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放送大学「途上国の開発」

担当は高木保興先生と河合明宣先生。河合先生が、世界各地の現状を紹介するビデオを見せて、高木先生が開発経済学の基礎的なことを解説する、というスタイルの授業。

私は世界各地の映像を見られるのが楽しみで見ていた。開発経済学のことは何も知らなかったから、基礎的なことが勉強できたのもよかったと思う。たまたま、エンデのお金の話とか、「世界から貧しさをなくす30の方法」という本とかを読んだりもして、お金のことについて、一度ちゃんと勉強したいな、という気にはなった。

こうだからこう、という感じで説明されるのでわりとわかりやすいけど、テキストでは何の説明もなくカタカナ文字が出てきてとまどうことが結構あった。で、後のほうの章でその言葉の説明があったり。

自分では説明は大筋でわかったつもりだったけど、昨日のテストでは、えーっと考え込んでしまうものがいくつもあって(--;)、やっぱりちゃんとはわかっていないのかもしれない(--;)。たとえば、5つの文のなかから誤りの文を選べ、という問題で、私はまず3つは正しい文だと判断したんだけど、残りが「大きな政府が批判されるのは効率性が悪いからである」「IMF や世銀が小さな政府をすすめるのは市場の失敗をカバーできるからである」で、どっちも正しいとはいえないような気がして...。もしかして排除したなかに正解があった??...

とりあえず合格しているといいんだけど(^^;)...できればテストの回答が知りたい。

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放送大学「日本語基礎A」「日本語基礎B」

放送大学の試験が終わった\(^^)/。今回は3教科すべて今日で、1日で終わった。「途上国の開発」のほうは、出来に不安がある(--;)んだけど、日本語のほうは簡単だったので、まずはこちらから。

これはどちらも、外国人を対象とした日本語講座。「基礎」とあるけど、実際は中級レベル。ある程度、日本語が話せる人が対象だ。ただし、母語が日本語でも、日本語の文法指導法等の習得をめざす人は履修することができる。 日本人に対しては、文法指導法として、特に番組のなかで何か言及があるわけではなく、テキストの後ろのほうに、少し解説があるだけ。実際の指導法を見たり聞いたりして、指導法を学んでください、というスタンス。

Aはテレビ番組、Bはラジオ番組。Aのほうでは、実際の指導場面を見ることができるので、絵やカードをこういうふうに使えばいいんだな、など、参考になる部分がある。Bのほうは「コミュニケーションと異文化理解」というサブタイトルがついていて、外国人の方の日本に対する感想などが聞けたりする点がおもしろいけど、日本の慣習の紹介の仕方などで、「えー、そうかなぁ」と思うことが多くて、私は車の中でテープを聞きながら、しょっちゅうブツブツ言っていた(^^;)。

たとえば、テキストに次のような文がある。

普通は、目下の人が目上の人をほめることはしません。「ほめる」ことは相手を評価することになります。評価は失礼なことです。目上の人には、「どうでしたか」と聞かれたとき、初めて「すばらしかったです」などと感想を言います。

そして、番組のなかで、「先生はよく教えました」というような言い方が適切ではない、という例があげられる。
「先生はよく教えました」は確かに失礼な感じがするけど、これは敬語を使っていないせいだろう。「先生はよく教えてくださいました」と言えば、失礼にはならないのではないだろうか。先生だって、たとえ、敬語を使っていないとはいえ、「よく教えました」という言い方のなかに、生徒の感謝の気持ちを感じ取ることはできるだろうし、何も言われないよりは嬉しいのではないかと思う。目上の人に対しては、求められるまでは何も感想を言うべきではないかのように教えることには違和感を感じてしまった。

このことについて、メールで質問したところ、姫野先生から丁寧な回答をいただき、「書き方がいささか断定的だったかもしれませんね」とおっしゃっていた。ただ、メールで意見交換するのはやっぱりむずかしい。相手のやり方に異を唱えるような場合、面と向かって話すのであれば、口調とか態度とかで失礼でないように気をつかうことができるけど、メールだと、先生に対して顔文字を使うわけにもいかないし(--;)、きつい印象を与えてしまいそうで...非言語コミュニケーションとか顔文字とかって大きな役割をはたしているもんなんだなぁと思った。

