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映画「ダーウィンの悪夢」

自分が日本でのうのうと生きていることに対して、これでいいのかなぁと思わせられる作品。

タンザニアにあるビクトリア湖に投げ込まれたナイルパーチという肉食性の魚が在来種を食って繁殖、生態系は変わってしまう。しかし、ナイルパーチはくせのない白身魚で、それを加工してヨーロッパや日本に輸出する産業が発達。農業をしていた人は漁師になったり、工場で働く人になったり。新しい産業が発達したのだからよかった...とは言えないのが現実なのだ。

ナイルパーチの切り身はすべて輸出にまわされる。地元の人には高すぎて手が出ないのだ。切り身を切り取った後の骨や頭などアラの部分を干して揚げたりしたのが地元の人の口に入る。アラの加工場で内臓のついたアラに群がる蛆虫が映る。一方、切り身の工場は衛生的に完璧に管理されている...

魚の輸出産業は栄えて、漁師として、工場労働者として仕事をしているのに、どうして貧しいままなのだろうか?工場の夜警を1日1ドルでしているという男性は、わかりやすい英語を話す人だったけど、そんな人でも仕事を得るのはむずかしいのか。それでも夜警という仕事があるだけましなのだ。前任者が殺されてその仕事を得ることができた。食べていくのが大変なホームレスの子ども達は、食べ物があるとそれに群がり、そのためにいさかいも起こる...

私が日本で安くて美味しい魚を食べている背景にはアフリカで貧しい暮らしをしている人たちがいる。ヨーロッパから武器をアフリカに運び、アフリカからは食料をヨーロッパに運んでいるパイロットが言う。「世界の子ども達みんなに幸せになってほしいと思うけど、どうしていいかわからないよ」...

そのとおり、おかしいとは思うけどどうしていいのかはわからない...でも、地元で獲れた魚を地元の人が食べられないような社会の仕組みはやっぱりヘンだ。

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映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

まだDVDが着かないので観ていません。 観てからコメントしたいと思いますが、いくつか疑問は持っています。 一つは地元の人たちが好んで食べるティラピアも外来種で、ティラピアはケニアの田舎のレストランでも100シリング(160円)しますし、キスムの浜(ティラピアのディープ・フライを出す店がたくさん並んでいます)では大きなものは400シリング(640円)もするということです。 ナイルパーチが輸出用なのは確かですが、ナイロビの町ではティラピアと同じような値段でいくらでも売っていますから、「地元の人が高くて買えない」が事実かどうか、今度確認したいと思います。 実は私はティラピアの方がよっぽど美味しいと思っています。 ちなみに切り身を取った後のナイル・パーチのスケルトンを工場では1シリングで売っていて、それを目当てにたくさんの女性たちが集まります。 彼女たちはそれをディープ・フライにして売ります。

もう一つはストリート・チルドレン。 ケニア側のニャンド県やホマベイ県では子どもの4~5人に一人が孤児なのですが、ストリート・チルドレンは町で発生するというよりも、村のセーフティー・ネットが限界を超えて出て来るのだろうと思っています。 村では孤児を預かっていない家がない情況なのです。 叔父叔母、そして祖父母、さらに親戚が面倒を見切れなくなっているということだと思います。

タンザニアのことはわかりませんが、ケニアのヴィクトリア湖でのナイルパーチ(導入されたのは1958年)の漁獲量は、1970年代まで2~3万トン/年程度だったのが1980年代前半に5万トン/年、1980年代後半には10万トン/年を超える爆発的な伸びを示します。 その後1990年代は15万トン~20万トン/年で推移するものの1999年の20万トンをピークに減少に転じ、2002年にはまた10万トン/年の水準に戻っています。 いまはもっと減っていると推定されます。

最近になってビクトリア湖に接する各国は魚網規制を導入していて、ケニアでは漁業オフィサーが違法な魚網(目が5インチ以下)を焼いたりしています。 私が時々行っている浜は魚が減った上に規制が厳しいというので、死んだような状態です。 しかし、それでも効果は出ておらず、魚は減る一方のように見えます。

