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Pun(英語のだじゃれ)

放送大学「英語Ⅲ」で、ちょっとした「だじゃれ」が紹介されていた。

A:Call me later.
B: Hey, later.

うちの高校生がすぐにはわかってくれなかった(^^;)ので、一応、解説しておくと、"Call me later" は普通、「後で電話してね」の意味だけど、「私のことを"later"って呼んでね」という意味にもなる。というわけで、BはAのことを later と呼んだ、というわけ(^^)。

他にはどんなのがあるかな、とちょっと調べてみたら、Pun of the day というサイトを見つけた。一日ひとつ、短い英語の駄洒落を読むのもいいかな、ということで、とりあえずサイドバー(右下のほう)にリンクを張ってみた。理解できないのも多いのだけど(^^;)、それをうちの同僚に聞けば英語の勉強にもなるし。

私が気に入ったのは、
A bicycle can't stand on its own because it is two-tired.
うちの中高生のために一応解説。
「自転車は自力では立てない。タイヤがふたつしかないから。」ということだけど、two-tired は too tired と発音が同じなので、「自転車は自力では立てない。あまりにも疲れているから。」ということにもなる(^^)。

もっとわかりやすいのは、やっぱり絵になっているものかな。
カフェオレパイ は一目でくすっと笑えるのでどうぞ(^^)。

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雑誌ビッグイシュー24号「笑いは人生を変える!」

ずっと以前に Cosさんのサイトで知って以来、一度見てみたいと思っていた雑誌「ビッグイシュー」。ホームレスの人たちに雑誌販売という仕事を提供し、自立を応援する、というコンセプトで作られている。先日、アフリカンフェスタで有楽町に行った時に、初めて販売している人を見つけて買ってみたのだけど、これがなかなかおもしろい。

私が買った最新号の表紙はサンドラ・ブロックで、彼女のインタビューが載っていた。バックナンバーを見てみるとハリウッドスターのインタビューが載っている号が多いし、映画の話題も多い。紹介されている本もおもしろそうで、特集記事も興味をそそるものがある。

バックナンバーは販売員の人から買えるという。土曜日はトルコ語のレッスンで都心に出るので、もしかして販売員の人を見つけられるかも、と思っていたら、今日見かけたので、いくつかバックナンバーを購入した。

そのひとつの特集が「笑いは人生を変える!」人生を変えるかどうかはともかく、笑いが人を元気にしてくれるものであることは確かだと思う。私自身はおもしろい人間じゃないけど、子ども相手の仕事をしているおかげで、笑う材料には事欠かない(^^)。それに小さな子どもってちょっとしたことで笑ってくれる(「いないいないばぁ」とか、頭にのっけたぬいぐるみをお辞儀して落っことすとか)から、こっちも楽しい気持ちになる。我が家でも、うちの娘達の会話を聞いているとまるで漫才だったりするし、ありがたいことだ(^^)。

特集では、日本笑い学会の人の話や、落語を世界に広めようとしている人の話(国際ユーモア学会に出席したとき、海外の参加者から「日本人はユーモアが足りない」と言われて、そんなことはない!って反論する材料を探すうち思いついたのが落語だったそうだ)などが載っていて、さらに「笑いが人生を変えた映画」がいくつか紹介されている。そのうちのひとつが私の好きな「ライフ・イズ・ビューティフル」だった。ああ、確かに、こんな状況での笑いっていうのがなんかすごいなぁ...っていう映画だった。「笑の大学」は見ていないけど、もうDVD になっているようだから、7泊8日になったら(^^;)借りてこようっと。

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働く者のマナー

今、うちのクラスの保母さんのひとりがバケーション中なので、最近入った保母さんが中番でヘルプに入ってくれている。うちの1歳児クラスでは、子どもと保母の割合は5対1と決められていて、だいたい7時15分には6人目の子どもが来る、ということがあるので、中番の出勤時刻は7時15分。彼女には2歳の息子さんがいて、うちの保育園の2歳児クラスに入っている。

7時15分になっても彼女は来なかった。でも、これには驚かない。彼女は車を持っていなくてバスを使っているため、7時に保育園前に着くバスに乗り遅れる、ということは今までも何度かあった。今日も乗り遅れたんだな。7時半のバスで着くだろう。子どもは5人で、割合をオーバーしているわけじゃないから、まあいいや。

ところが、7時半になって子どもが7人になったため、フロントに電話。主任の保育士さんがヘルプに入ってくれ、彼女を待っていたのだけど、来る様子がないので、7時半のバスにも乗り遅れてしまったのか、と思った。ところが8時近くになっても何の連絡もないので、事務の人が電話を入れたところ、「息子さんが病気だから休む」という。

