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国語、英語は不要科目か

まるで日記のように:「大学入試と国語と英語」で、「ぼくは、国語同様、英語(授業科目としての)も嫌いだが、それも同じく、「英語の教科書に載っている文章がクソつまらない」ということにつきる。」と書かれていたのを読んで、中3の娘が同じことを言っていたのを思い出した。

受験生だというのに、勉強よりも、本を読むか、絵を描くか、寝ているか、という状態の娘は、前期、英語の成績を落としてしまい、見かねた私が英語の勉強を見ることにした。文法と長文読解の薄い問題集を買ってきて、毎日、少しずつやろうとしたのだけど、とにかくやる気がない。「なんでやらないの?」と訊くと、「だって、読んでもおもしろくないんだもの」と言う。

彼女は本を読むのは好きで、学校の定期テストの前だというのに、図書館で本を借りてきて読んだりしている。そんな彼女にとって、英語長文の問題集に出てくるような話はどうでもいいことばかりで、読む気が起きない、というのもわからなくはない。中学生レベルの英語で、読んでおもしろい長文問題集を作る、というのは簡単ではないかもしれないけど、不可能ではないと思うので、どこかの出版社でやってくれないかなぁ、と思う。

私は、というと、小さい頃から、他の国への興味があり、だから英語を学びたい、と思っていた。そんな意欲満々の私も、もし、中学生の時、塾に行っていなければ、英語が嫌いになっていたかもしれない。中学の英語の先生は、教科書の丸暗記をすすめるばかりで、「それじゃあ、私の言いたいことが言えないじゃん」と思っていた。塾の先生は、文法をおさえた解説をきちんとしてくれたので、いちいち納得できて、私は好きだった。

高校では別の塾に行った。山口書店の薄い「英語長文読解」とかいう問題集を使っていたのだけど、これが、哲学書の一節をぬきだしたり、という感じのもので、なかなかおもしろかった。塾の生徒は10人で、文法だけじゃなく、書かれた内容について、先生と生徒でいろいろ話し合ったり、というのもおもしろかった。

「まるで日記のように」ののりよしさんは、「国語とか英語の授業で中途半端な(官僚が書くようなわけのわからない)文章を読んだり書いたりしているのだったら、他の科目と合体させて『国語』や『英語』という名前の科目をなくしてしまえばいいじゃん」と言われるのだけど、私はそこまでは思えない。

今の職場には、フィリピン人とかヒスパニックの人とか、母語が英語以外、という人が結構いるが、その人たちが「大学に行って英語を勉強したい」と言っているのを何度か聞いた。確かに、ふだん話しているぶんにはとりたてて問題がないのに、書くと文法がめちゃくちゃ、という人がいる。今後ステップアップしていくことをめざすなら、公の場で話したり、公の文書を書いたりするのに、きちんとした英語を身につけたい、というわけだろう。文法もそうだけど、理路整然とした文を書いたりすることはトレーニングできる、と思うし、それはやはり、国語や英語の授業でやることになるだろう。確かに、現行の教育内容や教育方法、大学の入試問題などについては検討を加えるべきところがあるのだろうとは思うけれど。

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