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ビデオ「ヴェラ・ドレイク」

「ヴェラ・ドレイク。彼女には誰にも言えない秘密があった。」というコピーは見ていたけど、どういう話かはよく知りもせずにDVDを借りた。で、これは、私にとっては、とてもいい映画だった。

1950年のロンドン。ヴェラは、体調の悪い隣人の世話をしたり、ひとり暮らしの男性を気軽に夕食に招待したり、と、とても気持ちのいい女性だ。ふたりの子ども達も社会人となっているが、家族で囲む夕食のテーブルは明るい雰囲気に満ちている。ヴェラは困っている人を見ると助けずにはおられない性格で(決しておしつけがましいものではない)、夫もそんな彼女の素晴らしさを認めており、自分は幸せ者だと感じていた。ところが、この「困った人を助けずにはおられない」性格からヴェラは違法行為を行ない続けていたのだ...

法に背くというのはともかく、命の危険の伴う行為である、ということをヴェラは自覚していなかった。善意でしたことだから、と、見過ごされていいものではないと思う。ではどうすればよかったのか。問題提起が白黒をつけるような形でなくなされ、考えさせられるし、家族の対応も丁寧に描かれていて脚本もおもしろい。

(以下ネタバレ)

当時のイギリスでは堕胎は違法だった。望まない妊娠をした場合、母体に危険がある場合のみ、中絶することが認められたが、それには高額な費用が必要だった。というわけで、ヴェラのような人たちが出てくるわけだ。

そもそも中絶するという考えが間違っている、という意見もあると思うけど、少なくとも望まない妊娠の結果がその女性だけに押し付けられているというのはおかしな状況だと思う。

ヴェラがもっと高度な技術を持っていたら問題はなかったのか...安全確実な方法(だとヴェラは思っていた)で行なっていたなら?...

中絶を選択肢として選ぶことができる、という状況は必要だと思うけど、簡単に選べるようなものではあってほしくない。ヴェラが処置をした娘達に2度と会わないのは、彼女達にとってつらいことを思い出させたくない、という思いやりからかもしれないけど、本当は、もし中絶を行なったなら、そのあとの心のケアも必要になってくるのだと思う。

最後、ヴェラのいない家族の無言の食卓の場面が、彼女の大きさを感じさせた。本当に素敵な女性だと思う。私はいろいろ言うばかりで、とても彼女のようにはなれない...

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ビデオ「コーヒー&シガレッツ」

いとこ同士、友人、双子...など、だいたい2、3人がコーヒーを飲みながら、たばこを一服しながら会話する。そういう場面を11話集めただけの映画。

私は誰かと一緒によりもひとりでコーヒーを飲むことのほうが多いけど、コーヒーとかお茶って、こういう会話をつなぐものとしてあるような気もする。映画のなかでは、コーヒーを飲みながら会話がはずんでいるというより、気まずい雰囲気が流れていることのほうが多い。でも、突然、知った顔(有名人...って実はみんなそうなのかな?)が出てきたり、ちぐはぐな会話がおかしかったりして楽しめる。私はタバコは好きじゃないので、映画のなかで何度か交わされる「コーヒーとタバコってあうんだよな」というセリフには賛同しかねるけど、まあそう思う人もいるんだろうな。

(以下ネタバレ...なので、この映画を見ようかな、と思っている人は読まないほうがいいと思います)

まず、いきなりロベルト・ベニーニが出てきて、彼の「ライフイズビューティフル」が大好きな私としては嬉しくなる。

なんといってもびっくりしたのはケイト・ブランシェット。二役を演じていたとは気づかなかった。全然違う雰囲気のふたり。うーん、役者だなぁ。

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ビデオ「大いなる休暇」 La Grande Seduction

カナダケベック州の小さな島。漁業で生計をたてていた住民達だが、それがたちゆかなくなり、島民はみんな生活保護で暮らしている。そこへプラスチック工場誘致の話がもちあがる。工場が来ればまたみんな働いて暮らすことができるようになる。しかしそれには「島に医者がいる」ことが条件。島のみんなはケベック中の医者に手紙を送って島に来てくれるように頼むが、返信はゼロ。ところが、ひょんなことからひとりの医者が島にやってくることになり、島のみんなは力をあわせて、彼をこの島に定住させようとする...

