« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »

レバノンでの緊急救援活動への支援を

今朝の新聞に、イスラエル軍がレバノン南部の町カナの民間人居住区を空爆、子ども30人を含む57人が死亡した、との記事があった。

そもそも何故、レバノンとイスラエルが戦っているのか。私の理解している範囲で書いてみたい。

今回の事の発端は、レバノンのイスラム教シーア派組織「ヒズボラ」がイスラエル兵2名を拉致し、それに対してイスラエルが報復攻撃をしたことにある、とされている。では、何故、ヒズボラはイスラエル兵を拉致したのか。レバノン大学のダーヘル教授によれば、パレスチナ自治区でイスラエル兵を拉致しているイスラム教原理主義組織「ハマス」を支援する行動だったという。今年1月末に行なわれたパレスチナ評議会選挙でハマスは圧倒的な勝利をおさめたが、イスラエルは和平交渉の相手としてハマスを認めないとし、国際社会も「ハマスが政権に参加した場合はパレスチナに対する支援を停止する」などとしてきた。そういうわけで、パレスチナの人たちの生活は日々苦しくなってきていた。

しかし、本当に、ヒズボラがイスラエル兵2名を拉致したことが大規模な空爆の原因なのだろうか。これまでにもヒズボラがイスラエル兵を拉致したことはあった。それに、イスラエルに拉致・監禁同様の状態におかれているパレスチナの人たちは大勢いる。ダーヘル教授は、イスラエル軍の攻撃が大規模かつ用意周到だったことなどから「拉致事件の発生前からレバノンを攻撃する計画はあったはずだ」とする。その上で、ヒズボラを武装解除し、ヒズボラの拠点のレバノン南部にレバノン政府軍を駐留させ、国境画定の不安定要素を取り除くのがイスラエルの狙いだと分析している。

実際、イスラエルが攻撃しているのは軍事拠点ばかりではない。今朝のニュースにあるように、住民が避難用シェルターとして使っていたビルやモスクが破壊されている。昨年、イスラエルがガザから撤退したことが話題となった。しかし、その実態は、ガザから「撤退」しながら、別の入植地を増やしているし、ガザの状況も撤退前とほとんど変わっていない。このあたりのことは、パレスチナ情報センター Staff Note 「撤退」というレトリック――イスラエルの「一方的措置」と終りなき占領 にわかりやすく書かれている。

昨日、「レバノンの戦争-80年代からたどるイスラエル・レバノンの闘い」というフォトジャーナリスト広河隆一さんの講演会に参加してきた。現地では、薬・食品・水などの物資が極端に不足していて、レバノンの人もパレスチナの人も「ないもの」をわけあっているような状況だという。NPO法人「パレスチナ子どものキャンペーン」では現在、現地のNGOを通じてレバノンでの緊急救援活動をおこなっています。下のサイトを読んで、活動の手助けをしようと思われたら、ぜひ、募金に協力してください。

レバノンでの緊急救援活動開始と募金のお知らせ

郵便局からの振込み、またはインターネットからも募金ができます。

| | コメント (7) | トラックバック (1)

放送大学「フィールド社会心理学」

放送大学の前期試験終了(^^)。結果はいまいちだけど(^^;)...とりあえず終わったので、今期とった科目のなかで今日はフィールド社会心理学について。

最初にフィールド社会心理学の概観についての講義が2回あり(これがおもしろかった)、その後、実際のフィールドワークが紹介される。医療化社会、アトピー、ロボット介在活動、阪神大震災のマンション復興をめぐる住民の合意形成過程について、漁村の過疎・高齢化問題、ケニアのツルカナ牧畜民の生活倫理など、多様。

いろいろなフィールドワークの話を聞くのはおもしろかったけど、研究手法でわかりにくいものもあった。阪神大震災のマンション復興をめぐる住民の合意形成過程についてCEDドキュメンテーションという診断法が用いられているのだけど、講義を聞きなおしてもテキストを読み直してもよくわからず、インターネットでもそういう用語が見つからず、試験の1週間前になって(^^;)メールで質問を出したけれど、未だに返信はもどってきていない(^^;)...で、しかも、今日のテストに出題された(>_<)。

テスト問題は、「問1:次の言葉を具体的な例をあげて説明せよ。(それぞれ200字程度)1)信仰治療 2)住民の合意形成過程の「診断」法」「問2:産業構造の変化が老年期の社会化水路にどのような変化をもたらしたかについて、具体的な例をあげ、400字程度で説明せよ」(問2はうろ覚え(^^;))というもの。

信仰治療については、ちょうど昨日、主任講師の大橋英寿先生の専門であるシャーマンについての講義を聞きなおしていたので、わりとまともに書くことができたと思うけど、あとのふたつについてはなんとも(^^;)。テキストは持ち込み可だが、それだけの解答を50分以内でうまくまとめるのは私にはむずかしかった。

