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映画「アメリカン・ティーン」

インディアナ州の実在の高校で高校3年生の日常を追ったドキュメンタリー...ということだけど、ドキュメンタリー?と思ってしまうほどドラマチックな感じだった。同じく高校生の日常を扱った「明日、君がいない」という作品を思い出した。あれはオーストラリアの作品で、フィクションだった(実体験に基づいているようではある)けど、この「アメリカン・ティーン」もフィクションだと言われれば納得してしまいそう。カメラの前だというのに緊張した感じがあまりないし、学校だけでなく、かなりプライベートな生活が撮られているので、よっぽどこの監督と生徒たちとの間に信頼関係が築かれていたのか...。

裕福な家庭に育ち、名門大学への進学をめざすメーガン、映画監督になって人の心に残る作品を作りたいと願うハンナ、得意なバスケットボールで大学への奨学金を得ようとするコーリン、同じくバスケ部で女の子にもてもてのミッチ、なんとしても彼女を作りたいゲームおたくのジェイク。主に撮られているのはこの5人で、物質的には恵まれた暮らしをし、遅くまで友だちの家で遊びまくって、ちゃらんぽらんなように見えるアメリカの高校生たちが、悩んだり、プレッシャーにおしつぶされそうになったり、鬱になったり...と、もがき苦しむ姿が描かれている。

アメリカの高校生は日本の高校生よりも大人びた印象だ。日本の大学生という感じ。親と一緒に暮らしてはいるけれど、与えられている自由と責任が日本の高校生より大きいように見える。もっとも、子どもを一人前あつかいできない親もいて、たとえば、ハンナの親がハンナがカリフォルニアの大学に進学することに反対していたけど、私にはその気持ちがわかる。我が家の大学生、高校生が親元を離れてひとりで生活するなんて考えられない...って、これはそういう私に問題があるのかもしれないけど(^^;)。でも、その親に対してハンナが言っていたセリフがよかったな。がんばれ!と言いたくなる。他の子ども達も...いい加減なように見えて、それぞれ一所懸命に毎日を送っているんだなぁと思う。ただ、すごくいやな場面もあった。見ていてムカムカするような。そういうところをカメラに撮られていることを意識していないのか、自分たちは大したことじゃないと思っているのか...。

ドラマチックといっても、もちろん筋書きのあるドラマではなく、高校生たちの日常を切り取っただけの作品だけど、ひとりひとりの人生ってドラマなんだって、そんなことを思った。

すごくいやだったのは(以下、ネタバレ)

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海外ニュースの伝わり方

昨日の夕刊を今日のお昼に読んでいて、次の記事を見つけた。

麻生首相:機械故障に「日本製じゃないよね」 国連演説中断、冗談でかわす

演説を始めて約3分後、壇上の首相に国連職員が近づいた。(通訳の)機械の不具合によって演説を聞くことができない人がいたため、最初からやり直してほしいという依頼だった。これに対し、首相は「日本の機械じゃないよね」とマイクに向かって発言し、会場の大爆笑を誘った。

へぇ、そんな場面でジョークが言えるなんてなかなかだな、と思い、でも、いったいどこの機械だったんだろう?と、ちょっとくだらないこと(^^;)が気になって調べてみたら、2ちゃんねるでこのことが大きな話題になっていて、スレッドの発言数があっというまに1000を超していた。

それで気づいたのだけど、報道の仕方で、ずいぶんと印象が変わるものだ。
私が引用したのは毎日新聞の記事だけど、ヤフーニュースでは

約5分ほど進んだところで高須幸雄・国連大使が壇上に駆け寄り、機器の故障を耳打ちすると、首相はすかさず英語で、「メード・イン・ジャパンじゃないからこうなる」。

日経だと

この機械は日本製じゃないな」。麻生太郎首相が25日に国連総会で一般討論演説した際、通訳の機械がうまく機能せず、演説の途中で最初から読み直すハプニングがあった。機転をきかせた首相はジェスチャーとともに通訳の機械について英語でジョークをとばし、会場の笑いを誘った。

ヤフーや日経の書き方だと、麻生さんが日本製以外の製品をばかにしたような印象があるけど、実際の演説の動画(3時間4分頃スタート、問題のジョークは3時間7分頃) を見てみると、「日本製じゃないですよね?」("It's not Japanese macinery. No?")とおずおずとした感じで聞いていて(でも、ジョークのつもりで言っている)、傲慢な印象はまったくないのだ。

