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映画「友だちのうちはどこ?」KHANE-YE DOUST KODJAST?

イランのアッバス・キアロスタミ監督の名前を知ったのは映画「明日へのチケット」を見たとき。エルマンノ・オルミ、アッバス・キアロスタミ、ケン・ローチという3人の監督による共同制作ということで話題になった(?)が、私はケン・ローチ以外の人についてはまったく知らなかった。

で、キアロスタミの担当した部分は、傲慢な女性とその人の世話をする若者の話。この女性のわがままぶりは、見ていて気分が悪くなるほどで、気持ちのよい話ではなかった。でも、なぜかいろんな場面をよく覚えている。

で、先日、図書館でビデオ「桜桃の味」を借りて見てみた。カンヌでパルムドールを受賞したというキアロスタミ監督の代表作のひとつ。自殺の手助けをしてくれる人を探す男の話で、ラストは私には理解不能だったけど、ひとりひとりの人物の表情とかが印象に残る作品だった。

「友だちのうちはどこ?」は、小学2年生の男の子が、持って帰ってきてしまった友だちのノートを友だちのうちに届けに行く話。1987年の作品だから、今から20年前。ノートではなく紙に宿題をやってきた友だちが先生に叱られていて、「今度やったら退学だ」と言われていた。その友だちのノートを持って帰ってきてしまったのだ。

イランの教育方針というのは当時も今もあんな感じなんだろうか。子どもは大人に従うもの。口答えは許されない。この先生も権威をかさにきて、子どもの気持ちを思いやるとか、ひとりひとりの子どもを尊重しようとか、そういう姿勢は感じられない。親もそうだ。「なんとか今日中にノートを届けなければいけない」と一所懸命に説明しようとする子どもにまったく耳を貸さず、「とにかく宿題をしろ」と言い、次々と雑用を言いつける。アメリカ的な教育観(私も基本的にそういう教育観の持ち主だと思う)からすると、ひどいなぁと思う。でも、そんな教育を受けながら、イランの子ども達は優しい心を育んでいくのだろうか。

友だちにノートを届けなければ、と一所懸命説明しても母親から許可をもらえない。大人の言うことには従わなければいけないんだけど、自分のせいで友だちが退学になっては大変、と、少年は親に逆らうことになっても届けに行くことを決意する...

少年の一所懸命な様子が心地よく、なんとか家を見つけられるといいなぁ、と願いながら見てしまう。ラストはちょっとほっとさせられた(^^)。

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映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

じゃりんこさん、その教育方針はイランだけのものではなく、モスレム、誤解を恐れずに言えば一神教全てにつながるものだと思っています。 いずれにせよ世の中には唯一の真理あるいは正解があり、教師はそれを教える立場として絶対…、そんな気がします。 「運動靴と赤い金魚」と同じマジッド・マジディー監督の「太陽は、ぼくの瞳」の学校のシーンでもそんなことを感じました。

私はパウロ・フレイレ(参加型開発の教祖の一人。「被抑圧者の教育学」)の信奉者ですから、「1.教師が教え、生徒は教えられる」「2.教師がすべてを知り、生徒は何も知らない」を排しようという考えですが…。

投稿: axbxcx | 2007.10.20 09:44

(追伸)どこかで読んだことがあるのですが、そのような「絶対的教育」の場面自体が、体制への批判の表現になっていると…。

投稿: axbxcx | 2007.10.20 09:47

axbxcx さん、

キリスト教も一神教でしたっけ?だとしたらそこまではいえない気もしますが、アメリカについていえば、基本的には政教分離で、学校はキリスト教的世界観で教育を行っているわけではないですから、キリスト教的な教育方針はまた別のものかもしれないわけですね。考えてみれば、民主主義とキリスト教って相容れない気もします。

