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映画「マイレージ、マイライフ」Up in the Air

主人公のライアン(ジョージ・クルーニー)は、度胸のない経営者に代わって従業員にリストラを宣告するという、おおよそ普通の感覚の持ち主にはやりたくない職業に就いている。この仕事のために全国を飛行機で飛びまわる生活。しかし、彼はこの暮らしが気に入っていた。マイレージをためることが彼の生きがいなのだ...

愛にあふれた家庭生活。そんなものは重荷でしかない、という哲学の持ち主の彼が、VIP特権を利用して飛行機や高級ホテルを利用している様は、エコノミーに乗るのだって精一杯の私にとって、現実感がなく、共感できるはずもない。まして、人にリストラ宣告をすることに良心の呵責を感じる様子もない彼に...。そんな彼が、自分と同じように旅慣れた女性アレックス(ヴェラ・ファーミガ)に出会う。彼らが交わす会話は、おしゃれで可笑しいものだったけど、やっぱりどこか遠い世界の話という感じで...

と、思いながら見ていたら、途中からなかなかおもしろくなってきた。アカデミー賞の脚色賞にノミネートされている、というのもうなずける。若干、都合のいい作りになっているところもあるけど、退屈することのない展開だった。

ライアンが話すのを聞いていて、上野千鶴子さんの「おひとりさまの老後」を思い出した。「孤独じゃないよ、いつも人に囲まれている」「死ぬ時はどうせひとりだ」...合理的な生き方を求めればそういうことになるのかもしれない。ただ、非生産的で、非合理的な関係も、そんなに悪いものではないのかもしれない。

一番おおっと思ったところは(以下、完全ネタバレなので、この映画を見るつもりの人は読まないほうがいいです)

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謝り方の文化差

ランチタイムの休憩室でこの頃よく一緒になるのは、おたがいに早番のT(20代男性、白人のアメリカ人)とD(40代女性、黒人、イギリス出身)。今日は、Tがこんな話題をふってきた。

T:じゃりんこ、ちょっと質問があるんだけど。うちの家、この間、日本の業者が来て、屋根の補修をやってくれたんだよ。でも、この間雨が降っただろ。そしたら屋根から雨漏りがひどくて部屋がびしょぬれになって。それで電話したら直しにきてくれたんだけど、次の日にまた来てなんとお菓子をもってきてくれたんだよ。何これ?って聞いたら、日本では申し訳ないと思ったときにはこんなふうにしてすまない気持ちを表すものなんだ、って言ってたんだけど、これって日本では普通のことなの?

じゃりんこ:そうね、日本ではよくあることね。

T&D:ほんと!?

じゃ:え、アメリカやイギリスではこれってめずらしいことなの?

T:ものすごーくめずらしいことだね。(Veeery unusual.)

D:すまないと思ったらそう言うだけよ。ものをあげたりはしないわ。

じゃ:じゃあたとえばさ、交通事故を起こして人をひいてしまったとするじゃん。自分に過失があって、相手は入院しなくちゃいけないような状況になったとする。そんな場合に「すみません」って何か持って謝りに行くとかしないの?

T:しないね。

D:保険会社が対応してくれないの?

じゃ:もちろん保険会社は対応してくれるけど。加害者としては「すみません」って謝りにいくものだとされているわ。もし行かなかったら、被害者は加害者に対して悪い印象を持つでしょうね。

そこへ、フィリピン出身のS(20代、女性)が来たので、Tのした経験を話し、フィリピンでは、「申し訳ないと思ったときに何かものをあげて謝る」ということがあるかどうか尋ねてみた。彼女の答えは、「そうね、あげるかもしれない。」とのこと。うーん、申し訳ない気持ちを表すときにものを差し出すのはアジア圏のやり方なんだろうか?

で、部屋にもどってからお昼寝時間にうちのクラスのルームリーダーのR(30代?白人のアメリカ人女性)に訊いてみたら、Tのした経験は、やはりアメリカではまずないものだということ。交通事故の際に被害者に対して加害者が物をもって見舞いに行く、ということもまずない。被害者は加害者に対し、どこに入院している、などの個人情報を知らせたくないかもしれない。また、加害者は、ものを差し出すことで自分が悪いことを認めることになるので、保険交渉で不利になりうる。だから申し訳ないと思っても、ものをあげることはしない。でも、「友達とかなら別かも」と言うので、「じゃあ、自分の家の庭の木が倒れて、お隣の家をこわしちゃった、とか、そういう状況で、ものを持って謝りに行く、とかない?」と訊くと、「うーん、私は持っていくでしょうね。」という返事。すまない気持ちを表すときに、何かものをあげる、ということが相手によって皆無ではないわけだ。それが業者から来るのが驚きということか。