とても見たかったのに見に行く機会を逃してしまった映画。で、なかなか好きな作品だった(^^)...ある一点を除いては。

(以下ネタバレ)

素朴な村人達の涙ぐましい努力...というようなコピーがあったと思うが、医者を知るために彼の宿泊している部屋に盗聴器を仕掛ける、というシーンを見て、えーっ、それはないでしょう、と思ってしまった。この作品は結構好きだけど、私がもし医者の立場だったら、それを知ったとき、がまんできなかったと思う。この医者が心の広い人でよかったけど。

村長のジェルマンが、夜突然ある家に入っていって、夫婦の眠っているベッドに割り込むシーンがある。この村ではプライバシーというのはあまりないのだろう。だから盗聴という話にもなってしまうのだろう。おたがいをよく知っている村というのはそういうものなのかもしれないけど....(--;)

好きなのは最後の場面。村人たちは医者の興味にあわせてクリケットが好きなフリをしていたのだが、それらがすべてお芝居だったとわかったあとで。ジェルマンがどうしてみんながウソをついてまで医者にこの島に来てほしかったのかについて訴えかける。それを聞いたあと心を動かされたらしい医者が問う。「クリケットを覚えるか?」それに対するジェルマンの答えと医者の対応が気持ちよかった(^^)。

ジェルマン役の実直そうな感じ、それから郵便局のきれいなおねえさん(リュシー・ロリエ)もきりっとしていてよかった。

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病休

先週の木曜午後から風邪気味だなぁと感じていた。金曜は市販の薬をのんで仕事。薬はよく効くなぁ、と思ったけど、土日は仕事じゃないので薬をのまないようにしていた。日曜は放送大学の面接授業で、薬をのむつもりだったのに忘れてしまい、結構きつかった。月曜も薬をのむつもりで忘れてしまい、ひどい状態だった。といっても熱はたいして高くないので、休もうと思えない。鼻水が出てのどが痛いくらいだ。鼻がつまってのどに痰がからむので、声がいつもとちがい、そしてとりあえず頭が痛い。昨日の火曜は、調子は悪いものの朝熱がなかったので出勤したが、どうにもしんどくて、熱も出てきたようなので早めに帰らせてもらった。そして今朝は病休。

このところクラスの子ども達は鼻水を出している子が多かったから、私が風邪をひいても不思議じゃないけど、そんな状態でも風邪をひかないのが私だったのに、ちょっとがっくり。体調が悪いと機嫌が悪くなり、ふだん不機嫌な人はもしかして体調が悪いのかなぁなんて考える。

さっき医者に行って薬をもらってきた。病休を取るには医者の診断書が必要なので書いてもらった(これは数年ぶり。2度目かな)。一応「3日間の休養が必要」と書いてくださったが、体調がよくなったらそれより早く出てもいい、ということなので、早く良くなるといいけど。とりあえずもう一眠り。

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本「自爆テロリストの正体」by 国末憲人

アルカイダの一員として自爆テロリストになるのはどういう人たちなのか。貧しく純粋なイスラム教徒がやむにやまれず自爆テロリストとなるのだろうか。筆者は、違うと言う。西欧社会で受け入れられず、疎外感を感じているアラブ系の人が、本来のイスラムではない過激なイスラム風の教えに救いを見出してテロリストになる場合が多いのだと言う。ちょうど、心に不安を抱えた若者がカルト教団に魅力を感じてしまうように。

アルカイダの主張を分析するとイスラム教本来の教えからひっかかる部分が少なくないそうだ。フランスでカルト教団対策をしているフルニエ氏は、「9・11テロをイスラム教と結びつけるのは、オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件を仏教徒のテロと呼ぶことと同じほどばかげているのではないか」と言う。(p.184) 9・11テロで旅客機を操縦していた容疑者が持っていた指示書を見ると、精神的に落ち込んでいる人を組織に引き入れ、組織の言いなりになる人物を作り上げていったのではないか、と推察される箇所がいくつも見つかるそうだ。

だとしても、何故アルカイダはテロを起こそうとするのだろうか、という疑問は残る。アルカイダのテロリストたちは確かに本来のイスラムの教えを理解していなかった人たちかもしれないけれど、パレスチナで生まれ育ち、自爆攻撃をすることを選んでしまった人たちもいる。筆者は「過激派はアラブ・イスラム社会の奥底から生まれてくるのではなく、実はアラブ社会と西洋社会の接点で誕生するのではないか」(p.48)と書いておられるのだけれど、それ以外の例を無視することはできないだろう。

「ブッシュ政権の基本的な過ちは、テロに対して戦争で応じようとしたことだった。」(p.200) というのは私も同感だ。

テロは何よりまず、犯罪である。アルカイダの場合、(中略)基本的には孤立した、世論の広範囲な支持など到底得られない集団だ。...(中略)...しかし、ブッシュ政権が取った道はテロとの全面戦争だった。「テロとの戦い」は、スローガンとしてはまことに勇ましいが、アルカイダの拠点も住宅地も十把一絡げに爆撃する方法では、戦術的な効果でさえ疑わしい。それはビンラディンの論理にブッシュがすっかり乗せられてしまったことを意味している。...(p.200~)
ウィキペディアの定義 によれば、「テロリズムとは、心理的恐怖心を引き起こすことにより、政治的主張や理想を達成する目的で行われる暴力行為のこと」となっている。アメリカがやっていることと、この定義を見比べると、「テロリスト」たちがアメリカを敵視する理由が少し分かるような気がしてしまう...

