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ビデオ「戦場にかける橋」The Bridge on the River Kwai

おもしろかった。第二次世界大戦中、日本軍の捕虜となった英軍の兵士達が、タイービルマ間を結ぶ鉄道を作る仕事に従事させられた時の様子を描いたもの。史実をまったく知らない者(^^;)としてはどういうことになっていくのかドキドキするような筋立てで、意外な展開に驚く。結末は、いかにも映画的、というかドラマチックすぎる気はするけど(しかも、この映画で描かれているようなことは史実とは異なる部分がずいぶんあるらしい)、日本軍の描き方も、こういうところはあったのだろうなぁと思わせられる。

橋の建設を急ぐ日本軍の斉藤大佐は英軍のニコルソン大佐に、将校を含む全員が労役に就くよう命じるが、ニコルソン大佐はジュネーブ条約に違反するとして断固として拒否。まずはこのふたりの根競べが見ものだ。「戦争とはいえ、ルールはあるのだ」と主張するニコルソン大佐に対し、「これは戦争だ、ゲームじゃない」と言う斉藤大佐。戦争って「勝ってナンボ」のものだろうから、ルールもへったくれもない、という考え方がわかる気がするのはやっぱり私が日本人だからだろうか。ルールを守った正しい戦争なんてありえるんだろうか、とは思う。

以下ネタバレ

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映画「ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」

ヤフー映画のレビューなんかを見ていたら、「笑いが差別的で気分が悪い」とか「3回くらいクスリと笑えただけ」とか、結構ボロクソに書かれているし、「プロデューサーズ」もそんなにアハハと笑えなかった私には多分無理かなーと思いつつ見に行ったら、結構笑ってしまった(^^)。

ボラットというカザフスタン人が、アメリカの生活を故国に紹介するためニューヨークに取材にやってくる。で、テレビで見た女優に恋をして、彼女がカリフォルニアに住んでいると聞き、取材場所をロスに変更。中古車を買ってニューヨークからロスに向かい、行く先々で文化摩擦?を引き起こす、というもの。

確かに、女性、障がい者、ユダヤ人などに対する差別発言が相次ぎ、でもそれを不快に感じないのは、そんな発言をしているヤツを笑おうとする意図が感じられるからだろう。最初のアメリカユーモア講座は可笑しかった。これが後々まで効いてくるとは(^^)。

いわゆるドッキリカメラ的撮影法が結構使われたようで、ボラットのぶしつけな態度に戸惑う人の反応が可笑しかったりもするわけだけど、もし、「これが映画になる」ということを知らせないまま映画に使っているとしたらそれはイヤだな、と思った。でも、今日、同僚と話していたら、「映画に出演する、ということについて契約書は交わしているはず」と言っていた。映画に使われたことで訴訟を起こしている人もいるらしいけど、「みんな契約書なんかろくに読まないでサインしてるから。もし訴訟を起こされても契約書があるから負けることはないと思うわ」とのことだった。

それにしてもロデオ大会でボラットが「テロリストをやっつけろ!」と演説するのに対し、「おおー!」と力強く呼応するアメリカ人たち。もしあれが演技でないのだとしたら、アメリカ人って...ってちょっと思ってしまう...
どれが意図的に撮影されたもので、どれがゲリラ的撮影かわからないけど、でも、ほとんどの場合は、人のいいアメリカ人だなぁと感じた。「後進国」から来たボラットに親切にしてあげたい、という気持ちはあるのだ。

最後にもうひとつ。映画のキャッチコピー「バカには理解不能なバカです」っていうのはイヤだなぁ。これは日本でのキャッチコピーだと思うんだけど、それって製作者の意図に反してるんじゃないかと思う。

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レバノンで何が起きているのか

レバノンでまた戦闘が起こっている。レバノンのパレスチナ難民キャンプに、武装組織「ファタハ・イスラム」がたてこもっていて、レバノン政府が攻撃しているのだ。そのため、難民キャンプに住んでいるパレスチナの人たちが巻き添えになっている。

ニュースを聞いて、「ファタハ・イスラム」って何?ハマスと対立しているというあのファタハ?と思ってしまうのだが、基本的にパレスチナ人とは関係のない組織らしい。くわしいことは P-navi info: レバノン報道の裏側 「ファタハ・イスラム」って? を読むとよくわかる。アルカイダ系の組織などと報道されていたりするが、そういう冠がつけばテロ組織ということになってそれへの攻撃が正当化されてしまうのだ。テロ組織がパレスチナ難民キャンプにいるのだからキャンプを攻撃してもいい、と。そうして、組織とは何の関係もない難民の人たちが犠牲になっていく。

