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本「中央モノローグ線」by 小坂俊史

中央線の中野から武蔵境までの8つの駅に住む8人の女性ーイラストレーター、古着屋店主、OL、大学生、中学生などーのつぶやきで構成された4コマ漫画集。私がこの中で実際に少しでも歩いたことがあるのは中野と吉祥寺くらいで、他の町は全然知らない。それでもなんか妙にリアルな感じがする。もちろん、いかにも漫画的で、現実にはありえないようなエピソードも含まれているけれど、知らない町なのに、なんかそういうのありそうだなぁ、と思えたり、それをつぶやいている人の気持ちに共感できたり。

すごく笑える展開も劇的な展開もなく、日々の暮らしが季節の流れとともに淡々と綴られるだけなのに、舞台がローカルな漫画というのはどこか心くすぐられるものがある。新宿や渋谷ばかりが東京じゃない。田舎ではないけど、大都会とも違う。そして、どの町にもそれぞれ個性があるらしい。高円寺や阿佐ヶ谷をちょっと歩いてみたくなった。

4812471710中央モノローグ線 (バンブー・コミックス)
竹書房 2009-10-17

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ビデオ「A2」

「A2」も「A」と同じく、そんなにすごい映画だとは思わないのだけど、こういう形で撮影されることで見えてくるものがあるなぁと思う。

A2は「A」の撮影後、さらに2年半後のオウム信者の人たちを追った作品だ。この作品には「A」に登場していた荒木広報部長はほとんど登場しないし、村岡代表代行、上祐元広報部長の他は、私はほとんどマスコミで顔を見たことのない人たちだ。

「オウムは悪」というイメージが定着し、オウム関連の施設はどの町でも受け入れられない。信者が居住しようとすると町の住民の反対運動が起こる。「オウム出ていけ」と叫ぶ住民と、低姿勢で対応する信者たち。「自分の町にサリンの製造なんかやっていたオウムが来るなんて怖すぎる」-その気持ちはわかるけれど、こういう映像を見ていると、人間は簡単に暴力(身体的なものというわけではなくても)を加える側になってしまうのだなぁ、と感じてしまう。

しばらく前に「エス」という映画をDVDで見たのだが、与えられた役割によって人間がどんなふうに変わっていくのかが見事に描かれていてとても興味深かった。現実に、同僚が管理職になったとたん、まるで人間が変わったようになる、ということも何度か経験している。

話を「A2」にもどすと、しかし意外なことに、そのうち、オウムの監視を続ける住民とオウム信者の間には段々と交流が生まれ、「こいつらも普通の人間じゃん」という気持ちが生まれ、和やかに談笑する姿が見られたりする。一般のマスコミによっては、こんな状態はほとんど報道されたことがないのではないだろうか。オウムに入信してきた人たちは、もともと心の問題を抱えてそれをなんとかしたいと思うまじめな人たちが多かったようで、人の命をなんとも思っていない殺人鬼だったわけではないだろう。実際に接してみないとわからないことというのはあるものだ。

それにしても、監督の森達也さんの懐の深さ(?節操のなさ?)には恐れ入ってしまう。右翼の街宣カーにまで乗りこんでしまうのだから。などと感じてしまう私はやっぱり色眼鏡から自由になっていないのだろうな...

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ネットスーパー

我が家では生協の配達は木曜日。で、何か足りないものがでてきたら、早番のときは仕事の後、近所のスーパーに行けるけど、遅番だと、娘たちに買物を頼むか週末に私が買物する、ということになる。今日は、夕飯を作るのには十分な食材があったけど、次の木曜まで、と考えると野菜が足りない。それで、出かけている次女に買物を頼もうとメールをしかけて、でも、この雨の中、重い荷物を持たせるのはかわいそうだなぁ、という気になった。かといって私も出かける気になれない。それで、あ、ネットスーパーを利用してみようかな、と思った。

使ったのはイトーヨーカドーのネットスーパー。配達エリア内であることを確認して会員登録。そのあと商品を選んでいく。

品物の名前を入力するときに、「大根」と入力すると、切り干し大根とかお漬物などの加工品しか出てこなくて、「だいこん」と入力してようやく生鮮食料品が出てくる、とか、お弁当用の仕切りカップや台所の三角コーナー用水切りネットをなんと呼べばいいのか、などのとまどいはあったものの、無事ほしいものを見つけて入力。3500円以上は配達料が無料(店舗によって異なる)になるので、お菓子やトイレットペーパーなどの日用品も買い込んで3500円以上にし、注文。なんと、4時までに注文すればその日のうちに配達してくれる。支払いはクレジットカードで。代金引換も利用できる。