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中学校の道徳

中3の次女の道徳の授業で、教科書に「自分にきびしく、いかなるときも言い訳を許さないようにしなさい」というようなことが書かれていたそうだ。

次女:で、先生は、「本当にそんなことしてたら、おかしくなっちゃうから、そんなことしないように」って。
母: いい先生だね。
次女: うん。

教科書の執筆者はそれを実践しているのかなぁ。娘の担任が「道徳的」な人でなくて(?)よかった(^^)。

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色、いろいろ

放送大学「英語Ⅳ」。前回(第2回)のテーマは「色」だった。
異なった文化において、色に対するイメージが違うということ。たとえば、日本では赤(紅白の紅)は祝い事に用いられる色だが、英語圏では赤は血を連想させる色であり、危険につながる色とされてきた。(もちろん、赤のイメージがそれだけというわけではないが。)一方、白は日本でも英語圏でも花嫁の色とされ、純潔を象徴するなど、共通のイメージがある場合もある。

「黄色い声」「腹黒い」「赤貧」「青二才」など、色を使った言い回しは日本語にも多いけれど、英語にも色を使ったイディオムがいろいろある。番組で紹介されていたのでは、

out of the blue: にわかに、だしぬけに
black sheep : 厄介者
a green hand : 未熟者

など。以前、こういうイディオムを勉強したとき、ロンドンに住むペンパルと、色のイメージについて話したことがある。そのなかで覚えているのをひとつ。
日本では「ピンク映画」という言い方があるが、英語だと blue film となる。ピンクには性的なイメージはないようだ。(でも、念のため、英語版の wikipedia で pink を見てみると、日本での使われ方が紹介されているし、やはり女性を連想させるものではあるようで、そのことから日本ではこういう使われ方がされているのでは、などと書いてある。)ピンクパンサーとかピンクフロイドとかはどういうイメージなんだろう。

ちなみに、放送大学のテキストでは、この「色」という話題へのとっかかりとして、「虹は何色(なんしょく)か」という問いを出していた。日本では「7色」と答えるのが普通だが、英語圏では「6色」と答えるらしい。へぇおもしろい、と思って同僚に尋ねてみたが、「5色」「3色」「8色」「わからない」...などまちまちで、6色というのが定番の答えというわけではなさそうだ。まあ少なくとも、どこの国でも虹は七色というわけではない、ということはわかった。虹を見ていると確かに境界が曖昧だから何色とは答えにくいと思う。でも、イタリアのパーチェの旗 は七色だから、7色というのも結構一般的なようだ。「イギリスの科学者・ニュートンが太陽光をプリズムで虹色の帯に分解したとき、聖数七(音階など)にちなんで それを七色に数えた、ということが始まりのようです。」という解説をしているページもあった。

とにかく、違う文化圏、言語圏に住むことで、もののイメージが違ったり、思考もそれに左右されるのだろう、と考えることはおもしろい。

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視力のいい人

春らしく気持ちのいい日。午後のおやつを食べ終わった後、バギーでお散歩にでかけた。桜は終わってしまったけど、道に咲くたんぽぽ。飛び交う鳥達。スケートパークでスケートボードの練習をしている子ども。この季節のお散歩はとりわけ楽しい。映画館の前にパトカーが停まっているのを見つけた子どもが「オッオー」(何かよくないことが起きたときに言うセリフ。「あーあ」という感じに近いかも)と言うので、「パトカーがあるのは何かよくないことが起きていると知ってるんだね」と、一緒にお散歩に出ていた同僚のEと笑っていたら、パトカーから犬を連れた人が降りてきた。よく訓練された警察犬で、子ども達の結構近くまで連れてきてくれたので、子ども達は大喜び。舌を出してハーハー言ってみたり、ワンワンと鳴くマネをしたり。

