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映画「迷子の警察音楽隊」BIKUR HATIZMORET

なかなか楽しかった(^^)。イスラエルのある町でのアラブ会館のこけらおとしに招かれたエジプトの警察音楽隊。空港に来ているはずの迎えが来ない。しかたなく、自分たちでバスに乗って目的地へ向かうが、まちがってよく似た名前の町への切符を買ってしまう。着いたのは砂漠の真ん中の田舎町。アラブ会館はおろか、ホテルもなく、空港へ戻るバスもその日はもうない。途方にくれる彼らに食堂の女主人が一夜の宿の提供を申し出る...

エジプト人たちはアラビア語、イスラエル人たちはヘブライ語。英語が話せる者どおしは、なんとか英語でコミュニケーションするが、おたがい母国語ほど流暢に話せるわけでもない。英語を話せない者がコミュニケーションするのはもっと大変だ...(けど、本当はもっと笑顔を見せてコミュニケーションの努力はすればいいのに、とは思うけど)が、共通に知っている歌(サマータイム)をきっかけに声を合わせて歌ったり...

学生時代、吹奏楽部勧誘のハガキに「音楽は世界共通の言葉」と書かれていたのが今も印象に残っている。歌ったり、楽器を演奏したり。女主人のディナが音楽隊の隊長トゥフィークにジュークボックス(?)の音楽を贈るシーンがある。ヘブライ語の歌詞はトゥフィークにはもちろんわからないけど、曲調から感じるものはあっただろう。

とりたててドラマチックな展開があるわけでもなく、話は淡々と進むのだけど、ところどころにクスッとするような場面や、ちょっとはっとするようなセリフがある。

一番笑えたのは(以下ネタバレ)

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ガザはどうなっているのか

月曜(クリスマスイブの日)に、今年の10月中旬から2週間ガザの取材をされた朝日新聞編集委員の川上泰徳さんと、11月中旬から2週間ガザを取材されたジャーナリストの土井敏邦さんの講演会があった。今年6月ハマスがガザを制圧してからイスラエルによるいっそう厳しい「封鎖」が続いているが、人々の暮らしはどんな様子なのか、ということについて、かなり具体的な話が聞けたので、ブログに書きたいと思いながら、年末のバタバタで今日になってしまった。

ガザ地区最大の清涼飲料水の工場の様子が映し出される。必要な原料が封鎖のため十分手に入らず、工場は操業能力の10パーセントしか稼動していない。つまり、90パーセントの従業員は職を失ってしまった。同じく、セメント工場もセメントが手に入らないため、操業できない。

アトファルナ聾学校。補聴器の電池が足りない。電池に亜鉛が含まれているため、それが爆弾の原料になるとして、イスラエルが搬入を許可しないのだという。電池に含まれているのはごくわずかな亜鉛にすぎないし、子どもたちには本当に補聴器が必要なのに!

日本の援助で建てられた立派な病院。しかし、医療器具が搬入できないため、何の役にもたっていない。既にある病院も、薬や麻酔ガスなどが十分になく、満足な治療が行えない。ある癌患者の人は、ガザでは十分な治療ができないため、イスラエルへの転院を申請。何度も何度も申請してようやく病院からの許可が降りた。イスラエルへ行くため検問所に向かったが、炎天下5時間も待ったあげく、通行を拒否された。治安上の理由で。「病気で弱っている息子に、治安上のどんな問題があるというのか」と母親は憤る。この人は結局、この取材から6日後に亡くなったそうだ。そしてそんな例は枚挙に暇がない。

失業率が70ー80%にも達しているような状況で、人々がなんとか暮らしているのはどうしてか。それを支えているのがイスラム教の助け合いの精神だ。困った人がいれば助けの手をさしのべる。モスクに併設された慈善団体は、アラブ諸国のイスラム系慈善団体などから資金を得て、貧民救済や孤児(イスラムでは母親がいても父親がいなければ孤児と見なされる)の教育支援などを行っている。このような慈善団体は「ハマス傘下ではない」と言うが、住民はハマス系であると感じており、ハマスへの支持が強まっている。米欧はハマスが選挙で勝ったことを認めず、援助を停止した。そうすることで住民の生活を窮地に追いやり、人々がハマス支配への反発を強めることを狙ったわけだが、住民の間には、民主主義についてのダブルスタンダードを持つ米欧に対する怒りはあっても、それに屈せず住民への救済を続けているハマスへの支持は強まるばかり。