届いた野菜は国産で新鮮なもの。注文したその日に配達料無料で生鮮食料品や日用品が届くなんてすごい。私の場合は、単に怠け者にすぎない(^^;)けど、お年寄りなどで買物が大変、という方にはとても役立ちそうだ。扱っている商品も十分に豊富(お弁当のおかずカップは思っていたサイズがなかったり、生花は見つけられなかったけど)で、値段も、「ネットだから高くなる」ということもない(店舗によって違うかも)。今後、配達エリアが拡大していくといいな。

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映画「ビルマVJ 消された革命」

VJというのはビデオジャーナリスト。2007年、ビルマで大規模な反政府デモが起きた時、その様子を撮影して国外のメディアに送っていたビルマ人VJ達がいた。
ビルマでビデオ撮影するというのは、日本で動画撮影するのとわけが違う。軍事政権は市民がそのような活動をすることを禁じているため、撮影は命がけだ。当局に見つからないように、カメラを隠し、あるいは自分が隠れて撮影を行う。この映画は、当時そのようにして撮られた映像に、再現映像を織り交ぜて構成されたドキュメンタリーだ。

すごいのは、なんといっても軍政反対を叫んでデモ行進をする人たちの数の多さだ。ヤンゴンの町の大通りを埋め尽くす勢い。僧侶が中心となり、一般の人々が加わる。デモに加わらない人も、沿道から、屋上から、笑顔で拍手して声援を送る。スーチーさんの解放を!生活の向上を!軍政に反対している人たちがこんなにいるんだ...見ていて胸が熱くなった。

ところが軍はそんな人たちを蹴散らしてしまう...僧侶に暴力をふるって僧衣をはぎとって拘束、カメラを持っている人は逮捕、そんななか、日本人ジャーナリストの長井さんは実弾に倒れる...

こんなに多くの人が軍政からの解放を望んでいるのに、どうしてそれを圧殺することが可能なのか不思議な気がするのだけれど、武器を持つ者の力は圧倒的ということか。しかし、1988年のデモのときには3000人の死者を出したが、今回はそこまでの虐殺は行われなかった。それは、こうして軍のしていることを国外に発信するVJの存在があったからだ。軍事政権と言えども、国際社会の目を意識しないわけにはいかない。

私たちが仕事をするのは、自分の好きなことをしたいからとか生活のためとかだったりするけど、ビルマのVJの人たちが「仕事」をしているのは、ビルマに自由を、という使命感からだ。私たちにできるのは、必死の思いで配信された映像を見ること、映像を見たよ、というレスポンスをなんらかの形で返すこと、軍事政権がこれ以上ひどいことをしないように監視を続けることくらいだろうか...

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ビデオ「阿賀に生きる」

新潟県阿賀野川流域の村で暮らす人々を撮ったドキュメンタリー。
フィールドワークというのは、そこに住む人々との間に本当の信頼関係が生まれないと成功しないものだと思う。ましてビデオカメラを使ったものとなるとむずかしいだろう。人はカメラの前でかまえるものだし、たいていの場合、自分のふだんの生活をカメラの前にさらしたくないものだ。この映画は、佐藤真監督はじめ7人のスタッフが阿賀野川沿いの家に3年間住み込んで、地域の人々の田んぼ仕事を手伝ったり、一緒に歌合戦に興じたり、という暮らしのなかで撮られたもの。時々、「おや、撮影しているのかい。こんな年寄りを撮るなよ」というコメントがお国ことばではさまるが、撮影者を拒否している感じではなく、受け入れている雰囲気が感じられる。

四季折々の村の風景が美しい。雪におおわれた山々、緑豊かな川沿い、などの自然の景色はもちろん、夏祭り、小さな民家、干し柿のつるされた家の中、など、これを撮っている人が自分の見ているものに感嘆しているのが伝わる。人の表情もそうだ。この映画に登場する方々はほとんどがかなり高齢の方たちなのだけど、それぞれ自分らしく生きておられる様がステキだ。船大工だった人、重労働であるコメ作りを続ける人...これを撮っている人が、ほんとにすごいなぁ、と尊敬と共感の目で見ていることが伝わる。

