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サラ・ロイ氏講演会

パレスチナ・イスラエル問題の研究家(ハーバード大学中東研究所研究員)であるサラ・ロイさんが3月1日に来日され、この一週間、東京や京都で講演を行なってこられた。今日が最終の講演会で、「ガザが語る、パレスチナの将来 イスラエルによる占領を読み解く」と題して行われた。

サラさんのご両親は、ナチスによるホロコーストを生き延びられた方たちだ。つまり、サラさんはユダヤ人である。サラさんのおかあさんは、戦後、「ユダヤ人にとって安全な場所はユダヤ国家しかない」との考えのもとに、パレスチナへ移住しようと言う妹さんの提案に反対し、アメリカへ渡られた。

フラニアおばさんは、ホロコーストのような出来事が起きたあとでは、ユダヤ人にとって安全な場所は唯一、ユダヤ国家しかないと考えていました。母はその考えに反対でした。そして、決して首を縦に振ろうとはしませんでした。わたくしが生きる上で母がこれまで幾度となく語ってくれたことですが、イスラエルでは暮らさないという母の決断は、戦時中の体験から母が学びとった強い信念に基づいていました。それは、人間が自分と同類の者たちのあいだでしか生きないならば、寛容と共感と正義は決して実践されることもなければ、広がりを見せることもないという信念です。母は言います。「ユダヤ人しかいない世界でユダヤ人として生きることなど、私にはできませんでした。そんなことは不可能でしたし、そもそも望んでもいませんでした。私は、多元的な社会でユダヤ人として生きたかった。ユダヤ人も自分にとって大切だけれども、ほかの人たちも自分にとって大切である、そのような社会で生きたかったのです。(「ホロコーストとともに生きる」 by サラ・ロイ 翻訳 岡真理さん 全文はこちらで読めます。)

そんなわけで、私は、ユダヤ人としての立場から見たパレスチナ問題、というような観点から話が聞けるかと思っていたのだけど、第一部の講演では、サラさんの専門である政治経済学的な観点からパレスチナの状況を語る、というもので、英語が頭の上をすべっていき、あまりよく理解できなかった(^^;)。会場が満員で前のほうに席がとれなかったので、サラさんの顔が見えなかったのも一因かな。

第二部になって前のほうの席が少しあいたのでそちらに移り、サラさんの顔が見えるようになった。サラさんも、会場から出た質問に答える、という形だったので、原稿を読むのではなく、個人的な体験を交えながら話され、ずいぶん話がわかりやすくなった(私にとって(^^;))。「ユダヤ人であるあなたがどうしてパレスチナのことを研究しようと思うようになったのか」という質問に対し、学生として博士論文を書くためにガザを訪れたときのことを話された。研究の焦点は、「軍事占領という条件下で、アメリカの経済援助がどういう役割をはたしているのか」を調べることだったというが、サラさんはそこで「占領」というのがどういうものであるのかを身をもって体験することとなる。そして、それは自分の両親が受けたホロコーストと通じるものがある、と感じられた。

サラさんがそうやって初めてガザを訪れられたのが1985年。当時、ガザを訪れる外国人は珍しく、ガザの人たちは歓迎してくれた、というが、まず最初に聞かれるのが「あなたはクリスチャンですか?」という質問だった。それに対し、「いいえ、ユダヤ教徒です」と答えると、驚かれ、懐疑の目で見られることもあったが、1週間もするとおたがいにすっかり打ち解け、ユダヤ人であるということがかえって強みになった。ユダヤ人がパレスチナのことを知ろうとしている、ということで、いろいろなところへ連れて行ってくれた。サラさんはパレスチナの人たちのあたたかさや優しさに魅せられた、という。

さらに、「ユダヤ国家・パレスチナ国家の二国を建設する案か、いろいろな人たちが共存する一国を建設する案か、どちらがよいと思うか」という質問に対しては、「この問題については外国人である私がとやかく言うことではなく、パレスチナ・イスラエルに住んでいる人たちが決めることだ。しかし、現実問題として、オスロ合意でうたわれた『パレスチナ国家を建設する』という案はまったく機能していない。とにかく、イスラエルの占領を終わらせることが先決だ。それがないまま、二国か一国かを議論しても意味がない」と答えられた。

アメリカでもヨーロッパでも、イスラエルを批判するユダヤ人は増えてきているという。イスラエル国内においても。まだまだ少数派ではあるものの、そういう声がでてきている、ということを大切にしたい。日本でも、パレスチナ・イスラエルの歴史的背景をみんなが学び、新聞に投書するなどして、声をあげてほしい。書くことは大切だ。(サラさん談)

というわけで、私はとりあえずブログに書いておきます。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

こんばんわ。3/7の講演を聞いたものです。あなたのブログは非常に真面目に内容が書いてあって良いですね。ただ出来ればパレスチナ問題についてどうすれば解決に導けるか、書いてもらえると有難い、それが普通はこの問題を知らない人の最大の関心事だからです。

 さて「ユダヤ人としての立場から見たパレスチナ問題」は私の聞いた3/4の講演でサラ・ロイ氏がかなり丁寧に答えていました、その内容はパレスチナナビで公開されているエッセイに大きく重なるものです。ただ講演を聞いた一人としてはたしてあの文章がどれだけ人々に理解されているか疑問なので、あえて以下のように質問したい。
1サラ・ロイ氏の言っている事、ネット上で読める文章(ホロコーストとともに生きる)をどう読むのか?「ホロコーストとともに生きる」とはどういう事なのか?
2(より具体的に)イスラエルのガザ攻撃をホロコーストと等価のように、又はなぞらえて批判するのは正しい事なのか?イスラエル=ナチと批判するのは正しい事なのか?
3いわゆる反ユダヤ主義とは何なのか?イスラエルを批判することはホロコーストを否定する事になるのか?
4イスラエルにいる国民はなぜ攻撃を支持するのか?誰が?なぜ?支持しているのか。

 既に忘れさられようとしているガザの人のために、上記のような事を考えて発信する事が、彼らのためになる事だと思いますので是非答えて欲しいです。

投稿: zames_maki | 2009.03.09 02:53

zames_maki さん、

こんにちは、はじめまして。

3月4日の講演会に行かれたのですね。平日の昼間なのでちょっと行くのがむずかしかったのですが、そちらのほうが私の聞きたいような話だったようですね。

>ただ出来ればパレスチナ問題についてどうすれば解決に導けるか、書いてもらえると有難い、

まずは知ること、だと思って、私の理解した限りのことを書くようにしています。どうすれば解決に導けるかを書く力は私にはありません。世界の人たちが長年かかって取り組んでいるけど、簡単ではない問題ですから。

1:「ホロコーストとともに生きる」という言葉の英語の原文がどういうものなのかわかりませんが、ホロコーストを肯定されているわけではないと思います。ホロコーストという事実があった。その事実を消すことはできない。その事実のあとで生き延びた人の子どもとして、どう生きるべきか、という問いなのではないでしょうか。ユダヤ人というだけの理由で、多くの命が失われた、人を生かすか殺すかが、誰かの手に握られていた、そんな恐ろしい状況を経験した人の子どもとして、「過去の記憶が未来の記憶とならないようにするために可能なかぎりの手だてを尽くす」ことが必要なのだ、と考えておられるのではありませんか。

