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本「お笑い裁判傍聴記」by 木附千晶他

裁判というと何やら厳粛なイメージがあるけれど、それをみごとに打ち砕いてくれる本。とにかく速く終わらせたい裁判官、やる気のない検事、居眠りしている廷吏。こんなことでいいのか...という事例がごろごろしているらしい。(もちろん、そんな裁判ばかりではなく、気合の入ったものもたまにあるらしいが。)

なるほど、と思ったのは「裁判にはふたつの事実がある」ということ。

裁判って、基本的には「事実を争う」場所じゃないですか。判決は「裁判所で認定した事実」とかって言いますけど、その言葉通り裁判には「実際にあった事実」と「裁判所が認めた事実」のふたつがある。簡単に言うと、裁判官は最初から「こういう方向で行こう」みたいな筋道を立てていて、それに合う「裁判所が認めた事実」をつくるために、正義感を振り回して「実際にあった事実」をねじ曲げてしまうわけです。(p.98)
裁判員制度が2009年にスタートするそうで、そうなると自分が裁判に関わる可能性もあるわけだけど、この本を書いた人たちはそれによって裁判が改善される、という見解には否定的だ。普通の人が判決にかかわることでプラスの面もあるだろうと思うのだけど、「裁判員全員が一致した意見を持っていても、裁判官がその多数側に入っていなければ評決は無効(裁判官3人、裁判員6人の多数決で評決を行う)」「裁判員を長期に渡って拘束することはできないから証拠調べがずさんになる」などのマイナス要素がたくさんあるのだという。

傍聴に行ってみれば、思いがけない人間ドラマが見られておもしろいですよ、と言う。確かに法廷ものドラマはおもしろい。ワイドショー的な骨肉の争いを見るのは疲れそうだけど(^^;)。でも、誰にでも被告、原告になる可能性があり、また裁判員になる可能性だってあるのだ。お上におまかせ...と思っていないで、機会があったら裁判所をのぞいてみるのもいいかもしれない。

お笑い裁判傍聴記
木附 千晶編著 / 三代目仙之助編著 / 菊池 美香編著

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書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

裁判員制度にはとても関心があります。
私も反対の意見なんだけど賛成意見の人の声にも
肯けるものがなくはなかったり。。。
裁判員制度のことも女系天皇についても小学校からの全員英語教育にしても、そんなに急がずにもっと議論を重ねてから決めればいいのにと思います。

裁判関連で、私が勝手に覗きにいかせてもらってるこのブログ、おもしろいですよ。
ttp://ameblo.jp/be-a-superman/

投稿: ぴよ♪ | 2006.06.05 06:49

ぴよ♪さん、どうも(^^)。
そういえば、ぴよ♪さんも裁判員制度のこと書いてたよね。
私は裁判に普通の人が関わること自体はいいことじゃないかな、と思うんだけど、今考えられている制度には問題があるかも...っていうほど、よく勉強してないんだけど(^^;)。でも、自分が関わることになるかもしれないんだから、もっと関心を持ったほうがよさそうですね。
紹介していただいたページは家裁の調査官の方なのかな。「家裁の人」っていうマンガは大好きです。一時、皮膚科に通っていたことがあって、そこにその本が置いてあり、それを楽しみに通っていました。

投稿: じゃりんこ | 2006.06.05 07:21

じゃりんこさん、こんにちわ。 ひよ♪さん、はじめました。

私は人の数だけ主観的「真実」があり、客観的事実を語れるのは神様だけと思っていますから、いゆゆる陪審員制度自体には大賛成です。 が、「今回の裁判員制度」についてはいまのところノーコメントです。

バックグラウンドが環境アセスメントだったので、どうしてもそちらの話になってしまうのですが、例えば「道路を建設したらどれだけ大気が汚れるか」について、使う論理、使うモデルによって結果は全く違う訳です。 経済予測なんかは、もっと当たらないでしょうし、ノーベル賞を貰うような学者がそれぞれ違うことを言うでしょう。 一流の学者、専門家ですらその程度なのですから、一体、誰が「正解」など出せましょうか。

したがって、環境アセスメントの報告書も本来「クリアファイル」のようなものであって、それぞれの専門家がそれぞれの知見を使って最善の予測、評価をした結果がこれ、というようなものに過ぎないと思うのです。 専門家Aの予測と評価、専門家Bの予測と評価、というようなものがまとめて綴じられていて、それを最終的に総合評価するのは一般市民であり、市民を代表する議会だということです。

裁判も同じで、裁判官は進行役(モデレーター、あるいはファシリテーター)に徹して、いろいろな意見、評価を最終的に判断するのは陪審員というのが、恐らく「民主主義」の根幹ではないかと…。 専門家は自分で答えてもダメで、陪審員を説得することができて初めてナンボということです。

ただ、おっしゃるように多数決は最後の手段であるべきだし、議論は絶対に打ち切らない、つまり全員の合意の下でやるべきだと思っています。 日本の村の寄り合いと同じように、基本は全て全員一致であり、異論がある限りは議論を尽くすのが基本でしょう。

最近、網野善彦さんの本に凝っているのですが、「東と西の語る日本の歴史」で一番ドキッとしたのは、御成敗式目の制定に当たって、十三人の評定衆が連署した書いたという起請文です。