海外のニュースが日本に伝わってくる場合、こんなふうに、勝手に意訳されて、報道する人の解釈が入っている場合が多々あるんだろうなぁ。

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双子の見分け方

今週の月曜日に新しくうちのクラスに入った子どものうち、ふたりは双子の男の子だ。ふたりとも背格好、髪型が同じで、顔もそっくり。おとうさんに「どうやって見分けたらいいんですか?」と訊いたら、「Cは額にバースマーク(いわゆる蒙古斑みたいなもの)があるし、Vのほうは、額の右側のところにそばかすがあるよ」と言われた。確かに、Vの額には小さなそばかすがひとつある。でも、Cのバースマークのほうは、薄くてほとんどわからない。「あと、なるべく、Cにはブルー系の服を着せるようにしてる」とのことだけど、ひとりは紺色でひとりは水色だったりするので、これだけでは見分けがつかない。ただ、必ず違う服を着せるようにはしてくださっている。

朝、登園してきたときに、おかあさんやおとうさんから離れたがらないのがVだ。Cは平気で遊び始める。そこで、「今日はこっちの服を着てるのがVね」と覚えるようにする。けど、すぐ忘れたりする(^^;)ので、結局はVの額の右側のそばかすを確認している。

クラスの子ども達には、CとVの見分け方を話していないので、彼らもどっちがどっちかわからないらしい。もうひとりの新しい子Kの名前はすぐに言えるけど、Cを指さして「これは誰?」と訊いても言いよどんだり、「V!」と答えたり。「違うよ」と言うと「C!」と答える。私たち大人でも正面から一目では見分けがつかないんだから、無理もない。

困るのが写真。新しい子が入ったら、名前と誕生日を書いた写真をクラスに掲示することにしていて、だいたいいつも私がそれを作っているのだけど、家に帰ってから写真を見て、「あれ、こっちはどっちだっけ?」...っていうことになる(^^;)。

登園時の様子の違いから多少の性格の違いはあるんだろうな、と思うんだけど、一週間ではまだなかなかわからない。他の子ども達にしても、友達の名前をどう呼んだらいいのかわからないのはちょっと問題だから、親に頼んで、何か一目でわかるような目印をつけてもらったほうがいいのかなぁ。

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本「鳥頭紀行 ジャングル編」by 西原理恵子x勝谷誠彦

漫画家の西原さんが、アマゾンに大きな魚(トクナレ)を釣りに行ったときの話。雑誌およびテレビの企画ということで、カメラマンやビデオカメラマン、それに釣りの指導をする人、編集担当者が同行。この人たちがそれぞれすごく個性の強い方たちのようで...しかも、西原さんを含め、全員が大酒飲みときている(^^;)...。この旅の様子を、西原さんが漫画で描き、カメラマンの勝谷さん、釣りの指導者(昆虫学者?)の西田孝治さんがエッセイを書く、というスタイル。3人がそれぞれ別々に書いているので、ウソのような話は本当なのだとわかる(^^;)。で、私の笑いのツボには見事にはまった。「クスリ」ではなく、「ガハハ」と笑う感じ。同じことを体験したとしても、私はこんなふうにおもしろくは書けないだろうなぁ。3人とも可笑しいです。なかでもやっぱり西原さんはぴか一(^^)。魚シュレットとか、アマゾン式カメの食い方とか...笑った。

ブラジルは、とても行ってみたい国なので、アマゾン川を船で2週間、という旅にはあこがれるけど、この旅行記を読んで、ちょっと私にはできそうにないなぁ...と結論(^^;)。でも、もし、日帰りツアーのようなものがあるなら参加してはみたい。

巻末にちょこっとついていたベトナム編、台湾編は、アマゾン編に比べると、インパクトがない。西原さんの脱線話がふえて、旅の中身がかすんでしまっている。西原さんにとっても、アマゾンは相当インパクトが強かったのだろう。

4915901416鳥頭紀行―ジャングル編
西原 理恵子
スターツ出版 1997-12

by G-Tools

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雨の日と月曜日は

なんとなく浮かない気分になりがちだけど、雨の日で月曜日で、しかも、新しい子どもが3人もクラスに入ってきた(予定では一週間後と聞かされていたのに、今日になって突然)日は...(^^;)。でも、3人とも、まだ「2歳児ーーー!!」って感じじゃなくて、かわいいものだけど(^^)...あ、2歳児もかわいいけど、2歳児は「2歳児ーーー!!」だからなぁ(^^;)...なんか、ふだん2歳児に接していない人には意味不明の日記ですみません。

