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放送大学2007年2学期

明日から放送大学の新学期が始まる。というわけで、ラジオの録音、テレビの録画の設定を完了。今期取ったのは、「著作権法概論」「学習科学」「神経心理学」の3科目。著作権法については、こうしてブログを書いているせいもあって一度ちゃんと勉強しておきたいと思っていた。「学習科学」「神経心理学」は、バイリンガルの子どもの脳の発達を知るのに役にたつかな、と思って。「神経心理学」は「心理学」という名がついているけど、テキストをぱっと見た印象では、脳生理学的な感じで、知らないことがいっぱい。「著作権法」もまったく知らない分野だから、今回はかなりまじめに勉強しないとついていけなくなりそう。

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さよならマンチキン&なんとなくついていない日

ココログを始めてまもなく、ハーボットを設置した。利用は無料だし、マンチキンはなかなかかわいいヤツで、私も楽しんでいた。ところが先月、「原子力の日」という広告が表示されるようになり、自分のブログを開くたびにそれを目にするのはさすがにいやだなぁと思って、広告の表示されない有料版を申し込んだ。が、このところ、ブラウザが急に終了したりする場合が結構あって、それの原因がフラッシュプレーヤーだというので、ハーボットはあきらめることにした。今月中には有料契約を解除するつもり。

ここからは全然別の話。
今日は超早番(5時45分出勤)で、3時過ぎには職場を出ることができたので、電気店に寄ることにした。最近ノートパソコンの調子がいまいちなので、ちょっと見てみようと思ったのだ。ところがモバイルパソコンは10月半ばに新製品が発売とのことで、全然展示されていなかった。結局何も収穫のなかった帰り道、「もうすぐガス欠」のサインが点灯していたので、ガソリンスタンドに寄る。48リットルで7300円というのにびっくり。今までこの状態で給油しても7000円を超えることはなかった。リットルあたり単価は145円。いつのまにそんなに値上がりしていたんだろう。

そんなわけで、ふだん通らない道を通ることになったのだが、なんと白バイのおまわりさんに呼び止められてしまった。私が右折禁止のサインを見逃したのだという。おまわりさんと一緒にその標識を見に行くと、停止線の2メートルくらい手前に指定方向外進行禁止の標識があった。停止線で止まった状態からは標識が見えず、私が右折しようとしている方向に走っている車もあるので気づかなかったのだ。まあ見落とした私が悪いのだけど、もうちょっとわかりやすいところにつけてくれないかなぁとは思う。これでまたゴールド免許を逃すことになったのか、と思ったが、過去3年間無事故無違反なので、この後3ヶ月何もなければ2点の減点は取り消されるらしい。ただし、罰金7000円は取り消されない...(--;)

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2歳児とクッキング:グリーンサラダ

2歳児クラスに入って2週間目。バケーションに行っていた子も帰ってきて、今日は一時預かりの子どもまで来たりして、なかなか壮絶な日々を送っている(^^;)。何かおもしろい活動をしているときはいいけど、そのあとかたづけをしている時とか、活動と活動の合間にすごいことになる(^^;)。全員元気のありあまっている男の子で、部屋の中は低めの棚やソファ、椅子がたくさん。子どもにすればそれらに登って遊びたいけど、登っちゃダメと言われる。部屋の中には登っていいものはなく、おもちゃもきちんとそろっているものはほとんどないし...何か子ども達だけで一定時間夢中になれるようなものを見つけないと。

まあでも、活動は毎日楽しんでくれている。特に楽しいのはやっぱりクッキングかな。
夏休みに近所の保育園にボランティアで行ったとき手伝っていたのも2歳児のクラスで、そこでいいなぁと思ったのが、とうもろこしの皮むき。本物のとうもろこしの皮をむいて、それをキッチンでゆでてもらっておやつに食べる。こんなことはうちの保育園ではできないなぁ、と思っていたのだが、先週、職員の休憩室にレタスが3個置いてあり、キッチンのコックさんに訊くと、「(古くなるから)家に持って帰っていい」と言う。それなら、というわけでそれをひとつ部屋で使わせてもらうことにした。

子ども達にかわりばんこにレタスをちぎらせて、洗い、水を切る。油とお酢を計量カップで測ってふたつきの容器に入れ、さらにちょっと塩を加えて、シェイクしてドレッシングを作る。各自、割り箸を割って、それでボウルから自分のお皿にレタスをとり、ドレッシングをかけて食べる。たったこれだけのことだけど、計ったり、注いだり、お箸を割ったり、というようなひとつひとつの動作をとても楽しんでやっている。なんといっても本物の野菜と調味料を使っている、というのは子ども達にはワクワクする経験で、ふだん野菜を食べない子も少し口に入れたりする。お酢や油のにおいをかぐのだっておもしろい。(お酢のにおいは子ども達には気持ち悪いものだったらしい。"gross!" と言っていた。でも油はいい香り。)

今日はカキ氷を作ったし、明日はひとり3歳の誕生日を迎える子がいて、おかあさんがケーキの素を持ってこられるということで、それでカップケーキを作る。ちょっとクッキングが多すぎるかな(^^;)。まあいいか(^^)。

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2歳の部屋

以前、「おそろしい2歳」という記事を書いたことがあるけど、この度、その2歳児のクラスを担当することになった(^^)。(^^;)や(>_<)でなく、(^^)なのは、とにかく今はとても楽しいからだ。

赤ちゃんの成長を見るのもおもしろいけど、どうしても食事やおむつ替えなどの基本的な世話が中心になる。しかも、うちの保育園では、0歳児は子どもと保育者の割合が4対1(日本では3対1)で、これはかなりきつい。人手があるときはもう少し保育者をまわしてもらえるけど、人手のないことがしょっちゅう(--;)なので、文字通りひとりで4人の赤ちゃんを見る、ということが起こる。こうなると、世話に追われて子ども達と遊ぶ時間も十分にとれない。そんな事情なので、先週の木曜日、園長先生から「2歳児クラスを持ってくれないか」と言われたときは二つ返事で引き受けた。