ということで、ナイルパーチが貧困初め全ての問題の第一の原因であれば話は簡単なのですが、多分そうではないと思います。 たくさんある原因の一つと考えた方が自然でしょう。 それから、植民地時代なのですから当然ですが、ナイルパーチを持ち込んだのも、ティラピアを持ち込んだのもイギリス人のはずです。

投稿: axbxcx | 2006.12.30 23:06

axbxcx さん、

ケニアではナイルパーチもティラビアと同じような値段で売っているのですか。地元でも、ヨーロッパから来ている工場経営者などもいるわけですから、すべてが輸出用ではなく、地元で売っているものもあるのかもしれません。それでも、切り身がスケルトンの100倍の値段なら、普通の人にはなかなか手が出ないのでは、と思いますが。

おっしゃるように、ナイルパーチが諸悪の根源というわけではないのでしょう。エイズだってナイルパーチが繁殖する前からあったのではないかと思います。ストリートチルドレンがこのことによって増えたのかどうかもわかりません。ただ、ほぼ自給自足経済だったのが輸出産業の振興によりモノカルチャー経済になっていく、みたいな面はあるのかな、と思います。

axbxcx さんのように、実際にアフリカの生活を見聞きしている人がご覧になったら違う感想を持たれるかもしれません。ぜひまた感想を聞かせてください。

投稿: じゃりんこ | 2006.12.31 00:07

まず価格ですが、どんなに安い食堂でも食事は30シリング(約50円)から、肉か魚がつけば70シリング(約110円)前後はします。 また違法な魚網で獲った10cmくらいの小さなナイル・パーチは村でも少しは流通しています。(大きなナイルパーチは湾から出て湖本体に行かなければ獲れませんから、漁のやり方が変わります。) 村の市場で売っているのはフライにして10シリングくらいでしょう。

一方、流通していないのは切り身です。 これはケニア側で言えばキスムの南インド出身のクリスチャンのインド人の工場か、ホマベイのイスラエル人の経営する工場でしか加工していません。 ナイルパーチ自体は冷蔵庫付きのトラックが漁村を回って集めています。 トラックがなければ輸送できませんから、かなり買い叩かれていると思います。

キスムでも我々が泊まるような「超高級ホテル」(朝食付き1泊2,600シリング=約4,200円)であれば、ナイルパーチを出します。 前にも書いたようにティラピアと値段は変わりません。 また浜のレストランというのは、日本で言えば海水浴場の海の家が何十軒も並んだみたいな粗末なところですが、いつ行ってもものすごく混みあっています。 そこではティラピアにみな200~300(約320円~480円)シリング払っています。 でもナイルパーチはありません。

またHIV/AIDSですが、変異する前の風土病はあったかも知れませんが、問題になったのは1980年代後半以降ではないかと思います。 人口センサスで言えば、平均余命は1989年まで伸び続けた後(ニャンド県、ホマベイ県で50歳くらい)、1999年までの10年間で10年短くなっている(両県とも40歳くらい、その後30歳台まで落ちたのは間違いありません)のです。 だとすればイギリス人がナイルパーチを放った1958年よりはだいぶ後です。

統計資料(ほとんどありませんが)などを見ても、村で聞き取りをしても、HIV/AIDSの拡がりにはかなりの偏りがあります。 死者が多いのは漁村と、都市(ナイロビ、モンバサ、あるいはお茶のエステートのあるケリッチョ)との関係の強い地区、そして土木工事などで人が集まるところだろうと思います。 漁村についても、根本的な理由は漁民の流動性の高さでしょう。 魚を追って季節的に移動しますから、漁村同士の関係はかなり深いと思います。 結婚も漁村同士が多く、しかも同じクラン同士は結婚できない掟がありますから(クランと言ってもニャンド県とホマベイ県の間にあるラチュオニョ県のように県全体が基本的に一つのクランというところもあります)、結構遠くの村同士で結婚しているのです。