2:サラさんは占領とホロコーストを比べて、その規模は違うとしながらも、共通性がある、と書いておられますね。他者の人間性の否定というメッセージを伝えている、と。
イスラエル=ナチという言い方はされていませんが、相似性はある、と言っておられますし、私もそう思います。

3:反ユダヤ主義とは何か、という質問に答える力量は私にはありません。イスラエルを批判することがホロコーストを否定することになるとは思いません。

4:イスラエルにいる国民も一枚岩ではありませんよね。サラさんもおっしゃっていたように、イスラエル国内にもパレスチナ人のことをもっと知ろうとする人たちがでてきています。攻撃を支持している人は「自衛のため」と思っているのでしょうか。ハマスがテロリストである、というような宣伝は行われているでしょうし、ハマスのために私たちの生活がおびやかされている、というような思考回路が形成されている、というのはありえることだと思います。「かつてそこにパレスチナの人が住んでいた」という事実は教えられずに、通りの名ももともとのアラブ名を消し去って、ヘブライ語の名前がつけられている。自分たちがパレスチナの人たちの土地を奪った、という事実を知らない、あるいは自覚していない、あるいは考えないようにしている、というようなところがあるのではないでしょうか。現地の人たちと話したわけではなく、推測にすぎませんが。

zames_makiさんご自身は、それぞれどのようにお考えですか。

投稿: じゃりんこ | 2009.03.09 17:07

じゃりんこさん、お返事ありがとうございます。不躾な質問に誠実に答えていただき感謝します、そしてお返事にもおおむね同意です。しかし質問を続ける事が双方のパレスチナ理解のためになると思うので返答しつつ更に続けさせてください。

1「過去の記憶が未来の記憶とならないようにするために可能なかぎりの手だてを尽くす」これに私も同意です。
 しかしサラ氏の言っているのは「あなたは本当に過去を記憶しているのか?」でしょう。即ちホロコースト被害者の娘であるサラ氏はユダヤ人としてその記憶を持っているが、今イスラエル国民でありガザ攻撃を支持したユダヤ人は記憶を持っているのか?なぜなら記憶持っていればガザでの虐殺を支持するはずがないから。という事です。
 そして実際にイスラエルではホロコースト体験者は大事にされないと言う。イスラエルでは「我々は2度と殺されるような事にならない」という表現が使われるが、それはナチに虐殺されたユダヤ人が馬鹿だった、弱かったから殺されたという意味であり、ホロコースト体験者を否定する意味だそうです。

 一方、日本人である我々にもその問いは向けられている。即ち私の質問は「そもそもあなたは本当にホロコーストを知っているのか?」です。
 例えば3/4のシンポで徐氏はこう言う「日本はホロコーストを行ったナチの同盟国、即ち加害者だった。日本人はそれをどう反省し意味づけているのか?」又「ホロコーストと共通の植民地化について日本人は朝鮮を植民地にし、抑圧し殺した、それを本当に知っているのか?」という事です。
 どうですか?あなたはドイツや日本のした事の何を知っているのか?どう知っているのか?それでホロコーストを知っていると言えるのでしょうか?これは詳細な学術的な意味ではないです、又サラ氏に共感した人なら必ず答えるべき質問です。お願いします。


2>イスラエル=ナチ-相似性はある
3>イスラエルを批判することがホロコーストを否定することにはならない
 勇気ある回答ありがとうございます。同感です。しかし(私も詳しくは知らないのですが、)欧米では相手を「このナチ!」と批判すると重大な意味を持つようですよ。つまりその批判された相手は絶対悪であるという決定的な意味になりパレスチナ問題ではまったくのパレスチナ寄りと見なされる。そして一般的には反ユダヤ主義と見なされ、イスラエルをこのナチめと批判するのはホロコースト否定と受け取られ易いようです。そして実際最もパレスチナを支持しているイラン大統領はホロコーストなんかなかった、と言っている。
 そして日本でも類似の状況のようです。私の知っている例では、岡真理氏がガザをホロコーストになぞらえたのに対し、行きすぎだと黒人ディアスポラ研究者は2/6シンポジウムで言ったし、パレスチナ問題に詳しい鵜飼哲氏は(2/6も2/28シンポでも)ナチになぞらえる事に批判的です。
 またもしイスラエル=ナチというなら、絶対悪であるイスラエルをどうして放置するのか?という厳しい問いに繋がる訳ですね。

 そこで具体的に質問です。私は以下はOKだと思うのですが、
5例えばこのHP(http://axisoflogic.com/artman/publish/article_29348.shtml)をどう思いますか?
6パレスチナ問題を述べる上で、「イスラエルは虐殺をしている」「ガザで起きているのはホロコーストと同じだ」「イスラエルはナチと同じだ」という言い方をどう思いますか?それは日本人にどう受け取られるでしょうか?

長くなったので4は明日にしたいと思います。

投稿: zames_maki | 2009.03.10 02:34

zames_maki さん、

議論のための議論は好きではありませんし、ここでふたりで議論することがパレスチナ問題の解決にとってそれほど意味のあることだとも思えない(私には。zames_maki さんは違う意見をお持ちかもしれませんが、そのことを議論するのも有意義とは思えません)ので、簡単に。

サラさんはイスラエルのことをナチとイコールだとは言っておられません。相似性がある、とおっしゃっているだけです。そして、確かに共通点はある、と思います。
ホロコーストの事実について、私は詳細を知っているわけではありませんが、だからといって、ホロコーストについて何も言えないわけではないと思います。ホロコーストのすべてを知らないから、イスラエルを批判できないわけではないし、ホロコーストを経験しているから、何をしてもよい、ということにもならないと思います。

12月から1月のガザ攻撃についていうならば、「イスラエルは虐殺をしている」と言えるでしょう。もちろん、私が自分の目で見たわけではありませんが、子どもの目の前で両親を殺すようなやり方(私は自分の目で見たわけではありませんが、それが事実起こったことであろうと信じます。ホロコーストについてだって、私が実際に見たわけではありませんが、実際にあったことだと信じているわけです)が虐殺でなくてなんだというのでしょうか。
私がイスラエルを批判するのは、彼らがユダヤ人だからではありません。彼らのおこなっていることが、他者の人間性を否定していることだからです。だから私を反ユダヤ主義だといわれても、まったく的を射ていないと思います。言葉の問題を云々するよりも、具体的な事実に目を向けるべきではないでしょうか。今回の攻撃で1300人以上のパレスチナ人が死亡したことは事実であり、非難されるべき出来事です。ホロコーストを経験しているから許されることではないはずです。

投稿: じゃりんこ | 2009.03.10 17:47

これは議論のための議論ではありません、ストレートに言えば「あなたはガザで何が起きている事を本当に知っているのか?」「あなたはイスラエルを批判する資格があるのか?」と私は問うているのです。「知る」とは哲学や学術的な話ではなくメディアなどで交わされる実際的な話です。

私の問いにあなたは不快な思いをしたかもしれない、しかしそれはあなたが隣人にガザの事を話した時に「確かにパレスチナ人が死ぬのは可哀想だが、あれは何年たってもロケット弾をやめないパレスチナが悪いので自業自得だ」「あなたが言うようなイスラエル批判はアメリカでも又日本でも聞いたことがない、あなたは突出した学者の偏った意見に流されたのだろう」という言葉にあなたがどう答えるかという意味でもあります。

これらの反応はサラ・ロイ氏やサイードの言によればアメリカでは圧倒的大多数であり、日本でも似たような状況だと思う。そしてつきつめると実はあなたもそうではないのか?あなたは単に可哀想がっているだけなのではないのか?