ヘルプに入ってくれていた保育士さんは、「まったく信じられないよ」と言っていたけど、あとでヘルプに入ってくれた保育士さんに話したら、「(連絡するのを)忘れちゃったのね」の一言。

日本でも無断欠勤をする人はいると思うし、うちの保育園で働いている人でも無断欠勤をする人は多くはないけど、でも、日本よりは多い気がしてしまう(--;)。

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効果的な英語学習法(中級者編)

基地で仕事をしている、ということで、「どうやって英語力をつければいいのか」という質問を受けることがある。私の英語力はまだまだで、字幕なしの映画を見るのは結構きついし、講演などは話者によってはかなり聞き取りにくい、というレベルだ。それでも、一対一の会話なら、わからないことがあれば相手に聞けばいいので、仕事はなんとかやっていけている。英語の勉強は、どんな方法でも、自分の楽しめる方法なら効果は現れると思う。私もいろんな方法で勉強してきたから、自分がどんなふうに英語を勉強してきたか、ということを時々ちょっとずつ書いてみようと思う。

で、今日は、英語を書く力のことについて書きたい。
私が英語を書く力をつけるのに役立ったのは、ペンフレンドとのやりとりだった。長女が生まれて1年半後、結局仕事をやめた私は英語の勉強を始め(ついでにパソコンも(^^))、郵便友の会だったか、その頃購読していた週刊STのペンフレンド募集欄のようなところで見つけたんだったか覚えていないけれど、ロンドンに住むペンパルと文通を始めた。彼女の前にも別の人とやりとりをしたことがあるけれど、すぐに「贈り物」を要求されたりして、やんわりと(?)断ったら、それ以来返事が来なくなった。

でも、彼女とは興味の対象が似通っているところがあって、おたがいいろいろ「へぇ」と驚いたり、ちょっとしたことで議論をしたり(鯨を食べるのは野蛮かどうかなど)、でもって意見が違っても喧嘩になることなく、それを楽しめたので、やりとりは本当に楽しかった。文通は日常会話の延長なので、それほどむずかしい単語がでてくるわけではない。それでも、自分の言いたいことを言うために、「これを英語でどう言えばいいのか」など、和英辞典をひきながら返事を書いた。これが話す力にもつながっていると思う。結局、言いたいこと、伝えたいことがあるから、英語を話そうと思うわけで、そう思える相手にめぐりあえたことが私にはラッキーなことだったと思う。

相手から返事が来て、がんばってすぐに返事を書きはじめても書くのに1週間くらいかかり、それを返信して、相手からの手紙を待って...と、2,3週間に一度、というようなやりとりだった。今はメールがあるからもっとスピードアップされることだろう。こっちが時間をかけて一所懸命書いて相手からはあっというまに返事がもどってくると、かえって大変かもしれないけど。郵便でのやりとり、というのは、それなりにいいものだったという気がする。

いまどき「ペンパル」なんてあるのかなぁ、と探してみたら、Penpal International など、いくつかあった。トルコやイスラエルといった国からもペンパル募集をしている人がいて、おもしろそうだけど、そういう人たちにメールあるいは手紙を出すには自分のプロフィールもネット上で公開されるようで、ちょっと二の足を踏んでしまう。でも、なんらかの方法で、自分と興味が共通する英語ネィティブの友人を見つけ、書き言葉でやりとりできるなら、英語力アップにはつながると思う。

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アリの巣作り

アリ のところで書いたように、子ども達がアリを見るのが好きなので、アントクアリウム という、アリの観察ができるグッズを購入した。この青いジェル状のものがアリの栄養分になっている、ということで、アリはここで生活できるのだ。

部屋に持っていったのが5月5日。「同じ巣のアリでないと喧嘩するかもしれないから、菓子くずなどをしばらく放置した後、隊列を組んでいるアリをつかまえるように」ということで、朝早くキッチンから砂糖をもらって園庭においておいた。が、しばらくしてもアリが集まっている様子がないので、同じ巣のアリにこだわらず、とりあえず同じようなアリを捕まえる、ということにした(^^;)。

小さな紙コップに子ども達と一緒にアリを追い込んでなんとか1匹捕まえてアントクアリウムに入れる。2匹目、3匹めも入れたけど、素早く動き回るし、フタを開けると既に入っているアリが出てきそうになったりで、アリを入れるだけでも一苦労。3匹のアリを入れたところで、早番の私は帰宅。