講義内容には疑問を感じることも結構あったのだけど、やっぱり私は言葉のことをあれこれ考えるのは好きらしい。日本語とか異文化コミュニケーションとかは、もっと勉強してみたいことではある。

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ビデオ「ゲット・オン・ザ・バス」

1995年、ワシントンで「100万人の男達の大行進」というのが、黒人イスラム組織ネイション・オブ・イスラムの指導者ルイス・ファラカン師のよびかけで行なわれたらしい。ロサンゼルスからそれに参加するためにバスに乗り込んだ男達の道中記。

みんながイスラム教徒というわけではなさそうだけど、すべて黒人の男性で、「ブラックパワー」という言葉が挨拶のように交わされる。

息子に鎖をつけて監視している父、映画監督をめざしている者、ハリウッドスターを目指す者、母親が白人の者、ゲイ、病院をぬけだした老人...いろんな立場の人間がいて、黒人同士でも偏見を持っていたり...車内ではいさかいが起こったりもするが、それでも、同じ目的を持ってワシントンに向かっている、という連帯感がある。

"Shabooya, sha, sha, shabooya roll call" というラップで、みんなが自己紹介をしていく場面があるのだけど、これがとても楽しい。みんなリズムにのって、うまく言葉をはめていく。(ひとりうまくのれなかった人がいたけど(^。^))。聞いてみたい方はこちら で試聴できます。

途中、ちょっと不自然に思えるエピソードがあったり、作りすぎかな、と思える演出もあるけど、旅のワクワクドキドキを疑似体験できる映画はいいな。とりわけ、みんなから「おやじ」と慕われた最年長の乗客を演じたオシー・デイビスがいい感じだった。

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本「不実な美女か 貞淑な醜女か」by 米原万里

ちょっと前の記事「続・母国語にない音」 でもちらっと書いたけど、ロシア語同時通訳者の方が書かれた本。通訳という仕事をしていれば、おもしろい話はいっぱい転がっていそうだけど、実際そのとおり(^^)。笑えるエピソードが満載、でもって、言葉のことをあれこれ考えるのは私の好きなことだったりするので、とても楽しく読めた。

通訳が大変だろうな、と思うのは、他人の黒子に徹しなくてはならないこと。自分の信条に反することでも、仕事上、とにかく正確に訳さなくてはならないし、私情をはさむわけにはいかない。

また、その言葉に対応するような言葉がもう一方の言語にはない、ということはよくある話。たとえば、日本語には姉、妹、という区別があるけど、英語だと、普通は sister ですませてしまう。必要があるときだけ、older とか younger という言葉をつけるけど、何もなくその言葉が登場する場合のほうが多いから、それを日本語になおすときは姉というのか妹というのかちょっと困ってしまう。「彼女は私の姉妹です」とは普通は言わないもの。一方、日本語で「いとこ」で表される概念は、中国語では、父方か母方か、女か男か、年上か年下かによって8通りの言い方があり、それをひとつにくくる言葉(つまり、「いとこ」に相当する言葉)はないのだそうだ。

中国語に関するエピソードでもうひとつ、えーっと驚いたのは、中国人の青年に大変にお世話になった日本の年配の方が、感謝と親しみをこめて「君は私の息子だ」と言ったところ、相手は怒りのあまり顔面蒼白になった、というもの。どうして?と思われた方は、この本を読むなり、ネットで調べるなり、なさってください(^^)。

子どもがバイリンガルになる過程や、バイリンガルの子どもの思考方法とかに興味のある私に気になったのは、幼児期に複数の言語に触れさせることについての否定的な見解。米原さんもそう思っておられるようだ。紹介されていた、外山滋比古さんの「日本語の論理」という本をそのうち読んでみようと思う。

同時通訳は私にはできそうにないな、と前から思っていたけど、この本を読んでますますその思いを強くした(^^;)。逐次通訳をするとしたら参考になるような話はいろいろあった...けど、私はプロにはなれそうにない(^^;)...