ただ、そうとばかりいえない面もある。11月のアラファト追悼集会でのハマスの対応を見た土井さんは、人々がハマスにノーを言い始めたことを指摘されている。(私のハマス観の転換) 川上さんも、「ハマス政治部門の指導者であるハニヤ氏は、モスクに出かけては礼拝後に人々の声を聞くなどしていて人気が高いが、一方、ハマスの軍事部門はファタハ系の人への人権無視の取調べをしたり、武力衝突を起こしたりしている。ハニヤ氏は軍事部門を統制することができるのか。」ということを話しておられた。

しかし、そのような軍事部門で殉教者となることを自ら選択する若者もいる。苦しい生活。その元凶がイスラエルの占領にあることはみんなわかっている。でもその現状を変えることができない。未来に希望を見出せないなか、殉教者となって天国へ行こうとする。親も知らないうちに、ハマスの軍事部門に繰り返し志願して殉教した高校生...。その生徒の先生がこう言ったそうだ。「彼のような生徒が日本に行くことができて少しでも日本を見ることができれば、目を開かれて別の道を歩んだかもしれない」...殉教する生徒はまじめで責任感の強いタイプが多いという...

このような話を聞いても、結局どうしたらいいのかはわからないのだけど...でも、「どうなっているのか」には少なくとも関心を持ち続けていたい...

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深川江戸資料館

京都から来た友人と深川江戸資料館へ。小さいながら江戸の町並みが再現されていて、とてもおもしろかった。というのは、ガイドの方にいろいろ解説していただいたからだ。展示には何も説明がないのだけど、ガイドの方に聞くと詳しく説明してくださるし、畳にあがりこんだり、展示品に触れることもできる。

Pc230782船宿、八百屋、米屋、長屋の人々...長屋に住んでいる住人についてもひとつひとつ細かい設定がされていておもしろい。たとえば、ここは夫婦と小さい子どもが住んでいる。秀次、というのがここの主人の名前。昔、町人は苗字がもてなかったから名前だけだ。長屋の人々は大家さんから家を借りているけど、扉と畳は自分もちだった。だから扉は引っ越すときに持っていくこともできたそうだ。「久松るす」という紙が上のほうに貼ってあるのは風邪よけのおまじない。当時「お染風邪」というのが流行ったそうで、歌舞伎で人気の「お染久松」という演目にかこつけて、「お染さん、あなたの好きな久松さんはここにはいませんよ。だから来ないでね」ということなんだそう。わらで編んだ傘のようなものは天然痘よけのおまじない。小さな子がいるということで病気よけに気をつかっている。四畳半一間に家族3人という暮らしだが、ここの家には畳があり、こたつもあった(もちろん電気ごたつでありません(^^))。Pc230784ところが、おとなりの家の人は収入が安定していないため畳を買うお金がなく、板の間にござを敷いている。お向かいには小唄の師匠さんが住んでいて、大家さんはお米屋さんで...という具合。

Pc230792
長屋の各家庭にトイレはなく、トイレは共用だった。写真右上のほうにふたつ並んでいるのがトイレ。上部がこんなに開いていたら中が見えてしまうじゃないか、と聞くと、よそ者がトイレに隠れないようにこのような構造になっていたとのこと。長屋の住人どおしは家族のようなつきあいなのでそんな構造は気にならない。その左となりに見えているのがごみ捨て場。手前にあるのが井戸で、みんなここで洗濯をしたり野菜を洗ったり。こういう暮らしだと、長屋の住人どおしが家族のようになる、というのもうなずける。

いろいろなものが細部まで丁寧に復元されている。「これ何?」と思うようなものがたくさんあるので、行かれたらぜひガイドさんにいろいろ聞くと楽しいと思います(^^)。

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砂の城(英語)

DVDで「エンロンー巨大企業はいかにして崩壊したのか」を見ていて、なるほど、英語では「砂の城」をこう言うのか、と思った(^^)。

エンロンのCEOであったケネス・レイが熱心に規制緩和を説いていたことについて、ある人が語っている。「どうして彼があんなに必死になるのか当時はわからなかったけど、今ならわかる。彼には『エンロンは砂の城だ』ということがわかっていたんだ。」

He understood Enron itself was a ( ) ( ) ( ).