で、次の日の朝、見てみると、明らかに種類の違う大きなアリが1匹加わっていて、なんと先に入れたアリのうちの1匹が既に死んでいた(--;)。同僚の保母さんに「同じ種類のアリでないと」ということは言っておいたのだけど、とりあえず捕まえたから入れてくれたのだろう。というわけで、この大きなアリを逃がし、生き残った2匹のアリがしばらくこのアントクアリウムの住人(住蟻というべきか(^^;))だった。

その翌日くらいに、少し縦に穴が掘り進まれた状態になっていたけど、それ以上広がることもなく、やっぱり2匹では巣作りをしないのかなぁ、と先週になってもう2匹同じくらいの大きさのアリを追加した。

antnestで、今朝、ようやくアリが横にも掘り進んでいるのを発見(^^)。この写真ではわかりにくいと思うので、もう少し大きな写真を見たい方はこちらへどうぞ。この写真と5月19日の写真 は裏表の関係になっている。今日の写真では、1匹だけが掘り進んだ穴の中にいるのが見える。他のアリは上部にいて、写真では見えないが、他のアリが穴に入ってくることもある。

上部に白い粒状のものが見えているのはジェルを掘るとこんなのが出てくるのだろうか。今日、びっくりしたことは、死んだアリがその白い粒状のもので覆われていたことだ。先週の金曜までは死んだアリが見えていたのに。外に出したほうがいいかなぁ、と思いながらそのままになっていたのだ。アリたちがそんなふうにしたのだろうか。それともたまたま?(追記:今日(5/24)もう一度よく見たら、意図的に覆われているふうに見える。)

子ども達に「ほら、アリさんがおうちを作ってるんだよ」と見せるのだけど、まだいまいち様子がわかりにくい。でも、今後、巣がどんなふうに広がっていくか楽しみだ(^^)。

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アフリカンフェスタ2005

日比谷公園にて開催されていたアフリカンフェスタ2005 に行ってきた。アフリカ各国大使館やアフリカに関わっているNGOによる国の紹介や活動の紹介、工芸品の展示、販売など、なかなか楽しかった。

NGO「難民を助ける会」 のブースでは、いくつかの地雷を見た。ひとつは直径10cmほどの金属製で、真ん中にスイッチがついている。中に火薬は入っていない状態なので爆発しないが、中をあけてここに火薬が入るのだ、と教えてもらった。戦車用の地雷はもっと大きなサイズだ。

050522-002アフリカンフードコーナーもいろいろ食べてみたいものがあって、一回のランチではとても食べきれない(当然か(^^;))。写真(デジカメを持っていくのを忘れた(--;))は手前がチュニジアのブースで買ったクスクス、奥の皿はエチオピアのブースで買ったもの。灰色のクレープ状のものはインジェラというものらしい。これだけ食べるとなんだか酸っぱくて私好みじゃなかったのだけど、帰ってから調べてみると「カイワット(辛いシチュー)などを包んで食べる」と書いてあったから、右上の茶色く見えているチキンの辛い煮物を包めばよかったのか(^^;)。その隣の野菜の煮物は私好みだった(^^)。クスクスを食べていると、黒人の男性がやってきて「これはどこで買ったのか?」と尋ねるので、教えてあげた。お国の料理を見つけて嬉しくなったのかな?

ステージではアフリカの音楽が演奏されて、それも心地よく響く。アフリカに関わっている人や関心のある人はこんなにたくさんいるんだなぁ。できれば来年も来て、今度は違う料理を食べてみたい(^^)。

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あわてもの!

我が家では、だいたい週に1回、豆腐料理をする。長女が高校生になってお弁当を持っていくようになってから、豆腐料理は金曜にすることが多くなった。というのは、豆腐料理って次の日のお弁当に持っていきにくいから(^^;)。

で、今日は麻婆豆腐にしよう(奥薗壽子さんの本で見たニラ入りのもの。豆板醤を使わず、オイスターソースと醤油で味付けする。簡単で美味しい(^^))、と作りはじめ、副菜や味噌汁の準備もだいたいすませたところで、次女帰宅。

次女「ごはん、もうすぐできる? 今から図書館行っちゃだめ?」
私 「だめ。もうできるよ。なんで今行かなくちゃいけないわけ?」
次女「明日の午後でもいいんだけど...どうしてもだめ?」
私 「どうしてもだめ!」(こっちはおなかがすいてるんだよ!)

次女は制服を着替えるために部屋に行き、私は豆腐を入れようと冷蔵庫から豆腐を出そうとして...豆腐がない!え?そんなばかな!生協で注文したよね?...と思って見るけど、やっぱりない(--;)。生協の注文用紙は配達日の朝に配達ボックスの中に入れておくことになっているのだけど、それまでに注文用紙を書ききれていないときがあって、そういう時は後からネットで注文している。そうすると、注文し忘れてしまうことがあるようで、少し前にも豆腐も卵も注文していない、ということがあった。それにしても、豆腐があるのを確認しないで麻婆豆腐を作り始めるなんて(--;)...