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ドル離れ

今年度は、PARC自由学校の「アメリカ離れする世界」という講座をとっている。私がこの講座に参加を決めたのは、岡真理さんが講師をされる日がある、と知ったから。岡さんの明快な文章のファン(というほどたくさん読んでいないけど(^^;))なのだけど、関西の方なので、なかなかこちらでお目にかかる機会はなかった。もちろん、そのほかの講義もおもしろそう、と思ったから決めたのだけど、全体的に私にはレベルが高いというか(^^;)...今まででおもしろいと思ったのは、太田昌国さんの「反グローバリズム運動の原点」。仕事の都合で行けないこともあったし、途中から参加のこともあって、全部には参加していないので、おもしろさがちゃんとわからないのかも? でも、先日の「ドル離れー基軸通貨体制崩壊後の世界」は、松村文武先生が、経済学初心者にもわかるように話してくださったので、おもしろかった。

第二次大戦後、ドルが国際的な基軸通貨として機能してきた。それまではおおむねポンドがその役割を担っていたわけだが、二次大戦の舞台となったヨーロッパが疲弊しきっていたのに比べてアメリカ本土は何の被害も受けなかったし、また、当時、アメリカは貨幣としての金(きん)をたくさん所有していた(世界の90パーセント)という事情から、ドルが基軸通貨として力を持つことになった(ブレトン・ウッズ体制)。この頃は、一応(完全ではない)、金本位制に基づいて貨幣は発行されていたのだ。しかし、1971年、アメリカはドルと金との交換停止を発表する(ニクソン・ショック)。これでドルの価値は低落し、ドルは終焉を迎えるだろう、と言われた。ところが、現実はそうならなかった。現在まで、ドルは基軸通貨としての地位を保っている。それはなぜか。

日本をはじめ、多くの国がドルを支える体制を築いているのだ。各国は外貨準備として基軸通貨としてのドルを保有している。そして、多くの場合、それを現金ではなく、アメリカの国債を買う、という形で保有しているのだ。ドルの価値が下がると、ドルを多く保有している国は困るわけで、なんとかしてドルを防衛しようとする(円を売ってドルを買う、など)。そういう事情で、ドルはしぶとく生き残ってきた。

ところが、ユーロが誕生し、「ドルのみが基軸通貨」という状態は揺らぎ始める。アメリカの国債発行額は国家予算の4分の1を占めているし、サブプライムローン問題、貿易収支の赤字、と、先日のリーマンブラザーズの経営破綻を待つまでもなく、アメリカ経済はガタガタだ。今後は、ユーロ、ドル、アジア通貨(誕生は2030年ごろか)...というような三極構造になっていくのではないか...。ただ、依然として、アメリカの金保有量は他国を圧倒しており、アメリカが金本位制の復活を宣言するかもしれない...?

ユーロ誕生の話もおもしろかった。ユーロは4つの厳格な基準を満たす国のみ加入することができるのだが、もし日本がヨーロッパ圏にあったとしたら、はたしてユーロに加入することはできるか。答えは否。ユーロ加盟の条件 のうち、日本は、「財政赤字がGDPの3%以下」「債務残高がGDP60%以下」などの条件をクリアできないのだ。経済大国と思われている日本にしても、ユーロ圏の人たちのの考えている健全な経済ではないわけだ。
経済のことを勉強すると、いろいろわかっておもしろいんだろうなぁ。

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レイバー映画祭2008

レイバー映画祭へ。「蟹工船」「今夜、列車は走る」「人らしく生きようー国労冬物語」「私たちは風の中に立つー韓国・トンイル紡織労組のたたかい」のほか、短編数本、という豪華なラインナップ(しかも、それぞれ制作関係者などによる一言つき)で、当日一般1500円というお得価格(^^)。レイバー映画祭にふさわしく、どれも団結の力を感じさせる作品だった。「蟹工船」は古い映画なので音が割れて聞き取りにくく、ちょっとわかりにくかったけど、労働者の怒りとか気迫とかは十分に伝わってきた。時代や国が違っても、資本家はいつも自分たちの儲けをいかに多くするかが最重要課題で、労働者に対してひどい扱いをしてきた、というのが共通している。

父親が国鉄職員だったのにもかかわらず、私は国労闘争のことをよく知らなかったのだなぁと恥ずかしくなった。分割民営化に際して解雇され、長年復職闘争を闘ってこられた元運転士の方が、もう一度列車を運転したい、とおっしゃっていたのが胸にしみた。辞める時、最後に運転をするときには、仲間に花をもらって、ってそういうのが慣習になっていたから、自分もそういうふうにやめたかった、と。