パレスチナ子どものキャンペーン」では、レバノンへの緊急支援をよびかけている。先日、放送大学の面接授業で戦争の映像をいろいろと見たが、少なくとも日本に関しては過去の話だった。でも、これは現代の現実なのだ。理不尽な戦争をなくすのは簡単ではなく、できることはほとんどないけど、少なくとも関心を持つことはできる。

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GNPよりGNH

先日、娘の学校公開で地理の授業を見ていて知った話。(私が知らなかっただけで、有名な話のようだけど。)

ブータンという小国の国王がある国際会議(1976年)で、「ブータンのGNPは少ないが、GNHはたくさんある」という意味の発言をしたそうだ。GNPは、国民総生産(Gross National Product) だが、GNHのHとは?...Happiness。GNH とは、Gross National Happiness (国民総幸福)のことになる。

GNPが少ないから貧しい国なのか。確かに物質的には貧しいかもしれないけれど、人の生活の豊かさはそれだけでは計れない。ちょうどこの日、読んでいたのが「月刊オルタ」という雑誌の5月号で、特集が「世界の貧困ー日本の貧困」だった。そのいくつかの記事に、貧困といっても簡単に定義することはできないのだ、ということが書かれていた。とりわけ、池本幸生さんという方の書かれていた記事はわかりやすかった。

たとえば、ひとり1日あたり1ドルというのを貧困ラインとしてそれ以下の生活をしている人を貧しいと言ったりするけれど、地域によって物価水準は違うし、必要最低限の所得水準も違う。まして、貧困であることが劣った者とみなされてしまうと、様々な形で生活への介入が始まる。

例えば、少数民族の貧困の原因を、少数民族の文化の後進性に結びつけ、その文化を変えようとする。時には、学校教育の場で少数民族の子どもたちに自分の民族の後進性を教えるという残酷なことも行なわれる。こうして少数民族は文化を失い、民族の誇りを失っていく。誇りを失った生活は、少しくらい所得が増えても償えないものを生活から奪っていく。

貧困対策が所得を増やすことであるとするなら、たとえ環境が悪化するようなプロジェクトであったとしても、貧困対策として成功したことになってしまう。

平等は、所得が等しいことではなく、豊かな暮らしをする機会が平等に開かれているということである。豊かな暮らしは人によって多様であり、多様な生き方をする「自由の平等」が目標となる。

電車のなかでそんな記事を読んで学校に行くとそんな話。幸福といっても人によって何が幸福かは違うものだけど、GNPが世界一や世界第二位であるからといって、その国の人が幸福とは限らない、というのも本当の話だ。
王様が「うちの国には幸せがいっぱいある」と言う国ブータンってどんな国なのか、行ってみたいなぁ(^^)。

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本「エンデの遺言」by 河邑厚徳+グループ現代

副題は「根源からお金を問うこと」。
人からお金を借りたら利子をつけて返す。私達はそれを当然のことと思っているけど、それってそれほど当然のことなんだろうか。

「モモ」「ネバー・エンディング・ストーリー」で有名な作家ミヒャエル・エンデがお金についても深い見識を持っていた、と知ったのは映画「六ヶ所村ラプソディー」を見に行ったとき。監督の鎌仲ひとみさんが、六ヶ所村のことに関わっていて、「結局はお金の問題なんだなぁと思った」ということで、昔、製作にたずさわった「エンデの遺言」というNHKの番組のことを話されたのだ。そこでエンデは、今の通貨システムのおかしさについて語ったのだと言う。この本はその番組をもとにして書かれたもの。

お金はそもそも、ものとものとの交換の手段として生まれてきた。物々交換では等しい価値のものが交換されるが、私の持っているものをほしい人が私のほしいものを持っているとは限らない。そこで、ものの価値を表す手段としてお金が発明され、便利に機能してきた。ところが、現代のお金は別の機能を持っている。

重要なポイントは、パン屋でパンを買う購入代金としてのお金と、株式取引所で扱われる資本としてのお金は、二つの異なる種類のお金であるという認識です。

そして今や、この「商品として売買されるもの」としてのお金が、交換手段としてのお金の何十倍もの量になっているのだ。

この本のなかで書かれている経済理論については正直わかりにくいところもあったが、引用されているエンデ自身の言葉はどれもわかりやすく、うなずけるものだった。

あなたが人生の岐路で悩んでいるとき、ちょうどぴったりの瞬間に、ちょうどぴったりの本を手にとり、ちょうどぴったりの箇所をあけ、ちょうどぴったりの答を見つけるならば、あなたはそれを偶然だと思いますか?

