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映画「フローズン・リバー」

カナダとの国境近くの町で、トレーラーハウスに住むレイ(メリッサ・レオ)たち一家は、冬になると水道管が凍ってしまうような古ぼけたトレーラーハウスを新調するためにこつこつとお金をためてきた。すでに手付を払ってあり、残金を払うことになっていたのだが、ギャンブル狂の夫がそのお金を持って蒸発。15歳と5歳、二人の息子を抱えたレイは途方に暮れる。彼女は1ドルショップのパートタイム店員として働いているが、その収入だけでは夕飯もまともなものが食べられないような生活だ...

先日、「キャピタリズム」を見たせいもあって、ギリギリの生活をする人というのがリアルに見えた。「俺が働くよ」という中学生の息子に「あんたは学校に行きなさい」「悪い友達とつきあわないように」と言うレイはごく普通の母親だ。しかし、そうは言ってもお金がなければどうやって生活すればいいのか。とにかく夫を見つけなければ、と、夫がいると思われる先住民居留地のギャンブル場にやってきたレイは、なりゆきから密入国の共犯にされてしまい...

最初はなりゆきだったが、貧しさが人を追い詰める。生きていくのに十分なお金があれば、「お金なんて」と言えるけれど、必要なお金がなくて、思うような仕事にも就けない、という状況で、「犯罪」(でも、国境なんて誰が決めたんだ?)に手を染めていくのがどうしようもない流れに見えてしまう...

密入国の手助けをして手数料を稼いでいる先住民族の女ライラがもうひとりの主人公だ。彼女は夫に先立たれ、子どもを義母にとりあげられ、自身は視力障害を抱えている。モホーク族のリーダーは彼女が立ち直れるよう気にかけてくれているが(義母が彼女から子どもを連れ去った事情はよくわからなかった。モホーク族のルールとしてオーケーなんだろうか?)、うまくいっていない。

社会的弱者である彼女たちが犯罪に手を染め、深みにはまっていき...ものすごく重苦しい話になりそうだが、映画の後味は悪くない。ハッピーエンドというわけではないのだけど...

(以下完全ネタバレなので、これから映画を見るつもりの人は読まないほうがいいと思います)

この映画を重苦しさから救っているのは、彼女たちが母親であったおかげかな、と思う。

胸を打たれるのは、パキスタンからの密入国者を乗せたレイが、バッグの中身を「爆弾か何かではないか」と邪推して、凍った川の上に置き去りにし、入国した後で中身が赤ん坊であったと知らされる場面。そのことを知ったレイとライラは、引き返してバッグを取りに行くことに同意する。警察に見つかれば自分たちが危ないし、暗く寒い空の下でバッグを見つけるのは簡単なことではないのに。しかし、氷の上に置き去りにされた赤ん坊はすでに息をしていなかった...

最後のレイの決断にも胸を打たれる。レイかライラのどちらかが刑務所に入らなければならない、という状況になったときに、レイはまず自分の子どもたちのことを考えた。でも、ライラの子どものことも考えざるをえなかった。レイのように考えられない人もいるだろう。やっぱり自分がかわいいのが人間だもの。でも、この状況でレイのように考える人もきっといる、という気はする。

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映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

こちらに来る日、夜に羽田発だったので、荷物をチェックインしてから渋谷まで戻って観て来ました。 よい意味で女性映画だなあと…。 ちょっと「テルマ&ルイーズ」を思い出しました。

アフガニスタン人だったんですね、見逃してました。 パキスタン人かなと思っていました。

投稿: axbxcx | 2010.02.16 05:10

axbxcx さん、

遠くからコメントありがとうございます(^^)。

そうですね、パキスタン人でした(^^;)。パキと言っていたのを思い出しました。ご指摘ありがとうございます。後で直しておきます。

フローズンリバー、日本を発つ直前にご覧になったんですね。私は「この自由な世界で」をちょっと思い出しました。でも、あの映画よりも救いがありますね。とはいえ、レイが出所した後、どうなるか、ということを考えたら、そんなに明るい未来が待っているようにも思えませんが...それでも、お金とは違う価値を大事にしているところに希望を感じます。

投稿: じゃりんこ | 2010.02.16 06:52

はい、出発前、一緒に映画を観ようということになって、妻の希望で「フローズンリバー」になりました。 まだ読んでいませんが、案の定、「銀の街から」で沢木耕太郎が褒めていたようです。

一番印象?に残ったのはあの男の子の謝り方。 あれでも褒めるところが米国と言うか…。

投稿: axbxcx | 2010.02.16 10:48

じゃりんこさん、アフガニスタン人と書いてある映画解説がありますから、どこかにそうわかるところがあるのかも知れません。 パキスタン国籍のアフガンということも十分にあるでしょうが…。