4101465215不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か
米原 万里
新潮社 1997-12

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seasoned

知らなかった易しい英単語シリーズ。

保育園でレッスンプランを作るとき、子どもたちの遊び方でおもしろいものないかな、と、いろんな本を参考にしますが、そういう本の裏表紙に載っていた推薦文。

The novice teacher as well as the seasoned expert will find something new in this book.

novice は初心者、expert はその逆ですが、じゃあ、seasoned って何? と思いました。season と聞いてまず思い浮かぶのは「季節」。季節的な熟練者...ってヘンだよなぁ。season には「味をつける」っていう意味があるけど、味のついた熟練者??

正解は

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花と蝶

梅雨の晴れ間。園庭にはクローバーの一種らしい小さい黄色い花がたくさん。そこへちょうちょが飛んできて、とまる。で、すぐに次の花へ行き、花から花へと蜜を吸っているらしい。小さい花にひとつひとつちょこんと止まる様子がかわいかったので手持ちのデジカメで動画を撮ってみましたが、なかなか実際に目で見た楽しさは伝わらないですね (--;)...

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続・母国語にない音

昨日、「母国語にない音」というのを書いたけど、今日、ロシア語通訳者の米原万里さんが書かれた「不実な美女か 貞淑な醜女か」という本を読んでいたら、同じような話が出てきたので、うなってしまった(笑ってしまった)。

速成日本語講座で日本語を身につけた人は、たとえば、組織を SOSHIKI、葬式を SOSHIKI、と書いて覚える。葬式のほうの O の上には横棒の伸ばし記号を入れて伸ばしますよ、と教えるのだけど、こういう補助記号は使いなれていないためすぐ忘れてしまう。そのため組織というつもりで葬式と言ってしまい、企業の社長に向かって「あなたの葬式は大変立派な葬式です」なんて言ってしまった人がいるとか(^・^)。

このあたりはまだ可愛いのだが、「情勢」と言うつもりで「女性」と言い、あるいは「空想」のつもりで「くそ」と言い、「顧問」のつもりで「肛門」と言い、「少女」のつもりで「処女」と言ったりすると、当事者にとっては悲劇、すなわち第三者にとっては喜劇になること間違いない。

まったく(^・^)。

逆もまた真なり、で、私達日本人が外国語を話すときも同じような間違いをやっているはず。日本語は、子音、母音のバリエーションがすごく少ない言語だそうで、確かに、英語では、たとえば、up, ant, art の母音はみんな違う音でも、日本語にすれば、アップ、アーント、アート、とみんな「ア」になってしまう。日本人でこれらの母音をうまく発音しわけることができない人は少なくないだろう(多分私も(--;))...だから、ネイティブが聞いたら、え?と思うような発音をしている可能性だってあるわけだ。

日本語には母音は5音しかないが、アラビア語はなんと3語。「オ」と「エ」に相当する音がない。放送大学の面接授業でそれを知ったときは私もびっくりした。自分の名前をアラビア語で書く、ということをやったりしたけど、名前のなかに「オ」や「エ」行の音がある人は「ウ」で代用する、と言われて、そんなぁ...と思ったものだ。というわけで、アラビア語が母国語の人が日本語を学ぶとなると大変だ。「音痴」は「ウンチ」に聞こえ、「偏食」と言うつもりで「顰蹙」と発音してしまい、「幸福」と「空腹」が同じ音に聞こえて言い分けることがきわめてむずかしい。「おそらく、われわれ(日本人)のように五母音しか持たない母国語の人間が、十四母音ある(フランス語のような)言語で表現しようとすると、似たような見当違いを演じているに違いないのである」...

つくづく、母国語でない言葉を身につけるのは大変だ...

