旅行・地域

ボリビアで入院

 今回のボリビア行きの目的はウユニ塩湖を訪れること。南米は遠く、10日間という旅程ではそれが精いっぱいで、他の土地の観光は考えていませんでした。ところが、事情により、予定より早くウユニに着き、2泊3日のツアー参加のつもりが1泊2日ですっかり満足してしまい、早めにラパスに戻ってこられたので、少しラパスを観光する余裕ができました。
 ペルーに行った時と同じく、私は今回も高山病の症状が出て、軽い頭痛、吐き気があり、食欲のない状態が続いていました。一緒に行った友人は高山病予防のためにのんでいたダイアモックスという薬が効いたのかずっと元気でした。そんな私も、ボリビア到着後5日目にしてようやく元気になり(これもペルーの時と一緒。私の場合、高地順応に5日くらいかかるようです)、ラパスに戻った翌日はお土産物屋さんをうろうろしたり、博物館に行ったり。ランチは、地元の人の行きそうなお店で、安くて豪華なランチセットに舌鼓。私は食欲はもどったものの、さすがにボリュームの多い食事は食べきれなくて、友人に食べてもらったりしました。夜はペーニャを聞かせる店に行って、ボリビアの音楽とダンスを。この時、友人がどうも食欲がないようで、少し歩き疲れたのかな、と思っていました。
 翌朝、友人が「どうも朝食を食べる気がしない」というので、風邪でもひいたのかな、と、思い、今日は友人にはゆっくり休んでもらって私一人でラパスの観光をするつもりでした。念のため熱をはかってみると38.8度。これは尋常ならぬ熱だな、と思い、ホテルのフロントに相談すると、すぐかかりつけの医者をよんでくれました。
 お医者さんが来てくれたのは結局1時間ほどしてからでしたが、その間にも熱があがり、39.3度。さらに下痢がはじまりました。医師は診察して話を聞いた後、「もし薬をのんでも、下痢があるのでみんな出てしまう。下痢を止めると、今度は吐くことになる。なので、原因が何か検査して、病院で治療したほうがいい」と言い、病院へ向かいました。  到着したのは24時間対応のきれいな病院で、すぐに7階の個室に通されました。そこで入院用のガウンに着替え、便を採取して検査。名前、パスポート番号、保険会社、など、入院に必要な事務的手続きをして(クレジットカード付帯の保険で、保険会社の名前はすぐにはわかりませんでしたが、かまわないと言われました。これがアメリカならどうだったろう、と考えてしまいました)、点滴開始。下痢があるため、脱水症状を防ぐ必要があったのと、薬も点滴から時間を見て入れていました。
 医師は旅行者への対応を専門にしている人らしく、診察の間にも他から電話が入ったり、とても忙しそうで、私達だけにかまっているわけにはいかないようでした。しかし、そこの病院の医師や看護婦さんに指示をし、私には自分の連絡先の電話番号やメールアドレスを教えてくれ、何か質問などあったらすぐに連絡するように、と言ってくれました。英語での説明もわかりやすく、親しみやすい人柄で、この先生に対応してもらったことは本当にラッキーだったと思います。
 再び医師がやってきたのはもう夕方で、友人の熱は少しさがっていたものの、下痢は続いていました。医師は最初サルモネラ菌の感染を疑っていたようですが、結果は陰性で、ランブル鞭毛虫(Giardia lamblia)という菌にだけ陽性反応が出ていました。とにかく、旅行者にはよくある症状だそうで、1週間に2,3人は同じような症状の人を見ているとのことです。心配ない、と言っていましたが、問題は、私達は翌朝7時の飛行機で帰国することになっていて、それが可能かどうか、ということでした。
 朝7時の飛行機、ということは5時には空港に着いていなくてはいけない。しかし、今の状態では長時間のフライトに耐えられそうにありません。中南米からの入国者には厳しいと言われているアメリカ入国も心配で、帰国を一日延ばすのはやむなし、と判断しました。
 私達が泊っていたホテルと病院とは結構距離がありましたが、とりあえず、私がホテルに戻って荷物をまとめ、病院に戻ってくることにしました。ところが、夕方の交通渋滞がものすごく、とりわけメルカドネグロという市場に入ってからはなかなかすすまず、タクシーの運転手さんもイライラ状態。そもそも病院からでさえ、タクシーをひろうのがそんなに簡単ではありませんでした。さらに、荷物をまとめて病院に向かおうとしたものの、私達の泊っていたサガルナガ通りというところにあるホテルからはタクシーを全然ひろうことができず、もう夜の8時をまわっていたのに夕飯もまだ、これから航空券の手配もしなくてはならない、という状態だったため、病院に戻るのはあきらめて、その夜は私はホテルに泊ることにしました。
 幸い、ホテルではワイファイが使えたので、スカイプを使って航空会社に電話して事情を説明。明日の便をキャンセルしてその翌日の便に変更してもらったらいくらかかるかを尋ねたところ、最初の格安チケットよりも高額になって愕然。そこで、もともとチケットの手配をしてもらった旅行会社に電話して、ラパスから日本まで格安のチケットが手配できないか尋ねたけれど、日本からの便しか扱えないとのことで無理。私の力ではそれ以上の手配は難しいと思ったので、高額でもそれしか方法がない、とあきらめて、チケットの手配をしてもらいました。
 翌朝、友人もだいぶ回復したことだろう、と、午後にはホテルに戻ってくるつもりで、着替えや充電器などだけ持って病院へ。夜は30分毎にトイレに行かなければならないような状態だったようで、このままでは飛行機に乗れるかどうかが危ぶまれました。しかし、これ以上、チケットの変更はできないし(経済的に)、おたがいに仕事もある。なんとしても明日には帰国の途につかなければ、と、とりあえず下痢を止めるために、持っていた正露丸をのんだところ、下痢は止まってきたのですが、今度はまた熱があがってきた。やっぱり無理に下痢を止めるだけではだめなようです。
 お昼頃、診察にみえた先生にこれまでの経過を説明。そして、すでに翌日の飛行機の手配をしたので、それをさらに変更するのはむずかしいことを伝えました。先生としては、現在、まだ38度以上あって下痢もおさまっていない患者に対し、退院していいよ、とは言えない。ただし、私達の事情もわかるので、どうしても、ということなら、自己責任で退院するのはやむをえないし、航空機内でのむための薬も用意する。が、とにかく、夜の7時まで治療を続けて様子を見よう、とのこと。朝5時に空港に行かなければならないなら、朝4時半に病院から空港に向かうことも可能だから、とにかく病院にいたほうがいい、という話でした。
 それで、とりあえず私がまたホテルにもどって荷物をまとめ、その日は私も病院に泊ることにしました。ホテルに戻って、変更した航空機のEチケットをホテル前のネットカフェで印刷し、ホテルを引き払って病院へ。友人の様子はだいぶよくなっていて、熱をはかってみると、36.5度。下痢もおさまってきて、よく寝られるようになっていました。
 7時半ごろ診察にみえた先生は経過を聞いて、それなら明日の便で帰国しても大丈夫そうだ、ということで、みんなで喜び合いました。夜10時半頃、先生は診断書などの書類を整えて持ってこられ、飛行機の中でのむ薬について、細かく指示をしてくれました。その後、しばらくしてやってこられた事務の方に、病院の支払いもすませ、明日の朝、すぐに出られるように準備して眠りにつきました。
 友人のほうは最後の薬が夜中の3時。その点滴が終わるのに20分ほどかかるとのことで、3時半に点滴をはずしてもらい、準備をしていたら4時にはタクシーが病院の玄関に来ているとの連絡があったので急いで降りて行き、空港には余裕をもって到着することができたし、飛行機の中でもこれといった問題もなく過ごすことができました。

