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働く

フェアレイバー研究教育センターというところの主催するドキュメンタリー映画上映会 に行ってきた。第一部は労働運動に関連した映画が4本、第二部は"Women in Struggle" という、刑務所に収監されていたパレスチナ人女性たちを追った映画だ。みんなおもしろかったのだけど、今日はとりあえず第一部について。

まずは、"Labor Women" という、アメリカの労働状況を描いたもの。低賃金できつい仕事に就いているのは、今は、アジアや中南米からの移民が多い。その人たちが労働状況の改善を求めて声をあげる、その手伝いをしている女性たちが登場する。多文化社会アメリカで、いろいろな立場の人たちがわかりあうために奮闘しているベトナム人、スリランカ人、韓国人。ベトナム出身の女性が、「同胞たちに「労働組合に入って」なんていう話題をいきなり切り出しても話を聞いてくれない。まずは家族の話題などから入って、関係性を築いていくことから始める」と話していたのが印象的だった。

次に「未来をひらく女たち~パート・派遣の現場から」という、日本の映画。派遣で働いていたある女性は、妊娠したとき、それを理由に契約を切られてしまった。なんとか仕事を続けたいと訴えたのだがかなわず、中絶を考えて産婦人科に行ったと言う。しかし、手術の日、ひとりでも入れる労働組合の門をたたき、結局、契約の延長を勝ち取った。あるいは、市役所などで臨時雇用の形で働いている人たち。何年間も時給のアップはなく、正社員との差は歴然。それなのに、正社員の給与見直しがあったときに、平等に扱うため、臨時雇用の人たちの時給も20円カット、という話が出て、それはあんまりだ、とみんなで立ち上がったそうだ。

さらに、日本で働く外国人雇用者の組合を扱ったもの、「ワーカーズ・コレクティブ」といって、経営者と雇用者、という立場でなく、みんなが同じ立場で働くことをめざした働き方をしている「とまと」というお弁当屋さんを紹介したもの。

「働く」って大人にとっては大きな部分を占めている。人間らしく働きたい、誇りをもって仕事をしたい。でも、そうはなっていない現実があって、それに対して声をあげていく人たちがいるっていうのが心強い(^^)。

そして、人々の注意を引いたり、労働運動を組織するために、映像が力を発揮する場合もあるのだ、ということが言われていた。この上映会を主催したセンターの先生が「私が論文を書いても、そんなものを読む人はほとんどいない。でも、映像にすると見てもらえる場合がある」と話しておられた。上映会の始まる前に、山田耕平さんという方がマラウィで製作されたミュージック・ビデオ「ディマク・コンダ」の紹介もあった。HIVポジティブの人たちが肯定的に生きる助けになれば、ということで製作されたものだそうだ。
この映画会の副題が「ドキュメンタリーの力」だったのだけど、確かに、ドキュメンタリーに限らず、映像の力はすごいと思う。

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ビデオ「母と娘」Anak

"anak" はタガログ語で「子ども」のことだそうだ。

うちの保育園では、フィリピン出身の人がたくさん働いている。
先日、トイレに行って部屋にもどる途中で、同僚のフィリピン人のAに会い、「あ、部屋にもどるんだったら、これ、Mに返しといて」と渡されたのがこのDVDだった。Mもフィリピン出身で、今、うちのクラスを手伝ってくれている(今週で終わりだけど(--;))。

じゃりんこ:どんな話?
M : 海外に出稼ぎに行ってたおかあさんの話で...(後略)すごくいい映画よ。私、泣いたわ。見る?
じゃ:タガログ語?
M : そうだけど、英語もあったんじゃないかな...あ、字幕がついてるわ。見れば?

ということで見ることになった。

ジョシーは香港で家政婦として働いていたが、ようやく仕事をやめてフィリピンに戻ってくることになった。6年ぶりに会う3人の子どもたちはすっかり大きくなっていて、子どもたちも母にどう接していいのか、戸惑っている様子。それでも末っ子の小学生の女の子はすぐに母になつき、高校生の長男も、母を家族として受け入れるが、最年長の長女カーラは母につらくあたる。ジョシーは夫が亡くなったときにも、勤務先の家庭の無理解のため帰宅することができず、カーラはそんな母を許すことができなかった...

海外に働きに行くフィリピン女性がかなり多いのは事実のようだ。それにしても6年も帰ってこられない、というのはつらいなぁ...自分の子どもが大きくなるのをそばで見ることができずに、他人の子どもの世話をしなければならないというのは...

ジョシーが空港(だと思う)で、出稼ぎに行く人たちを見ながら、友人と交わしていた会話が印象的だった。

「この人たちはみんなどうして海外に行くのかしら...お金、お金、お金。すべてお金のためなのよね。」
「男だったら、海外で働いたお金を送って家族を養えば、いい父親だって言われる。でも、女が同じことをしても、それだけでは『いい母親』として十分じゃないのよ。」

少しでもいい暮らしをしたい、と思って、大変な思いをして海外で働いたのに、帰ってみると家族の心はバラバラ。自分はいったい何をしていたんだろう、という思いにとらわれる。

フィリピン版「おしん」という感じかな。ジョシーが香港で受けた仕打ちがあんまりで、現実感がない。ジョシーの勤務先の家庭の人たちが徹底的に意地悪な人として描かれていて、いまどき(これは2000年の作品)そんな人はいないんじゃないかなぁと思うんだけど、Mは結構リアルな話ととらえていたようだから、それなりに現実を反映した設定なのかもしれない。...と思ったら、このサイト の説明によれば、監督は、多くの海外労働者にリサーチして実話で構成した話だということだ。ジョシーの受けた仕打ちが本当にあった話から構成されているとは...。そしてこの映画に共感するフィリピン人がたくさんいる(この映画はフィリピンで大ヒットしたらしい)というのが、なんというか、せつない...映画はすごく悲劇的な結末というわけではないんだけど、それもなんだか現実感がなくて....