ただ、以前も書いた けど、フィールド社会心理学というのは、扱うテーマや方法がとても私好みで(ゲーム理論とかは私好みじゃなかったけど)、私のやりたいのはこういうことに近いかな、という気がしている。フィールドワークについてもう少しいろいろな本を読んでみようと思っている。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

イスラエル軍、レバノンの国連施設を爆撃

夏期講習に通う長女のお迎えに行った車のなかで、イスラエルが国連レバノン暫定軍(UNFIL)の施設を爆撃、国連要員4人が死亡、というニュースを聞いた。アナン事務総長は「この攻撃が意図的なものと思われる」として非難したそうだが、イスラエルは「意図的なものではない」と否定したと言う。さらに、イスラエルへの攻撃をしているヒズボラに対し、「罪のない市民への攻撃は許されない」と非難した、と言うのを聞いて、この人たちは、自分のしていることはなんだと思っているんだろうか、と思ってしまった。意図的であるにせよ、ないにせよ、罪のない人を何人も死なせているのは誰なんでしょう。「結果的に何人もの人が死んでいるけど、罪のない人を意図的に殺すつもりはなかった」ーだから許される、と言うのでしょうか。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

お大事に!

アメリカでは、誰かがくしゃみをすると "Bless you!" (お大事に)と言うことになっている。それはもう条件反射のようなものなので、1歳の子どもでも覚えてしまうらしい。

今日、たまたまTがくしゃみをしたのを聞いたB(Tは男の子、Bは女の子で、ふたりとも、来月には2歳になる)が "Bless you!" と言った。Tはそれが気に入ったらしく、またわざとくしゃみをする。するとBが "Bless you!" ...で、またTが「クシュン!」Bが "Bless you!" ...これを何度も繰り返しながら、ふたりで笑っていた(^^)。1歳の子がこんな遊びをするんだなぁと感心。

ちなみに、ご存知の方も多いとは思いますが、"Bless you!" と言われたら "Thank you."と言うことになっています。1歳の子達は、そこまでのマナーはまだ身につけていないようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

放送大学2006年前期試験始まる

今日は「英語Ⅳ」。通信指導課題と同じような感じで、択一式の20問。ちゃんとテキストを読んで内容を理解しているか、というテスト。結構ていねいに読んで覚えておかないとわからない問題がある。私は「山」の章からの出題で、「日本における山岳崇拝のきわだった特徴は...」に続く選択肢で、あてはまりそうなのがふたつあって迷い、結局まちがったのを選んでしまった。テキストを読みながら「へぇ、そうかなぁ」など、自分で、書いてあることに対して同意したり疑問に思ったりしていればこんな間違いはしないわけだから、もっとていねいに読んでおくべきだったんだけど。まあ、でも、あとは大丈夫なはず(^^)。

「英語Ⅳ」は、受験している人が結構多かった。日本文化を英語で話すのには参考になるような授業で、ひとつひとつの内容がおもしろいから人気なのかな。放送では途中で音楽休憩の時間がいつも入り、そのなかの何回かは講師による演奏で、うーん、1回くらいはいいんだけど、あんまり何度も聞かされるとちょっと...(^^;)

来週の土曜日にもう2科目。というわけで、今週はしっかり勉強しなくちゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

目覚めの音楽

うちの保育園の早番の出勤時刻は6時15分とか6時、軍事演習があるときなどはさらにそれより1時間早い。というわけで、休憩時間には昼寝をしている人もいる。私も時々少し昼寝をすることがある。そういうときは携帯のアラームをセットしてジーパンのポケットに入れ、バイブレーションで起きる。

プリスクールルームのFはよく昼寝をしているのだけど、彼のセットしているアラーム音はバッハのトッカータとフーガ。あの「ちゃららーん」という、何かに失敗したときなどによく使われる音楽だ。(「え、どんな曲?」という方はこちら ) いかにも 「夢から覚めて、これから仕事にもどらなきゃ...」という感じが出ていて可笑しい(^^)。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

続・蕎麦とチューインガム

昨日の続き。

ある日、休憩室でテレビを見ていたら、「日本の文化を尊重しましょう」という趣旨の、基地住民向けのコマーシャルが放映されていた。

場面は、日本人の女性がアメリカ人の彼氏を初めて家に連れて行く、という設定。女性が彼氏に対して、「家に入るときには靴をぬいでね」、さらに「おとうさんと話すときはガムを噛まないでね。日本ではそれは失礼なことだとされているから」と話して、彼氏が「うん、わかったよ」と答える、というようなもの。これを見て、「アメリカ人って初めて恋人の親に会うときでも、ガムを噛んでいたりするものなんだろうか?」と疑問に思った。

