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当事者

昨日の毎日新聞夕刊の特集ワイドに、末期ガンで入院されている小田実さんのメッセージが載っていた。記事はこちら。たぶん今月いっぱいくらいはウェブ上で読めるのではないかと思います。

65年2月、アメリカが北ベトナムに爆撃を始めた。同年4月、「ベ平連」を発足させた。「ベトナム特需に甘んじている私も当事者である。黙っていては永遠の加害者になる。それは困る。自分を切り離さなければ」。そう言って反戦デモの先頭に立った。米軍兵士に脱走を呼び掛け、かくまった。ニューヨーク・タイムズ紙に反戦の全面広告を掲載した。一期一会で集まる市民による、新しい市民運動だった。約10年続けた後、戦争や核問題を問う小説や評論を書きながら、市民が政策を作り、訴える運動に情熱を傾けた。

これを読んで「当事者」という言葉に反応してしまった。しばらく前に雑誌「オルタ」の5月号で、岡真理さんが「当事者とは何か」という、とても印象的な記事を書いておられたからだ。

パレスチナ問題に関し、日本社会に生きている私達が当事者か、と問われればほとんどの人は「否」と答えるだろう。ところが私達は、問題の先行きに大きな影響力を持つ国際世論を構成する第三者であり、メディア戦略の重要なターゲットとして問題に組み込まれているのだ。

たとえば、2005年8月、イスラエルはガザから全入植地を撤退させた。あくまでも入植地を出て行くことを拒んだユダヤ人住民たちは軍に強制排除された。このときイスラエルはガザにプレスセンターを設置、世界中から集まった報道関係者は、住み慣れた家から引き剥がされる住民たちの悲痛な姿を連日大きく報道した。しかし、入植地撤退の前も後もガザの国境はイスラエルによって厳しく管理され、第三者がガザに入るのは大変困難だ。そのガザにイスラエルは世界のメディアを招いたのだ、この事実を積極的に報道してもらうために。そしてその報道のかげで、60年前、ユダヤ人国家建設によりパレスチナ先住民が難民となってしまった事実は忘れられてしまう...

南アフリカのアパルトヘイト以上のレイシズムであると言われる、イスラエル国家によるパレスチナ占領が、そのようなものとして世界的に広く認識されない理由の一つとして、問題をめぐる私たちの認識が一方の当事者に都合よく操作されているという事実がある。それは、逆に言えば、「第三者」が、問題の解決に積極的な影響を与えずにはおかないから、問題にとって致命的に重要な構成要素として彼らに認識されているからにほかならない。私たちの無知につけこみ、私たちをナイーヴなままに留めおくことが、彼らの利益となる。私たちの無知、私たちのナイーヴさが、問題の不可分な一部を構成し、パレスチナ人に対する抑圧の永続化に貢献しているとすれば、このとき、私たちもまた抜き差しがたく問題の「当事者」なのではないだろうか。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

前の記事で軍の監査とありましたが、この監査はauditでしょうか。 何度も書いていると思いますが、私は当事者評価の信奉者です。 評価の第一の目的がレッスンを学ぶこと、本人がより高い状態になることである以上、本人が気づき本人が変わる以外に方法はない訳で、であれば評価自体は当事者がやる以外ないし、第三者にできることはそのお手伝いをすることだけと考えています。 したがって、評価は当事者の手で、第三者は監査の立場に退けというのが私の信念です。

第三者でなければ客観的な評価ができなと信じて疑わない人がたくさんいて、金科玉条のように「第三者評価」と言っていますが、第三者評価なら客観的で当事者評価は主観的なのでしょうか? 私はそれはとんでもない誤解だと思います。 これまた前にも書きましたが、日本人が日本の価値観を持っていって他の国の人々のことを評価するのは「第三者による主観的評価」に他ならないのです。