というわけで、近くの100円ショップまで豆腐を買いに行く。というわけで、次女は図書館に行くことができたのだった(^^;)。

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「スター・ウォーズ」の人気

昨日、遅番だった私は、基地の映画館の前を夕方6時前に通りかかった(映画館はうちの保育園から歩いて5分ほどのところにある)のだが、映画館の前で列を作って待っている人たちがいた。昨日の深夜12時に「スター・ウォーズ エピソード3:シスの復讐」が公開だったのだけど、そんな時間から並んでいる、というところに、この映画が好きな人は多いんだなぁ、と感じさせられる。

だいたい、なんで平日の深夜12時に映画なんてやるのか、と思っていたけど、19日が全米公開の日だから、それにあわせたらしい。深夜12時、19日になったら公開、ということで、日本のほうがアメリカより早く見られるわけだ。他の映画でそんな扱いをしているのを見た覚えはないから(私が知らないだけかもしれないけど)、スターウォーズはやっぱり別格なんだろうな。

うちの基地には映画館はひとつで、人気の映画はチケット売り切れになることもある。というわけで、人気の映画は、早くから並ぶ人がいるのだけど、今まで、「えーっ、こんな時間から?」というくらい早い時間から並んでいるのを見たのは、やはり「スター・ウォーズ」や「ロード・オブ・ザ・リング」「ハリー・ポッター」など。「Mr.インクレディブル」や「スポンジ・ボブ」など子ども向けの作品も人気が高い。

反対に、「アビエイター」や「ミリオンダラー・ベイビー」など、日本では結構話題になっているのに、こちらではかなり空いていた、という場合もある。こんなふうに、非現実的な作品の人気が高く、シリアスな作品の人気はそれほどでもない(いつもそうだというわけではないと思うけど)、というのは、軍事基地特有なのかなぁ。

ちなみに私は、「スター・ウォーズ」を一度も見たことがない(^^;)...

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もう歩けるよ

昨日、私は早番だったので、3時半に仕事を終わって部屋を出た。今日は遅番で8時半過ぎに部屋へ行ったら、しばらくして、同僚のRが、「ミス・じゃりんこ。Jはもう歩けるんだよ。ほら」と、見せてくれた。昨日、「はじめの一歩」で書いたように、一歩を踏み出すのがこわごわだったのに、あぶなっかしい足取りながら、3,4歩、タタタと歩いて保育者のほうへ倒れこむ。子どもの成長って、ほんとにあっというまなんだなぁ(^^)。

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はじめの一歩

何か新しいことをはじめたとき、「はじめの一歩を踏み出した」と比喩的に言うことがあるけど、実際の「はじめの一歩」を見ていると、「はじめの一歩」って大変なことだなぁ、と思う。

うちの1歳児クラスに来るには、「しっかり歩けるようになっている」ということが、一応の前提。でも、事情に応じて、まだ歩けなくてもうちのクラスに来ることがある。ここ2週間ほどの間に、そんな子どもがふたり入ってきた。

うちのクラスに来る前は、ふたりとも、つかまり立ちはするけど、動き回るのはハイハイが主で、全然、歩く様子はなかった。でも、そんな子どもも、うちのクラスに来ると、他の子ども達が歩き回っているのを見て歩きたいと思うのか、手を持ってあげると一緒に歩こうとする。日に日に足腰がしっかりしてきて、少しの間だと、支えなしで立つこともできるようになってきた。そうすると、「立てば歩め」の親心で、「ほら、ここまでおいで」とほんの少し離れた場所で手を広げて、その子がそこまで歩いてくるように促す。子どもはこちらの顔を見て、行きたいのだけど、やっぱりこわい。なんとか支えなしで立っているけど、一歩足をあげれば、バランスを失いそうだと知っている。実際、両手を持って一緒に歩いていても、まだまだ立つのが精一杯という感じで、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、とあぶなっかしい。それでも歩いてみたいーと、一歩を踏み出して倒れるか、あるいは足より先に手が出て、こちらの手にまずつかまろうと、こちらへ倒れこむような格好になったり。