アメリカ的な教育だと、子どもが自分で考える力を大切にしよう、とするわけで、親や先生に向かっても、自分の意見が言えるのはいいことですよね。(親や教師への口答えは許さない、という姿勢の人もいますが)
でも、この映画のなかで、おじいさんたちが話している内容が印象的だったのですが、子どもをしつけるためには殴らなければいけない、すごくいい子でも何か理由を見つけて4日に1回は殴れ、とか、むちゃくちゃな話で...。でも、映画のなかに出てくるイランの子ども達、みんなかわいいんですよね。休み時間になれば元気いっぱいで、あばれたい気持ちはどこの子どもも一緒なんだなぁと思わせられるのに、大人には逆らわない。
アメリカの子どもは言うことをききません(--;)。もちろんみんなではないですが。人をたたいたり、部屋の中でものを投げたり、してはいけないことをわかっていてもするし、それをとがめられると大人に向かって唾を吐くとか、なかなかすごいです(--;)。「大人のいうことはきけ」というふうには教えたくないし、権威に従順な子どもに育てたくはないですが、イラン的な教育方針のほうがいいのかなぁ、なんて思ってしまいます...思ってませんが(--;)。

>そのような「絶対的教育」の場面自体が、体制への批判の表現になっていると

そういう教育方針に疑問を持つ人もイランのなかには増えてきているのでしょうかね。
映画「オフサイドガールズ」では、自分の意見をしっかり言える女の子が育っているのが見えて、頼もしく思いました(^^)。

投稿: じゃりんこ | 2007.10.20 10:18

送信ミスをしたかも知れないのでもう一度書き込みますが、ダブル投稿になってしまったら削除お願いします。

じゃりんこさん、私が敢えて『誤解を恐れずに言えば』と書いてしまったのは、基本的には私が進化論者だからです。 もう亡くなってしまいましたが、Stephen Jay Gouldのエッセイの愛読者でした。 米国では進化論を信じていない人が多い(というよりあまり教えていない)訳ですが、信じていても進化に方向性がある(要するに人間が一番エライ)と思っている人が多いのはキリスト教のせいだとGouldは書いていました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E5%8C%96%E8%AB%96%E8%A3%81%E5%88%A4

私もアメリカの大学の一種の自由さは知っていますし、「教育と訓練」について書いたこともあったと思います。 「正解を叩き込む訓練」は間違いなく日本の得意技です。 けれども自らの価値観とは異なる多様性を認めるというような基本的なところで、一神教の影響はあるのではないかと思っています。 例えば白黒を明確にするというのは一神教の典型的なアプローチではないかと…。 ディベートではなくダイアログをと言うのが私の基本的なスタンスですが…。

いずれにせよ一神教の批判をするつもりは全くなく、一神教の陥り易い問題点あるいは弱点を指摘しておこうと思っただけです。

投稿: axbxcx | 2007.10.20 11:53

axbxcx さん、

ちゃんとキリスト教のことを意図して言っておられたわけですね。私はアメリカの教育とキリスト教の教育をごっちゃにしていました。

アメリカ人は、教会に行かない人でも基本的にキリスト教を信じている人は多いという印象があります。政教分離といっても、クリスマスは国民の祝日ですし...

>自らの価値観とは異なる多様性を認めるというような基本的なところで、一神教の影響はあるのではないか

これはよくわからなかったのですが...素直に読むと、「一神教は異なる価値観を認める」というふうに読めますが、そういうつもりで書かれたのでしょうか。普通に考えると一神教では異なる価値観を認めたがらない気がしてしまうので。

うちの保育園では、多様性を認めることはとても重視されています。今の園長先生は、熱心に教会に通うキリスト教信者(宗派までは知りません)ですが、教室に様々なカルチャーがあふれているような状況を望んでおられます。私の部屋にはもっと日本的な色合いが出てほしい、というようなこともおっしゃいます。
ムスリムの人が豚肉を食べたくないのは当然で、そのような希望はもちろん尊重されますし、クリスマスを祝うことも(公には)しません。

ただ、民主主義的な価値観に対立する価値観があれば、徹底的に排除されるでしょう。多様な文化は認めるけれど、ゆずれない価値観はある、という感じはします。

ただ、現実のアメリカを見ていると、いろんな面でダブルスタンダードというのを感じますが...。

投稿: じゃりんこ | 2007.10.20 13:23

じゃりんこさん、キリスト教よりもモスレムにその傾向は明らかなような気がしたので、それで「モスレム、誤解を恐れずに言えば一神教全て」という書き方にしました。 ただモスレムもキリスト教もユダヤ教から出て来たという意味では同根と理解しています。("Sophie's World"は新鮮でした。)