ラスベガスのホテルに泊まったときに、夜、帰ってきてシャワーをしようとしたところ、シャワーが壊れていることに気付いた。フロントに電話をすると「修理の者をよこす」と言うがなかなか来ない。しびれをきらしてもう一度電話して強い口調で不満を述べると、修理の人がすぐに来たが、その人が明るい口調で「How are you?」なんて言うのに違和感を覚えた。日本ならまず「申し訳ありません」と言うとこだろう。修理に来た人が明るい口調で「ごきげんいかがですかぁ?」なんて言おうものなら、「お宅のホテルはどうなってるんだ」とフロントに苦情が入るだろう。

今日はトヨタの社長がアメリカの公聴会で大変だったようだけど、謝罪の仕方について、日米ではかなり感覚の違いがあるようだから、そんなことまで考えると対応は本当にむずかしそうだ。私は車の事情はよくわからないけど、でも、トヨタの社長もやみくもに謝っているわけではなく、「電気系統に問題はないんだ」など、主張すべきことは主張しているようだから、がんばってもらいたい。別にトヨタとか大企業を支持しているわけではないが、今回のトヨタバッシング(と感じる)にはなんとなくフェアでないものを感じてしまう...

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絵本「おひさまぞろぞろ」by かめむらごろう選

子どものつぶやきを集めた絵本で、子どもよりも大人が読んで楽しいもの(^^)。ひとつひとつのつぶやきがかわいくて、ユニークで、私はこの本を図書館で見つけたとき、すぐに購入を決めた。発行は1999年。増刷されなかったのか、アマゾンマーケットプレイスでの購入となったけど、こんなステキな本が増刷されないなんてなぁ。

表題は「ああ まぶしい おひさまぞろぞろはいってきた」という5歳の子どものつぶやきより。朝、おかあさんが窓を開けている絵が描かれている(^^)。

「くさっているねえ ふろ はいったから このおてて くさっているねえ」(ふやけた指を見て 5歳)
「おかあさん かみさまのでんわばんごうしってる? わたしにいもうとをくださいってでんわするの」(3歳)
「おとうちゃん またきたん? よくくるねえ」(2歳)
「わたし もう おにいちゃんの いもうと やめる」(3歳)
「ねぇ、ちゃんとあらうから このむし たべていい?」(4歳)
「ようちえんのおともだち あかちゃんかっているこ いっぱいいるよ だいすけもかいたいなあ」(4歳)
「おかあさんは あずさがいうことをきかないと すぐおとうさんにいうんだから すこしは じぶんのちからでやってよね!」(4歳)
「さて こんやも ちからいっぱい ねるか」(5歳)

などなど。ほんとは全部紹介したい気分(^^)。
思わずにっこりしたり、爆笑したり。できれば翻訳して世界中の人にも読んでほしいくらい^^。

4834016234おひさまぞろぞろ―子どものつぶやきがはじける!
イトヒロ
福音館書店 1999-06

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子どもと一緒に小麦粉ねんどを作る

今日の記事は保育関係者に向けて、それと自分のためのメモ。小麦粉ねんどを作るためのレシピをさがしても、アルムだのクリームオブターターだの、ちょっと簡単には手に入らない材料が必要だったり、火を使う必要があったり、ということも多い。今日作ったのは、すべて手に入りやすい材料で、火を使う必要がなく、2歳児の1グループ(私たちの保育園では、保母一人に対し7人の子ども、という割合)で作るのにちょうどいい分量だったので。

用意するもの:水1カップ、小麦粉6カップ、食用油1カップ、食紅(お好みで)、大きなボウル、大きなスプーン(おたまじゃくし)、保存用タッパーウェア(またはジップロックバッグなど)

1:1カップの水を大きなボウルに入れる。
2:食紅を混ぜる
3:ひとりずつ大きなスプーンで小麦粉を加えていく
4:油を加える
5:ひとりずつ大きなスプーンで材料をまぜる
6:手を使ってこねる
7:好みの固さになるように、小麦粉や水を加えて調節する

分量は保母が量って用意していて、行程の最初から子どもにやらせてあげるのがいいと思うけど、事前に量っておくのがむずかしければ、いくつか計量カップを用意して量りながらやることも可能。
小麦粉6カップというとかなりの量なので、1kgの粉にあわせて他の材料の分量を調節してもいいかもしれない。この小麦粉ねんどは冷蔵庫で保管するように、とされていて、あまり保存性は高くないようだ。塩を入れると少しは保存性が高まるのかな。