ここを読んだとき、確かにそういうことはある、と思ってしまった。本に限らず、偶然に見える出会いも、偶然ではないのかもしれない、と思うことはある。産休に入ってから、友人の貸してくれた母乳をすすめる本を読んだこと。次女が小学校に入ってしばらくしてから今の仕事に出会ったことなど...

具体的に今の通貨システムをどんなふうに見直していけばいいのか、という実践例については、(十分理解しているとはいえないけど(^^;))また書きたいと思う。

エンデの遺言
河邑 厚徳著 / グループ現代著

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放送大学面接授業「テレビは戦争をどう伝えてきたか」

講師は、長年NHKのドキュメンタリー番組の製作にたずさわってこられた桜井均さん。昨日、今日と5時間の授業(1時間は135分)で、合計20本くらいのドキュメンタリー作品(番組全部ではなく、一部を編集したものがほとんどだけど、長いものは1時間くらいのものも)を見、まるでドキュメンタリー映画祭に来ている気分。ベトナム戦争の従軍記者による映像やイラク戦争について、PKOの限界(アメリカのダブルスタンダードがよくわかる)、第二次世界大戦に関するものーB、C級戦犯のこと(朝鮮人を含む)、天皇の戦争責任のこと、原爆に関するもの...と、どれも興味深い内容で、ちょっと他では見られないんじゃないかな、と思えるフィルムもあり、とても中味の濃い2日間だった。

特に私が興味をひかれたのは、被爆者の人たちの描いた絵だった。被爆まもない広島や長崎の映像もあるのだが、それ以上に、被爆者の人たちの描いた絵には強烈な印象を受けた。黒こげの女性が子どもを抱いて走った姿勢のまま死んでいる。炎を出して燃えている5本の指、そこから灰色の液体が流れている...カメラが捉えることのできる映像は限られている。たくさんの死角がある。被爆した人たちの記憶のなかにある映像はもっと鮮烈なイメージを持っていたりするのだ。そして、それらの絵を見たニュージーランドの女性が心を動かされ、核兵器をなくすために生きようと思った。彼女は、ハーグの国際法廷に「核兵器は違法だ」と提訴した。

もうひとつ、原爆を落とした人の証言は衝撃的だった。ニューヨークのスミソニアン博物館で、原爆投下に使われた戦闘機エノラ・ゲイを原爆投下後の町の写真などとともに展示しようとしたところ、ものすごい反対運動が起きた、という話は聞いたことがあった。しかし、実際に投下した人が、投下した数日後に長崎に行き、その町の様子を見て、「投下してよかったと思った。自分の行動に満足した」と話す映像はショックだった。本当にそう思ったの?そんなはずはないでしょう...でも、この人はそう思うことで自分を守らなくてはいけない...原爆投下のおかげで日本が降伏し、たくさんの命が救われた、と考えているアメリカ人や中国人はたくさんいるのだ...

上官の命令でしかたなく、捕虜に対して手荒な扱いをした。死なせてしまった。原爆を投下した。ホロコーストが行なわれていたなんて知らなかった。...はたしてそれでいいのか。確かに上官に逆らえない状況ではあっただろう。だが、それで自分の罪がすべて許されるとひらきなおっていいのか。ホロコーストなんて知らなかった、ですまされていいのか。知ろうとすること。自分の良心の声を聞くこと。考えるのをやめないこと。...

知らなかったいくつかのことを知ることができたし、考えさせられることも多かった。

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ちょっと珍しい光景

ちょっと珍しい光景
JRの車内にて。
「汚れているため座席の使用ができません」

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アロハ!