今、私はなんの苦もなく歩き回っているけど、こうした能力のひとつひとつは、こうやって獲得されてきたんだなぁ、と思う。支えなしで立つことができるようになった子どもの得意そうな顔。そして、はじめの一歩を踏み出すのはこわいけど、やがてそれができる力が子どものなかに育っていく。子ども達が「はじめの一歩」に挑戦している姿を見てると、この言い回しが簡単に使えないような気になってくる。なんにしても、子どもが、日々、新しい力を身につけていくのを見るのは嬉しい(^^)。

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放送大学面接授業「現代の国際政治」

講師は千田善先生。ユーゴスラビア研究の第一人者ということで、そういう人の授業を直接受けられるというのは嬉しい。

面接授業の前に、「現代の国際政治で、もっとも知りたいこと」をテーマに400~1000字程度で授業への要望を書いて学習センター宛に提出するように、また、先生の著書「なぜ戦争は終わらないか」に目を通しておくことが望ましい、ということで、本を読み、疑問に思うことを書いて提出した。

1:ユーゴスラビアは崩壊し、小国に分裂したが、このことは現地の人たちにとって不幸なことだったのか。
2:チェチェン人、クルド人など、独立あるいは自治の拡大を求める人々がいるが、独立を認めるのは間違っているのか。
3:紛争を解決するにはやはり軍事力を持つ必要があるのか。国際的機関でも国でも。日本は「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」と定めているが、これでは平和は守れないのだろうか。

というようなことをつらつらと書いたのだけど、授業では全然触れられなかったのでちょっと残念。質問することも可能なのだけど、授業を聞いているうちに出てきた疑問などを尋ねると、それ以上また質問するのはためらわれて。40人近い生徒の疑問ひとつひとつをとりあげるわけにはいかないのだろうけど、授業前に提出させたのだから、それをなんとか反映する方法を考えてほしいなぁ、とは思う。

「民族が違うから、宗教が違うから、というだけで戦争が起こるのではない、土地とかなんらかの利益がからんできて戦争が起こる」という先生の説は、真実に近いのだと思うけど、たとえば、9・11のテロを起こした人は土地を求めていたわけじゃない。サウジアラビアからアメリカ軍が撤退することを望んでいたようだ、ということだが、自爆テロをする人など、やはりお金や利益だけでは説明できない紛争原因というのもありそうだ。

ちなみに自爆テロのことを英語やアラビア語で kamikaze というそうで、日本の特攻隊がそもそも始めたものが受け継がれたのだという。Google で、define:kamikaze と「かみかぜ」の定義をさがしてみると、だいたい、「13世紀の日本でモンゴル軍の侵入をを撃退した嵐のこと」「第二次大戦で自爆した日本軍兵士のこと」というような説明だったけど、ひとつ、"a pilot trained and willing to cause a suicidal crash" (自爆するよう訓練を受け、すすんで実行しようとしているパイロット)という定義もあり、日本のことに限らず、一般的に使われることもあるようだ。

で、「ボスニア、コソボやアフガン、イラクなどでの戦争をふまえ、21世紀の国際平和を実現するにはどうしたらいいか、あなたの考えをのべなさい」というのがレポートの課題で、これを6月末までに提出しなければならない。21世紀の国際平和を実現するには、なんて、ちょっと課題が過大(^^;)な気がするけど、考えてみたいことではあるので、もうちょっといろいろ調べてみようと思う。

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映画「ミリオンダラー・ベイビー」

30歳を過ぎて、本格的にボクシングをやろうとする女性マギー(ヒラリー・スワンク)。小さなジムのトレーナーであるフランキー(クリント・イーストウッド)に教えを請うが、「女性はとらない」と断られる。それでも、ひとり黙々と練習を続けるマギーがどんな家庭に育ち、どんな思いでボクシングにとりくんでいるのかを知ったフランキーは、結局トレーナーを引き受ける...

見ていて気がついたのは、私はボクシングが好きじゃないんだな、ということ。人を打ちたくないし、打つのを見るのも気持ちよくない。どうしてボクシングをやりたいと思うのか理解できないから、映画の中の人物に思いいれできない。そう感じたのは、ヒラリー・スワンクの演技が真に迫ったものだったから、というのはいえるかもしれないけど。

でも、ボクシングということなら、「ロッキー」も「あしたのジョー」も結構好きだったのに(「ロッキー」は1より先に2を見たせいか、2が一番好き。3はつまらなかったから、後は見ていない)、この作品を見ていてつらいのは、やはり女性ボクサーだからなのかなぁ。

(以下ネタバレ)

多分、私があまり好きになれないのは、フランキーがマギーに絶対服従させるようなやり方をするところもなのだろう。悲しすぎるラストも。アカデミー賞作品賞をとった映画の真価を自分がちゃんと見ているとは思わないけど、賞をとった映画だから万人向け、というわけじゃない。きっと、この映画が心に響く人もいるのだろう。