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母国語にない音

このところ、私はずっと遅番だ。昨日、帰ろうとしたら、新しい園長先生がひとり残ってまだ仕事をしていたので、「園長先生、さようなら」と声をかけた。すると、「ミスじゃりんこ。頼みたいことがあるのよ」と言う。何かと思ったら、「電気料金を払いたい」ということを日本語で言いたい、とのことだった。

少し前に、電気料金の請求書と自動払い込みの用紙を私のところに持ってきて、「これ何?」と訊かれたので、説明した。軍人さんとその家族は基地内に住居が提供されるけど、彼女の場合は軍人ではないので、基地外に住んでいる。各種公共料金も自分で払わなくてはならない。今のところ彼女は、日本の銀行に口座を持っていないし、一人娘なので、親に何かがあったらアメリカに帰らなければならない、というわけで、自動引き落としにはせず、コンビニで支払うことに落ち着いた。

でも、せっかくだから、コンビニで日本語で言いたいと言う。そこで、Denki ryokin o harai-tai desu とローマ字で書き、発音した。彼女は、他の部分は問題ないのだけど、「りょうきん」というのが言えない。「ようきん」とか「ろうきん」とかになってしまう。英語で似た音がないか考えたけど、思いつかない。「りょ」っていう音を出すためにどうすればいいのか、ということを説明するのもむずかしい。ゆっくり何度も発音してその音を聞いて発音してもらい、かなり近い音になったので、「それで大丈夫ですよ」ということにした(^^;)。

母国語にない音を発音するのはむずかしいんだなぁ。私もこの間、フィリピン人の同僚に「バハイ クボ」という歌を教えてもらっていたとき、ng っていう音がなかなかうまく発音できなかった。なんとか彼女の発音をまねようとするんだけど、なかなか彼女が納得する音にならず、でも、ついにあきらめた様子で「そんな感じね」ということになった(^^;)。彼女も私と同じ気持ちだったんだろう。

赤ちゃんは、初めて聞く音をどうしてあんなふうにまねすることができるのか不思議だ。初めて...というか、何度も聞いているから言えるようになるのかな。でも、誰も発音の仕方を教えるわけでもないのに。今、うちのクラスの11ヶ月のMは、「バイバイ」とか「ナイナイ」(night-night ねんね の意味)とか「ダダ」(daddy) とか、どんどん言葉を覚えていっているけど、彼に「リョ」という発音の入った言葉を教えたら言えるようになるんだろうな、きっと。

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空が飛べる話

昨日の「投票お願いします:正しい日本語?」に投票してくださったみなさん、ありがとうございました。こんなにたくさん(70名以上)の方に回答してもらえるなんて、ネットってやっぱりすごいなぁ、と思いました。

で、現時点(7月13日23時)での結果は、次のようになっています。

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投票お願いします:正しい日本語?

放送大学「日本語基礎」は、外国の人へのインタビューなどがおもしろいけど、文法や慣習の説明などは「そうかなぁ」と思うことが結構ある。ただ、自分の日本語感覚が一般的なものであるかどうかはなかなかわからない。自分ではそれが一般的だと思ってるけど、実はそうではないのかもしれない。

ひとつ例をあげると、
「動詞を可能の形にしたとき、助詞は「を」から「が」に変わる。」という説明があって、

漢字読む → 漢字読める
テレビ見る → テレビ見られる

などの例があげてある。で、
「しかし、動く場所を表す「を」は「が」になりません。「を」を使います。」という説明があって、

飛ぶ → 空飛べる
階段降りる → 階段降りられる

という例があげられている。
「鳥は空飛べる」という文章は、私にはヘンには聞こえないんだけど、これは誤使用ということになるのだろうか。もちろん「鳥は空飛べる」でもいいと思うし、説明で言わんとしていることはわかる気がするけど、決して「が」を使わないかというと実際はそうでもないと思うんだけど...

というわけで、「@nifty 投票」を使ってみたいと思います。
投票すると結果が見られるそうです。で、一度、投票すると、もう投票ボタンは現れなくて、円グラフで結果が表示されるそうです。コメントはもちろん歓迎しますが、コメントつけるのはめんどうという方も投票だけでもしていただけると嬉しいです。よろしくお願いしますm(^^)m。

