経済・政治・国際

パレスチナと関わる

NPO法人「パレスチナ子どものキャンペーン」がこの夏レバノンで行った活動の報告会に行ってきた。

4979512265_569d0c7785_z_2ベイルートのユネスコホールで、パレスチナ、レバノン、日本の子ども達の絵を集めた展覧会が開かれたこと、それにあわせて絵や音楽のワークショップやコンサートも開かれたこと。そして、キャンペーンが長年行っている学校の授業についていくのがむずかしい子ども達に対する補修クラスの取り組み(主にその補修クラスを担当する指導者へのサポート)が紹介された。

パレスチナ難民というと、食べるものにも困っているのではないか、それなのになぜ絵や音楽なんだ、と思われる方もあるかもしれないけれど、そこが「パレスチナ子どものキャンペーン」のユニークなところのひとつ。

私がキャンペーンの活動に参加するようになったのは、放送大学「第三世界の政治」で、キャンペーンの事務局長田中好子さんのインタビューを聞いたのがきっかけだった。「地震などの天災が起こることは人の力でどうにもならないところがあるけれど、戦争などの人災は人の力で止められるはず...」という話を聞いて、そうだよなぁ、と思ったのだ。「人はパンのみにて生きるにあらず、という。人が生きるには希望が必要だ。パレスチナの子ども達に希望を与えられたら」という話にも共感し、私にも何かできることがあるなら、と思った。

昨日の報告の中で特に私が興味を惹かれたのがレクという楽器。タンバリンのような楽器だが、実に表現力が豊か。こちらのページに動画もあるので興味のある方はどうぞ。そのほか、子ども達と一緒に「かごめかごめ」で遊んだり、体を使って雨の音を出す、などの活動をしたり、アラビア語で現地の歌を一緒に歌ったり踊ったりされたそうだけど、子どもたちが楽しんだだろうなぁ、というのは容易に想像できる。私が学生時代、ブラバンから勧誘ハガキをもらった時に「音楽は世界共通の言葉」と書かれていたのを覚えているが、絵や音楽にはそういう力があるのだろう。まあもちろん、必ずしも、同じ音楽を聞いたり絵を見ても、人によって必ずしも同じ印象を受けるわけではないだろうけど...

日本の絵本をアラビア語に訳して読み聞かせるなどの試みもあったそう。特に受けたのはびゅんびゅんごまの本だったという。本に関しては、こちらがおもしろいと思ったものでもあちらの宗教的な考え方からは受け入れられないものもあったりで、本を選ぶ過程もおもしろかったという。

補修クラスの先生達への研修については、「子どもの視点にたってみる」ことを経験してもらうために、日本語の漢字を先生達に書いてもらう、という課題を出された、という話がおもしろかった。子どもにとってアラビア語はむずかしいものだが、先生達にとっても初めて見る漢字を書きとるのはむずかしい。それを「さっさとやれ」とせかされたり、「ここがちゃんとしていない」など冷たく指摘された時の気持ち。そして、一画一画色を変えた字を示してもらい、わかりやすく教えてもらってできたときの達成感、など。それを味わった先生達は、子ども達への指導の仕方を検討するようになるだろう。

でも、このイベントに参加された方達の多くが、パレスチナの人たちに指導しにいったというよりも、向こうの方達から元気をもらうことが多くて、と話されているのが印象的だった。

一口にパレスチナ難民といっても、ガザに住んでいる人たちとレバノンに住んでいる人たちとでは状況が違うだろう。「人はパンのみにて生きるにあらず」と思っていても、イスラエルに攻撃されてめちゃくちゃになった地域を支援するためにはまず生活支援物資ということにもなる。でも、誰だって楽しい生活をしたい。国連から生活物資を支給されていれば、なんとか生きてさえいられればそれでいいか、というと、そんなことはない。誰だって楽しい生活をする権利があるはずだ。