Buggy行程の3分の2くらい過ぎたところで、ひとりの子が「オッオー」と言うので見ると、彼女の靴が片方ない。子どもの靴が脱げてしまうのはたまにあることだが、彼女の靴が落ちたことにはEも気づかなかったようだ。「どこで落としたんだろうね」と言うと、後ろを振り返ったEが、「ああ、あそこに落ちてるよ」と言って走り出した。私には何も見えなかったが、Eに見えるくらいだからそんなに遠くないのだろう、と思っていると、ぐんぐん先に行く。200メートルほど行っただろうか。そこでEが何かを拾い上げたが、私にはまるで見えない。私は、前回の健康診断では両目とも1.0だったから目が悪いほうではないが、200メートル先のアスファルトに落ちている1歳児の茶色い靴は見えなかった。あそこに落ちているものが見えたの?と信じられない気持ちだった。

アフリカには視力のいい人が多い、と聞いたことがあるが、Eはアフリカ生まれではない。でもやはり黒人には目のいい人が多いんだろうか。視力は2.5だという。それ以上は測定していないのかもしれない。「もういいです」と言われるそうだ。

写真は今日撮ったものではないけれど、靴が脱げているのは今日も同じ子だった(^^;)。

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もったいない

昨日の土曜日は、「全員出勤して保育園の部屋を掃除するように」という大園長先生のお達しが出ていた。うちのクラスでは、部屋に造り付けの木製の棚が古くなってささくれだってきていたので、コンタクトペーパー(壁紙みたいなもの。接着剤つきの防水紙)を貼っていたのだが、それもボロボロになってきていたため張り替えることにした。実はお昼寝時間にやろうとしたのだが、お昼寝時間ではとても全部張り替えることはできず、中途半端にしておくと、子ども達がすぐにはがしてしまい、前よりもひどい状態になったままだった(^^;)。

私はこの作業が苦手で、特に広い範囲だと、コンタクトペーパーを貼るときに気泡が入ってしまったりで、なかなかうまくできない。中心になってやってくれたのは、しばらく前にうちのクラスに入ったE。先週のお昼寝時間に、Eと私のふたりで古いコンタクトペーパーをきれいにはがすところから始めたが、これがなかなか根気のいる作業で、昨日の朝までに終わらなかった。結局、昨日、3時間近くかかってようやく古いのをはがしてきれいにし、新しいコンタクトペーパーを貼り始めた。

内装の仕事をしていたことがあるというEは手際よく仕事をすすめていく。大きなところはEが中心になって、細かいところは私が貼っていった。使っていたのはロール状のコンタクトペーパーで、大きな部分を切った余りの紙を私が細かいところに使うようにしていた。ほぼすべて貼り終わったときに、いくらか細かい余り紙が出たのだが、Eが「これはとっておこう。ちょっと破れたりしたときに貼って補修するのに使えるから」と言ったことに感心。アメリカ人はそういうことを考えない人が多い、という印象があったからだ。

部屋に子どもの写真を貼ったりするときには透明のコンタクトペーパーを使うのだが、考えて切れば1枚のペーパーを2枚分の写真に使えるのに豪快に使う人や、余りのコンタクトペーパーを惜しげもなく捨てる人。ロール状のペーパーを考えなしに切っていく人。やはりアメリカは豊かな国なのか、うちの保育園にいると「もったいない」と感じることは多い。毎日大量に出る給食の残飯。おむつを替えるときには一回一回使い捨ての手袋を使う。衛生上の理由から、布のタオルよりもペーパータオル。もちろん紙おむつ。安全上の理由から、誰もいないトイレの電気もつけておく。誰も見ていないのに休憩室のテレビはつけっぱなし...

9人(だったかな?)兄弟で育ったというEは「もったいない」という感覚を知っているのだろう。他のアメリカ人でももちろん、「もったいない」(waste) ということを感じる人はいるけれど、それよりも衛生、安全を重視、というのが保育園の方針なのだ。

とにかく、新しいコンタクトペーパーを貼った棚は見違えるようになった。明日の子ども達の反応が楽しみだ(^^)。

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ビデオ「バス174」

2000年にリオデジャネイロで起こったバスジャック事件の記録映像を軸に、バスの乗客や、事件解決に関わった警察、犯人サンドロの叔母や友人、心理学者などの証言を加え、この事件が起こった経緯を明らかにしようとした作品。ブラジルでは大変有名な事件らしく、たくさんの人が事件のライブ中継を見ていたというが、私はこの事件のことを知らなかったので、ドキュメンタリーながら最後まで結末がわからず、ドキドキしながら見ていた。

バスジャック事件の犯人サンドロは、幼い頃、目の前で母親を殺され、叔母の世話になったりするが、結局はストリートチルドレンになった。生きていくために盗みを働くこともある。そして刑務所へ。刑務所の環境は劣悪で、受刑者が人間らしい扱いを受けることはない。刑期を終えて出所しても、しばらくするとまた刑務所へ。多くのストリートチルドレンがたどる道だ。やがてサンドロは母と慕う女性に会う。その女性と暮らし、まともな職を得ようと努力するが、ストリートチルドレンだった者が良い職を得るのはむずかしい...

