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映画「グラン・トリノ」

「ミリオンダラー・ベイビー」とか「硫黄島」とか、今までクリント・イーストウッド監督の作品をとりたてて好きだと思ったことはない(あ、「ピアノ・ブルース」というのは好きだった)のだけど、これはわりと私好みだった。

イーストウッドは厭世家のおじいちゃん。いつも苦虫をかみつぶしたような顔をしていて、「世の中はいやなことばかり」という感じ。隣にアジア人が住んでいるのが気に食わない。息子たちとの関係もうまくいっていない。亡くなった妻に頼まれたから、と、懺悔を強要しにくる青二才の牧師にもがまんならない。ところが、はずみで、隣の家のモン族の若者が不良グループに巻き込まれそうになるのを助けてしまい(イーストウッドにはそんなつもりはなかったのに)、隣の住人との交流が始まる...

言葉や慣習の違うモン族の人たちとのやりとりがおかしかったり、友人の床屋との口汚い会話がおかしかったり、随所に笑えるところがある。不良グループの態度などにどのくらいリアル感があるのか私にはわからないけど、イーストウッドが隣家の人たちに心を開いていく様子は心地いい。ラストも私には予想のつかないもので....思わず涙してしまった。

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映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

この映画、観たいなと思っています。 イーストウッドの映画って、技術的には文句のつけようがないと言うか、つぼを知り尽くしたプロの作品という感じなんですが、にもかかわらずどうもどこかに違和感を抱く、そういう印象です。 「チェンジリング」もそうでした…。

投稿: axbxcx | 2009.04.13 08:15

axbxcx さん、

そう、チェンジリングはなんかそんな感じでしたね。女性に焦点のあたった私の好きそうな話なのに...どこがどう悪いというわけでもないのですが、なぜか心に響かなくて...いや、いい映画だよな、と思うんですけど。
なんかスキのない感じが息苦しいのかもしれません...
その点、「グラン・トリノ」はそういう英雄の話じゃないんですね。イーストウッドは嫌味なおじいちゃんで、弱いところのある普通の人で、だから近さを感じるところがあるというか...
私の場合、車には興味がないんですが、車に思い入れのある人だと一層楽しめるかもしれません(^^)。

投稿: じゃりんこ | 2009.04.13 20:15

じゃりんこさん、機内で観ましたけど、私はやっぱり素直になれなかった…。 まずモン族の必然性がないし、モン族内部で親戚同士の暴行という設定にも…。 「クラッシュ」にも同じようなことを感じたのですが、人種問題が要するに舞台道具の一つでしかないような…。 ラストシーンには、世界の中の米国そのもの(悪く言えば独り善がりな正義感)を感じてしまったというのが正直なところです。

投稿: axbxcx | 2009.06.02 00:40

axbxcx さん、

そうか、機内というテがあるんですね(^^)。

おっしゃるとおり、人種問題は道具立てのひとつにすぎないし、モン族の人とのかかわりはたまたまで、必然性はないですけど、テーマは別のところにあるのだからそれでいいのでは、と思いました。ただ、この偏屈な老人を変えるには、他の文化をもった人との関わりが必要だったのだと思います。

でも、ラストシーンは確かにそうかもしれませんね。私は予想がつかなかったので、思わずほろっとしてしまったのですが、自分を犠牲にして人を助ける、というのは英雄的行為で、結局自分を英雄にしてしまうんですよね...独りよがりな正義感、というのはなるほど、と思います。アメリカがやっている「自由と民主主義の押し売り」が独りよがりな正義感というのもなるほど、と思いますけど、今やその正義感すら感じられなくなっているところがあります...