 外国で、とりわけ「先進国」ではない国で病気になったら、それだけで不安です。でも、ボリビアには設備の整った立派な病院がありました。医師もすごくしっかりしていて頼れる感じがしました。看護婦さん達も手厚い看護をしてくれた(私のスペイン語がお粗末なので、コミュニケーションをとるのはちょっと大変でしたが)し、病院の受付もとても感じのよい方でした。
 個室は窓が大きくてラパスの街並みを見ることができ、きれいな絵が飾られていて、気分が滅入るのを防いでくれました。患者の世話をする人が寝泊まりすることができるようにソファベッドがあり、トイレとシャワーもついていました。2月のボリビアは夏なので、泊ったホテルのどこにも暖房はありませんでしたが、病院には暖房があって快適でした。一応、安いながらも熱いシャワーのでるホテルには泊っていたのですが、シャワーの湯量が十分ではなく、温度も安定しないため、部屋に戻ると寒い感じだったりしたのですが、病院のシャワーは湯量がたっぷりで気持ちよかったです。ソファベッドはさすがに寝心地がいいとはいえませんでしたが…
 私達のいた階は入院患者用の部屋が数室あり、真ん中がナースステーションで、待合室も兼ねている感じでした。テレビがついていたり、明るい感じの音楽が流れていたりしました。1階の受付近くには薬局のほか、小さなお店があり、可愛い小物が売っていたりして、全体的にあまり病院臭のしない病院でした。、

