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人種差別?

サッカーのワールドカップで "Say no to racism" (人種差別反対)という旗が試合開始までセンターサークルに置かれるのだ、と聞いた。たまたま、昨日、この "racism" という言葉を耳にしたので、ちょっと書いてみたい。

うちの1歳児クラスは、日本人の私と、フィリピン女性K、黒人男性Eの3人が担当している。今週からKがバケーションをとっているので、その間、大学の夏休みで帰省している黒人男性のJがうちの部屋を手伝ってくれている。で、Kがバケーション中は私が早番で、Jが中番、Eが遅番というシフトだ。私が3時半頃部屋を出たら、後は黒人男性ふたりが1歳児10人のケアをすることになる。

一昨日、あるおかあさん(白人)が子どもを迎えに来ると、半分は部屋でオムツ替え中、半分は外で遊んでいた。外で遊んでいる5人の子のうち、ひとり泣いている白人の女の子がいた。子どもの世話をしていたのは若い黒人男性のJだったが、彼は黒人の女の子を抱っこしていて、泣いている白人の女の子には「静かにしなさい」と言ったのだという。「これは人種差別だ」とそのおかあさんが保育園の管理職に文句を言っていたらしい。人種差別なんていう言葉をそんな状況で聞く、というのに驚いてしまった。確かにJの対応に改善すべき点はある。泣いている子に「静かにしなさい」と言うだけで状況がよくなることはまずない。Jはうちの保育園で働き始めて2週間。ベテランの保育士のような対応を期待するのはむずかしい。だけど、彼が人種差別をするタイプでないことは、ふだんの子ども達への対応を見ているとわかる。今週からうちの部屋を手伝うことが決まっていたので、先週からちょくちょく休憩時間などにうちの部屋をのぞきにきては子ども達と仲良くなろうと努めていた。

ウィキペディアによれば、アメリカの人種構成は、「ヨーロッパ系71%,アフリカ系12%,ヒスパニック/ラテン系9%,その他アジア系(日本人、中国人)など」となっているが、これに比べると、軍にいる人たちは、アフリカ系やヒスパニック、アジア系の人たちの割合が高いと感じられる。軍に入ることで、住むところが保障されたり、大学に行くことができたり、と様々な特典があり、それゆえ、裕福ではない層の人たちが入隊する、という現実があるのだと思う。

そんな状況のせいもあって、基地で黒人がすごく差別されている、などと感じたことはない。黒人の上司のもとで白人が働いているということも珍しくない。うちの保育園のトップも、白人だったり黒人だったりアジア系だったり、いろいろだ。

人種差別については敏感で、保育園でも、どの人種も同等に扱うように、ということを最初の研修で言われる。部屋におもちゃの人形を置くにしても、白人、黒人、アジア人など、いろんな皮膚の色のものを置くように、決して偏ることのないように気をつける。絵本を見ていても、様々な皮膚の色の人が登場する。部屋のポスターも、たとえば、黒人はこんな仕事の人、白人はこんな仕事、と子供達がステレオタイプを持つことのないようなものを選ぶ。

管理職に文句を言ったおかあさんも、本当に「人種差別」と思っていたかどうかは疑問だ。他のクラスの同僚と話していたのだが、多分、経験の浅い男性二人が1歳児をケアしていることに不安を持っているのではないか、という話になった。管理職も母親の訴えを真に受けてはいない。

ただ、この話を聞いた同僚のEが、そのおかあさんのことを「典型的な田舎の白人女だ」と言ったのにもちょっとびっくりした。Eも人種差別主義者などでは決してない。でも、「なんだかんだ言っても、アメリカは白人のための国だ」と言っていたことはある。人種差別を目にすることはほとんど(まったく)ないけど、現実にまったくないわけではなさそうだ。

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米軍基地保育園」カテゴリの記事

コメント

じゃりんこさん、おはようございます。 アメリカで何年か過ごした経験から、一つ思っていることがあります。 それは英語の「人種差別」というのは、日本語で言えば「人種区別」に近いのではないかということです。 少なくとも目に見える「違い」が明確に存在するからです。 ところが「違い」のないところ、あるいは僅かにしかないところで、「違い」をことさら強調することから差別が生まれる、それが怖いと思っています。