昨日、麺類を食べるときの日本人のマナーが話題になったので、私もこのことを思い出して尋ねてみた。

じゃりんこ:アメリカ人って初めて彼女の親に会うような場面でもガムを噛んでいたりするものなの?それって失礼にならないわけ?
B:僕は自分ではガムを噛まないからよくわからないけど...フーセンをふくらましたり、やたらクチャクチャ音をたてたりするのでなく、ちゃんとガムを噛んでるなら別にいいんじゃないかなぁ。
じゃりんこ:(ちゃんとガムを噛む(chew gum properly) って、なんか笑ってしまうなあと思いつつ)じゃあ、自分に娘がいたとして、彼女が初めて彼氏を家に連れてきて、その彼がガムを噛みながら話しても気にならないわけ?
B:うん。
じゃりんこ:うちの親だったら気分を害すると思うよ。
B:そうなんだ。

E:映画館なんかで音をたててガムを噛むのはだめだけど、別にガムを噛んでるからだめってことはないよ。

J:ガムを噛んでても別にいいんじゃない。
じゃりんこ:初めて彼女の親に会うのって緊張するじゃん。そういうときに...
J:緊張するから、ガムを噛んで気持ちを静めるっていうのはあるかもね。

うーん。まあアメリカ人は最初から堅苦しくない人が多いかなとは思うけど、初めて恋人の親に会うときにガムを噛んでてもオーケーというのはやっぱりびっくりするなぁ。でも、3人とも、自分はやらないタイプのようだったけど。

実は、昨日、うちのクラスの保育士Kが「腰が痛い」と言って休んでいて、今日「10ポンド(約4.5キロ)以上のものを持ち上げてはいけない」という診断書を持ってきた。うちのクラスだとオムツ換えなどで、子どもを抱っこしたりするのは避けられない。3歳児以上のクラス(プリスクール)だと原則としてオムツ換えがないため、園長先生はKとプリスクールルームのAを交替させることにした。KもAも突然の決定に不満顔だが、園長先生としては、その診断書がある以上、Kをうちのクラスで働かせるわけにはいかないという。

で、Kに代わってうちのクラスに入ったAは(多分)30代のヒスパニックの女性なのだが、昼食前、私が子ども達に本を読んでいるときににガムを噛んでいたので「部屋でガムは噛まないことになってると思うんだけど」と言うと「ああ」と言っただけ(--;)。午後もまた噛んでいるのを見つけてしまい、ちょっとめげる(--;)。彼女には「恋人の親に会うときにガムを噛むのは云々」という質問をしても一笑にふされてしまいそうだなぁ(^^;)...,

| | コメント (4) | トラックバック (0)

蕎麦とチューインガム

スタッフルームで休憩中、ちょっとしたことから「国によって違ったマナーがある」ということが話題になった。で、40代の黒人男性Bが言い出したのが、「日本人は、麺類を音をたてて食べるのがいいと考えているらしいけど、あれはがまんできない。」とのこと。

B:ルームメイトとそのことで喧嘩になったことがあるよ。彼は中国系のアメリカ人だったけど、麺類を食べるときにすごい音をたてるんだ。彼は日本の文化をよく勉強してて、これが日本人のやり方だっていうんだけど、どう考えてもやりすぎだと思ったね。僕にとってはすごく耳障りだからやめてくれって頼んだよ。

部屋に帰って40代の黒人男性Eと19歳の黒人男性Jに、日本人が音をたてて麺類を食べることについてどう思うかを尋ねてみた。

E:あれは本当にいやだね。自分の子どもには(彼は日本人の奥さんとの間にふたりの娘さんがいる)絶対にさせないよ。日本の文化だかなんだか知らないけど、自分はそんなふうに育てられなかったし、自分にとってはすごく行儀の悪いことだ。

J:別にいいんじゃない。それが日本の文化なんだもの。でも、ルームメイトがそうしたらやっぱりやめてくれっていうかな。

ネットで「そばの食べ方」を調べてみると、「気持ちよく音をたてて食べましょう」なんて書いてある。そのほうが美味しい、という考え方があるようだ。私はわざわざ音をたてて食べようとは思わないけど、音をたてないように気をつけるっていうこともないかな。だから多分多少の音はたてているだろうから、アメリカ人から見ればエチケットに反しているかもしれない。もしそう言われたら「エチケットを気にして音をたてないようにすることで美味しさを味わえないよりは、美味しさを味わうことを大事にしてる」って言うかな。でも、海外で麺類を食べるなら、その国の習慣を知っていればそれに従おうとすると思うし、ルームメイトとも妥協点を見出そうとはするだろう。ルームメイトがすごくいやがることなら、その人がいるところではやらないと思う。