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コミック「きみの声 ぼくの指」by 横谷順子

副題は「私と『手話』で話そうよ!」。生まれつき耳の聞こえない「るる」という女の子が主人公。中学校まで聾学校で過ごしてきたが、高校は普通校を選んだ。まわりは聞こえる者ばかり、という環境に最初はとまどいながら、どんどん人とコミュニケーションする力をつけていく。そして、るるが来たことで、クラスメートも変わっていく。「多文化共生のコミュニケーション」を読んだばかりなので、それを実感できるようなストーリーだった。耳の聞こえない人の立場に立つことはむずかしいけど、コミックは少しそれを手助けしてくれる。

「手話」は長らく否定的にとらえられてきたらしい。聾学校などでは、唇を読み、声を出すという教育が長らく重視されてきた。でも、聞こえない音をどうやって発音するのか。自分の思いをどうやって伝えればいいのか。赤ちゃんは文字を読むことなんてできない。そんな子にどうやって言葉を教えるのか。手話があればそれができるのだ。そして赤ちゃんは自分の思いをどうやって伝えればいいのかを理解していく。

登場人物がわりとみんないい人ばかりで、現実にはなかなかこんなふうにはいかないだろうな、と思わなくもないけど、人と人とのコミュニケーションを阻んでいた壁が少しずつこわれていくのが気持ちよく、電車の中で読みながら、何度もボロボロ泣いてしまった(^^;)。機会があったら、手話もやってみたい。マンガのなかで、るるが、大学のカリキュラムに手話を取り入れようと奮闘するエピソードがあるけど(これをやることになった理由とその結果がまた泣かせる(^^;))、放送大学でやってくれないかな...っていうのはムシがよすぎるか(^^;)

4063344959きみの声ぼくの指 1―私と「手話」で話そうよ! (1)
横谷 順子
講談社 2002-01

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本「多文化共生のコミュニケーション」by 徳井厚子

副題は「日本語教育の現場から」。長年、日本語教育に携わってこられた著者が、その経験をまとめられたもの。異文化に出会った学生やご自身の感想、エピソードがおもしろかった。異文化というのは、異なる国で育った人や異なる言語の人というだけでなく、ひとりひとりが違う文化的背景や価値観を持っている、という捉え方で、確かに、外国人だけでなく、世代、性別、地域(関東と関西とか)が違う人と接して「カルチャーショック」を受けることもある。寝る時に電気をつけるかつけないか、とか、にんじんの皮をむくかむかないか、とか、違う文化で育った二人が一緒に暮らし始めると、ちょっとした違い(で、人によっては「ちょっとしたこと」じゃなかったりするわけだ)が気になったりする。

ご自身の失敗談としてあげておられた例が、「自宅に招待した友人が夜遅くなっても帰らないときに、帰ってもらいたいことを伝えるには何と言いますか」というアンケートをとったとき。何人かの韓国人留学生に「招待した友人に帰ってもらいたいなどとは思わないから、そういう状況はあり得ない。一晩中でも一緒にいたいと思う」と言われたのだそうだ。無意識に設定した状況が、当の学生にとってはきわめて不自然なものであり、付き合い方そのものの多様性を無視したアンケートをとろうとしたことにはっとされたと言う。

自己開示の大きさの度合いも人それぞれで、オープンな人もいれば、自分をあまり出したくない人もいる。日本語教師はともすれば自己開示の大きい学生を高く評価しがちだけど、それぞれの違いがあることを認め尊重したうえで授業を行なうべきではないか。また非言語コミュニケーションの大切さ。学生が質問に来たけど、質問内容はたいしたことがなさそう。しかし、彼女の様子から、相談したいことがあり、そのきっかけをつくるために質問に来たのだ、と気づいたり。

異文化トレーニングで使われる「DIE」という方法。Description(知覚)、Interpretation(解釈)、Evaluation(評価)、のそれぞれ過程を意識化することで誤解が生じたときの解決に役立てようとするトレーニング。たとえば、お賽銭箱を見て、大人の日本人なら、それが何であるかについて疑問をもつことはないだろうが、初めて見た外国人はどうだろうか。「神社の前にある」「四角い木の箱」「上に木の棒がたくさんある」などと知覚し、これが何であるか考える。「日本人は建物の入り口で靴をぬぐから、これは靴の泥を落とすものだ」と思うかもしれない。「お祈りのときにたたいて音をだすもの」と思うかもしれない(解釈)。そして「便利な箱だ」とか「神聖なものだ」などの評価をする。