自給自足のところに貨幣が入ったというのは確かで、特に遊牧系だったところの変化はモノスゴイと思います。 例えばケニアで部族衝突と言えばまず出て来るのがポコット族ですが、これはもう家畜強盗団と言った方が正確だと思います。 昔なら、結婚するため(dowry)に年頃の男たちが牛を盗むという程度でした。 家畜を飼うにも労力がいりますから、一人で何百頭も飼うことは不可能だったのです。 ところがお金が入って来て盗めば盗んだだけ売れるようになった上にスーダン方面からAK47(カラシニコフ)が入って来たために、無制限になってしまったのです。 ポコットの周辺では1999年には300人亡くなるというような衝突が起こりましたし、確か2001年には女子ども(失礼)ばかり10人くらい殺されるという事件もありました。 これはもう伝統的な掟が力を失ってしまったということでしょう。

レ二・リーフェンシュタール(ベルリン・オリンピックの記録映画を作ったドイツ人女性)が撮ったスーダンのヌバ族の写真が好きなのですが、伝統的な生活が1960-70年頃に失われてしまったということがよくわかります。 ビクトリア湖畔のルオ族も7~8世代前にスーダンから移って来た人たちで、体つき・顔つきが似ているような気がします。

http://www.leni-riefenstahl.de/eng/dienuba/1.html

最後になりますが、問題提起するという意味で素晴らしい映画だろうと思いますし、細かなことは言うべきではないのかも知れません。 けれども、このような対話をするということ自体が、恐らくは製作者の望むところなのではないかとも思います。 また映像というものがパワフルなだけに、望む望まないに関わらず「政治的」になる可能性があるということは常に感じています。 「不都合な真実」もそれは同じでしょう。

投稿: axbxcx | 2006.12.31 09:06

補足です。 チョコレートを知らない人たちがカカオを作り、コーヒーを飲まない人たちがコーヒーを作り、おコメ食べない人がおコメを作り、松茸を食べない人が松茸狩りをし、ウニを食べない人がウニを集める…。 きっとパソコンに触ったことがない人がパソコンを作り、カメラも持っていない人がデジカメを作り、車を買えない人が車を組み立てているんでしょうねえ。 生計と生活を切り離すのがグローバリゼーションかも知れません。 その引き換えとして地元では得られない所得を得ることができる…。

投稿: axbxcx | 2006.12.31 10:35

axbxcx さん、

丁寧なコメントをありがとうございますm(^^)m。
パンフレットを買ったのですが、axbxcx さんのコメントはそれ以上に具体的で詳しいです。

映画のなかでは、一晩1ドルで夜警の仕事をする人、1回10ドルで客をとる売春婦などが紹介されていたのですが、ナイルパーチの切り身やスケルトンのフライの値段までは言っていませんでした。でも1日1ドル以下で生活する人が多い、とは言っていたと思います(最近見たほかのテレビ番組か何かと混同しているかもしれませんが、多分この映画です(^^;))。だとすると、食堂で食べられない人のほうが多いのかな、と思います。

エイズが問題化したのは1980年代後半以降なのですね。「エイズだってナイルパーチが繁殖する前からあったのではないかと思います。」なんていい加減なことを書いてしまいました。ナイルパーチの加工業が栄えることとエイズの蔓延に関連があるのかどうかはわからないですが、この映画ではっきりと見せられたのは、ナイルパーチのいい部分は地元の人の口には入らないで輸出にまわされ、こんなに産業が栄えても地元の人は豊かになっていない、ということでした。

チョコレートを知らない人がカカオを作っているのですね。もともとカカオがあってそれを輸出産業にしたのではなく、先進国の都合で途上国の産業を作っているわけですね。その引き換えとして地元では得られない所得を得ることができているのでしょうか?...産業が栄えても地元の人の生活には反映していないようにみえてしまいました。少なくとも、産業繁栄の恩恵にあずかっていない人はたくさんいるのでしょうね。貨幣経済が入ってきたこと自体が悪い、というわけではないのだろうと思うのですが、地元でも富は平等に分配されていないし、何よりも先進国と途上国との関係で富の配分が不平等に見えます。