といって、私が現地の子ども達と一緒に音楽や絵本を楽しんだり、ということはなかなかできそうにないけど、そういう活動を行っている団体を少しでも経済的に支援したり、少なくともパレスチナの人たちの生活に関心を持ち続けることはできるかな、と思う。

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Tシャツ「手をつなぐ子どもたち」

パレスチナ子どものキャンペーンの機関紙が送られてきたときに「手をつなぐ子どもたち」というTシャツのチラシが入っていて、その絵柄がステキだったので土曜日に注文。昨日、届いた。

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レバノンの難民キャンプの子どもたちが描いた自画像をつなげた(構成は三田村龍伸さん)デザイン。NGOなどの作っているメッセージTシャツをほしいと思うこともあるのだけど、ちょっと職場には着ていけないな、ということも多い。でも、様々な皮膚の色の子どもたちが手をつなぐデザインは、うちの職場にもぴったりだ(^^)。

色はオレンジ、グリーン、オフホワイト、ブラック。サイズは、S,M,L,XL。Sサイズが女性用Mサイズという感じ。オレンジとグリーンは1600円、白と黒は1900円。いずれも送料込。メール便での発送。色によってどうして値段が違うのかは聞いていない。私が買ったオレンジは綿100%。白と黒は材質が違うのかな?

Tシャツの収益は、7月にベイルートで開かれる子どもの絵画展 の費用になる。でもTシャツの在庫には限りがあるとのことで、ホームページでの掲載はしていないようだ。土曜日に問い合わせたときにはまだ在庫があるようだったので、興味をもたれた方は「パレスチナ子どものキャンペーン」までお問い合わせください。電話やメールなどの連絡先はこちら。電話は火曜から土曜の11時から17時までです。

イスラエルがガザ支援の船を攻撃したとのニュース...こんなことを黙って許していてはいけないと思う。

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パレスチナ「土地の日」連帯集会

「土地の日」とは、1976年にイスラエル領内ガリラヤ地方でパレスチナ人の土地の大規模収用に対する抗議行動が行われた際に、6 名がイスラエル軍によって殺害されたことを記念する日で、毎年、3 月30日に、イスラエルによる土地収奪に対する抗議とパレスチナ内外 におけるパレスチナ人の連帯が訴えられている(パレスチナ情報センター スタッフノート より)のだそう。3月30日が近いということで、パレスチナの人たちに連帯しよう、という集会がJAPAC(日本・パレスチナプロジェクトセンター)の主催で昨日開かれた。

最初に見たのが"Goodbye Bassem"という記録映画。ヨルダン川西岸のビリン村で、隔離壁を建設するイスラエルに対して非暴力の抗議行動が続けられてきたが、バッセムはその中心人物だった。壁建設反対を叫ぶだけで、誰も武器を持っていないし、石を投げることすらしない。イスラエルの挑発に思わず石を投げようとする人を止めるバッセム。ところが、そんな村人たちに対してイスラエル軍の兵士はガス弾(催涙弾)を発砲。次々と...。見ていて唖然としてしまった。発砲されたガス弾が集められたのを見ると実にたくさんある...。抗議行動はいつもそんな感じで続いていたのだが、ある日、催涙弾がバッセムを直撃、彼は亡くなってしまった。自分たちの土地に違法に立てられる隔離壁に反対していただけで、武器を持って攻撃したことなどないのに!

その後、2009年10月にパレスチナを訪問した方たちの話を聞いた。特に驚いたのは、入植地のなかでも極右のユダヤ教徒が多いヘブロンでは「アラブ人をガス室に送れ!」というような落書き を見ることすらあったのだという。署名は JDL(Jewish Defence League)となっているが、それをユダヤ人が書いたのだとは信じたくない....。

報告者の方や参加者の方たちからいろいろな意見が出される。
マスコミによれば、「イスラエルの攻撃にパレスチナもロケット弾で応酬、暴力の連鎖が云々」という報道をされることが多いけど、占領は犯罪行為であり、占領に抵抗するのはテロではなく、権利だ。国際社会はなぜそのような違法行為をやめさせることができないのか。南アフリカでアパルトヘイトがなくなったのは、国際社会の外圧によるところが大きい。やはりイスラエルボイコットのような活動は必要なのではないか...

