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イヤフォン SBT03

iPhone を使うようになって、ポッドキャストを聞くようになった。ポッドキャストが話題になってからもう久しい。でも、いまいち使い方がよくわからなかったのが、iPhone だと簡単に使える^^。ニュースや英語学習などいろいろな番組が無料で利用できるのがありがたい。TBSラジオ荒川強啓さんのデイキャッチランキングを聞きながら夕飯を作る、というのがこのところの日課になっている。

iPhone を台所の出窓に置いてポッドキャストを聞いていると、野菜をきざんだりしているときはいいのだけど、ガスレンジのところで炒め物なんか始めると、全然聞こえなくなる(^^;)。かといって、iPhone をポケットに入れてイヤフォンで聞くというのも、どうもコードがうっとうしい。コードレスのイヤフォンってないのかなぁ、ということで見つけたのがこれ(写真をクリックすると、この商品を扱っている楽天最安値の店(2010年4/26現在)に飛びます)。

iPhone とイヤフォンをブルートゥースで接続。これで、iPhone を出窓に置いたままで、私がどこに移動しようと、イヤフォンから音が聞こえる。iPhone だけでなく、パソコン(Bluetooth 対応の。パソコンがBluetoothに対応していない場合は、PLANEX BT-MICROEDR1X / BT-MicroEDR1X Bluetooth ver2.1対応 USBアダプタ Class1などを利用)とも接続できるので、放送大学のストリーミング配信もこのイヤフォンで聞くことができる。イヤフォンの電源スイッチを軽く押すことで、一時停止もできる。(ただし、これがうまくいくのはウィンドウズメディアプレーヤーでの再生で、iTunes での再生だと、一時停止はうまく機能しない。また、曲のスキップもできる、と書いてあるが、少なくとも、iTunes の曲の再生では、私がやってみたところでは、曲のスキップはうまくいかない。)

普通のイヤフォンよりは大きく見えるので重いのではないかと心配したが、軽い^^。片耳だけがふさがっているので、両耳がふさがっているよりも、閉そく感が少なくていい。私は、ポッドキャストなど、音楽以外のものを聞くことが多いし、音質をどうこういえるようなガラではないけど、音楽を聞いてみても、悪くないと思う。片耳なのに、ステレオで聞こえる^^。小さいので持ち運びも楽。コードをいちいち収納しなくていいのは嬉しい。

不満は、充電状態を見て確認できないので、自分で気をつけておかなくてはいけないこと。音楽再生で4.5時間といううたい文句だから、だいたいそれくらい使ったかな、と思ったところで充電しておくことが必要になる。それと、バッテリは消耗品で、約300回充電したら使えなくなる、ということだが、バッテリだけ買って自分で交換ということはできず、新しい本体と交換することになるので、結構高くつくだろうと思われる。バッテリが必要でないイヤフォンに比べるとエコじゃないことになる。

というわけで、ぜいたく品ではあるけれど、ヘッドフォンやイヤフォンがあまり好きでない私にはぴったりの品だった^^。

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ビデオ「A」

オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしたのが1995年3月。麻原彰晃代表らが逮捕された後、上祐史浩氏が教団の広報担当として活動していたが、その彼も逮捕されて登場したのが荒木浩氏。森達也さんは、テレビで彼を見て、撮りたいと思ったのだそうだ。

オウム真理教を扱ったドキュメンタリーということで興味を惹かれて見たのだけど、ただのんべんだらりと彼らの生活の様子を撮ってるだけじゃん、と思いながら見ていた。素材は興味深いけど、映画作品としては特に...と。でも、こうやってだらだらとカメラを回し続けると思いがけないことに遭遇したりするわけだ。警察が公務執行妨害をねつ造する瞬間。え?という感じだった。警察がそういうことをする、とは聞いていたけど、本当にあるんだなぁ、と。

オウム信者の人たちのインタビューを聞いていると、まじめな人たちなんだなぁ、と感じる。私がオウムのことを知っているのは、マスコミ報道を通じてだけだから、麻原氏にはものすごく悪いイメージを持っているし、信者の人が麻原氏を尊敬している口ぶりなのが信じられない思いがする。