(以下なるべく具体的に)
(1)
>ホロコーストのすべてを知らないから、イスラエルを批判できないわけではない
 世界では逆です、こう問われる可能性が大きい。「もしあなたがホロコーストを知っているというなら、そのホロコーストの苦しみの結果やっと国を得たイスラエルをなぜ批判するのか?ガザ攻撃で確かに多くの死者がでた、しかしあれはユダヤ人が国を建設し保全しようと仕方なくしている行為だ、パレスチナ人が指示に従えば彼らも傷つくことはない、なぜそれに反対するのか?」。すなわち何が問題で、何が解決なのですか?


 そして、イスラエルを批判する上で、ナチを引き合いにだしたり「イスラエルはガザでホロコーストをした」と言う事をどう思うのですか?おそらくホロコーストの知名度の大きさを考えれば、ホロコーストというキーワードをイスラエル批判の上で無邪気に使う事は困難でしょう。しかし使うべきだと思われる、それには何らかの思想や確信がいる、それは何か?
 それをあなたはパレスチナ問題とホロコーストには共通性があると言うがそれは何か?それを説明すべきです。そしてそれは多分以下につながるでしょう。


(2)
>彼らのおこなっていることが、他者の人間性を否定していることだからです
 こう問われたら?「日本はホロコーストを行ったナチの同盟国であり、実際にユダヤ人を救おうとした杉原千畝を罰したようにホロコーストに協力した。そうしたホロコーストに加害者として責任のある国の人が、イスラエルを批判するのは、実はホロコーストを上辺だけでなぞっているだけで本当は軽視しているからではないか?
 そもそも日本は韓国などを植民地にした事を今も反省せず、従軍慰安婦はいないと首相が2007年に言うなど、他者の人間性を否定することを現在もしている。安倍晋三の慰安婦に関する発言はドイツから見れば明らかに歴史修正主義者であり、それはドイツではホロコースト否定論者の意味です。そういう人間をなんの批判もなく首相にしていた日本人が、イスラエルを批評する資格があるのか?

 イスラエルよりまず日本人の方が他者の人間性を否定しているのではないのか?それでホロコーストを知っていると言えるのか?」

投稿: zames_maki | 2009.03.11 01:58

お二人の議論?とはまったく関係ありませんが、今回、エチオピアの村である夫婦から話を聞いていて認識を改めたことがあります。

そのご夫婦は妻が三度目、夫が二度目の再婚なのですが、夫がモスレムだったため、妻がオーソドックス(正教)からモスレムに改宗しています。 けれども妻の(前夫との間にできた)子どもたちはみなオーソドックスのままなのです。 一方、夫の子どもたちはモスレムです。 それで何も問題ないのかと訊くと、夫の切った肉を妻の子どもたちは食べない、妻の切った肉は夫の子どもたちが食べない、違いはそれだけだという答えが返って来ました。 また誰もモスクや教会には行かないそうで、子どもたちが大人になって行きたいと思ったらモスクでも教会でも行けばよいだろうと…。 その家からは1月に夫の娘と妻の娘(15歳と16歳)がほぼ同時に結婚しているのですが、夫の娘はモスレムの農民に、妻の娘はオーソドックスの聖職者に嫁いでいました。

いろいろな共存の仕方があるということを実感すると同時に、宗教とか国とか人種とかでくくって考えるのではなく、一人一人の個人あるいはケースで考えなければいけないということを痛感させられました。

もう10年以上前になりますがアウシュビッツに行ったことがあります。 その静かな田園風景と何の飾りもない展示の力とのコントラストが強烈でしたが、ここで知ったのは亡くなったのがユダヤ人だけではないということでした。 まずはポーランドの政治犯、そしてロマの人たち、さらにソ連の捕虜…、そういう人たちがたくさん亡くなっているのです。 やはりひとくくりにして語ることはできないなと…。

最後に、イスラエル人権団体についてのニュースがありましたので私の名前にリンクしておきます。

投稿: axbxcx | 2009.03.11 09:15

zames_maki さん、

もし話をしようとされるのであれば、どうか私の書いたこともよく読んでください。

>もしあなたがホロコーストを知っているというなら、
>それでホロコーストを知っていると言えるのか?

私はホロコーストのすべてを知っているとは言っていませんよ。すべてを知らなくても批判することはできる、というのが私の考えです。誰かが誰かを殺しているなら、それを止めようとするのが人間としてすべきことだというのが私の考えです。殺人をしているほうが過去に身内を他の誰か(ナチス)から殺されたことがある、というのは、他の人(パレスチナ人)を殺す理由にはならない、というのが私の考えです。

私自身はイスラエルをナチになぞらえていません。ただ、そういう言い方をする人がいても、それは理解できます。どちらも他者の人間性を否定しているから、とすでに書きました。ナチスはユダヤ人であることを理由に彼らをガス室に送りました。イスラエルはパレスチナの人たちがそこにいるから攻撃を行いました。イスラエル領内に残ったパレスチナ人についても、パレスチナ人であるがゆえに明らかな差別を行なっています。ホロコーストとパレスチナ問題には、ある民族が別の民族を、それを理由に虐待する、という共通性があると思いますが、いかがですか。

誰かが誰かを殺そうとしているのを止めるのに資格が必要なのでしょうか。もし、私が過去に大きな過ちを犯していたとして、私には他の人が殺人を犯そうとしているのを止める資格がないのでしょうか。私はそうは思いません。

zames_maki さんは、日本は過去に大きな過ちを犯したのだからイスラエルを批判すべきではない、とお考えですか。そうではなく、日本人も自国の歴史を学ぶべきである、ということなら、それはそうだと思いますが、それをしてからでないとイスラエルの攻撃を批判すべきではない、という考えには私は賛成しない、ということです。イスラエルがガザを占領していることを批判する声が大きくなることが、占領をやめさせる方法として有効である、と私は考えていて、そのためにはできるだけたくさんの人を運動に取り込みたいと思っています。虐殺を止めるための声をあげるのに資格は必要ない、というのが私の考えです。

axbxcx さん、

お話を聞いて、私はカナダで出会った運転手さんの話を思い出しました。「カナダでムスリムとして生きることは大変じゃないのですか」と不躾にも質問したのですが、「いろんな人がいていいんだ」という答え方でした。自分はムスリムとして教えに従って生きているけど、そうでない人がいてもかまわない、と。
カナダに行って、共存ってできないことじゃないな、となんとなく思いました。

投稿: じゃりんこ | 2009.03.11 18:22

じゃりんこさん、都会では共存できても村ではどうかという疑問があったのですが、村どころか家族の中で共存できるということに、新鮮な驚きを覚えました。 恐らくエチオピアの中でも稀なケースで、エチオピア人の知人はコボ・ワレダという土地柄のせいではないかと言っていました。

エジプト人と結婚してカイロに住んでいる日本人の友人にもこの話をしたのですが、やはりエジプトでは考えられないという返事でした。 モスレムから他の宗教に改宗するということ自体が普通は許されないのではないでしょうか。 上述の知人は、外部からの影響でエチオピアのモスレムも「原理主義化」していると心配していましたが…。

