる。彼女が先月から、月1回「研修便り」というのを出すようになった。今月号には、次のようなことが書かれていた。

あなたがたが保育室で子ども達に" Good Job" (よくやった)と言っているのを何度も何度も耳にします。子ども達を誉めるのはいいことだけど、他にもたくさん言い方がありますよ。保育者がいつも同じ言葉ばかり使っていると、子ども達の語彙を増やすチャンスを逃してしまうことになります。というわけで、"Good Job" に替わる100の言い方をこのニュースレターの裏に書き上げました。使ってみてね。

では、100の言い換えを...と思ったけど、あまりに多いので、そのうちのいくつかを書き出してみる。

1 :Way to go
2 :Super
3 :Outstanding
4 :Excellent
5 :Great
6 :I'm proud of you
7 :Fantastic
8 :Superstar
9 :Nice work
10:Beautiful
11:You're incredible
12:Bravo
13:You're unique
14:You're a winner
15:You are precious
16:Terrific
17:Creative job
18:Hot dog
19:You're a real trooper
20:You're growing up
21:You make me happy
22:You made my day
23:Talented
24:Brilliant
25:Awesome
26:You deserve a big kiss

100の用例の中には、Fantastic と Fantasitc job とか似たような言い回しも多いのと、「本当にこんな言い方するのかな」とはっきりわからないのがあったので、とりあえず26例。トレーナーの女性は、多分50代で、現代はあまり使われていないような用法が入っている可能性がある。

たとえば、18:Hot dog というのについて、「こんな言い方する?」と訊いたところ、ひとりの20代女性は「さあ?」という反応だったし、別の(多分)50代の女性は、「"Hot dog" っていうと、”ええかっこしぃ””みせびらかしや”っていうイメージで、私は誉め言葉には使わないわ」と言っていた。

19:You're a real trooper というのは私は聞いたことがなかったが、その50代の女性に聞くと、そういう言い方はするらしい。「勤勉な人、がんばりやさん」ということだそうだ。

26:You deserve a big kiss には、「言うだけで、実際にはしないように」という注意書きがあってちょっと笑ってしまった。

確かに、私も他の保育士さんも "Good Job!" という言い方がやたらと多い。今日は、そのニュースレターを読んでから気をつけるようにしていたが、ついつい出てしまう。私の場合、自分の遊んでいたおもちゃを他の子にゆずってあげる、なんていうことをした子がいた時には、"You are a big boy(girl). I'm so proud of you." のように言うことがあるが、big boy (おにいちゃん)という言い方は100例の中にはなかった。1歳児には「おにいちゃん」というのは憧れだけど、他の年齢になってくると、そうじゃないからかな。"big" が"良い"という意味を持つのは必ずしもいいことじゃないからかも。大きい小さいは価値判断には基本的に関係ないはずだし。20:You're growing up のような言い方がいいのかもしれない。

ということで、いろいろな言いまわしを使うよう心がけようと思う。

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