そして思った。この映画、だらだらと撮っているだけのようだけど、信者の人たちがこんなことを話せるってすごいことじゃないかな、と。みんなが「オウムは悪の権化」みたいに思っているときに、オウムを被写体として映画を撮ろうとしたこと。オウムのサティアンの様子を撮りたい、というマスコミは山ほどあったようだけど、「極悪オウム」という色眼鏡をかけていないマスコミはなかったのではないか。映画の最初に、オウムに対する取材申込みに荒木氏が対応している様子が出てくるが、そもそもどうして森さんはこんな密着取材が可能だったのだろうか。

DVDには森さんの撮影時の日誌からの抜粋がついていた。それによれば、森さんは、荒木さんを撮りたいと思ってから、何度も手紙で依頼をされていたそうだ。それに対し、荒木さんは、森さんと初対面の日に、「森さんは信頼できる人かもしれないという印象を持っている」と話したという。

生活の場でカメラがまわっている、というのはいやなものだろう。まして修行の場である。カメラが回っていることに対し、信者から文句が出たこともあるという。しかし、結局、森さんは受け入れられていく。森さんは「オウムの宣伝をする気はない」と告げている。しかし、「オウムを絶対悪として描く」という立場にたっているわけでもない。中立の立場で、というスタンスだった。ただ、この映画を撮りながら、「公正中立ではものは作れない」ということも思い知っていくことになる...

この映画を見て、オウムに対する見方が変わったかというと...結構変わった。オウムの人と話をするなんてできそうにない(話が通じそうにない)気がしていたけど、そんなことないなぁ、と。麻原代表ら上層部の人と、一般信者?とは違うのかもしれない。

毎日様々なニュースを耳にして、世の中のことを知っているような気になるけど、報道されていることが何らかの色眼鏡を通していることも少なくないのだろう。

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雑司ヶ谷 手創り市

4530753357_8f0780a45d_m 東京の地理に全然明るくない私は、雑司ヶ谷と聞いてもどこそれ?状態だったけど、新宿からそれほど遠くない。かわいい都電が走り、新宿や池袋のような大都会とは全然違った趣のある町だ。
ここで月1回「手創り市」というのが開かれているという。会場である大鳥神社に行くと、こじんまりとしていて、一目見て、すぐに見終わってしまうな、と思った。 4530752379_e62639bd55_mところがところが。カバンや袋物、アクセサリ、楽器、おもちゃ、人形、ハンコ、お菓子...などなど、作った人の思いがあふれた作品は見ていて楽しく、作った人の話を聞くのもおもしろい。不用品を売りさばくフリマとはまた違う。

結局、かわいいテディドッグ(というのか(^^;))とブックカバーを購入。ワンちゃんは、明日から私の保育園のエプロンのポケットに入る予定。スカートにはきれいなビーズが縫い付けられていたりして、とても凝った造り。ブックカバーは友人へのプレゼント。交渉次第でオーダーメードもできそうで、数人の方からは連絡先を教えてもらった。

ものを作れる人っていいなぁ。雑司ヶ谷の手作り市、また行きたい。
Dogbook


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フルート

基地の保育園に勤めて10年以上になるが、今まで子どもたちの作品展といっても、図書館などの公共スペースにいくつか展示する、という形だったのが、今年初めて、アートギャラリーという催しが行われた。大きなホールに、保育園や小学校から高校までの子どもたちの作品、地元のアーティストの作品などが展示され、「アフターファイブのドレスでどうぞ」と、夜6時からの2時間、親や一般の人たちが招かれた。

うちの保育園の3-5歳児クラスが作った大きなロケットや宇宙の壁画、中高生たちのプロはだしの作品など、作品にはいろいろおもしろいものがあったけど、たぶん、著作権のこととか問題になりそうなので、ここで紹介できないのが残念。作品を集めるときに、裏に子どもの名前、年齢、クラス、○○保育園と書いたメモをつけておいてね、と言われていたので、そのようにしたのに、ほとんどの作品に全然名前とかつけられていなくて、それも残念だった。見に来た親たちにとって、どれが自分の子どもの作品かわからないのは興味半減だと思う。大きな子どもなら言えるけど、2歳児にはわからないもの。