現在、うちのクラスの子どもは5人。今週、ひとりはバケーション中だったので、実質4人という恵まれた環境だった(2歳児の子どもと保育者の割合は7対1)。となりの2歳児クラスは7人なのだが、うちのクラスの5人は、全員元気いっぱいの男の子で、なんというかツワモノぞろい(^^;)。担任もコロコロ変わっているので、部屋の状態もひどく、おもちゃはない、写真はない、あるべき書類もそろっていない。でも、逆に一から私の好きなようにすることができるのでかえってやりやすいともいえる。

ただ、時間が十分にないのが問題だけど...というわけで、昼休みに2歳児についての本を読んだり、何か廃材を見つけては「あ、これは遊びに使えるかも」なんて考え始める日々が始まった。2歳児は「トイレ・トレーニング」とか「かんしゃく」にどう対応するかとか、私が学ばなければならないこともまだまだたくさんあり、家に帰ってから仕事関係のことに費やす時間も多くなった。こうなると「仕事が趣味」状態(^^)。

赤ちゃんの部屋にいたときは、お散歩にも行けず一日中部屋で過ごすことも多かったのだが、パワフルな2歳児達と園庭を走り回る1週間を過ごして、久々にゆっくり起きた今朝はさすがにちょっと疲れがたまっているのを感じる。でもやっぱり私はこの仕事が好きだなぁと思う。まあ、もっと人数が増えてきたりすると、いろいろ泣き言を言いたくなることもあるだろうけど、楽しい活動を用意すれば手ごたえががっちり感じられる年齢でもあり、今は本当にワクワクしている(^^)。

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冷たい足(英語)

先日、「こいつらが日本語をダメにした」を読んで、日本語は豊かな言葉だなぁ、と思ったけど、英語にもおもしろい表現はある。

映画「きみに読む物語」(The Notebook) から。

It's normal to get cold feet before your wedding.

結婚式前に「足が冷たくなる」のはよくあることだ。...get cold feet を調べてみると、「いざというときに躊躇する、おじけづく」という意味だった。結婚前になって躊躇するのはよくあること...まあ、そうかな。でも、どうして「冷たい足」っていう表現なんだろう。「足がすくむ」っていう感じだろうか。

全然関係ないけど、get と hand が出てくる熟語に最近出会ったので、ついでにこれも書いておきます。

Watch the children closely and stop things before they get out of hand.

子ども達から目を離さないようにして、問題が手に負えなくなる前に止めましょう。

get out of hand が「手に負えない」というのは日本語の言い回しと同じで、なかなか感じが出ている(^^)。ちなみにこれは2歳児についての記述です。

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2007年夏のレバノン

レバノン北部にあるパレスチナ難民キャンプにたてこもっていたファタハ・イスラムという武装組織(パレスチナ人の組織ではない)をレバノン軍が攻撃したのが今年の5月20日。それ以来、戦闘が続き、キャンプにいると生命の危険があるため、そのキャンプ(ナハル・エルバレド)に住んでいたパレスチナ人たちの多くは、近くのバダウィ難民キャンプに避難した。「パレスチナ子どものキャンペーン」では7月にスタッフを派遣、現地のボランティアとともに救援活動にあたっていたが、今日、その帰国報告会があった。

レバノンの人口が約370万人、そしてそのうち約10パーセントがパレスチナ難民だ。しかし、パレスチナ難民の人たちには他のレバノン人と同じ権利は与えられていなくて、就くことのできる職業も限られている。それでも、もう長年住んできたから、「難民キャンプ」とはいっても、テント生活をしているわけではなく、キャンプに家があった。ところが今回の戦闘によって家はこわされてしまった。ナハル・エルバレドに住んでいた人たちは3万人以上、そのうち2万人がバダウィ難民キャンプへと避難した。バダウィ難民キャンプの人口は17000人。そこへ2万人の人が加わって人口は倍以上にふくれあがった。人々は、親戚や知人の家、モスク、幼稚園、学校などで寝泊りしているが、狭い場所に大勢の人がいてプライバシーもない状況に、多くの人がストレスを感じている。

親を目の前で亡くした子もいたりして、子ども達の心のケアも急務だ。こちらのページに、バダウィキャンプの詳しい様子が書かれている。今月2日、レバノン政府は戦闘の終結宣言をしたけれど、ナハル・エルバレドにはまだまだたくさんの不発弾などが残っていて、避難してきた人たちが帰れる状態にはない。しかし、9月には学校が再開される予定なので、いつまでも難民の人たちがそこで暮らしているわけにもいかない。とはいっても行くあてはない。ナハル・エルバレドキャンプの人とバダウィキャンプの元からの住人との間にも摩擦が起こり始めている...

報告会の後、「夢と恐怖のはざまで」という映画を見た。2001年製作の映画で、レバノンのシャティーラ難民キャンプに住む女の子とパレスチナ(ベツレヘム)にあるデヘイシャ難民キャンプに住む女の子が出会う話。撮られたのは2000年というから、「プロミス」と同じ頃だ。この当時は、イスラエル兵の監視のもととはいえ、国境でふたりが会うことができた。7年たった今、状況はよくなるどころか悪化している...「どうして私達は難民なの?」という少女の問いかけが胸に痛い。今回も、ナハル・エルバレドの人たちは、難民生活からさらに新たな難民生活を強いられたわけだ...

