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不思議な念力寿司

Ynot のグリーティングカードを愛用している次女が昨日うなっていたカードが「念力寿司」。エイプリルフール特集のページ で、一番左上にある「念力寿司」を選択してやってみてください。注文を言わないのに、板前さんは私が心に思い浮かべたお寿司をぴたりとあてる。えーっ、なんで?と、うなってしまう。

私も不思議に思っていたけど、次女は、その秘密を発見。わかる人にはすぐわかるのだろうけど、次女は自分で発見したところがエライ。こういうことは真剣に考えられるのね(^。^)。

追記:念力寿司の謎を教えてほしい、というコメントをいただきましたので、こちらに秘密をアップしました。興味のある方はどうぞ。

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続・食物アレルギーのある子ども

昨日の記事の続き。

遅番の私が部屋に入るのはたいてい子ども達の朝食が終わった頃だ。部屋に入ると、同僚のJが、「Nは何も食べなかった。豆乳も飲まなかった」と言う。今日はシリアルだったそうだ。ランチの時も食べ物で遊ぶだけで食べる様子がなかった。私と彼とで共通の食べ物はサヤインゲンだけ。サヤインゲンを食べて見せて「おいしいおいしい」と言うと、「ウソ!」(No!)と言うので笑ってしまった。でも、そのあと、なんと自分からサヤインゲンを一本とって口に入れた(^^)!すぐにプッと吐き出したけど、その後も何度か口に入れるので、入れるたびに「すごいねぇ、食べられるねぇ」とほめたたえると、心なしかちょっと嬉しそう(^^)。でも、そのほかの食べ物には口をつけなかった。おやつの時は、彼はパンだったので、そのパンを私が食べて見せたけど、彼は食べようとはしなかった。豆乳は自分からよく飲んだ。

同僚のJは「母親が、彼にもっと家で普通のものを食べさせるべきよ。」と言うが、きっと家庭でも何度も試みているのだろう。でも、彼が食べようとしないので無理強いしていないのだと思う。母乳でもベビーフードでも、何か食べられるものがあるのだからいいじゃないか。彼は元気で、身体的にも精神的にも、発達上なんの問題もない。もし親が「普通の食事」にこだわって彼に無理強いするようなことがあったら、彼の生活も親の生活も楽しさが少なくなってしまうかも。

彼のために別メニューを作っているキッチンの人には申し訳ないけど(せっかくそうやって別メニューを作っているのにほとんど食べないのだからなおさら)、当分はこんな調子でいくしかないのじゃないかなぁ。朝食を食べなくても、彼は昼まで元気に遊んでいた。彼が楽しく毎日をおくれているのなら、何を食べているのかはそれほど重要なことじゃないと思うのだ。半年後、1年後にどういうことになっているか...1年経ってもあまり今と変わっていない、という可能性もありそうな気がするけど、人生は長いのだから、ゆっくり見守っていけたら、と思う。

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食物アレルギーのある子ども

0歳児クラスから今日うちの1歳児クラスへ移ってきたNはたくさんの食物アレルギーを抱えている。卵、牛乳、乳製品をはじめ、魚、いちご、オレンジ、トマト...などなど。実は彼は離乳食がすすんでいなくて、前のクラスでも瓶詰めのベビーフードくらいしか食べなかったらしい。うちのクラスではベビーフードは出さないので、はたしてうちのクラスでやっていけるのだろうか、と管理職もキッチンの人も私達保育者も保護者もみんな不安をおぼえながら、とりあえず始めることにしたのだった。

今日の彼のランチメニューは、チキンナゲット、グリンピース、缶詰のピーチ、ポテト。これらがすべて小さく刻まれている。で、結果は...やっぱり食べなかった。自分では食べる様子がなかったので、スプーンで口に入れてやると吐き出し、その後は私達が口に入れようとすると手で制止する。スプーンで食べ物をすくって遊ぶだけで食べることはない。豆乳を少し飲んだだけ。

前の担任に訊いてみると、保育者が彼の口に入れた場合、ベビーフードなら食べるけど、普通の食べ物はガンとして食べなかったそうだ。食物アレルギーのある子は、体に悪いものを本能的に避けている、という話を聞いたことがあるが、彼の場合もそうなのかもしれない。「でもじゃあいったい家で何を食べているの?」と訊くと、まだ結構母乳を飲んでいるらしい。それはそれで食物アレルギーを持つ子の親としては正しいやり方だと私は思う。離乳を急ぐ必要はない。いずれ普通の食べ物を食べるようになる日は必ずやってくるのだから。

おやつの時間、他の子ども達はピザのようなパンだったが、トマト、チーズの食べられない彼はクラッカーだった。そしてそれは食べていた。そのことも前の担任に言ったら、前のクラスではそんなものも食べていなかったらしいから、それだけでもちょっと進歩かな。おなかが空けばきっといつか自分で食べるようになる。

食物アレルギーの症状がでていない時の彼は、元気できげんのよい子どもだ。普通食が食べられないという理由で前のクラスにとどめておくより、うちのクラスのほうが楽しめるだろう。とはいえ、これだけアレルギーが多いと、当分、うちのクラスの活動としてクッキングはできないかなぁ、とちょっと残念な気がしているのも本当だけど...でも、彼がいるおかげで気づくこと、というのもありそうだ。

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映画「タッチ・オブ・スパイス」Politiki kouzina

トルコとギリシャという私の行ってみたい国が舞台になっている、ということで見に行った。

イスタンブールでスパイス店を営む祖父からいろいろなことを学んでいたギリシャ国籍の少年ファニスは、ギリシャとトルコの関係悪化により、ギリシャへと強制退去を余儀なくされる。祖父の影響で料理に興味を持っていた少年は料理がうまかったが、男の子らしくないことを心配した両親は少年に台所への出入りを禁じ...