『「あたりまえ」を疑う社会学』でも、第6章の「あたりまえ」を疑うや、第7章の「普通であること」に居直らないは、そんなことを考えながら読んでいました。

月末に京都の大学のゼミで話をすることになっているのですが、そのゼミの読本である『「ニート」って言うな!』を読み始めました。 『「あたりまえ」を疑う社会学』を読んだおかげで、理解しやすいような気がしています。

投稿: axbxcx | 2006.06.15 08:43

axbxcx さん、どうも(^^)。

axbxcx さんがアメリカのどこに住んでおられたのか知りませんが、私の印象では、racism という言葉にはやはり差別の意味合いが含まれていると思います。辞書をひくと、the unfair treatment of people who belong to a different race となっていますし、シソーラスでも、まず RACIAL DISCRIMINATION と書かれています。
黒人と白人はもちろん見た目が違うわけですけど、それを理由に差別されるのは不合理なことですよね。確かに、部落差別のように、見た目では判断できないような人を無理やり取り出して差別を作り出す、というのはもちろん不合理なことですけど。

そういえば、「あたりまえを疑う社会学」でも差別のことがとりあげられていたのでしたね。

「ニートって言うな!」はどこかで紹介記事をちらっと見たような気がします。「あたりまえを疑う社会学」のなかで述べられていたカテゴリー化の話は参考になりそうですね。

投稿: じゃりんこ | 2006.06.15 17:49

うーん、人種差別に差別の意味合いがないと書いたつもりではないのです。 違いが一目瞭然な中での差別(それを区別と呼ぼうとした訳です)と、違いがあまり見えない中での差別では、個人的には後者の方が根が深いと思っていると言いたかったのです。 いわゆる日本の差別問題やカースト、宗教などによる差別は、まさに後者です。 というよりも、差別があって、あるいは差別を固定化する形で、カーストや宗教が存在するのかも知れません。 いずれにせよ、だから、アメリカなどの人種差別だけが特に問題とは思わないのです。

アメリカですが、最初に行ったのが360度地平線のオクラホマの片田舎、それからフロリダの北部、まさに「イージーライダー」の世界でした。 差別されるというよりも、ジロジロ見られるという感じでしたが…。

そして最後がフィラデルフィア、ここでは人種の住み分け、宗教の住み分け(例えばカトリックでもイタリア系、スペイン系、フランス系、ポーランド系などに分かれている)が明確に残っていることを感じました。 シカゴ学派の社会学の世界に近いと思いました。

でも人種的な意味でのわだかまりがなくなってきたのは、実は最近のことです。 いまの仕事でアフリカなどの村に入るようになってから…。 昔なら、久しぶりに会った人と抱き合うようなことはしなかったですから…。 ようやく別世界の人ではなく、同じ人間だと感じられるようになったと言うか…。

投稿: axbxcx | 2006.06.16 01:13

追伸です。 最近、現場でよく聞くようになった言葉にstigmaがあります。 マラウイやケニアのビクトリア湖畔と、HIV+の人が何割、村によっては過半数というところだからだと思うのですが、先日、"RENT"のDVDの特典を観ていたら、やはりstigmaが使われていました。 HIV+であることがわかることによって、親戚やコミュニティーから突然差別を受けるようになる、それを表現しているのかなと思いました。 stigmaがあるから、VTC(Voluntary Testing and Consulting)で検査を受けようとしない…。

投稿: axbxcx | 2006.06.16 13:59

axbxcx さん、

なるほど、そういう意味でしたか。
差別と区別という言葉が対比して使われる場合、「差別というより区別」とか「差別ではなく区別」のように、「差別の意味合いがない」ということを強調する文脈で使われることが多いような気がしたので。
男と女とか障害のある人とない人とか、明らかに違いがある場合、それに応じた対応をすることは差別ではないと思いますけど、でもどこまでが差別ではないのかはそう簡単でもなさそうですね。黒人と白人の場合は、明らかに皮膚の色が違いますけど、それを理由に違う対応をするというのは、たとえば男女の違いに対する対応の違いのように合理的な感じはしません。目に見える違いがないほうが差別が根深いかどうかは私にはわからないです。私もアメリカの人種問題だけが特に問題だと思っているわけではないですが。

axbxcx さんがどこに住んでおられたのか...ということを書いたのは、昨日、同僚のEと差別のことを話していて、アメリカでも北部と南部ではずいぶん違うんだ、と言っていたので、言葉に対する語感も違うのかな、と思ったからです。でも、axbxcx さんは特定の地域におられたというわけではないのですね。

stigma という言葉は私はあまり聞きませんが、多分、私の仕事場が保育園なのであんまり縁がないのでしょう。検査を受けることで社会的な不利益のほうが大きいとなればやはり受けようとは思いませんよね...