この映画を撮ろうとしたきっかけは新潟水俣病のことだったのだろう。映画のなかでも、もちろんそのことに触れられていて、それがどのようにして起こったのか、また、人々が集会で話し合う様子や裁判にでかける様子、原告団に加わったことで村でどのように見られたのか、などについて言及されている。でも、映画は「新潟水俣病を告発する」というメッセージを前面に押し出したものではなく、病気で変形した指がふるえる様子が時折映し出されたり、感覚がなくなったために火傷にも気付かないような状態が語られたり、と、それが生活に与えた影響を静かに見せるだけ。メインとなっているのは、阿賀野川沿いで営まれている豊かな(金銭的にではないけれど、人々が関わりあって、自然と、古くからの風習が大切にされている)暮らしだ。

現代社会では、「年をとることは社会のお荷物になる」という印象が強い。施設で暮らしたり、一人暮らしだったり。でも、そうじゃない暮らし方もある。自分がしてきたことに誇りが持てる、そんな人生。「たいしたことないよ」「つまらんことだよ」と言いながら、でも、昔の自分も今の自分も否定することはない。なんでも「昔はよかった」と言うつもりは毛頭ないし、この映画のなかで、お年寄りに比べて若い人が少ない村の姿に、これでいいのか、という思いもある。ただ、少なくとも、こういう暮らしが記録され、私たちがそれを見ることで、今の都会生活が失っているものに気づかせられる。

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ビデオ「あなたは私のムコになる」 The Proposal

サンドラ・ブロック演じるカナダ人のマーガレット。彼女はニューヨークの出版社で働くやり手のキャリア・ウーマンなのだが、ビザ切れで国外退去させられそうになり、部下のアンドリューと無理やり偽装結婚を企てる。まあ、映画の中でしかありえないような設定と、ありがちなストーリーなんだけど、アンドリューがアラスカの裕福な家庭の出身という設定が、私たちのあまり知らないアメリカを見せてくれておもしろい。もちろん、フィクションであって、実際にアラスカであんな儀式の伝統が残っているのかどうかはわからないけど。

アラスカのアンドリューの実家に行ったマーガレットは家族から手厚い歓迎を受け、自分のしようとしていることがどういうことであるのかを実感していく。彼女は16歳の時からひとりで生きてきた(その辺の事情が語られたかどうかは覚えてない)ので、ひとりで生活することに慣れていて、人と暮らすことの味を忘れていた。とりあえず結婚して、さっさと離婚すればいい、と思っていた。自分がアメリカに合法的に残ることさえできればいいーでも結婚ってそんな簡単なものじゃなかった。

自分の結婚前、初めて富山に行って夫の親戚の人たちに会ったときのことを思い出した。京都育ちの私は、あんな大雪を見るのは初めて。同じ日本人なのに言葉もわからないことがしばしばあって、夫に通訳してもらわなければならなかった。でも、ふたりの結婚をとても喜んでくださっているのはよくわかった。人のものすごく温かい雰囲気が、また私の経験したことのないものだった。

ふたりの人間が出会って一緒に生きていきたいと思う。それは個人的なことだけど、結婚となると、ふたりの家族、親戚、地域...さらにいろんなしきたりがあったり、と、「個人的なこと」ではすまなくなっていく。結婚という形式にこだわらない、というのもありだけど、結婚っていうのもいいものだと思う。ひとりの人と深く関わることの素晴らしさだけじゃなく、様々な人や文化と関わることになる。

原題の propoal はプロポーズという意味と「提案」という意味をかけているんだろう。私と結婚する見返りに、あなたは昇進できるわ、というような。それを「あなたは私のムコになる」って訳したのはうまい邦題だなぁと思う。

しばらく前に見た「レイチェルの結婚」もなかなかおもしろかった。こんなふうに自宅で結婚式を行うような家もあるんだな。「あなたは私のムコになる」もそうだったけど...。結婚式にはいろんな風習があらわれるのが興味深い。結婚式を描いた映画を集めてみるとおもしろそうだ。

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