「食べる」って素敵なこと。単に食欲を満たすためや栄養をとるためだけに食べるのじゃない。人が集まるとき、たいていそこには食がある。

マイビッグファットウェデイング」を見たとき、ギリシャの人たちの食へのこだわりの一端を知ったが、今回も豊かな料理が登場する。私の友人が「イタリア人はアメリカ人よりは信用できそうな気がする。まともなものを食べてそうだ」と言ったことがあるが、なるほど、と思ってしまった。

ストーリーは「感動的」というようなものじゃないけど、ところどころセリフに含蓄があってスパイスのようにきいている。トルコとギリシャの政治的対立、イスラム教とギリシャ正教、など、社会状況がかいま見られるのも興味深い。そんな部分がある一方で、結構笑ってしまうような場面もある。

ひとつ疑問は、イスタンブールで話していたのが何語だったのかということ。ギリシャ語?トルコ語?ファニスの初恋の相手サイメはトルコ人だと思うけど、子ども時代は会話できていて、大人になってからの再会では英語になっていた。

(以下ネタバレ)

ギリシャに向かう列車のホームで、おじいさんがファニスに言うセリフが好きだった。

「いつも見えないものを語れ。人は目に見えないことにこそ興味をもつ。料理もだ。塩やコショウが見えるか?それでも決めては塩加減だ。」

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ビデオ「トーク・トゥー・ハー」Hable con ella

かなりひきこまれて見てしまった。

4年間昏睡状態にある片思いの相手アリシアを献身的に介護するベニグノ。恋人となってまもない相手が昏睡状態に陥って当惑するマルコ。おたがい、相手が自分の愛に応えてくれない、という状況のなかで、ふたりの男性は親しくなっていく。

応えてくれない相手が奇跡的に回復することを信じて介護を続けることは私にはつらいだろう。でもベニグノには喜びだった。彼にはアリシアがすべてだったし、彼女の世話ができることは幸せだった。ところが事態は思わぬほうへ...

監督のペドロ・アルモドバルという人の作品は「オールアバウトマイマザー」を見たことがあるけど、これは私にはピンとこなかった。それに比べると「トーク・トゥー・ハー」はもう少しわかりやすい。映画の中に出てくる演劇などの芸術的な雰囲気(有名な人が出ているらしい)は私は好きじゃないし、ベニグノに共感もできない。でも、彼が、応えないアリシアに向かって楽しそうに話しているのはいいな、と思う。昏睡状態にある人は何も感じず、何も理解しないのだろうか。ベニグノはそう思っていなかったし、それはばかげた考えでもないと思う。

(以下ネタバレ)

刑務所で、ベニグノとマルコがガラス越しに投げキスをかわす場面では涙がでてきた。

ベニグノがアリシアを愛していたことは明白なので、私は彼の行為に嫌悪感を感じなかったのだけど、他の人たちの感想をネットで見ていて、そうか、確かにレイプになるな、と思った。アリシアにすれば、ベニグノは恋人というわけじゃない。相手の明確な同意なしに関係を持てばレイプになる。しかも相手は抵抗することもできないのだから。理性的に考えればベニグノの行為は許されない。

赤ん坊は死産、アリシアはまだ昏睡状態(実際には出産を機に意識をとりもどしていた)と聞いたベニグノはアリシアと同じ状態になることを願って薬をのむ。その行為に共感はできないけれど、純粋な人というのはいるのだ、と思う。

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もうひとつの名前

アメリカでは、子どもに親と同じ名前をつける人がいる。父親と同じ名前の息子を「ジュニア」と呼んだり、あるいは息子をミドルネームで呼んだり、または2番目、3番目を意味する「デュース」「トレ」などという呼び方をしたりする。

Aは、そういう通称のある子どもで、彼がうちのクラスに来るときのオリエンテーションで、「ここにファーストネームを、こちらにラストネームを書いてください」と言って書類を渡したら、「本名を書くのか、通称を書くのか」と尋ねられた。それで通称があることを知ったのだけど、オリエンテーションのとき話をした父親は特にどちらで呼んでほしいという希望を話されず、前のクラスの担任に聞くと本名で呼んでいる、ということだったので、本名で呼び始めた。

うちのクラスの1歳児たちは新しい友達が好きで、とりわけその子が小さくて頼りなげだと、「赤ちゃん」だと思うようで、世話をやきたがる。Aは小さくて可愛い男の子で、たちまちみんなの人気者となった。まだ語彙がそれほど多くなく、友達の名前をうまく呼べなかったRがAの名前をうまく発音するのにびっくり。Aの名前は子どもにとって特に発音しやすい、というものではないのに(ベッキーとかデビーとか、イーと伸ばすのが比較的子どもに言いやすいのでは、という感じがする)「A,A」と呼ぶので、他の子たちもすっかり彼の名前を覚えて、かなりの子どもたちがAの名前を呼ぶようになった。名前の言えない子どもも、彼の名がAであることは知っている。

彼にはとなりの2歳児クラスにおねえちゃんがいる。おねえちゃんは彼のことを「バディ」(buddy)と呼び、先日、うちのクラスからそちらのクラスに移ったKが、彼のことを「バディ」と呼ぶようになった。一昨日、その話をAのおかあさんにしたら、「そう、うちではバディって呼ぶのよね。誰もAなんて呼ばないわ」とのこと。おかあさんには、「うちのクラスの子ども達がAの名前が好きで」という話をしたことはあったのだけど、そのときには「そんな名前で呼ばれては困る」というようなことは言っておられなかった。でも、一昨日のおかあさんの口調から、Aがその名前で呼ばれていることにとまどいを覚えておられるのかな、と思って「通称で呼んだほうがいいですか」と尋ねてみたら、「そうね、そうしてちょうだい。学校に行ったら通称で呼ばれるようになるはずだから。」とのこと。

