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浦島太郎状態

3週間の休みを取ったあと職場にもどると、いろいろなことが変わっているのは毎度のことだが、それにしても、今回は、かなり変化が多かった。

7時半に部屋に入ると、子どもがふたりしか来ていない。聞けば、3人の子どもが2歳児の部屋に移り、現在、6人しかうちのクラスにはいないとのこと(うちのクラスの定員は10人)。私が休みに入る前の週に、ふたりの子どもが2歳児の部屋に移ったばかりで、クラスは8人になっていた。そこから3人の子どもが2歳児の部屋に行き(まだ2歳になっていないし、早めに部屋を替わるのはちょっと大変かな、と園長先生と話していたのに)、5人になったところへ、先週、新しい子がひとり加わって6人に。会えると思って楽しみにしていた子ども達が、全員は部屋にいなくてちょっとがっかり。

なんでも、スタッフで、やめる人や体調を崩した人などが多くてスタッフ不足になり、なんとか各クラスがまわっていく人数を確保するために子どもを移動させたとか。

あと、上で書いている園長先生は仮の園長先生で、園長先生のポストは空いていたのだが、新しく園長先生が着任して、仮の園長先生は副園長先生に。さらに、その上層部も人が変わり、そのため、勤務体制や様々なルールが変わっていて、「え?」「そうなの?」という状態。...慣れるまでちょっとかかりそうだ(^^;)。

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夏休みの宿題、終わりましたか?

次女は次の月曜から学校だ。「宿題終わったの?」と訊くと、「だいたい。9割がた...8割がた...7割がた。」と段々割合が減っていく(^^;)。
昨夜は、PTAでやっている夏休みのパトロールの当番で、一緒だったのが全員中3生のおかあさん。話は宿題のことになり、「税についての作文だの、”総合”の宿題だの、中3でこんな宿題があるとは思わなかったわねぇ」などとみんなでブツブツ。
私も夏休みは明日で終わり。次の月曜から仕事だが、夏休みが終わる頃になってようやく部屋のかたづけに着手(^^;)。服の整理をしていて、タンスに新聞紙を敷こうとしたところ、先週日曜の「毎日かあさん」を見つけた。可笑しかった(^^)のでみんなに読んでもらいたいと思い、「毎日インタラクティブ」のページで見るとちょうど掲載されていた。「毎日かあさん」は毎週日曜の毎日新聞朝刊に連載されているが、そのうち第一、第三日曜の作品がここ に転載されている。

私が特に笑ったのは6コマ目と8コマ目と最後のコマ。でも、私、「毎日かあさん」はほぼかかさず読んでいると思うけど、漢字のまちがいに気づいたことないなぁ(^^;)...編集の人が既に直しているのかな?(そういうことにしておこう(^^;))

追記:昨日は、ここに漫画をコピーして載せたのですが、次女から「著作権侵害にならないのか」という指摘を受け、毎日インタラクティブのページを見ると、「MSN毎日インタラクティブに掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。」という記載があったので削除しました。私ももっと著作権について勉強しないといけないですね(^^;)。次女に感謝。漫画は、上のリンクから、たぶん、次の土曜(9月1日)か日曜までは読めるのではないかと思いますので、お早めにどうぞ(^^)。

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ビデオ「エリザベスタウン」

私は好きな作品だった。

ドリュー(オーランド・ブルーム)は靴のデザイナー。彼はヒット作を次々と生み出してきていたが、彼のデザインした新型の靴を売り出したところ、まったく売れず、会社は10億ドルの損害を出してしまった。会社をクビになり、自殺をはかろうとしたところ、妹から電話で、故郷の町エリザベスタウンを訪ねていた父の死を知らされる。取り乱している母や妹に代わって、エリザベスタウンに行ってくれと頼まれ、仕方なくでかけていく...