バハルダールの定宿で川又一英著「エチオピアのキリスト教 思索の旅」という本を読んでいたら、著者が同じホテルに泊まっていたことがわかり、何だか不思議な気持ちになりました。 エチオピアのオーソドックスの儀式がユダヤ教の流れを汲んでいるらしいこと、本来ユダヤ人のための十戒(のレプリカ?)を教会が祭っていることなど、いろいろ勉強になりました。

昨日、エチオピアが舞台のドキュメンタリー"NOVA: A Walk to Beautiful"を観たのですが、fistulaという病気?があることも知らなかったので、開発途上国を中心に200万人・300万人の患者がいると知って驚きました。 早婚がよくない理由がもう一つわかりました。

投稿: axbxcx | 2009.03.11 23:24

axbxcx さん、

アメリカ人の場合、家族内で宗教が違う、という状態があるのを聞いたことがあると思います。ムスリムとキリスト教徒、というようなのではなかったと思いますが...思い出したらまた書きます。

fistula については、FGM のことを学んでだ時に、少し聞いたことがあります。エチオピアではまだ FGM の実施率がかなり高いのではないですかね。昔、日本では早婚だったと思いますが、そんな例をあまり聞かないように思います(知らないだけかもしれませんが)し、やはりFGMが関係しているのではないかと思いますが...。

投稿: じゃりんこ | 2009.03.11 23:50

じゃりんこさん、fistulaのことが気になって一応は調べたのですが、fistulaと関係するのはFGMでも縫合型で分娩に支障が出る場合で、基本的には早婚・栄養不良で骨盤が小さいため分娩できないのが原因のようです。 映画の中でもお産に1週間掛かって死産だったというような例が出ていました。

またオーソドックス(エチオピア正教)の場合、男性はユダヤ教と同じく生後8日目に割礼するようですが、女性のFGMは必ずではなく、より多いのはエチオピアでも東側、つまりモスレムが多いソマリア・ジブチ側のようです。

ちなみに我が家は父がプロテスタント、母が仏教からカトリックに改宗という状態でしたが、その後、父がカトリックに改宗しました。 でも母の葬式の後、18年間カトリック教会には行っていないと思いますが…。

また私も洗礼を受けていますが同じような状態で、一方、妻は意識的無宗教です。 上の子は私の母の「力」で幼児洗礼を受けていますが、多分本人は知らないでしょう。 下の子は幼児洗礼も受けていません。

投稿: axbxcx | 2009.03.12 00:30

>私の書いたこともよく読んでください。
よく読んでおりあなたが問題を理解していないから書いているのです。ただようやく少し見えてきましたね。

>ホロコーストとパレスチナ問題には、ある民族が別の民族を、それを理由に虐待する、という共通性があると思いますが、いかがですか。
同感です。

(2)資格について
>誰かが誰かを殺そうとしているのを止めるのに資格が必要なのでしょうか。
>もし、私が過去に大きな過ちを犯していたとして、私には他の人が殺人を犯そうとしているのを止める資格がないのでしょうか。
 あなたは私が例示した従軍慰安婦問題をわざと無視したいようですね。従軍慰安婦問題ではその解決を日本政府にせまる運動をした日韓の関係者の間で、それをどんな問題と捉えるか、何が解決なのかで分裂がありました。
 すなわちそれが基本的な人権侵害であると共に、韓国側にはそれが民族問題、日帝の植民地支配責任という捉え方をしたが、日本側にはそういう見方はなかった。そして解決でも日本側では一部の人は日本国の責任認知と謝罪など到底無理だから、金を支払うのが解決だとしてアジア国民基金を作った。しかしこの解決が間違いであったのは今も活発に運動が行われているように明らかです。

 あなたにはこういうものから学んで頂きたい、日本で問題に関わる人間は何もわからずただ運動をすればいいのではなく、自分の犯した過ちをそこから学んで欲しい。あなたは杉原千畝を罰した日本政府をなぜ批判しないのですか?そういう自分の責任を棚上げにして他者だけを批判する行為は、相手からこう言われる「あなたにそんな資格はない」。
 こうした事も従軍慰安婦問題では実際にあった。2007年アメリカ国会で日本に対し元慰安婦への賠償を勧告する決議があった時、朝日新聞も含め日本人の多くは「原爆を反省していないアメリカにそんな事を言われる筋合いはない」という反応でした。真に人間らしくありたいのなら、他人を批判する時には、同時に自分の犯した悪業は反省するという資格は必要だと思いますよ。

 「ホロコーストと共に生きる」というエッセイや3/4の講演でサラ・ロイ氏が言っていたのは、そういう事を考えて欲しいという事だと思いますよ。自分の責任を考え引き受ける事が「資格」だと思います。
 もっと簡潔に言えばガザ虐殺を批判するためには、日本人であれば(少なくとも個人レベルでは)南京大虐殺や従軍慰安婦などをちゃんと反省する必要があるということです。しかし今の日本人の多くはひどくそれに無知無関心ですね。まるでイスラエル人がパレスチナ人への抑圧や殺害に無知無関心なように。

 パレスチナ問題でその反省をしていないがドイツでしょう。彼らはホロコーストという自分たちの罪を本当の意味では引き受けず、ユダヤ人国家建設という解決をパレスチナ人におしつけ、こんな問題になっているのにそれでよしとしている。彼らは自分の罪を見つめる事ができない為、イスラルを正面から扱えられず、なんでも反ユダヤ主義という形で批判を封じ込めてしまう。それが問題を難しくしていると思いますよ(特にアメリカで)。
 上記の理由でイスラエルをナチになぞらえたり、ガザ虐殺をホロコーストに対比させることに意味があると思います。

投稿: zames_maki | 2009.03.12 04:07

(1)何が問題で何が解決か
>誰かが誰かを殺しているなら、それを止めようとするのが人間としてすべきことだ
 おそらくこれが私の質問「何が問題で、何が解決なのですか?」の答えなのでしょう。あなたは「ともかく殺人はダメだ」と言っている。それは絶対平和主義とほぼ同じものですね。
 あなたの意見には賛成したいのですが、だがそれは実際には通用しないと思います。なぜなら歴史的に人間は対立を殺し合い(戦争)で解決してきたし、今も世界で紛争が起きており、それを平和に導くには「正しい理由のある側が、間違った行動をしている人を殺す事」で導かれるというのが実際だからです。
 日本のように平和がすでにある状態なら絶対平和主義はそれを維持するのに有効かもしれませんが、パレスチナのように現に攻撃しあっている状態では、ただ攻撃をやめてもそれは単に次の戦闘までの休止にすぎない。
 必要なのは「何が問題なのか」を把握する事から導かれる正しい理由=「何が正しい状態なのか」だと思います。そしてパレスチナではそれを武力で導くのではなく、話し合いで導くべきでしょう、なぜなら武力ではまったく均衡しておらずパレスチナ人はまったく相手にされないから。

 ですので「ともかく殺人はダメだ」ではなく「問題は何か」「何が正しい姿なのか」に注意をはらうべきでしょう。

投稿: zames_maki | 2009.03.12 04:08

axbxcx さん、

「ろうこう」っていうことばを初めて聞いたのがFGM の学習会でのことだったので、それによる弊害のひとつ、だと思っていたのですが、そういうわけでもないんですね。妊娠が可能であれば、出産も可能なような気もしますが、やはり栄養状態とかが関係しているんでしょうね。