 食あたりの原因ははっきりはしませんが、やはり、安い食堂で食べた肉なのかなぁと思っています。高地に慣れるのに時間がかかるように、現地の食事に慣れるのにも少し時間がかかるものなのかもしれません。航空機の変更に要した費用は結局、友人の保険で支払われることになりそうで、ほっとしています。熱と下痢とで友人は大変だったと思いますが、おかげでいろいろな人の親切にふれることができたのは、貴重な体験でした。
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(写真は病院の窓から見えた風景。夕暮れ時です。)

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アテネの町歩き

アテネの町歩きの写真を次のサイトにアップしたので興味のある方はどうぞご覧になってください。

遺跡や博物館などの観光地の写真はなく、買物が中心です。

ソクラテスの「無知の知」という言葉が好きな私は、古代アゴラを歩きながら、「昔、ここをソクラテスが歩いてたのかなぁ」なんて想像するのも楽しかったですが、普通に町を歩くほうがおもしろかったというのが本当です。

今回の旅では日本人に会うことが少なかったのですが、8月14日に考古学博物館やアクロポリス博物館に行ったときには結構日本人を見かけました。サントリーニでも何人か日本人らしい人を見かけました(イアに夕日を見にいったとき、結婚式を終えた人がでてきて、たぶんそのカップルは日本人だったのではないかと思います)。でも、ギリシャはそんなに日本人にとってポピュラーな町でもないのかなぁ。ギリシャにとっても日本はあまり身近な国ではないのでは、という印象をもちました。でも、アテネの日本料理レストランは流行っているようでしたが^^。

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ギリシャの電車

8月7日から20日までギリシャ旅行に行ってきた。アテネーサントリーニ島ーパロス島ーミコノス島ーアテネーメテオラーピリオン半島(マクリニッツァ村)ーアテネという日程。印象に残ったのは、メテオラの切り立った岩の上に立つ修道院、おとぎの国のようなミコノスの風景など。国内移動に使ったのはフェリー、電車、バス。そしてやっぱり楽しかったなぁと思うのは、電車での移動だ。

ヴォロスという町からアテネにもどるには、直通電車はなく、ラリッサで乗り換えなくてはならなかった。ラリッサまでは普通電車。ラリッサからアテネまでは座席指定のあるインターシティ(急行)だ。

予定時刻の20分遅れでヴォロスに到着した電車に乗り込む。結構混んでいるものの、まだ空席もあったが、次の駅で、私達の向かい側の席(対面4人掛けシート)におじいさんが乗ってこられた。

おじいさんはアジア人二人連れを見て「キナ?キナ?」と。何を言われているのかわからなかったけど、iPhoneアプリにギリシャ語ー英語辞書を入れていたので、聞いた通りの発音を入力すると、「中国」という意味だとわかった。「そうじゃない、日本だ」と答えると、おじいさんはさらに「どこへ行くのか」「どこへ行ったのか」など尋ねてこられた。iPadに入れているギリシャ語の指さし会話帳やら辞書を駆使しながら答えていると、隣の人が英語で助け舟をだしてくれた。おじいさんは通訳ができたことでますますパワーアップ、毛沢東の話を始めたり(^^;)。「私は中国人じゃないからよくわからない」と言っても、どうも中国がお好きらしく、話題は中国のことばかり。隣の人にそう言うと、その人も「まったくそうだね」と笑っていた。

あるいはメトロの中で。友人がまわりの乗客から注意された。最初、ギリシャ語で何を言っているのかわからなかったが、前に座っていた英語を話す男性が「財布をポケットに入れていたら危ない」と言っているのだ、と教えてくれた。「ここ10年ほどで移民が増えて、スリなどの犯罪が増えた」とのこと。「それまではヨーロッパの中でも犯罪のない平和な国だったのに」と。さらに「どこへ行くのか」などと尋ねられたので、考えている予定を話し、ヴォロスに行くつもりだと言うと、「あの近くの村がいいところなんだよ」と話してくれた。