3語なので、sand castle ではありません(^^)。
castle of sand っていう言い方もあるのかな、とyahoo.comで検索したところ、sand castle に比べるとかなり少なめながらヒットしたので見てみたら、松本清張の「砂の器」のことでした(^^)。

英語で「砂の城」を意味する言い方は

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児童労働

日曜のフェアトレード研究所主催のドキュメンタリー上映会で見た映画からもう一本・・「働く子どもたちー私たちの声をきいて!ブラジルの児童労働」。サンドラ・ヴェルネッキ(Sandra Werneck)という監督は、ブラジルでは有名なドキュメンタリー映画の監督だということで、さすがというべきなのか、印象に残る場面が多かった。ドキュメンタリーなんだから、インタビューされている人が話す内容について監督がどうこうできるわけではないだろうし、誰が撮ってもそんなに違わないのでは、という気もするのだが、とにかく、この作品では子どもたちが生き生きしていた。

サトウキビ畑での農作業、タイヤの修理、鶏の屠殺、ダンボール集め、などの仕事に従事する4人の子どもが登場して、自分の仕事についての思いを語る。子どもたちは学校に行かずに仕事をしていたりするわけだが、とても賢くてしっかりしていることに驚く。「ボスとちゃんとした契約を結びたい」と話す彼らを見ていると、学校に行かなくてもこんなにしっかり考えられる子に育っているんだからいいんじゃないか、なんて、映画製作者の意図とは反対のことを感じてしまったり(^^;)。

単に児童労働をやめさせればよい、というものではないだろう。子どもの稼ぎが一家を支えている(父親不在の家庭で、仕事から帰ってきた少年に「ちっちゃいパパ」と言って抱きつく幼い妹の姿が印象的だった)、という現実がある場合、児童労働は違法だから、とやめさせるだけでは、その一家を飢死にに追いやってしまうことになる。ただ、子どもだというのに、爆発の危険もあるようなタイヤ修理の仕事をしていたり、大人用にデザインされた重い鎌を使っていたり、など、好ましくない環境で仕事をしている子どもたちがいる。しかも、子どもであるという理由で、不当に安い賃金で長時間こき使われていたりする。

子どもたちが自分の雇用主のことをよく思っていないのは悲しい。雇用主の話を聞いていると、「いかに儲けるか」ということが最大のテーマで、子どもを雇えば安上がり...という考えだから、子どもたちがそんなふうに感じるのももっともだ。

鶏の屠殺に携わっている子どもが、「この仕事?...内臓をきれいにするのは好きだよ」と言いながら、「動物は殺されるためじゃなくて生きるために生まれてきたんだ。だから本当はこの仕事は大嫌いだ」と話す言葉は胸に痛かった。それでも「大きくなったら農場を持ちたい」と夢を語る。それが実現する可能性があまりあるとも思えないのだけど、この子が夢を持っている、というだけでも少し救われる気はする。他の子は「この仕事を続けているだけでは将来は何も明るくない」と話したりして、確かにそのほうが現実的に思える...ただ、そんなふうに語る子どもの顔も暗くはなかったりする。何故なんだろう...仕事を持っていることの誇りがあるのかもしれない。

だったら仕事を持っているのも悪くないのでは...と思ってしまったりするが、やはり危険な仕事に従事していたり、不当な低賃金で長時間労働をさせられているのは問題だろう。子どもが低賃金で雇えるぶん、大人には仕事がまわってこなかったりするわけだし。子どもが子どもである時代を楽しめるようにすることが大人の責任で、子どもからそれを奪い取ることは大人としてやってはいけないことなのに、そんな大人がいるという現実がある。