脚本はあまいかな、と思う。ドリューの仕事上の失敗にしても、それが一個人の責任にされてしまうことはありえないだろう。会社としてその作品を認めてを売り出したのだから。ただ、そういう場合、デザイナーがすごく責任を感じてしまい、自殺をはかろうと思いつめるほど落ち込んでしまうことはありえない話じゃないと思うけど。でも、彼とロマンチックな関係になるクレア(キルスティン・ダンスト)が作ってくれた地図にしても、騒がしい子どもを静かにさせるビデオにしても、ちょっと現実には考えられない設定だ。

それでもこの作品を好きなのは、主人公のふたりが感じいいからかな。初めての電話で盛り上がってしまう、そういうことはあるだろう。あと、車で旅をしていくロードムービーっぽい作りと、全編に流れる音楽の気持ちよさ。サントラを注文してしまった(^^)。

印象に残ったのは、なんといっても、ドリューの父親ミッチのお通夜のシーンだ。(以下ネタバレ)

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ネーミング

次女が高校見学に出かけて、その帰り、街でお茶の試供品をもらってきた。
その名がなんと「万能茶」。

母:"万能茶"...はないだろう。
長女:うさんくさい名前はダメだよね。
次女:インパクトがあっていいとか。
母:「万能」のお茶なんてありえないんだからさ、うさんくさい感じがしてダメだよ。
次女:お茶の名前って何があったっけ。爽健美茶、十六茶、生茶、伊右衛門、おーいお茶...
母:このお茶は何が売りなの?...「体に良い天然素材を選りすぐりブレンドした健康茶」...で、原材料は...と、17種類か。じゃあ「十七茶」ってわけにはいかないねぇ...

しばし3人で考えて...

母:「さいちゃ」ってのはどう?
長女:ああ、彩りのお茶?
次女:原材料にもいろんな色があるからいいかもね。
母:あ、私は「最高のお茶を作りました」っていう気持ちで、「最高茶」もヘンだから、最茶っていうのはどうかな、と思ったんだけど、「彩茶」もいいねぇ。なんか響きもいいじゃん。

しかし、インターネットで調べてみると、彩茶というお茶屋さんがあり、野草彩茶なんていうお茶も実際に出ているようだ。

次女:「いたわり茶」は?
母:うーん、ターゲットがお年寄りとかだったらいいかもしれないけど...

で、ネットで見てみるとこれもすでに出ていた。

商品のネーミングってむずかしいものだなぁ。おもしろいけど(^^)。
しかし、見学に行った学校の話より、こんなことで盛り上がっている私たちって...(^^;)

パソコン、修理からもどってきました。速い!やはりハードディスクの交換になったようです。とりあえず、ネットにつないで、ウィンドウズのアップデートをし、ウィルスバスターを入れました。その他の設定は、明日以降ぼちぼちやるつもりです。

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本「フィールドワークへの挑戦」by 菅原和孝

副題は「<実践>人類学入門」。「もし、みんながブッシュマンだったら」の著者、菅原和孝さんが、大学で「社会人類学調査演習」という授業を担当したときの学生のレポートを批評、公開しているもの。基本的に、菅原さんがおもしろいと思ったレポートが紹介されていて、ただ、フィールドワークとして、どこをどうすればもっとよくなるか、というコメントがつけられていて、勉強になる。また、完成度の高い作品6本については、そのまま紹介されている。(っていっても、これが授業の際のレポートというわけではないと思うけれど)「人生至る所フィールドあり」と前書きに書かれているが、本当に、様々な着眼点がある。私と興味の似ているものもあるし、全然、興味のなかったことも、それに関するレポートを読むと、へぇ、おもしろい、と思ったりする。

第一部第四章、「信じることの手ざわり」で、菅原さんは、霊感の強い女子学生が、神秘的な力について、例をあげて語ったときのことを書いておられる。

(彼女の話に対して)わたしが苦笑すると、彼女は言った。「わかってくれなくてもいいんです。わからない人にはわからないんだから」。 わたしはとてもがっかりした。「わからない人にはわからない」と言い切って対話を閉ざしてしまうことは、人類学からもっとも遠い態度であると思えた。わたしがそのことをきちんと彼女に伝えられなかったのは、「信じる」人と「信じない」人とのあいだに横たわる深淵をどうやったら跨ぎこせるのか、自分自身にも見当がつかなかったからだ。(p.117)
これは私も感じている。私自身は、「信じない人」だが、「信じる」人をわかりたいなぁと思うことはある。何か不思議な経験をした人は、あることを信じるようになり、でも、それを経験していない人に伝えるのはむずかしいんだろうなぁ。ユングが「共時性」ということを言っているそうで(このページの説明がわかりやすかった。たとえば、「ある人のことを考えている時、電話が鳴る。出てみると、丁度その時考えていた相手だった。」というような例)、そういう科学的にみえないことについて、学問としては「神秘主義」と批判されたりしている。ただ、「単なる偶然」といえないことがこの世にはあるような気もする。「人間にはわからない大きな力がある」と言われればそうなのかもしれない、とは思う。