投稿: axbxcx | 2010.02.16 11:27

axbxcx さん、

あの男の子が謝るところ...私も、え、それで終わり?と思いました(^^;)。これまで特に非行少年だったわけでもなく、買ったのが弟のためのおもちゃ、というだけだったからあんなふうに許されたんでしょうかね。でも、あの子が黒人の子だったらまた違った対応になっていたのかも...とか思うと複雑です。

ライラが「パキ」と言っていたのは覚えていますが、実のところ、彼女たちにもはっきりとはわかっていないのかもしれませんね。私はなぜアフガニスタン人なんて書いてしまったんだろう(^^;)...やっぱりアメリカが攻撃をしかけている国、という印象があったせいでしょうかね...パキスタンやアフガンの人からすれば、「一緒にするな」ということになるでしょうね。私も「テロに関係しているアジアの国」という目でそれらの国を見ている、ということなんでしょうね...(--;)...

投稿: じゃりんこ | 2010.02.16 20:35

男の子の件、それで気づいたのですが、映画の構成からすれば、モホーク族との対比という意図もあったのかも知れません。

いわゆる「固定観念」の怖いところは統計的には正しいというところだと思っています。 8割がた正しかったりする、けれども個別に見ればよくて五分五分、ほかの条件を考えれば本来は間違っていることの方が多い…。 私が量的アプローチから入ることを拒否して質的に行こうとしている理由もそこにあります。

投稿: axbxcx | 2010.02.17 11:58

axbxcx さん、

>いわゆる「固定観念」の怖いところは統計的には正しいというところだと思っています。

なるほど、そうかもしれませんね。
でも、人間はかなりそういうものに支配されているところはありそうですね。

放送大学の「感情の心理学」で学んだことですが、「様々な事物が自分にとって有益か有害かなどの判断をになっているのが脳の扁桃体であるが、意識レベルでは黒人に好意的な白人においても、黒人の顔写真を見せると扁桃体の活動レベルが高まることが報告されている」そうです。

固定観念は無意識のレベルに達しているものでしょうから、ときどきそれを意識化することが必要なんでしょうね。

投稿: じゃりんこ | 2010.02.17 20:01

じゃりんこさん、説明して頂いた例の意味がよくわからないのですが、自分とは違うという認識をすることと、好意的かどうかは別の問題のように思いますし、それが先入観と同じとも限らないと思います。 アフリカに来て、自分がアフリカの人間に見えないのは当然ですし…。 人種に限らず、違いを認識した上でそれを受け入れられなければ「差別」になるでしょうが…。

また私は心理学のことなどわかりませんから、「固定観念」も一般用語として使いました。 したがって、もっと表面的な「思い込み」あるいは「先入観」と考えて頂いた方がよいと思います。

投稿: axbxcx | 2010.02.17 22:40

axbxcx さん、

説明不足ですみません。
扁桃体は「とっさの判断」というのをになっているところだとされているようです。動物としての人間は、「危険を感じたら、考えるよりも先に逃げる」などの行動を起こす必要があり、たとえば「重いものが落ちてきた」などの状況を目にすれば反射的に体が動く、などです。そういう行動を起こさせているのが扁桃体です。
で、意識レベルでは黒人に好意的な白人でも、fMRI などの方法で脳の局所的な血流変化などを測定すると、黒人の写真を見たときには扁桃体の活動レベルがあがることが報告されている。つまり、脳がいわば危険信号を発している、ということになる、という解釈がされていました。扁桃体は価値判断を行動につなげる役割をになっている部署なので、単なる「違いの認識」で活動するわけではない、という理解なのだと思いますが、私もまだまだ不勉強でちゃんとした説明ができなくて、すみません(^^;)。

投稿: じゃりんこ | 2010.02.17 23:13

じゃりんこさん、難しいことはわかりませんが、感じはわかりました。 人間の生存戦略もそれに近いだろうと思っていました。 進化論ではありませんが、種としての人間あるいは生物を考えれば、確率の勝負になるだろうと思うのです。 つまり危険なものかどうか確定はできなくても、危険な確率の高いものから逃げられる生物だけが生き残るということです。 ですから生物的にそのような反応をするのは当然ではないかと思います。

一方、私が書いたのは頭で考えて認識するときの話で、ステレオタイプが危険だというのと同じことだと思います。 ジェンダーが典型的だと思いますが、女だから、男だからと決め付ける、確率的にはそのとおりですが、個人個人のケースではそうは行きません。 確率を知っていることが、むしろ個々のリアリティーを認識する妨げになるのではないかと申し上げたかったのです。

