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本 「あたりまえ」を疑う社会学 by 好井裕明

放送大学で今期とっている「フィールド社会心理学」は、毎回、様々なフィールドワークが紹介されて、とてもおもしろい。暴走族、シャーマン、アトピー...。私自身は「バイリンガル」について理解を深めたいと思っているのだけど、実際、どんなふうに調査をすすめていけばいいのかがわからない。そんなとき、「Passion For The Future」 でこの本が紹介されていて、読んでみようと思った。で、とてもおもしろかった(^^)。

社会調査を行うときに、質問を用意して回答してもらい、それを統計的に処理して結論を導く。いかにも科学的に見えるけど、こうした方法に私はいつもなんとなく腑に落ちないものを感じていた。この本を読んで、ああ、私の感じていた気持ち悪さはそういうことだったのか、と思った。

たとえば、次のような質問項目にどう答えるか?
「あなたは本当なら感じたくないような感情をいだいてしまうことがありますか?(とてもよくある 1-2-3-4-5-6-7 まったくない)」
まず、質問内容が曖昧だ。それでも、1から7のどこかに○をつけなくてはならない。こういうアンケートをどれだけたくさん集めても、その結果、何が明らかになるというのだろうか。

様々な社会問題について調べたいと思う。差別の実態について聞き取りをしたい。でも、誰がそんなことを好き好んで話すだろうか。調査のためだけに何故こちらのプライバシーをさらけださねばならないのか。調べようとする人は自分が「余計な存在」であることを自覚しなくてはいけない。

マイノリティと呼ばれる人々。調査者が自分をその枠外におき、自分は「普通」の人間であり、対象者とは違う、という設定のもとで聞き取り調査を行ったらどうなるか。

部落解放運動をすすめている当事者とある評論家との対話で、評論家が切り出す。
「私は特に厳しい差別を受けた経験もないし、ひどい差別などしたことはありません。その意味で普通の人間なのですが、そうした立場から、いろいろお尋ねしたいとー」(p.222)

相手はこの発言をそのまま承認し、対談が始まったのだそうだが、筆者はこれに驚いたという。「普通の人間」は差別を受けたり、差別をしたりしない...この評論家の語りは暗にそういう見方を主張しているのだ。

普通って何か。あたりまえって何か。同性を愛してしまうゲイの人たちは「普通」ではないのか。ひきこもる人たちは「普通」ではないのか。そして、調査者自身も「普通」であることにどれほど自分がとらわれているかということについて自覚しているだろうか。

「あたりまえ」を疑う、ということについて、筆者は自分の経験からおもしろい例をあげておられる。このことについてはまた書きたい。

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コメント

じゃりんこさん、いま一番関心のある分野なので、早速、注文しました。 2年前になりますが、思い切って、Michael Quinn Pattonという定性評価の第一人者の研修に参加したことがあります。 統計処理できるような「評価」にどうしても抵抗があったからです。

そうしたら、Pattonはパワーポイントも何も使わず、全て語りました。 何か質問すると、ああ、そうそう、オハイオにこういうおばさんがいて、こんなことがあってあんなことを言ってた、まあそんな感じでした。 そういう話がたくさん頭に入っていれば、すべてそれで対応できるという訳です。

それを体験して、ああやっぱり基本は聞取りだ、それも予め質問する項目を決めているようなのじゃダメだということを、改めて痛感すると同時に、とても勇気づけられたのでした。

実は、その成果がすぐにマラウイで出ました。 村でいろいろ話を聞いて回っていたら、いくつかどうも腑に落ちないことがでてきた訳です。 わかったのは、公的な統計も含めて農地の面積が二倍くらいに水増しされているということ、我々は食糧確保のために乾季のメイズの栽培を拡げているつもりだったのが乾季のメイズは実は換金作物で売っている人ばかりだったこと、ほんの数haの灌漑なので我々は零細規模だと思っていたのが彼らには大規模だったこと等々…。

一番ビックリしたのは、水が水路を流れることはわかっていても水路から畑に重力で水が行くとは思っていなかった人がほとんどだったことです。 流暢な英語をしゃべる村の若手リーダーでさえ、水路を掘った後も、水路からバケツで水を汲まなければいけないと考えていたのでした。 その話を聞いたのは、収穫も終わってからでしたが…。 ハハ。 最初の年、20数ヶ所で始めたのが翌年(2004年)には260~70ヶ所、2005年には500ヶ所弱まで拡がったのも当たり前ですよね。

投稿: axbxcx | 2006.05.19 11:49

axbxcx さん、

購入されたのですか。axbxcx さんから見たら「あたりまえ」のようなことばっかり書いてあるのかもしれません(^^;)。社会学を学ぶ学生をまず念頭において書かれたようですが、でも社会学を指導する人にも読んでほしい、と書いておられたので、そういう点で参考になればいいですが。

私は本は図書館で借りることがほとんどで、これも図書館で借りて読んだのですが、結局自分でも購入しました。「あ、この本も読みたい」「あ、これも読みたい」と付箋をいっぱい貼り付けることになったのと、今後、自分でフィールドワークのようなことをする機会があったときには手元において読み返したいと思ったからです。

「聞き取る」ということも、なんか、前もっての準備だけじゃなくて、「今」をとても大事にする作業なんですよね。自分の思ったとおりの結論に導くためだけの聞き取りじゃなく、人の話を聞きながら、自分自身もそれにすごく影響を受けたりとか。そういう聞き取りができるようになればいいなぁと思います。

パワーポイント、この前、放送大学の面接授業でひとりひとりが短い発表をすることになり、使ってもいいよ、と言われたのですが、私はそのためだけに高いソフトを買う気にはなれなくて。パワーポイントを使った発表は見栄えがいいですが、心に残る発表は必ずしもそんなものを使わなくてもできるものだと思います。axbxcx さんのブログでも楽しそうに発表している人の写真が載っていましたね。やはり「伝えたいものがある」ということが一番でしょうね。

投稿: じゃりんこ | 2006.05.19 20:27

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