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自我はタマネギか

放送大学の後期授業がスタート。今学期は「自我の社会学」「人格心理学」「比較政治学」、あと面接授業をふたつ取っている。前ふたつの科目は、そろそろ卒論のテーマをしぼりたいと思って取った。二ヶ国語を話す家庭で育つ子どもがどういうふうに自我を形成していくのか、というあたりが私の興味のあるところだけど、どんなふうにアプローチしていいのかわからないのだ。

この2科目とも月曜の授業で、「人格心理学」のほうはテレビ録画したものをまだ見ていないが、「自我の社会学」はラジオで、夜7時からだったので聞くことができた。

そのなかで「自我はタマネギのようなもの」という説明がでてきた。タマネギの皮を剥いていけば、芯のようなものが出てくるかと思っても、最後まで何も出てこない。自我もそれと同じで、自分とは何か、と問い詰めていっても、結局は何もでてこない。そして、この剥いて捨てた皮が自我を形作っている。皮は他の人々の期待を意味する。親、友達、先生などの期待の組み合わせが自我を作り上げている、というのだ。

聞いていて、「どうしてそんなことが言えるのだろう?」と思ってしまった。自分を問い詰めていったら、本当に何も残らないのだろうか。「我思う、ゆえに我あり」とデカルトが言った、すべてのものを疑っても、疑っている自分自身の意識だけは疑うことができない、そういう「近代的自我」をどうして簡単に否定してしまうのだろうか?「自我はタマネギのようなものである」という命題は何も検討されず、ただそれが正しいものとしてと示されるだけなのだ。

自我が社会的な側面を持つことは確かだと思うけど、周りの人の期待で自我が形作られている、というのはすんなりとはうなずけない。周りの人は自分にこんな期待を寄せるけど、でも私は違うんだ、そう思う「私」はあるんじゃないんだろうか。

ここ数年、私の自我は安定していた。保育園の1歳児クラスのリーダーとしてうまくやってきたと思う。子ども、親、同僚との関係もうまくいき、これぞ私の仕事、と思っていた。

で、「3-5歳児クラスを持ってみろ」と言われ、それはうまくいかず、1歳児クラスにもどしてもらうよう頼んだが、結局、今日、「0歳児後半クラスを持つように」と言われた。私は1歳児クラスをほぼ6年担当していたのだけど、園長先生は同じ人を同じポストにあまりに長い期間つけておくのはよくない、と考えておられるようだ。

0歳児クラスでもまた試行錯誤を繰り返すことになるのだろう。もしうまくいけば、私は自分を評価できるけど、なかなかうまくいかなければ、私は自分を価値のないものと感じるのだろうか。自分を「役立たず」と完全に否定してしまうことのないように、どこか自分にいいところを見つけて自分を守ろうとするだろう。そう思うと、自我はタマネギじゃない。守らなければいけない自分がいる。

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コメント

こんにちは。久しぶりにコメントします。

お仕事、なんだか大変そうですね。お疲れさまです。
子供って数ヶ月違うだけで、そんなに差があるのですね。保育、育児の大変さを感じつつ、読ませていただいています。

私は、「自我」そのものが、よく分からないのです。。。「自我は無い。」と言われた方が受け入れやすいかもしれません。
そんな私は、「脳科学の進歩-分子から心まで」を履修しました(笑)

講義概要
私達が物を見る,考える,覚える,行動する,これらは全て脳の働きです。脳には100億個以上の神経細胞があり,10兆個以上の結合によって相互に情報をやり取りしています。この情報のやり取りの中から全ての精神作用が現れてきます。この講義では,神経細胞の働きに関するいろいろな分子の解説から始めて,人にしか表れない高次な認知機能の仕組みまで,平易に解説します。

投稿: tabe | 2006.10.06 22:07

tabe さん、どうも(^^)。

うん、生まれて最初の数ヶ月とか1歳から2歳への変化ってすごいよぉ。それを見るのはほんとにおもしろい。

3歳から5歳にしても、日々、いろんなことを学んでいくし、すごいです。子どもといってもひとりの人格で、それを尊重してつきあっていかなくちゃいけないんだなぁって思いました。こっちの思い通りに動いてくれないのは当然なんですよね。「僕はノーが言える」っていうのはひとつの誇りなんだろうなぁ。それも「自我」かな、と思います。

「脳科学の進歩」、講義概要を見るとおもしろそうだけど、どうでした?自然科学系のは全然とっていないんだけど、自我とかなんとかいっても結局は脳の働き...と思えばそのへんも勉強してみたい気はします。

投稿: じゃりんこ | 2006.10.06 23:10

子供にとって、親や先生などの保護してくれる人に、自分の存在を認めて貰えるかどうかは、死活問題なのでしょうね。存在を忘れられたら、エサを貰えない(笑)
ある意味、大人より必死なのかもしれないなと思いました。

「脳科学の進歩」、印刷テキストに見慣れない単語満載で、ちょっと後悔しました(笑)でも、放送授業は図式を使って分かりやすく進めてくれるので、なんとか頑張ります(^^ゞ
一回目の講義は、脳各部の名称と役割の話が中心で、まだまだ面白いとは言えませんが(泣)

投稿: tabe | 2006.10.11 11:09

tabe さん、

あ、「脳科学の進歩」は今学期履修中なんですね。
一回目はいまいちでしたか。
tabe さんが楽しめたようだったらそのうち履修を考えます。
私も「比較政治学」、一回目は、人の名前と説の羅列みたいな感じでちんぷんかんぷん。この後の回でちゃんと解説してくれることを期待してますが...


うん、子どもは自分の存在を認めてもらうために本能的に必死なのかも。0歳児前半クラスからうちのクラスに移ってきたばかりの子がよく泣くんですね。まだハイハイができないので、自分でいろんなおもちゃをとって遊ぶということができない。「私のことをかまってちょうだい」というサインだなぁと思っています。

投稿: じゃりんこ | 2006.10.11 20:22

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