で、続きのチューインガムの話はまた明日。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

こむそう

食後にバナナを食べようとした高2の長女。今日、生協で届いたばかりなのに、ところどころ黒っぽくなっている。そこを3箇所ほどほじると、等間隔の穴があいた。

長女:これって何かに似てない?
母:...オカリナ。
長女:あーあ(なるほど)。
次女:尺八?
母:尺八は違うだろ。
長女:うん、オカリナだよ。
次女:尺八ってどんな形だっけ?
母:尺八っていうくらいだから、やっぱ末広がりの...虚無僧を思い浮かべれば、尺八の形を思い出すでしょ。
ふたり:こむそう!?
母:虚無僧知らないの?
ふたり:知らない。
母:スゲの傘をすっぽりかぶって尺八を吹いてる...
ふたり:スゲ!?
母:あの、もしかして、虚無僧っていう漢字もわからない?
長女:漢字なの?
母:(あいた口がふさがらない)
次女:コムサと関係があるのかと思った。
母:コムサ?
次女:○○高校の制服をデザインしたとかいう...

こうして母と子の会話は今日もかみあわないのだった(^^;)。
いまどきの中高生は虚無僧って知らないのかなぁ。それともうちだけ?
ちなみに、虚無僧のかぶっているのは深編笠というらしい。菅笠っていうのは花笠音頭で使う傘のような形のものらしい(普通は、かな?)から、私の説明もいい加減だったわけだけど(^^;)。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

ねらい

中3の次女との会話。

次女:あー、もうすぐ夏休みだなぁ。まあ、Xさんとはしょっちゅう会えそうだけど。
母 :なんで?
次女:「夏休み、塾に行かない子同盟」作ってるから
母 :他に誰が同盟に入ってるわけ?
次女:Xさんとあたしと...あとは順次。
母 :要するにふたりだけってこと?
次女:とどのつまりはそういうこと。なんかねぇ、模試の結果しだいで、塾に行かされそうな子とか。
母 :塾に行かされるって...塾も高いから親も嬉しくないだろうけどねぇ。
次女:ねぇ! だからあたしはチャレンジを勧めてるんだけど。
母 :(内心)お、なかなかこの子しっかりしてんじゃん(^^)
次女:図書券もらいたいし。

結局それがねらいかよ(^^;)!?

えーっと、子どものいない方とかにはちんぷんかんぷんかと思いますので解説しておきますと、「チャレンジ」というのは幼児から高校生までを対象にした子供向けの通信教育です。その年齢の子どもの心をつかむ工夫がいろいろされていて、上手に使えば効果があると思います。ただし、子どもがその気にならなければ何の意味もないです。我が家の場合、長女にはあいませんでした。

で、チャレンジは、会員に友達の勧誘を呼びかけていて、友達が入会した場合、勧誘した子にもされた子にも500円の図書券(今は図書カードかな)をくれることになっているらしいです。ちなみに次女は今まで誰も勧誘したことはありません。でもって彼女自身はかなりチャレンジを活用しているので、まあ、本当に「おすすめ」という気持ちなんだとは思います(^^;)。それに確かに友達と一緒にやるほうが楽しいしね(^^)。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

本:「差別表現」を考える by 日本ペンクラブ

筒井康隆氏の断筆宣言が話題になった頃の本で、1995年発行とかなり古いものだが、今読んでもいろいろ考えさせられることがあった。

まず、日本ペンクラブの会員から、今までに自分の書いたものに関して表現を変えるように担当者から言われたことがあるかどうかなど、差別表現をめぐる体験が語られる。たとえば、絵本で、四つの言葉を呪文のようにとなえる、という場面で、「よっつのことば」という書き方にクレームがついたという(p.22)。マスコミは被差別部落に関する表現にとりわけ過敏になっていたことがあるようで、マンガなどでも指が四本見えるような絵は描きかえるよう指示されていたらしい。例えば受話器を持っている指が四本しか見えないような場合でも無理に五本描く(p.117)。

で、1994年、ペンクラブの主催で差別表現に関するシンポジウムが開かれ、そのときのやりとりが収録されている。出席者は日本てんかん協会理事の松友了さん、解放出版事務局長の小林健治さん、作家の井上ひさしさん、ジャーナリストの本多勝一さん、編集者である篠田博之さん。これはとても興味深かった。

無意識に使われた言葉や表現が差別を助長、あるいは強化、固定するという実態がある、と話される松友さん。解放出版社が手狭になり移転しようとしても、貸してもらえないという実態を話される小林さん。「お前らに入ってもらったらビルがケガれる。他のテナントにも迷惑をかける。価値が下がる。」(p.98) 私たちは神保町で本を買ってもそんな実態を知りはしない。