というわけで、昨日から、Aを通称で呼び始めたのだけど、これがなかなかむずかしい。Aは、通称で呼ばれてもAと呼ばれても、それが自分のことだというのはわかっているが、他の子ども達にとって、AはAでしかない。Aの名前をとりわけ気に入っていたRは今バケーションに行っていて、来週戻ってくる。戻ってきたときAの名前が変わっていたら、どう思うのだろうか。まあ、でも、呼び方を変えるなら早いほうがいいし、そのうち慣れるだろうとは思うけれど。

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ビデオ「ザ・ペーパー」

最近、ツタヤで古い作品の DVD が「新入荷」となっていて、これもそのひとつ。確か以前見ておもしろいと思ったような記憶があるなぁ、と思いつつ借りて...そのとおりだった(^^)。

ニューヨークの地方紙の編集局の様子が、そこに勤める人たちの家庭生活とからめながら描かれる。仕事と家庭の両立というと、女性が主人公になりがちだけど、この映画では男性も同じ問題を抱えている。家庭は大事。妻を愛している。それでも、仕事がおもしろくて...ということはあるだろうな、と思う。残業続きの仕事がイヤになる場合があっても、やはりその仕事が好きだからやっている、という面もあるのだ。

もうひとつ、新聞で何を伝えるのか、ということ。単に紙面を埋めればいいのではない。伝えたいのは真実だ...

10年以上前の作品だけど、扱われているテーマは古びてしまっている、ということがない。携帯電話がまだあまり普及していなかったのかな、ということが古さを感じさせるけど、携帯で簡単に連絡がとれないからこそ、作品に緊張感が生まれているところがある。

監督のロン・ハワードは「ダ・ヴィンチ・コード」の監督を務めるそうで、「ダ・ヴィンチ・コード」がますます楽しみ(^^)。

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クレジットカード紛失

金曜の夜、基地に映画を見に行き、土曜の昼にまた行こうとして、財布がないことに気づいた。基地内では基本的にドルが使われているので、私もドルを少しだけ持っている。ドルと円がまじるとややこしいので、ドルは別の財布に入れていた。

現金は40ドルくらいだと思うけど、クレジットカードを1枚入れていたことを思い出した。アルキカタマスターカード といって、海外で使うと5.5%のキャッシュバックがある、というもの。海外でなくても、ドル払いの場合は適用されるので、基地内で使った場合もキャッシュバックがある。基地内で日本人従業員が買い物できるのはフードコートやレストランくらいで、スーパーなどでは使えないのだけど、スポンサーがいればツアーに参加したり、スキー板のメンテなどを頼んだりすることができる。このクレジットカードは日本国内で使ってもメリットがないので、こちらの財布に入れていた。

青くなってカード会社に電話すると、今のところ、不正に使われた形跡はないという。とりあえずカード使用を止めてもらい、あちこち探したけれど見つからないので、今日の昼休み、交番に届けてきた。(カード会社から交番に届けるように、と言われた。)基地内は警察の管轄ではないということだが、とりあえず遺失物届けは受け付けてもらえた。

今日現在も不正使用の形跡はない、ということなので、私の勘違いでそのあたりから出てくることを祈って「はさみさま」(さがしものをしている時、はさみを吊るして、見つかるようお願いすると見つかる、というおまじない。私は何度もお世話になっている(^^;))にお願いしている...

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本「封印作品の謎」by 安藤健二

”Passion for the Future" で紹介されていて読みたくなり、図書館にリクエストしていたのが先日ようやく来た。

なんらかの理由で発売元が自主規制して世の中に出ることのなくなった封印作品。それらの作品が封印されたのにはどんな事情があったのかを探った本で、とりあげられているのは、「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」というテレビ番組のなかのそれぞれ一話、「ブラックジャック」という漫画のなかの二話、映画「ノストラダムスの大予言」、パソコンソフト(?)「O157予防ゲーム」。

ウルトラセブンやブラックジャックにも封印されている作品があるとは知らなかった。
封印された理由は、被爆者、「障害者」団体などからの抗議を受けて。結局、作り手の側が、作品で描かれた側の痛みに気づかなかった、間違った認識を持っていた、と感じて封印した、という印象を受ける。

封印してしまうことで、作品で提起されていた問題について議論する機会も封印してしまうのが残念、というものもある。たとえば、「怪奇大作戦」の「狂鬼人間」という作品は、「心神喪失者の行為は罰しない」とする刑法39条への問題を提起したものだったという。私もこの規定を疑問に感じることがあるし、考えてみたい問題だ。ただ、やはり、精神障害をもった人に対する偏見を植え付ける可能性があるなら、封印されてしまうのもしかたないかな、と思う。

でもこの本のなかで一番生き生きと書かれていたのは、やはり著者自身が関わりを持った「O157ゲーム」だ。埼玉県がO157予防のための教育ソフトを小中学校に配布することを計画していたのだが、そのソフトのキャラクターに18禁ソフトのキャラクターが使われていたことが問題となって県は監修を降りた。一般ソフトとしては発売されたので封印作品ではないが、その当時新聞記者だった著者は、このことを記事としてとりあげたため「封印」に関わったと感じ、それがこの本を書くきっかけになったのだという。