で、この催しでフルートを吹いてほしい、としばらく前に園長先生に頼まれた。学生時代、ブラバンでフルートを吹いていた私は、たまに保育室でフルートを吹いているけど、「きらきら星」とか"Dora the Explorer"など、子どもたちの好きなアニメの歌を吹くくらいで、とても人前で演奏できるようなレベルではない。そう言って断ろうとしたのだが、園長先生は「だったら練習しなさい」と言われ、断れなくなってしまった。

練習を始めようとして、キィが壊れていることに気づき、フルートを修理に出して、練習を始めたのが4月に入ってから。曲はなんでも好きなものを、と言われていたので、子どもたちものれるようなアップテンポの曲がいいかな、と「星条旗よ永遠なれ」なんかを練習していたりした。しばらく吹いていないと、息のコントロールがきちんとできないので、ゆっくりした曲だとものすごくアラがめだつ。アップテンポの曲のほうがごまかしがきく、というのも理由(^^;)。

ところが、演奏は「舞台に立ってみんなの前で」というのではなくて、みんなが作品を見ている横で勝手に吹き始める、というスタイル(^^;)。静かな会場で「星条旗」はないだろう、と、まずは「さくら」。でも、なんの説明もなくよく知らない曲が流れ始めてみんな??状態(^^;)。そこで "A Whole New World"を吹いたら、人が集まってきて拍手をもらった。半分はお情けだけど(^^;)。次に "We Are the World"を吹いて、そのあと、ピアノと歌のパフォーマンスをする人にバトンタッチ。ピアノや歌はすごくうまく、ピアノは会場のBGMとして気持ちよく長い時間流れていた。ギターのパフォーマンスをする人もいて、最後にまた私のフルート。「アニーローリー」「星に願いを」「トップオブザワールド」を吹いて、大園長先生から花束をいただいた。どういうスタイルでどのくらいの時間吹かなければいけないのか、というのを、もっとちゃんと確認しておくんだった(^^;)。

昨日、自分の演奏をiPhoneで録音して聞いてみたときは本当にがっかり。ピアノは、調律さえちゃんとされていれば、キィをたたけばとにかくその音がでるけど、管楽器や弦楽器の下手なのは聞くのがつらい。私の演奏も、とても人に音楽として楽しんでもらえるようなレベルではない。それでも、正直な話、ここ数日練習しているうちに楽しくなってきたのも事実。ギターの演奏をする人と一緒に何かやろうか、という話も出て、やっぱり合奏は楽しいよなぁ、と思い出す。結局、一緒に練習する時間がとれず(昼休みの時間が一致しなくて)、合奏はお流れになったけど、また誰かと合奏をしてみたくなった。

大学に入学したときにブラバンから来た勧誘ハガキに書かれていた言葉を今も覚えている。
音楽は世界共通の言葉
同じ音楽を聞いて、世界の人々がみんな同じような感情を引き起こされるかどうかはわからないけど、悲しい感じ、楽しい感じ、などはかなり共通のものがあるのでは。
この世に音楽があるっていいよなぁ(^^)。

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ビデオ「マチュカ 僕らと革命」Machuca

ツイッター上で、友人が絶賛していたので、DVDを借りて見た。うん、確かに。この映画が 「Yahoo 映画」にも、「ぴあ映画生活」にも登録されていないなんてちょっと驚き。私にとっては、感動する...というのではなかったけど、70年代のチリ社会の混乱が、そこに生きる子どもと大人の生活を通して描かれているのがおもしろい。

チリのことってほとんど何も知らない(^^;)。映画「モーターサイクルダイアリーズ」で、チリに入国するときに、アルベルトが「チリー!」と叫んでいたこと、「チリには美人が多いんだ」なんて言っていたこと。「セプテンバー11」という映画 で、1973年のチリで「もうひとつの9・11」があったのだ、と知ったことくらいか。そして、この「マチュカ」はまさにその「もうひとつの9・11」の時代を描いている。