シンポジウムで特に話題になったのはマスコミの自主規制の問題だ。ある言葉を使ったことでどこかから抗議を受け、じゃあ、言葉を言い換えよう、となる。そして言い換えマニュアルが作られていく。

例えば、(中略)「国会を特殊部落にしてはならない」、「東大を特殊部落にしてはならない」、そういう表現に解放同盟は抗議してきました。これは皆さん考えてほしいのですが、そのときに「特殊部落」という言葉は差別語だから、「東大を被差別部落にしてはならない」「国会を被差別部落にしてはならない」と言い換えたとしても、表現の差別性については何ら違いはないわけです。(p.113)

小林さんは、「自主規制で一番問題なのは差別の実態を隠す役割を果たしているということだ」(p.120) といわれる。確かに、言い換えれば差別がなくなるか、というと全然そんなことはないわけだ。差別の実態は厳然としてあり、表現がやわらかくなってカムフラージュされることで問題が隠されてしまう。問題が見えないから、「差別をなくそう」という討論ができなくなっていく。ある言葉を「使わない」ことは、それが表す「現実」を「あっても見ない」ようにする働きをするのではないか(p.203 犬養智子さん)

最初にあげた「マンガで四本指の絵は描かない」などの規制にについて、小林さんはびっくりされたそうだ。解放同盟の幹部に「全部解放同盟のせいにされてますよ。全然こちらが知らないところで。これを正すために、積極的に発言したほうがいいですよ。」と進言したと言う。(p.138)

差別表現をなくすというより差別をなくしていく取組みが大切なわけだが、確かに表現そのものに不愉快になる場合もあるから、「言葉狩り」がすべて悪いというわけでもない。たとえば、英語でいえば、"nigger" という言葉はやはりいやなものだというし、black girl とかならいいわけだ。"Jap"とか「穢多」などの言葉も、言葉そのものに蔑みの気持ちが込められているわけで、そういう言葉はやはり人に対して使うべきじゃないだろう。ただし、そういう言葉を歴史的な説明をするなどの状況で使ったからといってそれが差別にあたるわけじゃない。ただ、明らかな蔑みの意図のない言葉でも、人によっては言われたくない言葉もあるわけで、私も使う言葉には気を配るようにしたいと思う。

「差別表現」を考える「差別表現」を考える
日本ペンクラブ

光文社 1995-10
売り上げランキング : 896624

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

| | コメント (2) | トラックバック (0)

休み明け

火曜日の朝6時半、約1ヶ月のお休みをとってアメリカに帰っていたTが久々に登園。人懐こくておしゃべりの達者な元気な男の子だが、「T!おかえり!」と言うと泣き出してしまった。聞くと、昨夜帰国したばかりだという。「よく寝たから大丈夫」というけど、さすがにまだ時差ぼけがあるのだろう。泣きじゃくる彼に、「メイシー読む?」と言うと「うん」と言って泣き止んだ(^^)。

「メイシー」というのは、"Where is Maisy?" という絵本で、かくれんぼするメイシーちゃんをさがす簡単な仕掛け絵本。みんなが仕掛け(ドアをあける、など)をさわりたがるので、あまりたくさんの子ども達がいるときには読まず、ひとりとか数人の子ども達に読んであげるのだけど、みんなこれが大好き。Tにとってもお気に入りの本のひとつで、私の膝の上で読むのを楽しんだ。

10分ほどして、やはり1ヶ月のお休みをとってアメリカに帰っていたJが登園。同じように「J!おかえり!」と言う私をちらっと見ただけで、すぐにママと自分の写真を見つけ、「ママ!」と叫び、次々に友達と親の写真を指しては「○△●※○△●※...」と話し始め、さらに別の写真コーナーを指してあれこれ話す。翻訳すると多分、「あ、Lだ。これはM。ああ、Iもいるわ。」という感じだと思う(^^)。久々に来た懐かしい部屋を確かめるようにあちこちを見回る。Jは土曜日に帰国して、日・月と家で過ごしての登園だった。Tに気づいて「やあ」という感じで手を振る(^^)。JのほうがTより月齢が低く、どちらかというとおとなしい感じの女の子だったのだが、すっかりおしゃべりになってびっくり(^^)。

1歳の子ども達は、1ヶ月のブランクがあっても、しっかりお気に入りの本や友達を覚えているものなんだなぁ(^^)。

ココログも2日間のメンテによる休み明け。ログイン画面にもすんなり入れて今のところ順調。このままスムーズにいってくれるといいな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ココログメンテナンスのお知らせ

このところ、ココログの管理画面がすごく重くて、昨日の記事を投稿するのも大変でした。で、そういう状況を改善するためにココログがメンテナンスを行なうそう で下記の期間は記事の投稿も、コメントの投稿もできなくなるそうです。トラックバックの受付もされないそうです。