著者は97年、神戸児童連続殺傷事件が起きたとき、「容疑者が未成年であるという理由で情報を隠匿するのはおかしい、写真や実名を公表すべき」という立場でホームページを立ち上げた人。私は未成年の容疑者の実名や写真を公表すべきではない、と思っているから、著者とは立場が違う。自由の国だから、どんな表現も可能で、誰でも何でも知る権利があるか、というと、違うだろう、と思う。たとえば手塚治虫氏の場合は、自分から封印したい、と考えておられたふしがあり、作者が望むならそのままにしておくのがいい気もする。自分の認識の過ちがあった作品を残しておきたくはないのだろう。

でも、封印されるとかえって、どうしてなんだ、と知りたくなるのが人情。だからこんな本も書かれるし、読まれもする(私もそのひとりだ)。封印作品にはプレミアがつき、オークションで高い値で取引されたりしているらしい。いったん世に出た作品は、完全に消し去ってしまうことはできないのだ。「間違っていた」と認めることは可能だけれど、自分のしたこと、作り出したものには、責任をもたなければならない、ということなのだろう。(って、これが、著者の言いたかったことではないと思うけど。)

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吉野梅郷

cimg2188奥多摩へ出かけた帰りに吉野梅郷に立ち寄った。
紅梅、白梅、様々な種類の梅の木。もう終わりかけの花もあれば、まだつぼみの花もあったり、と、すべて満開というわけではないけれど、高いところから見るといろいろな色の梅が山の斜面を覆って美しい。
cimg2185梅は桜のような豪華さはないけれど、ひとつひとつの花がかわいらしく、木の形がおもしろい。
梅料理のお店で長女の中学卒業と高校合格をお祝いし、そのあと、娘たちの新学期に備えていろいろ買い物-。履きなれない靴をはいて一日中歩き回ったから結構つかれたε-(´。`)

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映画「キャプテン・ウルフ」The Pacifier

Pacifier は赤ちゃんの使う「おしゃぶり」のこと。私が今の保育園で働き始めたとき、一番最初に担当したのが赤ちゃんの部屋で、この単語はすぐに覚えた。この映画、日本での公開があるかどうかまだわからず、邦題が決まっていない。(追記:日本での公開が決まり、邦題が決定したため、「パシファイアー(仮題)」としていたタイトルを「キャプテン・ウルフ」に変更しました。2005.10.3) なかなか楽しめたし、アメリカでの興行成績もいいようだから 、日本での公開もあるかな。

シェーン(ビン・ディーゼル)は海軍のエリートで、職務上、命の危険にかかわるような任務をこなすこともある。ある日、テロリストにとらわれた科学者を救出するが、ちょっとした隙に、暗殺されてしまう。科学者は「ゴースト」とよばれるプログラム(?)を開発し、それが狙われているのだ。彼の死に責任を感じたシェーンは、その家族の安全を守る仕事に就くことになるが、行きがかり上、ベビーシッターをする羽目となってしまった...

規律正しい軍隊のやり方がしみついているシェーンは、子ども達に対しても、同じ調子で接するのだが、うまくいくはずがない。高校生の長女、中学生の長男、8歳の次女、3歳の次男、そして赤ん坊の三男。それだけの子ども達の相手をするのは専業主婦であっても簡単なことではないのに、シェーンには子育ての経験は皆無。子ども達はそれぞれに悩みを抱えていたり、やりたいことへの手助けを必要としていたり。生真面目なシェーンは、子どものことだから、とおざなりにすることなく、ひとつひとつ真剣に相手をしていく...

現実味にとぼしい設定で、最初、シェーンがこの家庭を訪れたとき、子供たちが父親の死を悲しんでいるようすがなかったのは不自然だし、赤ん坊の世話も、現実にはもっと大変で、都合よくカットされているとは思う。それでも、アメリカの子ども達の状況がよく描かれているのと、シェーンがまじめに子ども達と取り組む姿は気持ちいい。そのまじめさがまた可笑しかったりするのだけど(^^)。

インターネットムービーデータベースでの評価は今日現在10ポイント中4.9とふるわない(投票総数1068)。昨日は "In Good Company" というのを見たが、こちらの評価は 7.1(投票総数 3239)。でも私は The Pacifier のほうが好きだった。やっぱり子どもの出てくる映画が好き、っていうのがあるかもしれないな。

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中学校卒業式

卒業式予行練習をやった中3と中1の娘達の会話から、どうも中学校の卒業式はつまらなさそうだな、と思っていた。卒業証書授与の時、小学校なら、ひとりひとりの将来の夢が読み上げられたりしておもしろかったけど、そんなこともなく、名前が呼ばれて渡されるだけだから眠い、ということだった。祝辞だってどうせつまんないしねーと思っていたのだけど、なかなかどうして楽しいものだった。

卒業証書授与のときは、先日あった音楽会で各クラスが歌った歌が流れる。各クラスの自由曲と、課題曲の「大地讃頌」 。この大地讃頌が結構好きなので、何度聞いてもイヤになる、ということがない。

卒業生代表の「門出の言葉」もよかった。紋切り型の祝辞はつまらないだけだけど(在校生代表の「送る言葉」は残念ながらそうだった)、卒業生代表3人は中学校生活の思い出深い場面を個人的な体験を交えて語ってくれ、胸に響くものがあった。

懐かしい小学校の先生や、1,2年の時にお世話になって他の学校へ行かれた先生からの祝電も心の温かくなるようなものだった。最近は電報よりレタックスが主流で、定型文じゃなく、思いの伝わる文が届くのがいい。

卒業証書授与の時、携帯のカメラをかまえているおとうさんがいて、「え、携帯のカメラじゃ、シャッター押したときに音がするよ~」と思っていたのだけど、案の定、しっかりピロピロピロンという音がして、まわりの注目を集めていた。おとうさんは一瞬「やばい」という表情になったものの、そのあともしっかり操作してメール送信でもしていた模様。誰かすぐに知らせてあげたい人がいたのかな。

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お葬式

うちのクラスの子のおとうさんのお葬式に行ってきた。
金曜の朝、その死を知らされた。
木曜日、私は用事があって早番だったので会っていないのだが、夕方、子どもをお迎えに来て、「また明日ね」と元気に帰って行かれたそうだ...