夫の家も私の家も仏教で、宗派は違いますが、それが問題になったことはないですね。まあ、日本の場合、ほかの宗教に対しても寛容だという面はあると思います。パレスチナ関係の集会はお寺であったり、教会であったり。「宗教が違うから共存できない」っていうことはないと思えます。


zames_maki さん、

私は「ホロコーストを知っている」なんて言っていないのに、「ホロコーストを知っているというなら」なんて二度も書かれてはがくっときてしまいます。ああ、この人は私の書いているものなんか読んでいないんだなぁ、人の話を聞く気はなくて、ただ自分の言いたいことを言うだけなんだなぁ、と思うわけです。

「従軍慰安婦」と呼ばれる人たちについて私がどんなふうに考えているかに興味がおありでしたら、「ナヌムの家」の感想をお読みください。
http://jarinko.tea-nifty.com/blog/2007/08/post_c9ce.html
その後、「ガイサンシーとその姉妹たち」も見て、しんどいけど、日本人が知らなくてはいけないことだと思っています。

ただ、ガザで実際に苦しんでいる人がいるときに、その苦しみをなんとかやわらげたい、とりのぞきたい、と思うときに、運動にできるだけたくさんの人を取り込もうとするなら、そんなにきびしい資格を求めている場合ではない、と思うんです。世界の各地で様々な社会運動が内部分裂を起こすことはよくありますが、もったいないことだと思います。ハマスとファタハにしても、本来、一緒に戦えるはずなのに...今となっては共闘するのはかなりむずかしそうですが、でも、それってイスラエルの思うつぼなわけです。

>なぜなら歴史的に人間は対立を殺し合い(戦争)で解決してきたし、今も世界で紛争が起きており、それを平和に導くには「正しい理由のある側が、間違った行動をしている人を殺す事」で導かれるというのが実際だからです

でも、その実際を肯定しておられるわけではないのでしょう?パレスチナでは話し合いで解決への道を導くべきだ、とおっしゃっているのですから。「正しい状態」はナクバ以前の状態にもどることでしょうが、イスラエルが成立している今、イスラエルに住んでいる人たちをすべて追い出してしまうことも現実的だとは思っていません。そして、「イスラエルと対話の用意がある」と言っていたハマスの指導者がイスラエルによって暗殺されてしまうような状況では、その話し合いもむずかしい。イスラエルがハマスと対話を持つように、国際社会が圧力をかける必要があると思っています。圧力をかけるには数が必要だと思うんです。だから、「ガザの人たちと連帯したい」という気持ちがある人となら、誰とでも手を組みたい。運動を分裂させるのではなく、統合していかなくてはいけないと思うんです。

投稿: じゃりんこ | 2009.03.12 18:20

じゃりんこさん、フィスチュラについては下記にわかりやすい説明がありました。 基本的には骨盤に比べて赤ちゃんの頭が大きすぎるときに起こるもので、出産時に医療にアクセスできれば防げるもののようです。 また手術で9割は治るとあります。

http://www.fistula-japan.org/fistula.htm

なお、賞を取ったドキュメンタリー映画"NOVA: A Walk to Beautiful"の舞台もここにあるアディスアベバ・フィスチュラ・ホスピタルで、キャサリン・ハムリン医師も登場します。

私が回っている村も、保健センターまで何時間というところが多く、早婚も多いですから、フィスチュラに苦しんでいる人がおられるでしょう。

投稿: axbxcx | 2009.03.12 21:28

axbxcx さん、

私、病院での出産というのにちょっと抵抗があるので(^^;)...母子ともに危険な状態とか、このように「ろうこう」になる可能性がある場合などで医療が必要なときがある、ということは理解できるんですが...先進国のように「病院での出産が基本」っていうのも、本来どうなんだろう、とちょっと思っています。今回の話とは少しずれますが...。でも、保健センターまで何時間、というような状況だと、やはり大事をとって病院で出産すべきなんでしょうかねぇ。

"NOVA: A Walk to Beautiful" は、日本でDVDは出ていないようですね。「シッコ」をおさえて賞をとった、ということですから、そのうち日本でもドキュメンタリー特集なんかで上映されることがあるかな...。

投稿: じゃりんこ | 2009.03.12 22:24

>「従軍慰安婦」と呼ばれる人たちについて
>日本人が知らなくてはいけないことだと思っています。
 はっきり書かかせてもらえば、それは認識が甘すぎる。慰安婦について「知る」のではなく、「解決」が要求されているのです。それも、もう10年以上前から。

 そしてこんな原始的な感想を堂々と返すなんて、残念ながら従軍慰安婦問題について私が前回説明した事をあなたは、まったく理解していないようですね。
2007年に従軍慰安婦問題で何があったか、自分の国の首相がそこで何を発言したか、又少なくない国会議員が何をしたか、それへの反省がまったくない。こうした原始的な感想から推測すると、慰安婦問題に限らずあなたは日本人が63年前にした悪行をほとんど知らないように感じます。

 日本ではそれを知らないのは必ずしも責められない事ですが、「ガザの人を救いたい」と思うことが、理解する機会に繋がったのでは?これを機会に少しは実の所を調べてみる事をお勧めします。慰安婦とはどういう存在なのか?日本人の多くはそれにどう言っているか?


何より大事なのは、従軍慰安婦問題は過去の済んだ事ではないことです。イスラエルに対しガザ攻撃を批判するように、日本人が今当然批判されるべき事なのです。
 今現在も、日本国に被害者から訴訟を起こされており、国連、EU、アメリカ、韓国などから国会決議として解決を促されている事です。それは「知りたい」では済まされない事でしょう。

>そんなにきびしい資格を求めている
 まったく厳しくないと思いますよ、ただ知りたくないだけでしょう。あなたが従軍慰安婦問題に「解決」が迫られているのを知ろうとしなかったように。

投稿: zames_maki | 2009.03.13 01:57

じゃりんこさん、フィスチュラになるような状態、つまり手術をしなければ母子ともに危ない場合を除けば、病院で出産する必要はないのではないでしょうか。 伝統的な産婆さん(TBA)にちょっとフォーマルな研修を受けてもらって、後は危ないと思ったら保健センターに行けるようなシステムがあればよいのではないかと思いますが…。

日本の妊産婦死亡率もいまでこそ出産10万件当たり5人を切っていますが、1940年代前半には200人を超えていたようです。 ちなみにエチオピアは2000年で850人ですから、いまの日本の100倍・200倍というレベルですし、こんな計算に意味があるかどうかわかりませんが、一人で5回出産したとすると25人に一人が出産で亡くなることになります。

ところで、"NOVA: A Walk to Beautiful"はRegion 1ですけれど、日本のAmazonで買いました。 3月7日に注文したら9日には着いていたと思います。 1,873円。

投稿: axbxcx | 2009.03.13 01:59

>私は「ホロコーストを知っている」なんて言っていない
 あなたは色々書いており自分がそれを知っていると思っているから書いている。本当に知らないと言うなら、素直に私の指摘に従うはずだ。「知っている/いない」というのは、既に書いたように学術的でも哲学的な意味でもないですよ。

>「ガザの人たちと連帯したい」という気持ちがある人となら、誰とでも手を組みたい。運動を分裂させるのではなく、統合していかなくてはいけない
 運動の趣旨や方向性はまったく同意です。また「殺すな」は理想としてはその通りでしょう。