7月11日(火)14:00 から 7月13日(木)14:00

なんと2日間にわたるメンテナンスで、夜間だけでなく、昼間も使えないそうです。で、記事の閲覧だけはできるので、うちのブログを初めて訪れてくださった方(あるいはしばしばまたは時々訪れてくださっている方)がコメントを書いてやろうと思ってくださったとしても、「え?何これ?」状態になってしまうかも、と思ってこのお知らせを書いています。(ニフティがそれぞれのココログにそういうお知らせを表示してくれるとは思えないので)

というわけで、もし、コメントを書こうとしてうまくいかなかった場合、7月13日14:00以降にまた来ていただけると嬉しいです...ってわざわざそんなことしてくれる人がいるとは思えないけど(--;)...

ココログレスポンス問題お知らせブログっていうのが開設されてて、そこにいろいろユーザーの不満コメントが書き込まれている。まあ気持ちはよくわかる。でも、なかに「がんばれー 体壊すなよー」っていうのがあって、ちょっとホッとした。同業者かな。きっと現場のスタッフは必死でメンテをやっているんだろうと思う。有料ユーザーが快適に利用できるより先にココログフリーをリリースしちゃった、というニフティの姿勢はどうかと思うけど...現場スタッフの方々には期待していますのでよろしくお願いします(^^)!...でも、ほんと、身体こわさないようにしてください。

と、これを書いていたら(夜遅くなるともうアップできないかも、と思って)、突然の停電 !? 次女がお菓子作りの最中で、チョコが溶けるといやだというのでエアコンをかけ、私はノートパソコンを使用中、で、ハンドミキサーを使ってしばらくしたところだったのだけど...ブレーカーは落ちていないので本当に停電かと思ったのだが、電気会社に電話したところ、停電はないそうで、確認したら漏電遮断機が落ちていた。多分誤作動だろうとのこと。この蒸し暑い時期、漏電遮断機が誤作動するのもありえる話だそうで、電気の調子も悪くなる、ココログの調子も悪くなる!? まあ、きっと今だけ...でありますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ミサイル

北朝鮮のミサイル発射には驚いたし、擁護するつもりはまったくないけれど、「やっぱりあの国は変だ」とか「制裁を」という論調に、こういう見方もある、ということを書いておきたいと思った。

パレスチナ情報センタースタッフノート「「拉致」報道に「ミサイル」報道――日本のこと(だけ)ではありません」 という記事によれば、7月4日にガザからイスラエル側に一発のロケットが着弾したそうだ。これまでもそこ(アシュケロン市)が狙われたことはあったがそこまで届かなかった。しかし、初めてそこに届いてイスラエルのメディアは「イスラエルがミサイル包囲網のなかに置かれている」と大騒ぎをしたという。

これもまた不謹慎な言い方になるかもしれませんが、たかだか一発が着弾しただけのことです。それがイスラエルでは、毎日のように「誤爆」だ「巻き添え」だと言ってガザ地区で殺されている、無実のパレスチナ人の政策的虐殺を「帳消し」にするかのような論調で報じられているのです。
200発とも言われるイスラエル自らが保有する核ミサイルのことも顧みず、自らの持つ圧倒的軍事力とそれが具体的に日々生み出しているパレスチナの人間や施設への被害も顧みず、自らがもたらしている政情不安や想像を絶するパレスチナ人への心理的圧迫をも顧みず、一発の着弾をもって、あたかも自分たちこそが被抑圧者であり被害者であると、堂々と振る舞える権利を手にしたかのような、ヒステリックな論調です。

で、今日、毎日新聞で北朝鮮のミサイル発射について特集が組まれていて、小川和久さんという国際政治・軍事アナリストの人が書いていたこと。

確かに、200ものノドンが日本に照準を合わせていると聞かされると、恐ろしげである。しかし、北朝鮮という「木」ばかりに気を取られず、「森」全体に目を転じると、日本や韓国に展開する米軍の戦力が目に入る。例えば、神奈川県横須賀を母港とする米海軍の空母キティホークの機動部隊のうち7隻の巡洋艦と駆逐艦は約200発のトマホーク巡航ミサイル(射程1300キロ)を標準装備し、北朝鮮全域を射程圏内に収めている。しかも、これは、米軍が北朝鮮に投入できる戦力のごく一部でしかない。このように眺めれば、脅えているのは北朝鮮のほうだという現実が明らかになる。

だから日米同盟をしっかり機能させて北朝鮮の脅威を抑止しよう、という小川さんの結論は、私にはよく理解できない。また、パレスチナに対するイスラエルとは違って、日本やアメリカが北朝鮮に具体的に軍事的攻撃をしかけているわけではない。でも、とにかく北朝鮮が一方的に悪いんだ、という論調は注意して聞かなければいけないんじゃないかと思う。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