投稿: axbxcx | 2010.02.18 02:03

axbxcx さん、

固定観念とかステレオタイプというのは人の無意識のレベルに入り込んでいるものではないかなぁと思ったので、こういうことを書きました。
私がパキスタン人とアフガニスタン人をまちがえてしまったのは、このふたつを同じカテゴリーに入れてしまう、そういう固定観念みたいなものが無意識レベルで働いていたのだと思うのです。
だから、自分はこういう固定観念を持っている、ということを時々意識化して、それに支配されないように注意する必要があるなぁ、と思いました。

投稿: じゃりんこ | 2010.02.18 05:40

多分同じことを言っているのだろうと思いますが、じゃりんこさんのおっしゃる(或いは心理学で言う?)無意識レベルのことを私は生物的な反応、意識化のことを私は頭で考えると書いているだけのような気もします。

確率というのは個ではなく全体を捉えて初めて意味を持つものですから、個を扱う場合には絶対ではないという、まあ当たり前のことを言っているだけですが…。 戸塚洋二さんがブログに書いておられたこと、あるいはスティーヴン・ジェイ・グールドがMedianについて書いておられたことは確かだなあと思っています。

投稿: axbxcx | 2010.02.18 09:25

axbxcx さん、

人は、自分のたっている前提に相手もたっていると仮定して話をすすめがちなので、ややこしくなるんですよね(^^;)。相手が他文化圏の人であれば気をつけていても、同じ文化圏の人だとかえって食い違いがあるのかもしれません。

>確率というのは個ではなく全体を捉えて初めて意味を持つものですから、個を扱う場合には絶対ではない

それはそうですね。
量的アプローチよりも質的アプローチ、というのも、私はわかる気はしますが、本当にaxbxcx さんの言いたいことが私に通じているのか確信はありません(^^;)。

投稿: じゃりんこ | 2010.02.18 18:47

社会全体で富を蓄積するとともに、その富を全体に
配分することがとても重要ですね。
一部の特権階級が富を独占しても、その社会は健全な
発展をし、持続していくことは、不可能でしょう。
また、ある程度の競争原理がなければ、しっかり働かない人々が多くいるのも現実です。
資本主義、社会主義、のいいところを複合発展させた、
新しい仕組みが模索されているとおもいます。
どうしたら、ぜいたくはしなくても、みんなが、そこそこの生活ができるようになるのかと、いつも考えています。
いまのところ、社会保障があるので、日本は恵まれた国
だとおもいます。ありがたいことです。

次に開ける新しい世界とは? わたしの妄想はふくらみ
ます(* ̄ー ̄*)

投稿: cyappy | 2010.02.20 02:16

cyappy,

うん、同感です。
cyappy もご存じかと思いますが、「ベーシックインカム」っていう考え方は結構有効なんじゃないかな、と考えたことがあります。
http://jarinko.tea-nifty.com/blog/2009/04/by-eb83.html

国民ひとりひとりにベーシックインカムを提供できるだけの富の蓄積があるかというとあるような気もするけど、私はまだ具体的にいろいろ調べていなくて。
社会保障があっても、それがほんとに機能しているかどうかもしっかりと調べていません。

考えることはたくさんあるね。

投稿: じゃりんこ | 2010.02.20 07:31

途上国の現場にいるものですから、ベーシック・ヒューマン・ニーズって言ってしまいますけれど、それはベーシック・インカムがないからなんでしょうね。

マイケル・ムーアの言っている中産階級の消滅というのは、まさにその富の配分が米国でなくなってしまったということだろうと思います。 例えばここエチオピアにも世界44位と言われる富豪がいますし、お隣のケニアでも一つの県を一族で持っていたり、見渡す限りの広大な地域が個人の畑というようなところがあります。 富の集中の仕方がもう桁外れなのです。

ですから私も問題は社会に富が蓄積されず、一部の個人にだけ蓄積されているということ、つまり分配そのものにあると思っています。

また競争原理が本当に必要かどうかについては私はまだわかりません。 ソ連崩壊前後を現場で見て、ソ連型の計画経済がなぜ機能しなかったのか、なぜ「労働」が魅力のない、やりたくないものになってしまったのかは少しわかった気がしましたが、それは必ずしも競争原理が働かなかったからではなかったと思っています。

性善説・性悪説にもなりますが、私は競争などしなくても、自分で自分のために、そして自分が良いと思うことのために働くのではないかという希望を捨てていません。 だから参加型開発なのです。

投稿: axbxcx | 2010.02.20 08:20

ええ、axbxcx さんは、以前から、「先進国と途上国の差よりも、途上国の中での都会と地方の差のほうが大きい」というようなことをおっしゃっていましたよね。貧しいとされている国にも大金持ちがいるわけですね...でも、そんな状態では人々は不公平感を感じるでしょうし、長続きしないのでは、と思うのですが、そう簡単にシステムが変わるわけでもないんですね...