せつないといえば、この映画の主題歌。聞いたことのあるメロディーだなぁと思っていたら、もともとフィリピンの歌で、日本でも加藤登紀子らが歌ってヒットしたそうだ。もと歌はこちら

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立っている水?(英語)

知らなかった易しい英単語シリーズ。ing 形を含んだ言葉三連発。

1: standing water
2: changing table
3: eye dressing

ヒント。

1:保育園の早番の人が子どもが来る前にチェックしなければならないこととして

There's no standing water in the playground.

というような文がありました。

2:これは保育園以外ではちょっと聞かない言葉だと思います。
changing room っていう言葉があるから、わかるかも。

3:これはごく最近知った言葉。
ファーストエイドキットのなかに備えておくべきもののひとつとされていました。

答えは

続きを読む "立っている水?(英語)"

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放送大学面接授業「基礎心理学実験実習」

講師は青木千里先生。パソコンソフトを使った心理学実験などをいくつかして、参加者全員の結果をエクセルを使って処理、統計的に分析する、というもの。

こういうタイプの授業をとったことはあるが、パソコン室での授業は初めて。受講者のなかにエクセルに詳しい人が何人かおられて、いろいろ使い方を教えてもらえたのはよかった(^^)。エクセルって、使いこなせればすごく便利なソフトなんだなぁ。

ただ、「仮説をたてて実験をしてその結果を統計的に処理する」っていうのは、やっぱり私にはあまりなじめない。人間はひとりひとり違うからおもしろいのに、その違いに目をつぶって、無理やり、なんらかの傾向を見つけようとしている、という感じがしてしまう。

たとえば、ストループ効果についての実験。赤、青などの色を表す漢字が、その字とは違う色のインクで書かれている場合(たとえば青インクで赤と書かれているとか、紫のインクで黄と書かれているとか)、そのインクの色を言う場合と書かれている文字を読む場合で反応速度は変わってくるか、というような実験をする。ぱっと考えても、文字を読むほうが簡単だろうな、と思えるし、実際、そういう結果がでる。ただ、人によって反応速度が速い人もいれば遅い人もいる。また間違いの多い人もいれば少ない人もいる。反応は速いけど間違いは多いとか、反応は遅いけど正確だとか。でも、この実験に関しては、間違った答えの反応は省いて正回答のみについて反応速度を集計してグラフを作り、分析をした。そして、仮説は支持された。実験も分析もそれなりにおもしろいけど、仮説がたてられる程度のことって、何が起こるかまったく予測がつかないことに比べるとワクワクドキドキしないなぁと思う。

先生は感じのよい方で、ユングの「共時性」の話をもちだして「この場に集まったのも何かの縁」とおっしゃり、受講者が楽しく授業に参加できるよう工夫されていた。私も「偶然にみえるものも実は偶然ではないのかも」と思うことがあり、仏教の「縁」という考え方も好きなので、先生の話にうなずけることが結構あった。雑談でへぇ、と思ったのが、

皇室に嫁がれたこのふたりの女性の名前の2文字目、4文字目、6文字目が同じだという事実。まあ別にそれだけのことだけど、なんかちょっとおもしろい(^^)。

結局、科学的でないことのほうがおもしろいのかも。
世界がきれいにできていて、法則を発見する楽しさっていうのがあることは認めるけど、心理学については、科学的に説明できるものよりも説明できないもののほうががおもしろそうな気がする。

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映画「それでも生きる子供たちへ」All the Invisible Children


ルワンダ、セルビア・モンテネグロ、アメリカ、ブラジル、イギリス、イタリア、中国。7つの国の子どもたちの今を描いた短編のオムニバスで、私はどの作品も結構好きだった。

戦士として銃を持つ。親の言いつけにより盗みを働く。エイズを抱えている。廃品回収をして生活の糧を稼ぐ。戦争で難民になってしまった。金持ちから盗んだものを売って生活する。裕福な家庭に生まれた子、赤ちゃんのときに捨てられたけれど優しい人に育てられた子。子どもたちをとりまく状況は様々で、必ずしも明るいとはいえないけど、でも暗く悲惨でもう救いがないというのでもない。

しばらく前、「トゥモロー・ワールド」という映画のDVDを見た。人類が生殖能力を失って、もう18年間、新しい子どもが生まれていない、という状況。「子どもの笑い声の聞こえない世界になった」というセリフがあって、それはいやだなぁ、と思ってしまった。

廃品回収をして歩くブラジルの兄妹の楽しそうなこと。中国のふたりの少女の笑顔。子どものパワーはやっぱりすごい(^^)。遊園地のメリーゴーランドを見つめるイタリアの子、誰もいない学校で黒板に書かれた問題の答えを書くルワンダの子。この子達が自分のやりたいことができるように、大人はやっぱりがんばらなくちゃいけないと思う。

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当事者

昨日の毎日新聞夕刊の特集ワイドに、末期ガンで入院されている小田実さんのメッセージが載っていた。記事はこちら。たぶん今月いっぱいくらいはウェブ上で読めるのではないかと思います。