本「トニー流幸せを栽培する方法」by トニー・ラズロ

「ダーリンは外国人」のダーリンであるトニーさんによる、幸せになるための人生訓。語学オタクのトニーさんらしく、各国語の格言やら諺なんかが紹介されている。

一番おもしろいと思ったのは、「黄金律」の話かな。「人からしてもらいたいことを人にしなさい」あるいは「自分のしてもらいたくないことを人にするな」(己の欲せざるところを人に施すなかれー論語より)という黄金律。私は結構これにしたがっていると思う。保育園の子どもが人をたたいたり押し倒したりしたときに、「やめなさい。自分がそうされたらいやでしょう」って言う。つまり、人間がいやだと思うことは共通していると思ってるわけだ。でも、トニーさんは、必ずしもそうではないかも、と言う。

なるほど、と思ったのが、植民地と黄金律の話。植民地支配をする側が、「自分なら、わが国のすばらしいものを伝達してもらえたら幸せだから」などと言って、自分の言語・習慣・宗教などを相手に押し付けてきた。自分がすばらしいと思うものが誰にとってもすばらしいというわけじゃない。そこでトニーさんは「自分がしてもらいたいと思うことは決して人にするな。趣味が違うかもしれないから。」というバーナド・ショーの言葉を紹介する。あるいは、マハトマ・ガンジーが言ったとされる「"目には目を”をずっとやっていれば、人類はみんな目が見えなくぞ」という言葉。

人間が快不快を感じるのはかなりの部分共通していると思うのだけど(植民地の例にしても、どんな素晴らしいものでも、頭ごなしに自分のものを否定されて相手のものを押し付けられたらいやだろう、というのは、わかりそうなものだ)、いつもそうだとは限らない。違った文化には違った礼儀がある。

たとえば、放送大学の「英語Ⅳ」で紹介されていたけど、満腹した、ということをゲップで示す国もある。相手がそうしてほしいと思っているからといって日本の文化で育ってきた私には食卓でゲップをすることに抵抗がある。あるいは、中国人のご主人を持つ友人と一緒に中国を旅行したとき。いつも余るくらいたくさん注文されるご主人に、「そんなに食べきれないのだから注文する量を少なめにしてください」と頼んでも変わることはなかった。友人いわく、そういう文化なのだと言う。食べ物を残すことに抵抗のある私にはこれもどうも...

人はやっぱり自分を基準にしてものを考えがちなものだと思うけど、そうでないこともあるよっていうことを頭の片隅においておくのも必要なことなんだな。

ところで私は「自分の感じ方や考え方を人におしつけないようにしよう」といつも思っている(本当です)のだけど、このブログなんかで、「私はこれが好き」とか「こうすべきだと思う」とかいうのはしょっちゅう書いている。で、多分、トニーさんも私と同じような考えの持ち主だと思うのだけど、やっぱり人生訓となるとちょっと説教臭いかな、と感じられるところはある。でも、トニーさんにとって日本語は外国語なわけで、だからそんな感じになってしまうのかもしれない。もし英語で書かれたなら、また違った印象があったかもしれない。読んでいて、私の文も他の人が読むとそんなふうに感じられるかも...と思ってしまった(^^;)。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

映画「ココシリ」KEKEXILI

チベットカモシカの生息する中国の高地ココシリ。密猟が頻発してカモシカの数が激減、密猟者を取り締まるため民間のマウンテンパトロール隊が組織されていたが、ある日、パトロール隊員が密猟者に殺された。北京からその事件を取材にやってきたガイは密猟者を追跡する旅に同行することとなる...

凄惨な密猟の実態。追跡するなかで起こるハプニング。パトロール隊のリーダーのリータイはそのたびにきびしい決断をしなくてはならない。ココシリの風景も、美しいというよりひたすら広大で過酷だ。(満天の星は素晴らしかったけれど...)そうやって大変な思いをして密猟者を追い詰めていくのだが...

すごく重くて、軽い気持ちで人にすすめる気にはならない映画。でも、これが実話に基づいている、と聞くと、ここまでの犠牲を払ってココシリを守ろうとした人たちがいたことに感動する。あと、何度か仲間で歌うシーンがあるのだけれど、歌っていいものだなぁと思った。

以下ネタバレ

続きを読む "映画「ココシリ」KEKEXILI"

| | コメント (2) | トラックバック (1)

癒される?