Hulaアジア・太平洋月間、今週は「ハワイ・グアム」がテーマ。ということで、今日はふたりの人がフラダンスを踊りに来てくれた。最初はゆったりしたハワイアンの曲、次は「リロ&スティッチ」という、ハワイが舞台のディズニーアニメの主題歌「ハワイアン・ローラーコースターライド」(どんな曲か聞いてみたい方はここ(You Tube) など)にあわせて。2曲目は子どもたちにはおなじみの曲なので、これにあわせた踊りを子どもたちにも教えてくれた。

Hwilunch
昼は「ハワイアンランチ」に親を招待。写真の右端の黒いものはごはんにココナッツミルクとお砂糖をかけて焼いたもの。ライス・プディングのようなものといえばいいのかな。「ハワイの料理なの?」と聞くと、フィリピン人のコックさんは「さあ?フィリピンの料理よ。だいたい似ているのよ。」とのことで、とりたててハワイ料理ということでもなさそうだったけど。「スイートライス」とか「スティッキィライス」と言っていて、甘いけど、ココナッツミルクの好きな私にはなかなか(^^)。

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言い訳

放送大学の「日本語基礎B」で、先週は「謝るときの表現」、今週は「言い訳の表現」について見た。で、中国とメキシコの人が日本での言い訳表現についてコメントしていたのだが、かの国と日本とでは、謝り方や言い訳についての考え方が結構違うようだ。

たとえば、日本では、電車が遅れたときなどに、車掌さんが「遅れて申し訳ありません。ご迷惑をおかけしました」と何度も謝るが、もしそれが、電車の故障のせいでなく、大雨などの自然災害によるものの場合なら、中国では、遅れた理由の説明はしても謝ることはない。不都合が起きたのが自分の責任でないときは謝らないのだ。

「日本では何かトラブルが起こったら、責任がなくても、まず謝ってしまう。先に言っておけば、あとの自分の行動が許されると思っているんでしょうか。そのとき、表情も声も『申し訳ない』と思っているようには感じられませんが。」

コメントをしていた方はふたりとも大学で講師をされているらしいが、学生が遅刻したとき、「すみません」としか言わない場合が多いのが不満な様子だった。中国では遅れた理由を聞かれる前に積極的に説明するそうだ。「バスが遅れた」「時計が壊れていた」など、ウソをついてでも言い訳をするものらしい。
「ウソをついてでも言い訳をしてほしい」というのはメキシコの方も言っておられた。「自分はちゃんと来るつもりだったのに、何かの原因で仕方なく遅れてしまった」と話して相手を不愉快にさせないことが大切なのだと言う。
勉強会などで早く帰るとき、「ちょっと用事があるので」と理由を詳しく言わないでそっと帰られるのも不愉快なものらしい(中国の方)。中国人なら、みんなの前で「次の会合に出るから」「家族が病気だから」などと堂々と理由を言うそうだ。

授業など、公的な場所に遅刻したり早く退出したり、という場合、進行中の授業の邪魔をしないように、そっと出入りする、というのが日本人の感覚だろう。そんな場でくどくどと言い訳をしてみんなの時間を無駄にしたくない。でもそれを失礼だと感じる文化もあるわけだ。

「ウソでもいいから言い訳をしろ」というのも、ええ?と思ってしまうけど、メキシコの方が、「日本人も、断るときは、うそをつきますよね。」と言われるのを聞いて、なるほど、と思った。

結局、どの文化でも相手の気持ちを考えてウソをついたりするわけだけど、ウソが許される場面は同じじゃない。日本人の私は、遅刻の言い訳にウソをつかれたら気分よくないだろうなぁ。でも、そういう文化なんだ、ということを知っていれば相手に腹をたてなくてすむ。違った文化で育った人とつきあうときは、そういうことを考えてみればいいんだろうな。

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ベトナムコーヒー

Vietnumcoffee昨日、初めて「ベトナムコーヒー」なるものを飲んだ。
金属製のフィルターでコーヒーを抽出。写真のように、カップにフィルターが載ってくる。抽出の様子が楽しめるように透明のカップであることが多いそうだ。で、これにコンデンスミルクを加えて飲む。抽出する前にカップにコンデンスミルクを入れておく、というやり方もあるらしい。

私はコーヒーはたいていブラックで飲む。出先でコーヒーが飲みたくなって自販機に甘い缶コーヒーしかなかったりするとちょっと悲しい。ベトナムコーヒーのコンデンスミルクはかきまぜてもいいけど、底にためておいてもいいものらしい。というわけで、私はかきまぜずにまずはコーヒーを楽しんだ。

で、底に近づいてきて、甘いコンデンスミルクが口に入り、ああ、こういうのもありだな、と思った。やっぱり甘いものはおいしい(^^)。

トルコに行ったとき、一度だけトルココーヒーを飲んだけど、濃くて苦くてざらっとした感じがあまり好きになれなかった。お砂糖を入れて甘くしてみればよかったのかもしれないなぁ。