65年2月、アメリカが北ベトナムに爆撃を始めた。同年4月、「ベ平連」を発足させた。「ベトナム特需に甘んじている私も当事者である。黙っていては永遠の加害者になる。それは困る。自分を切り離さなければ」。そう言って反戦デモの先頭に立った。米軍兵士に脱走を呼び掛け、かくまった。ニューヨーク・タイムズ紙に反戦の全面広告を掲載した。一期一会で集まる市民による、新しい市民運動だった。約10年続けた後、戦争や核問題を問う小説や評論を書きながら、市民が政策を作り、訴える運動に情熱を傾けた。

これを読んで「当事者」という言葉に反応してしまった。しばらく前に雑誌「オルタ」の5月号で、岡真理さんが「当事者とは何か」という、とても印象的な記事を書いておられたからだ。

パレスチナ問題に関し、日本社会に生きている私達が当事者か、と問われればほとんどの人は「否」と答えるだろう。ところが私達は、問題の先行きに大きな影響力を持つ国際世論を構成する第三者であり、メディア戦略の重要なターゲットとして問題に組み込まれているのだ。

たとえば、2005年8月、イスラエルはガザから全入植地を撤退させた。あくまでも入植地を出て行くことを拒んだユダヤ人住民たちは軍に強制排除された。このときイスラエルはガザにプレスセンターを設置、世界中から集まった報道関係者は、住み慣れた家から引き剥がされる住民たちの悲痛な姿を連日大きく報道した。しかし、入植地撤退の前も後もガザの国境はイスラエルによって厳しく管理され、第三者がガザに入るのは大変困難だ。そのガザにイスラエルは世界のメディアを招いたのだ、この事実を積極的に報道してもらうために。そしてその報道のかげで、60年前、ユダヤ人国家建設によりパレスチナ先住民が難民となってしまった事実は忘れられてしまう...

南アフリカのアパルトヘイト以上のレイシズムであると言われる、イスラエル国家によるパレスチナ占領が、そのようなものとして世界的に広く認識されない理由の一つとして、問題をめぐる私たちの認識が一方の当事者に都合よく操作されているという事実がある。それは、逆に言えば、「第三者」が、問題の解決に積極的な影響を与えずにはおかないから、問題にとって致命的に重要な構成要素として彼らに認識されているからにほかならない。私たちの無知につけこみ、私たちをナイーヴなままに留めおくことが、彼らの利益となる。私たちの無知、私たちのナイーヴさが、問題の不可分な一部を構成し、パレスチナ人に対する抑圧の永続化に貢献しているとすれば、このとき、私たちもまた抜き差しがたく問題の「当事者」なのではないだろうか。

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Minutes

知らなかった易しい英単語シリーズ(^^;)。

もうすぐ軍による保育園の監査があるので(しょっちゅうどこかの機関による監査がある)、監査のチェックリストを読んでいると、次のような文が出てきた。

The minutes of the PAB meetings are emailed/forwarded to the commander.

PAB は "parents advisory board" の略で、日本で言う PTA みたいなもの。でも、先生は会員に入っていなくて、親だけによる組織だ。ただし、会合が行なわれるときは保育園から園長先生などの管理職が出席したりすることもある。

「保護者会のminutes は部隊長まで報告されていること」っていうんだけど、minutes って何?と思ってしまった。「マイニュート」と発音して「微小な」とか「細かい」とかいう意味があることは知っていたから、詳細を報告せよっていうことなのかなぁ、と思ったけど、念のため辞書をひいてみたら、この意味での名詞はない。それで「分」の意味のほうを最後まで見ると、「覚書」とか「議事録」という意味があるのだと知った。議事録という意味では、たいてい minutes と複数形で使うようだ。

聞いたこともない単語なら、ふうん、でまたすぐ忘れるんだけど(^^;)、よく聞く単語の知らなかった意味っていうのはちょっと恥ずかしい(--;)けど、ちょっと新鮮で、まあこうやって言葉は覚えていくものなんだよな、と自分に言い聞かす(^^)。

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本「世界から貧しさをなくす30の方法」by 田中優、樫田秀樹、マエキタミヤコ

知らなかったことをたくさん知ることができた。

開発援助の多くが、援助される国のためのものであるというよりも援助する側の国のためのものであるという実態。日本の行なっている「援助」の多くは借款の形、つまり利子をとってお金を貸しているのだ、ということ。そして途上国の多くがその返済に苦しんでいる。そして今では、その年の日本からの援助額より日本への返済額のほうが上回る、という国が48カ国にものぼるのだという。そしてその日本の援助のお金を使って行なわれた事業がはたして貧しい人のためのものになっていたかというと、ダム建設のため無理やり立ち退かされた住民が苦しい生活をすることになったり、政権の上層部にいる人が私物化してしまって国民のために使われていなかったり...