学生時代サンバが好きだった私にとって、ブラジルは行ってみたい国のひとつだ。だが、旅行に行った人から「強盗にあった」などという話を聞き、軽い気持ちではは行けないな、と思っていた。サンバが好きだったからファベーラ(ブラジルの貧民地区)のことも多少は知っていたのに、ストリートチルドレンがそんなに多いとも知らなかった。私は旅行が好きだけど、ほんの1、2週間滞在しただけでは結局は何もわからないのだろう。そして、いつもそんな旅行をしているんだろうな...

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放送大学2006年前期

今学期登録したのは「フィールド社会心理学」「英語Ⅳ」「幼児の教育と保育」。このうち「幼児の教育と保育」は、今まで2回放送があったのに2回とも録音に失敗してしまった(--;)。

「フィールド社会心理学」はラジオの講座。2回目は佐藤郁哉さんという方をゲストに迎えての対談だったが、これがおもしろかった。佐藤氏は「暴走族のエスノグラフィー」という著書があるそうで、暴走族についてフィールドワークをやった、という方だ。フィールドワークは実験的な方法とは違って、現場に出向いていって、そこの人たちと信頼関係を築いたうえで実情を記録し、分析・解釈する、というやり方をするもの。実験的方法で質問紙法などを用いた場合、たくさんのデータが数値や表を用いて示され、いかにも科学的に見えるが、はたしてそうしたやり方で実態はどこまで理解することができるのだろうか。そういう話を聞いていて、なるほどそうだよなぁ、と思った。テキストでは、佐藤氏に関しては著書が紹介されている程度で、放送内容とはまったく違うのだが、フィールドワークをやった人の話というのはおもしろい。毎回、違った分野のフィールドワークをやった人が登場するようなので、どの人もおもしろいかどうかはまだわからないけど、フィールドワークというのは私好みっぽいなぁ、という気はしている。テキストで紹介されていた「子どもの異文化体験」(箕浦康子著)や佐藤氏の「フィールドワークの技法」も読んでみたい。

「英語Ⅳ」はテレビの講座で、日本と英語圏の文化比較を通じて英語力を高めようとするもの。政治や宗教などは社交の場で話題にすべきでない、とされているが、あえてそういう話題にも踏み込んだ、とのこと。私も、おたがいを本当に知るには政治や宗教についての理解が欠かせないと思う。というわけで、こちらも楽しみ(^^)。アメリカ人の禅僧やニュージランド人の武道家など、ゲストも多彩。番組を作っている人が楽しんだのに違いないという授業はこちらも楽しめそうだ。

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舌をみがく?

Cimg0218教材室で、"Brushing Well" という本を見つけた。歯のみがき方のお手本を示していて、前歯をみがいて、奥歯をみがいて、歯の裏側もみがいて...というのはいいとして、「舌をみがきましょう」というページがでてきた時にはびっくり。

何人かの同僚に聞いてみたら、全員「舌をみがく」と言う。人によっては子どもの頃からそうだったという人もいるし、最近推奨されるようになってきたんだ、と言う人もいる。ただ、当然のことのようにしてみがいているわけではなく、みがくほうがいいことなんだとされているようで、それで時々みがいている、という感じだ。口臭をへらすのにいい、ということらしい。

でも舌をみがく気はしないなぁ。

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相手に応じたコミュニケーション

4月1日の研修で学んだことについて最後にもう一回。
親にしても同僚にしても、相手の性格を把握して、それに応じた対応をすることがよい。また、まず、自分の性格のタイプを知ることも必要である。この研修では人間を4つのタイプに分類した。開放的であるかどうかという尺度(openness)を縦軸に、直接的であるかどうかという尺度(directness) を横軸に、いくつかの質問に答えて、より外交的で直接的な人を社交家タイプ(socializer)、外交的で人とのつきあいは好きだが自分を強く主張しない人を 潤滑油タイプ (relater)、内省的ではあるが主張すべきことは主張する人を 指導者タイプ (director)、内省的で自己主張をあまりしない人を 思索家タイプ (thinker) とした。こういう性格分類は日本ではあまり一般的ではないようで、訳語は私が勝手に書いたのでもっといい訳があるかもしれない。参考になる記事はこちら

社交家タイプの人には自己表現させる時間を与えなさい、指導者タイプの人には彼ら自身が選ぶことのできる選択肢を与えるようにしなさい、潤滑油タイプの人は争いを嫌うので二者択一のような状況を与えないようにしなさい、思索家タイプの人には具体的な数字やデータを示し、考える時間を与えるようにしなさい、などなど、自分のクラスの同僚のタイプを知り、おたがいの長所をいかしていくことが必要だ、と話された。