韓国の労働運動を扱った作品では、女性の強さ、というのを感じた。国労の人も、この韓国の労働運動を闘っている人も、不当解雇により大変な思いをされてきたのだけど、闘いを通して、仲間との強い絆を築いてこられた。苦しい生活を強いられながら、自分たちの正しさに自信を持ち、信頼できる仲間を得ることができた、という点で、重苦しさだけではない、運動のポジティブな面が描かれていたのもよかったと思う。

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指人形(ペルー)

ペルーでは路上で「店」を開いている人を度々見かけた。食べ物だったり、衣類だったり。そういう中で、子どもがやっていることが多いのが指人形売りだった。

Puppets_4いろいろな動物の指人形で、ひとつひとつ手作り。だいたいひとつ1ソル(約40円)。"Five Little Monkeys" という、子どもの好きな手遊び歌があるので、私はそれにあわせて歌えるように、5匹のサルを買おうと思い、見つけては買っていた。子ども達も「モンキー」という英語は知っていたりする(^^)。小さなサルにもみんな小さなシッポがついていて、それぞれに表情があって可愛い。で、他の動物もやっぱりほしくなって、最後、リマの民芸品店で、いろいろな動物を買い込んだ。ゾウ、キリン、トラ、シマウマ、イヌ、オオカミ、ペンギン、トリ、カメ、キョウリュウ...。カメの甲羅には詰め物がしてあってふっくらしているし、ゾウは服を着ているし、バナナを持っているサルがいたり、トリの足など小さいところまで手を抜かずに...というか、そういう細部を楽しんで作られている感じだ。

5匹のサルは、私の保育エプロンのポケットにおさまって、ちょっとした隙間時間に活躍中(^^)。他の動物も、時々子ども達の指にのり、おしゃべりしたり、一緒にダンスをしたりしている(^^)。

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ビデオ「39 刑法第39条」

刑法第39条とは、「心神喪失者の行為は、罰しない。心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。」というもの...だということを知ったのは、ビデオを見てからだけど。で、このことは私がずっと疑問に思っていることなので、話の切り口はおもしろかった。

ただ、日本語の映画とかドラマとかは、どうしても「芝居」だなぁと感じてしまってさめてしまうことがある。外国語だと、不自然な物言いだとしても私にはわからないわけだけど...。また、日本語でも、三谷幸喜監督の作品とかだと、明らかに芝居とわかっているので、それはそれで楽しめるんだけど...。

心神喪失の人は殺人を犯したとしても罰せられないのか。心神喪失者には責任能力がないから罰せられないんだ、というけれど、社会で暮らしている以上、自分のとった行動の責任はとるべきなんじゃないだろうか。もし、誰かに無理やり(あるいは知らないうちに)薬物を飲まされたり、催眠術にかけられたりして、犯罪行為を犯してしまった、という場合なら、その人に責任がない、というのはわかる。罰せられるべきは、薬物を飲ませたり催眠術を用いて、他人に犯罪行為を行わせた人ということになるだろう。でも、心神喪失者であったとしても、ふだん行動を制約されることなく普通に暮らしているのなら、犯罪を犯した場合は罰せられるべきだと思う。犯罪を犯す人は、基本的に、正常な判断能力を失っているわけで、「正常な判断能力がない」ことが罰を免れる口実にはならないと思うんだけど...どなたか、刑法第39条の存在意義について、私が納得できるような説明をしていただけないでしょうか...。あるいは、「うん、やっぱり、刑法第39条はおかしい」という意見も歓迎します。

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映画「イントゥ・ザ・ワイルド」

大学を優秀な成績で卒業した若者(クリス・マッカンドレス)が、物質至上主義社会と両親への反発から、誰にも告げずに旅に出る。自然と一体化した暮らしがしたいと、お金も持たずに「食べられる植物」というような本を持って。しばらく農場で働いてそのお金でライフルを手に入れ、獣の捌き方や燻製の仕方も教えてもらった。電話とかコンピューターとか、そういう文明の利器を使うことなく、自分の頭と体を使って自然を相手に生きる。人間よりも自然とともにありたい。

映画を見ながら、私にはできない生活だなぁと思ってしまった。ほんの2週間旅行に行くにも携帯電話を手放せない。水道の水漏れが直せなくて業者に来てもらう。車を定期点検に出す。車もコンピューターも、自分の使っている道具の仕組みをわかっていなくて、自分の生活を維持するために、たくさんの人の力を借りなくてはならない。荒野でひとりで暮らすなんて耐えられない。