同じ景色を見ていても、人によって見えているものが違ったりする、というのは時々経験することだ。映画を見ても、友人が印象に残った場面を話し出して、「わぁ、そんなとこまで見てるんだ」と思ったり、よく通る道に新しい店が出来ていて、私はその前に何があったのかまったく思い出せないのに、友人は「えー、○○、なくなっちゃったんだ」としっかり覚えていたり。視点を変えて見ることの大切さを実感するために取り入れられている「物語再構成」というのもおもしろい方法だと思った。たとえば、「桃太郎」を鬼の立場から書いたり、「シンデレラ」を姉の立場から書いたり、など。違う立場に立つことで同じ状況が違って見えてくる、ということがあるかもしれない。

人が自分なりのものの見方をするのは当然だけど、自分とは違った人と出会うことで、いろんなことに気づかされる。違いを楽しむだけならいいけど、一緒に仕事をしたり生活する、ということになると、なかなか大変なこともある。そんなとき、違いを認めて、できるだけ尊重して、そしてどういう方法をとるのが一番いいのかを一緒に考えていく。多文化コミュニケーションの授業ではそういう力をつけていくことをめざしているわけで、おもしろいなぁと思う。

4757406452多文化共生のコミュニケーション―日本語教育の現場から
徳井 厚子
アルク 2002-08

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映画「Salud!(サルー)・ハバナ」

東京平和映画祭へ。朝から夜まで8本のドキュメンタリーを見た(^^;)なかで、一番おもしろかったのがこの作品。

ハバナでは町の真ん中に畑があり、野菜は100パーセントの自給率を達成している。都市および都市近郊で有機農業が行なわれているのだ。ソ連の崩壊で、食糧の供給が止まり、深刻な食糧不足に陥ったキューバがどうやってこんな豊かな食生活を達成することができたのか。石油もないから、耕運機とかも使えなくて、昔ながらの方法に戻っていく。農薬も買えないから、ひまわりやそのほか、自然の植物で虫の嫌うようなものを近くに植える。土地を豊かにするためにミミズを使う。混植をする。ピンチをチャンスに変えたキューバの取組みを見ていると、なんだか希望がわいてくる。私が野菜好きのせいもあるけど、野菜が本当においしそうだし、また、町の人や、特に子どもの明るい表情も魅力的だ。

上映の後、監督の井坂泰成さんが、司会の方のインタビューに答えて、キューバの印象として、「働いている子どもがいない、ホームレスがいないのがいい感じだった」と言っておられた。もともと肉食をよくするお国柄だったらしいけど、カストロも玄米菜食を始めたとか。キューバに行ってみたくなった(^^)。

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ジブリ美術館

開館当初から行きたいと思っていたジブリ美術館に、ようやく行くことができた(^^)。
Ghibli朝から雨模様で、ちょっとつらいかな、と思ったけど、完全予約制でチケット購入済のため、日時を変更することはできない。まあでも、雨もそれほどひどくはなく、一応、屋上にも上ることができたし、ほとんどは屋内で楽しめるものだから、よかったかな。写真は屋上からの風景。

アニメーション製作の過程が順を追って展示されているのがおもしろかった。「魔女の宅急便」の絵コンテとか。アニメーションの仕組みがわかるような展示とか。大きなネコバスはさわってみたかったな。子どもしか乗れないことになっていて、子どもたちは屋根にのぼって滑り降りたり、とても楽しそうだった。まっくろくろすけもいっぱいいて、そのなかに子どもが埋もれていたりとか(^^)。

展示の量はそれほど多くはないけど、美術館全体のレトロな雰囲気や細部にこだわった造りがいい感じ。月替わりで短編映画を上映していて、今月は「くじらとり」。中川李枝子さん、大村百合子さんコンビ作の「いやいやえん」から採ったお話だとのこと。私は「いやいやえん」を読んだことはないけど、絵を見てすぐに「そらいろのたね」の人だとわかった。保育園が舞台のファンタジーで、とても楽しい話。私の後ろに座った男の子が、お話の世界にすっかりはまって、「あ、海なのにダメじゃん」とか、素直に感想を口に出しているのが可愛かった(^^)。