イスラエル支援企業ってほんとに大企業が多いから、ボイコットがむずかしい。マイクロソフトと縁を切るのは私にはむずかしいし、安いコーヒーがおかわりできて無線LANの使えるマクドナルドも便利だし(--;)...付き合いをやめられないのなら、せめて、こういう企業に対して「イスラエル支援をやめてください」と訴えていくことが必要なんだろうな...

2007年のイスラエルの世論調査によれば、「再び生まれるならイスラエル以外の国がいい」という設問にイエスと答えている人の割合は47パーセントに上っているのだという。圧倒的に軍事力で勝っていても、幸せになれるわけじゃないんだ。

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ガザ攻撃から1年

ガザ攻撃から1年
昨年、イスラエルが突然ガザに攻撃を仕掛けたのが12月27日。今日は、「今もイスラエルによって封鎖の続いているガザの人達と連帯しよう」というイベントが開かれた。
まずは、今年の夏に現地に行って来られたジャーナリストの古居みずえさんの報告を映像とともに聞く。さらに、現在、現地に滞在中の「パレスチナ子どものキャンペーン」スタッフの人から、電話で現地の様子を聞き、その後、雨宮処凛さんと古居みずえさんが対談。
イスラエルが資材の搬入を許可していないため、今も進まない復興、ガスがない、薪がない、水は5日に一回程度の供給、停電はしょっちゅう。「男は稼いでナンボ」という価値観のあるパレスチナ社会で、仕事のない男達は、自尊心を失い....。
この人達がこんな暮らしを強いられるのは何故なのか。世界はどうしてこんなことを許しているのだろうか。
夕刻には、会場であった築地本願寺の境内にてキャンドルサービス。キリスト教、イスラム教、仏教、それぞれの代表者がメッセージを読みあげた後、参加者全員で黙祷。日本各地、明日には世界各地でも同様の催しが行われるだろう。その様子が報道されて、ガザの人達に届きますように。

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ガザ封鎖解除を求める署名、外務省に提出

ガザ封鎖解除を求める署名は、最終的に52175筆が集まったそうで、3月31日に外務省に提出された。 インターネットでの署名は5745件だから、やはり普通の署名のほうがたくさん集まったわけだ。「パレスチナ問題に関わる署名が、日本で5万筆以上を集めたのは初めて」(日本パレスチナ医療協会のメルマガより)とのことだけど、昨年末から今年初めにかけてのイスラエルによるあのひどい攻撃があって、それでこの数字になったということだろう。

あの攻撃がある前から、ガザは出入り口をイスラエルによってコントロールされ、人も物も自由に移動ができない状態だった。生活必需品が手に入らない、病院に必要なものが来ない、ガザでは治療できない病人を国外に連れ出すこともできない。でもそんな状態はニュースにならない。実際にそのために死んでしまう人がいても。あんな攻撃があって多くの人が亡くなって初めてニュースになる。そして攻撃が終わるとまた忘れられてしまう。封鎖は今も続いていて、事態は少しもよくなっていないのに。

復興に向けて莫大な金額の国際支援が約束されているけれど、実際には何も始まっていないという。復興に必要な建築資材は搬入が認められず、多くの支援国は、「再び破壊されないという保証」がないことを憂慮している。人々は普通の暮らしにもどろうとしているけれど、心理的なダメージは相当に大きく、戦争の恐怖、破壊のショック、家族や知人を失くした悲しみに加えて、強い無力感に支配されているとのこと(「パレスチナ子どものキャンペーン」のメルマガより)。

そんななかでも、様々なNGOが少しずつ支援を続けている。「パレスチナ子どものキャンペーン」でも食糧支援を行なったり、子どもたちや子どもたちに関わるスタッフへの心理サポートを継続している。私ができるのは、せめてそういうNGOを少しでも支援することかな...