彼は人間嫌いというわけじゃない。旅の途中で出会う人たちと、温かな人間関係を築いている。残った学資を貧しい人に寄付するような優しい心の持ち主だし、教育もあり、不躾でもない。でも、物質主義に毒された社会、くだらない法律(ルール)の支配する社会に我慢できず、究極の自由を求めた。アラスカの大地で彼はそれを得た、と思った。幸せだった。

彼の行動は青臭い。両親に告げずに勝手に放浪の旅に出てしまうという行為は、親の立場からは許せない。彼がどんなに両親を嫌っていたのだとしても。でも、彼の純粋さは魅力的だ。そして、彼が旅した場所の景色も本当に魅力的で、アメリカにはすごい自然がたくさんあるんだなぁと思う。彼がメキシコからロサンゼルスにもどってきたとき、街の風景がなんと貧しく見えたことか。聳え立つ立派なビル、そしてそこからはじきだされた人々。大自然のなかではそんなことがない。自然は人をそんなふうに区別しないのだ。

撮影監督が「モーターサイクルダイアリーズ」を撮った人(エリック・ゴーティエ)だと知って、納得。撮っている人がこの風景に感動していることがわかるというか...。また、この彼が実在の人だったのだと知ってびっくり。日記などが本当に残されていたのだろうか。映画の最後は創作だろうけど、実際に彼があんなふうに感じていたのならよかったなぁと思う。

心に残ったのは(以下ネタバレなので、見ていない人は読まないほうがいいと思います)

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卵の殻のポプリ入れ

次女の高校の文化祭で、PTA出し物担当としてお手伝いに。PTAでは、紙ひものバスケットと卵の殻のポプリ入れの手作りコーナーを設置。紙ひものバスケットは、不器用な私にはむずかしく(^^;)、もっぱら卵の殻のポプリ入れのほうを担当。これは可愛いし、簡単にできるのでおすすめ(^^)。

まず、金串や千枚通しのようなもので、卵の側面をツンツンとつついて穴をあけます。小さな穴が開いたら、小さなハサミ(眉毛カット用のハサミなどがいいです。私はキッチンバサミを使ったけど、必要以上に大きな穴になりがちでした)で切り広げて、楕円形の穴にします。長い径が3cm弱くらいかな。ポプリを入れるための穴なので、ある程度の大きさが必要です。楕円形の穴はギザギザになっても、それほどきれいな形でなくても、後で布で覆ってしまうので大丈夫。中の卵は普通に料理に使います。殻の中は洗剤で洗って乾かしておきます。PTA役員がこれをやって、ひとり10個の卵の殻を持ち寄りました。卵は赤玉のほうが殻の強度があるそうです。

さらに、殻の穴の部分を覆うオーガンジーの布を4cm四方くらいに切っておきます。また、殻に貼り付けるためのハギレを役員で持ち寄って、ピンキングばさみで一辺が2cmくらいの三角形に切り、同じような色の布を集めて箱に入れました。ポプリは100円ショップなどでも買えますが、役員のお友達にアロマショップの方がおられて、そこに頼んで3種類の香りのポプリを作ってもらいました。

Eggpopriここまでが下準備。実際の作業は、穴に好みのポプリを入れて(卵の殻の半分くらいかな)、穴のまわりに木工ボンドをつけてオーガンジーの布を貼りつける。で、三角形の布を4枚使って、その開口部がひし形になるように貼りつけます。あとはどんどん三角形の布を貼っていって卵の殻を覆いつくし、好みで最後に小さなリボンなどをつけてもいいです。

PTAの部屋はポプリのやわらかい香りが漂って癒しの空間になっていました(^^)。でも、高校の文化祭に来るのは、在校生の保護者とか、または中学生とその保護者が多く、やっぱり高校生の活動を見るのがメインなので、PTAの手作りコーナーに興味を示す人はそんなに多くはなかったんですが。私は楽しめました(^^)。

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ペルーの食べ物

ペルーの食べ物は総じてとてもおいしかった。海があるし、放牧もされているし、野菜はいっぱいあるし。市場の充実ぶりをみると、食べ物のおいしいのが納得できる。

なかでも、私が一番おいしいと思ったのが魚介類のたきこみごはんだった。
ペルーに行く前にペルー料理店で、ペルーの国民的料理だという「セビーチェ」を食べてその虜となり、海岸沿いの町に行ったらぜひセビーチェを食べようと楽しみにしていた。セビーチェというのは平たく言うと魚介類のマリネで、玉ねぎなんかと一緒に和えてあったり、コーンやそのほかの野菜が添えてあったり。辛さは客の好みにあわせて調節するようで、どこでも「どの程度辛くしたいか」を訊かれた。