こんな状況のなか、なんとか子ども達が自分のエネルギーを発散することのできる活動を、と奮闘しているスタッフの人たちには頭がさがる。食料や生活必需品の支援、清掃活動など避難所を清潔に保つための活動に比べると、音楽や美術や演劇、スポーツなどの活動は軽視されがちだけど、実はとっても大切なことなんだと思う。

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映画「シッコ」Sicko

うーん、そうなのかぁ...と思ってしまう。アメリカは日本のように国民皆保険制度がなく、医療費が高い、ということは聞いていたけど、ここまでひどい状態だとは...。

最初に出てきたのが、足を怪我して傷口が結構深い人の映像。その人はなんと自分で傷口を縫っている!彼は保険に入っていない。医療費は高いから自分で治療すると言う。

保険には誰でも入れるわけではない。既往症があったりすると保険に入ることはできない。保険に加入できない既往症のリストをプリントアウトしたら家一軒くるめるほどだという。健康でないと保険には入れないのだ。

それでも、幸運にして保険に加入することができれば安心かというと...いざ、治療費が必要となったときには、保険会社はなんやかやと難癖をつけて払おうとしない。「そんな治療は実験的であり必要ではない」とか「(とっても小さな)病気の申告漏れがあったので契約は無効」とか...。治療費が払えないため、治療ができず、命を落とした人が何人もいるのだ...愛する娘や夫を失った人の話は胸につきささった...

アメリカでは、皆保険制度というのは社会主義的だと考えられていて、そんなことをしたら治療を自由に選べなくなる、と言われている。ヒラリー夫人が国民皆保険制度を打ち出したことがあったけど、結局つぶされてしまった。それはなぜ?誰のため?

そこで、監督のマイケル・ムーアは、他の自由主義の国に医療の現状を確かめに行く。カナダ、イギリス、フランス。どこでも医療は無料で、病気にかかったときに、治療費の心配をする必要はない。では、社会主義国のキューバではどうか。治療を担当しているのは政府系機関だからお粗末で効率の悪いものに違いない...と思ったら、ハバナ病院は近代的な設備を備えていて、治療は無料、薬代も格安。それらの国では医師は患者の病状を改善することだけに専念すればよく、この治療は保険でカバーされるか、とかどうしたら利益をあげられるか、なんて考える必要はない...(もちろんそれが当然だと思えるけど...)

そういう事実を提示されたら、確かにアメリカの制度ってヘンだ、と思えてくる。実際、アメリカの医療制度に泣いた人も相当数いるようだ。この映画がきっかけとなって、何か動きが起きればいいな、と思う。そしてその可能性もなくはないと思える。監督のマイケル・ムーアが「保険で悔しい思いをした人の体験談」を募集したところ、あっというまにたくさんの話が集まった。そのなかのひとりの話。彼の2歳の難聴の娘の治療に関して、保険会社は右耳のみの治療を認め、左耳は必要ない、との決定を下した。それに納得できなかった彼は保険会社に対し、「貴社の対応について、マイケル・ムーアに知らせる」と手紙を書いたところ、「左耳の治療も認める」との決定が下されたのだ。

ただ、映画の中で、カナダやイギリス、フランス、キューバの制度はとてもいいものとして描かれているけど、実際は完璧なものというわけではないだろう。フランスで、あれほどいろんなことにデモが起きているということは、今の生活に満足していない人もたくさんいるのだろうから。キューバにしても、ハバナ病院の施設はちょっと信じられないくらい素晴らしかったし、アメリカでそんな高価な薬がキューバで簡単に手に入るというのも...きっとそれは事実だったのだとは思うけど、いつもそんなにうまくいくとは思えない。
この夏キューバに旅行したときには、「ハバナ大学にはお金がなくて、パソコンやコピー機などの設備も十分にない」という話を聞いた。また、民宿では「トイレットペーパーは自分で用意するように」と言われたのでいくつかの店を探したのだけど、手に入れることができなかった。(というわけで、結局、おかみさんが用意してくれた。)
生活必需品が簡単に手に入らない(キューバの人たちには配給があるからそんなに苦労することはないのかもしれない。そのあたりの実態は私にはわからない)のに、薬は手に入るのだろうか。医療には力を入れているから?ありえないことではないとは思うけど...

そういう疑問点はあるにしても、一般のアメリカ人が普通のこととして受け入れてしまっている制度に「これって普通なの?」と問いかけた意味は大きいと思う。彼の "Do something" という姿勢はやっぱり好きだな。

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キューバのおまわりさん

さて、ハバナ大学の学生達と別れた後、「やっぱり革命広場が閉まっているなんてありえない」と思い、行ってみることにした。「方向音痴」という、旅好きにあるまじき欠点の持ち主である私(--;)は、それにもかかわらず歩くのが大好き。しかし声をかけてくるのはほとんどがヒネテーロなので、ここはやっぱりおまわりさんに聞くべきだろう、という結論に達した。

で、道行くおまわりさんに「革命広場へはどう行けばいいのか」と尋ねると、方向を教えてくれ、「一緒に行ってあげよう」と言ってくれた。それは心強い(^^)。片言のスペイン語でおしゃべりしながらの道中だ。私は金色のネックレス(安物)をしていたのだが、おまわりさんはそれをシャツの下にしまえ、と言う。それをひっぱて取ろうとするヤツがいるから、と。ハバナは治安がいいと言われていて、実際、危険を感じるようなことはなかったけど、民宿のおかみさんにも「かばんはななめがけにしろ」とか「パスポートは持ち歩くな」(実際は、町歩きでパスポートが必要な場面もあるので、パスポートは持っていたほうがいいと思う)とか言われたし、スリに警戒が必要な場面というのはあるのだろう。で、私が「ハバナは安全だ。なぜならポリスマンがいるから」と言うと、「そうそう」という感じの嬉しそうな顔をして胸をはった。なんともかわいいおまわりさんだ(^^)。