フェリー乗り場のあるピレウスから郊外電車でアテネの中心部へ向かった時のこと。「地球の歩き方」によれば、電車は「ラリッサ」という駅に着くと思っていたら(実際その通りなのだけど)、車内の路線図には「ラリッサ」という駅がなく、間違った電車に乗ってしまったのか、とあせった。乗客のひとりに「ラリッサには行かないのか」と尋ねると、ギリシャ中部にあるラリッサという町のことだと勘違いされ、「それはこの電車じゃない」と言われたり。でも、他の乗客が私達の話を聞いていて、「ラリッサではなく、"アテネ"で降りればいい」と教えてくれた。

旅に出て私が好きなのは、地元の人と話すこと。そのために、ちょっとでもその国の言葉を覚えていこうとすることが多いけど、現実にはなかなかむずかしくて、英語になることが多い。今までで一番地元の人と話したのはトルコだ。特にバスの移動での際に話しかけられることが多かった。で、ギリシャでも、電車に乗ったおかげでちょっと話す機会があったかなぁ、と思う。フェリーは観光客が多くて地元の人と話す機会というのにはならなかったし、長距離バスや、電車でもインターシティとかはあまり誰かと話すことにならないのだけど、地元の人のふだんの足になっているような乗り物は楽しい^^。

下記のサイトにいくつか電車の写真をアップしたので、興味のある方はどうぞご覧になってください^^。

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ベトナムホーチミン2009

今更ながら、9月にホーチミンに旅行したときの写真を Life-X というサービスにアップしました。下のブログパーツで見られますが、スライドショーにすると大きな写真が見られるので、興味とお暇のある方はどうぞ(写真のどれかをクリックするとサイトに飛ぶので、そこで右下の「スライドショー」というボタンを押すと見られます)。特におすすめはしませんが(^^;)。ベトナムは日本語ガイドさんと話したのが一番おもしろかったので、いつか機会があったら書こうと思います。

今日はアメリカの祝日でお休み。月末に放送大学の試験があるのでそれの勉強を...する前に、クラスに新しく入った子どもたちの写真や、そのほかのクラス写真を印刷しておこう、として、「そうそう、この間から、私のノートパソコンからプリンタへの連携がうまくいってないんだよなぁ、この際、ちゃんと直しておこう」として...一日が終わった(--;)。

新しいドライバをインストールしたり、ウイルスバスターをようやく2010にアップグレードしたり...エプソンやトレンドマイクロに電話して教えてもらいながらいろいろやってみても、結局うまくいかず。我が家で無線LANが使えるのは、fon というサービスのおかげなんだけど、明日は、fon に電話する予定。

デスクトップパソコンから印刷はできるので、子どもたちの写真をいくつか印刷し、それから、長女の成人式の写真も少し印刷して、やっぱりこれはフォトブックか何かにしておくほうがいいかな、と思い、「ソニーのLife-X というサービスに登録して写真を10枚以上アップロードすればフォトブックが1冊無料で作れる」というキャンペーンをやっていたのを思い出し、ベトナム写真集ができあがったという次第(^^;)。

それにしても、なぜかパソコンが重くなったのは、ウイルスバスターのアップグレードのせいかなぁ..??

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牛乳とミルクの違い?

今回のベトナム旅行は、航空券とホテルがセットになったツアーで、ホテルは朝食付きだった。朝食は、食べ物メニューから一品、飲み物メニューから一品を選ぶ、というスタイル。メニューには日本語が添えてあって、「あついコーヒー」「あついコーヒーとミルク」「あついミルク」「アイスミルク」「ぎゅうにゅう」なんていう選択肢があった。

で、長女が「アイスミルクとぎゅうにゅうってどう違うの?」と訊く。うーん。私はベトナム語はさっぱりだし、ホテルの食堂でサーブしている人も、英語は片言だ。メニューのなかに「ラーハンーワとあついこうちゃ」というのがあって、「ラーハンーワって何ですか?」と英語で尋ねてみたけど、向こうは答えに困っていた。

というわけで、質問してもたぶんわからないかな、と、とりあえず、長女は「あついコーヒーとミルク」というのを頼んだ。ベトナムコーヒーだから、ミルクっていうのはコンデンスミルクなのかもしれないね、なんて話しながら。