アレキパやナスカでは食べるチャンスがなかったので、リマに来て「今日こそはセビーチェを食べよう」と、「地球の歩き方」に紹介されているセビーチェ専門店(セビッチェリア)に行くことにした。タクシーをつかまえて、店の名前と住所を見せ、行ってもらえるかと頼むと、住所を確認して引き受けてくれた。私たちが乗り込むと、わざわざCDを取り出してかけはじめた。友人が「これ、韓国語だと思うんだけど」と言うので運転手さんに聞いたら、そのとおり、韓国のCDだった。私たちを韓国人だと思ったのだろうか。その後、運転手さんはとても雄弁になり、知っている日本語として「ガイジン」とか「うわばき」(!)の意味を尋ねてきたり、私たちも片言のスペイン語で応じたり。で、これから食べに行くセビーチェのことを話し始めたら、「セビーチェは、夜、食べるものじゃないよ」と言う。私たちは夕食に食べるつもりだったのだけど、「歩き方」をよく見てみると、セビーチェ専門店の開店時間は午前11時から午後5時まで。ということは、その店はもう閉まってる!

仕方がないので、「歩き方」から、夜でもセビーチェが食べられそうな店をさがしてそこに行くことにし、運転手さんに行き先の変更をお願いした。運転手さんは住所を見て承知してくれたものの、あまりなじみのない地域のようで、どうも同じところを何度もまわっているし、警官を見つけては住所を伝えて行き方を尋ねている。そうやってようやくめざす店へ。

2824097582_c41d7f12e2で、このとき頼んだセビーチェももちろんおいしかったんだけど、一緒に頼んだ魚介類の炊き込みご飯が、本当に磯の香がする感じで、魚介類の旨みがご飯にしみこんでいて...。ちなみに、翌日のお昼ごろに、たまたまセビッチェリアを見つけたので、もう一度セビーチェを食べた。写真はこのときのセビーチェ(最初、セビーチェを食べたところでは写真を撮っていなかったので)。これのほかに店の人のすすめで食べたのが、魚介類のしょうゆ味チャーハンという感じのもの。これもおいしかったけど、どちらかというと「馴染みの味」という印象で、炊き込みごはんほどの感激はなかったかな。


レストランで食べる食事だけでなく、道端で売っているパンや市場で食べられるスープ、パパイヤやマンゴーなどフルーツのしぼりたてジュース...と、安くておいしいものもたくさん。ベジタリアンの人が結構いるのか、ベジタリアンレストランを何軒か見たし(ツアーや長距離バスの食事でも、ベジタリアンの人に配慮したメニューが用意されていた)、具だくさんの野菜スープはいつもおいしかった。心残りは、ゆでたてのとうもろこし(これもいろいろな種類がある)を食べ損ねてしまったこと。

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ペルーから絵葉書

マチュピチュから、保育園の子ども達にあてて送った絵葉書が、昨日、ようやく届いた。投函したのは、たぶん、日本時間では8月23日(消印は8月28日になっている)。届くまでに約20日かかったわけだけど、キューバからの40日に比べると速かったことになる(^^)。とはいえ、本人が帰ってから届く絵葉書というのはやっぱりちょっと間が抜けている(^^;)。

例年、3週間の休暇から戻ってくると、いろんなことが変わっていて浦島太郎状態になってしまったりするのだけど、今年はそうでもない。久々に会った保護者に、「(お子さんは)このところどんな様子でしたか」と尋ねたら、「ずっと悪態をついてたのよ」(He has been cursing) なんていう答えが返ってきて(^^;)、ええ?と思ったりもしたけど。まあ、確かに、一段とパワーアップした感じの我がクラスではある(^^)(^^;)。

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映画「闇の子供たち」

落ち込みそうな話だなぁと思いながら見に行ったら、やっぱり重い気持ちになってしまった。タイで児童売春をさせられる子ども達や、日本人の子どもに移植をするために臓器を売られる子どもの話。これが事実だとしたら、このままほおっておけない...という気持ちになるのだけど、こういう事実はあるのだろうか?

気になってパンフレットを買った。阪大の附属病院の福嶌さんという方が「他の子どもを殺してまで移植を受けたいという親はいない」と書いておられて(ネット上でも、「タイで、日本人が心臓移植を受けた例はない」と発言されている)、現実にこういうことがあったわけではないのかな、と思う。だとしたら、こういう描き方をすることは誤解を招くと思うのだけど、日本人に対する移植の例はなくても、実際に、移植のために殺されてしまう子どもはいるのだろうか?