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本「なぜ戦争は終わらないか」by 千田善

副題は「ユーゴ問題で民族・紛争・国際政治を考える」。今週末の放送大学面接授業「現代の国際政治」で、「読んでおくのが望ましい」とされていたので読んでみた。読んでみて「なぜ戦争は終わらないか」ということがわかったわけじゃないし(著者も、「紛争の原因をさぐり、それを取り除いていこう」という立場だから、もう少し違う題名をつけてもよかったのかもしれない。これだと、「戦争は終わらない」ということが真理であるように聞こえてしまう)、ユーゴ問題がわかったともいえないけど、いくつか、へぇ、と思ったり、なるほど、と思ったところがあるので、3点だけ(といってもずいぶん長い(^^;))、書き留めておきたい。

1:国際法は、一般社会の法律とはかなり違う。たとえば、戦争のやり方は国際法で定められていて、戦争中に兵士が相手の兵士を撃ち殺しても、罪に問われない。兵士ではない民間人を殺したり、捕虜を虐待するなどした場合は「戦争犯罪」となる。つまり、ある意味で殺人も合法化しているのが国際法だ。

「何をもって戦争とするか」ということについて明確に定めている条約はなく、NATO によるコソボ空爆について、アメリカは「戦争ではない」という立場をとっている。「戦争ではなく、人道的介入」だとする立場だ。

いままでの国際法は、各国の国家主権を基礎にして成立してきていたので、「独立国内部のことはその国が決める」という前提で、「国家主権尊重」「内政不干渉」が原則だった。ところが、ある国の内部でひどい人権抑圧が行われている場合(たとえば、南アフリカでは少数派の白人が政治権力を握り、多数派の有色人種の国民を厳しく抑圧していた)、国連が介入してもよい、という考えがうまれ、それにもとづいて、武器輸出禁止や経済文化交流の禁止などの制裁が課された。こうして「人権問題は単なる国内問題ではない」という考え方が広く支持されるようになった。

コソボでは多数派のアルバニア人がセルビア人によって虐待されている、という事実があったのだが、アメリカが空爆に参加したのが純粋に「人道的介入」であるかについては疑問が残る。アメリカは「人道的な問題」があるときにはいつも介入しているわけではなく、介入することで自国に利益が生まれる場合に介入しているようにみえる...

2:1999年3月に始まった NATO によるコソボの空爆の背景として、コンピュータの2000年問題(Y2K)があったのではないか、と考えられている。コンピュータ上の日付が、99年から00年に変わるとき、コンピュータが誤作動を起こすことが恐れられていたが、軍事技術についても例外ではなく、戦闘機の航行システムや核兵器の発射装置など、場合によっては大事故につながる危険があるため、大規模な修理が必要だった。修理よりも廃棄のほうが面倒でない、という考えもあり、それよりさらにいいのが、実際の戦争で使用・消費することだった...

3:旧ユーゴスラビアで、一箇所だけ戦争が起こらなかったのがマケドニアである。独立マケドニアの初代大統領キーロ・グリゴロフは「絶対的平和主義」政策をとり、軍事的あるいは経済的に不利になる条件でも、紛争の激化につながりそうなことでは争わず、黙って全面的に譲歩した。「平和」こそが守るべきものである、という立場をとった。

これは現実にはかなりむずかしいだろうな、と思う。たとえば、竹島とか尖閣諸島の問題で、日本が全面譲歩すれば、紛争は避けられるだろう。でも、納得しない人も多いだろう。竹島とか尖閣諸島の問題の経緯を私はよく知らないまま、言うならば、「日本のものである」と主張する必要があるのだろうか。明らかにどちらかに所属する、というものでないのなら、共同管理とかそういうことができないんだろうか。日本だけが豊かになる必要はないのに...と思ってしまう。

まだ頭の中はすっきりした状態じゃないけど、今週末には、著者の先生から直接授業を受けられるのは楽しみだ(^^)。どうしたら戦争を防げるのか、終わらせられるのか、そのためにはやはり軍事力を持つ必要があるのか...そんなことを考えてみたい。

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ビデオ「ウォルター少年と夏の休日」Secondhand Lions

好きな映画だった。

母と二人暮らしの少年ウォルター(ハーレイ・ジョエル・オスメント)は、母が速記の勉強をするため、という理由で、テキサスに住むふたりの叔父のもとにあずけられる。叔父というかおじいさんというような年齢のふたりは無愛想で、彼をかわいがる様子もない。自分が邪魔者だと思われていると感じた少年は一度は家をとびだすが、そのうち、おたがいの間に心の交流が生まれて...