 しかし「何が問題で何が解決か」を放棄したまま、又「ともかく殺人はダメだ」という要求は通らないし、それでは統合もできないと思いますよ。
 なぜなら、パレスチナ側もイスラエル人を殺して当たり前だと思っているからです。又実際、国際的にも紛争当時者は双方殺しあう(攻撃しあう)権利を持っているからです。
 この時単純な「殺人はダメだ」というメッセージは、紛争当事者から解決ための手段を奪うことになるから、けして受け入れないでしょう。

 紛争当事者が話し合いを求めるのは、武力での打開に見通しがないときに初めて行われるのが実際でしょう。だがパレスチナは今では自分の武力ではイスラエルを交渉の席に着かせることはできません。
 だから我々支援者はパレスチナの暴力停止を求めると、同時に、イスラエルに攻撃をやめて交渉の席に着かせるよう圧力をかける必要があるでしょう。

 そうした交渉への見通しがなければ「ともかく殺人はダメだ」はパレスチナを封じることにしかならない。「ともかく殺人はダメだ」はすぐに、イスラエルの言う「まず最初にハマスはロケット弾をやめろ、やめるまではイスラエルは攻撃をやめない」にはまりこんで、結局あなたはイスラエルの手先になってしまうからです。

 「ともかく殺人はダメだ」は日本人には人気がありますが、それは絶対平和主義であり、国際的には理想主義・空想とみなされている。日本人同士ならともかく他国には要求できないと思いますよ。

投稿: zames_maki | 2009.03.13 02:02

zames_maki さん、

「従軍慰安婦」と呼ばれる人たちについて、もう少し知るように努めます。

axbxcx さん、

危険があるかどうかは経験ある産婆さんならある程度わかるでしょうしね。ただ、「いざというときに保健センター」っていうのがそれほど簡単ではなさそうですね。

"NOVA: A Walk to Beautiful"を検索したら、日本のアマゾンがヒットしたので、ああ、買えるんだな、とは思ったんですが、まあ買ってまで見ることもないかな、と(^^;)...日本語版がでないのは、日本では流行らない、という判断なんでしょうかね。


投稿: じゃりんこ | 2009.03.13 20:35

じゃりんこさん、元がPBS(公共放送サービス)の1時間モノのテレビ番組ですから、ビデオになるのは稀なのかも知れません。 私が検索したときは確か1本だけあるという表示だったので、直ちに注文しました。(^^) 観た後、fistulaで検索したら、よく存じ上げている人の名前と写真が出てきたりして、世の中狭いなあと…。

ドキュメンタリーの中にも街道まで歩いて6時間という話が出てきたと思いますが、私の回っている村もそんな感じです。 出稼ぎに行くのに岩窟寺院で有名なラリベラに出て、そこからバスに乗るという人は、早朝に家を出れば夜にはラリベラに着くと言っていました…。 車なら1時間半ですが…。

今日は「明日へのチケット」観ましたは、展開にちょっと難しいところがありました。 個人的には三つの話がもう少しつながっていると言うか、交錯?していた方が好みですが…。 最後で何だかホッとしました。

投稿: axbxcx | 2009.03.13 23:52

axbxcx さん、

もともとはテレビ番組なんですか。テレビ番組もおもしろいものが作られることってありますものね。

>観た後、fistulaで検索したら、よく存じ上げている人の名前と写真が出てきたりして、世の中狭いなあと…。

私、映画「バックドロップクルディスタン」で、パレスチナ関係の集会で時々見かける方を見て、「あ、あの人だ!」と思ったことがあります(^^;)。

「明日へのチケット」はほんと、最後がいいですよねぇ。あの中年女性は見ているとちょっとムカムカしてしまいます(^^;)が...あれは、何を言いたいのか、私にはよくわかっていなくて...

私は、「ホルテンさんのはじめての冒険」の監督が作った「キッチン・ストーリー」というのをこの間見たんですが、結構好きな作品でした。やっぱりのんびりとした調子で話が進むんですけど、ちょっとおかしく、ちょっと物悲しく、という感じで。北欧もいいなぁ、と(^^)。

投稿: じゃりんこ | 2009.03.15 00:47

じゃりんこさん、「ホルテンさん」も「チェ」も観たい映画のリストに入っているのですが、なかなか映画館に行けなくて…。

「明日へのチケット」は真ん中のエピソードが一番訳がわかりませんでした。 あの将軍の奥さんと兵役義務?で仕えていた青年、あれは一体何だったのか。

私も北欧の映画好きです。 フィンランドのアキ・カウリスマキ監督の大ファンですし、スウェーデンの「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」は好きな映画20本?には入れると思います。 あとデンマークのドグマ95系の映画も好きです。

話は変わりますが、最近、笠智衆の「小津安二郎先生の思い出」を読みました。 何だかほのぼのしました。 そしてまた尾道に行きたくなりました。

投稿: axbxcx | 2009.03.15 01:46

axbxcx さん、

「シリアの花嫁」はリストに入っていませんか(笑)?最近、見た映画の中で私が一番好きだったのは「シリアの花嫁」でした。「ホルテンさん」はいまいち私にはピンとこなくて(axbxcx さんはお好きかもしれません)、「チェ」はゲバラファンのための映画、という感じで、映画の出来としてはどうなんでしょう...でも、2本目は結構人が入っていました。1本目がそれほどおもしろい出来でもないのに2本目にあれだけ人が入るっていうのはやっぱりゲバラファンが多いんでしょうね。きっと飯田橋あたりで二本立て上映をするのではないかと思います(^^)。下高井戸でも上映はされそうですよね。

「キッチンストーリー」は、もしまだご覧になっていなければ、ぜひ...と言いたくなる作品ですね、axbxcx さんには(^^)。

「明日へのチケット」、あの奥さん、ほんとにわけがわからないんですけど、でも、今でもすごく印象には残っています。エピソードのひとつひとつが印象に残る映画だったなぁ、と。

尾道、私は行ったことないんですが、広島出身の友人が「尾道三部作」の話なんかもしてたなぁと思い出します。日本にも行きたいところはいろいろありますね。

投稿: じゃりんこ | 2009.03.15 08:23

「キッチン・ストーリー」は妻が気に入っていましたが私はまだ観ていません。 「シリアの花嫁」も話題には出ています。

私の場合、いま映画を1本だけ選べと言われたら、間違いなく「東京物語」を取りますので…。 今度尾道に行ったら、ヴィム・ヴェンダースが「尾道への旅」で"The Dead Tree"という写真を撮った場所に立ってみたいと思っています。

前回は新尾道三部作の「ふたり」で親友の実家になった旅館魚信の、「あした」で多岐川裕美が座っていた部屋(須磨の間)に泊まりました。

投稿: axbxcx | 2009.03.15 11:56

axbxcx さん、

「キッチン・ストーリー」、おひまなときにぜひどうぞ(^^)。

「シリアの花嫁」も奥様とご一緒に楽しめる映画だと思います。私、映画の日に見に行ったんですが、岩波ホールって映画の日でも1000円じゃないんですね。1400円でした。

私の場合、映画を一本選べと言われたら「モーターサイクルダイアリーズ」です(^^)。

投稿: じゃりんこ | 2009.03.15 13:23

じゃりんこさん、「キッチン・ストーリー」借りて来ました。 「モーターサイクルダイアリーズ」はDVD持っていますが、まだ新し過ぎてそこまで評価が定まっていません。 その点、「東京物語」や「七人の侍」、あるいは「オズの魔法使い」辺りは評価の動きようがありませんから…。