問題をやたらセンセーショナルに扱った作品だとは思わないし、真面目に作られていると思うけど、どこまでが現実にあることなのかはとても気になる。

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アマンタニ島一泊二日ツアー

今回は、カメラはなくす、財布はなくす、と、トラブル満載(このほか小さいことも数え上げると...(*_*))の旅でしたが、なんといっても一番こわい思いをしたのが、冬の4000メートルの高地で遭難?という状況でした。

チチカカ湖は標高3800メートル、アマンタニ島はそこに浮かぶ島です。電気のないこの島にホームスティできるツアーがあるということで、クスコの旅行代理店でそのツアーを申し込みました(38ドル)。

プーノからモーターボートで30分、まず、葦の島ウロス島を訪れた後、さらにモーターボートで3時間、アマンタニ島へと向かいました。ツアーの参加者は全部で28名、アメリカ、イタリア、オランダ、イギリス、フランス...など、欧米からの参加者が多く、アジア人は私たちだけでした。ガイドさんはアンヘル(Angel。英語読みだとエンジェル)という名前のアマンタニ島出身の人。アマンタニ島の人たちはケチュア語を話すのですが、アンヘルはスペイン語は勿論、英語も堪能で(このほかポルトガル語やドイツ語も話すそうです)、わかりやすい英語を話してくれました。

アマンタニ島に着くと、ホストファミリーの人たちが出迎えてくれます。2人から4人ずつくらいのグループで、ひとつの家庭に滞在します。その人たちの家に行くのにも、ひたすら島を登る登る...。私たちの泊まる家は島の中腹くらいにありました。そこで、ホストマザーの作ってくれたお昼(キヌアとよばれる穀物の入ったスープとじゃがいもとチーズ)をいただき、しばらくしてから、島のてっぺんにのぼって夕陽を眺める、ということで、まずは競技場のようなところに集合しました。

そこの競技場では、地元の人と観光客が一緒になって、サッカーをプレイ中。3800メートルの高地でサッカー(ちなみに使っていたのはバレーボール)かよ、と思いつつ、言葉が通じなくてもルールは共通で、みんなで楽しめるスポーツっていうのはいいもんだな、と思いながらながめていました。

Amantanitop_2やがて4時半くらいになり、みんなが島のてっぺんへと登り始めました。私は歩くのが遅いので、友人には先に行ってもらい、途中、島の人たちが路上に出しているお店(セーターや手袋、指人形などを売っている)を見たりしながら、えっちらおっちら、のんびりと登って行きました。島のてっぺんは手持ちの高度計で3990メートル。昨日、コンドルの丘から眺めたプーノの町にはすごくたくさんの家が見えましたが、ここから見る景色は広い広い段々畑。そしてチチカカ湖はやっぱり大きくて海のようで、夕日が沈んでいく様はとてもきれいでした。

日もすっかり落ちたのでそろそろみんながもどりはじめました。島のてっぺんの少し手前にカフェがあり、そこでトイレを貸してもらったり、写真を撮ったりしている間に、ツアーの人たちもほとんどいなくなっていましたが、道はだいたい一本道という感じだったのでそれほど心配していませんでした。

少し降りたところで分岐点にさしかかり、左と右にきれいな石畳の道が続いています。確かこっちから来たよね、と左側に折れて歩き始めましたが、どうも道がまた登っていくのです。しかも、何人かの人がそちらから帰ってくる。下りのはずなのに変だと思って、帰ってくる人に、「これは村にもどる道ですか?」と尋ねたら、「違うわよ、この道は...なんとかっていうところに行く道で...」と答えられたので、あ、じゃあ、右に曲がらなきゃいけなかったのか、と思い、分岐点までもどって右に折れて進み始めました。今度は下っていく道で、店を出していた地元の人も家路を急いでいる感じでしたが、こんな道を通った覚えがない。他の観光客の姿も見ない。だんだん不安になってきました。地元の人が「どこへ行くの?」と声をかけてくれたのですが、さっきの競技場のことをなんというのかわからないし、ホストファミリーの名前も知らない(--;)。ペルーの町ではだいたいどこでも中心に広場(プラサ)があるので、「ここを下りていくと広場に行けますか?」と尋ねたら、「ああ、広場に行けるわよ」と答えられました。8時からフェスタがある、ということだったので、「フェスタの行われる広場ですか」と尋ねたら、「そうよ、暗くなるから急ぎなさい」という感じで言われたので、急いで道を下っていきました。そして着いたところはまさしく「広場」-El Plaza と書かれている場所でしたが、さっきの競技場ではありませんでした(*_*)。アマンタニ島は小さな島だと思い込んでいたのですが、実は結構大きな島で、翌日アンヘルに聞いたら9つのコミュニティがあるそうです。私たちはまったく別の村に迷い込んでしまったのです。これはさっきのところまで戻るしかないね、とまた来た道を登っていくことになりました。

