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代替医療の可能性

なんだかギョウギョウしいタイトルがついているけど、しばらく前の放送大学「文化人類学」の講義「病の人類学」で、「代替医療」という言葉が出てきて、よく知らなかった私はネットで調べてみた。で、代替医療とは、「現代西洋医学領域において、科学的未検証および臨床未応用の医学・医療体系の総称」ということで、具体的には、中国医学(中薬療法、鍼灸、指圧、気功)、インド医学、免疫療法(リンパ球療法など)、薬効食品・健康食品(抗酸化食品群、免疫賦活食品、各種予防・補助食品など)、ハーブ療法、アロマセラピー、ビタミン療法、食事療法、精神・心理療法、温泉療法、酸素療法、等々が含まれるんだそうだ。くわしくはこちら

放送大学のテキストでは、「健康」についての考え方の歴史的変遷について述べられていて、私達の望みや欲望の増大に伴って、病とされる状態が拡大する傾向が見られる、ということが書かれている。「科学的」医療の発達にともない、19世紀アメリカで、医師たちがカルテに記す言葉が、natural から normal に変容していったそうだ。

医者達は患者の顔色と自分の容態に関する患者自身の語りより、体温や脈拍など数値に注目するようになった傾向が見られた。つまり、「健康」であるということが、各人がその人固有の「自然な natural 」状態として把握されるのではなく、大多数の平均値から算出された「規範 norm 」に合致しているということにすぎなくなったわけである。

赤ちゃんが母乳を飲んだ後、いったいどのくらい飲んだのかを知るため、飲む前と飲んだ後、赤ちゃんの体重を量る。そして、赤ちゃんが機嫌よく元気であるにも関わらず、「この子、少ししか飲んでないわ。普通はこの月齢なら○○ccくらい飲むものなのよ。私の母乳の出が悪いのかしら」と心配し、ミルクを足す...実際には小食の赤ちゃんとか、1回には少しずつしか飲めない赤ちゃんがいるのだけど、標準と違う、ということで心配してしまう。

科学的であるということは、いつどこで誰に適用してもそれが真実である、ということで、西洋医学はひとつの基準を誰にでも適用しようとする傾向があるように思われる。ところが、生身の人間にはそれが通用しない場合があるのだ。民族、地域、その他様々な条件により、「健康」であることの基準も違ってくる場合もある。

The Depressionist's Blog : 私と漢方(0)序:私と漢方のかかわり によると、「西洋医学がお手上げもしくは見放した「過労による慢性疲労」に対し、漢方はいくつも解を持っていた」そうだ。主治医の先生は、The Depressionist さんの様子を見て、処方する薬を変えられるそうで、当然という気もするが、病院では、診察もなく「いつもの薬」をもらう、ということだってある。漢方では、「病気を見て」というよりも、「人を見て」治療する、ということだろうか。

放送大学の講義では、タイの民俗治療やマッサージなどが紹介され、人々がそれを頼りにしていることが話されていた。非科学的に見えるものが、実際には効くことだってあるし、非科学的なものが科学的に説明されていくこともある。火傷についての民間治療のように、かえって有害、といわれるものもあるし、西洋医学が人々の病を治すのに大きな役割をはたしてきたことは事実だけど、現代の西洋医学ではカバーしきれないことはまだまだ多く、代替医療に期待できることもありそうだ。

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