毎日新聞日曜版に「みんな集合」というコーナーがあって、日常生活のちょっと笑えるエピソードが投稿されている。私はこれを読むのが好きで、おもしろかったものを結構人に話したくなる。ので、このコーナーに限らず、ちょっと読んだり聞いたりしたおもしろい話をたまにここに書き留めておこうと思う(^^)。

7月2日(日)毎日新聞「みんな集合」より

小学4年生の孫が時々、貯金箱から1万円札を出しては眺め、「癒されるなあ~」と目を細めています。ちなみにこの子、数字の後ろに「円」を付けるとなぜか計算がはやくなる。将来が心配です...。(大阪府 71歳の方)

いえ、きっと将来は安泰だと思います(^^)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

黒柳徹子さんの理由

毎日新聞で「戦後60年の原点」というシリーズが連載されていて、その総括編で今日は「国際協力」がテーマ。そのなかで、ユニセフ親善大使黒柳徹子さんの書いておられた文を読んでジンとしてしまったので転載したい。

86年にインドに行った時、ある病院で破傷風に感染し、死を待つだけの女の子に「頑張って」と声をかけたことがあります。すると、その子が現地の言葉で何か言おうとしました。あごの筋肉が硬直して口がうまく開かないけれど、死力を振り絞って何か言っている。通訳の言葉を聞き、かける言葉を失いました。その子は私に「あなたの幸せを祈っています」と言っていたんです。子どもは最後まで大人を信じ、人の幸せを祈りながら死んでいく。そのことを知った時ですね、これからの人生を子どものために働こうと心に決めたのは。

また、戦時中、小学生だった黒柳さんは出征する人がいると必ず駅へ見送りに行ったそうだ。駅へ行くとスルメがもらえたからだと言う。

私は出征があるたびにスルメほしさに駅へ行き、万歳しました。戦後、ずっと罪悪感にさいなまれました。スルメ欲しさの軽い気持ちで送り出した人たちが生還できなかったかもと思うと、今でも自分は取り返しのつかないことをしたという気持ちが抑えられなくなり、涙が出ます。 子どものころのこういう体験はずっと心の傷になります。94年、大虐殺があったルワンダからザイールへ逃げた子ども達にユニセフが送った本には「これは君たちのせいじゃない」と書きました。子どもは大人が始めた戦争で深く傷ついている。

私が保育園で働いているのは「子どものため」じゃない。自分のためだ。生活のため、というのももちろんあるけど、部屋に入ると「じゃりんこー」とかけよってきてくれる子ども達がいることに私はずいぶんささえられていると思う。そして、子ども達の好奇心にあふれた目、日々成長していく姿を見るのが本当に楽しいからだ。黒柳さんには、子どものために積極的に活動しようと思うきっかけとなるできごとがあった。私の場合、特にそういうのがあるわけじゃないけど、子どもを大切に思う気持ちは同じだ。世界のどこの子ども達も、まわりの人たちに愛されていることを感じて、いっぱい笑って大きくなってほしいと思っているし、できることがあるなら何かしたいと思っている。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

ビデオ「あの子を探して」Not one less

中国の小さな村の小学校。そこのたったひとりの教員カオ先生のおかあさんが病気になり先生は1ヶ月の休暇を申請した。代用教員としてやってきたのは13歳の少女ウェイ。とりたてて優秀な生徒にも見えない。彼女は50元のお給料がもらえると聞かされてやってきたのだ。カオ先生は不安を感じつつも、彼女以外の人は見つからず、彼女にいくつかの注意を与えて子ども達を託す。「帰ってきたときに子どもの数がひとりも減っていなかったら必ず給料を払うから」と約束して。

ウェイはとにもかくにも「先生」であるという権威をかさにきて子ども達にあれこれ命令。なんとも純真な子ども達で、こんな先生の言うこともよく聞く。しかし、ある日、問題児のホエクーが学校に来なくなる。家計を助けるため町へ働きに出たのだ。子どもの数を減らしては大変、とウェイは彼を連れ戻そうとする...

13歳の教員なんてありえないよなぁ、いつの話?と思いながら見ていたけど、後で出てくる町の様子を見ていると、現代(この映画が作られたのは1999年)なんだろう。町にはテレビ局があり、村とは全然雰囲気が違う。

ウェイは最初、カオ先生に言われたように、教科書を板書するだけだったけど、ホエクーを連れ戻すためにどうすればいいかをクラス全員で考えるようになって、だんだん先生らしくなっていく。自分が小学校の先生をしていたときのことを思い出した。子どもたちのおかげで先生になっていくんだなぁと思う。ウェイは小さな頭で一所懸命考えて行動するものの、所詮は子ども。ホエクーを連れ戻すための試みはことごとくうまくいかず...

村の大人、村の子ども、町の大人たち。ぶっきらぼうな人もいれば、親切な人もいる。様々な人とのかかわりについ目をひきつけられて見てしまう。これが現代の中国の姿なのかなぁ...。好きな作品だった。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »