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ディーヴァ(英語)

うちの2歳児クラスから次の3-5歳児クラスに行った子どもたちが元気にやっているかどうかを時々そこのクラスの担任に尋ねたりする。で、今日は、プリスクールルームの担任のDが、つい先日彼女のクラスに移ったLのことを話してくれた。

D:今日、Lが私の膝にのってきたので、Lに、「あなたってディーヴァだと思うわ」って言ったのよ。そしたら、Lは「違うわ、私はディーヴァじゃないわ」っていうの。

それを聞いていた同僚のSが大受け。私はディーヴァという言葉を知らなかったので解説してもらうと、「バッグはグッチでなくちゃいや」だとか、とにかく自分の要求を押し通す人、というふうな説明。綴りを訊くと、diva。意味を調べてみると、大女性歌手、とかプリマドンナとあるが、彼女達の言うような説明はない。

じゃりんこ:diva って男性にも使うの?
D&S:うーん、男性にはあんまり使わないよね
D:私は、男性に対してだったら、arrogant だと言うわ。

そっか、diva と言われたら、arrogant ということなんだな。
でも、もともとはプリマドンナとか大歌手とかいういい意味だから、「あなたはディーヴァだ」というのは「まったくお嬢様ねぇ」という感じだろうか。ウィキペディアによれば、やはり基本的にはいい意味で、ただ、否定的な意味で使われることもしばしばあるらしい。
Lは、確かに言い出したら聞かないところがある(^^;)。

じゃ:こういう言葉ってなんか女性に対してが多いよね。drama queen は言うけど、drama king ってないじゃない。
D:まったくその通りよ。

ドラマ・クイーンは、まさしく「悲劇の女王」という感じで、子どもに対してもよく使われる。男の子だって、悲劇の主人公のように泣くことはあるのだが、それを表す言葉というのは特にない。

ディーヴァはドラマクイーンとはまた違うけれど、よく使われる言葉のようだ。ちなみに私はとてもプリマドンナになれるような器じゃないからディーヴァじゃないと思うけど、arrogantなところもあるかなぁ(^^;)...

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ヴァンジ彫刻庭園美術館

行ったのはもう1カ月も前のことで、とてもおもしろかったのだけど、ブログに書く時期を逃してしまっていた。でも、この間の日曜日、図書館で、美術手帖 2010年 08月号 [雑誌]を目にして、やっぱりちょっとだけでも書いておこう、という気になった。「アートの旅」と題されたその号の表紙にはヴァンジ彫刻庭園美術館で見たユニークな彫刻がひとつ写っていたのだ。

ヴァンジ彫刻庭園美術館は静岡県のクレマチスの丘というところにある。実はこの彫刻美術館を目的に行ったわけではなく、たまたま聞きたかったコンサートがここで行われていて、夕方の開催時刻まで自由に見学してもいいですよ、ということだったのでほんとに「ついで」の見学だった。ヴァンジというイタリア人彫刻家の名前も知らなかったし、特に何も期待していなかったのに、予想外のおもしろさにすっかり魅せられてしまった。

Vangi庭園美術館というだけあって、屋外に様々な彫刻が置かれている。最初は、なんかわけわからないオブジェだなぁ、なんて思っていたのだけど、人の彫刻は表情が豊かだったり、素材のなかから飛び出してきそうなリアル感があったり。屋外だけでなく、屋内にもたくさんの作品があり、素材も、大理石、ブロンズ、石、石膏、合金、など様々。で、いかにも石の中に隠れていたのを掘り出しましたよ、みたいに思える作品があったり。彫刻って、立体だから、ぐるっと全体が見られるのもおもしろい。絵にはない楽しみだ。

Vangi2芸術作品を見るときって、つい、大家の名前にまどわされるところがあるというか、あるいは有名な作品はそれだけですごいと思ってしまうところがあるけど、ここの作品は、そんな名前の力を借りなくても、見ていて本当に楽しかった。ヴァンジという人については、日本語のウィキペディアもなく、英語のウィキペディアでも簡単な説明があるだけで、外部リンクが張られているのは唯一、日本のヴァンジ彫刻庭園美術館のページだ。私には芸術の価値を判断する力量はないし、この人がどれほど注目されている人物なのかもわからないが、全体的に遊び心の感じられる作風が私好み^^。

庭園の彫刻の配置の仕方にもおもしろいものがあって、この階段を降りたら何かあるのかな...なんて思ったら...(^^)だったり。

というわけで、まさに棚からぼたもち、思いがけぬ儲けものの美術館だった^^。

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パレスチナと関わる

NPO法人「パレスチナ子どものキャンペーン」がこの夏レバノンで行った活動の報告会に行ってきた。

4979512265_569d0c7785_z_2ベイルートのユネスコホールで、パレスチナ、レバノン、日本の子ども達の絵を集めた展覧会が開かれたこと、それにあわせて絵や音楽のワークショップやコンサートも開かれたこと。そして、キャンペーンが長年行っている学校の授業についていくのがむずかしい子ども達に対する補修クラスの取り組み(主にその補修クラスを担当する指導者へのサポート)が紹介された。

パレスチナ難民というと、食べるものにも困っているのではないか、それなのになぜ絵や音楽なんだ、と思われる方もあるかもしれないけれど、そこが「パレスチナ子どものキャンペーン」のユニークなところのひとつ。

私がキャンペーンの活動に参加するようになったのは、放送大学「第三世界の政治」で、キャンペーンの事務局長田中好子さんのインタビューを聞いたのがきっかけだった。「地震などの天災が起こることは人の力でどうにもならないところがあるけれど、戦争などの人災は人の力で止められるはず...」という話を聞いて、そうだよなぁ、と思ったのだ。「人はパンのみにて生きるにあらず、という。人が生きるには希望が必要だ。パレスチナの子ども達に希望を与えられたら」という話にも共感し、私にも何かできることがあるなら、と思った。

昨日の報告の中で特に私が興味を惹かれたのがレクという楽器。タンバリンのような楽器だが、実に表現力が豊か。こちらのページに動画もあるので興味のある方はどうぞ。そのほか、子ども達と一緒に「かごめかごめ」で遊んだり、体を使って雨の音を出す、などの活動をしたり、アラビア語で現地の歌を一緒に歌ったり踊ったりされたそうだけど、子どもたちが楽しんだだろうなぁ、というのは容易に想像できる。私が学生時代、ブラバンから勧誘ハガキをもらった時に「音楽は世界共通の言葉」と書かれていたのを覚えているが、絵や音楽にはそういう力があるのだろう。まあもちろん、必ずしも、同じ音楽を聞いたり絵を見ても、人によって必ずしも同じ印象を受けるわけではないだろうけど...

日本の絵本をアラビア語に訳して読み聞かせるなどの試みもあったそう。特に受けたのはびゅんびゅんごまの本だったという。本に関しては、こちらがおもしろいと思ったものでもあちらの宗教的な考え方からは受け入れられないものもあったりで、本を選ぶ過程もおもしろかったという。

補修クラスの先生達への研修については、「子どもの視点にたってみる」ことを経験してもらうために、日本語の漢字を先生達に書いてもらう、という課題を出された、という話がおもしろかった。子どもにとってアラビア語はむずかしいものだが、先生達にとっても初めて見る漢字を書きとるのはむずかしい。それを「さっさとやれ」とせかされたり、「ここがちゃんとしていない」など冷たく指摘された時の気持ち。そして、一画一画色を変えた字を示してもらい、わかりやすく教えてもらってできたときの達成感、など。それを味わった先生達は、子ども達への指導の仕方を検討するようになるだろう。

でも、このイベントに参加された方達の多くが、パレスチナの人たちに指導しにいったというよりも、向こうの方達から元気をもらうことが多くて、と話されているのが印象的だった。

一口にパレスチナ難民といっても、ガザに住んでいる人たちとレバノンに住んでいる人たちとでは状況が違うだろう。「人はパンのみにて生きるにあらず」と思っていても、イスラエルに攻撃されてめちゃくちゃになった地域を支援するためにはまず生活支援物資ということにもなる。でも、誰だって楽しい生活をしたい。国連から生活物資を支給されていれば、なんとか生きてさえいられればそれでいいか、というと、そんなことはない。誰だって楽しい生活をする権利があるはずだ。

といって、私が現地の子ども達と一緒に音楽や絵本を楽しんだり、ということはなかなかできそうにないけど、そういう活動を行っている団体を少しでも経済的に支援したり、少なくともパレスチナの人たちの生活に関心を持ち続けることはできるかな、と思う。

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