ご冥福をお祈りします。

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不運は重なる?

今週は軍事演習のため、保育園の開園時間は朝5時半から夕方6時半まで。いつもより1時間早く始まり、1時間遅く終わる。遅番の私の勤務時間は9時45分から6時45分まで。帰宅は7時を過ぎるので夕食の仕度は朝でかける前にだいたいすませてしまう。

ところが、いつもより帰りが遅くなるこんな日にかぎって6時半にお迎えに来ない親がいる。やっと6時40分にお迎えがあって、部屋のかたづけもそこそこに保育園を出た。家に電話を入れると、長女が出て、「おかあさん、今日って、中学校の図書室で委員会がある日なの?カレンダーに書いてあるけど。」えっ...そう、この間地区委員長になってしまってそれで会議があることになってたけど、それって今日だっけ。すっかり忘れてた!7時半から?うー、とにかく急いで帰らなくちゃ。

いつもの道をしばらく走ると、「軍事演習のため、この道を閉鎖します」という立て札が出ている。えーっ、聞いてないよー。なんでもっと手前でお知らせしてくれないわけ?と思いながら、今来た道を引き返して別の道から帰る。ごはんを食べていると遅刻だな、とは思ったけど、9時頃までおなかがもちそうにないと思ったので、とりあえず立ったままごはんをかきこみ、家を出ようとすると、おなかの調子が(x_x)。しかたないのでトイレに行ってようやく家を出たときには既に7時半。でもって、自転車はパンクしてるし...(x_x)

でもなんとか7時40分に図書室に到着。それまで特に大事な話がでたわけでもなさそうだったし、まあいいか(^^;)。

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映画「Ray/レイ」

基地で "Ray" が上映されていた時、放送大学の試験前だったこともあって、どんな映画なのかをチェックしなかったため、レイ・チャールズのことだとは思いもしなかった。それが日本で公開されることになってレイ・チャールズのことだとわかり、見に行きたいと思ったが、なんだかんだで機会を逃しているうちに、近所のシネコンでの上映が終わってしまった。DVD を待つつもりだったけど、塩野さんの感想などを読んでやはり行きたくなり、今日、都心まで見に行ってきた。

で、見に行ってよかった(^^)。音楽が気持ちいいし、2時間半という長さを感じさせない。音楽だけでなく、ひとりのミュージシャンの生涯を描いたものとして、その当時の時代背景も含めて興味深いので、DVD でももちろん楽しめるとは思う。一方、レイ・チャールズの音楽に興味のない人にはどっちにしてもそんなに楽しめないかな、とも思う。彼の生き様は、決して偉人として小学校の教科書に載せられるようなものではない(愛人を作ったり、ドラッグにおぼれたり)し。ただ、映画としては、彼の良い部分もきたない部分もみんな描かれているのがおもしろく、特に、へぇ、この曲はこんなふうにして生まれてきたのか(あれらのエピソードはみんな本当なのかなぁ)というのが興味深い。レイを演じたジェイミー・フォックスがアカデミー主演男優賞をとったのも思いっきりうなずける。

(以下ネタバレ)

私が胸をうたれたのは、ヘロインで体をこわし、社会的にも刑務所行きが懸念されるようになっているレイにむかって妻のビーが「薬をやめて」と訴えかける場面。豪邸に住み、使用人を使うような暮らしをしている彼女に、レイは「贅沢はやめられないさ」と言うのだけど、彼女がほしいのは贅沢ではなかった。

盲目の彼がひとりで生きていけるように、涙をのんで厳しいしつけをした母親。幼い頃、弟が水死する場面を目撃したショックがトラウマとなっていたこと。バンド仲間とのつきあい、レコード会社の人たちとのつきあい。ジョージア州で、黒人を隔離する施設で歌うのを拒否したこと。自分で苦しみながらヘロイン中毒を克服したこと。彼の生涯については何も知らなかったので、どれも興味深いエピソードだった。

彼の愛人マージーを演じていたレジーナ・キングは自分で歌っていたのかなぁ。すごくいい声だった。彼女がレイのもとを去る決意をした場面も胸がしめつけられる思いだった。彼女はレイに奥さんがいることはわかっていたのだから自業自得なわけで、レイはこの点では罪深い人だ...ただ、彼女やもうひとりの愛人メアリー・アンの存在がレイの音楽にインスピレーションを与えたことも事実で、そんな状態から生まれた歌だからといって彼の歌の価値が下がるわけではない。天才だからなんでも許される、というつもりはないけれど、まだ黒人差別が色濃く残っていた時代、地域に生まれ、貧しい暮らし、しかも子ども時代に視力を失い...そんななかでこんな音楽を生み出したこの人はやっぱりすごい。

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ロールアップピアノの使い心地は?