今日は朝から研修で、カスタマーサービスの心得として"Fun is good" というビデオを見た(去年もまったく同じビデオを見ました(^^;))んですが、仕事を楽しもうよ、ということは言われています。私は今の仕事が好きですが、もしこの仕事で収入が得られなくてもこの仕事をするかというと...微妙です。ベーシックインカムが保障されている(娘二人が大学を卒業するのに十分な)ならやるかもしれませんが、保障されていなければ、きちんとした収入の得られる仕事を探さざるをえないでしょう。

ソ連型の計画経済がなぜ機能しなかったのか、なぜ「労働」が魅力のない、やりたくないものになってしまったのか、興味があります。また機会があったら教えてください^^。

投稿: じゃりんこ | 2010.02.20 20:25

じゃりんこさん、私も好きなことをやっているだけですが、ベーシック・インカムはもちろん必要です。 ただ競争などなくてもそれが得られる社会はできる、いや昔からあったと思っているだけです。 キャピタリズムはむしろそれを壊して来たし、地域によってはいままさに壊していると…。

ソ連でショックだったことはいろいろありますが、二つ大きな気づきがありました。 一つは工場の敷地が捨てられた部品だらけだったことです。 「市場経済」であれば市場に委ねることで需要と供給のバランスが取れることになっていますが、「計画経済」ではそうは行きません。 一つの工場はどの部品がどれだけ必要かを上に上げる、上はまたその上に上げ、最終的にはモスクワで決定されることになります。 そして次にはどの部品をどれだけ作るかの指令が段々降りて来ることになります。

けれどもそれで欲しい数が貰えるとは限りませんし、1年後には必要な数が変わっているかも知れません。 それではと大目に希望を出すところも出てくるでしょう。 こうして恐竜のようなシステムはガタガタになり、工場にはムダになった部品が溢れたというのが私の仮説でした。

もう一つは国営ホテルや国営レストラン、そして役所のサービスの悪さです。 家に帰ればあんなに親切で、あんなに美味しいものを食べ、あんなに楽しそうな人たちが、職場に座った途端ニコリともしなくなり、声を掛けても訊いているかどうかもわからない、食い物は不味い…。 それが同じ人たちなのです。 自分で決めて自分でやるということがなければ、そしてそれが認められる、報われる、楽しんでもらえるということがなければ、人間はこうなってしまうのかと思いました。

難しい話が嫌いなものですから、こんなことしか書けませんが、私には強烈な経験でした。 もう一つ付け加えれば、輸送コストも計算されませんでしたから、機関車はすべてチェコで作る、ボートはポーランドで作るというような「非効率」なことが全国、全共産圏で行われていたというのも驚きでした。

投稿: axbxcx | 2010.02.21 03:50

axbxcx さん、

自由競争がなくても人が生産的に活動することはできる、と私も思います。今の仕事で私が相手にしているのは子ども達で、彼らが楽しい毎日を過ごしてくれればいいんです。他の保育園からいいアイデアをもらったり、ということはあっても、競争する必要はありません。地域にひとつしか保育園がなく、親が選ぶことができない状況だと保育の質が低下するかというと、そうとは限らないでしょうね。子どもにとっていい保育園が高い収益をあげている、とも限らないと思います。

しかし競争はなくても自由は必要なわけですね。
>自分で決めて自分でやるということがなければ、そしてそれが認められる、報われる、楽しんでもらえるということがなければ、人間はこうなってしまうのかと

なるほど。職場と家で人がそんなに変わる、というのは驚きですね。
計画経済がうまくいくのもむずかしそうですね。
興味深いお話をありがとうございましたm(^^)m。

ベーシックインカムは、使い道を限定しないですべての人に保障される、というものですが、この映画の中の夫のようにみんなギャンブルにつぎこんでしまう、ということは起こりえるわけです。だから食糧チケットとか現物支給にすべき、という議論もあるわけですが、そうすると人間の自由意思が行き場をなくしてしまう。三度のメシより○○が好き、という生き方を可能にして、それで破綻してしまう人は施設に収容するなどして自由をある程度制限する、そういうやり方になるのかなぁ、とぼんやり考えています。

投稿: じゃりんこ | 2010.02.21 09:40

こんばんは。ご無沙汰しています。
私もフローズン・リバー観ました!良かったです。
じゃりんこさんは『この自由な世界で』を思い出されたのですね...
私もあとで時間ができたらblogに書きます~

投稿: じょん | 2010.02.26 22:22

じょんさん、どうも^^。

ツイッターで毎日つぶやきを聞いていますから、そんなにご無沙汰という感じでもないですが^^。

「フローズンリバー」、よかったですよね。「この自由な世界で」もいい映画だと思いますが、救いのない感じがつらいです。それに比べるとこちらはもう少し救いがある感じですよね。

ブログでの感想も楽しみにしています^^。

投稿: じゃりんこ | 2010.02.27 00:29

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