> 「一神教は異なる価値観を認める」

文脈からそうでないことは明らかだと思います。(苦笑) 一神教だから正邪、黒白があるという話をしているんですから…。 一神教はその成り立ちからして排他的にならざるを得ないということです。

先ほどのウィキペディアにもあるように、GWブッシュが大統領になって以来米国ではキリスト教原理主義がますます強くなってきており、インテリジェント・デザインなども出てきたりしているので、その進展は注目していました。

また海外で園長をされるような方はそのような見識をお持ちなのでしょうが、米国のバイブル・ベルトと呼ばれるような保守的な地域の人たちもそうかどうかは疑問があります。

投稿: axbxcx | 2007.10.20 15:00

axbxcx さん、

多様性の尊重というのは、海外で園長をしているような人だから、というよりも、軍の方針だと思います。たぶん、公立学校全般に原則としてはそうなんでしょうね。

アメリカの建国の中心となったのはイギリスから渡ってきた人たちだけど、その後移民を受け入れて成り立ってきたわけですから、多様な人たちがどう共存していくかっていうのはいつも国の大きなテーマだったんですよね。

紹介していただいたウィキペディアの記事は勉強になりました。機会があったら同僚ともいろいろ話してみたいと思います。

投稿: じゃりんこ | 2007.10.20 19:15

じゃりんこさん、私も米国の建国の理念のようなものは好きですし、もう25年くらい前の話になりますがしばらく住んでいたこともあって、実は南部にも愛着があるのです。(南部とは言っても西端のオクラホマと南端のフロリダで、その後フィラデルフィアに行きました。)

また公民権運動、ベトナム戦争などを通じて人種差別が減り、多様性がより認められるようになったことも間違いないと思っています。 ただ、じゃりんこさんも書かれていたようにダブル・スタンダードのようなものはあると思いますし、特に習慣とか文化というような言ってみれば表面的な多様化は進んだとしても、根本的な価値観に関わる部分(それがキリスト教であり米国型の民主主義なのではないかと思っているのですが…)については、まだまだ閉鎖的なのではないかと考えている訳です。

もっとも、私自身が一神教から距離を置くようになったこと自体が米国を知ったからであり、ずっと日本にいたらそうはならなかっただろうと思っています。

投稿: axbxcx | 2007.10.21 00:03

axbxcx さん、

>私自身が一神教から距離を置くようになったこと自体が米国を知ったからであり、ずっと日本にいたらそうはならなかっただろうと思っています。

それはおもしろいですね...確かに、そういうことってありそうな気がします。

今、「グッドシェパード」を見てきました。CIAの重要なメンバー(マット・デイモン)が任務にかかわる姿をその私生活をからめて描いた作品なんですが、アメリカの多様性とか価値観とかいうことに関してすごく印象に残ったセリフがあったので、ちょっとネタバレになってすみませんが、書かせてください。

マット・デイモンが、情報を握ると思われるイタリア系の男のところへ話を聞きに行ったとき、そのイタリア系の男がマットに尋ねます。

「われわれイタリア人にはファミリーがあるし、教会もある。アイルランド人には故郷があり、ユダヤ人には伝統がある。ニガーですら、自分の音楽といえるものを持っている。あんたたちはどうだね、何を持っているのかね?」
あんたたち、というのはイギリス系の白人をさすのだと思われますが、それに対するマットの答えがすごい。
少し間があって、
"The United States of America. And the rest of you are just visiting."
...です。
マットをCIAのメンバーとして勧誘するロバート・デ・ニーロのセリフには、「黒人やユダヤ人では困るんだ」というものもありました。「一口にアメリカ人といったって同じじゃないんだ」という感覚は確かにあったのでしょうね。

映画は登場人物が多く、時代も行ったりきたりして、話がごちゃごちゃとわかりにくかったです(^^;)。マット・デイモンはよかったですけど。キューバに行ったばかりの私にはそれなりに興味のある話がでてきて、167分、眠くなることもなかったですが、うちの娘達なら間違いなく寝るでしょうね(^^;)。