ひとりの人が必ずしもひとつのタイプにあてはまるというわけではないが、ある程度の傾向はある。一クラスのなかにはいろいろなタイプの人がいるほうがバランスがとれていていいかもしれない。今、うちのクラスだと、私とEは子どもと遊ぶほうが好き (people-oriented) だが、Kは部屋をきれいに保ったりすることが得意 (task-oriented) だ。もし、私の同僚がふたりとも子どもと遊ぶほうが好きであれば、私はもっと裏方仕事をすることが増えるだろう。

...と、いろいろなことを考えられてなかなか楽しい研修だった。
ただ、現実に私がコミュニケーションのむずかしさを最も感じているのは、この研修を主催していた上司たちとの関係だったりするのだけど(^^;)。

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映画「ニュー・ワールド」

先日、「かもめ食堂」の試写会がとても楽しくて、映画好きの人たちと映画を見るのは楽しいなぁと思った。今回、また同じところの主催で「ニュー・ワールド」の試写会があり、一昨日行ってきたのだけど、やはり映画が違うと試写会の雰囲気も違うのだ。

「ニュー・ワールド」はイギリスがアメリカを開拓する時代の話。ディズニーアニメで有名なポカホンタスが主人公。インディアンが住んでいるところへ押しかけてきて勝手に土地を自分のものとしてしまうイギリス人たちを見て、そうか、アメリカはそういう国だったんだなぁ、と改めて思った。だからパレスチナを占拠するイスラエルに同情的なんだろうか。

開拓者のリーダーであるスミス(コリン・ファレル)はインディアン達に捕らえられ、命を奪われそうになるが、インディアンの王の娘ポカホンタスの懇願により命を助けられる。しばらくインディアンとともに生活していたスミスとポカホンタスは恋に落ちる。しかし、結局スミスはイギリスに帰国してしまう。数ヵ月後、ポカホンタスには彼が死んだと伝えるように、と言い残して。傷心のポカホンタスを優しく支えたのが別のイギリス人ロルフ(クリスチャン・ベール)。ポカホンタスは彼に惹かれるようになるが、スミスに対して感じていたような激しい愛を感じることはできない。そしてある日、実はスミスがまだ生きていることを知る...

映像はとてもきれいだし、奔放なポカホンタスは魅力的だ。ところが、とりわけ、スミスを失った後、いろいろ自問自答しているポカホンタスはそのおおらかな魅力を失っていき、イギリス淑女になっていくにしたがって彼女らしさがどんどん奪われていく。なかなかロルフに心を開ききらないポカホンタスにも共感できず、映画にのめりこめなかった。

終わり方も「えー、これで?」という感じで、クレジットが始まるとすぐに席を立つ人多数。基地の映画館だとそれが普通だが、日本の映画館ではクレジットの間も映画の余韻に浸っている人が多いのに。

まあ、私が楽しめなかったからといってよい映画でないというわけじゃない(^^)。ヤフーのレビューを見てみると絶賛している人もいるから、人それぞれだと思う。

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イースター エッグハント

一昨日だったか、去年キッチンに入ったコックさんが、「イースター用に卵がほしいか?」と訊いてくれ、「卵って生卵じゃないよね?」と確認し、目先の変わったことが好きなのは1歳児と同じ私は、喜んでお願いした。

今年のイースターサンデーは次の次の日曜のようだけど、彼は今日、たくさんゆで卵を作ってくれた。今日だとは思っていなかったので、実は何の準備もしていなかったのだが、今週から新しくうちのクラスに入った保育士のEが、卵を食紅の液につけて色づけし、それを外に隠すんだ、と教えてくれた。ところが、急なことで、教材室の食紅もきれている。というわけで、水性ペンやクレヨンを使って子ども達と卵にお絵描きをしたのだが、子ども達は加減がわからず、卵をつぶしてしまうので、お昼寝時間に保育者のほうでやることにした。

基地の保育園で働き始めて7年目になるが、イースターに関連した行事をやったことはない。宗教色のある行事をやることについてはいつも慎重なのだが、今年は誰が言い出したんだろう。うちの保育園は、園長も副園長もやめたばかりで、今は、基地のふたつの保育園を統括している大園長がヘルプに入っている。もしかすると、コックさんが気をきかせてくれたのかもしれない。