「理非を決断するに当たっては、親疎なく、好悪なく、道理の推すところ、心に思ったことを、「傍輩を憚らず、権門を恐れず」発言すべきである。そうして評定したうえで決定されたことは、たとえ正しくても間違っていても全員の連帯責任である。」 「まさしく式目の制定こそ、東国の人びとがその国家形成の過程で独自に生み出した最高の達成であり、東国国家樹立の記念碑であった。」(網野善彦著「東と西の語る日本の歴史」講談社学術文庫)

投稿: axbxcx | 2006.06.05 14:23

axbxcx さん、こんにちは(^^)。

私も裁判に普通の人が関わることは基本的に賛成で、axbxcx さんが「陪審員を説得することができて初めてナンボということです。」と書いておられるところまで、ウンウンなるほど、という感じです。
ただ、「基本は全て全員一致であり、異論がある限りは議論を尽くすのが基本」というのは、それが原則かもしれないけど、しんどいなーというのが本音です。どんなに議論しても平行線、というのは多くの人が経験したことがあるのではないかと思うし、国際的な会議でもしばしば聞くことですよね。
でも確かに裁判は人の一生を左右することだったりするわけだから、しんどいとかめんどうとか言ってないで議論をつくすべき、とは思います。そのうえで決まったことについては、自分も責任を持つべきなのでしょうね。自分の納得できない結果になったとしたら、それは自分が他の人たちを説得できなかったということなのだし...

投稿: じゃりんこ | 2006.06.05 21:16

言いたかったことは単純で、多数決というのは、議論が尽くされて、全員が採決を取ることを納得してから取るのが原則だろうということです。 「審議打ち切り動議」は絶対多数(例えば2/3)でなければおかしいと思います。 多数決で審議を打ち切れば、何でも多数決(それも51対49という可能性すらある)で決める風潮になるのは目に見えていますから…。 

投稿: axbxcx | 2006.06.06 00:45

ヘンリー・フォンダ主演・製作、シドニー・ルメット監督の「十二人の怒れる男」はご覧になりましたか? 陪審員制度の基本や全員一致原則について理解するのに、またとない教材だと思っています。

ちなみに、村などでワークショップをやるときは、必ず複数回の投票で優先順位をつけます。 投票毎になぜそう投票したかを議論した上で、結果が安定するまで、何度か投票するのです。

ドミニカ共和国の村で井戸の場所を決めたとき、最初の投票では圧倒的多数で村の中心だったのが、二度目の投票で全員一致で村外れに決まったことがありました。 村の中心には不十分だけれどともかく井戸がある、ところが村外れの集落にはない、人数は少ないけれど村外れの人の方が困っているということに、村中の人が納得したからでした。

投稿: axbxcx | 2006.06.06 01:46

axbxcx さん、

コメントを書きながら私も「十二人の怒れる男」のことを思い出していました。全員一致なんて大変だ、わからずやっているもの、と思いながら、そういえば全員一致に到達していく過程を描いた映画があったなぁって。
ドミニカ共和国の話は...これが決議されたときは誰もが嬉しかったでしょうね(^^)。
確かに安易に多数決に頼るべきではないですね。

投稿: じゃりんこ | 2006.06.06 06:46

じゃりんこさん、こんにちは
axbxcxさん、はじめまして

いろんな年齢、性格、職種の人が意見交換してる図を無責任に想像すると楽しくなってきます。
みんなが法律や裁判に関心を持つようになることもいいことなんだろうと思う。
自分ちにも書きましたが、みんなが裁判にかかわる可能性があるのだから今までよりもっと家庭や学校で公正ということや正義感を持てるような教育がされる方向になるといいな、とは思います。
でも任される事件の内容を見ると殺人、強盗傷害など重い罪になりそうなものが多くて、自分の判断がその加害者または被害者の人生を大きく左右する重責にびびってしまうのです。

>自分の納得できない結果になったとしたら、それは自分が他の人たちを説得できなかったということなのだし...
>議論が尽くされて、全員が採決を取ることを納得してから取るのが原則だろうということです。

いい言葉を聴きました。
説得するのは自信がないのですが、頭を働かせなくてはいけませんね^^;
納得するまで話を聞くことは積極的にしたいと思います。

>は家裁の調査官の方なのかな
役職名はよくわからないのですが^^;
今まで私のイメージの中では裁判って、建物と裁判官達が一体化していて画一的な感じがしていたのですが(←それがおかしい^^;)この方の文章を読んで、当たり前なんだけど、あー、血の通った人たちの裁きの場なんだと実感したのです。

投稿: ぴよ♪ | 2006.06.06 07:00

ぴよ♪さん、

自分がそんな重責を背負うと思うと確かにびびりますよね...でも、「専門家」にまかせておけば大丈夫っていうことでもなさそうな気もします。確かに自分は責任を負わなくていいわけですが。
この本を読むと専門家といってもそんな感じなのかーと思ったりしてますます不安になる(^^;)。もちろん良心的な人もおられるわけで、ぴよ♪さんが行っておられるブログの方なんかもそうなんでしょうね。
もし、ぴよ♪さんが裁判員になったら、きっと一所懸命に考えて、話を聞くのはもちろん、きちんと発言もされるような気がします(^^)。専門家だけにまかせておくよりも、より良い結果が導かれる(議論が尽くされる)可能性が高くなるような気がします。

投稿: じゃりんこ | 2006.06.06 07:25

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