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サラ・ロイ氏講演会

パレスチナ・イスラエル問題の研究家(ハーバード大学中東研究所研究員)であるサラ・ロイさんが3月1日に来日され、この一週間、東京や京都で講演を行なってこられた。今日が最終の講演会で、「ガザが語る、パレスチナの将来 イスラエルによる占領を読み解く」と題して行われた。

サラさんのご両親は、ナチスによるホロコーストを生き延びられた方たちだ。つまり、サラさんはユダヤ人である。サラさんのおかあさんは、戦後、「ユダヤ人にとって安全な場所はユダヤ国家しかない」との考えのもとに、パレスチナへ移住しようと言う妹さんの提案に反対し、アメリカへ渡られた。

フラニアおばさんは、ホロコーストのような出来事が起きたあとでは、ユダヤ人にとって安全な場所は唯一、ユダヤ国家しかないと考えていました。母はその考えに反対でした。そして、決して首を縦に振ろうとはしませんでした。わたくしが生きる上で母がこれまで幾度となく語ってくれたことですが、イスラエルでは暮らさないという母の決断は、戦時中の体験から母が学びとった強い信念に基づいていました。それは、人間が自分と同類の者たちのあいだでしか生きないならば、寛容と共感と正義は決して実践されることもなければ、広がりを見せることもないという信念です。母は言います。「ユダヤ人しかいない世界でユダヤ人として生きることなど、私にはできませんでした。そんなことは不可能でしたし、そもそも望んでもいませんでした。私は、多元的な社会でユダヤ人として生きたかった。ユダヤ人も自分にとって大切だけれども、ほかの人たちも自分にとって大切である、そのような社会で生きたかったのです。(「ホロコーストとともに生きる」 by サラ・ロイ 翻訳 岡真理さん 全文はこちらで読めます。)

そんなわけで、私は、ユダヤ人としての立場から見たパレスチナ問題、というような観点から話が聞けるかと思っていたのだけど、第一部の講演では、サラさんの専門である政治経済学的な観点からパレスチナの状況を語る、というもので、英語が頭の上をすべっていき、あまりよく理解できなかった(^^;)。会場が満員で前のほうに席がとれなかったので、サラさんの顔が見えなかったのも一因かな。

第二部になって前のほうの席が少しあいたのでそちらに移り、サラさんの顔が見えるようになった。サラさんも、会場から出た質問に答える、という形だったので、原稿を読むのではなく、個人的な体験を交えながら話され、ずいぶん話がわかりやすくなった(私にとって(^^;))。「ユダヤ人であるあなたがどうしてパレスチナのことを研究しようと思うようになったのか」という質問に対し、学生として博士論文を書くためにガザを訪れたときのことを話された。研究の焦点は、「軍事占領という条件下で、アメリカの経済援助がどういう役割をはたしているのか」を調べることだったというが、サラさんはそこで「占領」というのがどういうものであるのかを身をもって体験することとなる。そして、それは自分の両親が受けたホロコーストと通じるものがある、と感じられた。

サラさんがそうやって初めてガザを訪れられたのが1985年。当時、ガザを訪れる外国人は珍しく、ガザの人たちは歓迎してくれた、というが、まず最初に聞かれるのが「あなたはクリスチャンですか?」という質問だった。それに対し、「いいえ、ユダヤ教徒です」と答えると、驚かれ、懐疑の目で見られることもあったが、1週間もするとおたがいにすっかり打ち解け、ユダヤ人であるということがかえって強みになった。ユダヤ人がパレスチナのことを知ろうとしている、ということで、いろいろなところへ連れて行ってくれた。サラさんはパレスチナの人たちのあたたかさや優しさに魅せられた、という。

さらに、「ユダヤ国家・パレスチナ国家の二国を建設する案か、いろいろな人たちが共存する一国を建設する案か、どちらがよいと思うか」という質問に対しては、「この問題については外国人である私がとやかく言うことではなく、パレスチナ・イスラエルに住んでいる人たちが決めることだ。しかし、現実問題として、オスロ合意でうたわれた『パレスチナ国家を建設する』という案はまったく機能していない。とにかく、イスラエルの占領を終わらせることが先決だ。それがないまま、二国か一国かを議論しても意味がない」と答えられた。

アメリカでもヨーロッパでも、イスラエルを批判するユダヤ人は増えてきているという。イスラエル国内においても。まだまだ少数派ではあるものの、そういう声がでてきている、ということを大切にしたい。日本でも、パレスチナ・イスラエルの歴史的背景をみんなが学び、新聞に投書するなどして、声をあげてほしい。書くことは大切だ。(サラさん談)

というわけで、私はとりあえずブログに書いておきます。

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ナクバとホロコースト

前回の続き。多くの人がパレスチナ問題に関わることをためらう理由のひとつに、「パレスチナ問題はわかりにくい」というイメージがあるのだと思う。私も、学生時代、中東問題を理解しようとして本を読んだりしたけど、いまいちよくわからなかった。

で、今、パレスチナ問題を理解するのに、とてもわかりやすい小冊子があるので紹介したいと思います。
「ナクバから60年、今、パレスチナ問題の根源を考える」というもので、2008年6月に大阪で行われた岡真理さんの講演録です。岡さんの講演の部分は36ページ、これに質疑応答や註、年表などがついて全体で60ページ。 「パレスチナの子供の里親運動」事務局にて500円(+送料80円)で販売しています。

たとえば、ナクバとホロコーストについて。ナチスによるユダヤ人絶滅作戦を「ホロコースト」と呼ぶことは多くの人が知っているのに、パレスチナにイスラエルが建国されたことで多くの人が故郷を追われ難民となった事実を「ナクバ」と呼ぶのだということを知らない人は多い。今年、広河隆一さんの「ナクバ」という映画が公開されたから、多少は知られるようになったかもしれないけど、「ホロコースト」という言葉ほど一般的にはなっていない。それはなぜなのか。そしてそれは何を意味するのか。

アウシュビッツの収容所から生還されたユダヤ人の方が、身内からイスラエルに行こうと誘われたけれど、断固としてそれを拒否した。ユダヤ教が大切な教えとしてきた正義の理念や他者に対する寛容さは、イスラエルのあり方とは相容れない、と考えたから...。

日本国内にもいっぱい解決しなければいけない問題があるのに、なぜパレスチナか、という問いに対する答えにはなっていない(--;)けど...。日本国内にいっぱいある問題がどうでもいいというわけじゃない。でも、自分の故郷を追われて60年もほおっておかれている人たちのことも忘れないようにしたい。

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パレスチナへの関心を広げるために

「パレスチナ子どものキャンペーン」主催で、「パレスチナ:市民にできることは何だ」というシンポジウムが開かれた。パレスチナで救援活動をしているノルウェーのNGOの人を招いて話を聞き、さらに、日本で様々な運動をしているNGOの人たちからも話を聞く、というもので、参加したのはアムネスティ・インターナショナル、ピースボート、それからクリック募金やネット署名の活動をしているユナイテッドピープル。

どうしてノルウェーではパレスチナ救援活動をそんなに活発に行うことができるのか、ということに興味があったのだけど、ひとつには、徴兵制の敷かれている国なので、多くの人が現地(レバノンなど)に赴いたことがあり、身内や知人が現地に行ったことがある、という人がほとんどである、ということ。現地にいると、次第に、イスラエルのやっていることはおかしい、と感じるようになるようだ。もともとノルウェーはイスラエルと友好関係にあり、キブツを訪れて勉強しようという人も結構いた。そのうち、いったいここは誰の土地なんだ、ということが気になり始める(広河隆一さんがキブツで感じられた疑問と同じだ)。そんなわけで、パレスチナ問題をなんとかしなければ、と思う人が多いという。

講演をされた方のNGOの資金は政府がだしているのだそうだ。NGOと政府の意見は必ずしも一致するものではないのに、政府は金を出しても口を出さない!世論の支持があることなら活動を続けられる、というなんともうらやましい状況。

日本ではそもそもパレスチナに関心を持つ人が多くない。まわりにパレスチナへ行ったことがある人なんてほとんどいないだろう。この不況時、自分の生活で精いっぱいだし、日本にもいっぱい問題があるのに、どうしてパレスチナ?アラブとユダヤの対立ってよくわからない。パレスチナ人ってテロをする人でしょ、できれば関わりたくない...という感じだろう。ノルウェーの状況は興味深いけど、日本での運動を広げる参考にはあまりならないなぁと思いながら聞いていた。

私が興味をひかれたのは、ピースボートの人の話だった。きっかけはミーハーでいいじゃないか、ということ。ピラミッドを見てみたい、とか、知らない国のことを知りたい、という気持ちは多くの人が持っている。社会問題への関心なんてなくたっていい。でも、船にパレスチナの人やイスラエルの人が乗っていたら?毎日、接しているうちに、話すようになって、友達になったら?そうしたら、その友達の国のことが気になる。インターネットが発達し、簡単に情報が得られるようになったけど、現地に行かなければわからないこともまだまだある。遠い世界の人のことは気にならなくても、友達のことは気になるし、なんとかしたいと思う。

話を聞きながら、養護学校に勤めていたときのことを思い出した。障がいを持った人、特に、ちえおくれとか自閉症といわれるような人たちに対して、よくわからないし、どうやって接していいのかわからない、という人は結構いるだろう。でも、毎日接していれば、コミュニケーションをとることができるようになる。接点を持つことが大事なんだよなぁと思う。

でも、現実には、今、日本でパレスチナと接点を持つことはとてもむずかしい。じゃあ何ができるのか、ということについては、また考えて書きたいと思う。

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ガザ封鎖解除への働きかけを

先日「ルート181」という映画を見たときに、あとでこんな話を聞いた。イスラエルの攻撃に命の危険を感じて自分の家から逃げ出した人は、もともとすぐ帰るつもりだった。畑や家畜の世話をしなければ...と気になっていたのに、それから60年も自分の家に帰ることができずにいる...

そして現在のガザはというと、すべての出入り口をイスラエルによって封鎖され、物資や人の移動が非常に困難な状況になっている。私が自分でガザに行ったわけではなく、現地に行った人からの報告を聞いたり読んだりしての情報だけど、私は信頼できる情報だと思う。

少なくともガザはパレスチナの人たちの自治権が認められた場所であるはず。ハマスとファタハの対立により自治がうまく機能していないのは確かだけど、そもそもイスラエルがガザの人たちの生殺与奪の権利を握っているなんておかしいと思う。たとえば、日本人が国外に出るためには中国の許可が必要で、許可を得るには何日もかかり、結局許可がもらえなかったり、また、輸入できるのは中国が認めたものだけ、そして中国はなんとか生存できる程度の食糧くらいしか輸入を認めてくれないとしたら...それはおかしいと感じるだろう。なんでこんなことが許されるんだ?と感じるだろう。

ガザの状況はまさにこういうことなんだと思う。そしてこんな状況がずっと続いてきて悪化する一方だ...この状況を変えるにはやはり外圧が必要なんじゃないかと思う。イスラエルのやっていることはおかしい、と、声をあげていかないと、何も変わらない。