電話でクイズに正解すると賞品がもらえる、というようなチラシが入っていることがある。1問正解でネックレス、3問正解で時計、5問正解で1万円など。チャレンジ料が1回315円だけど、今までやってみようと思ったことはなかった。

でも、今日、たまたまチラシをながめていたら、3問正解でロールアップピアノが賞品にあるのを発見。ロールアップピアノ、あるいはハンドロールピアノは、見たときからほしいと思っていて(うちの保育園にはピアノがないので)、でも1万円以上するし、デジカメやプリンタのように必需品というわけじゃないから、なかなか買うふんぎりがつかなかった。それで315円なら、ということで挑戦してみることに。

最初の問題が
「雑誌アンアンの2004年4月号で、”友達にしたい芸能人”5位に選ばれた男性は次のうちの誰でしょう。1.中居正広、 2.草なぎ剛、3.堂本剛...」と5人の中から選ぶ、というようなもの。芸能界に疎い私には見当がつかず、長女と次女の意見も食い違い、あてずっぽうで選んだものの、ブッブーという非情な音(^^;)。

やっぱり300円でロールアップピアノを手に入れようとするのはムシが良すぎたか。ネットで探してみると5000円以下で手に入るものもあるようだけれど、買った人の感想で「指の腹で押してもほとんど認識してくれない」というような記事があり 、(しかもこの方が買われたのは、安物じゃなくて本物のほうだと思う)、買うのは実際に試してからにしたほうがよさそうだな、と結論。300円ならともかく、5000円もだして使えないんじゃ悲しいものね。

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「わたし」と「あなた」

2歳の哲学」に反応してくれる人がいたので(よい。さん、ありがとう(^^))、以前からちょっと気になっていることを書いてみたい。

「わたしのもの」という意識が特徴的な2歳。英語では mine という言葉があるが、日本語では「わたしの」とか「ぼくの」という言い方が出てくるのはもっと後のような気がする。最初にでてくる言い方は 「○○ちゃんの」というような言い方ではないだろうか。

親やまわりの人から「○○」「○○ちゃん」と呼ばれて、それが自分のことだとわかるようになってくる。それで、自分のことを言うときに「○○ちゃんが何々するの」というような言い方になる。保育に関わっている人や子育て中の人に聞いてみたいのだけど、「○○ちゃんが」ではなく「ぼくが」「わたしが」という言い方が出てくるのは何歳くらいからだろう。

アメリカの子ども達が "I" (わたし)とか "you"(あなた)という言葉を使い始めるのは2歳近くになってからだ。"I love you." のように決まった言い回しは1歳半くらいから使う子どももいるが、相手を you と呼ぶのだとわかってくるのは2歳くらいだと思う。だいたい、1歳児は、ママのことはママ、パパのことはダディと呼び、そのほかの人のことは名前で呼ぶ。そして自分のことは I とか my とか me とか言う言葉で言うのだ、とわかっていく。ママはひとり、パパもひとり、自分もひとり。マイケルやジェーンもそれぞれひとりだけど、you というのは特殊な言葉だ。ママが you になることもあるし、マイケルが you になることもあり、自分が you と呼ばれることもある。you というのは特定の誰かのことじゃなくて、直接目の前にいる相手のことを you というのだ、ということがわかってくるのが2歳だと思う。

では日本ではどうか。日本語ではしばしば主語が省略される。
英語では "What are you doing?" "Do you like it?" というふうに、相手に質問するときには you という言葉が出てくるのが普通だけど、日本語だと「何やってるの?」「これ、好き?」というふうになって、「あなた」「君」という言葉は使われない。もし、使うとしても、「 ○○ちゃん、何してるの?」「 ○○ちゃん、これ好き?」と名前を言うのが普通だ。あるいは、小さい子に対しては、「ボク、何してるの?」と尋ねることもある。だから日本の子ども達が you という概念をもつようになるのはアメリカの子ども達より遅いのではないだろうか。

だからどうだ、というのはわからない。「わたし」という言い方をしなくても、「○○ちゃんの」という言い方で mine という概念を持つのは日本の子どもたちも同じだ。だから、使っている言語によって子ども達の思考回路が影響を受けるのかどうか、という点についてはまだわからないのだけど、興味はある。

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厚着か薄着か

つい先日雪が降ったというのに、今日はぽかぽか陽気。毎日、気温の差は結構あるけど、子ども達が着てくる服はそうそう変わらない。というわけで、今日もみんなぶあついジャケットを着てきていたが、午前中、そのフードをかぶっていた子どもは、フードをはずしてみると、すごい汗。午後はもう暑いくらいで、ほとんどの子ども達はジャケットを脱ぎたがり、確かに暑いよなぁ、とジャケットを脱がせた。

そんなところへ、おとうさんと一緒にお医者さんへ行っていたAが戻ってきた。おとうさんは今朝、「Aは風邪をひいているから、外に出るときは必ず帽子をかぶせてくれ」と言っていたのだけど、いったん部屋に入るのにジャケットを脱いだAは、外に出るのにジャケットを着たがらない。泣き叫ぶ彼女をおいて出て行ったおとうさんは、薄めのジャケットを持って戻ってきた。これくらいならいいかな、と思ったけど、やっぱり彼女は泣き叫んで着るのを拒否。おとうさんは仕事にもどってしまい、どうしたものか、と、トレーナーに相談に行った。

トレーナーの先生は、「うーん、むずかしいわねぇ」と言いつつ、 彼女の様子を聞いて、「強制はできないわね」と結論。私達は、彼女に無理やりジャケットを着せるのはあきらめた。

