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本「フィールドワークへの挑戦」by 菅原和孝

副題は「<実践>人類学入門」。「もし、みんながブッシュマンだったら」の著者、菅原和孝さんが、大学で「社会人類学調査演習」という授業を担当したときの学生のレポートを批評、公開しているもの。基本的に、菅原さんがおもしろいと思ったレポートが紹介されていて、ただ、フィールドワークとして、どこをどうすればもっとよくなるか、というコメントがつけられていて、勉強になる。また、完成度の高い作品6本については、そのまま紹介されている。(っていっても、これが授業の際のレポートというわけではないと思うけれど)「人生至る所フィールドあり」と前書きに書かれているが、本当に、様々な着眼点がある。私と興味の似ているものもあるし、全然、興味のなかったことも、それに関するレポートを読むと、へぇ、おもしろい、と思ったりする。

第一部第四章、「信じることの手ざわり」で、菅原さんは、霊感の強い女子学生が、神秘的な力について、例をあげて語ったときのことを書いておられる。

(彼女の話に対して)わたしが苦笑すると、彼女は言った。「わかってくれなくてもいいんです。わからない人にはわからないんだから」。 わたしはとてもがっかりした。「わからない人にはわからない」と言い切って対話を閉ざしてしまうことは、人類学からもっとも遠い態度であると思えた。わたしがそのことをきちんと彼女に伝えられなかったのは、「信じる」人と「信じない」人とのあいだに横たわる深淵をどうやったら跨ぎこせるのか、自分自身にも見当がつかなかったからだ。(p.117)
これは私も感じている。私自身は、「信じない人」だが、「信じる」人をわかりたいなぁと思うことはある。何か不思議な経験をした人は、あることを信じるようになり、でも、それを経験していない人に伝えるのはむずかしいんだろうなぁ。ユングが「共時性」ということを言っているそうで(このページの説明がわかりやすかった。たとえば、「ある人のことを考えている時、電話が鳴る。出てみると、丁度その時考えていた相手だった。」というような例)、そういう科学的にみえないことについて、学問としては「神秘主義」と批判されたりしている。ただ、「単なる偶然」といえないことがこの世にはあるような気もする。「人間にはわからない大きな力がある」と言われればそうなのかもしれない、とは思う。

夫は特に何かの信仰を持っていたわけではないが、「神様はいるんじゃないかと思うことがある」と言っていた。「物理とか数学を勉強していると、世界があんまり美しいので、何かそういう存在があるのでは、という気がする」と話していた。

信仰について調べたり考えたりするのはおもしろそうだが、菅原さんは、学生がある悪名高い大教団の調査をしたいと言い出したときには即座にそれを禁じたそうだ。「カルト教団の洗脳技術を見くびったらダメだ。君が洗脳されたら、私は教育者として責任がとれない。」その後、実際、教え子をオウムに送り込んだ大学教授が非難をあびるという例があったそうだ。

フィールドワークというのは、観察者として外側から見ているだけじゃなく、内側に入り込まないとわからないことも多いから、そういう注意が必要なのだろう。でも、入り込むからこそおもしろい。ただ、そのためには、他人と結構深く関わりを持つことになる。この本のなかでも、何人もの学生が、「(調査の対象にされている人たちは)迷惑なのでは」と感じてためらう姿が書かれていたけど、その気持ちもよくわかる。人のプライバシーに踏み入ってまで、人の時間をさいてもらってまで、するほどの価値のある研究なのか。...自分が何かの研究を始めるときには、そのあたりのことをはっきりさせておかないといけないな、と思う。

4790711889フィールドワークへの挑戦―“実践”人類学入門
菅原 和孝
世界思想社 2006-04

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書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。菅原先生の勤務されている大学の3回生です。ネットを見ていたらふとこのサイトを発見しまして、書き込ませていただきました。
昨年度、「社会人類学調査演習」を受講しまして、調査(と言えるほど立派なものではないですが…)にも行って参りました。「人のプライバシーに踏み入ってまで、人の時間をさいてもらってまで、するほどの価値のある研究なのか。...自分が何かの研究を始めるときには、そのあたりのことをはっきりさせておかないといけないな、と思う。」と日記で書かれていますが、すごく共感できました。どうしても踏みとどまってしまう部分はあると思います。
ただ、躊躇していては何も生まれないかなぁとも思いまして。私の場合、「する価値のある研究なのか?」ということはあまり深く考えずに「エイヤッ!!」ととりあえず飛び込んでいったら、いろんな方が思いを話してくださって、私との出会いを喜んでくださって、その過程の中で自分の研究の意義を考えることができました。人類学のフィールドワークの場合、失礼をも省みず現場に飛び込んでいく、この「エイヤッ!!」も必要なのかなと思います。
まとまりのない文章で申し訳ありません。何かの参考になれば幸いです。

投稿: ぼく | 2007.03.01 19:22

ぼくさん、はじめまして。コメントありがとうございます(^^)。

菅原先生の授業を受けられたのですか。うらやましいです。
フィールドワークもうまくいったようでよかったですね。
きっとそれはぼくさんの人柄によるところも大きいのでは、と思います。私、そのあたりに自信がなくて躊躇してしまうっていうところもあるんだと思います。

父親と母親で母国語が違う子どもが育っていくとき、自我の形成がどんなふうに影響を受けるのか、あるいは、英語圏で育つ子どもの自我と日本語圏で育つ子どもの自我の違い、というようなのが私の興味のあることなんですが、まだまだどうやって手をつけていいのか、というような
状態です。

おっしゃるように、きっと「エイヤッ」っていうところが必要ですね、研究を始めるためには。でもその前にまだまだ準備がたりなさそうです。放送大学は4年で卒業というわけじゃないので、ゆっくりやっていこうと思います。フィールドワークをされている方からのコメントをもらえて嬉しかったです(^^)。今後の研究も実り多いものでありますように。

投稿: じゃりんこ | 2007.03.01 20:21

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