ハバナの暑い日ざしの下、おまわりさんは汗をふきふき歩いている。しばらく歩いて大きな道のところで曲がり、ちょっと行ったところで、道路の脇に立ったまま、おまわりさんは止まってしまった。私はわけがわからず、「どうして止まっているのか」と尋ねても、スペイン語なので何を言われているのかよくわからない(--;)。わけもわからず待っているという状況に、私もちょっとイライラしてきて、それを見たおまわりさんが「タクシーに乗るか?」などと言う。は?ここまで歩いてきてどうしてタクシーなの?と、それもわけがわからず、「タクシーには乗らない。歩く」と言うと、「歩くの?」と驚いたような顔になって、「じゃあバイバイ」と手を振られた。なんなんだ、いったい!?

仕方ないので、たぶんこっちかな、という方向に向かって歩き出す。ちょっと行くとおもしろそうな建物があって眺めていたら、後ろから呼び止められた。見ると、おまわりさんが普通の車に乗っている!「お金ない」と言うと、「いいから乗れ」と指示する。言われるまま後部座席に座ると、車内は大音量のキューバミュージック。運転手の人は「いったい何なんだ?」という顔つきで私を見た後、おまわりさんの指示に従って車を走らせる...これって、おまわりさんがヒッチハイクをしたってことなのか...(^。^)!

Kakumeihiroba新市街は旧市街と違って広々とした道路だ。しばらくすると革命広場のチェ・ゲバラの肖像(?)が見えてきた。車で5分は走っていないと思うけど、確かに、普通の人は歩かないかな、というくらいの距離はあった。それにしても、おまわりさんに車を止められた人は何事かと思っただろう(^。^)...それともキューバでは普通のことなのかな。いくら治安のいい国といっても、ヒッチハイクはちょっと勇気がいる。でも、おまわりさんつきなら安心(^^)。

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本「こいつらが日本語をダメにした」by 赤瀬川原平、ねじめ正一、南伸坊

読もうと思っていた「日本語の論理」という本を図書館に探しに行って、その隣で見つけた本。タイトルを見て、現代日本語の乱れを誰かの責任にするような本かと思いきや、「こいつら」とはこの著者3人のことで...「のどから手が出る」「匙を投げる」など、ちょっと「なんでそんなふうに言うんだろう?」と思うような日本語の言い回しについて、この3人が好き勝手に雑談を繰り広げている本....で、実にくだらない(笑)。

「目クソ、鼻クソを笑う」なんていうけど、じゃあ耳クソの立場はどうなるんだ、とか、「耳をそろえて返してもらおう」って、「耳を貸す」ようなヤツから耳を借りたヤツはいったい何に使ったんだろうか、とか...。いくつかは写真が添えられていて「足留めを食う」「爪に火をともす」など...想像してみてください(^^)。.

お勉強になるように意図された本では全然なくて、ただただ馬鹿馬鹿しい本なんだけど、私にはかなり受けました(^^)。外山滋比古氏の「日本語の論理」を並行して読んでいたけど、ついついこっちのほうに手が伸びる(^^;)。で、その本の中で外山氏が「座談会記事というものは、速記のままで読み物になることはまず皆無。座談会の席で聞いていておもしろいときほど、あとで速記を読むと支離滅裂になっている」なんて言っておられる。で、これは、確かに支離滅裂。でも可笑しいのは可笑しい。まあもちろん編集は入っているんだろうけど、座談会の雰囲気はかなり伝わってくる感じがする。

あんまり気持ちや時間に余裕のないときに読むと、「何バカなこと言ってるんだ」「時間の無駄だ」と怒りたくなるかもしれない(^^;)ので、ヒマのある人におすすめします。暇って「つぶす」ものなんだ...なんて言いたくなるな、この本を読んだ後では。
日本語って豊かな言葉なんだなぁ、とは思えます(^^)。

4480032630こいつらが日本語をダメにした
赤瀬川 原平 南 伸坊 ねじめ 正一
筑摩書房 1997-04

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ヒネテーロ(キューバ)

今回のキューバ行きの前の海外旅行は2年前のトルコだった。トルコでは、旅人に親切な人が多く、最初はチャイをすすめられる度にちょっと警戒していたけど、たんに本当に旅人と話がしたい、とか旅人をもてなしたい、という人がほとんどなんだな、という印象を持った。で、その感覚でキューバを旅していると、あれ?という思いを経験することになる。昨日の「アメル横丁」を読んで既に「あれ?」と思われた方もいるのではないかと思いますが...

キューバに着いて3日目、旧市街をウロウロしていて、「どこに行くの?」とか「何を探してるの?」と親切に声をかけてくる人たちは、ほとんどの場合ヒネテーロ(jinetero) だった。日本語では「たかり」と訳される。話に興味をひかれて相手をしていても、結局、高い土産物屋やレストランに連れて行かれたり、何かをおごらされたり、「赤ん坊にミルクが必要で...」なんていう話になる(--;)。「キューバでアミーゴ!」のたかのてるこさんも書いていたけど、旅行者がいれば一緒に飲み食いして、支払いは旅行者持ち、というのが基本(全ての人がそうだというわけではないだろうけど)なのだ。経済力の違いを考えれば当然のことかもしれない(キューバの人たちが海外旅行するのはきわめてむずかしい。ビニャーレスへのツアーガイドさんの話では、外国人から招待してもらって費用も負担してもらう、というのでない限り海外にはまず行けない。国内旅行も簡単ではない。)けど、トルコでとても親切なもてなしを経験した次に行く国としては、やはりその落差がちょっときつい。

