« 本「エンデの遺言」by 河邑厚徳+グループ現代 | トップページ | レバノンで何が起きているのか »

GNPよりGNH

先日、娘の学校公開で地理の授業を見ていて知った話。(私が知らなかっただけで、有名な話のようだけど。)

ブータンという小国の国王がある国際会議(1976年)で、「ブータンのGNPは少ないが、GNHはたくさんある」という意味の発言をしたそうだ。GNPは、国民総生産(Gross National Product) だが、GNHのHとは?...Happiness。GNH とは、Gross National Happiness (国民総幸福)のことになる。

GNPが少ないから貧しい国なのか。確かに物質的には貧しいかもしれないけれど、人の生活の豊かさはそれだけでは計れない。ちょうどこの日、読んでいたのが「月刊オルタ」という雑誌の5月号で、特集が「世界の貧困ー日本の貧困」だった。そのいくつかの記事に、貧困といっても簡単に定義することはできないのだ、ということが書かれていた。とりわけ、池本幸生さんという方の書かれていた記事はわかりやすかった。

たとえば、ひとり1日あたり1ドルというのを貧困ラインとしてそれ以下の生活をしている人を貧しいと言ったりするけれど、地域によって物価水準は違うし、必要最低限の所得水準も違う。まして、貧困であることが劣った者とみなされてしまうと、様々な形で生活への介入が始まる。

例えば、少数民族の貧困の原因を、少数民族の文化の後進性に結びつけ、その文化を変えようとする。時には、学校教育の場で少数民族の子どもたちに自分の民族の後進性を教えるという残酷なことも行なわれる。こうして少数民族は文化を失い、民族の誇りを失っていく。誇りを失った生活は、少しくらい所得が増えても償えないものを生活から奪っていく。

貧困対策が所得を増やすことであるとするなら、たとえ環境が悪化するようなプロジェクトであったとしても、貧困対策として成功したことになってしまう。

平等は、所得が等しいことではなく、豊かな暮らしをする機会が平等に開かれているということである。豊かな暮らしは人によって多様であり、多様な生き方をする「自由の平等」が目標となる。

電車のなかでそんな記事を読んで学校に行くとそんな話。幸福といっても人によって何が幸福かは違うものだけど、GNPが世界一や世界第二位であるからといって、その国の人が幸福とは限らない、というのも本当の話だ。
王様が「うちの国には幸せがいっぱいある」と言う国ブータンってどんな国なのか、行ってみたいなぁ(^^)。

|

« 本「エンデの遺言」by 河邑厚徳+グループ現代 | トップページ | レバノンで何が起きているのか »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

じゃりんこさん、一人当たりGNPが一つの指標に過ぎないことは誰にもわかっているはずなのですが、一つだけ指標を挙げるとなるとこれに頼る人が多いのも確かですね。

我々は村でのワークショップから積み上げて「開発目標」(生活水準を上げる)のようなものを定めましたが、そこには8つの目標があります。(1)食べるものが十分にある、(2)十分な所得がある、(3)健康である、(4)HIV/AIDSがコントロールされる、(5)教育が受けられる、(6)インフラが整う、(7)環境が守られる、(8)安全がある(部族衝突や家畜泥棒が多いため)の8つです。 どうしても即物的な目標になってしまっていますが…。

投稿: axbxcx | 2007.05.26 10:24

axbxcx さん、どうも(^^)。

私はこの話を聞いたとき、以前、axbxcx さんが「身の回りで必要なものが手に入れば現金なんかいらない訳ですから、1ドル以下の生活が「貧しい」とも限りません。」とコメントしてくださっていたのを思い出しました。私達が使っているような貨幣システムに頼らない生活をしているところもあるわけですよね。

とはいえ、実際、食べ物が十分でなかったり、紛争があったり、という地域があるわけで、そんなところではGNHも高くはないでしょう。だから即物的な目標は必要だと思います。ただ、援助が、必ずしも現地の人の望むようなものになっていない、という話をこのところ本などで読んだりしていて、そうなんだ、とちょっとへこむ気分になったり...

先進国の人間の善意がかえって途上国の人の生活を破壊するものになっていたり、善意は自己満足にすぎなかったり。知らないことは多いなぁと思うことばかりです。

投稿: じゃりんこ | 2007.05.26 20:16

じゃりんこさん、「必ずしも」ではまだ弱くて、援助は現地の人の望むようなものになっていないことが「多い」と思います。

ただ「望む」の定義も難しい訳で、外部の人間=サンタクロースと認識されてしまうことがほとんどですから、そうなれば「あれが欲しい、これが欲しい」のショッピング・リストが出て来るだけです。 つまり、(外部者の我々にだけではなく当事者にとっても)「本当に望んでいることは何か」を知ること自体がかなり難しいことですし、逆に言えばそれがわかれば山は越えているのだろうと思います。

即物的と書いた理由は、本当の幸せ、満足と言うのは、家族やクラン、あるいは村として平和に暮らしているというような要素の方が大きくて、決してお金ではないだろうと思っているからです。 でもそういうことは旗印になりにくいのでしょう。 やっぱり、お金があれば、道路さえできれば「全て解決する」という話になりやすいのです。

逆に何かやった後になって、食べるものが十分にあるとか収入が増えたに混じって、「一緒になってやったら思ったよりずっとうまく行った」とか「一緒にやること自体が楽しかった」という感想が出て来る、それが次につながる、そんな感じがしています。

投稿: axbxcx | 2007.05.27 12:04

axbxcx さん、

そうですか。援助の実態はひどいものだ、というような記述を本で読んで、axbxcx さんの話を聞いてみたいなぁと思いましたが、やはりそうなんですね...

でも、続けて書いておられること、なるほど、という感じです。

以前、「相手に喜んでもらえるような写真を撮るようにしている」と書いておられたと思いますが、仕事もそうなんでしょうね。おたがいに一緒にやって楽しい、笑顔が増えるようなことができればいいわけですよね。

投稿: じゃりんこ | 2007.05.27 20:21

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/17663/15202815

この記事へのトラックバック一覧です: GNPよりGNH:

« 本「エンデの遺言」by 河邑厚徳+グループ現代 | トップページ | レバノンで何が起きているのか »