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パレスチナ「土地の日」連帯集会

「土地の日」とは、1976年にイスラエル領内ガリラヤ地方でパレスチナ人の土地の大規模収用に対する抗議行動が行われた際に、6 名がイスラエル軍によって殺害されたことを記念する日で、毎年、3 月30日に、イスラエルによる土地収奪に対する抗議とパレスチナ内外 におけるパレスチナ人の連帯が訴えられている(パレスチナ情報センター スタッフノート より)のだそう。3月30日が近いということで、パレスチナの人たちに連帯しよう、という集会がJAPAC(日本・パレスチナプロジェクトセンター)の主催で昨日開かれた。

最初に見たのが"Goodbye Bassem"という記録映画。ヨルダン川西岸のビリン村で、隔離壁を建設するイスラエルに対して非暴力の抗議行動が続けられてきたが、バッセムはその中心人物だった。壁建設反対を叫ぶだけで、誰も武器を持っていないし、石を投げることすらしない。イスラエルの挑発に思わず石を投げようとする人を止めるバッセム。ところが、そんな村人たちに対してイスラエル軍の兵士はガス弾(催涙弾)を発砲。次々と...。見ていて唖然としてしまった。発砲されたガス弾が集められたのを見ると実にたくさんある...。抗議行動はいつもそんな感じで続いていたのだが、ある日、催涙弾がバッセムを直撃、彼は亡くなってしまった。自分たちの土地に違法に立てられる隔離壁に反対していただけで、武器を持って攻撃したことなどないのに!

その後、2009年10月にパレスチナを訪問した方たちの話を聞いた。特に驚いたのは、入植地のなかでも極右のユダヤ教徒が多いヘブロンでは「アラブ人をガス室に送れ!」というような落書き を見ることすらあったのだという。署名は JDL(Jewish Defence League)となっているが、それをユダヤ人が書いたのだとは信じたくない....。

報告者の方や参加者の方たちからいろいろな意見が出される。
マスコミによれば、「イスラエルの攻撃にパレスチナもロケット弾で応酬、暴力の連鎖が云々」という報道をされることが多いけど、占領は犯罪行為であり、占領に抵抗するのはテロではなく、権利だ。国際社会はなぜそのような違法行為をやめさせることができないのか。南アフリカでアパルトヘイトがなくなったのは、国際社会の外圧によるところが大きい。やはりイスラエルボイコットのような活動は必要なのではないか...

イスラエル支援企業ってほんとに大企業が多いから、ボイコットがむずかしい。マイクロソフトと縁を切るのは私にはむずかしいし、安いコーヒーがおかわりできて無線LANの使えるマクドナルドも便利だし(--;)...付き合いをやめられないのなら、せめて、こういう企業に対して「イスラエル支援をやめてください」と訴えていくことが必要なんだろうな...

2007年のイスラエルの世論調査によれば、「再び生まれるならイスラエル以外の国がいい」という設問にイエスと答えている人の割合は47パーセントに上っているのだという。圧倒的に軍事力で勝っていても、幸せになれるわけじゃないんだ。

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トラベリングベア

園長先生の発案で、先週の金曜から「トラベリングベア」プロジェクトを始めた。Teddybear
テディベアをカバンに入れて、子どもたちが交代で家に連れて帰り、子どもがテディベアと家でどんなふうに過ごしたかについて、親にノートに書いてもらう、というもの。毎日持って帰る子が違う、というのは混乱を招くんじゃないかな、けんかにならないかな、と心配したけど、今のところとてもうまくいっていて、親も楽しんで記録してくれているようだ。

「車のなかでクマちゃんをだっこして、きらきらぼしを歌ってあげていました」
「クマちゃんに水槽のお魚を見せてあげていました」
「クマちゃんと一緒にごはんを食べました」
「クマちゃんのおむつをかえてあげていました」
「クマちゃんと一緒にねんねしました」
「一緒に公園に行きました」...などなど。

「お友達が家に来た」という感じで子どもも大人もとても楽しんだもよう。私たち保育者も親の記録を読むのが楽しい。一巡したら、今度は次のクラスに行く予定。親も自分の子どもの様子を記録する機会って案外ないものだし(日本だと、保育園の連絡帳に毎日書いていたりするからそうでもないかな)、親と子がいろいろ話したり、親が自分の子の行動を改めて見つめなおすきっかけにもなるようで、なかなか素敵な取り組みだと思う(^^)。

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高校卒業式2010

次女がめでたく高校を卒業した。2年前の長女の高校卒業式と違うのは、制服姿の女子が見あたらなかったこと。Hakama長女の高校は制服はないものの、制服に準ずる標準服(着用の義務はない)があったので、「標準服を着るのもこれが最後」と、標準服や制服っぽい服装の子も結構いたのだが、次女の高校は標準服すらなく、完全に自由服の学校だったためか、卒業式は袴かフォーマルドレスの子がほとんどで、たまに地味めのスーツの子がいる、という感じだった。