投稿: じゃりんこ | 2007.10.21 00:59

じゃりんこさん、それは面白い台詞ですね。 でもまったく違和感はありませんが…。 読んでいてまず「ペッピーノの百歩」の場面が頭に浮かび、それから「屋根の上のバイオリン弾き」の"Tradition!"と唄うところが…。(「ノーマ・レイ」の"History."もスゴイと思いましたが…。)

まあイギリスがフランス、スペインに勝ってできた植民地ということなんでしょうね。 奴隷を送り出したガーナ側では15世紀の終わりに最初に奴隷貿易を始めたのがポルトガルだったのが、デンマーク、オランダ、ドイツが争って、最終的にはイギリスが支配した訳ですが、どこも基本的には同じようなパターンだったのかも知れません。

私の方は今日は小津安二郎の「麦秋」を観ていました。 そうそう、先週はフィラデルフィア美術館展に行って来ました。 アンリ・ルソーの「陽気な道化師たち」とか懐かしかったです。 妻はエドゥアール・マネの「キアサージ号とアラバマ号の海戦」という絵が印象に残ったと言うのですが、フランスのシェルブール沖で南北戦争をやっていたとはビックリです。

投稿: axbxcx | 2007.10.21 01:32

axbxcx さん、

「ペッピーノの百歩」も「屋根の上のバイオリン弾き」も見てません(^^;)。

フィラデルフィア美術館展ですか、いいですね(^^)。
私達は、ジブリの背景を描いた男鹿和雄展というのに行きたかったのですが、すごく混んでいるというので、結局3人の都合のあう日がなく、断念しました。

>フランスのシェルブール沖で南北戦争

そうなんですか。それはビックリです。

投稿: じゃりんこ | 2007.10.21 08:50

じゃりんこさん、遅レスです。 進化論と宗教の関係について、こんな記事があるのを見つけました。

聖書に書かれているような形(アダムとイブ?)で神によって人間が創造されたと考える米国人の比率53%、女性では60%、所得2万ドル以下では70%、プロテスタントでは66%(カトリックは38%)…。 なかなか興味深いです。

http://www.templeton-cambridge.org/fellows/grossman/publications/2005.10.10/the_whole_world_from_whose_hands/

投稿: axbxcx | 2007.11.08 09:40

axbxcx さん、

おもしろい記事の紹介、ありがとうございました。
聖書に書かれているような形で神が人間を創造したと考えている人が半数以上なんですね。建前ではなく、本当にそう信じているのかなぁとちょっと思ってしまいます。神を信じるというのはそういうことなんでしょうが...
カトリックよりプロテスタントのほうがそう信じている人が多いとか、収入によって違いがあるというのも興味深いですね。
サンプル数は1005人とのことで、そんなに多いわけではないですが、宗教や収入の違う人を万遍なく抽出しているんでしょうかね。地域的な広がりもどのくらいあるのでしょうね...また別の調査機関が別の人たちに調査を行えば、違う結果は出るかもしれません...でも、基本的にはそんなに変わらないのかな。

「もし進化論を信じるなら、あなたの命は偶然生まれたということになってしまうんだよ」というのを読んで、ほとんど笑いそうになってしまいました...自分の信じることを吐露しているだけで、何の説明にもなっていないですよね...

axbxcx さんとこの話をしてから、3人ほど、同僚に聞いてみたんですが、みんなキリスト教信者ではなかったので...信者の園長先生とはもっと別な問題で話し合わなければいけない(--;)のに、おたがい忙しくて時間がとれず、なかなかこんな話まではできそうにないですが、またそのうち機会があれば信者の人の話を聞いてみたいです。

投稿: じゃりんこ | 2007.11.08 20:31

じゃりんこさん、まあいわゆるセンサスでない限り、どんな調査もそんなものではないでしょうか。 私の感覚では問題はサンプル数ではなくサンプリングそのものそして質問の仕方で、そこを確かめるのは至難の業という感じがします。 逆に言えばサンプリングも質問の仕方もいい加減な調査が多いのではないでしょうか。 そこがいい加減だったら、信頼度も何もないと思いますが…。

ただ、数字は楽ですから、引用するとなると数字ばかりになってしまいます。 自分では数字は使っても個別のケースとして使うだけで、平均値とか統計はできるだけ使わないようにしていますが…。