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ギョーザパーティ

Gyoza母の日はギョーザパーティ(^^)。
具は4種類。
左上:豆腐、豚ひき肉、キャベツ、きのこ。(水餃子)
左下:豚ひき肉、たけのこ、しそ。(焼餃子)
右上:モチ、かんづめみかん。(水餃子)
右下:モチ、たらこ、チーズ(揚餃子)

どれもとてもおいしかったけど、特にしその葉の焼餃子は香りもいいし、たけのこのシャキシャキ感もグッド(^^)。モチとみかんの水餃子も意外なほどおいしい。

次女が作る人、長女が片付ける人、私は食べる人で、幸せな母の日でした(^^)。

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美しい国とは

ひょんなことから「リトル・ミス・サンシャイン」の中国語のサイトを見つけた。 「リトル・ミス・サンシャイン」を中国語で書くと「小太陽的願望」となるらしい。「精彩奪目!勢如破竹!」という宣伝文句は漢字で見てなるほどと思う(^^)けど、役者の名前なども全部漢字になってしまうのはやっぱり不思議な感じ。アラン・アーキンが亞倫阿金とか。まあ、なるほど、なんだけど(^^)。

サイトをアルタビスタで翻訳して気づいたのは、「美国」というのが「アメリカ」だということ。中国語で「美しい国」と書いて「アメリカ」となるのはなんだか意外な気がして子どもたちにクイズを出題。

「中国語でアメリカのことを「なんとかの国」って漢字一文字で書くんだけど、なんだと思う?」と聞くと、次女が「金?」と鋭い指摘(^^;)。「いや、あの、なんか意外な感じなのよ。いい意味の言葉なの」と言うと、次なる候補は「夢?」ああ、なるほど。ドリーム・カントリーだものねぇ。それから愛とか恋とかいくつか候補が出て、「もうちょっとヒントを」と求められたので「安倍さんが言いそうな言葉ね」と言うと正解が出た。

「美国」がアメリカだとすると「美人」は...当然アメリカ人のことだそうだ。中国で「美人英語会話学校」という看板を見かけることがあるらしい

ちなみに徳国、法国とは それぞれ

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洗濯バサミホルダー

Clothpinholder母の日のプレゼント。子どもがフィンガーペインティングした画用紙を花形に切って、その子の写真と"Happy Mother's Day!" と書いた紙を貼り、透明シールでコーティング。てっぺんに穴をあけ、紐を通してできあがり。洗濯バサミでなく、ゼムクリップホルダーとしても(^^)。

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ビデオ「ジャマイカ 楽園の真実」Life and Debt

知らないことはたくさんあるなぁと思う。

ジャマイカを訪れる旅行者はその景色の美しさに息をのみ、おいしいフルーツに舌鼓をうち、人々はのんびりしているなぁと感じ、楽しい休暇を過ごす。

でも実はそれらのフルーツはマイアミからの輸入品で、人々は借金にあえぎ、低賃金労働に苦しんでいる。IMF や世界銀行からの融資は、ジャマイカの人々を助けるどころか、次々とジャマイカの産業をつぶしていった。融資とセットで様々な条件を押し付け、外国製品がジャマイカ国内に入りやすいようにしていく。国内の農産物は安い輸入品にとって代わられてしまった。アメリカの企業と契約し、借金をしてその基準にあうような施設を導入したにもかかわらず、製品が基準に満たない、と言って買い上げてもらえない...この映画は、そんなジャマイカの現実を記録したドキュメンタリーだ。映画のなかで、農家のおじいさんたちが話すことはとてもわかりやすく、納得のいくものだった。

IMF とか世界銀行って、発展途上国に対して援助を行なうものだ、とぼんやり思っていたけど、実は、現在優位にある国がその優位さを保持するための道具になっている。「貧困の解消」などと口では言いながら、その国の人が望むような支援は行なわれていない...