投稿: じゃりんこ | 2006.06.16 23:33

じゃりんこさん、こんばんわ。

ジェンダーフリーを巡る最近のちょっと疲れる議論は、まさにその「区別」と「差別」の境の話かも知れませんね。 「ジェンダーに起因する差別をなくそう」という話が、なぜ「男と女の区別をなくせ」と言っているという話になるのか、私には全く理解できませんが、最近、そういう議論のすり替えが多くなっていると思っています。(ちなみに上の娘はジェンダー論が専攻です。)

そんな議論ならしたくないし、論理を振り回すこともしたくないという気持ちになってしまいます。 『「あたりまえ」を疑う社会学』に出てきた「カテゴリー化」と「恣意的な決めつけ」、もうそればっかりのように感じる今日この頃です。

ところで、アメリカでの私の原体験は、やはり「南部」と言ってよいと思います。 オクラホマも東半分は「南部」、フロリダの北部に至っては「ディープ・サウス」だからです。

ただ、個人的には、多くの「北部」の人たちは、我々同様、頭でしか人種差別を理解していなかったのではないかと思っています。 「南部」の人種差別のことを非難していたとき、「北部」の人たちは本当のところはわかっていなかったのではないか、だからこそ、後になってボストンの通学バスのような問題が起きたのではないかと…。

ちなみに、東南アジアの多くの国には100くらいの少数民族がいますし、ケニアは42部族・42言語と言われています。 田舎に行くと、共通語であるスワヒリ語のしゃべれる人は少ないのが現状です。 我々が仕事をしているのはルオの地域なのですが、ルオは人口ではケニア第二の部族であるにも関わらず、政治的にはずっと少数派でした。 そのため、社会基盤の整備が極端に遅れています。 また田舎では、スワヒリ語をしゃべれる人より、英語をしゃべれる人の方が多いのが印象的です。

それからVTCでの検査ですが、自分はHIV+ではないかと薄々(あるいはかなり確実に)思っていても、stigmaがあるから受けたくないのではないかと思います。 死生観にもよるでしょうが、死ぬことよりもstigmaの方を怖れるということも、十分あり得ると思います。

投稿: axbxcx | 2006.06.17 00:25

axbxcx さん、

同僚のE の話では、アメリカにはまだまだ黒人差別があるということです。「住むなら、フロリダかジョージアがいい」と言うので、どうしてかと聞いたら、ジョージアについては「黒人が多いから安心」なんだそうです。「安心って、黒人の多い地域でないとあぶないわけ?」と聞くと、そうだと言う。Jim Crow Law の話を持ち出し、黒人がいかに不合理な差別を受けたか、という話をするので「それは昔の話でしょう」と言うと、州によってはそうでもないんだ、みたいなことを言ってました。Jim Crow Law は現実にはもうないと思うのですが。彼の話では、基地にもやはり差別はあるし日本にもある。ヨーロッパが一番居心地がよかったとのことでした。
アフリカだと、南アフリカ共和国は別として、黒人差別が大きな問題になるということはないのでしょうが、そういう形で stigma を恐れるということですから、どこにいてもなんらかの形で差別のようなことはあるわけですね。

投稿: じゃりんこ | 2006.06.17 09:56

じゃりんこさん、私もアトランタに行って、誤解を招く言い方かも知れませんが、黒人の人たちが堂々としていると言うか、立派に見えるという感じを持ちました。 それとニューヨークやフィラデルフィア、ボストンなどを比べると…というところです。

アラン・パーカー監督の映画「ミシシッピー・バーニング」のモデルにもなった公民権運動活動家殺人事件で、80歳のKKK元メンバーが有罪になったのは、つい去年の話ですし、いまでもそのような差別意識は根強くあると思います。 ジョン・グリシャムの小説の映画化の中でもジョエル・シューマッカー監督の「評決のとき(Time to Kill)」は、特に印象の強い映画でした。 

学生時代、ビリー・ホリデイの「奇妙な果実(Strange Fruits)」の歌詞を知ったときには、本当にゾッとしました。 最近では、イギリスのケン・ローチ監督の「やさしくキスをして(Ae Fond Kiss...)」で、「奇妙な果実」の写真が使われていました。 パキスタン系の青年とアイルランド系の音楽教師が恋に落ちるという物語でした。

