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映画「Salud!(サルー)・ハバナ」

東京平和映画祭へ。朝から夜まで8本のドキュメンタリーを見た(^^;)なかで、一番おもしろかったのがこの作品。

ハバナでは町の真ん中に畑があり、野菜は100パーセントの自給率を達成している。都市および都市近郊で有機農業が行なわれているのだ。ソ連の崩壊で、食糧の供給が止まり、深刻な食糧不足に陥ったキューバがどうやってこんな豊かな食生活を達成することができたのか。石油もないから、耕運機とかも使えなくて、昔ながらの方法に戻っていく。農薬も買えないから、ひまわりやそのほか、自然の植物で虫の嫌うようなものを近くに植える。土地を豊かにするためにミミズを使う。混植をする。ピンチをチャンスに変えたキューバの取組みを見ていると、なんだか希望がわいてくる。私が野菜好きのせいもあるけど、野菜が本当においしそうだし、また、町の人や、特に子どもの明るい表情も魅力的だ。

上映の後、監督の井坂泰成さんが、司会の方のインタビューに答えて、キューバの印象として、「働いている子どもがいない、ホームレスがいないのがいい感じだった」と言っておられた。もともと肉食をよくするお国柄だったらしいけど、カストロも玄米菜食を始めたとか。キューバに行ってみたくなった(^^)。

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映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

じゃりんこさん、農村開発の仕事をしているとキューバの有機農法の話は実によく聞きます。

また去年は映画館で「バスを待ちながら」(とても良かったのでアメリカのAmazonからDVD取り寄せました)、DVDで「苺とチョコレート」と2本キューバ映画を観たのですが、どちらも印象に残る映画でした。 キューバの現状をユーモアたっぷりに皮肉っている、そんなことも感じました。

そしてヴィム・ヴェンダース監督の「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」、もう涙モノです。 ドミニカ共和国でコンパイ・セクンドのコンサートを観られたのは幸運でした。 コンパイ・セクンドもイブラエム・フェレールもルベーン・ゴンザレスも亡くなってしまったいま、なおさらあの映画の重みがわかります。

キューバはここ数年ずっと一番行ってみたい国です。 私の場合はドミニカ共和国で人と人との距離の近さに驚いたのですが、キューバはそれ以上だそうですから、一体どんな感じなのか…。 これまで行った国々にの中で一番人種差(区)別を感じなかったのはドミニカ共和国だったのですが…。

投稿: axbxcx | 2007.07.08 14:59

axbxcx さん、

この映画の監督さんがキューバの印象として「人と人との垣根が非常に低い、壁がない」というようなことを言っておられたんです。axbxcx さんがドミニカのことでそんなことを言っておられたなぁと思い出しました。ガソリンの節約で、2台をくっつけた大きなバスが、この映画のなかにもでてきましたけど、「バスを待ちながら」、機会があったらぜひ見たいと思います。

「苺とチョコレート」、印象に残る映画でしたか。同じ監督の「低開発の記憶」という映画をこの間見に行ったんですが、私には理解不能でした(--;)。「ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ」は私にはぴんとこなくて(--;)。ヴィム・ヴェンダース、そんなに見ていないのですが、好きだな、と思ったのは「ランド・オブ・プレンティ」くらいです。私には偉大さが理解できない人はたくさんいそうです(--;)。

投稿: じゃりんこ | 2007.07.08 16:16

良かったとおっしゃっていたのは、それだったのですね。

私は98年にハバナに行きました。滞在したのが1日だけだったので、ちょこちょこっと見ただけですけどね。
たしかにホームレスはいませんでした。用もないのに道ばたに椅子をおいて、通行人に笑顔をふりまきながら葉巻をふかしているお爺ちゃんは見ましたが。

で、今日のアフターイベント、寝坊して行けませんでした。。。笑
諦めて試験勉強の1日に。

投稿: tabe | 2007.07.08 19:33

じゃりんこさん、ヴェンダースというのはそういう監督だろうと思います。 一部の強烈なファンとたくさんのよくわからないという人と…。

実は彼の撮ったスティル写真が好きだったりして…。 アメリカの普通の田舎の風景の写真とか…。 要するにロード・ムービー(やっぱり、「パリ、テキサス」!)つながりなんですが…。 去年はヴェンダース夫妻の写真展を観に原宿に行きましたが、ヴェンダースが撮った尾道の写真も気に入りました。

今回は小津監督の「東京物語」をガーナに持って来て何度か観ていますけれど、何度観てもやっぱりいいです。 でも若い頃はそれがわからなかったし眠かったりした、むしろ黒澤映画の方が好きだった、まあ人間そんなものでしょう。

宮本常一の写真、つげ義春の絵は日本が置いて来てしまったもの、捨ててしまったものを思い出させてくれます。 正確にはわかりませんが1960年(昭和35年)辺りを境に日本の景色が一変したということです。

今年は宮本常一生誕100年(府中の郷土の森博物館で記念の展示をやっています。こちらに来る前に行って来ました)ですし、周防王島を訪れてみたいものだと思っています。 もちろん尾道経由で。

投稿: axbxcx | 2007.07.08 20:03

tabe さん、

うん、そう。他のもテーマはみんなおもしろかったけど、ちょっとくどいのもありました(^^;)。たぶん、編集をもうちょっとちゃんとすればいいんじゃないかなーって思いました。tabe さんがいたらそのへんのこと意見聞けたんだけどね(^^)。他にはラダックを扱った映画もよかったです。

tabe さんはハバナにも行ったことあるのね。あちこち行っててうらやましい(^^)。

私はまだ試験勉強始めてないです。今日、なんとか面接授業のレポートをしあげて投函しました。それがなければアフターイベントに行くことも考えたんだけど。ほんと、試験勉強もそろそろやらないとね(^^;)。

axbxcx さん、

ヴェンダース、「パリ、テキサス」とか「アメリカ 家族のいる風景」とかはどうも男性の視点というか...で私はあんまりピンとこないのですが、確かにもっと何年もしたらよさがわかるのかもしれません。