もし私がジャマイカに旅行したら、きっとここで描かれている旅行者同様、楽しい時を過ごすだろう。私達は簡単にジャマイカに入国できるけど、ジャマイカの人たちが国外に旅行するには煩雑な手続きが必要だ。そして大部分の人は旅行なんてする余裕がない。

もし世界の人を貧しい人と金持ちの人に分けるなら、私は金持ちで、貧しい人たちを食い物にしている側にいることになる。そのことを自覚したからといって、私の行動がすぐに何か変わるわけじゃないけど、少なくとも自覚はしておかなければいけないなぁと思う。

このところ、マイクロファイナンスということを知って、ちょっと「貧しさへの支援」というようなことを考えていたら、P-navi Info 5月8日の「ADBに「潜入」して」という記事で、ADB(アジア開発銀行)の行なっている支援の実態などが書かれていて、とても興味深かった。知らないことは多いし、知ってもどうしていいかわからないし、それでも知ることからだなぁと思う。

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日本の文化に触れる

今月は「アジア太平洋月間」で、毎週、違った地域の文化に触れる企画がなされている。企画担当は幼稚園組の保育士さん。今週は「日本」で、幼稚園組の子どもたちが作ったこいのぼりが廊下の天井に飾られている(^^)。今日は日本の踊りを踊ってくれる人たちが来るというので、赤ちゃんたちも招待してくれた。

Jpdance 来てくれたのは浴衣を着たアメリカ人の女性(後から、ひとり日本人の女性も来られた)。この地域の踊りと炭坑節を子どもたちに教えてくれた。教え方が子どもたちにわかりやすい(^^)。両腕を胸のところでクロスさせたポーズは「ハグ」とか、手をたたいてから横に広げるときは「セーフ」とか。この地域の踊りはよく練習されているようで、手の動きもなめらかだった。子どもたちもよく話を聞いて一緒に楽しく踊っていた。ただ、炭坑節は、踊っているうちに、音と動きがずれてきたせいか、子どもたちもちょっと踊りにくかったようだ。

今まで、あまり日本の文化をどうこう、という取組みがなかったのだけど、こんなふうにいつもと違う取組みをすると子どもたちも楽しいようなので、幼稚園組の保母さんに「七夕をやってみないか」と話したら、彼女は大乗り気。それで、幼稚園の先生をしている友人に電話をして、七夕の笹飾りがなんとか手に入らないか相談したのだけど(その幼稚園はうちの娘達が通っていたところで、毎年、子どもたちひとりひとりにも笹をくれていたので)、最近は笹を手に入れるのがむずかしくなってきているらしい。笹を手に入れるのにあまりお金がかかるようなら、この企画はダメになってしまうかな...プラスチックのではない本物の笹はどういうところでいくらくらいで手に入るでしょうか。ご存知の方があれば教えてくださいm(_ _)m。

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映画「バベル」

ネットでの評価はいまいちっぽいので、「ダ・ヴィンチ・コード」みたいに、出演者がやたら豪華で、でも映画はわかりにくい、という感じのものかな、と思っていたら、結構おもしろかった。

舞台はモロッコ、アメリカ、日本、メキシコ。4つの違う場所で同じ時代を生きている人たちが描かれる。同じ時代だけど、すごく違う。
日本(東京)については、洗練された都会の部分と居酒屋のように庶民的なところまで描かれていて、一面的なイメージではなく、確かに東京の今を切り取ったものだったと思う。ただ、菊池凛子の演じていた女子高生は私のまわりの女子高生とはあまりに違う(性的にとてもルーズなふうに描かれていると感じた)し、役所広司の演じていた超リッチな人物も、平均的な日本人とはいえないだろう。日本は銃が手に入りやすいところではないと思う(違うのかな)し、その銃(ネットで調べてみると安いものでも10万円はする)を簡単に現地のガイドにあげてしまう、っていうのも、ちょっとありそうにない設定だ。

でも物語の展開にはぐんぐんひきつけられた。モロッコのシーンで出演している現地の人はみんな素人だというが、すごくいい雰囲気が出ていたし、メキシコ編も結婚式の様子や鶏を絞めるところなど興味深かった。でも、これらも現地の人が見たら、何か違和感があるのだろうか。

旧約聖書のバベルの塔の話は、私には理解しがたいものだ。神に近づこうとした人間を不遜だとして神様が怒り、言葉を通じなくさせてしまった、なんて。神様ってそんなに心の狭い存在なのか。神様は人々を争わせたかったのか。神様って慈愛に満ちた存在じゃないのだろうか...この映画のなかでバベルの塔の話が出てくるわけじゃないけど、人と人がわかりあえない、かみあわない、そういう状態を象徴したタイトルということなんだろう。

同じ時代を生き、同じ場所で暮らしていても、人の立場は同じではない。一方は主人であり、一方は雇われ人だ。一方は入国を許可する立場にあり、一方は何を言われても従わなくてはいけない。あるいは障がいを持つ人とそうでない人。さらに違う場所で生きる人とは言葉や習慣も違う。人はわかりあえないのか...でも、言葉が通じなくてもわかることもある。