>このような対話をするということ自体が、恐らくは製作者の望むところなのではないかとも思います。

そう思います(^^)。

「政治的になる」のは好ましいことではないのでしょうか。私は映画に政治的メッセージがこめられていてもいいのでは、という気がします。昨日はもう一本「みえない雲」を見ましたが、これも製作者側には明らかに原発反対というスタンスがありました。でもラブストーリーだったので、それほど政治的な面が全面に出てくることはなかったですが。

今年は axbxcx さんにいろいろ教えてもらえて本当にラッキーでした(^^)。ありがとうございました。

投稿: じゃりんこ | 2006.12.31 23:48

こちらこそ、今年もよろしくお願い致します。

「政治的」と書いたのは、人によって判断が異なるのに一つの判断だけを前提にして組み立てることに抵抗があるという意味です。 異なる意見も含めていろいろな視点を見せながら、最終的な判断はそれぞれに任せるのが個人的には好きと言うか…。 一番苦手なのは最初から対話を拒絶してしまうことですが…。

昨日「生きる」を見ていて、黒澤明監督が一番力を入れたのは、異なる意見が段々一つになって行くそのプロセスだったんだろうなあと思いました。

ケニアの一人当たり国民総所得は310ドル(2001年)ですから、過半数の人が1日1ドル以下で生活しているということになるのでしょう。 それがマラウイになると170ドル(2001年)、ネパールは240ドル(2004年)、ガーナは380ドル(2001年)、バングラデシュは440ドル(2004年)、インドネシアは1,140ドル(2004年)…。 絶対的な金額のことはわかりませんが、順位に違和感はありません。 やはりマラウイが一番大変そうでした。

ちなみに最低賃金法でケニアの最低賃金は1日155シリング(約250円)に定められており、輸出加工区の外資系の工場などはこれを払っているのではないかと思います。 2001年には、日本の協力で行われている水力発電プロジェクトのガードマンの月給が2,000シリング(約3,200円)しか払われていないのではないか、それが最低賃金(当時は月給で3,367シリング(約5,400円))を下回っているのではないかという質問が日本の国会でされたことがあります。

実際の村での賃金については以前ブログに書いたと思いますが、サトウキビ畑の草取りくらいだと日当30~60シリング(約50円~100円)から、収穫期で日当100シリング(約160円)程度です。 また、村の小学校の先生の月給は6,000シリング(約1万円)くらい、郡のオフィサーも同じくらいですが、村に普及や研修に行くと手当てが出ること、住居手当があることなどから考えて、実質の月給は10,000シリング(約1万6千円)くらいだろうと思います。 それが国際NGOのプロジェクトに入ると5倍、国際機関などのプロジェクトのマネージャーになれば10倍というところでしょうか。

農産物の方は、例えばパイナップル1個を町に持って行けば大きさにより10~30シリング(約15~50円)で売れますし、薪一束が40シリング(約65円)、メイズの粉は収穫期直前の一番高いときに2kgが30~40シリング(約50~65円)、一番安いときで10~20シリング(約15~30円)というところです。 ちなみにコーラ類は1本16シリング(約25円)。 鶏は一羽150~200シリング(約240~320円)くらいです。

最後になりますが、ケニアは全体として見れば豊かな国だと思います。 そしてもしかすると南北の格差以上に国内の格差の方が問題だろうと思っています。 初代ケニアッタ大統領の一族は一つの県より広い土地を持っていますし、モイ前大統領の小麦畑も見渡す限りで他にも自動車販売会社などいろいろ事業を持っているのですから…。 そういう人たちの実際の年収が何億円なのか何十億円なのか想像もつきませんが…。

で、エライ人たちの給料ですが、キバキ大統領は月給190万シリング(約305万円。それを320万シリングにすることが最近国会で決議されましたが大統領は辞退しました)、汚職防止委員会の委員長の月給は250万シリング(約400万円)、モイ前大統領の年金は月100万シリング(約160万円)です。 もっとも、購入したはずの軍艦すら見つからないという国ですから、お金がどこに消えているかわかったものではありませんが…。 長くなりましたので、この辺で。