それなら、ものをタダであげるのはどうか。かつて食糧難のアフリカに世界中から食糧援助が届いたとき、タダで配給されるものが市場にも流れ、値段が暴落し、結果的にその地域の農業を壊滅させてしまった。

必要なのは、問題に直面している人々自身が、自分の力を信じて行動すること。それがあってはじめて、外部からの応援が活きてくる。そこに住んでいる人たちの誇りを奪ってしまうような援助のあり方は何かがまちがっている。

ボルネオの先住民は、森に囲まれて食べ物にまったく不自由なく暮らしていたのに、アブラヤシプランテーションに森を壊されてしまってからは、森の産物も動物も自由に獲ることができず、食べ物を買うための金を稼がなければならなくなった。ところが、人々の生活は苦しくなったというのに、国民総生産(GDP)は上がる。自然から採集された産物で暮らしているときはゼロだったGDPが、食べるために外で働くとGDPにカウントされ、コンビニで食べ物を買うとGDPが上がる。それって何かおかしいんじゃないか。

放送大学の「途上国の開発」を聞いていると、基本的に農業化から工業化へ、という道をとることが貧困解消になるのだ、という立場だと思えるけど、そんなふうには言い切れないのかもしれないなぁと思う。

このほか、ストリートチルドレンの実践をやってみた小学校の先生の報告も興味深かった。どの記事もとてもわかりやすく書かれている。できればたくさんの人に読んでほしい本だと思う。

4772603778世界から貧しさをなくす30の方法
田中 優 樫田 秀樹 マエキタ ミヤコ
合同出版 2006-12

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ビデオ「マーダーボール」

「マーダーボール」、つまり「殺人球技」とは、車いすラグビーのこと。猛スピードでぶつかってもこわれないように改造した車いすで行なわれる激しいスポーツで、多くの選手は首の骨を折ったことがあるという。

アメリカは、このマーダーボールの世界選手権で10年連続チャンピオンの座を守っていた。ところが、有力選手だったジョーが年齢による衰えなどのため、選手をはずされたことに腹をたて、ライバルチームカナダの監督に就任。ジョーはアメリカチームのサインや戦い方を知りぬいている。はたしてアメリカは再びチャンピオンの座につくことができるのか、それとも強力な指導者を迎えたカナダが新しい王者となるのか。この映画は、選手たちの日々の生活と練習や試合の様子をおさめたドキュメンタリーだ。

障がいを持った人のスポーツドキュメンタリーというと、「障がいにめげずにがんばっている人の感動の物語」みたいな切口になりがちだと思うんだけど、全然違う。安っぽい同情の入り込む余地はない。選手達は、カメラに向かってきれいごとを言うのではなく、本音で語っている(少なくともほとんどの人は)。車いすになった事情。その原因を作ったのが親友だった場合もあったりして、人間関係も変わっていく。障がいを持った自分へのとまどい。トイレの後始末すら自分ひとりですることができないもどかしさ。性生活への不安。今までと同じ生活にはもどれない。...でもすべてをあきらめる必要はない。できることはたくさんある。

なんといっても、試合そのものがおもしろい。私は結果を全然知らなかったので、どうなるのかまるで予想がつかなかった。「スポーツは筋書きのないドラマ」とはよく言ったもので、脚本でなく、こんな結果になるとは、みごとというかなんというか。「障がい者のスポーツドキュメンタリー」というより、実際のスポーツを見て爽快な気分になるのと同じような感覚だった。

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認定NPO法人

「パレスチナ子どものキャンペーン」の総会へ。本当は、この日、キャンペーンが設立当初から関わってきたガザのアトファルナ聾学校の校長先生が来日する予定だったが、情勢の悪化で来日できなくなり、かわりにアトファルナ聾学校の設立当時から今までを振り返るビデオを見たり、レバノンから帰ってこられたばかりの方からレバノン情勢についての話を聞いたりした。

予算、決算書を見ていると、かなりの額のお金が動いているんだなぁという印象を持った。それでも、キャンペーンの関わっている地域が、ガザやジェニンなどリスクの高い地域のため、政府からの助成金がおりなくてあきらめた活動もあるということだ。リスクの高い地域こそ、お金が必要だったりするのに、そういうところにはお金がまわってこない、というのはなんとも理不尽な感じがするけれど...。とにかくそういう事情で、今年度はジェニンで行なってきた母子の心理サポート事業の本拠地をラマッラに移す予定だとのこと。ヨルダン川西岸地域のなかでも、ラマッラはジェニンに比べると比較的安全で、政府から助成金をもらえる可能性があるらしい。

さらに、法人からの寄付金をもらいやすくする、などの目的のため、認定NPO法人になることを検討中とのこと。キャンペーンは、現在、NPO法人ではあるが、認定NPO法人になると税制上の優遇措置などの利点があるようだ。ただし、認定NPO法人になるにはいくつかの要件がある。たとえば「宗教活動、政治活動を行なっていないこと」などの条項が活動の足かせになるのではないか、という質問が会員から出たが、「特定の宗教や政治団体を支援しているわけではないし、NPOに ものを言わせないようにする、というような政治体制が生まれてきたら日本もあぶないのでは」という事務局の説明で、基本的には認定NPO法人をめざすことになった。

やっぱりお金の問題って大きい...

