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映画「大丈夫であるように」

副題は「Cocco終らない旅」。「歩いても歩いても」の是枝監督が、沖縄出身のミュージシャンCoccoのツアーに同行して撮ったドキュメンタリー。

次女がCoccoのファンなので、少し彼女の歌を聞いたことはあるけど、彼女が話したりする様子をちゃんと見るのはこれが初めてだった。最初の場面。靴を片方しか履かずに歩いている子どもに地元の言葉で話しかけるCocco。さらに村の雑貨屋さんでのやりとりなどを見て、飾らない気さくな人なんだな、と思った。でも、ステージで自分のことを「あっちゃん」と呼ぶ子どもじみた話し方には違和感を覚えた。

映画としては私には少し退屈だった。沖縄の辺野古と、青森の六ヶ所村。そのふたつのキーワードに惹かれて映画を見たいと思ったのだけど、映画の焦点はそこではなくて、そういうことを含めた自分のまわりのできごとに対処していくCoccoという人に向けられていた。映画の後、是枝監督のティーチインがあり、監督も「そういう社会派ドキュメンタリーにしようとは思わなかった」と話しておられた。Cocco にしても、是枝監督にしても、世の中にあるおかしいと思うことに対して、声高に反対を叫ぶのではなくて、歌とか、映画とか、自分のできることで意思表示をしていこう、というスタイルなのだろう。ただ、基地を抱えた沖縄の人の思い、そしてそこで育ったCoccoだからこそ、六ヶ所村の置かれた状況が直感的にわかったのだなぁ、と思った。普通に暮らしているだけで、誰かを傷つけているという事実。自分が加害者であることに気づいていなかった。そのことに真正面から向き合う人。私もそうだけど、自分が加害者であることに気づいても、だから何か行動を起こすってなかなかできない...

映画のあとの監督と会場の参加者との質疑応答で、いろいろ撮影の裏話などが聞けたのはおもしろかった。映画の最後のほうで、Coccoがインタビューに答えて話すような場面があるのだが、すぐすむつもりで手持ちカメラで撮影を始めたら2時間にも及んでしまったとか、映画の撮影に際してカメラマンって重要なんだなぁとか(私にはわからなかったけど、是枝監督が撮影した場面と山崎さんというプロのカメラマンが撮影した場面との違いは、わかる人にはわかったようだ)、劇映画でも監督の思い通りに事がすすまずに生まれてしまった結果がかえってよかったりとか(そういう違いに気づくことが大事、と話しておられた)....。そんなふうに劇映画の撮影でもドキュメンタリー的な撮り方をされている部分があるから、「歩いても歩いても」みたいな自然な感じのする作品が生まれるんだろう。

Coccoが話していたことでおもしろいと思ったのが「もののけ姫」についての感想だった。(以下ネタバレ)

私は「もののけ姫」を見たけど全然覚えていない(--;)のだが、Coccoが言うには、「もののけ姫」は、花が咲いて希望を感じさせるような場面で終わる。そんなのダメじゃん、宮崎駿。もっと徹底的に破壊しつくさないと。希望が見えたら人は何もしなくなってしまうよ、誰かが何かしてくれると思って安心してしまう。そうじゃなくて、徹底的に破壊して、どうなるんだろう、と不安な気持ちにさせないといけないんだって。
ところが、自分の子どもが生まれて、子どもとその映画を見たときに、子どもには希望を見せたいと思ったのだそうだ。破壊しつくされた世界を見せたくない。そして最後に花が咲いて、よかった、ありがとう宮崎駿、と思ったのだという。

「もののけ姫」を全然覚えていない私が言うのもなんだけど(--;)、Coccoの最初の感想にも、子どもを持ってからの感想にも、なるほど、と思う。

沖縄で育った人。家の近くに原発施設を建てられた人。子どもと関わっている人。それぞれの立場で見えてくるもの、というのはあるものだ。それはなんらかの形で伝えていかないと、そうでない人は気づかずに終わってしまう。それぞれの人がそれぞれの立場で、方法で。

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