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映画「父親たちの星条旗」Flags of our fathers

第二次世界大戦中、硫黄島を攻めた米軍と守ろうとした日本軍との壮絶な戦い。簡単にケリがつくだろうと考えていた米軍は、上陸早々、摺鉢山のてっぺんに星条旗を立てた。それを見たある高級軍人がぜひあの旗をほしいと言い出したために、代わりの旗を再掲。そのときに撮られた写真(ピューリッツァー賞を受賞したらしい)が、アメリカで国民の戦意高揚のために使われた。

山頂に国旗を立てるという行為は勝利を思わせる。しかし、実際は、この後35日間の死闘が繰り広げられた。国民に国債を買わせて戦争の資金を集めるために、この写真が使えると考えた当局は、写真に映っていた6人のうち生き残った3人を英雄にしたてあげて全国を行脚する。しかし、3人は、この写真の無意味さを知っており、この戦いで命を落とした仲間たちのことを思うと、英雄扱いされてお祭り騒ぎに参加することに違和感を覚える...

戦闘シーンはかなり生々しい。これを見たら戦争はやっぱりいやだと思う。そして国民にはそんな姿は知らされない。アメリカ軍が国旗を掲げる、勝利の晴れやかなイメージだけが伝えられるのだ。この映画はうちの基地では上映されないだろう。軍人の家族にとっては見るのがつらい絵だと思う...

3人の「英雄」のうちひとりはインディアンだった。この当時の人々のインディアンへの偏見も描かれている。そういえば黒人がいないなぁと思っていたら、第二次世界大戦では戦争のかなり末期にヨーロッパでごく少数の人が参加したのを除いては、黒人は戦闘部隊に参加するのを認められなかったのだそうだ。

知らされない戦争の現実とウソでぬりかためられた戦争のイメージ。その構造は今も結局変わっていないのでは...というよりむしろ、よりいっそう慎重に選別された情報のみが国民に伝えられているのだろう。

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映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

じゃりんこさん、こじつけコメントですが、実は今日驚いたことがあります。 イギリスの学校では国旗も掲揚されなければ国歌も斉唱されないということを今ごろ知りました。 環境問題の関係でお世話になっている青山貞一さんのやっておられる独立系メディア「今日のコラム」にに文科省の報道資料が紹介されていました。

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/09/990906i.htm

個人から出発する慣習法の国というのはそういうものなのかと改めて思ったりしていますが、国王のいる国でそういうことをしないとは意外でした。

投稿: axbxcx | 2006.11.26 02:41

axbxcx さん、

そうなんですか。私も知りませんでした。
自由主義を重んじるイギリスでは、公権力による学校制度の整備に強い抵抗があったということですから、学校ではそうなのかもしれませんね。
でも旧植民地国の旗にはユニオンフラッグが入っていたりするのにな、と思って調べてみたら、ちょっとおもしろい記事を見つけました。(JICA英国事務所長の方の書かれた英国通信)
http://www.grips.ac.jp/forum/britain/2.htm
「東チモールでは、英国は壊れた道路に砂利を埋めるなどの応急処置をした場所のあちこちに大きなユニオンジャック入りの看板を建てていた」(2001年)のだそうです。
イギリスは国内ではそれほど国旗を使わなくても、使うところでは使っているのですかね。でも国民は国旗に対して特別な感慨はないのでしょうかね。
それに比べるとアメリカはThe Pledge of Allegiance を学校で唱和させたりしていたようですし(今はどうなのかよく知りませんが)、基地では毎日決まった時刻に国歌が流され、それが流れるとみんな直立不動の姿勢をとることになっていますし、イギリスとはずいぶん違うなぁと思います。

投稿: じゃりんこ | 2006.11.26 17:46

じゃりんこさん、「国」「宗教」に関して極めて「保守的」なアメリカのイメージがこびりついていましたから、イギリスの件は意外でした。 何でも「国」が決める国と、憲法から出発するのではなく個人の慣習から出発する本当の意味での個人主義あるいは民主主義の違いかも知れません。 また日本がそういうときに日の丸をあまり使わないのは、やはりアジア諸国の人たちの反発を恐れてのことだろうと思います。 ちなみにイギリスの国際協力は政府直轄ですから、その違いもあるかも知れません。 ただアフリカではDFID(国際開発省)のステッカーはよく見ても、ユニオン・ジャックを見たことはありません。 いま確認しましたが、私が行ったことのあるウガンダもケニアもマラウイもガーナも全て英連邦に入ってますね。 4年に1回英連邦だけのスポーツ大会をやっている以外、何をしているのかは知りませんが、連邦歌はGod Save the Queenですね。

イギリスがイラク侵略に加担すると決めたとき、確か二人の閣僚級が抗議の辞任をしたと思いますが、一人は前外務大臣のロビン・クック下院院内総務(残念なことに去年山歩き中に心臓発作で亡くなってしまいました)、もう一人がクレア・ショート国際開発大臣でした。 どちらも当然ながら外交の柱です。 ブレアはそこまでしてやったということです。

投稿: axbxcx | 2006.11.26 19:45

じゃりんこさん、つづきです。 イギリスがアフリカでは国旗を降ろし、アジアでは揚げているという話、理解はできます。 ただ、昔ながらの土木工事と、最近の持続的開発のアプローチ(内発的開発、参加型開発など)の違いもあるかも知れません。 緊急援助では持続性を言う前にとにかく最低限のことをやってしまう必要がありますが、長期的にはそうは行きませんから…。 よく使われる比喩ですが、食糧を直接送るよりも農具を送った方が、農具を送るよりも農具の作り方を覚えてもらった方が、持続性はあがるということになります。 旗が見せやすいのは飽くまでも従来型の建物や道路で、具体的には見えにくい「真の開発の成果」に対してではないのではないかと思います。