「映画の日」はあまり意識しませんが、50割が効くかどうかはチェックしています。

投稿: axbxcx | 2009.03.15 18:02

axbxcx さん、

借りてこられましたか(^^)。あんまり期待をもたされるとハズレだったり...なんてこともありますが、これはたぶん大丈夫だと思います。axbxcx さんの場合は、調査をする人、という立場からの視点もあるかも...。感想を楽しみにしています(^^)。

投稿: じゃりんこ | 2009.03.15 18:18

「キッチン・ストーリー」観ました。 好きなタイプの映画でした。(←じゃりんこさん的コメントですが…。) 言葉がわからないのと、話の展開がわからないのとで、何度かDVDを戻して観直す必要がありましたが、ああいうユーモアって好きです。

特典でベント・ハーメル監督が米国よりは英国に近いかな、でも米国にもコーエン兄弟の「ファーゴ」があるし…というようなことを言っていましたが、英国なら「カレンダー・ガール」などの一連の映画が頭に浮かびます。

オーディションも方法論も嫌いだという監督だけあって、やっぱり「第三者評価」がイヤなんでしょうね。 人間は対話して初めて理解し合える…。

投稿: axbxcx | 2009.03.20 00:15

昨晩、書き忘れましたが、音楽がまたとても気に入りました。 出だしからオッ!と思いました。

実は昔からスウェーデンのJAZZって好きで、ケニー・ドリュー(米国から移住)、N.H.O.ペデルセン、フィリップ・キャサリンなどの名前が頭に浮かびます。 また「ディア・オールド・ストックホルム」はスタンダードになっている曲の中でも特に好きな1曲です。 何でも元はスウェーデンの民謡だとか…。

投稿: axbxcx | 2009.03.20 08:33

axbxcx さん、

>じゃりんこさん的コメントですが…

はは、確かに私ってそういう言い方しますよねぇ(^^;)。一般的に良い映画であるとか、そういうことはなかなか言えなくても、好きかどうかは言っていいというか、それが私にとって大事というか。

で、読みがあたってうれしいです(^^)。その映画が好きかどうかには音楽も大きな要素ですよね。私の場合、「キッチン・ストーリー」の音楽に特に惹かれる、っていうことはなかったですが...

私は、ちゃんとまきもどして見直すとかしていないので、そもそも、どうしてスウェーデンの人たちがノルウエーの人の生活を調べるのか、とか、いったい何語で話しているんだろう、とか、疑問をもったまま見ていました。

黙っていればその存在が忘れられるかといえば決してそんなことはないわけで、そんな状態で正しい調査結果なんて得られるわけがないですよねぇ。でも、そういう発想が可笑しく、それに抵抗する登場人物たちがいとおしいというか...好きな映画でした(^^)。

投稿: じゃりんこ | 2009.03.20 17:03

別のチームはフィンランドに行って調査しているという設定でしたから、スカンジナビアってそういう関係なのかなあって…。

特典の中で、「テレビでキッチンの動線を調べる調査をやったという話を見て、ずっと映画にしようと思っていた」と監督が言っていました。

NHKの「プロジェクトX 挑戦者たち」の中で、公団住宅の設計をする話(執念の逆転劇 妻へ贈ったダイニングキッチン/勝負は一坪・住宅革命の秘密)は特に印象に残っているのですが、確かコンロとシンクの位置関係を決めるために実際にテストして定説を覆していたと思います。 ですから「客観的調査」が必要なことも多々あるとは思います。

投稿: axbxcx | 2009.03.20 17:49

余談ですが、ノルウェーはデンマークの支配を受けていたので言葉もかなりデンマークに近いようですね。 でもスウェーデン語とノルウェー語も意思疎通が可能とあります。

一方フィンランドはスウェーデンに支配されていたので、フィンランド語だけではなくスウェーデン語もある程度通ずるようです。

とは言っても、スペイン語とポルトガル語程度の関係なのか、あるいはスペイン語とイタリア語程度の関係なのかとか、ドイツ語・オランダ語と比べてどうかとか、私には想像もつきませんが…。

投稿: axbxcx | 2009.03.20 18:13

axbxcx さん、

キッチンの動線を調べることには意味があると思うんですけど、被験者とまったく会話をしてはいけない、っていうような設定はないと思うんですけどね。人間の心理として、わけのわからない人に黙ってじっと見られていたら、自然には動けないでしょうし。調査者と会話をして、この人は信頼できる、となれば、自然に近い結果が期待できそうな気がします。

ラオス語とタイ語も近い、という話を聞いたことがあります。意思疎通ができるらしいです。私、ノートパソコンの壁紙、今は「モーターサイクルダイアリーズ」ですが、この映画を見る前は「ライフイズビューティフル」でした。で、それを見た同僚(スペイン語ネィティブ)が、「あ、これいい映画だよね」と言うので、「イタリア語わかるの?」と訊いたら「話せないけど、だいたいわかるよ」と言っていました。確かに似ていると思いますし、わかりあいたいという思いがあれば、話ができるのかも?ノルウェー語とスウェーデン語もそういう関係なんですかね。国民性はかなり違う、みたいなことが言われていた気がしますが、ほんと、行ってみたいです(^^)。

投稿: じゃりんこ | 2009.03.20 20:02

まさにその「あり得ない」ところがこの映画のユーモア?なんだと思いますし、「ファーゴ」や英国映画のユーモアにもつながるところだろうと思います。

うちの娘はタイ語をやっていましたが、タイでは山地のカレン族の村で調査をしていました。 そう言えばカレン族がどのくらいタイ語をしゃべるのか聞いたことがありません。 今日も会社に出ているようですが、帰って来たら聞いてみます。

投稿: axbxcx | 2009.03.20 20:50

axbxcx さん、

>まさにその「あり得ない」ところがこの映画のユーモア?なんだと思います

はい、私もそう思っています(^^)。

イギリス映画って、なんか「おかしみ」のあるものが多い気がします。「やわらかい手」にしても「人生は、時々晴れ」にしても「イースタン・プロミス」にしても...やっぱりハリウッドとは違う雰囲気がありますね。
「ファーゴ」は初めて見たとき別におもしろいと思わなかったのですが、数年後?ロンドンのメールフレンドに言われてもう一度見てみたら結構おもしろくて、「あれ?なんでつまんないと思ったのかな」と思った作品です(^^;)。
http://jarinko.tea-nifty.com/blog/2004/10/post_17.html

カレンの人たちもタイ語は結構話せるんじゃないですかね、もちろん私は全然事情を知りませんが(^^;)。
ペルーのアマンタニ島の人たちはケチュア語を話していますが、スペイン語はかなり話されます。でも、観光客がほとんど来ないようなところだと事情は違うかもしれませんね。

投稿: じゃりんこ | 2009.03.20 21:19

コーエン兄弟とジム・ジャームッシュとデビッド・リンチは特に好きな監督なのでボックスで持ってます。

「ファーゴ」を観たときには、元になった事件があるんじゃないかと思って、ミネアポリスやセント・ポールの新聞を真剣に検索してしまいました。(^^; ← まったくの作り話でした。

去年、ボールダーからの帰り、飛行機の故障でミネソタ州ブルーミントンのモーテルに泊まる羽目になったときは、2月だったせいもあって、「ファーゴ」の場面が頭に浮かんで仕方ありませんでした。 フランシス・マクドーマンドって、いいですよね。 「スタンドアップ」も印象に残ってます。