昨日のハバナ大学の学生も、町歩きの途中で、「ハバナ大学はお金がなくて、パソコンだって大学全体でたったの5台しかない。それでいろいろお金が必要だから、大学のやってるショップがあるんだ」という話を始めた。葉巻を売っている、という話だったのだけど、「帰国するときにアメリカを通らなきゃならないから、葉巻が見つかったら没収されてしまう」と言うと納得してくれ、それ以上は勧められなかった。アメル横丁で「モヒート(ラムのカクテル)を飲もう」という話になったときは、私も喉がかわいていたし、案内してくれたお礼という気持ちもあったので、私が支払った。さらに、私のほしいDVDを探すのを手伝ってくれた(結局見つからなかったけど)のだが、野球の師匠だという彼が、「DVDが見つかったらガイド料を払え」と言い出した。「大学としていろいろお金が必要だから、こうしてガイドしているんだ」と言うので、「別にガイドを頼んだわけじゃない。それにすでにあなたたちのモヒート代を払った」(彼らの要求するガイド料とモヒート代が同じだった)と言うと、「そうか」とあきらめて握手してさよなら。彼らが連れて行ってくれたところはおもしろかったし、最初からガイド料を払うことを前提としてのガイドだったらそれはそれで頼んでいたかもしれない。でも、最後にこんなふうに要求されるのはやはりあまり気分のよいものではない。革命広場が月曜日は閉まっている、というのも嘘だった。

ただ、「ハバナ大学にお金がない」というのは本当の話らしい。この日、後で「チョコレート博物館」(^^)というところに行ったとき、ハバナ大学に留学していた、という日本人の女性に会ったのだけど、彼女の話では「ハバナ大学にお金がないのはほんと。パソコン5台...は言い過ぎかもしれないけど...コピー機もこわれてるし、何もない。」とのことだった。彼らもしつこくお金を要求するわけでもなく、実際、大学のためにお金を集めていたのかもしれないけど...

多分、地方に行けばまた事情は違うのかもしれない。トルコの印象がすごくいいのは、田舎に行ったせいが多分にある。イスタンブールに数日滞在していただけだったら、おそらく印象はちがっていただろう。また、もちろん、キューバ人がみんなヒネテーロというわけではなく、日本人だとわかるとニコニコして「オチン」(テレビ番組の「おしん」のこと)とか「オキナワ、サトウキビ」とか、話し始めたりする人もいた。そういえば、「サヨナラ」といわれることが多かったな、「コンニチハ」じゃなくて。何故かわからないけど。ただ、私はスペイン語が話せないので、なかなかそれ以上話を深めることはできなかった。もしスペイン語ができればまた印象が違っていただろう。

ヒネテーロは男性だけど、ヒネテーラ(jinetera) という言葉もある。こっちは自分を売り込む女性。ビニャーレスへのツアーに行った日の夜、セントロハバナのミュージックスポット「カサ・デ・ラ・ムジカ」に行くと、私に手を振っている人がいる。見ると、ツアーバスで隣だったアイルランド人の男性だった(^^)。思いがけない再会に喜び合ったけど、その彼が言っていたのが、「ここで待ってる(開演が夜11時からだった)間に、すでにふたりの女の子に声をかけられたよ」とのこと。

社会主義国のキューバでは最低限の生活は保証されているし、教育、医療制度も充実している。それでも、ドルショップに並ぶ品物を簡単に買うようなお金はないから、機会があれば余分の収入を得ようとする。私がキューバ人だったとしても、やっぱりなんらかの方法でお金を得ようとしただろうな...ヒネテーラは無理だけど(^^;)。

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アメル横丁(セントロハバナ)

朝食をすませ、今日は新市街にある革命広場のほうへ行ってみようと思った。ハバナ大学の前で地図を見て方向を確認していたら、ハバナ大学の学生だという男性に声をかけられた。どこへ行くのかと尋ねられて「革命広場へ行きたい」と言うと「今日は閉まっている」と言う。新市街にあるゲバラ研究所が月曜休みなのは知っていたけど、広場が休みになるなんてありえないだろう。そう言ったけど、彼は「休みだ、入れない」と言い、「よかったら大学構内を案内してあげよう」と言うので、それもおもしろそうだと思ってついていくことにした。

ハバナ大学では外国人向けのスペイン語コースが開設されていて、日本人留学生も結構いるようだ。彼自身は心理学を専攻していると言っていた。大学の中庭にはどういうわけか戦車があって(彼の説明はいまいちよくわからなかった(^^;))、それを見ていたら、彼の野球の師匠だという人に会い、その人も一緒に街中を案内してくれることになった。

小学校(夏休みだけど、教材の搬入中だった)、サッカー選手のマラドーナが治療を受けたという病院、ゲバラとカストロが作戦を話し合ったというカフェ。

なかでもおもしろかったのは「アメル横丁」(Callejon de Hamel)という場所だ。サルバドール・ゴンザレスというアーティストが建物の壁一面にペインティングしていて、なんとも不思議な雰囲気。キューバにはサンテリアと呼ばれる民間信仰(アフリカ系の宗教とカトリックがミックスしたもの...かな)があり、その影響を受けたアートだということだ。「地球の歩き方」には載っていなかったので私は全然知らなかったのだけど、ロンリープラネットには載っているのかもしれない。ハバナの観光スポットとして有名らしく、日曜にはルンバの演奏が行なわれるという。

写真よりは動画のほうが広い範囲を映せるので動画をアップします。

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朝の散歩(セントロハバナ)