投稿: axbxcx | 2007.01.01 01:37

axbxcx さん、今年もよろしくお願いしますm(^^)m。

政治的なテーマを扱った場合、製作者のスタンスが作品に表れるのは自然なことだと思います。事実のみを見せるようにしたとしても、事実の切り取り方や並べ方に製作者の意図が入るでしょう。たとえばナイルパーチの加工場ができた、設備は近代的で衛生的だ、人々は職を得て幸せだ、という面だけを見せることだってできるわけですよね。でもこの映画だと、そういう面も映しつつ、白身の部分が切り落とされた残りの行方を追う。地元の人は白身が食べられないんだ、こんなのは変じゃないか、という強いプロパガンダを直接聞かされるわけではありませんが、観客は矛盾を感じ取る。

映像というメディアを用いてメッセージを伝えるのはありだと思います。事実を知って伝えたいことがあるから作品が生まれる。私の場合、芸術的センスに恵まれなかったので、芸術性の強い作品はぴんとこないことが多いです(^^;)が、メッセージ性の強い作品はわかりやすいことが多いです。もちろん、メッセージですからわかりやすくなっていることが必要なわけで、わかりやすいことがいつもいいことだとは限らないでしょうけど。

1日1ドルの生活、というのは実際に想像するのはむずかしいです。日本と物価水準がどれだけ違うといっても、自分がその状況におかれたら心がすさんでしまうだろうと思います。

>ケニアは全体として見れば豊かな国だと思います。

パンフレットのDirector's Note に

最高の資源が見つかった場所のすべてで、地元の人間が餓死し、その息子達は兵士になり、娘達は召使や売春婦をしているなんて、信じがたいことだ。

と書かれていました。ダーウィンの箱庭といわれたくらい、生物資源の豊富だった場所で、人々の生活は豊かじゃない。豊かさとは何か、という話はありますが、地元での格差がそんなに生まれてくれば、コミュニティ全体としての豊かさを追求していくのがむずかしくなっていきそうに思えます。ケニアではそんなにお金のある人とない人の差が激しいんですね...正しい「政治」が必要ですよね...

投稿: じゃりんこ | 2007.01.01 11:07

突然で申しわけありません。現在2006年の映画ベストテンを選ぶ企画「日本インターネット映画大賞」を開催中です。投票に御参加いただくようよろしくお願いいたします。なお、日本インターネット映画大賞のURLはhttp://www.mirai.ne.jp/~abc/movieawards/kontents/index.htmlです。

投稿: 日本インターネット映画大賞 | 2007.01.01 15:07

じゃりんこさん、私はアナログ人間で一元論が嫌いですから、どちらがいいとかどちらが正しいという話をしている訳ではありません。 またDVDが着かなくてまだ観ていないのですから、映画そのものにコメントすることもできません。 ただみなさんの反応を知る限りではとてもインパクトが強い映画のようなので、もしみなさんが単一の観方になるのであればちょっと危ないと思ったという程度のことです。

政治的についてはおっしゃるとおりで、「意図」を全否定したつもりも「政治的なスタンス」について批判したつもりもありません。 ただ、意図が先走りする、政治的なスタンスのみで作ってしまうとすればやり過ぎかも知れないと言いたかっただけです。 その辺り、デジタルにYESかNOかという話になると当惑するというのが正直なところです。

また兵士・餓死・娼婦というキーワードで考えると、ケニアやタンザニアはアフリカの中ではまだまだ恵まれているというのが私の感覚です。 それにいまの状態でも、ビクトリア湖畔と日本とどちらが本当に豊かかはわからない、幸せかもわからないと私は本気で思っているのです。 身の回りで必要なものが手に入れば現金なんかいらない訳ですから、1ドル以下の生活が「貧しい」とも限りません。 ですから、一方的に「貧しい」「悲惨だ」という視点でモノを見ることには、例えそれが善意でも抵抗があるのです。 この話は前にもしてすれ違いだったような気もしますが…。

最近、教育基本法に興味を持っていろいろなブログを読むようになったのですが、その手の話題になると「煽る」人たちがいます。 その「煽り」の常套手段が、部分否定を全否定に置き換える、例外を持ち出して主論そのものを否定するということだと気づきました。 私の書き方もそうだったのかも知れないと反省しています。