「キッチン・ストーリー」を観直しましたが、天井に穴を開けた後のシーンでは椅子の上の「おがくず?」を払っていたり、あちこちに伏線があるのに気づきました。 もっと観たらきっともっと出てくるんでしょう。

スウェーデンが右側通行に変わったことは知っていたので、舞台をそれ以前にする必要があったんだろうと思って観てましたが、調べてみたら1967年ですね。

映画を観ていたら、何だかダーラヘスト(スウェーデン馬)が欲しくなってしまいました。

投稿: axbxcx | 2009.03.20 23:28

axbxcx さん、

やっぱり徹底ぶりがすごいですね、いろいろ(^^;)...
私の場合、映画を見直したり、とかあまりしないです。
DVDの特典もそんなに見ることはなく、この間初めて「アマロ神父の罪」という作品で、監督とガエル・ガルシア・ベルナルが解説しているのを全部見てしまいました。

ファーゴが出た1996年ころって、インターネットはまだそれほど普及してなかったですよね。新聞の検索って図書館に行ってされたのでしょうか。

フランシス・マクドーマンドって、私は「ファーゴ」くらいしか覚えてませんでしたが、そういえば「スタンドアップ」に出てたんですね。姐御肌っぽい感じで、「女はしょっちゅうトイレに行かなくちゃいけないのよ」って言ってた人ですよね。そう言われれば、シャーリーズセロンよりも存在感があったかも(^^)。

投稿: じゃりんこ | 2009.03.21 01:50

検索ですけれど、NIFTYから入ることのできた有料データベース検索を使って探しました。

「ファーゴ」のウィリアム・H・メイシーは何だかそのものでしたね。 奥さんのフェリシティ・ハフマンが怪演した「トランスアメリカ」(珍しく妻が自分でDVDを買った映画です。最近では後は「Dearフランキー」くらい)では製作総指揮をしてますね。

投稿: axbxcx | 2009.03.21 22:37

axbxcx さん、

>NIFTYから入ることのできた有料データベース検索

ああ、そういうの、ありましたね。私も何度か使ったことがあります。海外の新聞を検索したことはないですが。

ウィリアム・H・メイシーは、ほんとによくはまっていたと思います。他の映画で彼を見かけると、「あ、ファーゴの人」と思ってしまいます。

「トランスアメリカ」は私も好きです。ティム・ロビンス夫妻とか、夫婦でいい役者って結構ありそうですね。私はよくは知りませんが。

投稿: じゃりんこ | 2009.03.21 23:08

じゃりんこさん、監督も役者も「思想」のある人が好きです。 スーザン・サランドンは何と言っても「ロッキー・ホラー・ショー」、そして「テルマ&ルイーズ」です。 ティム・ロビンスは「ショーシャンクの空に」の印象が強過ぎて、他の映画を観てもどうもピンと来ないと言うか…。

で、タイのカレン族ですが、子どもは学校に行っているのでタイ語がしゃべれますが、大人はしゃべれる人もいるという感じのようです。 またラオス語はタイ語の東北部の方言とはかなり近いけれど、標準タイ語とは違うというのが娘のコメントでした。 ただおっしゃるようにラオスの人もタイのテレビを観ているので、それでタイ語がある程度聞き取れるようです。 ラオス人、タイ人と一緒に旅行したことがあるけれど、意思疎通はできていたようだと言っていました。

投稿: axbxcx | 2009.03.23 12:59

axbxcx さん、

「ロッキー・ホラー・ショー」は知らないです。「テルマ&ルイーズ」はロンドンのペンフレンドが好きだと言っていたので見ました。でも、そのころって「スーザン・サランドン」という名前も知りませんでした。スーザン・サランドンといって思い出すのは、私は「依頼人」とか「デッドマンウォーキング」ですね。ティム・ロビンスは結構いろんな役をやってますよね。

タイ語のこと、聞いてくださってありがとうございました(^^)。普及にはやはり学校教育とテレビ、なわけですね。あとは相手を知りたい、という気持ちでしょうか。コミュニケーションにおいて言葉がはたしている役割は7パーセントで、声の調子とかボディランゲージがになっている役割のほうが大きいそうですから...とはいえ、やはり言葉は重要だと思いますが。

投稿: じゃりんこ | 2009.03.23 18:13

「依頼人」「デッドマンウォーキング」もいい映画でした。 どちらも原作、読みました。

コミュニケーションについては定義によるんでしょうね。 感覚的な部分になればなるほど言語が必要なくなるでしょうし、論理的になればなるほど言語が強いでしょうから…。

私自身は実は右脳=感覚脳で考えている部分が大きいのではないかと思っています。左脳=論理脳で考えているのは短期的かつ直線的なことが多くて、大事なことを、長期的かつシステム的に考えるときには右脳なのではないかと…。

何だか定性評価と定量評価の話をしているみたいですが、そういう意味では言語の役割が小さいと言うのに7%という「厳密な」数字を使っているのはちょっと不思議な気もします。 いや、すみません、日頃からそんなことばかり考えているものですから…。

投稿: axbxcx | 2009.03.23 20:25

axbxcx さん、

コミュニケーションについては職場で研修を受けたことがあって、そのとき7パーセントっていう数字が出てきていたんです。
http://jarinko.tea-nifty.com/blog/2006/04/post_f47f.html
いろんな説があるのでしょうし、この統計がどういうふうな経緯で出てきたのかについては私はよくわかっていません(^^;)が、へぇ、と思ってびっくりしたことは覚えています。

2歳児とか赤ちゃんとか、障がいを持った子どもとかとつきあっていると、言葉以外の手段でのコミュニケーションが大事というか、それでコミュニケーションが成り立つ部分も大きいということは実感しています。
海外に行って、言葉が通じなくても気持ちが通じることはある、ということも経験しています。
でも、相手のことをもっと知りたいと思ったら、やっぱり言葉に頼るんですよね。言葉の通じない外国で、もどかしい思いをすることはしばしばあるわけで...

新学期、放送大学では「認知心理学概論」と「認知科学の展開」というのをとるので、脳の働きとかそういうこともちょっとは勉強できるといいな、と思っています。

投稿: じゃりんこ | 2009.03.23 21:12

じゃりんこさん、日本にいると文字でコメントばかり書いているような気がしますが、アフリカではやっぱりスキンシップが第一です。 抱き合わないと始まらないと言うか…。

エチオピアでは右肩を突き出してぶつけ合うのが挨拶で、そうするとこちらも何だか親しくなったような気がしますし、安心できるんです。 少なくともそういう関係でないとノーマル・プライスになることもないと思うんですが、しない日本人も多いですね。

そうそう、一緒に食べていると、親しい人同士で食べ物を相手の口に入れるというのもありますけれど、私はまだその域には達していません。(^^; 

投稿: axbxcx | 2009.03.23 22:04

axbxcx さん、

スキンシップが大事っていうのは、子どもを相手にしているとつくづく感じるんですけど、大人に対してはなかなかやらないですねぇ。ハグするのも、別れの挨拶とか、何か特別うれしいことがあったときくらいですね。
「郷に入っては...」とは思っているので、アフリカに行ったら私もそういう挨拶ができるかな...と思いますが、普通に観光客として行くだけなら、やっぱりそんな機会はないでしょうね(^^;)。

投稿: じゃりんこ | 2009.03.23 22:22

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