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吹上しょうぶ公園

Shobuen
奥多摩、青梅方面へは毎年何回かでかけているのに、吹上しょうぶ公園のことは今年初めて知った。216品種、約10万本のハナショウブが植えられているとのこと。梅雨入りしたというけれど、とてもいいお天気の今日、行ってみたら、ちょうど見ごろの時期で、とてもきれいだった。

Shobuショウブ(ショウブというと一般にハナショウブのことを指すけれど、実はショウブとハナショウブは別物なんだそうだ。ハナショウブはアヤメ科、ショウブはサトイモ科で、菖蒲湯に使われるものだという。知らなかった。)というと紫色のものだと思っていたけど、淡いピンクや白や黄色(黄色のものはちょっとわかりにくいけど、上の写真の一番手前がそう)のものもある。私がきれいだな、と思うのは「肥後系」という品種が多かった。ほかに江戸系、伊勢系などがあり、肥後系は江戸系の品種群の中から改良されたものだそうで、派手な花が多いかな。

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楽しい誤変換

ずいぶん古い記事なので、既に見たことのある方もおられるかと思いますが、私はたまたま一昨日見つけたので。日本漢字能力検定協会の「変"漢"ミスコンテスト」の結果の記事。おもしろかったので、子どもたちも読めるようにデスクトップに付箋で貼っておいたのだけど、消す前にここに転記。(...と書こうとしたら、天気、転機と誤変換された(^^;))

2006年の年間変漢賞は「遅れてすいません。怪盗アンデス。」

このほかに

「お客彷徨うトイレ」
「そんなに働いた奈良大仏枯れてるね」
「リスとヒョウを送ります」
「それは会社の方針とのこと、但し異様です」
「ドアは腐りかけてるから大丈夫」
「孟子が通り過ぎちゃったよ!」

....などなど。
念のため、正しい変換はこちら(^^)。

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コミック「ぼくんち」by 西原理恵子

私は「じゃりン子チエ」が大好きだけど、これはマンガだっていう安心感?がある。テツにしてもお好み焼き屋のおっちゃんにしても地獄組の親分にしても、登場人物はみんなマンガのキャラクターで、あくまでフィクションとして読んでいられる。なんといっても小鉄とかアントニオとか、ネコが重要なキャラだったりするし。

「ぼくんち」はすごくリアルだ。絵はとってもラフで、全然リアルな絵じゃないし、ちょっと信じられないような凄まじい生活環境を描いているのに...すごくリアルで、もとになる話があるのかなぁと感じてしまう...本当はどうなのかわからないけど。

一太とニ太の母は、ある日彼らの姉だという「かの子」という子を連れて帰ってきて、その後しばらくしてまた蒸発してしまう。かの子は夜の仕事をして一太とニ太を育てる。そんな状況でどうして心がすさんでしまったりしないのか、と思うけど、ニ太は誰を恨むということもなく、すくすくと大きくなる。町の人はみんな貧しく、法に触れるようなことをしていたりもするけど、そんな人たちからいろんなことを学んで大きくなっていく。かの子は夜の仕事をしながら、いつも笑顔を絶やさない、天使のような人で、ちょっとありえない...ありえない、と思うのに、すごくリアルで胸に沁みる物語だ。

ぼくんち
西原 理恵子著

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本「ピーター流わくわく旅行術」by ピーター・フランクル

数学者にして大道芸人のピーターさんが旅の極意を語ったもの。

ピーターさんとは、旅のスタイルが結構似ているかな、と思う。確かに、旅に出て楽しいのは人と出会うことだ。素晴らしい景色やら町そのものや美術館や建物や食べ物や音楽や...旅の目的は一応そんなものだったりするけど、一番思い出に残っているのは、人と交わした会話かなぁと思う。ピーターさんみたいに大道芸ができればもっと楽しいんだろうけど。大道芸人の天敵が警察官だとは知らなかった。街角で大道芸をするには許可が必要だけど、実際には日本ではめったに許可がおりないので、みんな無許可でやっているそうだ。

最後の章に旅の心得10か条が四字熟語の形で載っているのだけど、なるほど、と思ったのは「看顔即話」。「人の顔を見たら即、話しかけよ。」という教え。自分の身を守るためにも、自分に声をかけてきた人ではなく、自分から声をかけた人と話をすべき、と言う。私も、ピーターさんと同じく、その国の言葉を少しは勉強していくようにしていて、道を訊くのはわりと平気でできるほうだけど、普通の会話を自分から始めるのはなかなかできない。「無視されてもともと」くらいの気持ちでどんどん声をかけましょう、「旅の恥はかき捨て」というのがピーター流だ。その際、大学というのは結構会話をする場所として使えるらしい。それ、いいかもしれないなぁ、と思った。

数学者のピーターさんが、スリランカの日本人学校で子どもたちに出した問題が最初わからなかった(^^;)ので書き留めておきます。

一郎、二郎、三郎は月見に大きな団子を持っていくことになっていました。一郎は三個、二郎は五個持ってきたけど、三郎は家に忘れてしまいました。三人は仲良く団子を食べながら月見をしました。最後には、切って分け合ったりしながら、三人がちょうど同じだけ食べて、団子はなくなりました。帰る間際に三郎は800円を出してふたりに「団子代だよ」と渡しました。さて、一郎と二郎はその800円をどう分ければ公平でしょうか。

私は単純に、「一郎が三個、二郎が五個なんだから300円と500円でいいだろう」と思ったら、答えが違う。解説は載っていなかったので子どもたちに問題を出したら、次女が「あ、そういうの、学校でやった」と言ってノートを見に行ったけど見つからず。正解を出したのは長女。確かに言われてみれば300円と500円じゃ不公平になってしまう。わりと有名な問題のようで、小学生でも必ず正解する子がいるそうですが、簡単ですか?