ただ、この映画が作られたのが1995年だから、今は状況が少しでも改善されているといいけど...どうなんだろう。

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フェアトレードコーヒー

一昨日の「コーヒーの秘密」を読んでくださった方からおもしろいサイトを教えていただいた。

慶応義塾湘南藤沢キャンパス(SFC)での講義が動画で見られるようになっていて(おもしろそうなのがいろいろある。こんなのが無料で見られるなんて(^^)!)、教えていただいたリンク先は、山本純一先生が担当されている「地域と社会(米州)」という授業の第七回「方法としてのフェアトレード」。途中で、「コーヒーの秘密」のビデオも上映され(この部分はネット上では公開されていない)、補足説明として、コーヒーの価格は2001年12月が底値で、その後上昇してきていることを話された。つまり、このビデオが作られた2002年は、生産者にとって、一番ひどい状況にあったときだといえる。その後のコーヒー価格の上昇は、フェアトレードの動きが活発になってきたこともあるが、中国でコーヒーが飲まれるようになってきたことが大きな要因だという。

もともと、北が南を支援する形として、「援助よりも貿易を」という考えで広まってきたのが「フェアトレード」で、お金を渡すだけでは自立を支援することにならないから、産業を育ててその製品を買う、という形で支援する。そして、いずれは支援が必要なくなるところまでいくべき、というのが山本先生の考えだ。「フェアトレード」にはチャリティの部分もあるけれど、それがあまりにも多いのは問題なのではないか、と言われる。

そして具体的に、日本でフェアトレードコーヒーを扱っている団体などをひとつひとつあげ、その特徴や疑問点が解説される。スターバックス、イオン、PARC(アジア太平洋資料センター)、PWJ(ピースウィンズジャパン)、さらには似非フェアトレードと思われるものについても。一口にフェアトレードといってもいろいろな段階があり、その看板を掲げているからといって必ずしも信用できないものもあることを知る。

「ブルックス」からは昨日、回答が届いていた。「フェアトレードコーヒーは扱っていないが、原産国の生産者とは公正な取引をしている。直接買い付けをせず輸入業者を通す場合は、生産者への配慮を充分に行っている業者と取引している」とのこと。...しかし、児童労働が行なわれていないかどうかについては回答がなく、おそらくブルックスにとって大きな関心事ではないのだろう。買い付け価格についても具体的な数字があるわけではなく(一消費者にそんなものを教えてくれないだろうけど)、この言葉だけでは原産国での実態はなんともわからない。どうしてフェアトレードコーヒーを扱っていないのか、今後も扱うつもりはないのか、などについては説明がなかった。

フェアトレードコーヒーを扱う障壁は、ひとつには品質の問題があるのだろう。「スターバックスとフェアトレード」のところで言われていたのが、高品質のコーヒーを追求するスターバックスとしては、低品質のフェアトレードコーヒーを扱うのがジレンマになる、ということ。フェアトレードコーヒーの品質も一様ではないけど、「品質がよくなくてもフェアトレードだから高い」というのでは話にならないだろう、というのは理解できる。ただ、フェアトレードでないコーヒーが本当に現地の人を搾取しているという実態があるのだとしたら、やっぱり気持ちよくないなぁ。

先日、パレスチナ関連の集会に行ったときに、PARCの販売している東ティモールのフェアトレードコーヒーを買ったので、最近、家ではそれを飲むことが多い。キューバに行ったときもコーヒーを買って帰ったが、そのコーヒーは、なんというか、ちょっと苦味が強かったので、私は多めにつくって冷やし、ほとんどはアイスコーヒーとして飲んだ。それに比べると、PARC の東ティモールのコーヒーはすっきりした飲み口でおいしい。ブルックスの香り高いコーヒーは好きだし、職場ではドリップバッグコーヒーの手軽さがやっぱりありがたいけど、家では少しずつフェアトレードコーヒーを飲むようにしようかな、と思う。

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「コーヒーの秘密」

フェアレイバー研究所の主催するドキュメンタリー上映会へ。すごくもりだくさんで、学生の作った短編も含めると5本の作品を見た。どれも興味深いものだったが、今日はとりあえずPARC製作(2002)のビデオ「コーヒーの秘密」について。副題は「南北問題が見えてくる!」

日本は、アメリカ、ドイツに次いで、フランスと並んで世界第三位のコーヒー消費国なんだそうだ。私もコーヒーは大好きで、飲まない日はまずない。でも、コーヒーが私のところに届けられるまでの過程についてあまり深く考えたことはなかった。いや、「フェアトレードコーヒー」という言葉を聞くことはあったから、気にはなっていたのだけど...