印象に残った場面は (以下ネタバレ)

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マイクロファイナンス

放送大学「途上国の開発」のテレビ録画を、パソコントラブルで2回続けて失敗したため、学習センターまで見に行ってきた。録画に失敗しても「まあいいか」ととばしてしまう教科もあるけど、この科目は途上国の様子が映像で紹介されるのが好きなので。

第3回「食糧不足段階の開発」というのをちょっとウトウトしながら見て(^^;)、第4回「マイクロ・ファイナンス」のビデオへ。マイクロ・ファイナンスって聞いたことあるなぁ...という感じで見始めたのだが、グラミン銀行の創設者ムハマド・ユニス氏のインタビューが始まって、私の目は画面に釘付けになった。

知っている人もきっと多いのだと思うけど、グラミン銀行は、バングラデシュで、貧しい人たちに小口の貸付など(マイクロ・ファイナンス)を行なっている銀行だ。インタビューは、どうしてこういうことを始めたのか、についてだった。

独立してまもない1974年、バングラデシュは大飢饉に見舞われた。ユニスさんは人々の惨状を見て何かしたいと思い、隣の村へ出かけていく。そして知ったのが、人々はほんの少額の借金に苦しんでいる、ということ。その村で借金を抱えている人が何人いるか学生に調べさせたら42人で、その借金の総額は27ドルー約3000円だった。そしてそれだけのお金のために、人々は金貸しの言う屈辱的な条件に耐えなければならないのだ。ユニスさんはポケットマネーから27ドルを出してそれらの人たちに渡し、これで金貸しの言うことを聞く必要はなくなる、と伝えたところ、人々は大喜び。そしてやがてそのお金もみんなユニスさんのところへもどってきた。

ユニスさんは銀行に行き、貧しい人たちにもお金を貸すように頼んだが、銀行は担保のない人たちにお金を貸そうとはしなかった。リスクは自分が引き受けるから、と保証人になって貧しい人たちにお金を貸してもらうようにし、その人たちがちゃんと返済しているにもかかわらず、銀行は貧しい人たちに直接融資はしない、という考えを変えることはなかった。そこでユニスさんは自分でグラミン銀行を設立したのだ。

普通の銀行はお金のない人にはお金を貸さない。でも、グラミン銀行の融資は、お金のない人が優先だ。担保もない人にどうしてお金を貸すことができるのか。ユニスさんは「信頼」だと言う。信頼が信頼を生むのだ、と。具体的には、お金を借りたい人は5人でグループを作る。そのグループのメンバーが順番にお金を借りられる。もしメンバーがお金を返せない場合は、そのグループのほかのメンバーが責任を持って返済しなければならない。というわけで、みんな、お金をちゃんと使えないような人はグループに入れようとはしなくなるし、借りた人がお金を有効に使っているかどうかについてもメンバー内で監視するようになる。このシステムを採用した結果、返済率は98パーセント以上となり、政府系の農業銀行の返済率が50パーセントを切っているのとは大きな違いを示した。

何かしたい、と思っても実際に行動に移せる人はその何割かで、それを成功させてしまう人はまたその何割かだろう。ユニスさんは抑えた口調ながら情熱的に語る人で、ステキな人はいるんだなぁと思った(^^)。

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感謝の表し方

今週は「保育者に感謝する週間」で、月曜は管理職から朝食が、火曜はリップケアとハンドケアが、水曜は保護者からランチとして様々な料理が提供された。昨日は別に何もなかったけど、今日は夕食、という具合。管理職が変わってから午前中の15分休憩がとれなくなって久しいけど、今週だけは朝食やリップケアのために休憩時間をとらせてもらえた。

そんなふうに気を使ってもらうのは確かにありがたいことだけど、「保育者に感謝する週だから何か一品持ってきてください」なんていう呼びかけをされるのは、保護者としてはどういう気持ちなのかなぁ、と思う。「ちょうどいい機会だわ」と思う人もいるだろうけど...感謝ってそんなふうに人に言われてするものかなぁ、という思いはちょっとある。

アメリカに帰る親が「ありがとう」と書いたカードとともにちょっとしたものをくれたり、もう別のクラスに行ってしまった子どもの親がバレンタインカードを持ってきてくれたりするのはとても嬉しい。何もくれなくても、帰国前にさよならを言いにきてくれるだけで嬉しいものだ。(そうでない親のほうが多くて、「え、○○はアメリカに帰っちゃったの?」なんていうことはよくある(^^;)。)