投稿: じゃりんこ | 2009.06.02 06:40

じゃりんこさん、あの偏屈な老人が「変わった」と見るか、むしろ「変わらなかった」と見るかでずいぶん違うんだろうなあと思いました。 私はラストシーンを見て本質的には後者だと感じてしまったんです。 命を掛けて自分の価値観を押し付けてしまったと…。(彼が不治の病でない方がもっとスッキリしたでしょうが…。)

ラストシーンに対する「違和感」は、実は「ミリオンダラー・ベイビー」の方が強かったんですが、職人芸としてなら理解できても、そういう設定を「善し」とする価値観に共感できないんです。

モン族も同じです。 自分、あるいは自分が属する共同体をそのように扱われたらどう感じるかということに、作り手の想像力は働かないのかと…。 だから平気で道具立ての一つにできるのではないかと…。

正義感が「自分が絶対に正しい」と思い込んでいることの現れなのであれば、「自分が正しくないかも知れない」ということに思いが至るようになる、つまり自らを相対化し多様な価値観を認める素地ができるという意味で、悪いことではないかも知れないと思いますが…。

投稿: axbxcx | 2009.06.02 08:21

axbxcx さん、

なるほど。彼は本質的なところでは変わってないかもしれません。ただ、私は職業柄か、人(子ども)のちょっとした変化とか成長とかを大事に思ってるところがあります。人の本質的なところはそんなに簡単に変わらないし、それは個性として尊重すべきものだけど、たとえば、いわゆる問題行動があればそれをなんとかできないかな、と考えて、環境を変えてみたり、接し方を変えてみたりして、その子の変化を見るわけです。で、この老人はモン族の人たちと関わりをしたことによって確実に変わったと思います。以前だったら、誰かのために自分の命を投げ出すなんてことはなかったでしょうからね。おっしゃるように、「自分が正しくないかもしれない。他の考え方もあるんだ」ということには気づいたのだと思います。

ただ、モン族の人たちを単なる道具立てとして扱ったことに対してaxbxcx さんが感じておられる気持ち悪さは、そうかもしれないなぁと思います。私もそのあたりのことにまだまだ鈍感なんだと思います。不良グループの描き方に少し違和感はありましたが、そんなにつっこんでは考えませんでした。実際、モン族の人たちの慣習とかについてはどのくらいリサーチがされたのでしょうね...そして、それらに対して十分に敬意を払って扱ったか、というのは大事なところですね。

投稿: じゃりんこ | 2009.06.02 20:26

じゃりんこさん、私も変化に関わる仕事ですから、気にはしているつもりです。 と言うよりも、開発と教育って、言葉の上でも(development)、「本質的」にも同義じゃないかと思っていますし、本来「人間開発」の意味だったのが、未開地や土地の「開発」に変質してしまった、むしろそれが問題だろうと…。 それを元に戻して考えているという意味では、私は原理主義者なんでしょう。

で、あの老人、そういう意味では確かに変わったと思います。 と言うよりも、私には彼が「偏屈」とは思えないのです。 むしろ当たり前だと…。 その辺り、「東京物語」に共感する年齢になってしまったということとも共通するのですが、映画を観ているとき、自分は「彼」であって、決して息子でも他の人でもないですから…。 対象は違っても、自分にも「グラン・トリノ」がありますしね。(^^;

私が初めて米国に行ったのは1977年ですが、その頃からあの手の車、あるいはちょっと古いマスタング(特にコブラ)の類は独特の人気があったように思います。(日本だったらハコスカ[古いスカイラインGT]という感じでしょうか。)

それ自体が価値観であり、それが好きだというだけで、人物の明確なイメージが湧いてしまうんですね。 まさにステレオタイプですが…。

投稿: axbxcx | 2009.06.03 07:58

axbxcx さん、

偏屈、というのは言葉が悪いかもしれませんね。お葬式にヘソ出しルックで来ていればキレて当然でしょう。でも、アジア人に対して偏見を持っていたりしましたから...

私は車に興味がないので、全然話についていけません(^^;)が、同じものが熱狂的に好きな人にはやはり共通点があるのでしょうね(^^)。

投稿: じゃりんこ | 2009.06.03 19:49

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受信: 2009.05.05 19:44

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