4005003990ピーター流わくわく旅行術
ピーター フランクル Peter Frankl
岩波書店 2002-06

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多文化共生

多文化子育てネットというところの研修会に行ってきた。テーマは「外国人親子の仲間作り・母語育て・多言語絵本」。

最初、多言語絵本の読み聞かせ活動に関わってこられた石原弘子さんという方の講演があり、それに続いて、実際に日本語と外国語での絵本の読み聞かせ。「ぞうくんのさんぽ」は中国語で、「おおきなかぶ」はイタリア語で、「じゃあじゃあびりびり」はエチオピア語で、それぞれネイティブの人が日本人とペアで読んでくれた。どれも日本語でまず1ページ読んで、続いて外国語で同じ1ページ、という読み方で、ああ、この言葉はこの言語ではこういうふうに言うんだな、ということがなんとなくわかる。

その後、3つの分科会に分かれて話し合い。私は「日本でもう一つの母語を育てる」という分科会に参加した。この分科会には、イタリア人、中国人、エチオピア人(いずれも日本人のご主人と結婚されている)、それに聾の方が3人、そのほか日本人で多文化共生のとりくみをされている方など、いろんな立場の方のが参加されていて、とてもおもしろかった。

とりわけ、「手話はひとつの言語なんだ」と認識したのは大きな収穫だった。聾児の学校で乳幼児担当をされている聾の方がおられて、「赤ちゃんに手話を教えるのはむずかしそうに思えますが」と質問したら、「教えるのではなく、手話で話しかけるのだ」と言われた。私達が日本語や英語で赤ちゃんに話しかけるのと同じく、聾の赤ちゃんには手話で話しかけるのだ。手話はとても豊かな言葉で、顔の表情が副詞の役割をするそうだ。たとえば、「歩く」という手話をしながら、疲れたようすや元気な様子を顔で表す。手話がわかるようになってから、日本語の書き言葉を学ぶ。だから聾の子どもにとって、手話が母語なのだ。以前は口話教育というのが重視されていて、相手の口の動きから言っていることを読み取ったり、自分でも発音することを何度も練習させられていたけれど、やはりそれには限界がある。たとえば、「行きました」「言いました」 「死にました」などの口の形を見分けるのは至難の業だし、「発音が間違っている」と何度も言い直しをさせられても、なかなかわかるものではない。そうではなく、手話という言語でなら自由に会話ができる。手話でなら表現できるけど、日本語ではどう表していいかわからないこともあるそうだ。

聾の方のひとりが「日本語には遠まわしな言い方があるけど、これがわかりにくくて」とおっしゃると、その場にいた外国人の方が全員「そうそう」と強く同意されたのもおもしろかった。たとえば中国の方は日本でアルバイトをした経験があるそうだが、しばらくして、お店の人から「この仕事は○○さんにはむずかしいかもしれませんね」と言われたので、「がんばります」と答えた。するとまた「むずかしいですね」と言われるので「がんばります」と答える。何度かこのやりとりをして、ようやく、相手が自分に「やめてほしい」と思っているのだ、とわかった、と言う。日本人ははっきりと「やめてください」とは言わないのだ。

イタリア人の方は、娘さんに日本語、イタリア語、英語の3か国語で絵本の読み聞かせをされている例を話された。中国人の方は、「アジアの場合、日本より一段低い国、という印象があって、公共の場だと、子どもに中国語で話しかけるのも恥ずかしいし、下手な日本語で話しかけるのも恥ずかしいし、と話せなくなってしまっていた。でも、こういう多言語絵本の取組みのなかで、自分の言葉で絵本をみんなに読んであげることができてそれがすごい自信につながった」と話された。いつも支援を受ける側だったけど、自分にも何かできる、ということが嬉しく、この取組みを通じてお子さんも中国語に興味を持つようになったと言う。

結局、「してあげるーしてもらう」という関係じゃなくて、おたがいの関わりのなかで学んでいけるような関係が作れるといいね、という話になった。イタリア人の方は、地域の児童館で何か活動をしようという話し合いのときに、「ご意見をどうぞ」と言われても日本人はみんな黙っているので、「これは私達の子どものためなんだよ。思ったことを言ったほうがいいよね」と発言して、それからだんだんいろんな意見が出てくるようになったと話された。どの文化が優れていてどの文化が劣っている、というわけじゃないけど、自分とは違った文化を持つ人がいることを知ることで自分が変わるきっかけになることもある。

他にもいろいろおもしろい話が聞けた。そう、違いを知るのはとにかくおもしろい(^^)。

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モネ展

モネ展の公式ブログ によれば、平日でも開館直後は待ちが出るほどの盛況ぶり。でも夜間はゆったり見られる、とのことで、夜間開館をしている金曜日に行くことにした。一応、チケットはローソンであらかじめ買っておいたけど、チケット売り場に人が並んでいる、ということもなかったし、中もそれほど混雑していなくてゆったり見ることができた。モネの絵はやっぱりちょっと後ろから眺めてみたりしたいし、夜間開館は本当にありがたい(^^)。

モネの絵は人物画よりも風景画が多い。この人は心に残った景色を描きとめたかったんだろうな、と思う。先日、放送大学の面接授業 で、被爆者の方達の描かれた絵を見て、現実に被爆地の様子を映した映像よりも訴えるものが大きいことに気づいた。写真はその場をありのまま写してくれるけど、自分の目で直接見た景色と同じというわけじゃないんだ。子どもの発表会とか体育祭とか、ビデオで撮っていると、自分の目で直接見られなかった、という不満足感が残る。だから、絵という表現方法はすごく雄弁になるんだと思う。とりわけモネは、対象をそのまま描くというよりも、自分の見えたように描くことを大切にした「印象派」の人だ。