泊まっていた民宿では基本的に朝食は9時から。ツアーのときなど早く出かけなければいけないときは、頼めば早くしてくれるけど、そうでなければおかみさんもバケーション中なのでゆっくりしたい様子。朝食はパンとフルーツとコーヒー程度なので、「どこに何があるか言ってくれれば自分でするわ」と言ったのだけど、おかみさんとしてはやはり自分が用意したいようで...。というわけで朝7時半、私は空きっ腹を抱えてじっとしているのもつまらないので、散歩へ。もしかすれば何か食べられるかもしれないし。

Soji_2このあたりは古い街並みが残っている。人通りは少ないけど、掃除をしている人、出勤途上(?)の親子連れなどを見かける。カフェらしきところにたむろしている人たちがいたけど、カフェというよりはバーという感じで、食べ物はなさそう。Church2_224時間営業の店もあるのだけど、商品を手にとって選べるわけでなく、どうしても必要なものがあるときに来て品名を言って出してもらう、という感じだ。それ以外の店はまだ閉まっている。と、Dulce (菓子)と書いたトラックが店に何かを卸しているのが見えた。お店に行ったところ、菓子パンや小さなケーキがある(^^)。ところが「今は売れない」と言う(*_*)。スペイン語なので何を言われているのかよくわからないけど(--;)、「店は何時に開くのか」と尋ねたら「1時」。これは多分「1時間後」って言われたんだな、と解釈、9時半ごろにまた行ったときには売ってくれた(^^)。

教会があって、中には自由に入ることができた。ステンドグラスや天井画など、とてもきれい。スペインの植民地だったキューバにはカトリックの信者もいるようだ。月曜だったけど、毎朝8時からミサが始まるようで、数人の人がすわって待っていた。

Postoffice_2教会のすぐ近くには郵便局もあり、8時からのオープンを待ってすでにたくさんの人が並んでいる。キューバから葉書を出したら着くとか着かないとかミクシィで話が出ていたので、絵葉書を送ってみようと思ったけど、1枚の切手を買うために延々と並ぶ気はしなくてまた後で来ようと思った。ところがお昼ごろ見たときもまだまだ長い列(^^;)。というわけでそこで切手を買うのはあきらめた。後で、オピスポ通りという商店街に行ったとき、DHL(国際宅配便)を扱っている店があったので、切手が買えるか尋ねたら買うことができた。どこに送るのかと尋ねられて、日本だというと、料金を言われ、そのぶんの切手を貼ってくれて(絵葉書を持ち歩いていたので)葉書を預かってくれた。それが8月20日のことだけど、9月9日現在、まだ届いていない(--;)。それもゲバラの絵葉書だったんだけど、届くかなぁ...

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カバーニャ要塞

カバーニャ要塞では毎夜9時から大砲発火の儀式が行なわれ、これは人気があるので7時半には行ったほうがいい、と民宿のおかみさんに言われていたのだが、第一ゲバラ邸が思ったより早く閉まってしまったため、それよりずっと早く着いてしまった。まあ中にゲバラ博物館があるはずだから、と探したのだが、改装中で閉館しているとのこと。だが、武器博物館というのがあって、これがわりとおもしろかった。太古から近代までの武器をいろいろ展示してあるのだけど、「武器の発達は人間の文化だ」みたいなことが書かれていた。キューバでは兵役は義務(男子)だし、武器に対する感覚は私達日本人とは違うところがあるのだろうなと思う。

カバーニャ要塞には食事どころもいくつかあって、私としてはキューバで唯一レストランといえるところで食べた食事となった。(あ、ビニャーレスのツアーで食べたランチはレストランといえるかも。)運河をへだてた旧市街の眺めも素晴らしいし、大砲発火の時間が近づくにつれてみやげ物屋さんもいくつか並び始め、なかなか楽しめるところだ。

言われたように7時半には大砲の前に陣取っていると、だんだん人が増えてきた。夏休みのせいか子どもが多い。ピーナッツ売りの人が来たりするのもなんだか楽しい(^^)。9時10分前くらいに下の建物から男の人が出てきて、大砲へと向かってきた。スペイン風の衣装をつけ、朗々とした声で歌を歌い、大砲のまわりのタイマツ(?)にひとつずつ点火していく。その後の様子は動画でどうぞ。暗くて見にくいですが、雰囲気は伝わるのではないかと思います。この動画では発火の瞬間は映っていません。この後、弾込めが行なわれて、実際に発火。子どもたちは今か今かと待ち構え、「ボン!」「ボン!」とかしましい(^^)。で、実際に発火すると、それはそれはすごい音がして...しばらくして海にポチャンと落ちる音が聞こえました。

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第一ゲバラ邸宅

映画「モーターサイクルダイアリーズ」を見て以来ゲバラファンになった私は、ゲバラゆかりの場所にはできるだけ行ってみたいな、と思っていた。民宿のおかみさんに、「カバーニャ要塞の大砲の儀式はおもしろいよ」と勧められたので、夜9時からというその儀式を見に行くことに決め、その隣にある第一ゲバラ邸宅へ行くことにした。カバーニャ要塞の中にもゲバラ博物館があるということで、それも楽しみだった。

カバーニャ要塞は旧市街と運河を隔てた向こう岸にあり、海底トンネルを通っていかなくてはならない。幸い、大砲の儀式が遅いせいか、ゲバラ邸の開館時間も夜9時までということなので(地球の歩き方情報)、夕方まで旧市街をうろうろした後、タクシーでゲバラ邸へ。

ゲバラ邸に着いたのは4時半頃で、客は私ひとり。係の女性がついて案内してくれたけど、英語を話さない人だったので、いろいろ質問するというわけにはいかなかった。しかも展示の説明もスペイン語だけのものが結構あった(ーー;)。1階をざっと見て回った後、みやげ物コーナーに案内されたので、「2階の展示を見てから最後に来てもいいか」と尋ねたら、「店は5時にしまるから、今、買い物をしろ」と言う。店だけは5時に閉まるのかな、と思い、物色の結果、絵葉書3枚とTシャツを1枚買った。日本で見かけるTシャツのゲバラはちょっときびしい顔つき(下の壁の絵)をしているのが多いけど、私が買ったのは、この絵葉書の右下と同じ写真。絵葉書も笑顔の写真が多く、ますますステキな人だなぁと思ってしまう(*^^*)。Guevara