コーヒーの白い花が映し出される。甘い香りがするそうだ。実際に見てみたいな。そしてコーヒーの赤い実。コーヒーチェリーというらしい。確かにチェリーのようなかわいい形だ。昔は、これを砕いて煮出して飲んでいたのが、やがて豆を煎る製法が生み出されてますます香り高い飲み物になったという。

お茶もそうだけど、コーヒーもヨーロッパに輸出されて、ヨーロッパ人に人気の嗜好品となった。そして、ヨーロッパ各国は植民地でコーヒーのプランテーションを始める。そのような歴史から、元植民地だった国々では、コーヒーが唯一の外貨獲得手段だったりするのだが、過剰生産により価格が暴落。農民は仲買人の言い値でコーヒー豆を売り渡さねばならず、農民の手に渡るのはコーヒー小売価格の2パーセント(!)だというのだ。利益のほとんどは仲買人や商社の手に渡っている...

私は、手軽でおいしいブルックスのコーヒーを愛飲しているのだけど、フェアトレードという点ではどうなんだろう。ホームページによれば、『「直輸入・自社焙煎」により中間マージンのカットを実現し、また「店頭販売」から「通信販売」への移行による物流コストダウンを行うこと』で、「高品質、低価格」を実現している、ということだが、現地の人たちから適正価格で買い付けをしているんだろうか。児童労働が行われていたりはしないんだろうか。

というわけで、ブルックスにメールを送って質問してみた。フェアトレードに気を使っている会社だといいな...。

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ビデオ「アフガン零年」Osama

おもしろかった...っていうのは、多分に、私が旅好きで、映画で旅の気分を味わっているようなところがあるからだと思うけど。タリバン支配下のアフガニスタン。厳格なイスラム法のもと、女性は働くことも一人で外出することもできなかった。夫を亡くした妻は、老いた母と12才の娘と暮らしているが、女ばかりのこの状況では飢え死にするしかない。母の提案で娘の髪を切り、男として働きに出すのだが...

映画が作られたのは2003年で、この映画が描いているのはその数年前のことになるのだろうけど、現代にこんなところがあるなんてちょっと信じられないほどだ。DVD特典の監督のインタビューによれば、このような話は実際に起こっていることだという。もともとは、かすかに希望の見えるようなラストにするつもりだったそうだが、それでは現状を伝えることにならない、と、あのようなラストになったとのこと。

主役の少女も、印象的な役柄のお香屋の少年も、ストリートチルドレンだったそうで、役者はみんな素人。最初、お香屋の少年がカメラで撮影している人に声をかけるシーンがあって、ドキュメンタリーなのかと思ってしまった。そのくらいリアルな雰囲気があって、でも、退屈なドキュメンタリーとは違ってストーリーがあり、少女の男装がばれないかとひやひやしたり、お香屋の少年の優しさにほっとしたり、少女のおばあちゃんの昔話の語り口にしみじみしたり...

原題の「オサマ」というのは、男装した少女の名前だ。みんなに「女ではないか」と疑われて名前を聞かれ、答えにつまっている彼女に代わって、お香屋の少年が咄嗟に答える。どうしてそういう名前にしたのかは、DVD特典で監督が語っているが、ふうんそうなのか、という感じ。

とにかくタリバン支配はめちゃくちゃだったようなので、アメリカがタリバンを攻撃してその政権を崩壊させたことは歓迎されたのだろうか...それでも、タリバンが力を持つ背景というのはあったのだろうから、この映画だけで「タリバン時代はひどかった」って判断してはいけないのだろうけど...今、暮らしは少しはよくなっているのかなぁ...