予想のつかない展開がおもしろい。
(以下ネタバレ)

少年が家を飛び出した時、おじさんたちが彼を探し出し、戻るように話す場面は、私の好きな場面のひとつだ。無理やり連れ戻すのではなく、子ども扱いして甘ったるい優しい言葉をかけるのでもなく、むしろハブおじさんは突き放すような言葉かけをしたりするのだけど、意地悪なのじゃなくて、少年への愛情が感じられる。そして、もうひとりのガース叔父さんが、少年の自尊心を大切にしながら、戻ってくれると助かるんだがなぁ、という言い方をする。ハブ叔父さん役のロバート・デュバルも、ガース叔父さん役のマイケル・ケインもとてもいい雰囲気で、こういうのを見ると年をとるのも悪くないなぁ、と思う(^^)。

驚かされたのは、やはりライオンが登場する場面。突拍子もないことを考えつく人たちだけど、また、そのライオンの対応がおかしくって。ライオンが登場する場面は、最後、少年を助ける場面を含めて、みんな印象的だ。この映画の原題が Secondhand Lions。「中古のライオンたち」と「ライオン」が複数形になっているけど、これはこの叔父さんたちを指してもいるということなんだな。叔父さんたち、というか、とりわけ、ハブ叔父さんの武勇伝は御伽噺っぽいけど、楽しいからいいや(^^)。

ハブおじさんがウォルターに聞かせる説教で、「人間は基本的に善」だとか、「事実と真実の違い」とかも共感できるし、そのあと、ウォルターがハブに「この続きを絶対聞かせてね」と話す場面もとても好きだ。ウォルターが去ってしまった後の叔父さんたちの会話や、また彼が戻ってくる場面も好きだし、そして、叔父さんたちが人生を最後まで楽しんで亡くなり、その後、成人したウォルターが叔父さんの恋敵だった相手の孫に会う...という筋書きも楽しかった。

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トルコ語

今年の夏はトルコに行くつもりだ。「トルコで私も考えた」という漫画を読んで以来、次女がトルコに行きたがっていて、2年前に行くつもりだったのだが、イラク戦争が起こってしまったため、さすがにその隣のトルコに行くことはあきらめた。イラク戦争はまだ完全には終わった状態ではないけれど、トルコはそれほど危険ではなさそう(といってもクルド人問題などがあるので油断はできないけど)なので、今年行くことにした。航空券は一応確保したけれど、旅程などはまだ考えていない。でも、あれこれ、本を見たり、ホームページを見たり(これが楽しい(^^))、と、また、放送大学のほうも来週の面接授業の前にやっておかなければならないことがあって、ブログの更新が滞りがちになっている。多分、夏の旅行が終わるまでは、こんな調子での更新になると思う。

というわけで、トルコ語を少し習うことにした。イタリアに行ったときも、イタリア語を少しだけやったのだけど、少しだけでも話せると結構楽しい。大きな都市のホテルやお店では英語が通じるし、私のイタリア語はたどたどしいので、「英語できる?」と訊かれて英語に変わることもよくあったが、スーパーや電車でとなりになった人など、ちょっとでも言ってることがわかると嬉しいものだ。

で、昨日からトルコ語のレッスンが始まった。レッスンは基本的にトルコ語だけで行われる。このやり方はむずかしそうな感じがするが、案外なんとかなるものだ。昨日のレッスンでは、まず、いくつかの名詞を繰り返し、覚えていく。それから、「これは○○です」という文を習い、次に、「これは○○ですか?」という言い方を習う。トルコ語は日本語と似ているところがあって、英語のような冠詞がないし、疑問文も語順が変化せず、肯定文の最後に、日本語の「~か?」にあたる言葉をつけて作る。ただし、発音と聞き取りはむずかいしいのがある(--;)。先生は日本語がある程度(かなり?)わかる方なので、いざとなれば日本語で質問もできる。

生徒は私を含めて3人。同じ時間帯を希望する同レベルの生徒が3人いればクラスが成立する、というシステムになっていて、いい方法だな、と思う。私は来週は放送大学の面接授業で出席できないのだが、先生がその次の週のクラスの始まる前に補講をやってくださるそうで、とてもありがたい。先生は明るくおもしろい方だし、生徒にもおもしろい人がいて、これから当分、土曜日が楽しみ(^^)。

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ゴッホ展

開館は10時から。東京駅から美術館までの最初の送迎バスが9時50分発ということで(実際には9時55分だった)、それに間にあうように行ったのだけど、その時間には既にバス乗り場には長い行列ができていて、何台か待たなければいけないとのこと。歩いても行ける距離だけど、午後から別の予定があり、これは既に美術館でも行列ができているかも、と思って、タクシーで美術館へ。結構人はいたけど、それほど待つことはなく入場。でも、中はやっぱり人が多い(--;)...