で、コーヒーとは別にミルクが運ばれてきたが、ベトナムコーヒーにつきものの、金属製のフィルタはない。でも、ミルクを入れて飲んだ長女が「甘い」というので、私は「やっぱりコンデンスミルクなんじゃないの」と言ったのだけど、彼女は、コンデンスミルクならもっとどろっとしているはずだ、と言う。

結局、そのミルクがどういうものなのかはよくわからないまま、その日は、メコンデルタ一日ツアーというのに参加。で、思いがけず、ミルクと牛乳の違いが判明することになった(^^)。

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バイク天国

ホーチミンの印象は、なんといってもバイク天国。一昨日の「ここはどこでしょう?」でアップした写真は土曜朝の7時なので、まだまだバイクが少ないけれど、日中のバイクの多さは半端じゃない。それでも、土曜日曜は少ないのだそうで、平日は朝から渋滞するとか。
Bikehochimin_2

今回の旅行は、金曜夜出発、現地滞在は土日の2日間のみで、月曜朝には成田着、という短期間だった。それで、土曜も日曜も、現地で日本語ツアーを申し込んで利用。日曜に参加したツアーのベトナム人日本語ガイドさんがおもしろい人で、いろんな話を聞かせてもらった。

ガイドさんの話では、ベトナム人は、車よりもバイクのほうが好きだ。バイクのほうが風を感じられて、気持ちがいい。それに、友達の家に立ち寄ったり、どこかに立ち寄るにも、バイクのほうが小回りがきいていい。ガイドさん自身、毎日、片道50Kmの道のりをバイクで通勤されているのだという。

見ていると、二人乗りはあたりまえ、三人、四人、というのもめずらしくない。子ども、おかあさん、子ども、おとうさん、という感じで四人乗りをやっている。大人はふたりまでだけど、小さな子どもを乗せるのはいいらしい。最近、ヘルメット着用が義務付けられたそうで、子どももかわいいヘルメットをかぶっていたりする。もっとも、お年寄りと子どもは、ヘルメット着用義務はないそうだけど。

飲酒運転はもちろん違反。ヘルメット着用にしても、飲酒運転にしても、違反は法律で厳しく罰せられることになっているが、「法律は厳しい。でも、おまわりさんは優しい」(^^;)のだそうで、あまり厳格に適用されていないらしい。夜はおまわりさんはお休み。信号機も日曜はお休み(!?)。ベトナムは電気代が高いとかで、実際、ついていない信号機というのも何度も見かけた。赤信号のときだけついて、青はつかないとか。かなり大きな交差点でも信号機のないところもあり、道を渡るのはなかなかむずかしかったりする。でも、ゆっくり渡れば大丈夫(^^;)!?。ドライバーと歩行者で、協力しながら道を使う、という感じだった。

雨期だったけれど、ほとんど雨には降られなかった。でも、日曜の夜に雨が降ってきて、バイクの人たちは合羽を着用。後ろの席の人は前の人の合羽のうしろ身頃の部分をかぶったり、二人乗り用の合羽というのも見かけた。合羽の前身頃は前の荷物にすっぽりかぶさったり、雨でも快適にバイクに乗る工夫がいろいろ。

今、ホーチミン周辺は開発が進んでいて、大きな道路がどんどん作られている。日本やアメリカなどの外国資本が次々に入ってきていて、空港もとてもきれいだし、デパートの品揃えは日本の百貨店みたいだったりする。スーパーマーケットでは、日本語で書かれた日本製のお菓子が売られていたりもした。それでも、雨の多いこの国で、車ではなく、バイクが闊走(?)するこの光景は変わらないんだろうな、たぶん。

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クチトンネル

クチトンネル
kananiさん、ぴよさん、tabeさん、コメントありがとう〓。
私のiPoneがこわれて交換になったのですが、昨日、そのiPhoneがまたこわれて、、、でもなんと今朝、復活していました!ただ、バッテリが心配で、あまり使えませんでした。
で、ベトナムのホーチミンに来ています。昨日はホーチミン郊外にあるクチトンネルへ観光に行きました。
ベトナム戦争当時、ゲリラの作った細くて長い地下トンネル、アメリカ軍の落とした爆弾でできた大きな穴、その爆弾を利用して作られた武器、落とし穴、など、いろいろ見られておもしろかったです。
写真はトンネルの入り口です。大きなアメリカ兵は入ることができません。葉っぱで覆うとそこにトンネルがあることが
わからなくなります。
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これから日本に帰ります。
続きは帰ってから書きます。

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もう一枚

もう一枚
今度は部屋のベランダから

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ここはどこでしょう?