というわけで、パレスチナ子どものキャンペーンでは、日本政府に対し、ガザ地区への封鎖をやめるように働きかける署名を企画したようだ。インターネットでの署名 は12月1日に始まり、現在100名の方が署名してくださっている。署名は実名でしなければならず、住所を書かなければならないけど、ネット上での表示は匿名にすることができる。それでもインターネットでの署名に抵抗のある方は、こちらから署名用紙をダウンロードすることができるし、またキャンペーンにメールや電話で連絡すれば署名用紙を送ってもらうこともできる。呼びかけ文を読んで賛同できる方はぜひ署名をお願いします。本当に多くの署名が集まったら政府も無視できないと思うので。

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映画「ルート181」

副題は「パレスチナーイスラエル旅の断章」。ルート181という道がパレスチナ/イスラエルにあるわけではない。1947年、国連は当時イギリスの委任統治領であったパレスチナを分割して「ユダヤ国家」と「アラブ国家」を建設するというパレスチナ分割案を採択した。これが国連総会決議181号だ。そして翌1948年5月にイスラエルは独立を宣言する。しかし、イスラエルは分割案で提示されたものよりはるかに多くの土地を占領して国境を定め、さらにその後1967年の第三次中東戦争でガザとヨルダン川西岸地区も占領下に置いたたため、181号による分割線が実際の国境となることはなかった。この分割ラインを「ルート181」と名付けて、2002年の夏、ユダヤ人とパレスチナ人のふたりの監督が南から北へと旅をした。この映画はその記録である。

全編270分の長編だが、南部編・中部編・北部編の3編に分かれていて、そのたびに休憩を取ってくれたのでありがたかった(^^;)。延々と続く殺風景な分離壁。ふたりの監督が出会った人々が話す。特に何の解説もないので、なかなか事情がのみこめない。

「ルート181」は現在そのほとんどがイスラエル領になっているので、出会う人々はイスラエル在住の人たちだ。でもイスラエルに住んでいるのは「ユダヤ人」ばかりではない。

国連の分割案ではパレスチナの52パーセントをユダヤ国家が、残りをアラブ国家が所有することになっていた。しかし、当時、パレスチナでユダヤ人が所有していたのは7パーセントにすぎなかった。(それなのにどうしてそんな分割案になってそれが可決されてしまったのか、というのはアメリカの力によるところが大きい。)そしてイスラエルが建国されたときにはイスラエルはパレスチナの78パーセントを所有していた。当然、イスラエル国内にはアラブ系の人たちがたくさん住んでいる。そこでイスラエルはその人たちを追い出しにかかり、その結果多くの難民が生まれた。しかし、そんななかでもイスラエル領土内にとどまった人たちもいるのだ。さらに、イスラエルは国内のユダヤ人比率を上げるために移民を奨励する。ヨーロッパからだけではなくアフリカなどからもたくさんのユダヤ人を受け入れた。だから映画のなかで出会う人たちもイスラエル礼讃をする人ばかりではない...

映画の後、岡真理さんの講演があり、こういう事情などが詳しく話されて、映画の背景が少しわかった。何の予備知識も解説もなく見るのはちょっとしんどい映画だ。事情がわかると、映画が今のイスラエルの様子をよく映し出しているんだなぁということがわかる。最後のほうのおばあさんの言葉が印象的だ。「イスラエルには何でもあるようだけれど、生きる喜びがない。」この人はチュニジアから移住してきて、もう長くイスラエルに住んでいる。チュニジアではアラブ人もユダヤ人も仲良く暮らしていたのにここでは争いばかり。息子はイスラエルの兵士となって亡くなってしまった...。この人の旦那さんはモロッコの人で「モロッコに帰りたい」と話す。もうモロッコの言葉も満足に話せないのに。

世界各地に散らばったとされるユダヤの民は約束の地に戻ってきて...幸せを実感できないのなら、それは隣人の幸せを犠牲にしているからだろう。ユダヤ人だけの国を作るよりも、ユダヤ人もアラブ人もみんなが仲良く暮らせる国を作るほうが、誰にとってもーつまりユダヤ人にとってもいいことに思える。

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