とにかく、イースター関連の行事をすることについて、クラスの保護者の意向を確認しておかなくてはいけない。保育園入園に際して「祝日調査」(Holiday Survey)というアンケートを書いてもらっているのでそれを見る。どんな祝日を祝うか、どんなふうに祝うか、自分の家庭で祝わないことを園でとりあげることについてどう思うか。 今日の出席者7人中6人は、祝う日としてイースターをあげているか、あげてはいなかったが、いろいろな経験にふれさせることに肯定的だった。今週入ったひとりは書類がなかったので前のクラスの担任に聞くと、イースター関連行事をしても大丈夫だろう、とのこと。

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で、お昼寝時間にお絵描きした卵を園庭のあちこちに置いた(隠した、とは言えないな(^^;))。午後のおやつを食べたあと、園庭に出た子ども達はすぐに卵を見つけて大喜び(^^)。本当はひとりひとりカゴを持って出るのだが、今日のところは、見つけた卵を大事そうに持って結局は口に入れたりつぶしたり投げたり(^^;)。あちこちに卵の黄身や殻がちらばってちょっと掃除は大変だったけど、いつもの園庭に何かちょっと違ったことがある、というのは楽しい。来年は食紅とカゴを用意してやってみたい。

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電車が緊急停止

試写会を見に行った帰りの電車で、突然ピピピという音がして電車が緊急停止。先の駅で線路に転落した人がいたそうです。「人身事故」の多い路線だけど、とりあえずそうはならなかったようでよかったかな。

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同僚とのコミュニケーション

昨日は親とのコミュニケーションについて書いたけど、私にとって、もっとむずかしいのは同僚とのコミュニケーションだ。休憩室で雑談したりするのはいい。問題は、相手が聞きたくないようなことを言わなければならないときだ。

携帯電話を部屋に持ち込んではいけない。休憩時間は15分、ランチタイムは1時間。部屋に食べ物を置いておいてはいけない。そういったきまりを守らない同僚に対してルームリーダーとしてどうアプローチすればいいか。

いつも時間に遅れてきたり、余分な休憩時間をとる同僚に対して、そのことを言っても、何らかの理由をつけて自分を正当化したりで、なかなかそれが改まるということはない。うちのクラスは人見知りをする子も多いので、別の人にヘルプに入ってもらうよりは慣れた人のほうがいい、となると、口やかましく言うのはやめておこう、となってしまう。実際、首をかしげるようなきまりもあり、きまりのすべてを遵守するように求めるのもなかなか大変な話で、たとえば携帯電話についてもあまり口うるさく言うと同僚から「柔軟性がない」とか"bossy"(いばってる)などと言われそうで、躊躇してしまう。

小言っぽいことを言われても、「あの人の言うことなら」と聞く気になる人もいるが、残念ながら今のところ私はそういうタイプではなさそうだ(--;)。「英語が満足に話せないくせに何えらそうなこと言ってるの」という感じになることもあると思う。研修では、「相手の人格を否定するようなことを言わず、相手の行為について注意を促すように」とか、「とりあえず相手のいいところをまずほめてから、本題に入っていく」などのテクニックが話されていたけど、現実にはなかなかむずかしい。子どもに直接デメリットになるようなことでなければまあいいか、なんて思ってしまうのだが、自分のクラスの同僚がルール違反をしているのを放置しているとそれはルームリーダーの責任になってしまうわけで、何は良くて何はダメなのか、自分ではっきり基準を持たなきゃいけないなぁと思う。そして、クラスの同僚とできるだけいい関係を保つようにして、言いにくいことも言えるようにしていかなきゃいけないんだろうなぁ。

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親とのコミュニケーション

土曜日の研修で思ったことをあと何回かに分けて書きたいと思う。

あまり楽しくない話題を親としなければならないとき。たとえば、その親の子どもが友達を噛むなどの問題行動をしたり、いつもお迎えの時間に遅れてくる親に注意を促すなど。そういう場合にどういうふうに話を持っていけばいいか、ということについて、みんなで役割劇をしたりして話し合った。

私が今の1歳児クラスになって驚いたのは、子どもがケガなどをしたとき、親がひどく怒るということだ。園庭で転んでひざをすりむいた、よろけて頭を棚にぶつけた、友達に噛まれてあざができた、など、うちのクラスではしょっちゅう起こることだ。歩き始めたばかりの1歳児が転んだりよろけたりするのはよくあること。歯の生えてくる1歳児、まだ言葉でのコミュニケーションが十分にとれない1歳児が友達を噛んでしまうというのも普通のことだ。それなのに、何故そんなに怒るのか理解できない感じだった。

幼稚園の先生をしていた友人にそのことを話したところ、「それは保育園に入る前に、そういうことがあるっていうことについて親に十分知らせておいたほうがいいんじゃないの」と言われ、なるほどと思った。それでルームリーダーだった人にそのことを話し、また自分がルームリーダーになってからは、うちのクラスに入る前のオリエンテーションで一歳児の特徴について話し、十分にそのことについて警告するようにした。それで親の不満を聞くことはずいぶんと少なくなった。

