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2007年夏のレバノン

レバノン北部にあるパレスチナ難民キャンプにたてこもっていたファタハ・イスラムという武装組織(パレスチナ人の組織ではない)をレバノン軍が攻撃したのが今年の5月20日。それ以来、戦闘が続き、キャンプにいると生命の危険があるため、そのキャンプ(ナハル・エルバレド)に住んでいたパレスチナ人たちの多くは、近くのバダウィ難民キャンプに避難した。「パレスチナ子どものキャンペーン」では7月にスタッフを派遣、現地のボランティアとともに救援活動にあたっていたが、今日、その帰国報告会があった。

レバノンの人口が約370万人、そしてそのうち約10パーセントがパレスチナ難民だ。しかし、パレスチナ難民の人たちには他のレバノン人と同じ権利は与えられていなくて、就くことのできる職業も限られている。それでも、もう長年住んできたから、「難民キャンプ」とはいっても、テント生活をしているわけではなく、キャンプに家があった。ところが今回の戦闘によって家はこわされてしまった。ナハル・エルバレドに住んでいた人たちは3万人以上、そのうち2万人がバダウィ難民キャンプへと避難した。バダウィ難民キャンプの人口は17000人。そこへ2万人の人が加わって人口は倍以上にふくれあがった。人々は、親戚や知人の家、モスク、幼稚園、学校などで寝泊りしているが、狭い場所に大勢の人がいてプライバシーもない状況に、多くの人がストレスを感じている。

親を目の前で亡くした子もいたりして、子ども達の心のケアも急務だ。こちらのページに、バダウィキャンプの詳しい様子が書かれている。今月2日、レバノン政府は戦闘の終結宣言をしたけれど、ナハル・エルバレドにはまだまだたくさんの不発弾などが残っていて、避難してきた人たちが帰れる状態にはない。しかし、9月には学校が再開される予定なので、いつまでも難民の人たちがそこで暮らしているわけにもいかない。とはいっても行くあてはない。ナハル・エルバレドキャンプの人とバダウィキャンプの元からの住人との間にも摩擦が起こり始めている...

報告会の後、「夢と恐怖のはざまで」という映画を見た。2001年製作の映画で、レバノンのシャティーラ難民キャンプに住む女の子とパレスチナ(ベツレヘム)にあるデヘイシャ難民キャンプに住む女の子が出会う話。撮られたのは2000年というから、「プロミス」と同じ頃だ。この当時は、イスラエル兵の監視のもととはいえ、国境でふたりが会うことができた。7年たった今、状況はよくなるどころか悪化している...「どうして私達は難民なの?」という少女の問いかけが胸に痛い。今回も、ナハル・エルバレドの人たちは、難民生活からさらに新たな難民生活を強いられたわけだ...

こんな状況のなか、なんとか子ども達が自分のエネルギーを発散することのできる活動を、と奮闘しているスタッフの人たちには頭がさがる。食料や生活必需品の支援、清掃活動など避難所を清潔に保つための活動に比べると、音楽や美術や演劇、スポーツなどの活動は軽視されがちだけど、実はとっても大切なことなんだと思う。

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