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強運の持ち主

昼休み、休憩室のテレビは基地の予定を映し出していた。そこに、「25日ミッドナイトミサ」という予定を見たMが、「ああ、ミッドナイトミサがあるのね」と言うので、「行くの?」と聞いたら、行くと言う。フィリピン人の彼女はカトリック教徒で、こんな話をしてくれた。

フィリピンでは、シンバンガビ(SIMBANG GABI)といって、クリスマス前の9日間、早朝4時半くらいからのミサがある。9日間すべてに参加すれば願いが叶うと言われているが、なかなか9日続けて参加するのは大変らしい。彼女は一度だけ9日間すべてに参加したことがあって、そのときは願いがかなったそうだ。

当時19歳の学生だった彼女の願いは、「一生そばにいたいと思えるような男性に巡り会うこと」。12月16日に願をたて、9日間続けてミサに出席し、神様に一心に祈った。そして1月の初めに、今のご主人となる男性からグリーティングカードを受け取ったのだ。

彼女のおとうさんはアメリカでビジネスをしていて、ご主人となる人は米軍の兵士としてアメリカに赴任していた。おとうさんの友人がご主人の知り合いか何かで、クリスマスシーズンのある日、おとうさんの家を訪れたご主人(当時20歳)は、壁に貼ってあったMの写真に目を留めて興味をもち、グリーティングカードを送った。カードを送られたMは、見ず知らずの人とつきあうことは気がすすまずそのままにしていたが、Mのおにいさんのガールフレンドが、勝手にMのメールアカウントを作って、Mの名前で自己紹介をし、ご主人にメールを送った。Mの電話番号を添えて。そして数日後、Mのところにアメリカから電話がかかってきたのだ。

Mはもちろんびっくりしたけど、会ったこともなく初めて話をするというのに、話がはずんだ。途中で、「アメリカからだと電話代が大変だからもう切るわ」と言うと、「君と話しているのがとても楽しいからこのままにして」という具合で、なんと8時間(!)も話していたのだそうだ。電話代は1000ドル(10万円!)以上になったという。そして電話やメールやチャットでのつきあいが始まった。

Mは、ありもしないことをでっちあげたり物事を大げさに言ったりする人ではない。その後の展開は長くなるので書かないけど、これがまたなんともドラマチックで、不都合なことがあるたびに神様に祈って、そしてなぜかいつもうまくいってきたようだ。「神様は祈りの声を聞いてくださるのよ」と彼女は言う。

私はキリスト教の信者ではないけれど、Mとご主人の場合は本当に運命だったんだろうなぁと思う。Mとご主人の場合に限らず、結婚するような二人が出会うにはやはり何か運命的な力が働いているのだろう。人間の意志で何もかもできるわけじゃなく、選べないことはいっぱいあるもの。偶然にみえるものも実は偶然ではないのかも...って前にも書いたことがあるけれど。

それにしても、9日間、早朝のミサに通えば願いが叶うなら、カトリック教徒になってみようかしら(^^;)...(って、これはフィリピン独自の行事で、バチカンからは承認されていないらしい)

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本「今日から怒らないママになれる本!」by 川井道子

副題は「子育てがハッピーになる魔法のコーチング」。コーチングという言葉を聞いたことはあったけど、なんとなく胡散臭いものだと思っていた。でも、いいかもしれない。

著者は5歳の娘ぺこちゃんの駄々にほとほと手を焼いて、コーチングと出会う。言い出したらきかない。娘の言い分を聞こうと努めても、何が言いたいのかわからない。しまいにはこっちがきれて言い争いになる。うんうん、そういうの、よくあるよなぁ。

子どもがこちらの思う通りに動いてくれないとき、大人は頭ごなしにやらせようとする。正しいのはいつも大人の側で、子どもは従わなければいけないんだから。でも、そのやり方では大人への反発心を強めるばかり。子どもがイヤと言い出し、大人は無理やりやらせようとし、叫びあい、怒鳴りあい...この悪循環を断ち切るにはどうすればいいのか。