ねんど遊びは楽しい(^^)。こうやって作るのも楽しいものだけど、本音を言うと、私は保育園でねんどを買ってほしい。お金がもったいないから、と言って買ってもらえないのだけど、市販のねんどは固さがちょうどいいから扱いやすいし(べたべたしない、ちょうどいい固さのねんどを作るのはそれほど簡単ではない)、保存性もいい。何度も小麦粉ねんどを作ることを考えたら、そんなに不経済なものでもないと思うんだけどなぁ。ねんどを作る楽しみとねんどで作る楽しみはまたちょっと違うものだもの...ってここで言ってもどうしようもないんだけど(^^;)。

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映画「フローズン・リバー」

カナダとの国境近くの町で、トレーラーハウスに住むレイ(メリッサ・レオ)たち一家は、冬になると水道管が凍ってしまうような古ぼけたトレーラーハウスを新調するためにこつこつとお金をためてきた。すでに手付を払ってあり、残金を払うことになっていたのだが、ギャンブル狂の夫がそのお金を持って蒸発。15歳と5歳、二人の息子を抱えたレイは途方に暮れる。彼女は1ドルショップのパートタイム店員として働いているが、その収入だけでは夕飯もまともなものが食べられないような生活だ...

先日、「キャピタリズム」を見たせいもあって、ギリギリの生活をする人というのがリアルに見えた。「俺が働くよ」という中学生の息子に「あんたは学校に行きなさい」「悪い友達とつきあわないように」と言うレイはごく普通の母親だ。しかし、そうは言ってもお金がなければどうやって生活すればいいのか。とにかく夫を見つけなければ、と、夫がいると思われる先住民居留地のギャンブル場にやってきたレイは、なりゆきから密入国の共犯にされてしまい...

最初はなりゆきだったが、貧しさが人を追い詰める。生きていくのに十分なお金があれば、「お金なんて」と言えるけれど、必要なお金がなくて、思うような仕事にも就けない、という状況で、「犯罪」(でも、国境なんて誰が決めたんだ?)に手を染めていくのがどうしようもない流れに見えてしまう...

密入国の手助けをして手数料を稼いでいる先住民族の女ライラがもうひとりの主人公だ。彼女は夫に先立たれ、子どもを義母にとりあげられ、自身は視力障害を抱えている。モホーク族のリーダーは彼女が立ち直れるよう気にかけてくれているが(義母が彼女から子どもを連れ去った事情はよくわからなかった。モホーク族のルールとしてオーケーなんだろうか?)、うまくいっていない。

社会的弱者である彼女たちが犯罪に手を染め、深みにはまっていき...ものすごく重苦しい話になりそうだが、映画の後味は悪くない。ハッピーエンドというわけではないのだけど...

(以下完全ネタバレなので、これから映画を見るつもりの人は読まないほうがいいと思います)

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映画「インビクタス/負けざる者たち」

好きな映画だった。1994年、南アフリカ共和国初の黒人大統領となったネルソン・マンデラ。それまでアパルトヘイト政権下で黒人に対してひどい仕打ちを続けてきた白人たちは、彼が大統領に就任したことで自分たちの運命はどうなるのだろうという恐れを抱く。しかし、マンデラが作ろうとしたのは「黒人の国」ではなかった...

ラグビーは南アフリカでは白人のスポーツだったらしい。ナショナルチーム「スプリングボクス」はアパルトヘイトへの制裁措置として国際試合を禁じられ、弱小化していた。しかし、マンデラは、そんなチームを黒人と白人の統合の象徴にしようとしたのだ。1995年、南アでラグビーのワールドカップが行われることになっていた。開催国であるがゆえに、弱小チームであっても出場することができる。この機会に新しい南アを見てもらうのだ...

「打算」(calculation)というと聞こえが悪いけれど、マンデラは頭のいい人だったのだなぁと思う。彼の心の広さに感動してしまうのだが、単に「いい人だった」というのではなくて、自分の理想を実現するためにどうすればいいのかをよく考えて実行していた。指導者として、どうしたら人が動いてくれるかを考えていた。

自分を苦しめた人を赦す、というのはなかなかできないことだと思う。革命には血なまぐさい話がつきものだ。ゲバラはすごい人だと思うけど、意見の違う人をどんどん切っていく、そのやり方には違和感を覚える。マンデラはそうじゃない。敵を切らないで、敵をとりこんでいく。社会を変えることができるのは怒りではなくて赦しなのかもしれない。マンデラがパレスチナの指導者だったらどんなふうにしたのだろう...