我々外部者にできるのは当事者評価ができるだけ客観的なものになるよう手助けをすることだろうと思っています。 特に情報へのアクセスです。 外から講師が行って研修をやるよりも、いわゆるfarmer-to-farmerのfield dayやstudy tourの方がよほど効果的なことが多いのは、そのためでしょう。

私は高校3年で1970年を迎えましたので、まさにベトナム反戦世代です。 小田実のホームページはときどき見ています。 中東情勢については、田中宇の国際ニュース解説が一体どのくらい当たるのか、とても関心があります。

投稿: axbxcx | 2007.06.23 20:44

axbxcx さんは「当事者」というのを字義通りにとらえておられるのですね。確かに「第三者も当事者だ」という言い方はちょっと乱暴かもしれませんが、小田さんと岡さんが物事を同じようにとらえておられるのを知って、そういう見方もできるんだなぁと思い、この記事を書きました。

今度の監査は multidisciplinary inspection で、会計監査も含まれてはいるでしょうが、それだけではなく、施設設備の安全性や、年齢にあった保育内容、スタッフへの研修が適切に行われているか、メディカルケアにあたって書類上の不備がないか、保護者参加の活動を提供しているか...などいろいろです。保育園としてはもちろんベストを尽くしているつもりなわけですが(でも実態はかなりひどいところもあります(--;))、監査担当の人によって、たいてい何か「基準を満たしていない」とひっかかる部分がでてきます。NAEYC(National Association for the Education of Young Children)の監査チェックリストなどはなかなか参考になるし、保育園のような施設の場合は、やはり第三者による監査があったほうがいいとは思います。児童虐待のようなことが行われているところもあるかもしれませんから。

監査があるといいのは、おもちゃなどを買ってもらえることです。「CDプレーヤーがこわれているから新しいのを買ってくれ」と言っても数ヶ月そのままだったのが、エライ人が来るとなったらすぐに買ってくれたりして、なんだかなぁと思うことがあります(--;)。

投稿: じゃりんこ | 2007.06.24 00:28

ベトナム戦争に関しては自分も当事者だという認識がありました。 イラク侵略、グローバリゼーションなどもそうです。 ただコミュニティー内部の問題、部族対立、民族紛争になると、自分は外部者だと思ってしまいます(外部者ではありますが第三者ではありません。そこに関わっているのですから)。 調査、プロジェクトなどでは、たとえ他の国にいたとしても自分は当事者だと思っています。 文字通りかどうかはわかりませんが、自らの関わり、責任の取り方の問題です。

inspectionとなるとかなりきつい表現ですし、当局・ボスなど、第三者ではなく監督する立場にある人がやるという感じです。 audit、私は会計監査に限らず、評価の正当性・妥当性を第三者が審査することと理解しています。

投稿: axbxcx | 2007.06.24 08:01

axbxcx さん、

確かに軍はボスですから、inspection はおっしゃるようなイメージです。このほかに、消防や保健衛生部門の担当者による inspection はもっと頻繁にあります。

そういえば、NAEYC の監査の場合は、inspection とはいいません。
NAEYC の accreditation を3年に1回だか更新する必要があり、これにより、「きちんとした保育機関である」ということが公に証明されるという仕組みになっています。NAEYC は直接のボスではありませんが、やはり監督する立場にある機関だとはいえるでしょうから、axbxcx さんのおっしゃる「第三者」ということにはならないのでしょうね。

ということでうちの保育園では「第三者」による監査は行われていないのかもしれません。だから audit という言葉を聞いたことがないのかもしれません。

投稿: じゃりんこ | 2007.06.24 20:45

ご丁寧にどうも。 当事者で大事なことを忘れていました。 藤前干潟を巡る論議のとき、例えば国際環境NGOは、あるいは地元に住んでいない人は、発言する権利があるのかという話がありました。 もちろんあると思いますが、それに関連してstakeholderというのは「この指止まれ」のようなもので、本人が自分は利害関係者だと思えば利害関係者になる、それが「参加」の基本だと理解しました。 飽くまでも本人が決めることという意味です。