親のなかには、冬の外出時の服装に関して心配しすぎじゃないかな、と思える人がいる。夏に帽子を持たせることはほとんどないのだけど、冬はみんな帽子を持たせているし、外で遊ぶときには必ず手袋をさせるように、と頼む親もいる。冬といっても暖かい日もあるし、子ども達は動き回るので、実際、ジャケットを着ていると暑くなることもあり、2歳に近い子ども達は自分でジャケットを脱ぎ始める。私が肌寒く感じるようなときでもジャケットを脱ぎたがる子どももいて、そんなときは本人がいやがっても着せたりするけれど(これも本当は子どもの感じ方にまかせてもいいのかもしれない、と思っている)、私自身暑いな、と感じるような日には脱がせてあげる。

でも、そんなある日、お迎えに来て、外で遊んでいるのに帽子をかぶっていない子どもを見た親が、「外に出すときは必ず帽子をかぶせてちょうだい」と言った。「今日はかなり暑いですよ」と言ったのだけど、「この子は風邪をひいているから」と。暖かい日に厚着をして遊ぶことはかえってよくない気がするのだけど、風邪をひいているとき(鼻水がでている程度)に薄着で外遊びをすることはよくない、と信じている親が結構多くて、どう説明したらいいものか、と思ってしまう。本当のところはどうなんだろう。

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2歳の哲学

今月号のクラスだよりに載せた "Toddler's Creed" は、1~2歳児についての研修などでよく聞かされるのだけど、確かに2歳ってこんな感じだ。

Toddler's Creed

If I want it, it's mine.
If I give it to you and change my mind later, it's mine.
If I can take it away from you, it's mine.
If I had it a little while ago, it's mine.
If it's mine, it will never belong to anybody else, no matter what.
If we are building something together, all the pieces are mine.
If it looks just like mine, it is mine.

2歳児の信条

わたしがほしいとおもったら、それはわたしのもの。
わたしがあなたにあげたあとできがかわったら、それはわたしのもの。
わたしがあなたからとりあげることができたら、それはわたしのもの。
ちょっとまえにわたしがもっていたものは、わたしのもの。
わたしのものはわたしのもので、ほかのだれのものでもない、なにがなんでも。
だれかといっしょになにかをつくっているとき、そのためにつかっているものはみんなわたしのもの。
わたしのもののようにみえるものは、わたしのもの。

toddler を辞書でひくと「よちよち歩きの子ども」というふうに書かれているが、保育園ではもっぱら2歳児を指す。うちのクラスの1歳児たちは、 pre-toddler トドラー前段階とよばれていて、2歳近くになってくると、まさしくこの「おれのものはおれのもの。おまえのものもおれのもの。」の世界に入っていることが感じられるようになる。2歳ではものをシェアするのはむずかしく、3歳ぐらいからできるようになる、と考えられている(もちろん子どもによるけれど)。

つまり、ジャイアンって2歳児だったのか(^^)。

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伊東家式裏ワザプチ肉まん

ぴよ♪さんの「野菜好き♪レシピ/裏技野菜饅」 を見て、これはいい!うちの1歳児のクラスでも使えるかも、と今日のお昼にやってみた。

生パン粉と牛乳を使ってチンするだけで、肉まんの皮ができてしまう、というもので、作り方はこちら。 具はお好みで。うちは昨日の夕食が野菜炒めの肉みそかけで、その肉みそが少しあまっていたのでそれと、冷凍のかぼちゃコロッケ、同僚のJがくれたスパムミートの缶詰、それにゆであずきの缶詰を使ってみた。

どれもなかなかイケル(^^)。スパムミートの缶詰は、コーンビーフのようなものかと思っていたら、もっと成型されていてハムのような感じなので、この肉まんにはあんまり向かないかもしれないけど。とにかくパサパサした感じだったパン粉がしっかり肉まんの皮になってしまうのにびっくり(^^)。

カレーがあまったらカレーを包んだり、具もいろいろ工夫できそうで楽しい。生パン粉を常備しておけば、おやつにちょろっと食べられそうだ。

うちのクラスでできるかどうかは微妙だな。パン粉に規定量の牛乳を混ぜてもあんまりしっとりした感じではないので、子ども達が混ぜるのはちょっとむずかしそう。でも、工程は単純なのでやってみたくはある。

生パン粉が手に入るかどうかもわからない。普通の乾燥パン粉ではうまくできないらしい。生パン粉って英語で何て言えばいいんだろう?私が買って持っていければいいのだけど、調理の材料は保育園で買わなければいけない、というきまりなのだ。フィリピン人のコックさんと話して手に入りそうだったらやってみるかな。具はコーンビーフか...他にも何かいいものがあるかなぁ?

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過ちがない?(英語)

映画「トスカーナの休日」より。
ダイアン・レイン演じる主人公は、夫の浮気を知って離婚することになるが、なんとその夫から離婚手当て(alimony)の請求が。「浮気をしたのは彼の方よ」と言う彼女に、弁護士の一言。

California is a no-fault state.

no-fault ? 過ちがない州って何?と思って調べてみたら、

no-fault: 【法】 《離婚法で》 〈当事者双方が〉結婚解消に責任のない; 【法】 過失が不利な認定の根拠にならない.

