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カバーニャ要塞

カバーニャ要塞では毎夜9時から大砲発火の儀式が行なわれ、これは人気があるので7時半には行ったほうがいい、と民宿のおかみさんに言われていたのだが、第一ゲバラ邸が思ったより早く閉まってしまったため、それよりずっと早く着いてしまった。まあ中にゲバラ博物館があるはずだから、と探したのだが、改装中で閉館しているとのこと。だが、武器博物館というのがあって、これがわりとおもしろかった。太古から近代までの武器をいろいろ展示してあるのだけど、「武器の発達は人間の文化だ」みたいなことが書かれていた。キューバでは兵役は義務(男子)だし、武器に対する感覚は私達日本人とは違うところがあるのだろうなと思う。

カバーニャ要塞には食事どころもいくつかあって、私としてはキューバで唯一レストランといえるところで食べた食事となった。(あ、ビニャーレスのツアーで食べたランチはレストランといえるかも。)運河をへだてた旧市街の眺めも素晴らしいし、大砲発火の時間が近づくにつれてみやげ物屋さんもいくつか並び始め、なかなか楽しめるところだ。

言われたように7時半には大砲の前に陣取っていると、だんだん人が増えてきた。夏休みのせいか子どもが多い。ピーナッツ売りの人が来たりするのもなんだか楽しい(^^)。9時10分前くらいに下の建物から男の人が出てきて、大砲へと向かってきた。スペイン風の衣装をつけ、朗々とした声で歌を歌い、大砲のまわりのタイマツ(?)にひとつずつ点火していく。その後の様子は動画でどうぞ。暗くて見にくいですが、雰囲気は伝わるのではないかと思います。この動画では発火の瞬間は映っていません。この後、弾込めが行なわれて、実際に発火。子どもたちは今か今かと待ち構え、「ボン!」「ボン!」とかしましい(^^)。で、実際に発火すると、それはそれはすごい音がして...しばらくして海にポチャンと落ちる音が聞こえました。

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コメント

ここにゲバラの執務室もあったんですねえ…。 できたのは1763年のようですから、思ったより新しいですね。 ちょっと調べてみたら、キューバで一番古いフエルサ要塞は1538年から1544年に掛けて作られたとありました。

ちなみに奴隷を送り出す方のケープ・コースト(ガーナ)にポルトガルが砦を築いたのは15世紀末で、城をオランダが奪取したのが1637年、スウェーデンが城を拡張したのが1652年、イギリスが占領したのが1664年と、17世紀に目まぐるしく所有者が変わっています。

投稿: axbxcx | 2007.09.09 00:57

axbxcx さん、

そう、ゲバラの執務室があったらしいですね。見られなくて残念でした。見たからどうと言うことはない気もしますが(^^;)。

ハバナにはいくつか要塞がありますが、フエルサ要塞とカバーニャ要塞で出来た時期がそんなに違うというのも知りませんでした。その時期にまた新たに作られたのは何か理由があったのでしょうね...

投稿: じゃりんこ | 2007.09.09 01:12

じゃりんこさん、1762年、ハバナは陸路から迂回して来たイギリス軍に11ヶ月間占領されたそうです。 それで陸路からの襲撃に備えるため、1774年にスペインが築いたのがこのカバーニャ要塞だとか。

前のコメントにケープ・コーストのことを書きましたけれど、どこでも同じようなことが繰り返されていたんですねえ。

投稿: axbxcx | 2007.09.09 08:36

じゃりんこさん、訂正です。 年代が混乱してしまいましたが、カバーニャ要塞(La Cabaña; Fortaleza de San Carlos de la Cabaña; Cabana Fortress)は1763年に作り始めて1774年に完成したようです。

投稿: axbxcx | 2007.09.09 08:46

axbxcx さん、

ていねいに調べていただいてありがとうございましたm(^^)m。イギリスに占領された時代もあったんですね。

以前、axbxcx さんのブログで奴隷を拘束するのに使った道具なんかが載っていたことがあったなぁ、と思って見てみたら、大砲の写真なんかもありますね。カバーニャ要塞で使われたのも同じような弾でした。本当にどこでも同じようなことが繰り返されていたんですね。

投稿: じゃりんこ | 2007.09.09 08:53

じゃりんこさん、若い頃フロリダにいたことがあるので、スペインの作った砦の跡には親近感?がありました。 ドミニカ共和国の仕事をしたときも、サント・ドミンゴにはゾナ・コロニアルというスペイン植民地時代の街(最初の提督はコロンブスの弟)が残っていましたし、コロンブスの遺体もありましたから…。

さらに言えば、日本から行った移民の方々(いわゆるドミニカ移民)が苦労されたのも、隣りが社会主義国ハイチで、多くの方々がバッファーとして国境の荒地に入植させられたことが背景にありました。

映画「13デイズ」やマクナマラの"The Fog of War"を観ても、あるいはロバート・ケネディの"Thirteen Days"を読んでも、本当に危機一髪だったということには寒気がします。 "The Fog of War"には、後にキューバを訪問したマクナマラがカストロに質問した話が出て来ますが、あのとき核弾頭は既にキューバにあって、しかもカストロはフルシチョフにミサイル発射の許可を求めていたと言うのですから…。

投稿: axbxcx | 2007.09.09 11:18

axbxcx さん、

ほんとまさに一触即発の危機だったわけですよね。「13デイズ」も「フォッグオブウォー」もどちらも映画としてはおもしろかったという記憶はあります。詳細はよく覚えていませんが(^^;)。

今回、キューバに行ってキューバとアメリカのややこしい関係を感じることはよくありました。ただ、みんなアメリカが嫌いかというとたぶんそうでもなくて、ディカプリオやハワイのTシャツを着た人を見かけたり、音楽もアメリカの曲を聞いたりしました。地元の人たちのミュージックスポットといわれている「カサ・デ・ラ・ムジカ」でも "I will survive" が歌われたり...。不満分子排除のためなど、合法的にアメリカへ亡命することが認められたこともあったらしいし、今もアメリカの家族となんらかの形でコンタクトをとっている人もいるのかもしれません(むずかしいだろうとは思いますが)。ただ豊かな生活への憧れというのはやはりあるでしょうね。

投稿: じゃりんこ | 2007.09.09 11:54

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