「当事者」を英語にしようとするとどうもいつもピンと来ないのですが、実はstakeholderが一番近いのかも知れません。 stakeholderの語源は、確か金の採掘で、自分も採掘に参加すると宣言した人のことだったと聞いたことがあります。 本当でしょうか。

投稿: axbxcx | 2007.06.25 00:28

axbxcx さん、

藤前干潟をめぐる議論で stakeholder という言葉が出てきたんですか。この言葉も私は聞いたことがない(^^;)のですが、英英辞典を見ると a person or company that is involved in a particular organization, project, sytem, etc., especially because they have invested money in it となっていたので、おっしゃるように「当事者」という感じに近いのだと思います。the person/party concerned ではいまいちですか。

語源については stakeholder etymology で検索をかけてもおっしゃるような情報は少なくとも上位にはヒットせず、online etymology dictionary でも stakeholder という言葉はヒットしなかったので、少なくとも有名な話ではないのでしょうね。でもそういうこともあるのかもしれません。もし何かわかったら書きます。

藤前干潟について、地元でない人が発言できるのか、ということについては私もできると思います。地元の意向は尊重されるべきでしょうけれど。

投稿: じゃりんこ | 2007.06.25 07:36

じゃりんこさん、stakeholdersをこのように使うことは参加型あるいはワークショップを勉強するようになって知りました。 「利害関係者」と言うと何だかお金のことみたいですが、そうではなく、「自分に関わりがあると思っている人すべて」という感じだと思います。 つまり本人の判断・意志です。

ODAプロジェクトで言えば、プロジェクトで便益を受ける受益者はもちろん、負の影響を受ける(可能性のある)人、実施する役所や企業、お金を出す機関、そして国のお金が使われるのであればその国の納税者もstakeholdersになります。

国のお金が使われるのであれば、日本中(世界中)どこで事業が行われても、日本の納税者(その家族)全員がstakeholdersになる(あるいはなれる)ということになると思います。

投稿: axbxcx | 2007.06.25 16:38

axbxcx さん、

stakeholder というのは、小田さんや岡さんが言っておられる「当事者」という言葉に近いのですね。ただ、「自分の意思に関係なく、当事者になってしまっている」という状況を岡さんは指摘しておられるので、そういう意味では同じではないですが。

「自分の納税したお金が人を殺すのに使われるのはいやだ」と、映画「主人公は僕だった」に出てくるパン屋の女主人が納税を部分的に拒否していましたが、「知らないうちに自分が加害者(当事者)になっている」という状況に気づいて、stakeholder として声をあげていくことが大事なのかなぁと思います。

投稿: じゃりんこ | 2007.06.25 20:11

じゃりんこさん、そうなって来るともう一つの単語の定義を超えていますね。 例えばアカウンタビリティーという言葉がそうですが、日本ではこれを「説明する義務」と捉えている人が多いのではないかと想像します。 けれども実はこれは双方向、あるいはむしろ「説明を要求する権利」が強いのではないかと思うのです。

個人的には「当事者意識」という言葉が好きなので、「当事者意識」がないのに「当事者」と定義することになるとよけいに混乱する気はしますが…。

投稿: axbxcx | 2007.06.26 16:38

axbxcx さんは、ベトナム戦争、イラク侵略、グローバリゼーションについては当事者意識がある、と書いておられますよね。でも、そうでない人も結構多いんじゃないかな、と思います。
私はチョコレートが好きですけど、日本で安いチョコを販売するために、過酷な労働をさせられている子どもがいるのかもしれない、ということを考えたことはありませんでした。
だから私のような人間は、「知らないうちに、自分が子どもたちにそんなことをさせている当事者になっているかもしれない」っていうことに気づく必要があると思います。気づけば、当事者であるという意識は出てきますよね。でも、気づく前にも当事者であることは事実なのだと私は思いますが。

投稿: じゃりんこ | 2007.06.26 21:11

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