昨日、ようやく「幸せになるためのイタリア語講座」を観ました。 私はやっぱり結構好きです。 主人公は「ミフネ」と同じ。

その前に「幸福(しあわせ)」という1965年のヌーヴェル・ヴァーグ作品を観たのですが、ドグマ95ってやはりヌーヴェル・ヴァーグの影響を受けているのでしょうか。 ロケ中心(手持ちカメラ)、音響の使い方…。 みなさんのコメントを読んでいると、「作り過ぎ」を拒否するということを理解しない人は拒絶反応を示すようですが…。

投稿: axbxcx | 2007.11.09 08:32

axbxcx さん、

そうですね、サンプル数よりもサンプリングの仕方のほうが問題でしょうね。

「幸せになるためのイタリア語講座」、よかったですか。私は「作りすぎを拒否する」人ではないのでしょうね、きっと。先日、「太陽の帝国」っていうスピルバーグの作品を見たんですが、あれなんかも作りすぎの部類に入るのかもしれません。製作者の意図を感じる部分があるんですが、私は見事にそれにはまってしまいます。スピルバーグがあんな作品をとっていたとは全然知らなくて(話題になりましたっけ?)、私には結構おもしろかったです。たぶん、作りすぎの作品のほうが作為のない作品より私は好きなんだろうな、と思います。

ヌーヴェル・バーグはよく知りません(^^;)...

「ミフネ」、「少年、機関車に」のほうのコメントに書いたのですが、ディスカスに問い合わせたところ、著作権などの問題により、DVDはレンタル化されていないそうです。ビデオはレンタル化されていますが、ディスカスではDVDのみしか取り扱いがないので...。もし、レンタルビデオショップなどで見かけたり、何かの機会があれば見てみたいと思います。

投稿: じゃりんこ | 2007.11.09 18:09

じゃりんこさん、「ミフネ」確かにビデオテープでした。 「幸せになるためのイタリア語講座」、作っていないのは撮影の方で、脚本はこれ以上ないくらい作られてましたね。 何しろ主要登場人物がそのまま全員カップルになってしまうのですから、こんなに効率のいい映画はありません。 登場人物が少ない割に話が複雑と言うか、話は複雑なんだけれど登場人物が少ないからわかりやすいと言うか…。(^_^) いずれにせよ「結構好き」は「すごく好き」ではありません…。

「太陽の帝国」は零戦とか飛行機のシーンと音楽しか覚えていません。 そういう意味ではスピルバーグにしては極めて「芸術的」な映画だったのかも…。

今日はケーブルテレビで初めて「リトル・ランナー」を観ました。 想像どうりの組み立てではあるのですが、やはり感動すると言うか、そんな感じでした。 それと原題が"Saint Ralph"というくらいで、かなりカトリック的な映画なのは意外でした。 信仰の定義とか奇跡の定義とか、勉強になりました。 「ベルリン、僕らの革命」にも使われていた「ハレルヤ」はいい曲ですねえ。

投稿: axbxcx | 2007.11.09 18:38

axbxcx さん、

ミフネ、やっぱりビデオでしたか。ビデオでレンタル可能ならDVDでも...って思ってしまいますが、やはり簡単に高品質のものが複製できてしまうのがネックなんでしょうかね。
私はトライしたことがないのでわかりませんが...

「太陽の帝国」、冒頭で少年合唱団の歌声が響くんですが、とてもきれいな声で...本当に少年時代のクリスチャン・ベールが歌っているんだったらすごいなと思いましたが、吹き替えだそうです。suo gan という、ウェールズ地方の子守唄だそうで、私はドイツ語か何かかと思ってしまいました。
特に「芸術的」な映画だという感じは私にはしませんでした。上海の外国人居留区に住んでいた少年が日本軍の捕虜収容所に送られる、という設定が興味深かったです。まあ、私の場合も「結構おもしろかった」は「すごくおもしろかった」ではないですけど(^^;)。

「リトル・ランナー」は見ていません。どこかの映画館で予告編は見ましたが、もし全編見たら、きっとaxbxcx さんの書かれたような感想を持つのだろうな、と思います。

投稿: じゃりんこ | 2007.11.09 20:37

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