「マチュカ」は少年の名前。当時のチリ(今も?)は富裕な人と貧しい人の差が歴然としていたようだ。マチュカは先住民族の子どもで、貧しい家に住んでいる。そんな彼が、アジェンデ社会主義政権下で、すべての子どもに教育を、と願う神父の経営する学校に入学を許可される。学校には裕福な家庭の子どもたちが通っていて、貧しい子どもたちとすんなりと仲良くなれない雰囲気があったが、そんななか、裕福な家庭の少年ゴンサロはマチュカと親しくなっていく。

アジェンデ社会主義政権とか、ピノチェト独裁政権とか、文で読んでも頭をすりぬけてしまうけれど、こうして映像になると、少しはイメージがつかめる。映画が現実をどれくらい反映しているのかどうかはわからないが、インターネットムービーデータベースのコメントで、チリ在住の方が、「服装から落書きにいたるまで、当時の世相を正確に映し出している」と書いておられたから、社会背景はかなり現実的なものなのだろう。大人社会ではあんなことが行われていたのか(ゴンサロの母親の行動)とか、ゴンサロとマチュカが、マチュカの隣人の女の子と3人で仲良くしている様子などはどのくらい現実感があるのかはやっぱりわからないけど、ほほえましい感じではある。

印象的なシーンはいくつかあるが、特に私が好きだったのは(以下ネタバレ)

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ツイッター

最近、ブログが滞りがちなのは、ツイッターを始めたことが関係している。ツイッターは140文字以内でつぶやくものなので、ブログよりも手軽。ちょっと思ったことなどを簡単につぶやける。そして、ちょっとでもつぶやいてしまうと、もうとりたててブログに書かなくてもいいかな、という気になってしまう、ほとんどのことは。

ツイッターを始める前は、「起きたよ」とか「どこそこでごはん食べてます」とか、他人のそんなつぶやきを読んでどうする、と思っていた。そんなつぶやきを読むのに時間をとられたくないな、と。でも、私たちがふだん交わす日常会話って、ほとんどは、そういう他愛もないことで成り立っている。「今日は寒いねえ」とか「昨日は電車に乗り遅れちゃって」とか。ツイッターはネット上にそういう疑似社会を作っているという感じがする。他愛もないつぶやきのなかに、ときどき、自分の興味のある事柄がまじってくる。「この映画がおもしろかったよ」とか「どこそこでこんな写真展があるよ」とか。もともと、自分にとって興味のあることをつぶやきそうな人しかフォローしないわけだから、そういう話題に出会うことも少なからずあるわけだ。

タイムラインには自分のフォローしている人のつぶやきが次々と流れてくる。とても全部は読み切れない。ツイッターにアクセスしたときに目についたものを読む、という感じだ。実生活だって、すべての人の会話を全部聞けるわけじゃない。目につかなかったものは縁がなかったもの、とあきらめるしかない。もしすごくおもしろい発言があれば、誰かがそれをリツイートしたりするから、目につく確率もあがる。「どうしてもこの人の発言は読んでおきたい」という場合は、ツイッタークライアントというものを利用するなどして、その人の発言だけを追う、ということもできる。

私の場合は、ツイッターを日記がわりに利用している感じだ。有益な情報を厳選してつぶやくようにされている方もあるが、私のつぶやきは、ほとんどが、他の人にとってはどうでもいい話だ(^^;)。でも、自分の日記としては意味がある。つぶやいても、ほとんど反応が返ってくることはないからさみしいものだけど、日記だと思えば、そんなものかな、と。反応が返ってくればラッキー、くらいに思っておけばいいのだろう。そして、日記としては、一日をふりかえってわざわざ書く、というわけでもなく、隙間時間にちょこちょこっと書けるので、楽。そして、人はやはり楽なほうへと流れていくものらしく...(^^;)。

ツイッターには結構個人的なことも書いているし、そんなものをブログに載せる気もしなかったのだが、ブログの更新が滞りがちなので、せめてツイッターの更新状況をブログに表示しておけば生存証明(^^;)になるかな、と思い、ツイッターのブログパーツを貼ることにした。もし気になった話題があれば、ツイッターのアカウントをお持ちの方はツイッター上で、お持ちでない方は、ここの掲示板ででも返信していただければ嬉しいです^^。

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