夫は特に何かの信仰を持っていたわけではないが、「神様はいるんじゃないかと思うことがある」と言っていた。「物理とか数学を勉強していると、世界があんまり美しいので、何かそういう存在があるのでは、という気がする」と話していた。

信仰について調べたり考えたりするのはおもしろそうだが、菅原さんは、学生がある悪名高い大教団の調査をしたいと言い出したときには即座にそれを禁じたそうだ。「カルト教団の洗脳技術を見くびったらダメだ。君が洗脳されたら、私は教育者として責任がとれない。」その後、実際、教え子をオウムに送り込んだ大学教授が非難をあびるという例があったそうだ。

フィールドワークというのは、観察者として外側から見ているだけじゃなく、内側に入り込まないとわからないことも多いから、そういう注意が必要なのだろう。でも、入り込むからこそおもしろい。ただ、そのためには、他人と結構深く関わりを持つことになる。この本のなかでも、何人もの学生が、「(調査の対象にされている人たちは)迷惑なのでは」と感じてためらう姿が書かれていたけど、その気持ちもよくわかる。人のプライバシーに踏み入ってまで、人の時間をさいてもらってまで、するほどの価値のある研究なのか。...自分が何かの研究を始めるときには、そのあたりのことをはっきりさせておかないといけないな、と思う。

4790711889フィールドワークへの挑戦―“実践”人類学入門
菅原 和孝
世界思想社 2006-04

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地雷除去弁

通販生活の秋号が届いた。今回、特に私が気に入ったのは「売ってない商品カタログ」のなかの、「地雷除去弁」。写真のような弁当だが、説明は,
Mamegohan1_1「見た目はおいしそうな豆ごはんです。実際にもたいへんおいしいのですが、豆の中にいくつかワサビを固めて作った豆が混じっています。間違ってそれを食べたら、口の中は大バクハツ。慎重にそれを除去しながら食べていくというまさに決死の弁当です。ちなみに、豆はグリーンピース、平和の豆ですね。」

この中に本当にワサビで作ったものがあるんだろうか、でも、実際にお箸でさわったら絶対わかるよね、なんて、娘達と一緒にちょっと真剣に考えてしまった(^.^)。しかも、現実は、ブツはこんなふうに目に見えているわけじゃなく、埋め込まれているんだからもっと大変だ。そうか、豆ごはんのなかに埋め込んでおけば..(^.^)(現実に地雷除去に取り組んでいる方にすれば、笑い事ですまないのはもちろんですが...我が家の娘達は辛いものが大嫌いなので、つい受けてしまいました。)

これのほか、目出し帽ならぬ「口出し帽」っていうのも気に入った。
Kuchidashi1Kuchidashi_1
他人のことには口出ししない、という世の風潮に対して、「口出ししようよ」という主張のもとにデザインされている。ご覧のように、とっても可愛い(^^)。この「商品」の解説が、また軽妙でおもしろくて(作:天野祐吉さん、立体製作:ミハラチカさん)...通販生活、書店ででも見てみてください。

通販生活で買い物をしたことはほとんどないけど(興味をひかれる商品はたくさんあるんだけど)、記事はおもしろいものが多いです(^^)。

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放送大学面接授業「英文マンガで読む社会学」

講師は新井郁男先生。テキストは "Sociology For Beginners" (by Richard Osborne and Borin Vari Loon) という本で、授業概要によれば 「資料を配布」となっていたので、その中から少し取り出して読むのかな、と思っていたら、本まるまる1冊コピーしたのをいただいた。学生に買ってもらおうと思ったら絶版だったそうだ(^^;)。(でも、調べてみたら、"Introducing Sociology" というタイトルで第二版が出ている。)

マンガといっても4コマのようなものではなく、まじめな社会学の入門書に大きな挿絵がついているという感じ。挿絵は結構コミカルで(でもどちらかというと細密画的なので、好き嫌いはあると思う)、吹き出しに書かれている言葉は笑えるものもある。確かに「学問」という堅いイメージでなく、とっつきやすくはなるし、それでいて、要点はきちんとおさえられていて、入門書としてよくできていると思う。英語も平易で、読みやすい。

176ページある本だが、授業のなかでかなり目を通した。学生がひとりひとり読んでいくのではなく、先生の解説を聞くことが中心なので、眠くなってしまうこともあったけど(^^;)、「フィールド社会心理学」の授業を受けたり、「あたりまえを疑う社会学」などの本を読んで、社会学っておもしろそう、と思い始めたところなので、結構興味深く話を聞くことができた。2日間の授業では深いところまでできるわけじゃないけど、社会学の歴史とか理論とかをひととおり自分でも勉強したいな、という気にはなった。

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ハードディスクを助けたい!