マンデラ役のモーガン・フリーマンもよかったし、スプリングボクスのキャプテン役のマット・デイモンもよかった。それと音楽がとても気持ちよくて...。数年前に「アマンドラ!」という、アパルトヘイトへの反対運動で歌われてきた歌に焦点をあてた映画を見たとき、歌が気に入ってCDを買ったが、そんな感じのアカペラの合唱が...やっぱり私は好きなんだなぁと思う。ラグビーの試合場面がまた迫力満点。痛そう(^^;)。そして、この展開が実話だというのがすごい...。

invictus というのは、「不屈」という意味のラテン語らしい。マンデラが30年近く投獄されていたときに心の支えにしていたというウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩。原文はこちら  詩が人の心を動かすっていうことがあるんだなぁ。

(以下ネタバレ)

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ウインク

同僚の保育士Jが、うちのクラスの子どもjに話しかけている。
J:ウインクしてごらん。ちがうちがう、それは blink よ。
じゃりんこ:ウインクとブりンクって何が違うわけ?
J:ウインクは片目をつぶることでブリンクは両目をつぶることよ。

なるほど。確かに、片目をつぶるのがウインクだな。

J:ウインク、私、左目しかできないのよ。右目はできないの。だから、jはどうかなって思って。

ええ、そうなの?と思ってやってみたけど、私は両目とも普通にできたので、「あなたは両方できる人なのね」とJに言われた。

ウインクのできない人というのがまわりにいた覚えはないけど、ネットで調べてみると、できない人というのもわりといるようだ。 自分にできることは誰でもできることのように思ってしまうけど、そうでもないわけなんだな。でも、両目ウインクできるといっても、私の場合、実際に使うことないもんなぁ...(^^;)

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映画「キャピタリズム」

どうしてまじめに働いてきた人が家を失わなければならないのか?その一方で、どうしてお金持ちはもっとお金持ちになっていくのか?...素朴な疑問って大事だと思う。「シッコ」は現代アメリカの医療制度のおかしさについて、人々の感じている疑問を具体的に示してくれた作品だったが、マイケル・ムーア監督は今回の作品ではお金の配分の不公平さについて、そのおかしさをいろいろ示してくれている。ただ、見ながら思ったのは、お金の問題は複雑だということだ...どうしてこんなことになるのか、というのがよくわからない。つまり、普通の人にわかりにくくしておくことが特権階級にとって都合のいいことのようだ、ということがわかった、というか...

でも、この映画の中で見たのは、資本主義制度のおかしさだけではない。
解雇された労働者が工場を占拠して、正当な賃金の支払いを求める場面がある。あるいは、家の立ち退き執行をしに来た人に向かって、その行為をどう思うのか、と住民が団結して訴える場面がある。人々は団結することができる、団結することが力になる、と感じさせられる場面。

市民逮捕とか突撃取材とか、今やもう一種の権力(圧力)となったマイケル・ムーアがやる場合は、「一市民のささやかな抵抗」という感じではないし、彼の前にたちはだかる敵が小さく見えてしまう。「持てる側」にとってマイケル・ムーアは実にうっとうしい存在だろうけれど、そんな彼を投獄したり消してしまうことはできない。

団結したり、自由にものを言うことが保障されている、という点では、アメリカ社会は健全なのだろう。資本家があまりにも強欲になりすぎれば、人々は黙っていない。奴隷制度をつぶした国だもの。でも、時々、こうやって、マイケル・ムーアのような人が今の金融制度のおかしさを具体的に示さないと、そのおかしさに気付かない、ということもありそうだ。日本でも、「貧しいのは自分のせいだ」と考えてしまう人はたくさんいるのではないだろうか...

しばらく前に、友人から"Up The Yangtze" というDVDを貸してもらって見た。三峡ダムが建設されている長江沿いに住む人々の暮らしを描いたドキュメンタリー。見ていて思ったことのひとつが、「社会主義国なのにどうして貧富の差があるんだろうか」ということだ。社会主義なら富の配分は公平かというとそうでもない。また、もうひとつ思ったことは、「お金が必ずしも人を幸せにするわけでもない」ということだ。長江を下る豪華客船で働いて外国人観光客から多額のチップをもらうようになった青年は、自分自身は幸せだと感じていたかもしれないが、傲慢になり、まわりの反発を買い...

人間を幸せにするシステムってどんなものなんだろう。それは資本主義でも社会主義でもないのだろうか?

映画「キャピタリズム」は、かなり意図的な編集を感じた部分(たとえば、デリバティブの説明にしても、もっとわかりやすくできる人はいるだろう)や、他国を美化して言及している部分があった(ヨーロッパや日本では最低限の生活が保障されている、とか。確かに日本でも憲法で保障はされているが実態はどうかというと...)りしたけど、いろいろ考えさせられる。マイケル・ムーアという人は、本当に、自分に何ができるかを考えて、いつも実行している人なんだ、と思う。

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