ここはどこでしょう?
現地時刻、朝の7時。バイクが多いです。

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カナダ

忘れないうちにカナダ旅行の覚書を。今回の旅では飛行機のチケットが取れなかったので、ツアーを利用した。年末のあわただしい時期だけど、ツアーには空きがあったのだ。ただし、イエローナイフから直行では帰れず、少しバンクーバーに立ち寄る、というものだった。ツアーといっても最初から最後まで添乗員さんがつく、というようなものではなかったし、アクシデント(飛行機が遅れたためエドモントンで予定の飛行機に乗れず、一泊することになった、など(^^;))もあったから、結構個人旅行感覚で楽しめた。

エドモントンで一泊したとき、次の朝、街歩きをするのにお願いしたタクシーの運転手さんは、コンゴ出身のムスリムの方だった。コンゴで生まれ育った方だけど、一家5人でカナダに移住してこられたのだと言う。「そんなに簡単に移住ができるんですか」と訊いたら、コンゴの製品を輸入するというようなビジネスをやる、ということでビザがおりたのだそう。エドモントンに来る前はイエローナイフで3年仕事をしていたが、寒い所でほかに楽しみもないし、子どもが飲酒などの悪いことを覚えるので、こちらに移ってきたのだとか。「ムスリムとしてカナダにいることに不都合はないんですか」と訊いたら「自分はコーランの教えに従って生きている。酒は飲まないし、たばこも吸わない。豚肉は食べない。でも、そうでない人がいても別にかまわない。女性も、コーランの教えを理解しているのなら、外でスカーフをしていなくてもかまわない。肝心なのは内面だ。私たちは内なるムスリムだ。カナダはいい国だ」と話しておられた。

バンクーバーでは、ツアーの係員(日本人)の方が私たちをホテルまで送迎してくださったが、やはり「カナダは社会保障が充実している」という話だった。医療は基本的に無料らしい。エドモントンでもそうだったけど、バンクーバーでも多くのアジア系の人を見かけた。日本人かな、と思うと、英語を話していたり、韓国語を話していたり。韓国料理や日本料理の店も多い。で、アジア系の人たちが働いているのはそういうレストランに限られているわけではなく、空港やホテルやおみやげ物屋さんやスーパーマーケットや...要するに、どこでも働いている、という感じだった(もちろん、現実にはなかなか就けない職業があるのかもしれない。数日の滞在ではそのあたりのことまではわからなかった)。バンクーバーで韓国料理の店に入ったけど、客もアジア人ばかりでなく、白人や黒人がいたり、どんな人でも溶け込めてしまう雰囲気。道が凍って地面がツルツルして危なかったのだが、そこをみんなでスケートして笑っているようなグループにも、いろんな色の人がまじっていたり。

短期間、ごく限られた地域を訪れただけの感想だけど、カナダ人はアメリカ人に比べると穏やかな印象だった。バンクーバーではエドモントン行きの飛行機が遅れて、飛行機に乗り込むまで2時間、乗り込んでからも5時間、という感じで待たなければならなかったのだが、そのことで特に声高に文句を言う人もいなかった。さすがに小さい子どもたちは疲れてグズグズ言っていたけど、その子たちをあやす乗客がいたり。「こんな状態だから携帯を使ってもいい?」と乗務員に尋ねる人が出て、それも許可された。2時間以内のフライトだから、積んでいる食糧は小さなプレッツェルの袋だけ。ランチもディナーも逃してしまった私たちはかなり空腹だった。「今頃アルバータ牛のステーキを食べているはずだったのにごめんなさいね。みなさまの辛抱強さに感謝します。」とユーモアを含んだ口調でのアナウンス。確かに乗客は辛抱強いよなぁ、と思った。

いろいろな表示は、英語のほかにフランス語も併記されていることが多い。場合によってはイヌイット語が表示されていたり、バンクーバーでは漢字や韓国語を見かけることも多く、雑多な雰囲気に東京と通じるものを感じた。そうかと思うと、極寒のイエローナイフでは、夜が明けるのが10時頃、日の沈むのは3時頃。一面、雪に覆われていて、道路はあるものの、スノーモービルで私道が作られている(?)。東部はまた雰囲気が違うのだろう。そういう違いを包含して、なんとなく居心地がいい国、という印象だった(^^)。

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写真は朝のバンクーバー。ホテルのベランダからの眺めです。

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