ということだそうだ。
夫側に離婚原因があるにもかかわらず、それまで、収入のない夫の生活を働いて支えていた妻は慰謝料を払わなければいけない、とはなんとも理不尽な感じがするのだけど、主人公も弁護士の言葉に「そうね」と納得してしまう。

ちょっと調べてみると、そのような no-fault divorce (過失を証明する必要のない離婚)はアメリカのほとんどの州で認められている。浮気や暴力など、一方の過失を主張して離婚を申し立てる fault divorce がまったく認められていない州も15あり、カリフォルニアはそのひとつ。

fault divorce を主張するのは、それによってたくさんの慰謝料をもらえる、などのメリットがあるからだけど、双方が相手の過失を主張してなかなか決着がつかない、というようなこともあるらしく、結局、続かないものは続かないのだから離婚を認めるしかない、ということで no-fault state が増えてきたのかな。

映画は、トスカーナの美しい風景は楽しめるけど、主人公の恋愛とかが安易な感じで、いまいちのれなかった。

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雪の日

snowman2

昨日の天気予報によれば、昨夜から降り出して結構な雪になりそうなことを言っていたので、もしかして仕事にいかなくてすむかも、と期待していた(^^;)のだけど、朝、見ると、道路には思ったほど雪が積もっていない。でも、かなり降ってきたので、一応、電話して「いかなくちゃだめ?」と訊いてみる。あっさり「そうよ」と言われ、早めに出発。道路の雪はたいしたことないと思っていたら、50キロの道路をそれ以下のスピードで走っていたにもかかわらず、ブレーキがいつものようにきかない!え?え?とあやうく前の車にぶつかりそうになりながら、必死でブレーキを強く踏んでなんとか衝突は免れる。そのあとはできるだけトロトロ走っていたけど、やっぱりブレーキのききは悪い。

で、保育園の話。午前中は結構雪が降っていたので、外には出ずに、雪を大きめの容器に入れて室内で子供達を遊ばせた。お正月に室内で雪で遊んだとき は、ガチガチの雪だったけど、今日はフワフワの新雪(^^)。

午後には雪がやんだので、子供達を外に出した。この間は、凍っていてあぶないから、と外に出させてもらえなかったのだけど、今日はオーケー(^^)(^^)。最初は雪の上を歩くのを躊躇していた子供達も、私達保育者が遊ぶのにつられてすぐに雪の中へ。

というわけで、写真のような雪だるまをつくってみた。目はボール、口はじょうご。手は組み立て式フープの一部。この子はおかあさんがちゃんと長靴をもたせてくれていた。よく見るとわかるけど、長靴の両側に持ち手がついて持ち運びに便利になっている(^^)。でも、私は長靴を持っていなかったので、30分も遊ぶと足が冷たくなってしまった。次回はスノトレを持っていくかな...って、どうせ雪なら一日お休みになってくれればいいな、とも思うけど、子供達と遊ぶのもやっぱり楽しい。

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本「ダ・ヴィンチ・コード」by ダン・ブラウン

おもしろかった。久々に、「早く続きが読みたい」と夢中になってしまった。

パリのルーブル美術館館長が死体となって発見される。彼は死に際して、自分の孫娘にだけわかるようなメッセージを残していた。それは、キリスト教会が「公にしたくない」と考えている「聖杯」に関するものであり、それらを研究していた学者達を巻き込んで、謎解きゲームが始まる...

主な登場人物はフィクションだけれど、登場する場所や組織などは事実にもとづいている、ということで、リアルな感じがある。私の行ったところもあったので、よけいおもしろかった。
ルーブルでは、やはりまずモナリザを見に行ったのだけど、思ったよりもずいぶん小さな作品でなんだかがっかりした。世界的な名作なのでなんとなく大作であるような思い込みがあったのだ。「何故これがそれほどの名画といわれるのだろう」というのが正直な感想だったけど、絵の中に秘密がしこまれていたとは。そして、ルーブルは確かに広かった。途方もなく...。閉館前に「ミロのビーナス」を見ようとさがしまわり(本当に迷路のよう)、係りの人(ちょっとジャン・レノに似てた(^^))に尋ねたら時計を見て「今から?」というような顔をされ、そこからかなり遠い場所だったけど、なんとか行きつくことができて、もう他に鑑賞する人もいない状態でじっくりと見たのを思い出す。
イタリアに行った時ミラノを行程に入れたのは、「最後の晩餐」が見たかったからで、そうやってわざわざ見に行ったほどなのに、この本で書かれているようなことにはまったく気づかなかった。この本を読んでから見に行っていたら、また違った感慨があっただろうな。

映画にしてもきっとおもしろいだろう、と思ったら、やはり既に映画化の話は決まっているらしい。主演のハーバード大学教授ラングストンにトム・ハンクス、フランス警察のファーシュ警部にジャン・レノ。ジャン・レノはぴったりかな。トム・ハンクスは好きだけど、宗教象徴学の専門家というイメージとはちょっと違う...でも器用な人だから、きっとサマになるのだろう。舞台は、パリ、ロンドン、ローマ、ニューヨークなどが出てくることになりそうだから、それらの映像も楽しめそう。2006年公開予定だそうで、今から待ち遠しい。

ダ・ヴィンチ・コード 上
ダン・ブラウン著・越前敏弥訳

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春が来た(^^)!

遅番の私の勤務は8時45分からなので、ゆっくり朝食を食べようとしていたら電話。

私 「もしもし」
声 「じゃりんこ。Jの体調が悪いから10時まで家で休むって。彼女の代わりに中番やってくれる?」
...中番ってことは7時15分に出勤。ということは30分前に家を出るとして...今は6時30分。あと15分で家を出るのは無理だ。
私 「なんとか7時半までに行くようにするわ」
声 「じゃあ、お願い」

というわけで、あわてて家を出たら、携帯を置き忘れてきてしまった。
今日は公立高校の合格発表の日で、長女に「結果をメールして」と頼んでおいたというのに。で、午後、ちょっと家に電話をかけさせてもらった(うちの職場には公衆電話がない(x_x))ところ、無事、第一志望校に合格していた(^^)。

今日から3月。昨日、園庭に小さな白い花を見つけた。花が咲き始めると、春だなぁと感じる。今日は昨日とはちがってちょっと風の冷たい日だったけれど、我が家には待ち望んでいた春が来た(^^)。


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