その後、トイレに行きたくなったので案内してもらったが、鍵が見つからず、結局、職員用のを使わせてもらった。水を流そうと紐をひっぱったらはずれてしまい(><)、あせって職員の人に言うと、落ち着いた様子で「いいのよ」...水は流れないものらしい??(ここ以外の公共博物館でも、水洗なのに水の流れないトイレというのは経験した。)
で、2階に行こうとしたら「もう閉館の時間だ」とのこと。「9時までじゃないんですか」と聞いても「5時までだよ。」それで終わり。

しょうがないので隣のカバーニャ要塞へ早めに行くことにする。地図で見ると隣なのですぐ行けるのかと思ったら、結構距離がある。やっと入口らしいところにたどりつき、係の人に「ここがカバーニャ要塞か」と尋ねたら、「そうだけど、ここからは入れないんだ。入口までまわってくれ」とのことで、強い日差しの下、またもテクテクと歩くことになった。何にも使われていない(と思われる)草ッぱらが広がっている。キューバでは家の新築というのがほとんど行なわれることがなく、若い2人が結婚しても、まずは親とともに住むのが普通だ、というようなことを、ビニャーレスへのツアーでガイドさんが言っていたけど、日本だったら、すぐに遊休地の活用とかを考えてしまいそうだ...

Guevara2ゲバラの似顔絵は、町を歩いていても時々見かけた。ゲバラは歌にもなっていて、旅行中も耳にすることがあった。いくつかある歌のなかで、何度か聞いた(観光客向けなのかな) "Hasta Siempre" というのを聞いてみたい方はこちら。 帰国してから、「チェ・ゲバラ 人々のために」というDVDを見て、ゲバラは、キューバ政府の要職に就いた後も、日曜には労働奉仕にでかけるような人だったと知る。演説をしているシーンなどが映っていたが、ちょっとはにかんだ様子とか、実に魅力的な人なのだ...って、実際、彼が書いたものを読んだわけでもなく、私もやっぱり見てくれにまどわされているかなぁ(^^;)...

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ハバナ乗り物コレクション

台風で保育園が休み(^^)。
というわけで、キューバ旅行の写真から、ハバナで見かけた乗り物を集めてみました。
町の人たちの足である大きなバス「カメージョ」、ココナッツをイメージしたかわいいココタクシー、「これが現役?」と言いたくなるようなクラシックカー。もっと大きな写真で見たいときは、気になる写真をクリックしてください。(ただし最初のカメージョの写真だけはこれ以上大きな写真は見られません。)

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ビデオ「ヒバクシャ」

日本人の作った「ヒバクシャ」という映画なのだから、広島、長崎の話が出てくるものと思っていたら、まず出てきたのはイラクの映像だった。湾岸戦争の後、イラクの子どもたちに白血病が増えている。考えられるのは米軍によって使用された劣化ウラン弾の影響だ。ところが経済制裁のせいで薬が十分にない。親も医者も子どもに薬を与えてやりたいが、ないものはどうしようもない...そうして子どもたちは亡くなっていく。

監督の鎌仲ひとみさんは、日本で被爆者に会う前に、イラクでヒバクシャに会い、それが映画を作るきっかけとなった。原爆によって直接被爆した人だけでなく、様々な形で放射能を体内に取り込んで「被曝」した人がいる。この映画で主に描かれているのはそうした低線量被曝を経験した人たちだ。

イラクでヒバクシャに会った鎌仲さんは、日本に帰ってから日本の被爆者の人たちの話を聞く。そのなかで、自身ヒバクしながら、ヒバクシャ治療を続けてこられたお医者さんにいろいろな話を聞いて、さらにその人とともに渡米して、アメリカのヒバクシャの話を聞きにいく。

ワシントン州ハンフォードには大規模な核製造工場があり、その風下地域の住民の健康被害がその工場のせいなのではないかと疑われ始める。そしてアメリカ政府は、なんと、その工場が意図的に放射線物質を風下にばらまいてどのような影響が出るかを調査していた、という事実(!)を認めながらも、その事実と健康被害との因果関係については認めない!その地域は大規模な農業地域でもあり、農民としても、放射線による汚染のある作物だというレッテルを貼られては困るから、その因果関係を認めようとしない...!そしてそこの作物は日本に輸出されていたりするのだ...

鎌仲さんの立場が核に反対であることは、映画を見ていると伝わってくる。でも、彼女は取材するにあたってはいろいろな立場の人の話を聞くために、あまり自分の立場を明確にはしない。見ていて歯がゆくなることもあるけど、そうでないと話は聞けないだろうな、とも思う。

広島、長崎のことも、もちろん忘れてはならないことだけど、低線量被曝は、今の私達に直接関係のある事柄だ。彼女が、この映画を作ったあと、六ヶ所村を取材に行くことになったいきさつがスムーズにつながる。日本だけでなく、イラクで、アメリカで、世界各地でヒバクしている人がいる...そして、それは他人事ではないんだ...