親にもいろいろな人がいる。ケガをしてもそれほど気にしない人もいれば、小さなケガでも知らせてほしい、という人もいる。そのあたりの希望もオリエンテーションのときに聞くようにした。あと、ふだんからできるだけ子どもの様子を伝え(今日は誰と楽しく遊んでた、とか、こんなことを言ってましたよ、とか)、親とのいい関係を築いていくようにしている。

それでも、友達をたたいたり噛んだりする子の親にそのことを話すとき、私はまだまだ配慮の足りないところがありそうだなぁ。もっとユーモアのある話し方ができるといいんだけど。

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証明写真が自宅で作れるソフト

放送大学の新年度が始まった。今学期は「幼児の教育と保育」「フィールド社会心理学」「英語Ⅳ」の三教科を登録している。

で、学生証は2年間有効だったのだけど、今年で3年目に入るので更新しなくてはいけない。そのために写真が必要なのだが、わざわざ撮りに行くのも面倒だし、お金を出してもいい写真が撮れるともかぎらない。まあそれは被写体に問題があるからだけど(^^;)、それでも家で撮ったほうが自分の気のすむまで撮りなおしができる。そうやって自分で撮った写真を簡単に証明書用に加工することができるのが Photography Studio というソフト。

両目の間、頭の先、あごの先を選んで写真を切り出し、運転免許証サイズ、パスポートサイズ(IC旅券にも対応)などに加工して印刷できる。任意のサイズを指定することも可能だ。去年の春、長女の学校に提出する書類や生徒手帳用の写真を作るのにこのソフトを使ったのだけど、パソコンを新しくしたときにインストールしなかったので、なんというソフトだったのか探すのにちょっと手間取った。自分のブログに書いておけばもう大丈夫(^^)。これがあれば本当に証明写真を撮りに行かずにすみます。

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コミュニケーションで大事なことは

昨日の研修でおもしろいと思ったことをひとつ。

人のメッセージを受け取るときに重要な役割をしている構成要素は、言葉(words)、声の調子(tonality)、ボディランゲージ。言葉こそがメッセージの内容なのだから、最も重要なものであると思われがちだが、実はコミュニケーションにおいて言葉がはたしている役割は7%。37%は声の調子から人はメッセージの意味を感じ取り、55%はボディランゲージから意味を感じ取っているのだという。(参考記事はこちら )


確かに同じ内容を話していても、声の調子が違えば、意味するところはまったく違ってしまう。たとえば、「本当にありがたいわ」という言葉は、普通は感謝を意味するが、声の調子によっては皮肉にもなりうる。

さらに重要なのがボディランゲージ。こちらの目を見て話しているか、顔の表情はどうか、時計ばかり見てそわそわしていて心ここにあらず、という状態だったらどうか...などなど。実際、相手が自分にどう向き合っているかで、相手のこちらに対する気持ちはかなりわかる。自分に対して怒っているのか、好意をもっているのか。相手は楽しんでいるのか退屈しているのか。

電話ではこのボディランゲージが伝わらない。だからコミュニケーションは、より慎重にしなければならない。子どもがけがをしたことを親に伝える電話では、それが緊急を要する事態なのか、今とりたてて心配するほどのことはないのか、声の調子も意識して伝えるようにしなければならない。親は「けが」という言葉に過剰に反応してしまいがちだ。

で、考えてみると、ネット上のコミュニケーションでは、ボディランゲージもなければ声を聞くこともできない。顔も見たことのない人との間でコミュニケーションしているわけだ。文の内容や文の調子から書き手の人柄を想像しているわけだけど、オフ会などで実際に会うと、たいていは想像とそれほど大きく違うことはない。でも、ネットでのイメージとはかなり違う、ということもたまにある。とにかく、ボディランゲージも声色も使うことのできないネット上でのコミュニケーションには、やはり慎重に言葉を選ぶことが必要なんだろうな。

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新しい扉

今日は、朝から一日、ルームリーダーを対象にした研修だった。親や同僚とのコミュニケーションをどうとっていけばいいか、というようなことが主なテーマで、このことに関してはまた書きたいと思うけど、今日は4月1日にふさわしい話題を。

その研修の導入として、講師担当の人が ”New Door”(新しい扉)という言葉を大きく紙に書き、この言葉を一語に言い換えてごらんなさい、と言った。

Change the "new door" into one word.

さて、期待される答えとは何でしょう(^^)?
ヒント:英語で書いたところがミソです(^^)。

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