ジーさん、まいさん、コメントありがとうございます!今日も放送大学で、携帯からはコメントつけられないので、本文にて。
ランでつないでる私のノートからはデスクトップは認識できないんだけど、ハードディスクを取り出して箱に入れれば読める可能性があるのかなあ?データはもちろん失いたくないので多少の出費は覚悟してます。Norton SystemWorks に搭載されている「ノートン・ユーティリティズ」とかいうディスクメンテナンスソフトを使えば修復できることもあるそうなので、授業が終わったら、電機屋さんに行ってみるつもり。で、帰ったら、富士通のサポートに電話して、ハードディスクをそのまま返してもらえないか頼んでみます。いろいろありがとうございます!

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パソコンがこわれた(>_<)

昨日、京都から戻ってきた。今日は朝から放送大学の面接授業へ。夕方に帰ってきて夕飯の支度を始めたところ、次女が2階から降りてきて「パソコンが立ち上がらなくなった」と。「えーっ?」と私はパソコンの点検にかかり、夕飯の支度は次女に引き継がせる。

デスクトップの前にはパソコントラブル用の本が置いてあり、一応、自分達でなんとかしようとしてみたらしい。でもセーフモードで立ち上げることもできず、「restart するには Ctrl+Alt+Del 」というようなメッセージが出るばかりで、それの繰り返し。このパソコン用の説明書を見てもらちがあかず、富士通のサポートに電話。

技術サポートは、「ただいまの待ち時間はおよそ4分です」というメッセージが流れ、これには好印象。サポートの人の指示に従って点検したところ、ハードディスクのエラーで、表示されているコード番号から、ハードディスクが物理的にこわれているらしい、とのこと。というわけで修理しかないそうだ(>_<)。

前のパソコンは、調子の悪いときが出てきたのでちょっとバックアップとらなきゃまずいかなぁなんて思うヒマがあったが、このパソコンは特に調子悪いことがなかったので、バックアップをとっていなかった(>_<)...つらいのは写真データを失うことだ。保育園の子ども達の写真やら旅行の写真やら...(;_;)。娘達も「お気に入りがぁ...」とショックな様子。

なんとかデータ復旧できないかと、修理を出す前に検討してみたけど、ハードディスクが物理的にこわれた場合の復旧はむずかしく、10万円以上のお金がかかり、さすがにそんなには出せない。あきらめて修理を依頼。月曜に引き取りに来てくれるそうだ。

昨日、戻ってきたとき、パソコンがついていた。消していったはずなのに。テレビの予約をしているものがあったのでパソコンが起きたときに、ウィルス対策ソフトか何かが更新され、それをコンプリートするため再起動が必要で再起動されたままになっていたようだ。それで何か変になったのかなぁ。

それにしても、やっぱりこまめなバックアップは必要なのですね...私もあわててノートパソコンのメールをUSBフラッシュメモリにバックアップした(つもりだけど、これでいいのかなぁ?)。みなさんも気をつけてください...

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大文字の送り火

大文字の送り火


長年、京都に住んでいたのに、一度も大文字の送り火を見に行ったことがなかった(゜▽゜)。今日は京都御所で、大文字が点火されるところから見た。暗い山に赤々と火が広がっていく。
お盆にこちらへ帰ってきたご先祖様をあちらへお送りする行事。うちのお仏壇にも胡瓜や茄子がお供えしてあって、なんでそんなものを供えるのかなあと思っていたら、「胡瓜の船で早く帰ってきて、茄子の馬でゆっくりお帰りください」(...あれ?反対だっけ(^^;)?)という意味があるんだそうだ。ぴよ♪さんに教えてもらった(^_^)。
私の携帯ではうまく写真が撮れなかったので、これは長女が撮ったもの。小さすぎるかな?