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革命博物館(キューバ)

キューバにいたのは短期間なのに、旅行に行った本人は書きとめておきたいことがいろいろあって...でも、キリがないので、適当にはしょりながらしつこく続けます(^^;)。

ツアーに行った翌日は、旧市街の観光へ。まずは革命博物館。革命軍と政府軍が戦っていた頃、政府軍によって使われていた拷問の道具、革命軍の司令官の着ていた服や使っていた銃、伝令のために使われていた人形...それらの物が、キューバ革命の歴史がわかるような説明とともに順を追って展示されていて、ほとんどの説明には英語訳もついていた。

なかでも私が興味を惹かれたのは革命後の政府の政策を説明した展示だ。就学前の子どものための保育所を作ったこと、障がいを持つ子にも教育を保障していること、病気の子どもを持つ親は安心して休めるシステムがあること、医療施設が充実していて世界にも貢献していること、などなど。さらにCIAがキューバに撒き散らした何かのせいで病気になった子どもがいる、など、アメリカとの確執をうかがわせる展示もちらほら。

革命博物館の外は「グランマ号の思い出広場」になっていて、戦闘機やその残骸が展示されている。カストロやゲバラがキューバ革命を起こすときにメキシコから乗り込んだという肝心のグランマ号はどこにあるのかわからず警備の人に尋ねたら、広場の真ん中に厳重に囲いをされて置かれていた。誰かがグランマ号を傷つけるかもしれない、と心配しているのだろうか。この広場でも、たとえばピッグズ湾事件のときに撃ち落とされた飛行機の残骸の説明に、「ひとりのアメリカのパイロットの死体は18年間キューバ国内にとめおかれたままで、アメリカ政府はそれを公式に取り戻そうとはしなかった。そんなことをしたら、政府が直接キューバ侵攻に関わったことが世界にばれてしまうからだ」などとあり、キューバとアメリカのややこしい関係を感じさせられる。

Cretionosもう一度建物の中にもどって気づいたのが「ばか者コーナー」。ブッシュ、レーガン、バチスタ(キューバ革命で打倒された)の3人の大きな似顔絵が描かれ、それぞれの横に少しずつ文章を変えて、「キューバ革命を確かなものにしてくれてありがとう!」と書かれている。これだけおおっぴらにアメリカに喧嘩を売っている国って他にあるだろうか(^^;)。アメリカの目と鼻の先にあっても、直接は飛べないわけだ。

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ビデオ「プロミス」Promises

とてもおもしろかった。イスラエル、パレスチナの子どもたち7人の生活を追いながら、彼らがそれぞれ相手に対してどんな思いを抱いているのかを聞いていく。取材が開始されたのが1995年、撮影は1997年、1998年、2000年のアル・アクサ・インティファーダが始まる前の比較的平穏な時期に行なわれ、2001年に編集が終わって完成した。

イスラエルの子ども、といってもみんな同じじゃない。エルサレムに住む、比較的リベラルな考えを持つ両親の元で育った子、超正統派ユダヤ教徒の子、ヨルダン川西岸の入植地に住む右派の子ども。パレスチナ側も、難民キャンプに住む子とエルサレムに住む子が登場する。

みんなもちろんカメラは意識しつつも、子どもらしい率直さで思いを口にする。子どもによって、かなりネコをかぶっていると思える子と本音をしっかり出していると思える子はいるけれど。

監督は3人で、それぞれ生まれ育ったところが違う。DVD の特典映像で監督達のインタビューを聞いていると、もともと「こういう映画を作ろう」というはっきりしたコンセプトがあったわけではなく、あったのは「子どもたちはいったいどんなふうに考えているんだろうか」という疑問だった。そして取材を続けるなかで、こういう映画ができあがった。3人の監督のうちのひとりB.Z.は、ヘブライ語とアラビア語を話し、それぞれの子どもたちとかなり深く関わるなかで、自身、映画の登場人物のひとりとなっていく。

おたがいを敵だと思っている子どもたち。あるとき、B.Z.は、その子達それぞれに、「会って話をしてみないか」と提案した。子どもたちの反応は...

この映画が撮影された時期と今とではまた状況が違う。結局、この映画は大勢になんの影響も及ぼさなかった、と言うことはできるけれど、子どもたちの中に希望は見つけられるかもしれない、とは今も思う。

(以下ネタバレ)

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映画「オフサイド・ガールズ」Offside

イランでは女性は競技場でサッカー観戦をすることができないーという話はブログ「イランという国で」で読んだことがあったけど、そのタブーに挑戦した女の子達の話。イランのワールドカップ出場がかかった大事な試合で、男装して競技場にもぐり込もうとしたのだ。しかし、セキュリティに女だと見破られ、試合観戦はさせてもらえず、場外の囲いの中へ連れて行かれる。そこにはそんな女の子が数人。これから処分を受けることになるのだが、そこでも場内の熱狂は伝わってきて、彼女達は試合の経過が気になって仕方ない。警備をしている兵隊達も試合は見たい...

私はサッカーにうとく、キューバで「マラドーナが治療を受けた病院」とかに案内されたときも、「マラドーナって何?」と訊いてしまったほどだ(^^;)。でも、甲子園での阪神戦は何度か見に行ったことがあるから、生で試合を見るのがどういうものなのかはある程度わかる。サッカー好きなら、やはりスタジアムで直接応援したいだろう。

それなのに何故女は観戦できないのか。ひとりの女の子は率直に警備の兵士に尋ねるが、返ってくる答えは歯切れの悪いもの...

これを製作したのがイラン人の男性だというのが頼もしい。この女の子の疑問はそのまま監督の疑問でもあるのだろう。それを「女性の権利云々」という固い切口で真正面からとりあげるのでなく、元気な女の子達と心優しい男性陣とのコミカルなやりとりに仕上げているのが楽しい。一緒に試合の興奮を体感できるようなワクワクした気分で話がすすむから、最後はちょっと私には物足りない感じがしたけど...

今日はもう一本、「長江哀歌」を見た。こちらは、淡々と話がすすんで、中国の事情をよく知らない私には、いまいち話がわからなかった(^^;)。

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