雨模様でも、みんなキャンセルしないためか、人は結構多い。外国人の姿もちらちら見かけたのは、今日がアメリカの祝日のせいもあるのかな。でも、韓国人や中国人らしい人も何組か見たから、いつでも多いのかもしれない。まあ、わざわざ見に来るほどのもの...だな(^^)。

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映画「Women in Struggle」

パレスチナで政治活動を行なってイスラエルの刑務所に投獄された4人の女性たちにインタビューして作られた映画。政治活動というのは、爆弾を作ったり、爆弾をしかけたり、ということだったりするので、イスラエルやアメリカから見れば彼女達は「テロリスト」ということになる。しかし、監督のブサイナ・ホーリーさんは彼女達の行為の善悪を問うことはしない。監督もまたパレスチナ人女性であり、彼女達がどうしてこんな行動をとったのか、またその後、どんなふうに感じているのかについて伝えようとしている。

パラダイス・ナウ」は、自爆攻撃に向かうパレスチナ人男性を描いたフィクションだったけど、これはドキュメンタリー。実際に爆弾をしかけた人の話を聞く、というのはちょっと不思議な感覚だ。彼女のしかけた爆弾によって人が死んだ。そのことを知って彼女はどんなふうに感じたか。死んだのは彼女達を苦しめているイスラエル人だ。それでも...
衝撃的なのは、刑務所で受けた拷問の話で、人間には残酷な面があるんだなぁと思う...そのような拷問を受けた結果、出獄した後も、普通の夫婦生活を送ることもできなくなり、彼女達の人生は大きく変わらざるをえなかった。

刑務所で何年も過ごさなければならなくて、子どもを産んで母親になる、という夢もかなわなくて、それでも、彼女達は今、誇りをもって生きている。

映画の後、監督と話す機会があった。主催者側が、タイベビールというパレスチナのビールを用意されていて監督がそれを手にしておられたので、思わず「ムスリムじゃないんですか」と訊いてしまった。いきなり宗教を話題にするのは失礼だよな、とすぐに思ったけど、口から出てしまった言葉はしかたない(--;)。監督はムスリムではないそうで、「パレスチナの人はほとんどがムスリムだと思っていました」と言うと、「そうでない人もいるのよ。日本人だってみんなが仏教徒というわけじゃないでしょ」と言われた。

監督のブサイナさんはアメリカに5年間住んで、映画制作について勉強されたそうだ。「アメリカで5年間勉強するとなったらすごくお金がかかると思うし、そんなふうにできたブサイナさんはラッキーだったんですか」と訊くと(だいたい、こんな話も失礼だ(--;))、「アメリカにパレスチナ人はいっぱいいるわよ」とのことだった。

ブサイナさんはヨルダン川西岸の出身だ。ガザから出るのはすごくむずかしいけど、西岸の事情はまた違うのだろう。パレスチナを含む中東地域に何度か行ったことのある人とも話したのだけど、その人の話では、ガザにも立派な家はあり、西岸でもキャンプの外と中の様子はずいぶんと違うとのことだった。イスラエル国籍を持つパレスチナ人もいるし、パレスチナ人といっても一枚岩ではない。それでも、イスラエルによる占領がその人たちを苦しめていることは共通している。

映画には「目線」という副題がついていて、「どうしてこんな副題がついているんですか」と尋ねると、ブサイナさんはそんな副題がついていることを知らなかった。"Women in Struggle ー目線ー" というタイトルなので、日本語ではそんなふうになるのか、と思っておられたようだ。確かにパレスチナ側の視点に立った映画だと思うけど、監督に説明しないで勝手にそんなふうに付け加えるのはどうなのかな、と思ってしまった。

映画は、ちょっとわかりにくいところがあり、また、私はその前に4本、別の映画を見たためか、眠くなってしまったところもあるけれど、実際に爆弾を仕掛けるというような行為をした人の心境や、また刑務所で女性たちがどんな仕打ちを受けたのか、ということについての証言はとても貴重なものだと思う。

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