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京都の夏

京都に帰省中。
京都に住んでいた頃はそれが普通だと思っていたけど、実はそれは日本全国共通というわけではないということに気付く。
スーパーマーケットで茄子の種類が多い。まんまるの賀茂なす(一個300円もする(@_@))、大きな米なす、もっと大きななす(@_@)。
ホオズキを見て、そう、お盆といえばホオズキだったなあと思う。
冷やしあめ。これも、東京では見かけないなあ。
母の作ってくれた米なすの田楽に舌鼓を打つ(^_^)。

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映画「胡同のひまわり」 Sunflower

1967年、北京の伝統的な民家が立ち並ぶ地区、胡同で生まれた男の子、向陽(シャンヤン)。父は画家だったが、その後、強制労働に行かされてそこで拷問を受け、腕を痛めて絵筆が握れなくなった。父は息子に絵の才能があることを感じ、それを伸ばしてやろうとスパルタ教育を開始する。

父の教育の仕方はむちゃくちゃだ。子どもに遊ぶことを許さず、とにかく絵を描かせる。描きたいわけでもないのに描かされる向陽にとっては苦痛でしかなかったが、父への反発を感じつつも、逆らうことはできない。それでも、成長するにつれ、親の目を盗んで自分のやりたいことを少しずつやっていたものの、父に見つかってすべて禁止されてしまう。向陽の恋人に対する父の仕打ちもひどいものだった。

ただ、そういう人間を生み出した時代だったんだなぁと思える。文化大革命、四人組の失脚、毛沢東の死、そして近代的な都市へ。友人の裏切り、価値観の転換...それでも長幼の序を大事にする伝統的な親子関係...人間はその時代のなかで生きるしかないけど、でも流されるだけでもない。父の態度は愛情からだったのだ、結局のところ、向陽は画家として成功したのだ、と言っても、それで父の行動が正当化されるわけではないけれど、でも、彼を憎むこともできない。父も、母も、向陽も、向陽の彼女も、妻も、リウも...時代のなかでひとりひとり一所懸命生きてきたんだなぁ、と感じさせられる映画だった。

ビデオも含め、今年は中国映画に心惹かれるものが多い。

以下 ネタバレ

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ビデオ「そして、ひと粒のひかり」Maria Full of Grace

舞台はコロンビア。17歳のマリアは園芸工場でバラの棘をとる仕事をして、家族の生活を支えている。しかしある日、トイレにも満足に行くことができない非人間的な扱いに耐えかねてやめてしまう。家族から責められ、主任に謝って仕事にもどるように言われたが、そんなことはしたくない。そんな彼女が選んだのは、麻薬の運び屋になることだった。

違法であることはわかっているし、危険なことも知っている。でもあの職場にはもどれない。そして、他に仕事はない。しかも、妊娠していることに気づいてしまった。相手とは結婚する気にはなれない。運び屋の仕事には高額の報酬が約束されている。

17歳といえば、うちの長女と1歳しか違わない。高校生として勉強したり、将来に夢を持っていい年頃なのに。17歳の女の子が背負うには重過ぎる責任。でも、この映画に描かれていることは事実とかけ離れた話ではないのだろう。見ていてつらくなる。

マリアたちが危険を冒して麻薬を運ぶ先はアメリカ。コロンビアとは違う、豊かな国だ。運び屋の先輩であるルーシーの姉はニューヨークに住む。おなかの大きい彼女は「子どものためにこの国を選んだ。」と話す。子どもに夢を見せてやれる。コロンビアで子どもを育てることは考えられない...

17歳の女の子が麻薬の運び屋になる国。そんな国で子どもを育てたくない。でも、そんな産業を成立させているのは誰なのか...

重い話だけど、知ることができてよかったと思う...だからといって何もできないけど。マリア役の女の子のきりっとした雰囲気も好きだった。

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ああ無情

一応、受験生の次女は、暑いうえに(今日はそうでもなかったけど)マンガとかパソコンとかゲームなどの誘惑にあふれた我が家を出て、冷房のきいた図書館へ勉強しに行っている。

次女:図書館で、本の検索機があるじゃん。で、ときどき、小さい子がそれで遊んでて使えないときがあるじゃん。ああ、使いたいなーと思いながら見てたら、画面に急に「ああ無情」って出て...笑ったわ。だって字なんて読めそうにないような小さい子なんだよ...