まずは子どもの気持ちを受け止める。「そっか、イヤなんだねぇ」...そして、子どもの話をしっかり聞く。そのときに批判したりアドバイスしたりしようとしないで、子どもの言う言葉をただそのまま繰り返す。そして、「ああしなさい、こうしなさい」「あなたはこうこうだ」「あなたはこうすべきだ」ではなくて、「私はこう感じる」「私はこうしてほしい」という形で伝える。「どうして○○できないの?」と非難口調になるのではなく、「どうしたら○○できると思う?」という形で問いかけていく...。

気に入ったのは、ウィニコット(Winnicott)という人の言ったという「ほぼ良い母親」 "Good enough mother" という言葉。「そこそこのおかあさん」っていう感じかな。完璧な母親であるよりも、そこそこの親であるのが子どもの成長にはいいんだ、という考え。こういうゆるい感じはいいなぁ(^^)。

機会があったらコーチングを受けてみようかな、と思う。

4313660399今日から怒らないママになれる本!―子育てがハッピーになる魔法のコーチング
川井 道子
学陽書房 2005-11

by G-Tools

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映画「マイティ・ハート」

「グアンタナモー僕たちが見た真実」の監督、ということで、期待して見に行った。で、やはり作り方が似ている感じで、実話に基づいて作られたドラマだった。
雑誌社に勤める夫と放送会社に勤める妻がパキスタンに取材に出かけ、そこで夫が消息を絶つ。夫に何が起こったのか、不安に思う妻(アンジェリーナ・ジョリー)の気持ちはよく伝わってきた。
細部の人間関係とかがわかりにくかったけど、ハラハラする展開とパキスタンの町の風景にはひきつけられた。マイケル・ウィンターボトム監督はきっとこういう風景が好きなんだろうな、と思う。イスラムの人たちの町。たくさんの人、混雑した道路...。
「こんなことをするテロリストたちは許せない」というような描き方ではなく、大切な人を誘拐された者の気持ちに焦点があてられていて、どこに悲しみをぶつければいいのか、混乱した思いを感じることができた。

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4枚カード問題

ここに4枚のカードがある。どのカードも一方の面には文字が、もう一方の面には数字が書いてある。2枚のカードは文字の面が、残りの2枚のカードは数字の面が表になっている。「一方の面にAと書いてあれば、もう一方の面には7と書いてある」ということが正しいかどうかを調べるためには、次の4枚のうち、どのカードを裏返してみる必要があるか。

A G 7 8

正解は

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占領のおかしさ

ヨルダン川西岸地区から、パレスチナ人のファトヒ・クデイラートさんが来日され、昨日、その話を聞きに行ってきた。話を聞いていて感じたのは占領のおかしさだ。イスラエルはパレスチナの土地を占領し、そこに自分たちの法律を適用する。たとえば、3年間耕されなかった土地は法律により没収される。パレスチナの農民は、壁で囲われてしまった自分の農地に行くことができず、耕せなかった、そうだとしても、だ。それってすごくヘンなことなのに、そういうことがまかり通っている。そして相変わらず、イスラエルは違法に入植地を増やし続けている。

どうしてそんなことが今も続いているんだろう。ファトヒさんはパレスチナの現状を南アフリカのアパルトヘイトにたとえておられた。黒人は黒人居留区に押し込められていたこと。そんな状況はおかしいと今なら誰もが言うだろう。でも、パレスチナでは今もそんな状況が続いている。パレスチナ人の住むところとユダヤ人の入植地では生活水準もまるで違うのだ。

パレスチナ人の住む地域には水もないし、産業もない。人々は入植地に働きにいかざるをえない。子どもたちですらイスラエルのための安価な労働力となる。児童労働はもちろん違法なのに。そしてパレスチナ側にはものがないから、入植地で生産されたものを買わなければならない...。

どうして未だにそんなことが行われているのか、信じられない気持ちだ。ぜひイスラエルの人の考えを聞いてみたいなぁと思う。入植地の建設は違法ではないんですか、パレスチナの人たちの生活の権利が奪われていることをどう思いますか、と。