ちなみにコモンバスケットについて私は懐疑的です。 そういうのは首都で会議している人たちの考えることで、現場ではかなりヒドイことになっているというのが実感だからです。 例えばプロポーザル方式ですが、そんなものを書けるコミュニティーの組織はほとんどありませんから、プロが成功報酬を約束に代筆します。 それではいいプロポーザルが選べる訳がありません。 しかもお金は口座にポンと振り込まれてモニタリングされない、それではまともに使われる方が少ないでしょう。 バスケットに入れることで責任の所在がわからなくなっているのです。 さらにお金も教育もネットワークもあるごく一部の人たちに、プロジェクトが集中しているという現実を、現場で見ています。

ということで、個人的には、ODAのお金が自国のために使われているのではないかという批判はあっても、実際に現場に出て行って、きちんと審査もモニタリングもしながらやった方が質が上がることが多いのではないかと思っています。 その方が人と人との関係が深まるのはもちろんです。

投稿: axbxcx | 2006.11.26 20:04

axbxcx さん、

基地にいるせいもあるでしょうが、私も、アメリカは国旗とか国歌とかに関してすごく保守的というか、ナショナリズムの強い国という気がします。いろいろな人が集まっているので統合の象徴が必要なのでしょうね。その点、イギリスは本当の意味での個人主義が根付いているということでしょうか。

援助の仕方について、確かに緊急援助と持続的な援助とでは違うのだろうな、と思います。
緊急援助はどうしても必要な場合があるでしょうけど、持続的な援助についてはむずかしそうですね。
FGM 廃絶を支援する日本の団体が、毎年、アフリカで支援のためのプロジェクトを選定してお金を送っているのですが、少し前の会報で、ある団体への支援を中止した、という記事がありました。決定した額の半額を送り、活動報告を求めてもなしのつぶて、何度問い合わせても返事がなかったが、送金を停止する旨を伝えたら、「担当者が病気で活動ができなかったがちゃんとできるから」というような手紙が来たそうです。団体選定の段階で現地に行き、その団体の代表者と会って支援を決定したのにこの状態だ、とのことでした。axbxcx さんの話を少し聞いていたので、やっぱりこんなことがあるんだなぁと思ってしまいました。

>実際に現場に出て行って、きちんと審査もモニタリングもしながらやった方が質が上がることが多いのではないか

おっしゃるとおりだと思います。

投稿: じゃりんこ | 2006.11.26 23:23

じゃりんこさん、残念ですがまさにそれが横行しているのです。 真面目にやって残り半分貰うよりも、また次のスポンサーを見つけて来て次の半分貰った方が手っ取り早いですし、半分だって貰えれば濡れ手で粟ですから…。

私はハンティング・カルチャーと呼んでいるのですが、建物が立つはずが壁だけできて残りのお金はどこかに消えてしまう、そうやって「頑張ってやったけれど壁しかできませんでした」と次のスポンサーをが来るのを待つのです。 次は屋根だけ作って「後は窓とドアだけ足りないんです」…、と一粒で何度も美味しいということになる訳です。 我々は獲物です。

そういうことをしているのは一部の人間なのでしょうが、彼らにはお金も教育もネットワークもあることが多いだけに、そこにお金が集中してしまうのです。 みな名前はcommunity-based organization(CBO)ですけれど、天から降って来るお金の受け皿として作られたものがほとんどで、コミュニティーなどまったく代表していないことが多いのが実情です。

我々も痛い目にあってそういうことを学んでいるのですが、よくも悪くも学べるのは現場にいるからで、首都ではそういうことがまったくわからず、ただただドブにお金を振り込んでいると思います。

最近は国会議員に選挙区開発資金(constituency development fund)という数千万円のお金がついて、それが県の開発予算より大きいと言うおかしなことになっているのですが、国会議員の人柄次第では、これがまたお金も教育もネットワークもある一部の人のところに集中してしまうのです。

ということで、本当に必要なところに、本当に必要としている人たちに手が届くというのは容易なことではないのです。 個人的には伝統的な意思決定の仕組みに乗って、情報をオープンにして決めてもらうのが、一番確率が高いのではないかと思っています。 ケニアやガーナの長老にせよ、バングラデシュの世話人(マタボール)にせよ、その人柄に打たれることがしばしばです。 ワークショップで観察していると、村のリーダー(当地ではOdikroと呼ばれる)はみなが意見を言うのをじっと聴いていて、意見が出尽くしたところで結論を出す、そういうスタイルです。 日本の村の寄り合いもこうだったのではないかと思わされます。

投稿: axbxcx | 2006.11.27 01:44

axbxcx さん、

FGM 廃絶を支援する女達の会では、こういうことは初めての経験で、記事の文面からスタッフの落胆ぶりが伝わってきました。まあそうやって学んでいくしかないのでしょうが...

>村のリーダー(当地ではOdikroと呼ばれる)はみなが意見を言うのを
じっと聴いていて、意見が出尽くしたところで結論を出す、

ということは、みんなリーダーには一目おいていて、その人の結論には従う、という了解があるわけですね。リーダーは自分の一存ではなく、みんなの意見をよく聞いたうえで結論を出すのでしょうが、こういうシステムが機能していたらラクだろうなぁと思ってしまいます。

投稿: じゃりんこ | 2006.11.27 19:40

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