それから、アフリカで私が気が楽だと感じるのは、我々がアフリカの植民地に関わっていなかったからです。 自分のお父さんが白人の農場主に棒で殴られたというような話はよくありますし、「ナイロビの蜂」の悪役も、ナイロビ在住の白人という設定でしたよね。

つまり、アメリカとは違って少数の白人が別世界を形作って来たからあまり露呈しなかっただけで、差別の根は実はもっと深いのではないかと思います。 ヨーロッパの国で、いまアメリカ以上に人種差別の問題が取り上げられているのも、同じことなのではないかと思っています。 ヨーロッパは、かってのアメリカ「北部」と同じような経験をしているのではないかと…。

それからケニアは42部族・42言語ですから、当然、部族間の差別がありますし、衝突があります。 東南アジアの国も同様です。 私が初めてケニアに行った年にも、隣りの県で数百人が亡くなるような部族の大衝突がありました。

またウガンダでは、アミン大統領の時代にインド・パキスタン系の人たちがたくさん虐殺されましたが、ケニアでも焼き討ちのようなことは起こっています。 また、私のルオの相棒のお父さんはウガンダで商売をしていたのですが、ウガンダ人の知り合いが知らせてくれたので、危機一髪でウガンダから逃げ出せたそうです。 インド・パキスタン系の人だけではなく、ケニアの人も殺されたのです。 部族が違う、国籍が違うということは、そのような危険伴う可能性があるということです。

次に観に行こうと思っているのはイタリア映画「13歳の夏に僕は生まれた」(マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督)なのですが、ヨットから転落したお金持ちの息子が、不法移民の乗った密航船に助けられるという話らしいです。 これまでは移民して差別される存在であることの多かったイタリア人が、いま移民を受け入れ、移民を差別しているということが背景にあるようです。 楽しみにしています。

投稿: axbxcx | 2006.06.17 11:25

axbxcx さん、

ジョン・グリシャムの作品を映画化したものはおもしろいものが多いですね。私は「依頼人」が一番印象的です。グリシャムではありませんが、殺された公民権運動の指導者の妻が30年経ってから再審を訴えたことを扱った「ゴースト・オブ・ミシシッピ」も私は好きな映画でした。

"Strange fruit" は、夫とつきあい始めた頃、彼が最初に私に貸してくれたレコードでした。重苦しい感じが好きになれず、どうしてこんな曲が好きなんだろう、というのが第一印象でした。今、歌詞を見てみると、重苦しい印象は当然だったのだなぁと思います。

アフリカの部族間の対立は「ホテル・ルワンダ」でも描かれていましたね。でも部族が違うことが直接の対立の原因なのではなく、結局は土地とかなんらかの利害がからんで対立が起こるのだ、というような話をどこかで聞いた気がします。

「13歳の夏に僕は生まれた」、実は昨日、ある雑誌でその映画評を読み、見たいなぁと思いました。明日は違う映画を見る予定なのですが、これもできれば見に行きたいと思っています。

投稿: じゃりんこ | 2006.06.17 21:22

じゃりんこさん、ジョン・グリシャムの映画で何が一番好きなかと訊かれれば、私も「依頼人」と答えます。 DVDも持ってます。 スーザン・サランドンのファンですから。(監督は同じジョエル・シューマッカーですね。) ただ「評決のとき」は、背筋がゾクッとするというような意味で「強烈」だったんです。 「ゴースト・オブ・ミシシッピ」は観ていないので、今度借りて来ようと思います。 ロブ・ライナーですし…。

それから、ルワンダの力を持った二部族の「全面対立」という構図と、多数部族(民族)の少数部族(民族)に対する「差別」の構図とはちょっと違うような気もします。 いずれにせよ、私が言いたかったのは、どこにも差別はあるということだけです。 もちろん、アフリカのどの国にも、ヨーロッパにも…。

投稿: axbxcx | 2006.06.17 21:53

axbxcx さん、

「ロブ・ライナー」って誰?状態なので(^^;)、見てみたら "When Harry Met Sally" の人なんですね。スタンドバイミーとかミザリーとかいろいろおもしろい作品を撮っている人なんですね。最近の「迷い婚」というのも DVDが出たら見ようと思っています。

どこにも差別はある、というのは、残念ながらそうなのだろうなぁと思います...

投稿: じゃりんこ | 2006.06.18 00:12

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