毎日新聞日曜版で、心療内科医の海原純子さんが「心のサプリ」というコラムを連載されているのですが、今日のは「宮本常一氏の思い出」でした。小学生のとき、自由研究で恐山をテーマにして資料を集めていて、宮本氏の本に感動して著者に手紙を書いたことがあったそうです。そのときの宮本氏の対応を書いておられるのですが、へぇと思いました。ネットで読めないかと探したのですが見つからないので、ご迷惑でなければ後でスキャンして送ります(ってaxbxcx さんがこれを読まれる前に送ってしまいそうですが(^^:))。

投稿: じゃりんこ | 2007.07.08 22:36

じゃりんこさん、わざわざありがとうございました。 宮本常一の人柄の一端が伺えるような気がしました。 柳田國男のような「大家」ではないからこそ、資料(一次データ?)にこだわりがあったのでしょう。

ヴェンダースについては妻も同じことを言っていたと思います。 「アメリカ 家族のいる風景」は一緒に観に行きましたし、「パリ、テキサス」はDVDを買いましたが…。 「パリ、テキサス」については、むしろサム・シェパードの趣味かなという気もします。

一人称的な映画になればなるほど、監督のジェンダー観?が出るでしょうねえ。 小津映画もまさにそうだと思います。 「東京物語」にしても男の視点あるいは理想としている女性の在り方というものを強く感じます。 ヴェンダースが小津のそういうところに共感した訳ではないと思いますが…。

ヴェンダースの「リスボン物語」のおかげでポルトガルも行ってみたい国の上位に入っています。 「リスボン物語」の音楽(AINDA)をやっていて映画にも登場するマドレデウスがまた最高によくて、ここ数年で一番よく聴いているアルバムかも知れません。 松涛の入り口にあるポルトガル料理店マヌエルでもよく掛かっていますが、例の温泉爆発であの辺りはまだ通りにくいのでしょうか。

投稿: axbxcx | 2007.07.09 03:19

axbxcx さん、

記事、おもしろいと思っていただけたようでよかったです(^^)。
宮本常一氏、写真で見るととても温厚そうな方、という印象なのに、作品に感動して手紙を書いてきた小学生に対し、「自分の都合で資料を借りようとするのは失礼だ」と叱り、研究のなんたるかを説いた、というのにはびっくりしました。本当に、今はなかなかそんな大人はいないでしょうね。それを受け止められる小学生がどれくらいいるかも心もとないですが...。もともと小学校の先生だったんですね。知りませんでした。

axbxcx さんの奥様とは意見があいそうだなぁとよく思います(笑)。
渋谷の爆発、どのあたりだったのか、具体的な場所を私はよく知らないのですが、マヌエルはその近くなのですか。行きたいと思いながらきっかけのないままです。渋谷では、しばらく前、おいしいベトナム料理屋さんに出会いました(^^)。

投稿: じゃりんこ | 2007.07.09 08:02

じゃりんこさん、最近ベトナム料理の店も増えましたね。 上の娘はタイ料理の店でバイトしていたこともあります。 いまはコーヒーのチェーン店でバイトしているようですが…。

宮本常一は小学校を出て農業の手伝いをしていたのですが、確か叔父さんの伝で大阪に出て逓信講習所に入り、さらに郵便局に勤めながら天王寺師範の二部を出て、小学校の先生になります。 そして小学校で教えながら郷土の調査をしているうちに、書いたものが柳田國男や渋沢敬三に認められ、渋沢の支援で全国を調査することになったのです。

「忘れられた日本人」、私の選ぶ10冊には間違いなく入ると思います。

投稿: axbxcx | 2007.07.09 14:26

axbxcx さん、

宮本常一は、農業をやって小学校の先生をやって、そして民俗学の大家(という言い方はあたらないのかもしれませんが)になったのですね。人は、最初に就いた職業が一番だとは必ずしも限らなくて、でも、農業をやっていたことも小学校の先生をやっていたことも、きっと無駄ではなかったのでしょうね(^^)。

私の選ぶ10冊にまちがいなく入るのは「おっぱいだより集」です(笑)。

投稿: じゃりんこ | 2007.07.09 19:31

じゃりんこさん、周防王島は昔から壱岐などあちこちに集落を作っていた海民の島で、明治時代からハワイへの移住者が多く、宮本常一のお祖父さんも甘藷栽培人としてフィジーに渡り、1年で半数が亡くなるような情況の中で帰国しています。

宮本常一が15歳で大阪に出るときに父が贈ったという「父の十ヶ条」がまた素晴らしいものです。 お父さんも只者ではなかったことがわかります。

http://miyamoto.jyuan.org/

投稿: axbxcx | 2007.07.10 06:47

axbxcx さん、

ほんと、おとうさん、只者ではありませんね。私は自分の子どもにそんなふうに教えられるものはありません(^^;)。

まあでも、「好きなことをして、ストレスをためない」「食べ物はできるだけまともなものを食べる」っていうことは、親を見ていて身につけてくれたんじゃないかな、と思っています(^^)。親として教えるべきことは他にもあるのでしょうが、私が十分じゃないです(^^;)...

投稿: じゃりんこ | 2007.07.10 20:26

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