笑う門には福来たる...といいな(^^;)。

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映画「クラッシュ」

ロサンゼルスのハイウェイで今日も起こる車の衝突事故。ロスに住む様々な人種、職業のの人たちの日常生活が描かれ、初めはまるで関係のないように見えたそれらが見事につながっていく。よくできた脚本(ちょっとできすぎとは思うけど...まるで映画のようだ、と言いたくなるような)で、ぐいぐい引き込まれた。

黒人、白人、アジア人、ヒスパニック、アラブ人、イラン人...ロスではそういう区別があまり意味をもたないと思っていたのに。うちのクラスの保育士Eはカリフォルニアに長く住んでいたそうで、今まで住んだなかではカリフォルニアはいい、と言っていた。黒人であることを意識しなくてもいいと言う。園長先生は白人女性だが、やはりカリフォルニアは人種差別を感じないから好きだ、と話しておられたことがある。ミズーリー州のカンザスシティに住んだとき、白人が彼女とその友達しかいない、という状況のカフェで、いきなり黒人女性にコーラをかけられたとか、その後住んだフィラデルフィアも、みんな人種ごとの部落のようなものがあって交流がなく、いやだった、ということだ。そんなふうにふたりの違う人種の人から良いところだと聞いていたカリフォルニア。でもそこにも差別はうずまいている。みんな頭では「差別はよくないこと」とわかっていて、表立って差別はしないが、心の奥深くに差別意識を持っていて、それがなんらかのきっかけで出てくるのだ。

悪人と見えた人が良い面を持っていたり、善人と思えた人が意外な行動をしたり、人間に簡単にレッテルを貼ってしまうことの危うさ、愚かさも感じさせられた。ずっと重苦しい雰囲気の漂っている映画だが、最後に、絶望ではなく少し希望を感じさせられるつくりになっているのも好きだ。

以下 ネタバレ

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じゃりんこ家の夏

今日から私の夏休み(^^)。
以下、中3の次女、高2の長女との会話。

母:さぁ、しっかりかたづけて、夏の間にきれいな家にしよう。
次女:私がいる限り、それは無理かと。
母:!!!(なんて自分をよくわかっているヤツ(^^;))
長女:次女はリビングにものを持ち込むのを禁止すれば?
次女:あ、それは勘弁...受験が終わるまで待って。
母:受験が終わったら、一所懸命かたづけるわけ?
次女:そうできたらいいなーみたいな...
母:(ため息)ねぇ、あなたを見てると受験生だっていう感じがしないんだけど。
次女:なんか長女を見てると、これでなんとかなってしまうんだなーって思って。

はてさてどうなることか...(^^;)。

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ビデオ「山の郵便配達」Postmen in the Mountains

1999年製作の中国映画。舞台は1980年代の中国の山間部。長年、山に住む人たちに郵便物を届け、集める仕事をしてきた男が足を痛め、仕事を息子に引き継ぐことになった。息子の初仕事の日。いつも父の相棒を務めてきた愛犬の「次男坊」が息子とは一緒に行こうとはせず、父も一緒にでかけることになる。

ヘリコプターが飛ぼうかというような時代に、郵便物を入れた重い袋を背負って山道を歩いて配る。楽な道ではない。1回の集配に3日かかる。でも、行く先々で、郵便物を待ちわびている人に出会う。父は息子に仕事のてほどきをしながら、仕事への思い、家族への思いを、言葉で、また言葉ではなく、伝えていく。

何か大きな事件が起こってはらはらどきどきする、というような展開じゃないけど、しっとりと心にしみいる話。この人はこの仕事に誇りを持っていたし、この仕事が好きだったんだなぁ、とわかる。同じ道を通う、単調な、きつい仕事だけど。最高の仕事だったんだ。そして息子もそのことを感じていく。

息子の笑顔、村人の笑顔、そしてこのおとうさんの見せる表情がなんとも魅力的だ。愛犬次男坊の演技?も...