それから「ダーウィンの箱庭」という呼び方を欧州の人は知っていたとしても地元の人はまず知らないと思います。 例え学校に行っていたとしてもクリスチャンの学校で進化論を教えることはないでしょうし、ダーウィン自体知っている人は稀だと思います。

最後に、「白身が食べられないのはなぜか」が私の一番疑問に思ったことです。 それで値段や賃金のことを詳しく書きました。 工場で加工する以上、一方通行で都会か外国でしか流通しないという論理ならよくわかりますし、私のように魚かどうかもわからない形のナイルパーチの切り身よりも丸まま料理したティラピアの方がずっと美味しいと思っている人も多いはずだと思うのですが…。 この点は、5日にビクトリア湖畔に着いたら、聞き取りをしてみたいと思っています。 それにしてもカナダのアマゾンへの注文をスタンダード・シッピングにしたのは失敗でした。 けちらずにお金を出せばとっくに着いていました。

投稿: axbxcx | 2007.01.01 16:00

axbxcx さん、

1日1ドル以下の生活が貧しいともかぎらないのですね。確かに必要なものがお金がなくとも手に入るならお金なんていらないわけですものね。私はそのあたりの事情を知らないし、「1日1ドル以下なんて悲惨」だと思ってしまったわけですが、すごく短絡的だったのですね。

地元の人が切り身を食べられないのは、切り身は基本的に輸出用だから、ということなのではないでしょうか。ナイルパーチなんて、地元の人にとって昔からなじみのある食べ物でもないし、高いお金を払ってまで食べたいものでもない。axbxcx さんがおっしゃっているように、ティラビアのほうがおいしいなら、誰もわざわざナイルパーチを買おうとはしないのでは。

私が疑問に思ったのは、そうやって輸出産業が栄えているのにどうして地元の人は経済的に豊かにならないのか、ということでした。外資系の企業が最低賃金を守っているなら、そこで働いている人と働いていない人との間にかなりの経済格差が生まれるのでは、ということ。そのあたりのことが映画ではよくわかりませんでした。

この作品はドキュメンタリーですが、最初の場面、ハチを追う航空管制官など、なんだか普通の映画を見ているような気分になりました。また、映画のなかで売春婦の人の歌う「ターンザニーア、タンザニーア」という歌など、心にしみいるメロディがあったりします。製作者に問題提起の意図があるのは確かですけど、政治的なスタンスのみで作られている、という印象ではありません(私には)。早く axbxcx さんが見られるといいなぁと思っています(^^)。

投稿: じゃりんこ | 2007.01.01 21:51

axbxcx さん、

もしかすると既にご覧になったかもしれませんが、この映画に対する疑問を書いたページを見つけました。

http://jatatours.intafrica.com/habari49.html
http://www.arsvi.com/2000/0610fm.htm

タンザニアの実情に詳しい方のようで、この映画はかなり意図的に作られており、問題だ、と述べられています。現地で実際に生活されていた人の感覚とは相容れないもののようです。...やはり私にはなかなかそこまで感じられないんだなぁ、と思ってしまいました。

投稿: じゃりんこ | 2007.01.01 22:40

じゃりんこさん、ホームページの紹介、ありがとうございました。 私の目にはごく自然な意見に見えます。 知人にも知らせようと思います。 私がお隣とは言え現場の雰囲気を少しは知っているということもありますが、私の性格としてインパクトの強いものは必ず疑って掛かるということが大きいと思います。 高校生の頃には既にそうでしたから…。(苦笑)

給料についてですが、都会と田舎の給与水準の差を考えれば、国の最低賃金は現実的ではないと思います。 田舎ではそんな給料を払っている工場や農場はないでしょうし、いまの給料でも人が殺到していると思います。

それと、私の場合、写真は話を聞かせてもらったお礼ということが多いですから、いつも相手に喜んで貰えるような写真が撮りたいと願って撮っています。 そういう意味では意図的です。 デジカメはその場で見せられますから助かりますね。

投稿: axbxcx | 2007.01.02 00:41

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3日前に映画「ダーウィンの悪夢」という記事を書いたばかりだけど、その見方がずいぶ [続きを読む]

受信: 2007.01.02 12:01

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