おもしろかったのは、様々な連作。モネは同じ場所を違うシチュエーションでいくつも描いている。特に私が好きなのは積みわらの絵 で、雪の朝、夏の夕日、朝日のなかで、など、そのときどきの美しさがあるんだなぁと感じさせられる。積みわらではないけれど、曇りの日を描いた作品が多いのもおもしろかった。連作は世界各地の美術館に散らばっていたりするから、こんなふうにまとめて見られるのは楽しい。

カミーユ、ジャン、乳母」 という作品がある。モネの奥さんと息子さんと乳母の3人が庭でくつろぐ様子を描いたもの。子どもは乳母のかたわらで遊んでいて、奥さんはひとり日傘をさして椅子に座っている。この当時は、自分の子どもの世話を乳母にまかせるっていうのが上流階級ではあたりまえだったのだろうけど、気の毒だなぁと思ってしまった。こんなふうに当時の生活を見ることができるのもおもしろい。

他に好きだったのは「かささぎ」"La Pie"。雪の朝(だと思う)、一羽のかささぎが木に止まっている。華やかな色があるわけじゃないけど、何か心にしみる。複製画の販売でもこの作品は2番人気だそう(一番人気は「日傘の女」。これはポスターになっていたせいじゃないかな)で、好きな人が多いのはわかる気がする。睡蓮の連作は有名だけど、晩年になると、表現の抽象度があがって画面の暗い絵が多くなり、あまり私好みではなかった。

時々、私も絵が描けるといいのになぁと思う。

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イエスよりノーが先

うちのクラスのM(9ヶ月)は、最近、「ア、アーン」"Uh-oh" という言葉を言うようになった。これは”ノー” の意味だけど、ノー よりは少し印象がやわらかい言葉だ。今朝、部屋に来たのがちょうど朝食時だったので「おなか空いてる?」と訊くと、首を横に振る。おかあさんが「ノー って言ってるのね。でもおなか空いてると思うわよ」と言う。「子どもって何故か、イエスより先にノーって言うようになるんですよね。」と言うと、「そうなのよね!それって私達がいつもノーって言ってるからじゃないかと思うんだけど。」と鋭い指摘。確かに赤ちゃんが動くようになると、ノーと言いたくなる場面にしょっちゅう出くわす。床に落ちているものを拾ってはなんでも口に入れるし、何にでも興味シンシンで、こちらがさわってほしくないものに手を出すし、そんなとこ行ったら危ないよ、というところに行くし。保育園では原則として、子どもに対してノーと言うことは禁止されている(否定的表現を使わずに肯定的表現を使いなさい、ということで)のでノーとは言わないけど、「ア、アーン」はしょっちゅう使っている。Mが言うようになるわけだ。

で、今日、Mがランチを食べているとき、他の子は寝ていたので、静かな音楽が流れていた。誰かが買ったダイソーのクラシックのCDで、最初の曲がホフマンの舟歌。全体的にフルートの曲が多くて私の好きなCDだ。「この音楽好き?フルートの音ってきれいだよね。」とMに話しかけると、なんと首を横に振る!「違うって?そんなことないでしょう。きれいだよ。」("No? Yes, it is beautiful!")とややムキになって(^^;)否定すると、Mはイエスと言った(と思う(^^))。たぶん、Mは会話の内容を理解していなくて、こちらの言葉を真似ているだけだけど、真似ができるようになる、というのもすごいことだ。どんな口の形をすれば「ア」とか「ス」とか言えるのかってどうしてわかるんだろう。f や h の音も聞き分けるようになるんだものなぁ...ア、と言うのは比較的簡単だけど、イエスになるとそれほど簡単でもない。はたして、明日以降もMのイエスは聞けるかな...?

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映画「パレスチナ、パレスチナ」

2002年、フランス人監督によって撮影された映画。パレスチナの人たちのふだんの生活を少し知ることができて興味深かった。監督は、イスラエルが占領下で施行している軍令集を読んだことがきっかけでこの映画を作ろうと思ったのだそうだ。あれもダメ、これもダメ、と軍令によって規制される生活。でも、映画のトーンは暗くもなくて、とりわけ子どもたちの明るさが印象的だ。

以下、完全ネタバレの私のための覚書。

まず、幼稚園や小学校などで人形劇をしてまわっている夫婦が紹介される。超満員の会場で整然と座っている子どもたち。人形達がキスをするのを見て笑いが起きる。ふうん、日本やアメリカの子どもたちと同じだなぁ、と思う。エルサレムにブドウを売りに行くパレスチナ人のおじいさんをイスラエルの看守が制止する。「許可証なしで入っちゃダメだ!」子どもたちのブーイング。「おじいさん、がんばれ!」という声援。でも声援空しく、おじいさんはめった打ちにされる...

第二部ではベツレヘム自治区のキャンプの日常が映し出される。かつての占領の実態を支援者の人たち(?)に語っている男の人がいる。外出禁止令のつらさ。外出禁止令のため家の中から出ることができない。トイレは数世帯にひとつの割り当てしかないのに、家の中から出られないから行くことができない。狭い家のなかに閉じ込められたまま、日が過ぎていく。本と名のつくものははみんなとりあげられてしまった。最高で48日間(だったと思う)外出禁止令が解除されなかったこともあった。...