日本人のお礼の仕方を儀礼的と感じるアメリカ人もいるようだけど、こんなふうに「感謝する週間」を設けるっていうのもちょっと儀礼的な感じがする。もちろん、感謝する週間だからって、親は必ず何かをしければいけないわけでもなく、その気がなければ何もしなくていいのだけど。感謝の気持ちをどう表すか、いろいろややこしい大人に比べ、赤ちゃんは感謝の表し方をよく知っている(^^)。

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絵本 "I can" by Helen Oxenbury

1歳児のクラスで、1歳の子どもが絵本をとても楽しむことにもびっくりしたけど、実は赤ちゃん(0歳児後半)もかなり楽しめる。そのうちのひとつが、この「できるよ」という本。
「できるよ」と書かれた表紙の次のページから「すわる」「ハイハイする」「ジャンプする」「のびをする」...などの動作を表す言葉が、かわいい赤ちゃんの絵とともに示されている。というわけで、私はひとつひとつそれをやってみる。子どもたちが特に好きなのは「走る」とか「かがむ」(前屈して足の間から子どもたちの顔を見る)かな。1歳になると、一緒になってやる子が出てくるけど、赤ちゃんはまだ見ているだけだ。でも、どの動きも楽しそうに見ている。「本」を楽しんでいるというよりは寸劇を楽しんでいるといったほうが正しいかもしれないけど、この本を見せるとあの寸劇?が見られる、ということはわかっていて目が輝く(^^)し、言葉と動きも結びついていくようだ。

この本の最初に出てくる言葉は「すわる」だが、私も子どもたちに本を読むときはみんなをすわらせるので、この言葉は子どもたちが理解するのも早い。私自身、いくつか外国語を学んで、もうほとんどみんな忘れてしまった(^^;)けど、トルコ語の「すわる」という言葉は覚えている。トルコでは、何度も「すわって、すわって」とすすめられたからだ(^^)。やっぱり実際の動きと言葉が結びついて言葉って覚えているものなんだなぁと思う。

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主役は子どもたち!

プラン・ジャパンというNGOの機関紙を見ていたら、FGM(女性性器切除。詳しくはこちら)についての記事が目にとまり、そこに「主役は子どもたち!」と書かれていて、どういうことだろう、と思ったら、FGMがどういうものであるかについて子どもたちに知らせ、子どもたちが当事者としてこの問題に取り組んでいくようにする、というプログラムだった。

FGMという残酷に思えるような慣習が何故存続しているのか、部外者にはなかなか理解しにくいのだが、この慣習が行なわれている地域では、これを守っていこうとする人たちも多くて、部外者がやいやい言ったところで簡単にはなくならない。

それでは当事者である子どもたちが声をあげたらどうか。FGMを施されるのは子どもたちだ。その内容についてはよく知らされないまま、大人になる儀式として行なわれて、後遺症が残ったり、最悪命を落とすこともある。FGMで何が行なわれるのかを子どもたちに知らせ、その結果どういうことが起こってきたのかも知らせ、この慣習を残していくべきかどうかについて考えさせる。子どもたちは地域の大人に疑問をぶつけることができる。何故する必要があるのか。大人たちは子どもたちを納得させられるような答えを与えられるだろうか。

記事には、このワークショップに参加した11歳から14歳の4人の子どもたちの一言が紹介されている。「自分の娘には絶対にFGMを受けさせない」「FGMによる合併症の恐ろしさを親に伝え、娘達にFGMを施さないようにお願いした」などなど。実際、子どもたちの活動のおかげで、娘にFGMを受けさせる親も減ったそうだ。

それでも、このワークショップが行なわれた土地(マリのカティ地域)486村のうち、FGMを廃止したのが10村、廃止に向かっているのが26村、とまだまだ道は険しい。ただ、FGMの廃止については、これまで大人相手に話をすることばかり考えてきて、子どもに話をすることは考えつかなかった。この記事を読んで、そうだ、子どもが当事者なんだもの、子どもがもっと事実について知るべきだなぁ、と思った。

記事はプランジャパンのホームページで読めるので、興味のある方はどうぞ。
プランジャパンのニュースのページ に行き、2007年4月号(PDF)を開きます。第4ページ及び第5ページが該当の記事です。

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