ファトヒさんは、これはユダヤ人対パレスチナ人という問題ではない、と言う。問題なのはシオニストだ。ユダヤ人とパレスチナ人が同じ土地に住むことは可能で、そうやって暮らしてきたのに、シオニストがイスラエルを建国して壁を築いてしまった。でも、この地にイスラエルとパレスチナという二国を建設するのは現実的な解決にならない。

で、現在、何が問題になっているかというと、日本(JICA)がこの地で「平和と繁栄の回廊」創設というプロジェクトを開始したこと。パレスチナ自治区のヨルダン渓谷で農業開発支援をしようという構想で、イスラエル、パレスチナという対立する当事者が協力して取り組むことで信頼関係を醸成し、またパレスチナ人に雇用をもたらすとされている。一見、良いことのように思えるけれど、現在、イスラエルがこの地を「管理」(占領)している、という事実については問題視していない。つまり、この状態が固定化されてしまう可能性が強く、利益はイスラエル側の企業にいくと思われる...

日本人として、どのような開発援助が行われているのかについてはもっと関心を持たなければならないだろう。地元の人の望まないような開発にお金が使われているなら、そんな開発はやめるように声をあげなければ...それがあなたたちの責任だ、とファトヒさんは言う。

ファトヒさんの英語は私にはちょっと聞き取りにくく、会場からの質問への答えも、通訳を通すためもあってか的を射ていないものもあった。なんだかわからないことだらけで、どうしてこんな理不尽なことが今も続いているんだろう、という疑問ばかりが大きくなった....でも、そういえば、答えもあったのかもしれない。占領から利益を得ている人がいるから...。だから私たちはイスラエルの製品を買わないようにしなければいけない。イスラエルを支援している企業には投資をしないようにしなければいけない。アパルトヘイトが廃止されたのは国際的な経済制裁という圧力があったからだ。

それにしてもイスラエル支援企業ってなんと大企業が多いことか...私もずいぶんお世話になっている(--;)...。

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映画「ヘアスプレー」

「レント」でミュージカル映画の楽しさは知ったけど、やっぱりどちらかといえば避けてしまうミュージカル。しかも「ヘアスプレー」なんていうタイトルに惹かれるものはないし、ジョン・トラボルタの女装というのもあまり見たくないし...。でも、meggy さんの感想 を読んで、この映画が見てみたくなった。

で、やっぱり、歌が楽しい(^^)。60年代のビートというのにしっかりはまってしまう(^^;)。この時代、白人と黒人が一緒に踊ることはタブー視されていたんだなぁと知る。今、基地にいると、黒人差別というようなものを感じることはほとんどないだけに、数十年前にはこんな時代があったんだということが信じられないような気がするけど、今の状態も少しずつ勝ち取られてきたものなんだ。

ボルチモアに住む、かなり太った白人の女子高生トレーシー(ニッキー・ブロンスキー)が主人公。彼女は、ダンスがうまいことを誇りに思っていて、自分の容姿にすごくコンプレックスを持っているということもない。その前向きでまっすぐな性格が気持ちいい。容姿を気にしていないわけではなくて、髪にはとても気をつかってるし、笑顔が可愛い。

彼女の大好きな「コーニー・コリンズショー」は歌と踊りの番組だが、ふだんは白人だけで構成されている。月に一度「黒人の日」(ニグロディ...すごい呼び名だな、と思ってしまった)があり、彼女はそれが大好きだった。確かに、見ていても、黒人の人たちの歌と踊りには迫力がある。やっぱり天性のものがあるのかなぁと思う。高校で居残りの罰を受けることになったトレーシーは、その教室にいる黒人の生徒たちのダンスにすっかり魅せられてしまい、彼らと仲良くなるのだが...。

ミシェル・ファイファーが演じる、番組の製作担当者とその娘が完璧な悪役として描かれていて、物事はそんなに単純じゃないだろうとは思うものの、ミュージカル映画もやっぱりいいな、とまた思った。

一番心にしみた歌は"I know where I've been." クイーン・ラティファ、かっこいい(^^)。この歌が歌われる直前のトレーシーの言葉には思わず涙してしまった。

いいな、と思ったセリフは(以下ネタバレ)

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