第三部。再び、人形劇師が登場。妻の具合が悪く、ひとりで人形劇を上映した後、帰り道でイスラエルの入植地に迷い込んでしまう。なんとか無事に帰宅した彼は新しい人形を作る。作りながら、妻と交わしている会話が、なんというか可愛い(^^)。最後に、イスラエルの軍令「あれはダメ、これはダメ」というのがいくつか画面に流れる。

そして今の状況は、この映画が作られた当時と比べてどうなんだろうか...

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お金の話ー「エンデの遺言」から

エンデの遺言」に書かれていたお金の話をまとめようと思いつつ、できずにいたけど、いいかげん図書館に本を返さなくてはいけない(すでに1回延長した(^^;))ので、簡単に。(...と思ったけど、長くなりました(--;)。しかもうまくまとまってない(--;)。)

紙幣発行が何をもたらしたのか?一つの実例が、ビンズヴァンガーの著書に出ています。たしかロシアのバイカル湖だったと思いますが、その湖畔の人々は紙幣がその地方に導入されるまではよい生活を送っていたというのです。日により漁の成果は異なるものの、魚を採り自宅や近所の人々の食卓に供していました。毎日売れるだけの量を採っていたのです。それが今日ではバイカル湖の、いわば最後の一匹まで採り尽くされてしまいました。どうしてそうなったかというと、ある日、紙幣が導入されたからです。それといっしょに銀行のローンもやってきて、漁師たちは、むろんローンでもっと大きな船を買い、さらに効果が高い漁法を採用しました。冷凍倉庫が建てられ、採った魚はもっと遠くまで運搬できるようになりました。そのために対岸の漁師たちも競って、さらに大きな船を得、さらに効果が高い漁法を使い、魚を早く、たくさん採ることに努めたのです。ローンを利子つきで返すためだけでも、そうせざるをえませんでした。そのため、今日では湖に魚がいなくなりました。競争に勝つためには、相手より、より早く、より多く魚を採らなくてはなりません。しかし、湖は誰のものでもありませんから、魚が一匹もいなくなっても、誰も責任を感じません。...(p.26)

こんなふうに目先の利益を追求する非良心的な行動が褒美を受け、環境を考えて良心的に行動すると経済的に破滅するのが今の経済システムである。この原因は、今日の貨幣、つまり好きなだけ増やすことのできる紙幣がいまだに仕事や物的価値の等価代償だとみなされている錯誤にある、とエンデは言う。

現代の経済システムは、自然と環境を破壊し、貧富の差を押し広げている。それではこのシステムをどう変えればいいのか。

「エンデの遺言」でよく取り上げられていたのがシルビオ・ゲゼルという人の「老化するお金」という考え方だった。ものは何でも、時とともに古くなって価値がさがっていく。ところがお金に関しては100円は何年たってもあくまでも100円である。インフレがあって、100円で買えるものには変動があるので、価値がさがることはない、とは言えないと思うけど。それでも資産をお金の形で持っていれば、何とでも交換できて便利なので、みんなお金をためこむ。それで流通量が少なくなり、お金の需要に対し供給量が減るため、貸出金利が高くなる。そうではなく、お金を老化させよう。長期間持っていたら使えなくなるようなお金だったら、みんなそのお金を使うようになるだろう。というわけで提唱されているのが地域通貨や交換リングという仕組みだ。これが実際に町の活性化に役立った例がいくつか紹介されていてなかなかおもしろかった。興味のある方は、このサイト がわりとわかりやすいかな、と思います。ただ、これはあくまで補助貨幣なので、経済システムを根本的に変えることのできるものなのかどうかは私にはなんともわからない。

「お金をためこむメリットを作らない、お金を長期間保管しておくなら保管料を取る」というシステムにすることで、必要以上にお金を持っている人が仕事もせずに金利だけで生活する、ということをできなくする、という方向に持っていく、というのは確かに解決への方向という感じはする。この本のなかで紹介されていた「マルグリット・ケネディ」という女性建築家の著書「利子ともインフレとも無縁な貨幣」という本にそのあたりのことが書かれているようだ。彼女はエコロジー建築を手がけていたのだけど、そのたびに「採算があわない」と言われて経済的な壁にぶちあたり、お金の問題に取り組むようになったのだと言う。そしてお金の問題を専門家だけにまかせていてはだめだ、と。

具体的な解決策というのはわからないけど、確かに今の貨幣システムってヘンだ、とは思うようになった。

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映画「主人公は僕だった」Stranger Than Fiction

好きな作品だった(^^)。ハロルド(ウィル・フェレル)は国税庁に勤めるお役人。その仕事にふさわしく、数字にめっぽう強くて、四角四面の規則正しい生活を送っている。が、ある日、自分の行動を物語る声が聞こえ、自分は誰かの小説の主人公らしいと気づく。そのうち、その声が彼の死をほのめかし、これはなんとかしなければ、と行動を開始...

物語の書き換えをさせるためにはどうしたらいいかをハロルドが相談する文学の専門家(大学教授)にダスティン・ホフマン、ハロルドの物語を書いている作家にエマ・トンプソン。どちらも私の好きな役者さんだけど、予告編も見ないで見にいったから、そういう人が出ていることも知らなくて、画面で彼らを見て嬉しくなってしまった。
そしてなんといっても、ハロルドが税金未納の取調べをするパン屋の主人アナ・パスカル(マギー・ギレンホール)がとても魅力的。こういう人になれるといいなぁと思う...

もちろんありえない話なんだけど、見た後、ちょっと幸せな気分になれる映画はいいな(^^)。

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