あたりはすっかり暗くなり、電気のない島なので道もよく見えません。でも賢い友人は懐中電灯を持っていました(^^)。彼女が先に進みながら、足の遅い私の前を照らしてくれ、その優しさに感謝。空には満天の星。星のひとつひとつが大きくて、空いっぱいで、しかも空がすごく近い。小さな星の集まったように見えるのが、天の川なのか...などと話しながら、分岐点にもどってきたのが7時頃でした。右側じゃなかったからやっぱり左側か、ということで進み始めましたが、どうも違う。友人が「こんなきれいな道じゃなく、砂利道を通ってきたはずだ」というので、それらしい道を探すのですが、見つからない。しかも、さすがに寒くなってきました。私は.ダウンジャケット(ペットボトルサイズでとても軽く、暖かい。すぐれものでした)を持っていたのでそれを着込みましたが、私より寒がりの友人はかなりこたえていた様子でした。これ以上、動くのは危険かも...と話しつつ、てっぺんの近くのカフェに、もしかしたら人がいるかもしれない、ということで、友人が様子を見に行くことになりました。カフェのドアをたたいて「ハロー、ハロー」と何度も声をかけたそうですが、何の返事もなかった、ということで、下りてきました。どこか風をよけられるところを探さなきゃいけないかな、と思いながら、夕暮れ時、てっぺん近くで、携帯で話していた人がいたことを思い出して、もしかするとてっぺんまで行けば携帯が通じるかもしれない、と思って、今度は私が登って行きました。ペルーはどこでも携帯がよく通じましたが、アマンタニ島はさすがに圏外表示になっていたので、てっぺんで話す人を見て、へぇ、ここでも携帯が通じるんだ、とびっくりしたので覚えていたのです。プーノの旅行会社に連絡すれば、なんとかしてくれるかもしれない、と思いました。携帯でネットワーク選択を試みながら登りますが、失敗ばかり。と、前に灯りが見えました!

懐中電灯の明かりがちらちらと動いています。人だ!「助けてー」(Socorro!)と叫んで(こんな言葉を使う機会があるとは思っていなかった(^^;))、その人のところまで行きました。カフェの人でした。友人の声を聞いて出てきてくれていたのです。道に迷ったことを告げると、「一本道だから帰れるよ」と言うのですが、私たちは道がわからないので、村まで一緒に降りてもらえないか、とお願いしました。すると、ちょっと待ってて、と言って、女性ふたりをつけてくれました。その女性二人とともに分岐点まで下りてきて、まずは左に曲がり、どんどん進んでいくと、「ここで曲がるのよ」と言われました。左側に砂利道がありました。私たちはその道の右側ばかり探していて、この道が見つけられなかったのです。あとは一本道でした。そして、途中で、私たちを探しまわってくれていたホストファミリーの人に会いました。

家に戻ってホストマザーの作ってくれたごはんを食べました。ホストマザーの作ってくれるごはんはいつもおいしかったですが、このときはまた格別でした。フェスタの始まる8時はとおに過ぎていて、9時からダンスパーティがあるということで、9時少し過ぎにさっきの競技場の近くの集会所のところに行きました。観光客もみんなアマンタニ島の民族衣装を着ています。アマンタニ島の人たちと一緒になって楽しそうにダンスする欧米人観光客を見ながら、やっぱり私は踊れないなぁ...なんて思っていました。

翌日はタキーレ島へ。長くなったのでここで止めますが、実に実に思い出深いツアーとなりました(^^;)。

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帰国しました

ロストバゲッジもなく、無事帰り着きました。axbxcxさん、ご心配いただき、ありがとうございました。時差ボケもなく、元気です(^_^)。

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さよならペルー

出国審査も無事に済み、アトランタ行きの飛行機を待っています。いろいろありましたが、とても楽しい旅行でした。....ってまだ終わっていないので日本到着まで気を引き締めていきたいと思います。

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リマにて

今度は財布をなくしました(*_*)....パスポートはあります。

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