服装を見るのも楽しいけど、心に残ったのが校長先生の式辞。「大学入試の不合格は、取り返しのつく失敗です。」ー「取り返しのつく失敗」っていい言葉だな、と思った。「失敗は成功のもと」という言い方もあるとおり、失敗したからってそれで人生が終わるわけじゃない。

PTA会長さんの祝辞も印象深いものだった。2001年9月11日の事件のあとに有名になった「もしこれが最後だとわかっていたなら」という詩(by ノーマ・コーネット・マレック)を紹介された(原文と訳文がこちら で読めます)のだが、

そして わたしたちは 忘れないようにしたい 若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも約束されていないのだということを

というところにじーんとしてしまった。世界に明日は来るけれど、私やあなたに明日が来るかどうかは必ずしも確かではない。今日が最後かもしれないのだ。だから今を大切に!
「取り返しのつく失敗」という考え方は、明日を信じた言い方だ。そして、普通に生活していくうえで、私たちは明日を信じていていいのだと思う。でも、それと同時に、今を大事にする気持ちも大切にしたい。

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映画「ハート・ロッカー」Hurt Locker

イラクにおいて爆弾処理にあたる米軍兵士たちの活動を描いた映画。全編に緊迫感がみなぎっていて、死と隣り合わせの日常の息苦しさが伝わってくる。私がこの映画を見た金曜日は寝不足気味だったけど、全然眠くなることはなかった。迫力のある映画だ。

でも。アメリカ人の作った映画だから無理のないことなのかもしれないけど、完全にアメリカ人の視点から描かれた映画なのだ。イラク人はあちこちに爆弾をしかけている。自爆爆弾なんかを使う者までいる。アメリカ人は良きイラク人には親切なのだ。助けてやりたいと思っているのだ。爆弾処理は大切な任務なのだ。

イラクの人たちは自分の国に爆弾をしかけて無茶苦茶にしたいと思っているのだろうか?同胞の命なんてどうでもいいと思っているのだろうか?ここで描かれているようなことが実際にあるようなことなのかどうかもわからないけど、もし、これが事実だとして、どうして自分の国に爆弾を仕掛ける人がいるのか、そこに思いがいたらないのだろうか?

これが今年のアカデミー賞作品賞だというのは...。確かにアメリカ人には気持ちいい映画なのかもしれない。「アメリカはイラクを助けるために、危険な任務であっても、家庭の小さな幸せを犠牲にしてでも、立ち向かっている」...そんなふうに思えるのなら。

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地球の虫?(英語)

earthworm とは何でしょうか?まあ、「地球の虫」というよりは、「土の中に住む虫」ということかな。というと、答えは簡単で

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映画「冬の兵士」

「冬の兵士」というのは、もともと、ベトナム戦争当時、米軍がベトナムで犯している戦争犯罪について告発した軍人たちのグループ(あるいは集会)を指すようだ。そして、これにちなんで、2008年3月13日から16日まで、「ウィンターソルジャー」と呼ばれる集会がワシントンDC郊外で開催され、イラクで米軍が行ったことについて退役軍人の人たちが証言した。この映画は、その様子を、ジャーナリストの田保寿一氏が撮影したもの。

銃を用いるにあたっては、「標的が法的に正当な軍事目標であると合理的、確実に識別して攻撃すること」という交戦規定。兵士たちは、最初、それを遵守するように求められるが、それがどんどん緩やかになっていく。「赤い頭巾をかぶっていれば、それだけで敵対的意思を示しているとみなして撃ってよい。」...など、命令はころころと変わる。もともとイラクの人たちの役にたちたい、と志願した軍隊なのに、イラクの人たちといい関係を築くことができず、どこででも敵意を感じて民間の人を撃ってしまう心理...

「テロリストとは、市民を標的に暴力を行使する者のことだ。米軍は多くの市民を殺している。私にはテロリストと軍隊の違いがわからない。」と語る兵士。

人を殺した状況について話す兵士は本当につらそうだ...聞くのもつらい話だが、もちろん、本人の苦しみはそれ以上のものだろう。彼はこの苦しみを背負って生きていく。「勇士たちの戦場」で描かれていたように、イラクから帰還した兵士たちがPTSDなどに苦しむ、という例はたくさんあるようだ。そして、「せめて、こんな思いをする人がもういなくなるように、罪のない人が殺されることのないように」と、自分のしたこと、見たことを話そうとする。映画の副題は「良心の告発」。まさにそんな感じだ。アメリカには自分の良心と向き合おうとする人もたくさんいる。ウィンターソルジャーの活動が、殺戮をやめさせるための力になっていくように願う。

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