どうしてゴッホはこんなに人気があるんだろう。って、そういう私もなんとなくゴッホが好きで美術展に来たのだから、みんな私と似たような理由なんだろうな。

年代を追って展示されていて、初期の頃は、暗い色調の絵が多かったのだなぁ、と気づかせられる。パリに移ってから、彼の絵の色調が明るくなる。ゴッホ展といっても、ゴッホの作品ばかりでなく、彼が影響を受けた画家の作品も結構展示されているので、ああ、いろんな人の影響を受けたんだなぁ、いろんなことを試してみたんだなぁ、と感じさせられる。

私が一番好きだったのは、「」という絵。ミレーの絵を模写したもの(ただし、彩色はゴッホ)だという。上のリンクから見られる絵は私のパソコン上では実物より少し暗い感じの色調になっているけど、実物はもう少し黄みが強い感じ。ゴッホの弟テオの奥さんが妊娠していた頃に描いた絵だそうで、派手な色彩はないけど、なんとなく温かみの感じられる絵だった。

ゴッホ展を見た後、2階の常設展も少し見たのだけど、こちらは人が少なくてゆったりと見ることができた。やっぱり美術展はこんなふうに見たいなぁ。長女は、「ゴッホ展では、こんなふうに後ろからゆっくり見られない」-つまり、少し後ろにさがって、絵全体をゆっくり眺めたくても、人が多すぎるので、後ろにさがってしまうと絵が見えないーと言っていた。まったくそのとおり...ラジオで、「ゴッホ展を見るなら、木曜か金曜の夜間開館時が人が少なくておすすめ」と言っていたけど、可能ならそうするのがよさそうだ。私達が美術館を出た12時半頃には、入場を待つ人の列がかなり長くなっていた。

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屋根裏部屋

今の家を建てた時、狭い家に少しでも収納を多く、と屋根裏部屋を作ってもらった。工務店の人は、「屋根裏って、温度の変化が激しくて、夏はすごい高温になり、大事なものは保管しておけないし、とりあえず使わないものを置いておくつもりでも、とりあえず使わないものは結局はいらないものなんだから、その時に捨てたほうがいいですよ。屋根裏を作るのはあまりおすすめしません」と言われたのだけど、なんせ小さな家だし、また、屋根裏ってなんか楽しそうで(^^)、作ってもらった。3畳ほどのスペースで、大人が立つことはできないくらいの高さだけど、思い出の品とか季節によって使わないものなどをしまいこみ、子ども達はたまにはそこに上って遊んだりしていた。約10年経った今、工務店の人が言われたとおり、「とりあえず使わないもの」をドンドン放り込んでいった結果、どこに何があるのやら、文字通り足の踏み場もない状態となった(^^;)。

で、人間には2種類あるらしく、散らかった状態が耐えられない人と、まあそれほど気にならない人。我が家では夫と長女が前者で、私と次女が後者(^^;)。私は気にならないわけではないけど、つい他にやりたいことがあって、かたづけが後回しになってしまう(^^;)。

というわけで、このゴールデンウィークに、長女が屋根裏の整理を買って出てくれた(^^)。私はゴールデンウィークは関係なく仕事なので(;_;)、仕事から帰ってみると、「おかあさん、これはどうする?いるの?いらないの?」と質問の嵐。学校に勤めていた頃のクラス便りとか、長女の保育園の時の連絡帳とか、私の中学時代のサイン帳とか...懐かしいものが多く、他のものの多くも、やっぱりなかなか捨てられない。「残しといて」と応えると、「えーっ、まじ?」「その”とりあえず”はやめようよ」と言われつつ、まあ、いくつかは捨てる決断をし、いくつかは保育園行きになり(この仕事をしてると、ついつい何でも残したくなる(^^;))、彼女のおかげで見違えるほど片付いた。ありがとう>長女(^^)。

昨日から早番になったので帰宅が早くなったのだけど、そんなこんなで夕食の準備にとりかかるのが遅くなった。今日は生協の配達日なので食材はたっぷりあるはず。まあ、豆腐の炒め物でも、と、準備をはじめたら、なんと豆腐がない。先週、注文するのを忘れたらしい。じゃあ、卵料理、と思ったら、卵もない(x_x)。卵も注文し忘れたらしい(x_x)。すっかり気力をなくした私は、とっても適当な夕食にしてしまったのでした(^^;)。

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