以下 印象に残った場面

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チューインガム後日談

続・蕎麦とチューインガム」で書いたうちのクラスの新しい保育士Aの話。
ある日、彼女は部屋でガムを噛んでいるところを園長先生に見つかって注意され、それ以来部屋でガムは噛まなくなった。が、先日、別の保育士が休憩時間にうちのクラスに来ていたときに、彼女にガムをすすめたらしい。Aは「ミスじゃりんこがガムを噛むのを許してくれないのよ。」と言うので、「私が許さないわけじゃなくて、園長先生がダメって言ってるのよね。」と返し、何故そんなにしょっちゅうガムを噛みたくなるのか訊いてみた。で、それはタバコを我慢するためなのだ、ということがわかった。

彼女は12歳のときからタバコを吸い始めたのだという。おとうさんが亡くなったことがきっかけだったらしい。17歳で最初の子どもを産んでから、結局3人のこどもを産み、そのたびにタバコをやめているが、しばらくするとまた吸い始めたのだそうだ。ちなみに30代だとばかり思っていた彼女は実は25歳になったばかり。私は彼女がスペイン語を話すのでてっきりヒスパニックだと思っていたのだが、単にスペイン語も話せる白人だった(^^;)。テキサス州の出身で、まわりにヒスパニックの人が多かったらしい。

タバコを吸う人にとっては吸えない時間はつらく、ガムを噛んでまぎらわす、というのもわかる話だ。しかし、それすらも禁じられてしまって、まあ今のところAはなんとかやっている。ただ1歳児というのは彼女にはあまりあわないらしく、なんとか部屋を替わりたいと思っているようだ。でも、園長先生は、「今までの経過からみて、彼女はどこのクラスにいっても文句を言っている。できるだけ楽に過ごせるところを探しているだけだ」と、彼女を移動させるつもりはない。私は、明日ちょっと休日出勤をしたら、来週から3週間のお休みに入るのだけど、保育園で働き始めてまだ数ヶ月のEと、1歳児の部屋で働くことに意欲的でないA(経験年数は1年ちょっと)と、ヘルプの人(経験は数ヶ月または数週間(--;))でうまくクラスがまわっていくのかちょっと(かなり(--;))心配。

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本「(カルチャーショック)アメリカ人」by エスター・ワニング

カルチャーショックシリーズとして12冊刊行されている本の1冊。アメリカ人のほかにはフランス人、韓国人、タイ人、中国人...など。この本は1998年発行だから少し古いが、読んでいて「確かにそうだなぁ」とうなずけるところがいろいろあった。

どの国でもみな、自分たちに固有の価値観などとくにないと考えているように、アメリカ人もとくにアメリカ的な価値観はないと思っている。...(中略)...これは、私たちアメリカ人の思い違いである。...たとえば、...仕事で発展途上国へ出向いてみれば、いやでも思い知らされる。人々に繁栄をもたらそうと意気込んで現地入りしたアメリカ人は、なにひとつ助言どおりにやってもらえず、失意に終わるのがおちだ。まさか、物事を成し遂げることが最優先されない社会がこの世にあるなんて、とても信じられないのである。....社会的地位の向上をめざして一所懸命に努力しないひとたちの気持ちがなんとももどかしく、理解しがたい。...(p.15)
アメリカ人は、独立自尊(自立)こそが基本徳目である。(p.20)
米国の生活にひそむ多くの矛盾...報道の自由があっても、一般大衆は必ずしも十分な情報を持っていない。豊かな国なのに、路上で暮らすホームレスがいる。愛想がいいわりには、近所のひとどうしで井戸端会議もしない。世界最大の農産物産出国でありながら、その食文化は貧困としかいいようがない。(p.32)
このほか、アメリカ人はリラックスした生活がいいと思いながら、その実、リラックスした生活をおくるのが苦手だ、とか、なんでもかんでも訴訟する、四世帯にひとつは片親家庭、友達に頼みごとをするのは気が重い、...などなど。アメリカ人といってひとくくりにできないのはもちろんだけど、かなり共通してみられると思うことについて書かれていておもしろかった。
アメリカの生活にはいろいろ不満な点があるにしても、「アメリカ以外のどこで、この歳で学校に通ってソーシャルワーカーの資格が取れるかしら?」と香港からきた40歳の婦人は言う。「ここでは一から出直して、自分の本当にしたいことができる。そういう国なのよ。」(p.188)
現在、なにかと批判の対象になるアメリカだけど、どこの国でもそうであるように、いいところも悪いところもあるのだろう。それを自覚しているアメリカ人がどのくらいいるのかわからないけど(って、これは私たち日本人も同じかもしれない)。
アメリカ人
エスター・ワニング著 / 篠原 勝訳

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インカって!?

同室の保育士Eが「日本人は声が高い。”インカ”とか...」と言い出した。

じゃりんこ:インカ?何それ?
E:インカを知らないの?日本の音楽だよ。
じゃりんこ:日本のグループなの?
E:日本のフォークミュージックだ。

フォークミュージックといわれてついフォークソンググループを思い浮かべ、でもインカなんてなかったよなぁと思っていると

E:インカで一番有名な人は...ええと...確か...キヨシっていうんだ。
じゃりんこ:インカ...キヨシ...

もうおわかりでしょうか(^^)?そう、Eは「演歌」のことを話していたのです。

じゃりんこ:ああ、それは「エンカ」よ。インカじゃないわ。
E:エンカ?...ABCのA?
じゃりんこ:そうそう。Aよ。Eじゃないの。あ、そうか、英語にすると enka って書くわけね。でもって、そうか、たとえば English はイングリッシュで「イ」と発音するから、enka はインカになってしまうのか...

でも en で始まる単語がいつも「イン」と発音されるわけじゃない。たとえば end (エンド)、entertainment (エンターテインメント)、engineer (エンジニア)など、「エン」と発音されることもある。engage は「インゲイジ」とも「エンゲイジ」とも読める。ほかにも、encounter, encourage など、e が「イ」とも「エ」とも読める、というのは結構多い。アイルランドの歌手 Enya は「エンヤ」なのだから、Enka と書いて エンカと読んでもよさそうなものだけど、英語の発音はややこしい。でも、「じゃあ漢字はどうなんだ」と言われたら返す言葉がないか(^^;)。

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カナ(レバノン)で起きたことの真実は

長女を塾に迎えに行った帰り、車のなかでラジオをつけたら、AFNで昨日のカナでの虐殺事件について話されていて、私は自分の耳を疑った。たくさんの市民が犠牲になったのはヒズボラのせいであり、これは彼らによる宣伝活動だというのだ。

さて、カナの事件についてです。本当のところ、誰がこの人たちを殺したのか、もうみなさんおわかりでしょう。ヒズボラです。ヒズボラがこの人たちを殺したのです。ヒズボラがこの人たちをあの建物に連れてきて、ロケット弾発射装置をそのすぐ近くに置いたのです。ロケット弾発射装置が狙われるであろうということをよく知ったうえで。(全文はこちら
コメンテーターの Rush Limbaugh 氏が言うには、彼らは軍事的に勝ることはできないから、イメージ作戦に出ている。「イスラエルがこんなにひどいことをしている」ということを世界に訴えるために犠牲者を作り出し、その写真をさらしている。そして、人々は簡単にそれにだまされてしまっている。さらに、それらの写真がどれほど作為に満ちて撮影されたのかということを示しているサイトが紹介されている。

まず、男の子が瓦礫のなかから助け出されるシーンの写真。これが撮影されたのが午後2:21。 そしてその子を高く掲げて映し出されている写真が撮られたのが午後4:09 と 4:30。ところが、この子が瓦礫のなかから助け出される前、午後12:45、12:53、1:01に、死んだこの子を抱きかかえて運ぶ姿を映した写真が撮られている。

続いて、救急車に横たわる女の子の死体の写真。ところがこれが撮られたより数時間後の時刻に、瓦礫のなかから彼女を救出する民兵の姿が撮られている。

サイトの作者は言う。

カナで起きていることは確かに人間の悲劇だ。しかし、写真は事実を正直に伝えてはいない。それらは効果的に演出され、犠牲者をさらしものにして利用している。これらは報道写真とはいえない。プロパガンダだ。「カメラはウソをつけない」と言ったのが誰だか知らないが、カメラマンはウソをつけるし、実際につくのだ。
私自身は、これらの写真がもともと掲載されていたサイトなどを直接見たわけではないし、単純に時刻の記載のミスかもしれないし、本当のところはわからない。ヒズボラが犠牲者の写真を利用してる、ということはあるかもしれない、とは思う。Rush Limbaugh 氏が言うように、ヒズボラが故意に自国の人を犠牲にしてイスラエルを悪者に見せかけているとは信じられないが、なんの予備知識もなくこの人の話を聞けば、この人の話を信じてしまう人がいても不思議ではない。そして、こんなうそつきのテロリスト、ヒズボラに対し、イスラエルは毅然と立ち向かわなければならないし、イメージ作戦についても考えなければいけない、などという説が正当化されていく...

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